ライブが出来なくなってしまってから4ヶ月ほど。その期間のキュウソネコカミと言えば、ヤマサキセイヤ(ボーカル&ギター)が音楽以外の配信コンテンツに精を出したり、バンドマンたちによるライブハウス支援のトーク配信で突如として坊主頭になったりという、ライブ同様に全く予想もつかないようなやり口でファンを楽しませてくれてきた。
そんなキュウソもこのタイミングでついに配信ライブを開催。「電波鼠」というそのままかつシンプルなタイトルがいかにもキュウソであるが、配信のトラブルによって本来のスタート時間である19:30になっても全く配信が始まらず、結果的にスタートしたのは1時間押しの20:30過ぎ。
押したことによって最初からリアルタイムで見れるようになったのは実に運が良かったけれど、もしかしたら中止になるかもしれないという可能性すら浮上していただけに、もしかしたらロックの神様という存在がいて、その人が「君たちは観客がいる場所でライブをするべきバンドだ」と天啓を授けたのかもしれない、とすら思ってしまった。
20:30頃になると、それまで全く変わることのなかった画面はそのままであるが、何やら良い声の持ち主の話声が聞こえてくる。その声の主は大阪のラジオ局FM802の飯室大吾であり、このライブのナビゲーターを務めるべく、会場である梅田シャングリラの入り口から実況中継をしている。
少しするとついに映像も映るようになり、飯室大吾の喋る姿が映ると、中にいるスタッフに導かれるようにしてライブハウスの中へ…そこには普段ならば客席であるスペースに作られた(通常のステージでは密になってしまうし、今のキュウソにとってはかなり小さいと言っていいだろう)ステージにすでにスタンバイしているメンバーたち。
メンバーは円を描くようにそれぞれが中央を向くような配置になっており、すぐさま音が鳴りだすと、
セイヤ「全国のバンドマン、生配信は危ないぞー!」
ヨコタシンノスケ(キーボード&ボーカル)「お待たせしましたー!」
とフロント2人が叫び、すぐさま「ビビった」の演奏が始まる。
坊主が少し伸びた、といった感じのセイヤの風貌はまるで高校の部活を卒業して、坊主頭にする必要がなくなってバンドを始めた少年のような無垢さすら感じてしまうが、そのセイヤは
「さあみんなで手を振って さあみんなで踊ろうよ」
のフレーズ部分で、サカナクション「バッハの旋律を夜に聴いたせいです。」のMVに出てくるような人形と共に踊る。目の前に一緒に踊る人がいないからこそのパフォーマンスであるが、こんなに短い時間(曲の2,3フレーズ部分のみ)のためにこんな仕込みをしてくるというキュウソのサービス精神たるや。もちろんその根底には見ている人に出来る限り楽しんでもらいたい、楽しくなってもらいたいという気持ちがあるからこそ。
「1時間押しは「ファッキンミナミホイール」以来だぜー!」
とセイヤがリアルなライブでもここまで時間が押した経験があることを口にすると、「良いDJ」では間奏のオカザワのスクラッチギター部分でステージ中央部分に映像が映る仕掛けになっていることがわかる。この時は一瞬であったが、これがこのライブの重要なポイントになるということをこの時はまだわかっていなかった。
「画面越しでも会えて嬉しいぜー!」
と序盤からセイヤの言葉や歌い方、メンバーの演奏の全てからこうした形であってもライブができていることへの喜びを感じさせると、「推しのいる生活」ではセイヤがサイリウムを振りながら歌うという場面も。
こうしてこの配信を見ている人からしたらキュウソ=推しなわけであるために、実に4か月ぶりという、毎年年間100本以上ライブをやって生きてきたキュウソにこんなに長く会えないということは自分にとってもキュウソに出会ってからは初めての経験である。ツアーはもちろん、春も夏も秋も冬も、ありとあらゆるどんなタイプのフェスやイベントにもオファーさえ来れば出るというスタイルのバンドであるだけに。
だからこそセイヤがサイリウムを振りながら歌う
「推しを眺めてるだけで潤う 推しが動いてるだけで尊い」
というフレーズが今まで以上にリアルな我々の感情として響いてきたし、やっぱりキュウソというバンドのことが好きであり、画面越しであってもこうしてリアルタイムでライブを見ていられるのが本当に嬉しいのである。
セイヤ「1時間押しとかエグいな!はいからさんの主催イベント以来(笑)」
と、先程名前を出した「ファッキン〜」はキュウソの名物マネージャーである、はいからさんが主催したイベントであることが判明するのだが、彼もやはりキュウソにとっての「ハッピーポンコツ」な人物である。
「でも遅れててもチャットのコメントがすごく暖かくてホロリとした」
