9月8日はKREVAの日であり、クリープハイプの日である。これまでにもこの日にライブを開催してきたバンドなだけに、こうした世間様の状況であってもこの日にライブを開催するというのは並々ならぬ決意があったはずだ。
そもそもクリープハイプはバンドの動員力に比べるとなかなか大きな規模の会場でワンマンをやることが少なく、それだけに昨年に周年ライブを幕張メッセで開催することを発表した時は大きなどよめきも起こったものであるが、それはやはりコロナ禍によって未だ果たされていないライブになってしまった。
いつも通りに検温と消毒、さらには来場者フォームの確認を経てガーデンシアターの中に入ると、ソールドアウトとはいえやはりかなり座席が間引いてある。このコロナ禍にオープンしてからというもの、すでに何回もここでライブを見ているが、果たして全ての座席に人が座ってもらえる日はいつになれば訪れるんだろうか、とも思う。
開演時間の18時30分を少し過ぎた頃、場内に流れていたBGMが止まり、ゆーっくり(本当に「あれ?少し暗くなった?」ってくらいにめちゃくちゃゆっくり)と客席からステージにかけて暗転していくと、いつものようにSEもなく、ステージ中央だけ、メンバーの立ち位置だけを照らす照明の下に、「あ、小川出てきたのか」「小泉ドラムセットに座ってるな」と思うくらいにひっそりと4人が順番に登場。最後に現れた尾崎世界観(ボーカル&ギター)は赤い服を着て髪が短くなっている。(広いガーデンシアターであるが故にステージからかなり離れているが、遠目ではマカロニえんぴつのはっとりのように見える)
妖しげな小川幸慈(ギター)のイントロのフレーズが響くとともに、メンバーが登場しても座ったままだった観客たちが一斉に立ち上がるというのが実にクリープハイプのファンらしい中、ステージには無数の炎が灯っている。それは人間の体の中という未知なる暗闇の中を松明を持って進んでいくかのような演出による「キケンナアソビ」。春フェスからも演奏されていた曲であるが、曲中にいきなりノイジーになる小川のギターをはじめとして、こんなにもライブで化ける雰囲気を持った曲になるとは、と「愛す」のカップリングとしてリリースされた時点では全く思っていなかった。音源ではピー音で隠されている部分も尾崎は
「危険日でも遊ぼうよ」
と歌う。ある意味ではこの曲が1曲目というのがこの日のライブがどういうものになるのかを決定づけていたのかもしれない。
「ありがとう」
と曲の雰囲気に合わせるように囁くように尾崎が言うのもこの曲の持つエロさの余韻をさらに深く噛み締めさせてくれるのだが、その尾崎がイントロでステージ前まで進むと、早くもここで長谷川カオナシ(ベース&ボーカル)がメインボーカルを務める「月の逆襲」へ。
「イト」のカップリングという実に渋い位置に収録されている曲であるが、この曲は7月のTHE KING PLACE LIVEでも演奏されていた。その前に行われたTalking Rock! Fes.でも今までのいわゆるフェスセトリではない、レア曲をふんだんに入れたセトリのライブを行い、
「フェスは1回きりの関係性だと思っていたから、有名な曲を並べればいいとも思っていたけど、もっと大事にすれば良かったな、その時に本当にやりたい曲をやれば良かったって今は思ってる」
とフェスが次々に中止になってしまったことによるフェスへの心境の変化を口にしていたが、この曲をこうしてこの日も演奏するというあたりに、本当に今この曲をやりたいんだな、という想いが伝わってくる。ポップなサウンドの中で間奏で小川が唸りまくると言ってもいいギターソロをこれでもかとばかりに弾きまくる楽しそうな姿も含めて。
「こんな状況の中なのにライブに来て…。いろいろあるけれど、目の前にいてくれているっていうことだけを今は信じていたいと思います」
と客席を見渡すようにして尾崎が言うと、
「だから」
とその言葉を観客への「一生のお願い」に繋げてみせる。こうした曲と曲、あるいはMCと曲との繋げ方も独特の言葉を駆使した歌詞やタイトルを持つクリープハイプだからこそと言えるが、
「ねぇもっとそばに来て
抱きしめて離さないよ」
という歌い出しのフレーズが「だから」という言葉に続いた瞬間にこれは我々へ向けた曲になる。リモコン置いたり、加湿器に水を入れたりするくらいの一生のお願いなら何回だって聞くだろう。こうしてライブをやってくれているのだから。
「僕の喜びの8割以上は僕の悲しみの8割以上は僕の苦しみの8割以上は
やっぱりあなたで出来てた」
