昨年、突如としてYoutubeに投下された「秒針を噛む」のMVが話題を呼び、10月にリリースされたミニアルバム「正しい偽りからの起床」でシーンに衝撃を与えた、ずっと真夜中でいいのに。。
ボーカルがACAねという女性であるということ以外は全てが未だに不明という状況であり、ソロプロジェクトなのかバンドなのかもはっきりしていない存在であるが、今年リリースされたニューアルバム「今は今で誓いは笑みで」は発売日のオリコンチャートで1位を記録。
その「今は今で誓いは笑みで」のリリースライブがこの日と翌日のZepp DiverCityでのワンマン2daysなのだが、チケットは当たり前のようにソールドアウト。このライブの前にはフジロックにも初出演し、たくさんの人に初目撃された「ずとまよ」、自分はこの日が初体験なだけに、果たしてどんなライブを見せてくれるのか。
慣れ親しんだお台場、実物大ユニコーンガンダムがそびえ立つDiverCity。しかし一歩ライブハウスの中に入ると、これまで数え切れないくらいに足を踏み入れてきたこの会場ではない場所に来てしまったんじゃないかと思ってしまう。
まず、ロビーからものすごく暗い。意図的に会場内を暗くしているのがすぐにわかるのは、街の夜の夏祭りをイメージしているであろう会場の装飾からもよくわかるが、入り口で手渡された動物のお面がそのお祭り感をさらに引き立てるし、どこか童心に帰ったような、人間ではない存在に化けてこの夜を楽しみたいような気持ちになる。
客席に入ると、ステージもまたそうしたコンセプトを強く感じさせるようなものになっている。夏祭りをやっている公園の端っこで仲間たちと集まるかのような。ステージ中央には薄い幕に覆われたテントのようなものが設置されているが、その周りには楽器はもちろん、高価そうな椅子も置かれており、まるで小学生が仲間と作り上げた秘密基地であるかのよう。
そんな場内に祭囃子のようなサウンドが流れると、袖からわらわらと祭りに参加しているかのような男性たちがステージに現れる。みなハチマキやお面をつけてリズムに合わせて歩くため、メンバーなのかどうかすら最初はわからなかったが、それぞれが楽器を構えたところでこの男性たちがメンバーであることがわかる。見た目からしてみんなかなり若そうだ。
そして最後に白い袴のようなものを羽織った小柄な黒髪の女性がステージへ。その女性こそがこのずっと真夜中でいいのに。の歌い手であるACAねその人であるが、場内もステージも暗いだけに顔はハッキリとは見えず、ステージ中央に位置する幕がまるでヴェールのようにACAねの姿をさりげなく隠している。
そのACAねが斜に構えてマイクスタンドを持ちながらイントロをハミングし始めると、「今は今で誓いは笑みで」のオープニング曲である「勘冴えて悔しいわ」の演奏が始まるのだが、バンドの演奏がめちゃくちゃ上手い。そもそもが1stから2ndとリリースされるに従って楽曲の演奏自体はかなり難解と言えるようなものになった。そんな曲を演奏できるメンバーたちなんだから上手いに決まっているのだが、上手さだけではなく衝動的なものもそのBPMの速いダンサブルかつロックな音から感じさせる。
しかしそれ以上に凄まじいのはACAねのボーカル。演奏が難解ということは当然歌うのもものすごく難しい曲であるはずなのだが、それをものともせずに歌いこなしているし、声量も素晴らしい。ネット発のアーティストというとライブ経験が不足していて楽曲の完成度に比べるとライブはイマイチ、というパターンもよくあるのだが、この1曲目を聴いただけでこのずとまよにはそれは当てはまらないなということがすぐにわかる。
また、ACAねによる歌詞も1stよりも明らかに言葉の力とメロディとの親和性を増しているし、
「いつもゲラゲラ道を塞ぐ民よ」
というサビのフレーズが最後のサビでは同じメロディなのにもかかわらず
「いつもゲラゲラゲラ道を塞ぐ民よ」
と言葉の詰め込み方を変えることでさらにリズミカルに感じさせるという技術は素晴らしいものだし、それもまた自身の歌唱力に自信がないとできないことである。
そんな堂々としたボーカルっぷりを見せているACAねは曲が終わるとギターを手に取り、ボソッと
「今日は夜です」
と一言だけ口にして、呪術的なフレーズで始まる「ヒューマノイド」へ。
「こんな気持ちだけ 名前があるだけ
手を握るたび プログラムだってこと?」
