かつて「スペシャ列伝ツアーに出たくても呼ばれないから、自分たちで対バンツアーをやろうと思った」という理由で始まった、忘れらんねえよの対バンツアー「ツレ伝」。
なかなかそうした対バンツアーを行うのも難しい状況になってしまっているが、「ソーシャルディスタンス」を確保した上で、結成35周年を超えても変わらないメンバーで活動を続ける怒髪天、大きな喪失を経験しながらも残った3人で活動を続けるヒトリエと、バンドやろうぜを実践し続けてきた、世代も音楽性もバンドの出自も全く違う2組が集結。
検温と消毒を経てからSTUDIO COASTの中に入ると、客席は足元に立ち位置が貼られているというソーシャルディスタンスの保ち方。
さらには広いライブハウスとはいえステージから伸びる花道が設置されている。果たしてこれはどんな景色を描き出す装置になるのだろうか。場内には爆弾ジョニーやリーガルリリーといった、これまでにツレ伝に出演してきたバンドの曲が流れている。
開演前にはAT FIELD代表のP青木による、相変わらず滑舌の悪い前説が始まるのだが、
「我々もライブハウスのスタッフも本当に頑張っている。現にライブ会場からは感染者は出していないけれど、世間はそういう風には見てくれないらしいし、これからまたライブが出来なくなるようになってしまうかもしれない。だからこそ、今日は今日として噛み締めましょう!」
という言葉には昨年11月のBAYCAMPなどを主催し、先週のtetoの日比谷野音ワンマンなど自身が手がけるアーティストのライブが開催されるようになって、自分たちが前に進めてきた自負があるからこそ、今の世の中というか政府などの対応に我慢ならない部分もあるんじゃないだろうかと思う。
・ヒトリエ
月初にもTHE KEBABSの対バンライブで見ているが、その時は実に1年3ヶ月ぶりのライブであったが、その後からツアーが始まっただけに、ツアー中というスケジュールの中での出演となる。
エレクトロなSEが流れてメンバー3人が登場。シノダ(ボーカル&ギター)はTHE KEBABSとの対バンの時よりもカジュアルな装いに見える中、そのシノダが歌い始めたのはwowakaが存命中に書かれたにも関わらず、そのwowakaが居なくなって3人になってもバンドを続けていく意志そのものを曲にしたかのような「ポラリス」。
「忘れられるはずもないだろう
君の声が今も聞こえる
泣き笑い踊り歌う未来の向こう側まで行こう」
という歌詞がwowakaの存在を思い出させるとともに、
「ひとりきりのこの道も 覚めない夢の行く先も
誰も知らぬ明日へ行け 誰も止められやしないよ
また一歩足を踏み出して
あなたはとても強いから
誰も居ない道を行ける
誰も居ない道を行ける」
という歌詞がこれからのバンドの意思表示であるかのよう。wowakaは今3人がこの曲を演奏して、シノダが歌っているのをどう思いながら聴いているのだろうか。もうそれを聞く術はないけれど、それでもいつか聞いてみたい。
そのシノダのギターがハンマーで頭をぶん殴るような衝撃を与え、イガラシのベースが音階的に動きまくる「curved edge」、逆にイガラシの高速ダウンピッキングとゆーまおの手数の多いドラムがシノダの言葉数の多いボーカルをさらにドライブさせる「ハイゲイン」と、今年リリースされた、3人になってからの初めてのアルバム「REAMP」の収録曲を連発することによって今のヒトリエの姿を示すのだが、そのアルバムのツアーが開催され、絶賛その曲たちを演奏しまくっているだけに、ただでさえ超絶技巧なサウンドのキレがさらに向上している。つまり1ヶ月も経たないうちに曲が成長しているのだ。これはネットが出自であったヒトリエが今や紛れもないライブハウスで生きるライブバンドであることの証拠だ。
