SUPERCAR解散以降はiLLやNYANTRAという名義で活動してきたナカコーは近年はKoji Nakamuraという本名名義で活動しており、その名義でのライブはSUPERCARの曲も含めて自身の全キャリアを横断するというファンにはたまらないものになっている。
6月にも3daysで開催された下北沢440でのトリオライブはもはやこの名義ではおなじみの345(ベース、凛として時雨)、沼澤尚(ドラム、シアターブルック)とのスリーピース編成でのライブであり、事前にその日演奏する曲を公開しているというのも、この日はこの曲をやるから聴きに来いというナカコーなりのメッセージなんだと思っている。
しかし下北沢に向かうまでに乗る地下鉄の遅延が相次ぎ、440に着いた時にはすでに1曲目「Emo」の演奏が始まっており、ナカコーはギターを鳴らしながらファルセットボイスを響かせていた。
この日も客席は全て椅子ありの自由席であり、ナカコーらメンバー3人も椅子に座って演奏するという実にリラックスした形でのライブである。
ナカコー「昨日は1時間50分くらいやりましたからね。10曲くらいしかやってないのに、なんであんなに長くなったんだっけ?」
沼澤「補習があったから(笑)」
と、この日は2daysの2日目なのだが、前日の初日が意外なくらいに長丁場なものになったということを沼澤と話し合う。ちなみに補習とはその日の演奏でもう一度やり直したい曲をもう一回やることである。
最初に演奏した「Emo」はこの本名名義での曲であるが、続く「Kiss」はiLL名義の、
「「まるでキス」
Melty Kiss」
という歌詞をSUPERCAR時代から一貫して「歌詞に興味がない」と口にしていたナカコーがこんな歌詞を書くとは!と驚愕した曲であるのだが、それもこうして聴いていると語感によって歌詞にしたものかもしれないと思うし、iLL名義になってからずっとドラムを叩いている沼澤の曲の理解力の高さはもうナカコーのドラムはこの人しか考えられないと思うくらいだ。この曲がシングルとしてリリースした時にジャケットについていたキスマークが加護亜依のものだったということも実に懐かしく感じる。
同じくiLLの「Scum」はポップな「Kiss」とは対照的にロックな曲であるが、イントロからうねりまくる独特なベースラインは345が凛として時雨でもゴリゴリなベースを弾きまくっているベーシストであるということを椅子に座りながらの演奏にして感じさせてくれるし、Koji Nakamura名義での活動も長くなってきているだけに、より345のナカコーの曲への理解度、浸透度も高まっているのを感じる。
というかナカコー、沼澤、345はそれぞれ世代も元々の活動の音楽性も全く違う3人であるが、そんな3人がナカコーの音楽のもとに集まっているというのがこうしてライブを見ていると改めて面白く感じる。1人でも音楽が作れるミュージシャンであり、交友関係があまり広そうには見えないナカコーが上の世代と下の世代の素晴らしいミュージシャンをこうして繋いでいる。今は様々な形態やプロデュースなんかでも活動しているが、きっとナカコーもベテランの域になってきて人との関わり方や自身のスタンスが変わってきたんじゃないかと思う。
それは本来なら緊急事態宣言中に行われた6月のライブを1日2公演やりたいと思っており、その理由を
「色々とライブハウスが大変そうになってしまった時期だったから、ライブハウスでやりたいと思って。どこでやろうか考えた時に、440が1番街のライブハウスっていう感じの場所だなと思った」
と語ったことからも明らかだった。今、ナカコーは音楽を愛する人のためになるのならばという思いを持ってこうしてライブをやっている部分もある。まさかそんな言葉がナカコーの口から聞けるなんて全く思っていなかったし、沼澤が440のカウンターの方に向けて拍手をした時に観客も一緒になって拍手をしていたのは、きっとこうして平日に小さなライブハウスまで来る人はそういう意識を持っているはずだ。
この日最初に演奏されたSUPERCARの曲は「OTOGI NATION」。デジタルサウンドを大胆に取り入れてバンド自身と日本のロックシーン全体を大幅に前進させたアルバム「HIGH VISION」収録の曲であるが、その曲がギター、ベース、ドラムというシンプル極まりない、どの音がどう鳴っているのかすぐにわかるサウンドで演奏されている。