とセイヤは本音を漏らす。トラブルが発生して待っている時はすごく不安で、泣き出してしまいそうだったという。
実際に配信のトラブルというものを自分もこの1カ月ほどで何回も経験しているし、そうした時に怒の感情を抱いてしまうこともあった。せっかくチケットを買ってリアルタイムで見るために待機していたのに見れなかったのだから。
でもキュウソのファンは全く怒ることなく、ひたすらに配信が始まるのを待っていた。それはメンバーやスタッフに非があることではないということをわかっていたからだろうし、キュウソのファンはこの日も会場の壁に貼られていた、バンドの信念とも言える
「楽しくても思いやりとマナーを忘れるな」
という言葉を胸に刻んで生きている。それは自宅から画面越しにライブを見ている=周りに人がいないという環境でも全く変わることはない。これはセイヤだけではなく、ファン同士もチャットのコメントを見て感動していた人も多いはず。実際に自分もこのバンドのファンであることに嬉しくなったし、これからもそう思ってもらえるような存在でいたいと思った。
「久しぶりの曲をやる」
と宣言して演奏された「邪邪邪 VS ジャスティス」はまさかこの機会に演奏されるとは思っていなかったので、久しぶりに聴けて嬉しいところではあるが、
「悪い奴が切り拓き、世界を変えてく
成し遂げられた罪に後追い対策
騙されて甘い蜜吸われてんだ マトモに生きても利用されて
守りたい者さえも守れない それが世の常」
というフレーズはこの状況だからこそ今までとは違うように刺さるというか、そうした心境もあっての選曲なんじゃないか?とすら思ってしまう。
演奏中にはオカザワとカワクボタクロウ(ベース)がステージ中央でアクリル板を挟んで向かい合って演奏するという、今の状況ならではの場面も。
さらにこちらもなかなかレアな「スベテヨシゼンカナヤバジュモン」ではヨコタが床に映し出された、爆発などの映像に合わせて映像の上でポーズを取りながら歌うため、
「サンダーボルトでドーン ファイヤーボールでバーン」
という呪文をヨコタが唱えることによってその爆発する映像が起こっているかのよう。こうしたライブのアイデアこそがキュウソならではであるが、それが曲やメンバーの身体を伴ったパフォーマンスだけでなく、映像まで利用したものになるとは。ホールで挑戦的なワンマンをやったりしたこともあるが、そうした経験が全て蓄積されてバンドの表現力につながっている。だからこそ、ライブや活動が出来なくなってしまった期間であっても、キュウソがバンドとして進化していることがよくわかる。
セイヤが会場の壁に貼ったスクリーンに次々に映し出されるチャットのコメントを見て、
「家で足攣ってるやついるぞ!(笑)」
と面白いコメントを拾いつつ、ライブおなじみの曲である「ファントムバイブレーション」へ。
おなじみの曲ですらライブ自体が久しぶりなだけにどこか今までよりも演奏されることを待ち侘びた部分もあるのだが、タクロウは寄ってきたカメラに向かってウインクしたり、メンバーそれぞれにカメラが寄って顔のアップが映る。ここまで演奏中の表情をアップで見れるのは配信だからこそであるが、やはりセイヤは髪型によって今までとはちょっと違う人にすら見える。
きっとこの配信をスマホで見ている人も多かったと思われる(自分も含めて)が、そんな人にとってはまさに今こそ
「スマホはもはや俺の臓器」
である。スマホがなかったらこのライブが見れないのだから。さすがに
「1日7時間くらい見てる」
っていうことはないだろうけれど。
そして「時代を斬る曲」こと「ギリ昭和」では間奏でなぜか用意されていたクラッカーをセイヤが鳴らす。そのクラッカーをオカザワとヨコタがモロに喰らい、オカザワのギターが紙塗れになったからか、セイヤがラスサビ前に思わず笑ってしまっていたのは、全てが計算通りにはいかない、偶発性によってその日が左右されるライブだからこその面白さである。
床の映像には歌詞に合わせて「昭和」「令和」という年号が映し出されていたが、アウトロでタクロウがカメラ目線で笑顔で親指をグッと突き立てる姿はそうした演出以上に輝いていたし、その楽しそうな姿は何よりも脳裏に焼き付いている。
するとここでメンバーは楽器を置いて、梅田シャングリラでの中打ち上げに使われていることでおなじみというバーカウンターでの休憩をかねたトークタイムへ。通常のライブではまずあり得ないこうした展開も配信ライブならでは。
久々のライブの合間でありながらもトークタイムの第一声が
「本当にごめんなさい!」
という配信が遅れて待たせてしまったことへの謝罪であるというのは気にしすぎなんじゃないだろうかと見ているこちら側が心配になってしまうが、