「新木場STUDIO COASTのステージから見える景色が凄く好きだ。俺たちが3人になってから初めて立ったステージも新木場STUDIO COASTだった。もうここに立つことはないかもしれないと思ったこともあったけど、忘れらんねえよが呼んでくれたなら出ようと思った」
と、喋り始めるまでの長い時間ずっと観客から拍手を受け続けていたシノダがこの会場への思い入れを語りながらギターを下ろすと、
「怒髪天先輩、先にハンドマイク失礼します!」
と言ってウワモノのサウンドは打ち込みで流しつつ、シノダがハンドマイクで歌う「SLEEPWALK」ではなんとシノダが誰よりも先にステージ中央に伸びる花道を歩き、そこで踊るようにして歌う。ハンドマイク歌唱自体は何回か見ているけれど、4人時代から数々のキラーリフを生み出してきた超絶ギタリストであるシノダが本当にボーカリストになった瞬間だった。
花道にいる上で曲を締めるのに少しズレて、
「慣れないことはするもんじゃないな(笑)」
と言っていたけれど。
「毎週土曜日24時から放送中のアニメ「86-エイティシックス-」のオープニングテーマ!」
と紹介して演奏された新曲「3分29秒」はまさにアニメのオープニングテーマにふさわしいキャッチーなリフとサビのメロディの、「ヒトリエが最大限にアニメタイアップという要素に向き合った」というような曲。
きっとアニメを見てこの曲を聴き、ヒトリエに出会うような人もたくさんいるだろう。そうした人たちがヒトリエの過去の曲を聴き、歴史を知ることによってwowakaと出会う。wowakaという音楽家の凄さと残したものを知る。それは3人が「続ける」という選択をしなかったら出会えていなかった人たちだ。その選択をして、こうして活動していれば、そうした人はもっと増えていく。
「俺たち今ツアー中で。昨日と一昨日が名古屋で2days。で、今日ここ。忘れらんねえよが呼んでくれたんなら出るかって」
と、この強行スケジュールで出演を決めたのはやはりこのライブが忘れらんねえよ主催のものだからであることを改めて口にするが、
「イガラシが作った曲をやります」
と言って「REAMP」収録のイガラシ作曲によるミドルテンポの「イメージ」を演奏したのもまた、忘れらんねえよの主催ライブだからだろう。
イガラシは忘れらんねえよからベースの梅津が脱退して、柴田1人になった後にgo! go! vanillasのプリティとともにサポートベーシストとして参加するようになった。つまりは柴田が忘れらんねえよでい続けられるように救ってくれた男の1人だ。
それと同時に、イガラシもまたwowakaが居なくなって、ヒトリエがこれからどうなるかわからない時に、柴田に「ステージに立てなかったら言ってくれ」と言われても、
「忘れらんねえよで弾かせてください」
と、バンドマンとしてステージに立ち続けることを選んだ。
もしかしたらそうしてバンドをやることの楽しさ、かけがえのなさを忘れらんねえよに参加することで実感したことが3人でのヒトリエの再始動に繋がった部分もあるのかもしれない。
柴田はイガラシに救われ、イガラシもまた柴田に救われた。そんな両者のバンドがこうしてライブハウスで対バンし、そのライブでイガラシが作った曲が演奏されている。
「そっからさあ、海は見えるかい?」
