昨年11月には初の日本武道館ワンマンを「新言語秩序」というコンセプチュアルな形で完遂し、改めて楽曲に宿る物語性の強さを証明してみせた、amazarashi。
今年に入ってアニメ「どろろ」のエンディングテーマ「さよならごっこ」をリリースし、それを受けてのツアーではあるが、ツアータイトルからも顕著なようにそれとはまたちょっと異なる内容になる予感がするし、昨年の武道館が素晴らしかっただけに期待は高まる一方。
どこかいつにも増して厳かな空気が漂うNHKホールの中は19時を少し過ぎたところで場内が暗転すると、amazarashiのライブには似つかわしくないように思えるブラックミュージック的なSEが流れる中、メンバーたちがステージに集まり、秋田ひろむのギターの一閃とともにステージに照明が当たって演奏が始まったのは「後期衝動」。メンバーたちがかなりステージの後方に立つ中、おなじみのステージ前に張られた紗幕には曲の歌詞とともに雨に打たれながら、まさに雨晒し状態でギターを弾きながら歌う秋田ひろむのシルエットが映し出されている。
「青森県から来ました、amazarashiです!」
と曲終わりに秋田が挨拶すると、武道館ワンマンでは物語の中軸となった「新言語秩序」と「言葉ゾンビ」の対立を描いた「リビングデッド」へ。早くもこの曲が演奏されるということは武道館の時のコンセプチュアルな内容とはまた違った内容のライブであることを示しているが、ツイッターのTLのような映像が映し出される中、ピアノの豊川真奈美だけでなくサポートメンバーたちがそれぞれコーラスを務めて曲に彩りを加えていく。その様子を見ているとついつい武道館の日のことを思い出してしまう。
ベストアルバムである「メッセージボトル」に収録され、それまでのamazarashiの代表曲である楽曲のMVで構成された映像が映し出された「ヒーロー」ではこれまでにライブで聴いてきたそれら代表曲が演奏された光景が頭の中にフラッシュバックしていく。
秋田も
「この夜もすぐに終わる。このライブもすぐに終わってしまう。新しい朝を迎えるために」
と言って星が輝く空の映像を纏って「スターライト」を演奏したように、この日は我々がこれまでに見てきたamazarashiのライブや、この日に至るまでの過去の夜を肯定して受け止めながら新しい1日に向かっていくというようなコンセプトであり、それはライブタイトルからも明らかであると言っていいだろう。
しかし新しい朝が常に希望に満ちているわけではないということを音楽と学校の風景のような(あたかも演奏しているメンバーたちもその風景の中の一部であるかのような)映像によって突きつけるような「月曜日」とamazarashiらしい現実を見せると、一転して秋田と豊川に暖かいピンスポットが当たる中、手書き文字であろう書体の歌詞が紗幕に映し出された「たられば」と、これまでのライブではクライマックスを担ってきた曲たちが早くも前半で演奏されるという部分にamazarashiの今のモードが反映されている。
その今のモードが最も強く反映されていたのはやはり最新シングルである「さよならごっこ」。このNHKホールがある渋谷らしき街を連想させるような夜の都会の中で歌う、秋田ひろむであろうハットを被ってギターを弾きながら歌う男の姿。しかし次第にその男からは「どろろ」の鬼神を彷彿とさせる魔物のような姿が滲み出し、さらには四股を失って「どろろ」の百鬼丸のような姿になる…と明確にタイアップとリンクしているような映像が流れたのだが、それは
「いつか必ず会えるって 自分を騙す遊びだよ」
という、もう会うことができない別れを繰り返す百鬼丸とどろろの旅を示唆している歌詞のようでもある。「どろろ」第2期のオープニングテーマを担い、トリビュートアルバムにamazarashiが参加したアジカンがそうであるように、秋田もまた原作を読んでこの「さよならごっこ」を書き下ろしたのだろうか。
その「さよならごっこ」のカップリングである、次々に歌詞が紗幕にタイピングされていく、まくしたてるように言葉数の多い「それを言葉という」は「リビングデッド」の物語に繋がるような、秋田の言葉への強い意識や執着が現れた曲だが、そもそもがカップリングという立ち位置の曲であるだけにこうしてライブで聴くことができる機会は今後そうそうないかもしれない。