「ホンマにチャットに救われた」
と、何度も同じことを口にするということは心からそう思っていることの証左であろう。
しかし、
「セイヤにシャンデリアは似合わない(笑)」
という、梅田シャングリラならではの内装でセイヤをいじるコメントも拾って笑わせてくれる中で、ここでライブ初披露の新曲を演奏することを告げる。このライブの直前には「御目覚」という新曲を配信リリースしたのだが、ここで披露されたのはさらなる新曲「3minutes」。
タイトル通りにぴったり3分間で終わるというのはコメントでも触れられていたように、東京事変「能動的三分間」を元ネタにしているであろうが、もうひとつタイトルに引っかけているのは「3密」という小池百合子東京都知事が口にして今や誰もが知るところになった、コロナ禍が生んだパワーワード。
しかしそれをやっかみや批判としてではなく、
「なくても死なない でもこれが俺たちの生きがい」
「ライブハウス生きる場所」
「ライブハウスへようこそ」
という、再びライブハウスで3密の状態になって楽しむことができるようになる日を望むための曲。そうした「The band」などの曲に顕著な熱い今のキュウソらしさを見せながらも、懸念していた3分間ぴったりに終わるというのも実に見事だし、床に表示されたタイマーが映像として実に大きな役割を果たしていた。
「3密っていう言葉が出てすぐ作った、3分間密しまくろうぜっていう曲」
というあたりは「令和」という年号を発表されてすぐに歌詞に盛り込んでみせた「ギリ昭和」同様のこのバンドの凄まじい反射神経を感じさせるが、
「この曲をぶちかませる日を楽しみにしていきたい」
と言う通りに、メッセージからしてもライブハウスでぐちゃぐちゃになりながら聴くための曲なのだ。この曲の歌詞を胸に刻みながらその日が来ることを楽しみにしていれば、ライブで3密になれない日々を乗り越えていくための力になるような。
さらにはこちらもライブでは初披露となる、ライブができない期間にリリースされた「おいしい怪獣」では音源で強いインパクトを放ち、観客が共に歌ったり叫んだりする賑々しいコーラス部分をメンバー全員がコーラス。きっとこの曲はまた観客で満員になった会場でのライブで聴いたらまた違う魅力が生まれる曲なはず。メンバーそれぞれのコーラスが実にクリアに聴こえるというのも貴重な機会であるが。
そしてこの曲が演奏されたことで後半に突入したことがわかる「DQN〜」ではタクロウが変顔をしたりしながらも壁に映し出されるチャットのコメントを見たりするという余裕も見せる中、恒例の「ヤンキー怖い」コール時に床に今まさにこのライブを画面越しに見ているファンの顔が次々に映し出される。先ほどまでは映像が映る床を普通に歩いていたセイヤは
「小鼠を踏むのは悪いなと思って。だからいっそのこと、ファンを纏いたい!」
と言って床に張られたグリーンバックの布を身に纏い、セイヤがファンの顔に包まれているという今までのどんなアーティストのライブにおいても見たことがないような景色に。
(キュウソファンの総称が小鼠だったのも少し驚いたけど)
そのまま脚立に登ることによって、脚立にまでファンの顔が映し出される中でセイヤは天井に吊るされたミラーボールにタッチする。画面越しで顔は見えないけれど、というのは配信における常套句であるが、配信ライブであってもお互いの顔を見てライブをすることができて、ライブを見ることができる。
「この画は10年やってきて初めて見たぞー!」
とセイヤは言っていたが、こんな画を見たことがあるアーティストは他にいないだろうし、キュウソはキュウソならではのやり方で新しい配信ライブの可能性を切り開いてみせた。その瞬間を我々は確かに目撃することができた。これから先もキュウソについていけばそうした今までに見たことがないものをたくさん見ることができるはず。だからキュウソのライブに行くことを諦めることはできないし、心の底からキュウソを凄いバンドだと思っているのだ。
そして配信が遅れたことによってこの曲にも一層説得力が増す「ハッピーポンコツ」ではライブではおなじみのサビ前のベースのうねりでタクロウがカメラ目線で様々な表情を見せてくれる。普段のライブでもこの瞬間はタクロウのことを見ている人はたくさんいるはずだが、さすがにここまでアップで見れることはないだけに、嬉しい人も多いはず。
ヨコタは曲中に
「楽しませるつもりが、俺たちが楽しいだけやった!」
と言っていたし、普段は演奏中はあまり表情に変化がないソゴウすらも含めてメンバー全員が本当に楽しそうな笑顔を見せていて、それを見ているだけでもなぜか泣きそうになってしまうのだが、楽しかったのはメンバーだけではなくて我々視聴者もそうである。だからこそメンバーを見ているだけでこんなにも感情が溢れてしまう。楽しくなかったらこんなことは絶対に思わないし、思えない。
