もはや国民的アーティストという位置すらも超えたところにいると言ってもいいだろう。「Lemon」が今でもカラオケランキングのトップクラスに君臨している、米津玄師。
昨年はドラマタイアップにもなり、ラグビーを題材にしたそのドラマがリアルなラグビー日本代表の活躍とシンクロするという、持っている人ならではの引き寄せ方を発動させてみせたが、それを受けてのツアーは全国的にアリーナ規模に。
この横浜アリーナはツアー半ばくらいに位置し、この日が2daysの2日目。来月にはさいたまスーパーアリーナでもワンマン2daysが控えているという関東地方の規模であるが、それですらチケットはなかなか手に入らないという状態に。
アリーナも含めて全席指定席の客席には蛍光オレンジのタオルが暗闇の中でも輝く中、17時を少し過ぎると、曲のイントロをアレンジしたような音が流れ、それが徐々に「Loser」のものになっていくと、ステージから伸びる花道が先端側から赤く発光していき、ステージ側までも赤く発光すると、その先のステージに立っているのは米津玄師。ステージ前には短冊状の視覚を遮る効果のある幕が全面的に張り巡らされているのだが、その中からまるで暖簾を潜るようにして米津玄師は歌いながら花道を歩き出し、曲の終盤では花道の最先端部分が高く浮上していき、歌い終えて不敵な笑い声を発する米津玄師がYANKEE座りをしているというオープニングは昨年のツアー「脊椎がオパールに変わる頃」と変わらないものである。
続く「砂の惑星」では以前までのようなMVのアニメーションが流れることなく、シンプルな演出の中での演奏となるのだが、明らかに生演奏である音が流れているにもかかわらず、ステージ上には米津玄師の姿しかない。会場のどこかにバンドメンバーがいる(後ろのLEDスクリーンのさらに後ろにでもいるのかと思っていた)のは間違い無いのだが、それが果たして我々がこれまでにずっと見てきたあの3人のメンバーなのかということはこの段階ではまだわからない。歌い終わりにはおなじみの人を食ったようなハイトーンボイスで
「ありがとう!」
と一言。
イントロが流れ始めた瞬間に短冊状の幕がバサっと落ちると、ステージ上では米津玄師が寝転がりながら歌い始めたのは「Flamingo」。スクリーンにはその姿が映し出されるのだが、寝転がる米津玄師の周りが様々な色に明滅したりするのを見ていると、米津玄師が立っているステージ自体が大きなLEDスクリーンになっているというとんでもない演出が施されていることがわかる。これはかつてのホールツアー「Fogbound」の時に培った、ステージを発光させて鏡のように組まれたセットに反射させるという演出の最新進化系と言えるだろう。
また、序盤は少し声が出ていないような感じもしていたのだが、寝転がりながら歌うというのは実はかなり凄いことである。カラオケとかで寝転がりながら歌うと普通に歌うよりはるかに歌いづらい。途中からは立ち上がって歩き回りながら歌っていたが、こうした演出を最大限に活かすための新しい歌唱法を米津玄師は会得している。
しかしながらここまでは米津玄師がハンドマイクで歌っていたために、生演奏であることはその音源とは違うライブならではのサウンドからして間違いないのであるが、いかんせんバンドメンバーの姿が見えないだけに「これがカラオケ的なライブだったらどうしよう?」というほんの僅かな不安もあった。それはそれで新しい挑戦になるけれど、目の前で演奏しているからこその音のダイナミクスは失われてしまうだけに。
だが米津玄師がエレキギターを手にしたことによってそれは杞憂であったということがわかる。カラオケ的なライブであるならば本人がギターを弾く必要もないからであるが、そのギターで演奏し始めた曲が「WOODEN DOLL」であったことにビックリしてしまった。(あまり気にしないタイプではあるが、とはいえツアーのセトリのネタバレを積極的に見るというタイプでもないだけに)
2ndアルバム「YANKEE」収録の、コミュニケーションをテーマにしたという曲。まさか今になってこの曲をまた聴けるとは思っていなかった。まだ米津玄師が本格的にライブ活動を始める前、アルバムタイトルを冠した「YANKEE」という名義のバンドでシークレットライブをしていた時に演奏していた曲。
