すでに今年に入ってからシングル「Chilly Chili Sauce」もリリースされているが、今回のツアーは昨年リリースされたアルバム「Cheddar Flavor」のツアーの延期公演である。
かなり遅れたけれど、約束していることは必ずやる。そこにWANIMAというバンドのブレない軸が見える。しかもこのツアーはこれからも1ヶ月間各地のライブハウスを回っていくのである。
入場前の検温と消毒といういつもの流れを終えて場内に入ると、物販がほとんど売り切れているというのもまたいつもの流れであるが、以前にホールツアーも行ったとはいえ、WANIMAの派手なTシャツを着た人たちがみんなライブハウスに並んだ椅子に座って開演を待っているというのはやはりどこか歪な光景に見えてしまう。
平日にも関わらず17時開場、18時開演という時間設定だからか、これまでに見てきたWANIMAのライブよりも学生らしい人が多い感じもするのだが、それでも物販に売っているイヤーマフをつけた子供を連れて家族で来ている人もいるというあたりにWANIMAの客層の広さを改めて実感する中、18時になると場内に流れるBGMの音が徐々に大きくなっていき、それに合わせて早くも手拍子をして立ち上がっていく観客たち。まだ開演前とは思えないくらいのテンションである。
場内が暗転すると、まぁ楽しみにしてればしてるほどに驚いてしまうために声が少し上がってしまうのは仕方ない(それはこのライブに限らず少なからずオープニング時は起こる)ところであるが、SEとして流れ始めたのはこのツアーのために作った「Cheddar Flavor」のテーマ。「Cheddar Flavor」だけではなく「Chily Chili Sauce」のタイトルも歌詞に含めているのだが、いつも思うけれどなぜライブで本人たちが演奏しない曲にここまで労力を費やすのだろうか。それはつまりこれまでのSEと違わずこの曲がこうして流されるだけではもったいないくらいの良い曲であるということが一聴するだけでわかるからであるが、それは全て来てくれた人が少しでも楽しんでくれるためにという思いによるものだろう。
メンバー3人がステージに登場すると、それぞれ派手な髪色になったFUJI(ドラム)とKO-SHIN(ギター)がサングラスをかけており、KENTA(ボーカル&ベース)はマイクを持って流れるSEを自身でも歌ってから、先日のSATANIC CARNIVALの時と同じように「Cheddar Flavor」のオープニングナンバーである
「背負うしかない 変わらんと守れんから
目を覚ませばまた忘れるんやろ
揺り籠から墓場までずっと
止まった続きが
やっと動き始める
何も終わらせない
孤独 虚しさにとどめを刺して」
というフレーズがこの状況下でバンド自身が立ち上がることによって観客にも立ち上がることを促すような「Call」からスタートするのだが、ステージで演奏する3人の横にはピッタリとカメラマンがくっついてそれぞれの姿を至近距離で捉えている。
いや、確かに「今日は映像収録がございます」とは開演前にアナウンスしていたけれど、そんな至近距離で撮ることある?なんならカメラに被ってKO-SHINとFUJIの姿があんまり見えないんだけれども、と思いながらも
「夢もない 希望もない 金もない 未来もない
選べない ただのLIFE 日常のLIFE
正解はない ヒーローもいない
待っていても始まらん行くしかない
でも救えない ただのLIFE ひっくり返すLIFE」
という、WANIMAがただのポジティブパリピバンドではなく、苦難や絶望や挫折を乗り越えるためのメッセージをアッパーなパンクビートに乗せて歌うバンドであるということをデビュー作収録の「雨上がり」にも通じる形で示す「LIFE」を終えるとカメラマンたちはステージを去り、その後は全席指定だからこその客席の通路からメンバーの姿を捉えていた。さすがにずっとステージ上でメンバーの横にカメラマンがいたらどうしようかと思ってしまった。
