先週の神奈川県民ホールから11/3(火)の大阪、そしてこの日の中野サンプラザと、この状況下でのわずか3公演の短いGRAPEVINEのツアーも早くもファイナル。その地は昨年も9月にワンマンを行っている、中野サンプラザである。
基本的には同じツアーということで、先週の神奈川県民ホールの流れを踏襲しているので、そちらのレポも参考にしていただきたい。
なのでこの日のライブは内容や感じ方が変わった部分に焦点を置いてレポをしていきたいと思う。
先週はオンタイムで登場したメンバーがこの日は5分ばかり押してステージに登場。メンバーの服装は全く変わらず、「HOPE (軽め)」でスタートするという立ち上がり方も変わらないが、歌い終わった時に田中和将が
「フゥ〜!」
と声を上げるあたりにこの日のバンドのテンションの高さが感じられる。つまりはすでに1公演観ている観客としても実に楽しみになるのである。
バインの濃厚グルーヴサイドの極みと言える「豚の皿」ではアウトロの時事ネタ気になりだすシリーズで、先週ではアメリカ大統領選に触れていたが、この日は「SDGs」「Go To Eat」に変わっていたのはアメリカ大統領選がある程度結果が見えてきたからというのもあるのだろうか。毎回ネタを変えられるくらいに時事ニュースに精通しているあたりはさすがである。曲が終わると田中がいつものように飄々とした観客への挨拶。
この日の中野サンプラザも客席は1席開けてディスタンスを保っていたのだが、やはりバインのライブはそれ以外は全くと言っていいくらいに変わらない。観客もマスクをしていることを除けば、座ってじっくりと鑑賞しているというのもコロナ禍に陥る前となんら変わることはない。それだけに今の世の中の情勢をついつい忘れてしまいそうになってしまう。それはバンドの演奏のグルーヴや安定感も自粛期間を経ても全く変わらないという部分もあると思われるが。
そんなバンドのグルーヴを序盤に強く感じさせたのは「The milk (of human kindness)」のアウトロでのキメの連打っぷり。バインのアルバム曲は一聴すると地味に感じてしまうような曲も少なくはないが、それをこうしてライブで聴くと見事なくらいに化けている。それをできるメンバーがそれを感じられる演奏をしているからこそであるが、こうした音源とライブのギャップが実に強いバンドでもあると思う。それはイコールバインが形式的に使われるものとは意味が違うとはいえ、紛れもなくライブバンドであるということの証左である。
神奈川県民ホールで声が出せない観客を昇天させるくらいの名曲の連発っぷりだった中盤は「そら」〜「Our Song」という流れから、神奈川県民ホールではアンコールに演奏されていた、秋らしさを最も強く感じさせる曲である「指先」に変わっている。演出も全くと言っていいほどにないライブであるだけに、セトリを変えようとすれば変えられる内容ではあるけれど、この変化はアンコールにまた大きな変化をもたらすだろうなということを感じていた。まさか「Our Song」を変えてくるとは、というまさか「Our Song」を演奏するとは、という先週の驚きとは真逆の驚きを与えてくれるのが実にバインらしいのだが。
田中による
「今回のツアーで売っている買い物カゴがバカ売れしてまして(笑)」
というMCの通りに、初日に続いてこの日も物販の買い物カゴが即完したことを告げると、
「去年も中野サンプラザでやったんやけど、なくなるって聞いていたから、これで最後〜みたいなこと言ったんですけど、こうして今年も中野でライブができているので嘘になりました(笑)」
と、こうして再び中野サンプラザでワンマンができていることを噛み締めているかのような言葉も。ちなみにやはり今後の予定は白紙ということであり、年末に開催することが発表されたフェスへの出演もないということだろう。バインのライブ自体は全く変わらなくても、田中の言う通りに世の中はかなり深刻な方へ変わっていってしまっているということを自覚せざるを得ない言葉であった。
田中に合わせた観客の手拍子という唯一と言っていいくらいにバインのライブで一体感を感じさせる「Alright」からは終盤へ。内容には変わりはないが、やはり何度観ても「光について」の暗闇が
「僕らはまだここにあるさ」
のフレーズで光に包まれるという演出はゾワっとしてしまう。神奈川県民ホールの時は3階席だったが、この日は1階席だったのでより強く光の明暗を感じられた部分もある。
そしてアウトロではセッション的な演奏が繰り広げられる、バインのグルーヴサイドの極みと言うような「CORE」から、