こうしてライブという場で聴くと、キャパ200人くらいのライブハウスで、すぐ目の前で演奏していた姿を思い出すことができる。この横浜アリーナともなるとその距離はだいぶ遠くなったようにも感じるけれども、米津玄師が自身の音楽を聴いてくれている人たちの前で歌おうと決意した意思は今でも変わっていないと思うのは、この曲が
「目の前の僕をちゃんと見つめてよ」
というフレーズで締められるからである。
「横浜っていうとやっぱり海に近いっていうイメージがあって。そんな横浜でこの曲を歌えることを幸せに思います」
と言って演奏されたのは、スクリーンに曲を提供した映画のアニメーションが映し出された「海の幽霊」。デジタルクワイア的なボーカルエフェクトをかけることによって、何人もの米津玄師が合唱しているかのような壮大なスケールを描き出す曲であるが、映し出されるアニメーションを見ていると、横浜の海らしさはほとんど全くと言っていいくらいに感じない。むしろ米津玄師の故郷である徳島の方が近いだろうし、だからこそその景色を思い浮かべながら作ることができたんだろうなぁと思う。インタビューでも映画サイドと密接なやり取りをしながら作ったことが語られていただけに、未見の映画も見てみないとな、と思う。この曲がどんな場面でどんな意味を持って流れるのかを確かめるために。
そんな壮大な演出の後には一転してほとんど暗闇の中と言っていいような、スクリーンから一点の光のみがステージに差し込む中で米津玄師のギターでの弾き語りのように始まるというシンプルな形での「眼福」へ。これもまた「YANKEE」収録曲であり、こうしてライブで演奏されるのは実に久しぶりな曲であるが、2コーラス目からバンドが加わるというアレンジになっており、未だにステージ上には米津玄師の姿しか見えないものの、バンドの存在を確かに感じることができる。逆に米津玄師とバンドメンバーがどうやってコンタクトを取っているんだろうか、とも思うけれど。
さらに「アイネクライネ」もまた「YANKEE」の収録曲。米津玄師を包み込むかのような大きさのステンドグラスのようなものがスクリーンに映し出されたのだが、それはスクリーンからステージに反射されており、きっと真上から見たら米津玄師がそのステンドグラスの中にいるように見えたのだろうな、と思う。
前まではこの曲を歌い出した瞬間によく悲鳴にも似たような歓声が上がっていた。それはこの日はなかった理由というか真意のようなものはわからないけれど、ある意味では世間という場に最初に流れた米津玄師の曲であるこの曲で米津玄師に出会ったという人もたくさんいるはずだし、「Lemon」が出るまでは米津玄師の代表曲と言えば真っ先に名前が挙がるのはこの曲だっただろう。そんな、この曲を聴きたいと思っている人がたくさんいるということを本人もわかっていて、こうしてライブでは毎回演奏してくれるというのはこの後に本人が言った
「大衆芸でありたい」
という意思そのものだよな、と思う。
米津玄師のライブではおなじみのダンサーたちがここで登場したのは、米津玄師本人歌唱バージョンの「パプリカ」。客席アリーナ部分に設けられた四角柱状のオブジェ(最初は小さいステージかと思っていた)にもダンサーが登場して踊っていたのだが、ライブ&米津玄師バージョンになると、Foorinの無垢な歌声の「みんなのうた」感とはまた異なって聴こえる。米津玄師が歌うこととサウンドも少しダークさを加えていることによって、本当は怖いグリム童話的な聴こえ方をするというか。しかし米津玄師が
「歌って!」
とサビで客席にマイクを向けると大合唱が起こっていたのを見て、この曲もまた他の米津玄師の曲とはまた違った形ながら誰もが知る大衆歌になったのだな、と思う。
さらにステージで踊るダンサーたちにまみれながら、ポップなサウンドに合わせたかのような光が降り注ぐ中で歌う「ごめんね」もまたコーラス部分で大合唱が起こる。これは明確にライブでみんなが歌える曲ということを見据えて生まれた曲であるが、それはそのまま米津玄師のライブへの意欲であるとも捉えることができる。カップリング曲という立ち位置ではあるけれど、これからもこうしてライブで聴ける曲になっていきそうな予感がしている。