「Cheddar Flavor」は「COMINATCHA!!」でパンク以外の方向への広がりを見せていたWANIMAの音楽を今一度パンクに定め直すようなビートの作品であるがゆえにそこに込められたメッセージもシリアスな、今の状況を生き抜く人に向けたものが多いのであるが、そんな中でもKO-SHINのギターがスカのビートを刻むような「枯れない薔薇」では
「目にはカラコン 派手なiPhone
WANIMAを知らない女の子
明日香 蕾華 雛乃 桜 響子
若葉 夏海 沙耶 恵美 梨奈 純子
真里亞 奏姫愛 心音空 紅天 美心華
オリヴァ リリィ ジェシカ レベッカ」
と、メンバーの知り合いなのかそれとも語感だけで並べたのかというような女性の名前が次々に登場する。持ち味の一つであるエロの要素を封印したかのように見えるけれど、遊び心は全く忘れることはない。
するとここで早くもMC。SATANIC CARNIVALの時はMCをせずにひたすらに曲を連発するという新しいWANIMAのスタイルを見せてくれたが、さすがにワンマンではそうもいかないだろうけれど、観客を一旦自身の席である椅子に座らせて、
「座り心地はどうですか?気に入ったらその椅子を5000円で持って帰ってもいいですからね」
と笑わせてくれるあたり、このMCを挟んだのも来てくれた観客にどんなスタイルでもいいから無理しないで自分のペースで楽しんで欲しいということを示すための意味合いもあったのだろう。
MCが終わるとサングラスを外したFUJIによるドラムソロが早くも挟まれるのだが、SATANIC CARNIVALの時も思ったことであるが、久しぶりにこうしてライブで見るとFUJIのドラムはさらにパワーを増している。一打一打の音が本当に強いのだ。そこに声のサンプリングを何回も挟んで笑わせてくれたり、ドラムセットに電飾を仕込んでそれ自体がディズニーランドのパレードのような派手さになったりというあたりに彼の人間性も垣間見えるのだが、このドラムソロを見ていると、WANIMAがデビュー前はドラマーが流動的でどうにもならなかった状況だったのもわかる。WANIMAにとってFUJIは最後にして最大のピースだったのだ。それが今でもこれしかないというくらいにガッチリと噛み合っている。
そんなドラムソロから続くような形で演奏されたのはツアータイトルにもなっている、KENTAの端切れの良いボーカルがバンドのパンクビートをさらにドライブさせていく「Cheddar Flavor」。
「飽きることなく 欠かせない物
この身を捧げ 奏でる濃い音
手伸ばして声枯らしてここに立ってんだ
とどまらず飛び込んだ先には」
という、飛び込んだ先がまさにこのツアー、この会場であるということをその身をもって示すような演奏であるが、ここまではツアータイトルになっているとおりに「Cheddar Flavor」の曲を連発するという今のWANIMAの姿を見せるものになっていたのだが、ここで「TRACE」が演奏されることによって客席からはたくさんの腕が上がるとともに、どこか泣いているような人もいたように思える。
そのこの曲を聴いて泣いている人がいるというのはこれまでに何度も見てきた景色だけれども、今までとは全く違うのは、この曲をバンドと一緒に歌うことができないということ。「Cheddar Flavor」はいっても去年のコロナ禍にリリースされたことにより、ライブで歌ったことがあるのはメンバーだけであり、我々が歌えないというのがデフォルトの状態であるのだが、この曲は違う。これまでにみんなで数えきれないくらいに大合唱してきたからだ。
でも観客はみんな腕を上げてはいるけれど、声を上げるようなことはしない。みんな、それが「WANIMAがライブをする場所を守る」ことであり「WANIMAに会える場所を守る」ことであることをしっかり理解してライブに臨んでいる。かつては「大合唱大会」とか「観客が歌い過ぎてメンバーの声が聞こえない」とすら揶揄されてきたWANIMAのライブで。