というフレーズが昨年開催されるはずだった周年ライブのタイトルにもなっていたくらいにバンドにとって大切な曲になっているであろう「君の部屋」。そのフレーズはきっとここにいた人の多くにとっては「あなた=クリープハイプ」と言えるものだろう。だからこそこの日こうしてライブを見れることの喜び、昨年のライブがなくなってしまったことの悲しみという感情が自身の中にあることを確かに感じることができる。それは人間でいることができている証とでもいうような。
冒頭で炎の演出があったが、基本的にクリープハイプはそうしたド派手なものや特別なもの、あるいは映像なんかをガンガン使うようなライブをやるバンドではない。それはやはりこのバンドがライブで最も見せたいもの、聴かせたいのは曲であり演奏であるからだろうけれど、「バブル、弾ける」でのまさに泡の中に包み込まれているかのような美しくも儚さを感じさせる照明効果は決して派手ではないが、曲の魅力を最大限に引き出すような演出だ。
ここまではどちらかというと浸るようなタイプの曲が多かったが、「リグレット」のシャープなギターロックさがクリープハイプの原点の部分を感じさせながら、
「ずっと君を探してたんだよ
ずっと君を探してたんだよ こんな所にいたのか
別に話す事はないけど 別に離すこともないから」
という歌詞は我々観客に向けたものであるかのように年々感じるようになってきている。そうした意図があるかどうかはわからないけれど、そうだとしたら、なんか嬉しいな。
その「リグレット」のギターロックさは「週刊誌」での小川の唸りまくるイントロのギターでさらに加速するのだが、ライブではたまに演奏されることもあるとはいえ、「社会の窓」のカップリングという位置の曲でありながらも
「友達みたいなフリして近づくなよ 君の嘘暴露てるぜ」
というCメロでの小泉拓(ドラム)のバスドラに合わせて観客が手を叩く姿、この曲のことをみんなが知っているという姿を見て、こうしたいわゆる「隠れた名曲」と言われるような曲までもクリープハイプのファンたちはしっかり愛してきたんだな、と思うし、それはクリープハイプがカップリング曲にも手を抜かなかったからこそだとも思う。先日、某音楽番組で「カップリング曲」をテーマにした回が放送されていたが、個人的にはそのテーマで最も挙げたい曲の一つだと思っている。尾崎の巻き舌気味の
「君はどうだい」
「やりたいかい」
というサビの締めのフレーズでの歌唱の迫力がこの曲のロックさをさらに引き立てている。良い曲を作るバンドであるというのはもちろん、本当にかっこいいロックバンドだと思う。
そうしたカップリング曲などのいわゆるレア曲が並ぶ中、最もレア曲と言っていいのは尾崎世界観監修の書籍「SHABEL」に封入されていた「喋る」と言っていいだろう。尾崎はこの曲からアコギに持ち替えて歌うのだが、この曲は7月のTalking Rock! Fesでも「今この曲やるの!?」という驚きの中で演奏された。そのライブが尾崎のフェスへの向き合い方が変わったという発言をしたライブだったため、この曲を本当に演奏したいからこそこうしてフェスだけならずワンマンでも演奏しているのだろうけれど、この他の人を前にして「喋る」という行為もなかなか満足にできない現在の世相を反映しての選曲だったりするのだろうか。
その尾崎のアコギのサウンドと小泉のリズミカルなダンスビートがキャッチーに絡み合う「四季」はコロナ禍以降も配信で曲をリリースし続け、それがどれも今すぐにリリースされるべき必然性を持った名曲であることを示すような曲。こんなに爽やかかつキャッチーに
「エロい」
というフレーズを曲に使えるバンドがいるだろうか。しかもそれがテレビなどで流れていてもおかしくないくらいの普遍性をも備えているという。
そんな曲を歌った後に尾崎は、この日のライブをこの状況の中で本当に開催するかどうかを迷っていたことを語る。
「なんか答えっぽいことを言うアーティストもいるけど、あんまり好きじゃなくて。…わからないから。
でもせめてファンの前ではわからないことをわからないと言えるフロントマンでありたい」
と、尾崎なりに誠実な形でこの状況、そしてこの状況でもこうしてライブに来てくれた人に向き合う。そこに一辺の取り繕いみたいなものはない。ただ今その心境にふさわしい「僕は君の答えになりたいな」を演奏した。
「世界観」収録の曲だからもう5年前。そんな曲が今のバンド、尾崎の心境を言い表している。それはどんな状況になってもクリープハイプというバンドが、尾崎世界観という人間がブレていないことの証明と言えるかもしれない。そんな曲が収録されているアルバムのタイトルが「世界観」だというのが実によく出来ているというか。