するとここで米津玄師のMCが挟まれるのだが、客席から「愛してるよー!」という声が飛び交いまくったことによって、本人も言わないと収拾がつかなくなってしまったのを感じたかのように観客に向けて
「愛してるよ!」
と返す。みんな米津玄師がライブでそう言ったということを知っているということだろうか。
「ここから速い曲を続けるから」
と言うとコーラス部分で合唱が起こりながら、まさに客席も指二本を掲げた「ピースサイン」ではステージ前についにメンバーの姿が。最初からその場所で演奏していたのかは自分の位置からはわからなかったが、上手に金髪の中島宏(ギター)、下手に須藤優(ベース)と堀正輝(ドラム)のARDBECK組に分かれており、演奏するスペースが迫り上がってきたことによって視認できるようになった。しかもスクリーンにはしっかりと4分割された画面にそれぞれが演奏する姿が映る。
今や須藤はUNISON SQUARE GARDENの斎藤宏介とのXIIXを始動させ、堀もEveのバンドメンバーや曲作りにも関わるという多忙っぷりなだけに、こうして視界に捉えることができないと、本当に今回も米津玄師のライブに参加してくれているのか不安に感じるところもあったが、その姿を見るとやっぱり米津玄師のライブはこの4人だよなぁと思う。
そしてこの4人だからこそ、前半に米津玄師がたった1人だけでステージに立つというライブの手法は大きな挑戦だったはず。米津玄師はあくまで米津玄師のソロであるとはいえ、これまでライブを始めた時からずっと支えてきてくれた、本人も心から頼りにしている人たちの姿を演奏している時に見ることができないし、観客の視線は米津玄師1人のみに100%向けられるのだから。ある意味ではこれまでに行ってきたライブの中でも最も挑戦的な内容だったと言えるのかもしれない。
さらにリズムに合わせて手拍子が打ち鳴らされて始まったのは、ボカロP・ハチ名義で発表していた「パンダヒーロー」。近年のライブではハチ時代の曲はあまり演奏されなくなっていたが、こうして今になってライブで聴くと、やはりこの男の立脚点はボカロPであり、そこから脈々と続いてきたこれまでの音楽活動だったんだよなと思うし、こうしてライブで演奏されることによって、近年に米津玄師と出会った人がハチ時代の曲を聴くきっかけになるかもしれない。
続け様に中島らメンバーに合わせてイントロで三三七拍子の手拍子が起こって始まったのは、これまた「YANKEE」収録の「しとど晴天大迷惑」。「金属バット」「ピンチヒッター」「二点ビハインド」という歌詞が並ぶ「パンダヒーロー」の後にこの「しとど晴天大迷惑」が演奏されることによって、
「九回裏 二死満塁 さよならついに本塁打」
というフレーズの場面で打席に立っているのは「パンダヒーロー」なんじゃないだろうかという想像をすることができる。米津玄師の歌詞には意外にも野球をモチーフにしたものが多いが、その理由についていつか本人の口から聞いてみたいところである。野球ファンとして。
いつも演奏されている「アイネクライネ」も含めて、これで「YANKEE」収録曲から4曲。近年の米津玄師の曲はもはやバンドという形態から離れているものが多くなっているだけに、そうした曲と対極的と言えるバンドサウンドを突き詰めたかのような「YANKEE」の曲を今になってここまで演奏するというのは実に意外であったが、2014年にリリースされて、その後から米津玄師はライブをするようになった。あれから6年というのは短いかどうかはわからないが、思春期に出会ったバンドたちに比べるとそこまで長くない。
でもこうして「YANKEE」の曲をライブで聴いていると、米津玄師がライブを始めた頃のことを思い出すし、その頃に出会った人たちのことも思い出す。そう考えると、短い年月のようでいて、この6年(さらに言うなら「diorama」から含めたら8年)は米津玄師の音楽と共に生きてきた時間と言えるのかもしれない。こんなにもチケットを取ることに必死になるアーティストはそうそういないということを考えても。