それはメンバーの歌の素晴らしさ(KENTAはもちろん、KO-SHINとFUJIがこんなにも歌っていたんだということも)を改めて実感させてくれると同時に、
「いつか
元通り戻るような ありふれた夢を見てる
(でも)他人は言う「目を覚ませ」 もう少し… 誰にも認められなくても」
という歌詞はコロナ禍のはるか前に綴られたものであるのに今この状況の中でWANIMAが歌う理由を示しているようにすら聞こえる。つまり6年も前に世に放たれた曲が紛れもなく今のための曲になっているのである。メンバーもこの曲をセトリに入れたことにそうした意識もあったはずだ。
それは
「もう
大変で大変で大変で大変に耐えれんで
仕方ないので
とりあえず笑えたのなら
どれだけ楽になるだろう」
という歌詞が今を生きている全ての人が大変な状況になってしまった世の中であるが故により強いリアリティを持って響く「HOPE」もそうであるが、
「音となり音で消せたら
連なって生ける後悔も」
と締めるように、WANIMAがこうして目の前で音を鳴らしていて、それをライブハウスの客席から見ることができているという事実に我々は確かな「HOPE」を感じることができる。つまりWANIMAは徹頭徹尾、目の前にいる自分1人に向けて歌っている。その1人が連なることによってその1人はみんなになっていく。そんなことを実感させてくれるのだ。
こちらも何度歌いまくったかわからない「エル」は今週に入って天気が悪くなってきたからこそ、
「明日晴れるかな 晴れたらいいのにな」
という、我々が思いっきり声を張り上げて歌っていた部分をKENTAとKO-SHINがハイトーンを響かせるように、でもそれは上手く歌うというのではなく、目の前にいるあなたに届くようにと歌っている。で、それは確実に届いている。おなじみの「ワンツー!」の曲中のカウントを叫ぶことはできなくても、観客が本当に楽しんでいるのがよくわかる。それは歌う歌わないに関わらず、みんなWANIMAの音楽が大好きでこうしてライブに来ているんだから、歌えなくてもモッシュやダイブがなくても楽しいのである。
「こんな状況の中でもこうやって来てくれたみんなに!」
とKENTAがステージ中央に立って口にしてから、
「ありがとうを込めて歌った」
と歌い始めたのはWANIMA最大の合唱曲の一つである「THANX」。今までは我々も一緒に歌うことで、WANIMAにありがとうを込めていた。バンドと観客がお互いの存在に感謝し、確認し合うための合唱だった。それは今ではバンドからしか歌うことはできないけれど、いつかまた我々もWANIMAに向けてありがとうを歌える日が来たら。それがこのコロナ禍を生きていく理由の一つになっていく。歌うことができないのは決してマイナスなことばかりではない。
そんな雰囲気はKENTAが
「母親代わりに育ててくれたおばあちゃんを思って書いた歌です。あの時、もっと面白いこと言っておばあちゃんを笑わせられていたら。もっと良い曲を作っていたらもっと褒めてくれたのかなぁ」
と言って演奏された「Mom」でガラッと変わる。歌詞もライブだからなのか、新しいバージョンなのかはわからないけれど「ニコちゃんマーク」という単語が登場するように変わっていたが、KENTAの綴る歌詞のポジティブだけではない部分はこうした自身の家庭環境によるところもあるのかもしれないと思うとともに(それは祖父のことを歌った「1106」もそうだが)、そうしたKENTAの個人的な心情を歌ったパーソナルな曲であるのに、こうして聴いていると自分の祖母のことを思い出さずにはいられない。母方の祖母はまだ健在であるが、もうだいぶ長い間会っていない。父方の祖母はだいぶ前に亡くなってしまった。KENTAが言っていたように、自分はその亡くなった祖母に何をしてあげれたんだろうか。いつも優しくて、可愛がってくれた祖母のことを思い出して涙が出てきてしまった。KENTAの曲ではあるけれど、それは我々の曲でもあり、誰しもの曲にもなる。そんなことを感じていた。