「僕は君の答えになりたいな ずっと考えてあげる
別になんの保証も無いけれど 間違いだらけの
そんな答えの出ない問題も ずっと考えてられる
心の中を見せてあげる」
という歌詞はその全く取り繕うことのない尾崎の今の心境そのままだと言えるし、今ファンの前でこう歌えるということがバンドにとっての答えなのだろうとも思う。
するとこの日2曲目のカオナシメインボーカル曲は「エロ / 二十九、三十」の通常盤のみに収録されているという、ある意味「月の逆襲」よりレアな「ベランダの外」。当時シングルリリース時は「なぜこんな複数枚同じCDを買わせる手法を」とも思ったけれど、だからこそこの曲が世に出れたということもあるんじゃないかと今になると思う。カオナシの尾崎のように強烈な個性を持たないボーカルスタイルだからこそ、曲の持つポップさ、キャッチーさはストレートに響く。尾崎の声の記名性の強さがバンドの大きな武器であるからこそ、こうして時折挟まれるカオナシのボーカルも映える。
とはいえマスクはしているし、声は出せないし、座れない席も多いしという時世ゆえのライブの景色なだけに、全てを忘れて楽しむというのもなかなか難しいのだけれど、そんな我々の心を暖めてくれるのが東京メトロのCMでも大量にオンエアされた「陽」からの「大丈夫」という流れである。
特に「陽」はそうしてバンドの存在をさらに広い部分まで押し広げた曲であるにも関わらず、あまりライブで演奏されることがない曲なだけに、この日会場に来た人にとってはまさに「今日はアタリ」であり「今を大好きになる」瞬間と言えるだろう。
それは
「あー、怖くて眠れないなら
酒飲んで酔っ払ってそのまま朝になるまで起きてれば良いよ
もう大丈夫だから」
という徹底的に無責任な歌詞が「その方が生きやすいのかもしれない」とすら思える「大丈夫」とはまたベクトルが違う感覚であるけれど、こうしてライブでこの曲を聴いていると本当に生きてさえいれば割となんとかなってしまうんじゃないかとも思う。そこにこうしたバンドの音楽があれば。
そんな否が応でも前向きにならざるを得ない曲の後に、尾崎は8年住んだ家から引っ越したということを語る。
「何にもなくなった、ずっと住んでた部屋を見たらなんだか泣きそうになって。でもいざ引っ越しして新しい家に住んだら「やっぱり新しい家最高だな」と思って。前の家からしたらふざけんなと思うだろうなって思うけど、自分も同じようなことをしてきたなって思って。
いろいろあったことをそのまま曲の歌詞にして、その時に出会った人にふざけんなって思われただろうし…。「中学生の時にクリープハイプめちゃ聴いてたからエモい〜」って言う人がいて、ふざけんなって俺も思ったりしたし。
…でも離れる時がもしかしたら来るかもしれないけど、今こうしてここにいてくれてるっていうことは離れていっても消えることはない。そんなことを歌った、懐かしい曲」
と、「引っ越し」というワードからこうして自分のこれまでの行い、そして今に至るまでを総括するような話術の見事さもさることながら、
「いつまでも忘れないでよねそして欲しがらないでね
無くした物だけ探してあげるわ
布団の中のあんたが寝返りをうつ度に
大事な物はこぼれていったの」
というバンドにとってごく初期の曲である「ねがいり」(「寝癖」のカップリングで現メンバーバージョンも再録されている)の「大事なもの」を今はこぼさずに大切にしていこうとするバンドの姿勢がその音から確かに伝わってくる。
そして小川のギターがここにきてさらに加速することでバンド全体のサウンドがさらにグルーヴィーになっていくのは尾崎の
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い
でも
居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい
居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい」
という歌詞とともにそのバンドの要素が生きる「百八円の恋」。もうかかる消費税も百円には八円じゃなくて十円になってしまったというあたりにこの曲が出てからすでに長い年月が経過していることを感じさせるが、
「別れたのは出会えたから
ってわかってるけど」
という歌詞は先程の尾崎の言う「離れていった人たち」の存在も感じさせる。離れていったのも出会ったからこそであると。