そして「爱丽丝」の妖しげな空気を纏ったサウンドが場内に響き渡ると、スクリーンには昔のファミコンの横スクロールアクションゲームのような建物の映像が次々に映し出されていく。それが途中から崩れたり倒れたりしている建物に変わっていくというのはこの曲の不穏さを見事に視覚として表現していると言っていいだろう。
バースデーまでのカウントダウンのようにスクリーンに映し出された数字が切り替わっていく「Teenage Riot」のストレートなロックサウンドには米津玄師の持つエモーションが乗っかっていたのだが、そうであっても直後のMCで米津玄師は、
「ライブに熱狂できない人もいると思う。自分も昔そうだったから。熱狂で上がっていくんじゃなくて、自身の中に深く沈み込んでいくというか。でもそういう人にも「気にしなくていいんだよ」っていうことを言ってあげたい」
と、自身がライブを見ていて熱狂するようなタイプの人間ではないことを語っていた。だからこそ最初にライブをやる必然性を感じていなかったと。それはかつて「人と人は絶対にわかり合うことはできない」と話していたことにも通じる話であるが、確かにライブは熱狂したりさせたりした人が勝ちゲームではないし、来ている人一人一人の楽しみ方がある。
でもこれだけたくさんの人がいれば、やっぱり中には叫んだり手を挙げたり、手を叩いたりすることができない、でもライブは見たいという人も必ずいるはずで、そうした人にとってはこの米津玄師の言葉は何よりも肯定されただろうし、そうすることによってかつての自分自身を肯定してあげようとしていたのだろう。
そうした米津玄師の人間らしさをまた一つ知ることができた後に演奏された「でしょましょ」はカップリング曲であるだけにこれから先のライブでこうして聴くことができるかどうかはわからない部分が強いが、ステージに映し出されたスマホの画面がインスタのアカウントを開き、様々な写真(「爱丽丝」の時のスクリーンの写真や、アメリカのヒップホップアーティストのTyler, The Creatorが昨年リリースしたアルバム「Igor」のジャケット写真があることからも今の米津玄師の音楽的な趣向がわかる)がスワイプされるというのがステージを真上から撮った映像がスクリーンに流れることによって、ステージを歩く米津玄師の動きが画面を動かしているかのような斬新な演出となっていた。
そして光が降り注ぐ中で演奏された「Lemon」は今まではライブの最後に演奏されることが多かったし、それはやはり米津玄師の曲の中で最大の代表曲であるだけに、この曲に至るまでの物語を作っていくと言ってもいいようなライブとなっていた。でも今は必ずしも最後にやらなくてもいいような状態になっている。それはこの曲を更新するような曲を米津玄師が作り続けてきたからである。やはりライブで本人が歌うのを聴くとその圧倒的な名曲感には平伏すしかないのであるが。
そんな流れの中でこの終盤に皮肉に満ちた歌詞とダークなサウンドの「ララバイさよなら」が演奏されたのは少し意外であったが、前回のツアーは「amen」や「Moonlight」「Paper Flower」という曲を演奏していたことを考えると、今回のツアーはそうした要素はかなり少なめと言える。
そして最後に演奏されたのは最新シングルである「馬と鹿」。ダンサーが旗を持ってステージやアリーナのオブジェの上に現れると、スクリーンに美しい夕焼けなどを思わせる風景の映像が映し出され、なんとその映像がダンサーの持つ旗とダンサーが装着しているバイザーにも映し出されるという驚愕の演出。どうやってこんなことができているのか、と思いながらも米津玄師は花道を歩きながら歌い、最後にはオープニングの「Loser」同様に花道最先端部分が迫り上がっていき、その頂点で歌い終わると同時に
「ありがとうございました、米津玄師でした!」
と言って場内が暗転し、メンバーはステージから消えていた。
この曲のリズムは音源だとハンドクラップとフットスタンプをメインにしたものになっている。それをバンドだからこその力強さに変換している堀のドラムも見事ながら、揺らぎながらもその揺らぎがメロディに絶妙なエモーションをもたらす米津玄師の歌唱の素晴らしさ。特に