あっという間のラストの曲として演奏されたのはもはやキュウソ最大の代表曲にして、実はキュウソはキュウソにしかできないような特殊なフォームで160kmのストレートを投げることができることを証明した、「The band」。
曲中にセイヤは
「良かった!まだ神様に見放されてなかったようです!このまま最後まで止まらないでくれー!」
と、配信が遅れたにもかかわらず、始まってからはトラブルがなかったことに感謝する。
このレポの最初に「ロックの神様」という単語を出したものの、自分は神仏の類というものの存在を基本的に信じていない。
でも、もし本当に神様という存在がいて、このライブを見ていたのならば、その人はキュウソのことを見放すはずがない。こんなにもバンドとして努力を続けてきて、悔しいこともたくさん経験してもひたすら音楽に真摯に向き合って自分たちだけの表現を思いやりを持って突き詰めてきたこのバンドが見放されるわけがない。
それはきっと最後のコーラス部分で笑顔で手を振るスタッフたちもそう思っていただろうと思うけれど、やはりこの曲はこうしてライブハウスで鳴らされるための曲だと思うし、配信だとしても確かに、音源じゃ伝わりきらない細かい感動がここにはあったのだ。
最後に再びクラッカーが発射されると、またしてもオカザワのギターに大量にまとわりつき、それを見て笑い合うメンバー一同。ライブはこれで終わりということで、再びバーカウンターで乾杯をしてから、トークライブではまさかのオカザワとソゴウがメインの物販紹介コーナーへ。エコバッグなどにおけるデザインの可愛さはさすがキュウソ、と思っていたら、案の定あっという間に売り切れたらしい。
途中でセイヤがトイレに行くと言って消えたところからこれはまだ何かあるな?とは思っていたが、すでにビールを飲んでいるにもかかわらず、アンコールとしてメンバーが再びステージへ。
セイヤがグリーンバックの布どころかそれ自体を全身タイツのようにして着て登場すると、セイヤの体自体が映像を映し出すスクリーンとして機能するというとんでもない演出を自身に施しながら演奏されたのは「困った」。セイヤは
「めちゃ昔を思い出す!」
と言ってダンボールダイブを繰り返していたが、まだバンドが始まった頃のキュウソは普通にライブをやっても全く観客がいなかったのだろう。その頃のことをこうして無観客配信ライブという形でこの曲を演奏することによって思い出すことができる。それは楽しかった思い出というよりもむしろ悔しかった思い出であろうし、きっとそれを忘れずにいることによってキュウソはこれからも進み続けることができる。
セイヤとアクリルボード越しにキスしようかというくらいに密着していたヨコタが
「配信ライブの新しい可能性を見た」
と自ら言うくらいに、キュウソはやはり配信ライブにおいても強すぎるくらいに強いバンドだったのだ。
このライブが発表される前までは、キュウソは無観客での配信ライブをやらないバンドだと思っていた。キュウソのライブは観客がいてこそ成り立つものであると思い込んでいたから。
でもまだキュウソ含めて3バンドが出演してようやく千葉LOOKのキャパが埋まるくらいの状況の時から、なんでキュウソのライブに行くようになったのかということを思い返していた。
それは観客がいるいないや多い少ないにかかわらず、キュウソが楽しくて面白くて、しかもカッコいいロックバンドであり、そのすべての方向に進化していく様をずっと見てきたからだ。
今でもキュウソのことをただワイワイ盛り上がるだけのバンドだと思っている人もたくさんいるだろうけれど、観客がいないこのライブを見たらキュウソが本当はどんなバンドかということにきっと気付くはず。
本当ならば無観客配信ライブなんかやらなくていいような状況になるのが1番良い。そうなれば、また今まで通りにライブハウスでキュウソのライブが見れるから。でもそうなるまでは、こうして配信ライブという形で見るのも悪くないのかもしれない、と思った。ライブハウスで生まれたバンドがライブハウスで生きている姿を見ることができているのだから。
1.ビビった
2.良いDJ
3.推しのいる生活
4.邪邪邪 VS ジャスティス
5.スベテヨシゼンカナヤバジュモン
6.ファントムバイブレーション
7.ギリ昭和
8.3minutes (新曲)
9.おいしい怪獣
10.DQNなりたい、40代で死にたい
11.ハッピーポンコツ
12.The band
encore
13.困った
文 ソノダマン