そんなWANIMAにもきっと世の中や社会に対して言いたいことや思っていることがたくさんあるんだろうなと思うのが「Faker」のレゲエのようなサウンドになる、
「ほらまた騒げば丸投げ 責任は負わずに言い訳
出しゃばりが本当卑怯だね
真実はいつも捻じ曲がって
良い時は何も聴こえなくて
気が付けば独り寂しがって
声のデカい奴らが勝って
似た者同士固まり合って」
というフレーズは何度聴いても今の政治に向けられているように自分は感じてしまう。もちろんその解釈は人それぞれであるのだが、WANIMAのパンクバンドとしての矜持をこの曲からは確かに感じることができる。
「WANIMAのとなりにいてくれよ!となりにいてくれよ!」
と何度もKENTAが繰り返す様は
「力を与えにきたのに逆にみんなから力をもらった」
という言葉とも通じるが、そのとなりにいてくれという感情をそのまま曲にしたのは「となりに」。テーマとしては壮大なバラードになってもおかしくないようなものでもキャッチー極まりないWANIMAだからこそのパンクになるというのは今のバンドのモードだろう。3人の声が重なるサビなどは本当にWANIMAの新たな名曲の誕生を感じさせてくれるし、ずっとそう思えるバンドだからこそ、これからもとなりにいたくなるのだ。
「喜び」というタイトルとは裏腹にネガティブな心情をパンクのサウンドに乗せて反転させるのは「JOY」であるが、この曲は「COMINATCHA!!」のオープニング曲である。その「COMINATCHA!!」のツアーは去年のコロナ禍によって途中で中止になってしまったし、WANIMAのライブから感染者が出たというニュースはかなり大々的に報じられた。それでも感染者の無事を何よりも願うメッセージを発表したことからはバンドの人間性が見えるけれど、やはり悔しい気持ちは間違いなくあったはずで、この曲の歌詞には今はそうした経験さえも内包されているように聞こえる。きっとそれはこれから先もこの曲を演奏するたびに思い出すとともに忘れることなくこれからも持ち続ける感情であり続けていく。それがWANIMAの足をさらに前へと進ませていくのだ。
「夏だー!夏が来たー!」
とKENTAがテンション高く叫んでから演奏されたのはもちろん「夏の面影」であるが、いつもと同じように歌詞を「Zeppの面影」と変えてこの日だけのものにしたが、今年はすでにWANIMAはたくさんの夏フェスに出演することを発表している。こんなに出るのはデビューした時以来なんじゃないかとすら思うが、そこからもこの状況でもライブをやっていく意思を感じざるを得ない。
前半に一度MCは入れたものの、そこからの流れは曲間もほとんどないスムーズなものになっており、そこにはSATANIC CARNIVALの時と同様に、自分たちが今どんなライブをするべきなのかということに改めて向き合い、そうして出した答えがたくさん曲を演奏することであるという結論に辿り着いたからだと言えるのだが、そうして曲間ほとんどなく繋いでいく際のスムーズな移行っぷりとFUJIのさりげないリズムの変え方は実に見事である。
そうして全く違うタイプの曲すらもテンポ良く繋げていき、WANIMAのエロモードの名曲「いいから」ではコーラスに合わせてまるで長渕剛のライブかのように観客が腕を交互に前に突き出し、曲が始まると手拍子する。歌えなくてもできる最大限のこの状況下での楽しみ方でみんなが曲に向き合っている。やはりこれまでだったら大合唱となるコーラスで声を出すことはできないが、そこが逆にコーラスでも手を抜くことがないWANIMAの姿勢と、テンション高く叫びまくるFUJIが楽しんでいることが伝わってくる。