という歌詞を書いたのはシノダであるが、その歌詞もまた居なくなってしまった人に問いかけるようであり、曲を作ったイガラシの文字通りイメージを完璧に共有しているかのよう。
そのシノダはイガラシを、
「また後で出てくるんで。イガラシをよろしくお願いします!」
と忘れらんねえよのファンに託しながら、
「約束をしましょう。また必ずライブハウスで会いましょう!」
と指切りするように、約束を結ぶように最後に演奏されたのは「REAMP」の最後の曲である「YUBIKIRI」。
「泣いて、笑って怒って
吐いて、吸って吐いて
意外と僕らそんな暇じゃない忙しい
それじゃ今日はここでおしまい
きっとまた声聞かせて
もし、消えたくなったら
誰より先に
僕に知らせてくれ」
と、シノダならではの筆致で再会を約束する。消えたくなった人をもうこれ以上失わないように。居なくなってしまった人の声がいつかまた聞けるように。そのためにバンドはこれからも歌い続ける。きっとヒトリエを観にここへ来たであろう人たちの拍手はやはり長くて大きかった。
1.ポラリス
2.curved edge
3.ハイゲイン
4.SLEEPWALK
5.3分29秒
6.イメージ
7.YUBIKIRI
・怒髪天
「ツレ」と呼んでいいのかと思ってしまうのは結成から35年以上、しかもこの日が誕生日である増子直純は55歳を迎えたという大ベテランバンドだからである。
しかしながら「祭り奏でる」のSEが流れて一気に男臭くというかオヤジ臭くなった感じがしたステージに出てきたメンバーは、元から見た目が異常に若いというか歳を取らない上原子友康(ギター)、青いモヒカン的な髪型にTシャツ・短パンというライブキッズな服装の清水泰次(ベース)、黄色いTシャツにキャップという出で立ちが若いというよりも幼さすら感じる坂詰克彦(ドラム)と、おなじみのオールバックの髪型が全く変わらない増子も含めて、実に若々しく見えるのはこうして常にステージに立ち続けて、最前線で戦ってきたからだろう。
ライブはおなじみの「酒燃料爆進曲」で始まり、
「ツレ伝の夜」「新木場の夜」
と歌詞をこの日だからこそのものに変えて歌う増子が両手を左右に振ると観客もそれに合わせて両手を振り、近年言われる「ベテランバンドのアウェー感」は全く感じられない。怒髪天は客層が若いフェスには敢えて出ないという方針を取っているように感じられるが、上原子から清水へと繋ぐボーカルのスイッチというキャッチーさを際立たせるアレンジも含めて、年齢問わずに響くバンドであると思う。もちろん年齢を重ねるとより理解できるところもたくさん出てくるが。
とはいえ、この「酒燃料爆進曲」を今こうしてライブで聴くというのがただ定番曲を演奏しているというようには聴こえないのは、東京では3度目の緊急事態宣言が出されることが決まり、居酒屋で酒を提供しないようにというお達しが出るというニュースが出ているからである。
この会場のある新木場もほぼ千葉県みたいな位置とはいえ都内であるし、駅前には数は少ないが居酒屋も軒を連ねている。そうした店のことが頭をよぎらざるを得ないし、こうした曲を作るくらいに酒が好きな怒髪天はかつてツアーで「焼き鳥屋の座敷みたいな部屋」でライブをやったことがあり、「照明がただの部屋の電気のスイッチだった」という爆笑エピソードを持っていたりする。それだけにこの曲はそうした居酒屋や、そこで生きる人々へのエールのように響く。
それは
「ロックバンドが理想や
夢歌わずにどうする
どんなクサい台詞でも
ロックに乗せりゃ叫べる!