そこから強く浮かび上がるのはナカコーの描いたメロディの美しさと、今やテレビの音楽番組でもおなじみの存在になった、いしわたり淳治の描いた歌詞の素晴らしさ。そしてその二つのこれ以上ないというくらいの奇跡的な融合。
「あぁ 平行な風景がかき消していく
あぁ 空洞に幽遠なそのタフネス
あぁ 最低な最高(psycho!!!!)がかき消していく、
あぁ 最高の最低が呼ぶサクセス!」
なんて歌詞、誰が他に書けるんだろうか。その歌詞にこれしかないくらい合うメロディを生み出せる人が他にいるんだろうか。その二つの要素が重なり合うことで、どちらもがより一層輝く。間違いなくSUPERCARというバンドには音楽の魔法のようなものがあった。それは今でも変わることなく曲を聴けば感じることだ。
そんなSUPERCARの曲から本名名義の「Rain」、さらには「Reaction Curve」ではナカコーがイントロからギターをその場でループさせたりして音を重ねていくという、飄々としながらもやはりこの音の操り方はさすがだなと思わせるような演奏を見せてくれる。
この辺りの曲が収録されているアルバム「Masterpeace」はタイトル通りにポップサイドからマニアックな側面までナカコーの持つ音楽の要素が全て詰め込まれた名盤だと思っているし、そのアルバムを1ページまるまる使って絶賛のレビューを書いてくれた音楽雑誌のMUSICAを自分は心から信頼している。
「歩道で黒い券 拾った古い券
(i picked a black ticket on the street)
世界の支配券 神も未体験
(it can control the world even the god has never had)」
という韻の踏み方も神懸かっているSUPERCARの「THE WORLD IS NAKED」から「Harmony」という流れはラストアルバムとなった「Answer」収録曲であるが、このアルバムはリリース後のツアーをやっておらず、ほとんどの曲がバンドでは演奏されていない。そんないわば幻のような曲たちが、SUPERCARではないとはいえナカコーの声で目の前で歌われている。リリースされたのがもう18年前。幻はついに実態として自分の目の前で鳴らされていたし、ナカコーは間違いなく当時よりも歌唱力が上がっている。コロナ禍になってからは人前で歌う機会はめっきり減っただろうけれど、その曲の歌詞をはっきり聞き取れるようにしっかり歌っているし、「Harmony」でアウトロにハミング的なファルセットを重ねるというのはそうした声を自在に出せるようになったからこそできるパフォーマンスである。そんなナカコーの姿を見ていると、年齢を重ねるということは老化ではなくて進化なんじゃないかとすら思えてくる。
SUPERCAR時代の曲も一気に「Answer」から「Futurama」まで遡ると、その中から演奏されたのは音源ではストリングスのサウンドが入っていたのがやはりこのスリーピースでのサウンドで生まれ変わった「New Young City」。このアルバム、特にこの曲を聴くと個人的には2000年代に突入した時の期待度とは裏腹の何も変わらなさを思い出すし、それをSUPERCARはこの曲の「こういう気分」で描いていたんだろうと思う。リリースから20年以上経ってからこの曲を歌うナカコーの姿を見れるなんて思っていなかったし、やはり今聴くこの曲を構成する全ての要素は今もなお全く色褪せていない。もうSUPERCARというバンドも、「Futurama」というアルバムも知らない人がたくさんいる。そういう人が今聴いても響くものは間違いなくあるはずだと思う。
そしてさらに時系列は戻って、SUPERCARのデビューアルバムである「スリーアウトチェンジ」の「I need the sun」へ。生きていると曖昧になってしまう記憶の中でハッキリと覚えているのは、Koji Nakamura名義での初ライブとなった、リアム・ギャラガーによるバンドBeady Eyeの横浜アリーナでの来日公演のオープニングアクトで出演した際にもこの曲を演奏していて、立ち上がって見ていた自分含めたナカコーのファンは人目を憚らずに涙目になりながら音源ではコーラスと言っていいパートになっているフレーズを口ずさんでいたこと。その