その「いいから」から続くように演奏されたエロモード繋ぎの「オドルヨル」ではWANIMAならではのステージ上の装飾が煌びやかに光ると、高速スカリズムによって席指定でなければツーステなどを踏んで楽しんでいたんだろうなと思うくらいの観客のテンションの高さ。この後半にこうした曲を畳み掛けてくると、WANIMAには本当にどこからどう切り取っても名曲しかないなと思わせてくれるし、やはりこの制限のある中でもこの日はオドルヨルになったのだ。それは身も心も。
そしてKENTAは一度ベースを下ろして観客を着席させると、改めてこのツアーに至るまでの想いを語る。やはり「COMINATCHA!!」のツアーが途中で中止になってしまったことから始まり、ライブができない日々を経てこのツアーに辿り着くまで。このツアーで目の前にいる人がどれだけ自分たちに力をくれたか。その人たちがいてくれるから自分たちがライブをやる、音楽をやる意味に改めて向き合えたこと。そうしたことを一つ一つ丁寧に言葉にした。そこからは目の前にいてくれる人への感謝の気持ちが本当に溢れていた。
そんな想いを乗せるかのような「Chily Chili Sauce」収録の「ネガウコト」はこの終盤に来てさらにKENTAのボーカルの力が増していることに驚かされるくらいの声の伸びっぷり。そのボーカルの力が
「誰もが望むことを
禁じるように奪うけれど
途中だった話の続きはいつか
うやむやに出来ずにいる」
「神様から返事は来ないまま
信じることに賭けてみるよ
途中だった話の続きはいつか
忘れず楽しみに待ってる」
という歌詞たちにこの上ない説得力を宿すのだが、WANIMAはデビュー時からライブの地力が凄まじく高いバンドだった。だからこそ猛スピードでアリーナやスタジアムまで駆け上がっていけたのだが、このKENTAのボーカルからはそのライブの地力の核のようなものを感じさせた。
そんなライブのラストは
「叶わなかった夢や守れなかった約束
抱きしめ きっといつか終わるこの旅の途中
優しい風に吹かれて
繰り返しの毎日が失い続けすり減った命が
きっといつか見えるこの旅は途中だから
暮れなずむ夏を抜けて」
という歌詞が夏の訪れを感じさせながら、WANIMAの抱える悔しさをストレートなパンクサウンドに乗せて昇華していく「SHADES」。そこから感じるのはやはり決して楽天的なものではないのだが、ライブが終わった後に感じられるこの爽快感は、座席指定という形であってもやはりパンクバンドのライブのそれだった。
アンコールではKENTAがなぜかZeppのスピーカーを称えながら、
「お前ら」「貴様ら」「手前ども」
と観客の呼び方が古風に変化していくと、そのままステージ中央で正座して落語を始めるかのような形になって観客を笑わせるのだが、笑いはそれだけに止まらず、この日のカメラはWANIMAチャンネルの動画で配信する意図もあるということなのだが、そのチャンネル内でKO-SHINがツアー中に泊まるホテルの部屋で知らない人がシャワーを浴びているというドッキリを仕掛けられ、その人に
「僕の荷物が全部置いてあるから…」
と涙目で訴えて爆笑を誘ったり、質問コーナーでの
「携帯の着うたはなんですか?」
という質問にFUJIは
「RYDEEN」(YMO)
と答えるのだが、観客のほとんどが曲を知らないというジェネレーションギャップが発生し、KO-SHINは
「携帯持ってなかったから…」
と寂しく言ってKENTAに抱きしめられる。ちなみにKENTAとKO-SHINは3000円のプリペイド型の携帯を2人で使っていたらしい。
そんなMCをするのもこのライブが楽しかったからであり、少しでも長くステージに立っていたいという思いからだろう。しかしいざ演奏が始まるとその空気感はガラッと変わる。
今このタイミングで演奏するなんて全く思っていなかった「For You」も曲に込められたメッセージを思えば実に納得のいく選曲であるし、KO-SHINのハイトーンなコーラスがその想いをさらに引き立ててくれる。