ロックバンドが本気で
信じてないでどうする
こんな腐った世界を
いつかきっと 変えられると」
という歌詞がまさに今の世界に対して歌われているかのような「HONKAI」もそうだ。
怒髪天ほどのキャリアや人生経験があるバンドだからこそ、理想や夢を歌うことが綺麗事とは感じられない。むしろそれをやることがロックバンドの使命のように感じられる。それはきっと忘れらんねえよとヒトリエという後輩ロックバンドへ自身の背中を見せて示すようなものであるし、
「目覚まし代わりに 頭の上をビュンビュン
ミサイルが飛んでく 悪い冗談みたい
それでも会社も 学校も休みじゃない
いよいよヤバくねぇか? 正気の沙汰じゃねぇ」
という歌い出しのフレーズは若い頃に父親に騙されて自衛隊に入隊させられ、しかしそこで北方領土の近くで働いたことによって国防について真面目に考えるようになったという増子ならではだ。
そんな人生における様々な経験や体験をそのまま自分たちの表現に出来てしまうというメンタルの強さ(というか強くなかったら35年経たずにとっくにバンドを辞めていただろう)を示すテーマソングであるかのような
「ヘビィ・メンタル・アティテュード
傷つかないココロ
ヘビィ・メンタル・アティテュード
決して折れぬココロ
ネバー・マインド!鋼鉄の精神!」
と歌う「H.M.A.」は昨年リリースの最新アルバム「ヘヴィ・メンタル・アティテュード」のタイトル曲であり、「P.M.A.」ことPositive Mental Attitudeを掲げるベテランスカパンクバンド、KEMURIとの共振っぷりも感じられる。
「こんな大変な時に本当によく来てくれたなと思うよ。お上の連中は気楽なもんで、やれ不要不急だの酒を飲むなだの出掛けるな、電気使うな、喋るな、笑うなって原始時代かっつーの!」
と政府や政治家にジャブを打ちつつ、
「芸能界は枕営業だって大変ですけどね、ロックバンドにもありますよ。我々今日までに1人ずつ柴田(忘れらんねえよ)に抱かれたから今日呼ばれてますからね。結構良かったみたいで、「素敵やん」って言ってましたよ(笑)」
とマスク越しでも笑ってしまうMCのキレはさすがた。ちなみに自分はアーティストの自伝を読むのが好きなのだが、これまでに読んできた中で1番笑った、面白かった自伝は増子直純の「歩きつづけるかぎり」である。
さらに、
「ヒトリエ、めちゃくちゃ上手いね!ビックリした!これはあの後はやりづらいわ〜。まだ若いんでしょ?俺たちくらいの歳になったらさらに上手くなりすぎて、もう腕の動きが見えなくなってるかもしれない。そしてボタンを押したら音が流れるようになってるかもしれない(笑)」
と、ヒトリエのメンバーたちはめちゃくちゃ嬉しかっただろうなと思うくらいにその演奏力の高さを褒め称えていた。
「がんばれ!がんばれ!」
というサビの始まりのフレーズだけを聞くとありふれた多数の人への応援歌のようにも聞こえる、後半のスタートとなった「孤独のエール」はしかし、
「それは自分に向けてだけ
独りうつむいて 拳を見つめて
小さくつぶやく言葉」
というフレーズが続くことによって、それはまさにタイトル通りに「孤独のエール」となるのだが、しかしこうしてライブを見ているとバンドの発するサウンドの大きさに驚く。
歳を重ねることによって音楽もサウンドも落ち着いていくということは全くなく、今も爆音で歌い鳴らすロックバンドであり続けている。そんな姿が本当に頼もしく、カッコよく思える。こんなバンドが今もこうしてライブハウスのステージに立って背中を見せてくれているのだ。
かつてZepp Tokyoでのワンマンでは増子が客席の真ん中で観客の上に立って歌っていた光景が今も忘れられない「ど真ん中節」では増子に合わせて客席から拳が上がる。今はそうした光景を見ることは出来ないけれど、そうした観客を信頼した熱いパフォーマンスをするバンドというのも忘れらんねえよと怒髪天との共通点というか、忘れらんねえよが怒髪天から学んできたものなのかもしれない。
増子はMCの後に
「今だからこその曲を選んできた」
と言っていたが、この日最もそれを感じさせたのはタイトルからしても明らかに2020年に増子が見ていた景色を描いたであろう「SADAMETIC 20/20」だろう。
「どんなに泣き喚けども
壊れた世界は戻らない
全てがリセットされた今
また一つ一つやり直す
人間たちよ 人間たちよ
繋げ命 希望の灯
人間たちよ 人間たちよ
この暗闇引き裂いてみせろ
人智を超えた存在の
大きな力か?意志なのか?
我等がこれに抗えば
神に仇をなす行いか?」
というフレーズはまさにこのコロナ禍を活写したものだが、
「この星に此の時代に
図らずして生まれ落ちた
(n・e・w・w・or・ld!)