そのまま小川が体を揺らしながらイントロのギターリフを弾き始め、さらには踊るように足を交互に上げながら演奏するのは「社会の窓と同じ構成」。春フェスで久しぶりにライブを見た時にも思ったが、小川は年数を経るごとに演奏中のアクションがアグレッシブになっているようにも見える。それはそのまま彼がよりライブをすることを楽しむようになってきているように映る。
小泉の強いドラムの連打にギターが重なることによって始まる「寝癖」と、決してライブ定番曲ではないシングル曲もこうしてこの日は演奏されていたのだが、この日のライブに行く前にどこかこの曲は演奏されるような予感がしていた。それはやはり
「君の髪が白くなってもそばにいたいと思ってるよ
あたし髪が白くなるまでずっとそばにいたいよ」
というサビのフレーズがこれからのバンドとファンの関係性そのものであるようにというように感じられるからだ。「クリープハイプの日」というタイトルの日のライブで演奏されるのにこんなにふさわしい曲はないだろうし、こうしてシャープなギターロックサウンドの曲が続いたことによって、尾崎のボーカルの伸びはこの終盤に来てさらに強くなっているようにすら感じられる。
その流れで演奏されたのは香椎かてぃがMVに出演していることでも話題を呼んだ、リリースされたばかりの「しょうもな」。尾崎ならではのアイロニーを含んだタイトルや歌詞はしかし、
「もう何もかも振り切るスピードで意味ないこの音の連続で
今は世間じゃなくてあんたにお前にてめーに用がある
言葉に追いつかれないスピードでほんとしょうもないただの音で
あたしは世間じゃなくてお前にお前だけに用があるんだよ」
というサビで、世の中に広がるような曲ではなくて、目の前にいるあなたに刺さって欲しいからこうして音を鳴らしているという今のバンドのスタンスとして着地する。そこには裏返しではない素直な、ストレートな愛情を感じることができる。配信で名曲を連発してきているクリープハイプであるが、この曲はその流れのトドメと言えるような会心の曲だろう。
するとここで尾崎はギターを下ろし、カオナシの前にはキーボードが設置される。それは「5%」を演奏する際の編成であるため、この曲を聴くのも久しぶりだなと思っていたのだが、演奏前に尾崎は
「待たせてしまったなという思いもあるんだけど、3年3ヶ月ぶりにアルバムを出します」
と発表した。その際の観客からの鳴り止まないんじゃないかというくらいの長くて大きな拍手。それは「バンド」で歌われている
「2009年11月16日 アンコールでの長い拍手
思えばあれから今に至るまで ずっと聞こえているような気がする」
という拍手もこうしたものだったのだろうか、と思うし、ここにいた人たちが本当にアルバムがリリースされる、クリープハイプの新しいCDが手に取れることをずっと待っていたんだということを感じさせるものだった。そして、
「周年ライブが中止になって、本当ならライブをやっていたはずの時間に家でギターを弾いていたら新曲ができた。アルバムタイトルはその曲の歌詞からつけた」
という新曲をこの編成で披露。
「夜にしがみついて、朝で溶かして」
というアルバムタイトルから始まるこの曲は、小川の浮遊感を感じさせるギターの音とステージ前に置かれたミラーボールが輝くことによって、尾崎の言葉とラップというよりはトーキングスタイル的な歌唱(でも韻を踏んでいるあたりにはヒップホップの影響も)のフレーズの数々の通りに切ない瞬間に生まれた曲であるにもかかわらず、どこか1人家の中で音楽に合わせて踊っていることに楽しさを感じるような曲。いわゆるクリープハイプのギターロックとは「愛す」などと同様にかなり距離がある曲であるが、それでもこのメロディの美しさと普通に生きていたら思い付かないような歌詞の切り取り方はサウンドフォーマットが変わってもクリープハイプの曲であるということを強く感じさせてくれる。12月8日リリースとまだもう少し先であるが、アルバムを聴けるのが本当に楽しみだ。
尾崎がピンボーカル、カオナシがキーボードという編成は新曲のみというものだったのだが、通常の編成に戻っての「さっきはごめんね、ありがとう」では間奏でカオナシがステージ前に出てきて大きなアクションで小泉のリズムに合わせて手拍子を煽る。何小節も長く続いた観客による手拍子を尾崎は身を乗り出すようにしてステージ前まで出て行ってじっくり眺める。今この瞬間、声を出したりすることはできなくても確かに目の前にいてくれている人たちの姿を目に、その人たちが生み出す音を耳に焼き付けるように。言葉にしなくても確かに伝わるバンドと観客の絆。それを