とはいえこのツアーはやはり今の、「Cheddar Flavor」以降のWANIMAの姿を見せるという意味合いが強いものであるだけに、
「昔の曲の方がみんな思い入れとか、一緒に作ってきたものがあるのはわかってるけど、心を込めて歌うけん」
と言ってKENTAのアカペラ的な歌唱でサビを歌ってから音源通りにパンクに疾走していくのが素晴らしかった「最後になるなら」は本当にKENTAの思いが込められているのがわかり過ぎて目が潤んでくるような歌唱。それはWANIMAのライブがいつも素晴らしかったのはそうして曲に、音に自分たちの気持ちを最大限に込めることができるバンドだからであるということを改めて思い出させてくれた。歌唱力も演奏力もしっかり持っているバンドだけれど、何よりもそこが強い。それがパンクというスタイルでスタジアムにまでたどり着いた最大の理由かもしれない。
そしてメンバーの背後に描かれた「Cheddar Flavor Tour」という文字が、タイトル通りに月の光に照らされているかのように黄色い照明に照らされて光る「月の傍で」の美しいメロディとパンクビートの融合は、「Are You Coming?」と「COMINATCHA!!」の融合とも言える。こんなクオリティの曲がシングルのタイトル曲にすらなっていないというあたりにWANIMAの恐ろしさすら感じてしまう。カップリングという位置としては隠れた名曲になりがちだが、絶対に隠してはいけないタイプの名曲。
そして最後は何とリリースされていない新曲。「Hey Lady」でも「雨上がり」でも「ともに」でも「BIG UP」でもない。
「離れていても思っている」
という、ある意味ではJ-POPの常套句的な歌詞をWANIMAだからこその強靭なビートに乗せる。だからこそこうしてこのライブは終わり、WANIMAはまた別の街へ向かって旅をしていくが、ここで会った我々のことを、このツアーのこの日の前の公演で会った人のことを忘れずにライブを重ねていく。そんな想いが溢れていた。「Cheddar Flavor」と「Chily Chili Sauce」にはさらにその2枚に続く3作目が用意されているという。それもきっとパンクなWANIMAを感じさせてくれる、2021年を代表する1枚になるはず。そしてその作品は必ず大きな意志と意味が含まれたものになっているはずだ。
WANIMAのライブで、それも大きな会場でみんなで思いっきり歌うのが好きだ。パンクがここまで来れた、パンクを好きな人がこんなにたくさんいる。そんなことを実感することができるからだ。こんなにもたくさんの人が一緒にパンクを歌っている。その景色に何度となく感動してきた。
でも今は歌うことでその実感を得ることはできない。それでも、いや、そういう状況だからこそわかるのは、WANIMAをこうして好きになってライブに行くようになったのは歌いたいからでも、モッシュやダイブをしたいからでもない。ただただひたすらWANIMAの曲が素晴らしい曲ばかりで、それを聴きたいからだ。あんなに一緒に歌うことが出来たのも、歌わずにはいられないくらいに良い曲ばかりだから。
そんなことをこの「Cheddar Flavor」ツアーは思い出させてくれた。今一度、我々がWANIMAというバンドとその音楽と改めて向き合う機会になったのだ。そしてWANIMAのライブでも全く声を上げることなく、守っているこの舞台の先にはまたみんなで笑顔で歌える日が待っていると信じている。その時は今は直接言葉にしてバンドに伝えることができない、ありがとうを込めて歌いたいのだ。
1.Call
2.LIFE
3.枯れない薔薇
4.Cheddar Flavor
5.TRACE
6.HOPE
7.エル
8.THANX
9.Mom
10.Faker
11.となりに
12.JOY
13.夏の面影
14.いいから
15.オドルヨル
16.ネガウコト
17.SHADES
encore
18.For you
19.最後になるなら
20.月の傍で
21.新曲
文 ソノダマン