新しき道を拓く
宿命を知る選ばれし者たちよ
(n・e・w・w・or・ld!)」
と、やはり絶望するだけではないというのはこれまでにまだ若い頃のバンドの活動休止や仲間の死去など、様々な絶望を乗り越えてきたバンドだからだ。ただの希望ではない、この上なく説得力を持った希望である。だからこそその曲を聴く我々も、きっと乗り越えていけると思えるのだ。
そんなライブの最後は55歳になっても人生を謳歌する自身を鼓舞するような「オトナノススメ」で再び増子と観客の両腕が左右に揺れる。意外にも増子はこの曲で初めて花道に進んで歌うのだが、花道の先で落ちそうになりながらバランス取ったりと、実に芸が細かい。
「オトナはサイコー!青春続行! 人生を背負って大ハシャギ」
と自分は今の怒髪天のメンバーの歳になって思えているだろうか。あんなカッコよくて面白い大人になりたいとも思うけれど、絶対にああはなれないということもわかっている。でも、なれないのがわかっているからこそ、柴田や我々の目にはヒーローのように映るのだ。
1.酒燃料爆進曲
2.HONKAI
3.H.M.A.
4.孤独のエール
5.ド真ん中節
6.SADAMETIC 20/20
7.オトナノススメ
・忘れらんねえよ
そして主催の忘れらんねえよがこの夜を締め括るべくステージに。
場内が暗転すると拍手の後に流れ始めたのは猿岩石の大ヒット曲「白い雲のように」。タイチ(ドラム)、ロマンチック☆安田(ギター)という爆弾ジョニーのメンバー2人に加えて、先ほどはヒトリエでもこのステージに立ったイガラシに続いてステージに現れた柴田は白いスウェットを着て、
「有吉ー!お前まで先に結婚してしまったのかー!」
と有吉の結婚のニュースにショックを受けていることを感じさせて笑わせてくれるが、
「4月は別れの季節だから」
と言ってかつてドラムの酒田が脱退した時に生み出された「別れの歌」でスタートするという、笑いからマジにならざるを得ない感情のコントラスト。実際に今の状況だと出会いよりも別れの方が多い4月になったという人もたくさんいるはずだ。
また、それまではCOASTならではの階段下のブロックもまだ立ち位置に空きがそこそこあったりしたのだが、忘れらんねえよが始まったタイミングでそうした空いていた位置にも人が入ってきて、その階段下エリアはほとんど立ち位置が埋まっていた。きっと平日でも忘れらんねえよがライブをやるからということでチケットを取って、仕事が終わってから急いで会場に向かって、なんとか忘れらんねえよには間に合ったという人もいたのだろう。そういう人たちがいるということが、この状況であってもライブやエンタメが人にどんなものをもたらしている存在なのかということがわかる。きっと、このためにみんな1週間頑張ってきたんだ。
個人的には去年のBAYCAMP以来の忘れらんねえよのライブであり、フェスではない、バンド主催のライブを見るのはやはりかなり久しぶりな感覚になってしまうのだが、ストレートなパンクの「アワナビーゼー」、どことなく切ないテーマにも関わらず、柴田以外の3人がコーラスを務めることによって、この4人でのロックバンド感を存分に感じさせてくれる「バレーコードは握れない」と、なかなかフェスではやらないような珍しい曲が続き、ワンマンではないけれど、忘れらんねえよ主催のライブにようやく来ることができたんだな、という感覚にさせてくれる。
「有吉が結婚したことで、有吉の存在に俺がどれだけ縋ってたのかということがよくわかった(笑)」
と、SEが猿岩石の曲であった理由を説明すると、
「もうネットとか見ていても、やれ誰が炎上だとか批判だとかさぁ、そんな話したくないんですよ!小室圭さんの話とかさぁ!確かに眞子さまは可愛いですよ!俺は眞子さまが好きですよ!」
と、良いことを言っているはずなのにどんどん脱線していって結局よくわからないことを言っているというのも実に柴田らしい。
そう言いながらギターを下ろしてハンドマイクになった柴田が歌いながら花道を歩いていくのはタイトル通りのヤケクソダンスナンバー「踊れひきこもり」であるが、曲途中の西野カナ的な女性ボーカルパートで、
「Zepp Tokyoの時はのんちゃん(能年玲奈)、中野サンプラザの時は眉村ちあきちゃんと、可愛い女性がゲストで来てくれたから、今日も俺の金とコネを最大限に使って、可愛い人を呼んで歌ってもらうことにした!