「何だっていい、夢中になれたらそれですべて。
だいたいでいい、未来が見えたら始めるのさ。
安心していい、舞台は今からつくればいい。
単純でいい、それですべては素晴らしいのに。」
という歌詞は今もなお自分の脳内に太陽のように燦然と輝いているし、ギターロックバンドとしてのSUPERCARだったこの時期の曲はこのスリーピース編成で演奏されても全く違和感がない。何よりもナカコーがコーラスパート含めて全て自分自身で歌っている。どれだけ真似しようと思ってもそうすることはできない独特の渋みと気だるさを帯びたナカコーのボーカルの魅力を今になって再確認させてくれる。
そしてナカコーがまた来年の再会を口にしながら、沼澤とのライブの映像も含めた物販を売っていることを口にしても声を出すことができない観客はリアクションを取れない中で最後に演奏されたのはLAMAの「Parallel Sign」。
座ったまま演奏している、観客も座ったままライブを見ているとは思えないくらいにサビで一気にロックに振り切れたかと思えば、間奏ではガラッと静謐になるという音楽における静と動を一曲の中に内包したこの曲はナカコーというミュージシャンの持つ要素を一曲の中に詰め込んだかのようでもあるということに今になると気づく。またLAMAでもライブやってくれないかな、と6月のライブでフルカワミキがゲストで出演したのを見ているだけに思うけれど、NUMBER GIRLでもガンガンライブをやっているLAMAのギターの田渕ひさ子はもう相当忙しいんだろうなとも思う。
基本的にアンコールでは曲を用意していないのだが、その日に演奏した曲の中で1番「もう一回やりたい」と思う曲を演奏するという、ナカコーいわく「補習」として演奏されたのは、ナカコーが若干ギターをミスしたかに見えた「Reaction Curve」ではなく、沼澤がセレクトした「OTOGI NATION」。
それはファンもこの日の中でもう1回聞きたいならこの曲だろうと思うような曲であるのと同時に、本編での演奏よりも完璧な演奏を披露するリベンジの場でもあるのだが、ナカコーはアウトロで3人でのキメを打つと、その後にさらにもう1回サビを追加するという、自分が歌いたいというよりもファンサービスとしか思えないようなアレンジを加える。それを笑いながら、ボーカルの拍に合わせてドラムではなく手拍子をする沼澤に合わせて観客も手拍子をする。まさかこの曲で手拍子をすることになるなんて、1%足りとも想像したことはなかったけれど、それが今のナカコーのライブだということだ。リリースから20年経っても、未だに御伽の国の中で生きているかのような感覚だった。
かつてthe telephonesが日本武道館でワンマンをやった時に、関係者席のすぐ近くでライブを見ていた自分は関係者席の中にthe telephonesの「A.B.C.D ep」をプロデュースし、「Take me out」でコラボしたナカコーの姿を見つけて話しかけ、そのライブの前日に渋谷WWWで行われたLAMAのライブを見たことを告げると、テンション高く、自分がこれまでの人生でどれだけあなたの作った音楽に救われて生きてきたかということを口にしてしまったことがある。
でも今もやっぱりそれは変わっていないと思えるし、今のナカコーのライブは「次はどんな曲を聴かせてくれるんだろうか」とも思う。「cream soda」も「Sunday People」も「AOHARU YOUTH」も「STROBOLIGHTS」もSUPERCARが解散してから聴けた。可能ならば、「PLANET」あたりも生きているうちに聴くことができたなら。
1.Emo
2.Kiss
3.Scum
4.OTOGI NATION
5.Rain
6.Reaction Curve
7.THE WORLD IS NAKED
8.Harmony
9.New Young City
10.I need the sun
11.Parallel Sign
補習
12.OTOGI NATION
文 ソノダマン