「わいはゼロだった。それが音楽を始めて0を1にすることができて、1を10にしてくれるような仲間ができて、10を100にしてくれるような理解者が増えた」
とこれまでのamazarashiとしての道のりを振り返るようにして演奏されたのはまさに光が降り注ぐような照明が眩しかった最初期の「光、再考」。その演出や今のamazarashiでのライブアレンジも相まって、まさに再考するかのような新しい空気を感じさせてくれる。こうしてライブで何度も聞いている曲であるにもかかわらずライブで新鮮さを感じさせてくれるのは映像とリンクしたライブを行っているamazarashiならではである。
タバコのケムリの中に浮かび上がる歌詞がタイトルの人物像を想起させる「アイザック」もまた「さよならごっこ」のカップリングであるだけに今回のツアーくらいでしかライブで聴くことができない曲になるだろう。
時には女性がひたすらに生肉を口に運んでいく、見方によってはグロテスクにも見えるような映像が使われる時もある「季節は次々死んでいく」もこの日の映像は歌詞が映し出されるのみといういたってシンプルなものであり、この日のライブがストーリー性を作るような映像よりも曲そのものが持つ歌詞の力をしっかりと観客に伝え、それが連なることで見ている側にそれぞれのメッセージを感じさせるものになっていくものであることが徐々にわかっていく。コンセプチュアルではないようでいて、やはりamazarashiのライブは1本1本に明確な意志や意識が宿っていて、それをしっかりと伝えようとしているのがわかる。
しかしこうして2階席から前の客席や1階席の様子を見ていると、みんな座ったままで物静かにライブを見ている様が実に面白いというか、やはりなかなか他のアーティストのライブでは見れない光景であると思うのだが、ホールいっぱいに伸びやかなボーカルを広げていく秋田のみならず、一時期はライブに参加していなかった豊川のコーラスもこの後半からは目に見えて強くなっていく。とりわけ人形が次々に粉砕されたり破壊されたりしていく映像が映し出された「命にふさわしい」では最後の
「心さえ 心さえ 心さえ なかったなら」
というフレーズのリフレインが実に強く響く。フレーズとは裏腹に心というか感情がその声に宿っているからこそより一層そう感じる。
「ずっと自分の背後霊に見られている。そんな気がする夜」
と秋田が言って演奏された「背後霊」の正体は紛れもなく19歳のままで歳を取ることがなくなってしまった友人の存在であることが「ひろ」をその直後に演奏したことによって浮き彫りになり、ハードなギターロック的な音像である「空洞空洞」から、「夜」を大きなテーマにしたこの日のライブの中で少しだけ違うというか、MVの映像のイメージもあってか晴天の青空が思い浮かぶ「空に歌えば」と、秋田が
「すぐに終わる」
と言っていたこの日のライブがまさに終わりを迎えようとしていることを告げるのが、トラック的な音像の中で
「人生は美しい」
と歌う「ライフイズビューティフル」。そのメロディがまさに美しさそのものであるし、「負け組の音楽」「厨二病」と揶揄されることもあるamazarashiの音楽とそれに出会えた我々の人生もまた美しいものであることを実感させてくれる。
このNHKホールの所在地は渋谷。かつて何度となくamazarashiがライブを行ったことがある、この会場のすぐ隣にある渋谷公会堂(絶賛改修工事中)で初めてライブを行った時に秋田は、
「ついに渋公まで来ることができました」
とこれまでの自身の人生が報われたかのような感慨を口にしていたが、
「NHKホール。昔、東京でバンドをやっていた時にここの入り口の正面で路上ライヴをやっていたんです。ついにこの中でライブができるんだなって始まる前からなんだか不思議な気持ちでした。今もいるのかな?路上ライブしてるバンド。だから、わいが言うのもなんですが、見ていってくださいね。そういうバンドたちを」