可愛いおじさんだけど(笑)怒髪天から坂さん!」
と、まぁそんなとこだろうとは思っていたが、実際にステージに呼び込まれた坂詰は怒髪天のライブの時とは異なり、ソロ仕様(坂詰は実はソロでCDリリースもしている)のスーツを着て、さすが「Mr.ジョーク」とばかりに第一声は
「わんばんこ」
と、一定の年齢層以上の人にしか通じないであろう、なぎら健一の挨拶のネタで掴むと、柴田はこの日が増子の誕生日ということで、
「増子さんに渡してください!」
と皿に乗せられた誕生日ケーキを坂詰に渡すのだが、マイクを持ってまさに歌い始めるタイミングであるだけに、坂詰も
「え?今?」
と戸惑う。ボケにボケが重なっていくというのはこの柴田と坂詰の組み合わせならではだが、音が鳴ると坂詰のソロ曲(作曲は上原子)である「今夜も始まっているだろう」を花道に歩きながら歌う。その様は完全にベテラン歌謡歌手のディナーショーといった感じである。
坂詰が歌い終わって「踊れひきこもり」に戻ると、坂詰はひたすらステージの端っこでコマネチポーズを連発するという意味のわからないパフォーマンス。それでも忘れらんねえよのファンにも、坂詰の面白さと人柄はしっかり伝わったコラボになったんじゃないだろうか。
好きな人に思いを伝えられることもできなければ、最近飼い始めた犬も懐いてくれないという柴田の剥き出しの感情が「俺よ届け」で炸裂すると、
「増子さんも言ってたけど、こんなちょっと先すらどうなるかわからないような状況じゃん?だからこれから先、もっとどうなるかわからないことも起こるかもしれない。絶対無理って言われるような、誰かの夢だって叶ったりするかもしれない」
という、こんなに絶望的な出来事が起こるならとんでもなく希望を感じられるようなことが起きるかもしれない、というポジティブな発想が曲タイトルに繋がる「絶対ないとは言い切れない」では歌詞の中の
「堀北真希」「ベッキー」
というフレーズが
「藤田ニコル」「ゆきぽよ」
と現代版にアップデートされている。そのエンターテイナー的な感覚の研ぎ澄まされ方はやはり抜群であるが、そこまで真面目に分析する意味もあるんだろうかとも思ってしまう。
昨年配信リリースされた、柴田が歌うテーマはコロナ禍でも変わらないということを示しながら、影響を与えてきた音楽へのオマージュも感じさせる「歌詞書けなすぎて、朝」で切ないムードにすると、この日出演してくれた2組に改めて感謝を語る。
「怒髪天をさっき袖で見ていて、ライブ終わった後に増子さんが
「呼んでくれて嬉しかったから全力でやったよ」
って言ってくれて。本当に戦隊っていうか、俺にとってはヒーローなんだよな。
ヒトリエは「忘れらんねえよが呼んでくれたから」ってしきりに言ってくれてたけど、イガラシが作った「イメージ」がめちゃくちゃ良かった!(イガラシ、照れながら首を振る)
なんか、続いてきたバンドのストーリーを感じて感動しちゃったんだよな。
さっき袖にいたら脱退した梅津くんがいきなり横にいて、「え!?なんで今日いるの!?」って思ったら、ゆーまおだった(笑)」
と、まさかの梅津とゆーまお酷似説が浮上。確かにゆーまおはメガネをかけなくなってからはそう見えなくもないかもしれないが。
そして
「明日には名曲が「ツレ伝」に生まれんだ」
と歌詞を変えて歌われた「この高鳴りをなんと呼ぶ」はその歌詞も含めて、全ての音楽にまつわる人々を応援しているように感じられ、最後にはこんな世の中の状況だけれども、やっぱりこの世界を愛しているという結論に至るかのような「サンキューアイラブユー世界」という、いつもの爆裂ロックンロールっぷりとはまた違う、どこか包み込むような、暖かい気持ちにさせるような終わり方だったのもワンマンとはまた違うツレ伝らしさだった。