「だんだん歳をとって恥ずかしくなっても
いつでもまたここに帰って来れるように」
「時々疑って でもこの歌があって
いつでもまたここに帰って来れるように」
という歌詞の歌が、音楽が何よりも証明していた。
小泉の4つ打ちとカオナシのうねるようなベース。クリープハイプはライブではイントロにこうしたセッション的な演奏を追加するアレンジを見せてくれるが、この日のこの演奏は「蜂蜜と風呂場」につながるものであり、新曲の時と同様にステージ前のミラーボールが、今度はまさに蜂蜜と言っていい黄色の照明を反射して鮮やかに回る。それはまさに外界とは遮断された風呂場の中にいるような、今の世の中の状況を一瞬だけでも忘れさせてくれるような景色だった。
すると尾崎はアコギに持ち替え、ピンスポットが当たる中で「ex ダーリン」を弾き語りし始める。メジャーデビューアルバム「死ぬまで一生愛されてると思ってたよ」のボーナストラックであり、弾き語りライブでは演奏されたということも聞く曲であるが、まさかここで演奏されるとは、と思っていると、2コーラス目でバンドの演奏が加わり、それまで尾崎だけに当たっていたライトが4人全員に当てられる。それはまるでクリープハイプが尾崎1人からこの4人のバンドになった瞬間を表しているかのようで、思わず体も心も震えた。あくまでも尾崎の歌とメロディを支えるバンドサウンドであることも含めて、この4人であることがクリープハイプであるというような。
そして尾崎が改めて観客へ
「こういう状況になって、MCをするのがより重くなった」
と言いながらも、素直に感謝の気持ちを示すと、最後の曲として演奏されたのは今でもこれぞクリープハイプと言える大名曲「イノチミジカシコイセヨオトメ」。
「生まれ変わったら何になろうかな」
というフレーズに続けて尾崎が
「生まれ変わってもクリープハイプになりたい」
と歌詞を変えて歌うと、その直後のサビで会場の照明が点いて、ステージからは紙吹雪が舞い始めた。それは10年以上この4人で続いてきたバンドを祝福しているようであり、こうしてこの日のライブに来た観客を祝福するようでもあった。バンドの歴史の中で誤解されるようなこともいろいろあったバンドが「クリープハイプの日」とそのバンド名を冠したライブには間違いなく愛が溢れていた。観客への、これまで出会った人への、音楽への愛が。
「明日には変われるやろか
明日には笑えるやろか」
変わることはできないかもしれないけれど、この日、このライブを観れた我々は明日には笑えているような。アウトロで一気にノイジーになっていくギターのサウンドとバンドが連発するキメ、そして尾崎がギターを掲げる姿を見て、そんなことを思っていた。
演奏を終えたメンバーが大きな拍手に包まれながらステージを後にする中、最後に残った尾崎は
「また延期になったり中止になったりするかもしれないけれど、アルバムも出るし対バンツアーもあるし、もっといろいろこれからもやるだろうし。そういう楽しくなれるような約束をたくさんしましょう」
と言ってからステージを去って行った。CDを予約したり、ライブのチケットを取ったりするのはバンドから提示されたものを受け取るというだけではなくて、バンドとファンの約束なのかもしれない。そう思うと、今決まっているそうしたリリースやライブがより一層愛おしくなるし、その約束をしていることによって生きていけると思っている人もたくさんいるはず。だからこそその約束の数がこれからも増えていけるような世の中であるように。
「HE IS MINE」も「栞」も「イト」も「ラブホテル」も「憂、燦々」も「鬼」も「オレンジ」もない。そんなワンマンライブのセトリはしかし、そうした曲はもちろん、そうではないバンドの深い部分にまで入り込んで、そこも含めて愛してきてくれたファンへのバンドの最大の愛情表現だった。
毎年同じようなことをするタイプのバンドではないけれど、1年に1回、こうしてその愛情を確認できる日がこれからも毎年続いて欲しい。そんな2021年のクリープハイプの日だった。
1.キケンナアソビ
2.月の逆襲
3.一生のお願い
4.君の部屋
5.バブル、弾ける
6.リグレット
7.週刊誌
8.喋る
9.四季
10.僕は君の答えになりたいな
11.ベランダの外
12.陽
13.大丈夫
14.ねがいり
15.百八円の恋
16.社会の窓と同じ構成
17.寝癖
18.しょうもな
19.新曲
20.さっきはごめんね、ありがとう
21.蜂蜜と風呂場
22.ex ダーリン
23.イノチミジカシコイセヨオトメ
文 ソノダマン