というタイトル通りに「感情」について歌われた曲であるが、それを歌うACAねと演奏しているメンバーの音からは一切の機械らしさを感じない。ハッキリと目の前で音を鳴らしている人間であるということが伝わってくる。
まだミニアルバム2枚しかリリースしていないだけに、そこに収録されていない曲も演奏しないとなかなかワンマンという尺のライブは耐えがたいものであるのだが、過去のライブではカバー曲を演奏していたとも聞いているし、今回も「ハゼ馳せる果てるまで」という実に語呂が良いタイトルの未発表曲を演奏していたのだが、そのユーモアさを感じるタイトルとは裏腹に、
「泳げもしないくせに」
というフレーズからはハゼの生態を人間の感情や思考になぞらえているようにも思える。
「応援している人やものに勇気をもらうっていう薄っぺらい曲…」
とさりげなく毒を吐いて演奏されたのは「またね幻」だが、そうして応援したりしている存在はいつか消え去ってしまうというメッセージのように感じるし、だからこそ自分自身が強くなくてはならないというACAねの生き様を感じさせる。
「みなさん、しゃもじの出番です」
と、なんで物販にしゃもじが売っているんだろうと不思議だったのだが、それは帰ってからご飯をよそうのに使うのではなく、このライブで両手に持って叩くという使い方をするためであった。
だからこそメンバーもしゃもじを持ち、サウンドは同期になるという形で演奏されたのは「雲丹と栗」。この曲でACAねは観客に
「一緒に歌おう」
と訴えかけた。あまりにも序盤の歌声が凄すぎたので、とうてい一緒には歌えないような感じだったのが、この曲ではACAねの柔らかいというか暖かい表情を見せるような歌い方に変化する。ドラマーは途中から生演奏でビートを刻んでいたが、それでもゆったりとした、まさに夏の夜の長さを感じさせるようなテンポの曲であるのがみんなで歌える大きな要素である。あくまで控えめな合唱であったが、それは観客がこの曲の雰囲気をしっかりと理解しているからである。
未発表曲「グラスとラムレーズン」からは序盤の少女性を強く感じさせるようなパワフルな歌い方から一転し、どこか大人の女性のような一面を見せる。それによって歌う態勢も変わり、削ぎ落とされたサウンドの「Dear Mr.F」では椅子にどっしりと座って歌い、後ろに立つベーシストはグラスに入った飲み物を飲んでいるというシュールな展開に。曲が終わるとACAねも持っていたグラスをカチンと合わせるのだが、飲んでいたのはなんとアルコールではなく野菜ジュースというからこれまたシュールである。
「全部忘れて踊ろう」
というメッセージの通りのダンスミュージック「フルムーンダンシング」からは夜をイメージしたこの会場の雰囲気がダンスフロア的な夜の雰囲気に変化していく。
それは惑星になぞらえたラブソング「サターン」でも同様で、サビではメンバーたちがステップを踏みながら演奏するという姿も実に面白い。
しかしながらこうしてライブで聴いていると、改めてずとまよの曲の歪さというか、Aメロとサビだけ聴くととうてい同じ曲には思えないなというくらいの構成によって成り立っているということがわかるし、それでも曲全体のイメージはポップなものにしかなっていないということもわかる。その絶妙なバランス感覚はどうやって養われたものなんだろうか。
ACAねが小さい水鉄砲を客席に向けて連射すると、
「今回のライブのタイトルのキッカケになった曲」
と言って演奏されたのは「君がいて水になる」。
確かにタイトルを見ると「水飲み場にて笑みの契約」というタイトルにはピッタリではあるが、2ndアルバムのリリースライブというタイミングであるにもかかわらず、1stアルバムの曲をタイトルに据えたというのは少々意外であった。それだけこの曲が大事な曲であるということでもあるのだろうけど。
2ndアルバムリリース前にMVが公開されて話題を呼んだ「眩しいDNAだけ」ではこの日数少ない明るい照明が会場を包み、「彷徨い酔い温度」では再びしゃもじを叩く場面に。
「夏休み」「夏祭り」というコンセプトにおいては最も合うのはこの曲であると思うくらいに、ゆったりとした祭囃子の曲であるが、歌詞からもわかるようにその視点は酒を飲めるようになった大人のものであるが、かつて子供の頃に行っていた近所の夏祭りに今行ったらどんな感じなんだろうか、と思うくらいに過去に見たそうした風景を思い出させる。ACAねも盆踊りのようにゆったりとリズムに乗りながら歌う。