全体を見渡しても、なかなかフェスとは異なるセトリだ。いわゆるレアな曲も多い。そんな曲を、爆弾ジョニーもヒトリエも活動している中でも完全に自分たちのものにしていて、それを完全にボーカル+バックバンドという構図ではなく、この4人でのロックバンドのものにしてくれている。それはスーツであることをいじられていた安田も、K-POPアイドルみたいな出で立ちのタイチも、振られてもやはり喋らないイガラシも、ただ曲を演奏するだけでなく、忘れらんねえよの音楽に共感、共振している人間たちだから。正式メンバーではないサポートメンバーでのロックバンドに1番必要なものはなんなのかということを今の忘れらんねえよは示してくれている。
アンコールで再び出てくるとそうしたメンバーやツレたちへの感謝を告げてから、最後に演奏されたのは観客がスマホライトをサイリウムのようにかざす「忘れらんねえよ」。
最後の観客との大合唱パートでは
「心の中で合唱!」
と言うと、タイチの微かなスティックでのカウント音だけが響く。今までに何回ライブでこの曲を聴いて、この曲を歌ってきたのだろうか。まだ酒田と梅津がいたスリーピース時代から今に至るまで、この曲をやらなかったライブは記憶にない。それくらいに、この曲をみんなで歌うというのは忘れらんねえよのライブにおける約束のようなものになっている。
そんな曲を、今はみんなで歌うことができない。それを受け入れることができるのは、
「みんなどんなに煽られても絶対に声を出さない。ロックンロールが本当に好きなんだな」
と柴田が言うように、こういう場所を、バンドやそれに関わる人たちを守りたいから。その守った先にまたみんなでこの曲を歌える日が来ることを信じているから。このコロナ禍を経験したことで、この曲は我々にとってこれまで以上に大切な曲になった。それはその曲タイトルと同じ名前のバンドの存在もより大切なものになったということである。
演奏が終わると怒髪天、ヒトリエのメンバーたちをステージに招き、このイベントのタイトルである「ソーシャルディスタンス」を確保するための物販「ソーシャルディスタンス」タオルを1人ずつ広げて距離を確保しての記念撮影。
撮り終わると柴田はMCで触れていた「ゆーまおが梅津に似ている」ということを本人にもツッコミながら、
「来月からワンマンツアー、行ってきます。そのツアーが終わったらまた嬉しいお知らせがあるから、楽しみに待ってて。気をつけて帰ってね。ありがとう!セックス!」
と言って柴田は最後にステージから去っていった。この状況になっても忘れらんねえよは我々を楽しませてくれることを考えてくれている。
「ライブハウスには、面白い、感動、楽しい、カッケェ!の全てがある!」
と柴田は言っていたが、この日の新木場STUDIO COASTには間違いなくそれがあった。
柴田はMCで
「ライブはなくても死なないけれど、ライブがなければ生きている意味もない」
とも言っていた。怒髪天もヒトリエも、客席にいた人もスタッフも、ここにいた人はみんなそう思っているだろう。そんな生きる意味を与えてくれる人たちが批判されたり、自分たちが音楽をやる意味に苛まれたりすることがないように。
いつかコロナが片付いたら、みんなでビールでも飲もう。
1.別れの歌
2.アワナビーゼー
3.バレーコードは握れない
4.踊れひきこもり
5.俺よ届け
6.絶対ないとは言い切れない
7.歌詞書けなすぎて、朝
8.この高鳴りをなんと呼ぶ
9.サンキューアイラブユー世界
encore
10.忘れらんねえよ
文 ソノダマン