「君じゃなきゃ駄目だと」
という部分の声を張り上げ方は、この曲がライブという場によって音源を遥かに超えていることを示していたし、この曲の真価というか本当の素晴らしさを感じることができた。だからこそ、曲が終わった瞬間の暗闇から薄暗いライトが灯って現実に戻った時に、この日のライブに来れて、この曲をこうして聴くことができて本当に良かったと思ったのだった。
アンコールではメンバーは同じようにステージ前という位置にスタンバイしてイントロが流れると、
「ワンツースリー」
という歌入りのカウントを観客もともに合唱する「ゴーゴー幽霊船」を演奏。この曲もワンマンでは演奏される頻度が高い曲であるが、収録されている「diorama」の中にはまだライブで演奏されたのを聴いたことがない曲もあるために、今回「YANKEE」の曲を多く演奏していただけに、次は「diorama」の曲をぜひお願いしたいと思ってしまう。
さらにステージにスモークが噴出してくるという幻想的な空間の中で演奏されたのは「灰色と青」。かつて武道館のライブの時には菅田将暉が登場したこともあるが、それなしであるのがもはや普通であるかのように米津玄師は菅田将暉のパートまでもを1人で見事に歌い上げている。リズムにはライブならではのアドリブらしいアレンジが入っていたような感じがしたのは気のせいだろうか。
そしてここでメンバー紹介をするのだが、米津玄師に続いて中島も須藤と堀のことを紹介すると、さらに
「このスーパーギタリストの名前は!?」
と観客に自分の名前を叫ばせていたが、初めてライブを見たり、中島と米津玄師の関係性を知らない人が引いたりしていなかったかが懸念される。
その中島は観客に横浜の名物を聞いた時に名前が上がったサンマーメンを「サンマでダシを取ったラーメン」と勘違いしたり(あんかけみたいなのがかかったラーメン。野菜などの具が多い)しながら、こうして横浜アリーナに自分が立てているということに感慨を感じていたし、その言葉からは幼なじみである米津玄師の音楽への絶大な信頼を感じさせた。
そして米津玄師がダンサーチームを紹介してステージに招くと、そのダンサーたちのダンスが曲に新たな命を宿す「ホープランド」へ。収録アルバム「Bremen」のツアー「音楽隊」はライブハウスで行われていたが、この曲を含めてあの時点で「Bremen」がすでにアリーナ規模のスケールを持った曲であったことを示しながら、米津玄師が最後に
「またどこかで会いましょう」
と言った言葉をそのまま曲にしたかのように、
「ソングフォーユー 聴こえている?
いつでもここにおいでよね」
というフレーズが響く。チケットが取れないという問題はあるけれども、こうしてこの曲を最後に聴いていると、また必ずこうして米津玄師に会えると思える。なぜならば
「同じものを持って
遠く繋がってる」
からである。もちろんこの場合の同じものとは米津玄師の音楽への愛。この日、この場所が間違いなく「ホープランド」そのものだった。演奏を終えると米津玄師はピックをかなり距離がある客席に投げ込んでいた。
「HYPE」というのは「麻薬中毒」という意味もあるし、「誇大広告」という意味もある。音楽業界においても度々後者としての意味で、業界がゴリ押しするような新人アーティストに使われることも多い。
「diorama」で新人としては破格の成功を収めてシーンに登場した米津玄師は「HYPE」なのだろうか。その答えがNOであるということを自身の力によって示すかのようなライブだった。なかなかこの規模ですらチケットが取れないだけに、そう簡単に会えるようなアーティストではないけれど、「風薫る砂浜で また会いましょう」。
1.Loser
2.砂の惑星
3.Flamingo
4.WOODEN DOLL
5.海の幽霊
6.眼福
7.アイネクライネ
8.パプリカ
9.ごめんね
10.ピースサイン
11.パンダヒーロー
12.しとど晴天大迷惑
13.爱丽丝
14.Teenage Riot
15.でしょましょ
16.Lemon
17.ララバイさよなら
18.馬と鹿
encore
19.ゴーゴー幽霊船
20.灰色と青
21.ホープランド
文 ソノダマン