そして「マイノリティ脈絡」からは一気に複雑かつテンポの速い演奏が炸裂し、キーボードのメンバーの調子外れなピアニカのイントロに苦笑が起こったものの(そもそもそういうイントロだけど)、歌い始めたACAねは飛び跳ねまくり、ステージ左右に動き回りながら歌うという、今ここで歌を歌っているという感情を爆発させるような「正義」は間違いなくこの日のハイライトのひとつであった。
「いつも本当にありがとう。支えられています」
とACAねが観客に感謝を示してから最後に演奏されたのはずとまよの始まりの曲であると言える「秒針を噛む」。ライブに来るのが初めてなので、もしかしたら最新モードを示すためにこの曲をやらない可能性もあるのかな?とも思っていたが、そんなことはなかったし、そのACAねの幼さの残る見た目からは想像できないようなとてつもないエネルギーに満ちた歌声は、歌っている時だけ何かが憑依しているかのようだったし、ボーカリストとしては同じタイプであろう、橋本絵莉子(チャットモンチー済)の歌を初めてライブで聴いた時のことを思い出していた。
コンセプトの強いライブをやるアーティストはアンコールをやらないことも多い。amazarashiなどはそういうタイプで、本編に詰め込めるだけ詰め込んでその余韻を残したまま終わるという感じなので、ずとまよはどうだろうか、まだあの曲はやっていないのだが今回はやらないのだろうか、と思っているとアンコールで再びメンバー全員がステージに登場。
「今日、発表したいことも色々ありますが、また必ず会いましょう」
とACAねが言うと、お面をつけたり外したり、羽織を着たり脱いだりしながらおそらく大半の人が待っていたと思われる「脳裏上のクラッカー」を演奏。この曲は
「目に見えるものが全てって思いたいのに」
というフレーズで終わる。確かに、そうならば実に楽だしわかりやすい。でも我々は目に見えない「音楽」というものを通してこうして出会って繋がっている。その目に見えないものの力をずとまよは信じているからこそ、「思いたいのに」という反語が連なるようなフレーズで締められる。ずとまよの音楽があまりに美しすぎるから、そしてライブがあまりに凄すぎるから、やっぱり目に見えるものが全てって思いたいのに、そうは思えないのだ。
演奏が終わると楽器を降ろしても何故だかステージにい続けるメンバーたち。何かするのだろうか?と思っていると、いきなり脳裏上でクラッカーを打ち鳴らした。その次の瞬間は、メンバーも客席も笑っていた。
そして客席下手の壁にはエンディングクレジットとともにACAねの言うお知らせが。7日にYoutubeライブを行うことが発表されると、大きな歓声が湧いた。このライブの後、ついに1stフルアルバムのリリースというニュースもあった。そこに収録される既発曲はもちろん、収録されるであろうこの日演奏された未発表曲たちを聴いていると、そのアルバム「潜潜話」は間違いなく2019年を象徴するものになるだろうし、そのツアーも絶対に目が離せないものになる。
自分はこの日、初めて目の前で歌い、話すACAねの姿を見た。そこから感じたのは、この人は普通に喋るだけでは満足に人とコミュニケーションが取れたり、自分の思っていることを全て口にすることができない人だということ。
でも自分の感情を放出したい。私はこういうことを考えていて、そういう人が世の中にいるということを知ってもらいたい。そのために歌う。自分の思考を言葉にして、そこに思いっきり感情を乗せて。もしかしたらACAねは絵を描いたりしても生活していける芸術家かもしれない。でも彼女は音楽でなければならなかったし、きっと音楽もそんな彼女のことを選んだのだ。
DiverCityから出ると、雑多なお台場の空気は否が応でも現実世界に我々を引き戻した。あの薄暗い空間のまま、夏祭りのような気分に浸り続けていたかったから、ずっと真夜中でいいのに。。
1.勘冴えて悔しいわ
2.ヒューマノイド
3.ハゼ馳せる果てるまで
4.またね幻
5.雲丹と栗
6.グラスとラムレーズン
7.Dear Mr.F
8.フルムーンダンシング
9.サターン
10.君がいて水になる
11.眩しいDNAだけ
12.彷徨い酔い温度
13.マイノリティ脈絡
14.正義
15.秒針を噛む
encore
16.脳裏上のクラッカー
文 ソノダマン