と、かつて夢破れたバンドでこのNHKホールがある代々木公園で路上ライブをしていた過去を語った。今ではバンドはほとんどおらず、ダンスをしている若者ばかりと公園の景色はだいぶ変わってしまったが、そうした人生における苦い経験の一つ一つがamazarashiとしての表現に繋がっているし、その言葉には重みとどこか温かさみたいなものがあった。かつての自分のような人間の背中をそっと押すかのように。
そしてこの夜を終わらせるために演奏されたのは今やamazarashiのライブ最大のキー曲になっている「独白」。「リビングデッド」のカップリングにおいては歌詞のほとんどが「新言語秩序」によって検閲対象にされたことによって聞き取ることができなかったが、武道館のライブにおいてその検閲によって隠された言葉が露わになっていった時の驚きは今でもよく覚えているし、ツアーを回ってさらに鍛え上げられたバンドのサウンドによって最後の
「言葉を取り戻せ」
というリフレインは一層強く響いていた。聴いていて体が震えていたのは会場の冷房が強くて寒かったからというわけではきっとない。
しかしこの日はこれで終わらず、最後に演奏されたのはライブタイトルに連なる新曲「未来になれなかったあの夜に」。テーマが「夜」であるライブにもかかわらず「夜の歌」や「逃避行」という夜の曲が演奏されなかったのはこの曲が最後に演奏されるライブだからであろう。
暗い夜というだけではなく、その夜が明ければ光が差す明日が来るかもしれない。そんな微かな、でも確かな希望を感じさせるような夜の歌。それはamazarashiがこの日に至るまでに様々な夜を越えてきたこそだし、そうした日々の積み重ねによってかつて夢見た場所にこうして立っている。紗幕に映っていたのは「後期衝動」と同じようにまさに雨ざらしになりながらギターを弾いて歌う秋田の姿であり、やはりこの曲に向かうための夜であったということがわかるが、「後期衝動」で雨に打たれる姿は孤独や絶望感を強く感じたが、この曲のその姿からはそうしたものは全く感じなかった。この曲はそういうものを乗り越えた先にあるものだから。この曲が一体どういう形で世に出るのか。今から本当に楽しみだ。
「言いたいことは言った方がいい。どんな状況であっても。今一番言いたいこと…ありがとうございました!!!」
と絶叫してしゃがみ込むようにギターを弾くと白い薄明かりがステージを包む中でステージから去っていく秋田。その姿はどこか「ロックスター」と形容したくなるようなものだったし、これまでの暗闇の中でメンバーがいつのまにか居なくなっているというエンディングとは違う、ライブを終えてステージから去っていくという姿はamazarashiの音を奏でるメンバーたちが紛れもなく目の前で演奏している人間であるということを過去最高に感じさせた。それはこれからのamazarashiの生み出す音楽にどう作用していくんだろうか。
やはり武道館の時の「新言語秩序」や幕張メッセの時の「虚無病」、あるいは「スターライト」のようなテーマやストーリーがあってそれに合わせた曲を演奏するというライブとは違う、ある意味ではシンプルと言っていい内容のライブだったが、そうしたコンセプトがないからこそその曲がもともと持つ意味やメッセージをしっかり噛みしめることができるライブだったとも言える。
それは秋田の言葉からも顕著であるが、コンセプチュアルなライブだと自身の感情をMCで話すということはしにくい。(だからこそ武道館の時ですら秋田は武道館という場所への思いをステージで口にはしていない)
しかしかつてこの東京で生きていた時間があった秋田はきっと東京のさまざまな場所に夢を見たり打ちひしがれたりしてきたはず。そうした秋田が越えてきた夜やそれが積み重なった人生に思いを馳せながら、それが我々の人生と重なる部分があることによって、またamazarashiの音楽が人生に不可欠なものになっていく。改めてそう実感することができた、ライブのテーマの通りに言うならば良い夜だった。
1.後期衝動
2.リビングデッド
3.ヒーロー
4.スターライト
5.月曜日
6.たられば
7.さよならごっこ
8.それを言葉という
9.光、再考
10.アイザック
11.季節は次々死んでいく
12.命にふさわしい
13.ひろ
14.空洞空洞
15.空に歌えば
16.ライフイズビューティフル
17.独白
18.未来になれなかったあの夜に
文 ソノダマン