「サンキュー中野、また来るぜー!というか東京に住んでるとよく通るぜー!」
と田中の生活圏内に中野が含まれていることを感じさせながら最後に演奏されたのはばかでかい音で鳴らされた「超える」。
「今 限界をも超える
そのくらい言っていいか」
というフレーズが我々へのエールのように聞こえながらも、この状況下で聴く「超える」はバンドやライブへの期待、バンドの限界やこれまでのライブ、日常などのあらゆるものを超えていた。リリース時はこんな曲になるなんて思ってなかった想像すらも超えていた。
アンコールでは田中が黒のツアーTシャツに着替えて腕を高く挙げながらステージへ。田中もそうだが西川弘剛も缶ビールを飲んでいるという早めの打ち上げのような雰囲気が漂いながらも、高野勲のキーボードの音色がメロディの美しさを際立たせる「1977」から始まるというのは神奈川県民ホールの時とは異なる入り方。
そうして名曲サイドの曲を連発するのかと思いきや、田中のエレアコのギターがエレキにも増してバンドのグルーヴを高めていく「NOS」でのやはりセッション的な演奏でそのバンドの技術の高さとライブならではの音のぶつかり合いと調和っぷりを堪能させてくれる。座りながら見ているというのもあって、時々目を瞑ってそのグルーヴに聴感だけで浸りたくなるような至高の時間だ。
その演奏はこの日最もロックンロールなバインを感じさせてくれた「ミスフライハイ」で一気にドライブしていくのだが、神奈川県民ホールの時よりも座りながらであっても腕を上げる人が多く見られたような印象があった。今はそうした楽しみ方しかできないけれども、立って声をあげたり腕を上げたりできるような、ライブハウスでのバインのライブも少しでも早くまた戻ってくるようにと願わずにはいられなかった。
そして最後に演奏されたのは神奈川県民ホールの時の「真昼の子供たち」ではなく、バインの美メロの極地と言える1曲である「アナザーワールド」だった。
「世界から日常から抜け出せるかい
世迷い言も裏返せば容易いのかもな」
「あの向こうへと
精一杯息をして
いつの間にかぼくらには
もうぼくらには
見えやしない」
というこの曲のありとあらゆるフレーズが今までとは違った世界になってしまったということを痛烈に実感せざるを得ない。だからこそ最後にこの曲を託したのかもしれないけれど、
「また会える日が来ると願って」
と田中が言ったように、どんな世界になったとしても、ずっと続いてきたこのバンドのライブをこうして観ていられるようであって欲しいと願わざるを得なかった。
ホールだと客席にいる人の顔が良く見える。そうして周りを見ると、やはりGRAPEVINEのファンの方々は自分よりも年上だとわかるような人が非常に多い。
それはそうだ。1997年にデビューして、すぐに人気を獲得して…と考えるともう20年以上ずっと聴いてきた、観てきたという人もたくさんいるはずだ。
そういう年代の人は家庭があったり、社会でも責任が重い立場にあったり…。つまりこのコロナの状況でライブに行くという選択を簡単にできないような人たちが多いはず。万一自分が感染してしまった時のリスクも重々承知しているであろう。
それでもGRAPEVINEのライブが見たい。そういう人たちがたくさんいるから、3箇所のツアーは「チケットが取れない」という状況になっていた。このツアーはそんなGRAPEVINEというバンドの存在の大きさを改めて感じさせてくれるものであったし、これからどんな世の中になったとしても、ここにいた人たちはGRAPEVINEのライブに来ることを決してやめないし、諦めることはない。
「私たちが支える、広める」というような献身的な存在では決してないし、バンドの姿勢も「好きにしてくれ」という以外のものでもない。それでもこうしてライブに来ている人たちの姿を見ると、本当にファンに恵まれてきたバンドだと思う。で、やっぱりそれは続けていないと得ることは絶対にできない。そんなこのバンドだからこそ感じられるものが確かにあったツアーだった。今まで観てきたバインのツアーの中で、最も愛おしさを感じられたのだ。
1.HOPE (軽め)
2.Arma
3.豚の皿
4.また始まるために
5.報道
6.すべてのありふれた光
7.The milk (of human kindness)
8.そら
9.指先
10.here
11.Alright
12.片側一車線の夢
13.光について
14.CORE
15.超える
encore
16.1977
17.NOS
18.ミスフライハイ
19.アナザーワールド
文 ソノダマン