昨年は夏フェス真っ盛りの8月に日本武道館でワンマンを行い、今年はまだ自粛期間だった5月にフルアルバム「健全な社会」をリリース。そして山手線沿線のライブハウスを廻るという山手線ツアーと、yonigeは2020年をより自分たちにしかできない活動をしていく1年にするはずだった。
しかしそれもコロナ禍によってバンドとしての活動はアルバムのリリースとコンピレーションCDへの参加に止まっていたが、牛丸ありさは弾き語りで各地の小さいライブハウスを回って歌い続け、秋からは九州のライブハウスでツアーを開始。今月1日に行われた大阪オリックス劇場に続いてのホールワンマンとなるこの日の中野サンプラザがファイナルとなる。
問診票である個人情報フォームへの回答、検温とアルコール消毒というコロナ対策を通過して入場した、例によって客席を1つ空けて距離を保つ中野サンプラザの中はBGMのない完全な無音。その静寂が逆にどこかちょっと落ち着かないというか緊張感を煽る。いつライブが始まるのか全くわからないという点も含めて。
開演予定時間の19時を10分ほど過ぎた頃だろうか。場内がフッと暗くなるとSEもなしに牛丸ありさ(ボーカル&ギター)、ごっきん(ベース)の2人とサポートメンバーのホリエ(ドラム)、土器大洋(ギター)がステージに登場。昔はThe SALOVERSの曲をSEに使っていたものであるが、歓声をあげてはいけないどころか、完全に無音であるために観客もどう迎えいれたらいいのかわからないという感じで座ったまま。パラパラと小さい拍手は起こるが、これまでのライブとは少し、いや、かなり違った張り詰めた空気が流れている。
メンバーが楽器を手にしてもなかなか演奏が始まらないのは、牛丸がイヤモニを装着するのに少し手間取っていたからだ。その間、3人はいつでも演奏を始められるよう、じっと牛丸の方を見ていた。
牛丸がようやくイヤモニを装着してギターとピックを手にすると、「健全な社会」の1曲目である「11月24日」で幕を開ける。折しも曲タイトルにかなり近い日付のこの日であるが、薄暗い照明の中で徐々に熱を帯びていくバンドの演奏。特にホリエのドラムは曲の後半になればなるほどに力強さを増していく連打っぷりを見せる。ごっきんはキメの連発でしっかりとバンドの呼吸が合うように、基本的には横を向くような形でメンバーの方を見て演奏している。牛丸は9月に見た弾き語りワンマンの時よりもさらに髪が伸び、ごっきんに少し似ているように感じる髪型になっている。
個人的にというか、yonigeを聴いてきた人は「健全な社会」から牛丸の歌詞が大きく変容したと感じているはず。それは初期に比べたら穏やかなサウンドに導かれたものかもしれないが、以前までロッキンオンジャパンで担当していた映画について語る連載で発揮していたような文才を歌詞の面でも見事なまでに描けるようになった。
その最たる曲が「健全な社会」では2,3曲目に連なる「健全な朝」「ここじゃない場所」であり、もはや音がなくて歌詞だけを読んだら私小説としても成立するような感すらある。「ここじゃない場所」では2コーラス目のAメロで牛丸はギターを弾かない代わりに横の卓上のサンプラーらしきもの(よく見えなかったけれど、大きさ的にキーボードではないはず)を操作して効果音というか電子音のようなサウンドを奏でる。こうしたサウンドはむしろかつてLI LI LIMITをやっていた頃から土器の得意とするところのようにも感じるが、そこを牛丸が担っているというのはこのサウンドを牛丸とごっきんのメンバー2人が主体的に作り上げているということの証左であろう。「正しい言葉」という歌詞に使うのにためらいを感じてしまいそうな、このライブのタイトルになったフレーズも流れていくように牛丸は歌っていく。
青く光る照明がステージを照らし出すと、まるで演奏する4人が水槽の中にいるように思えてくる(武道館でのリアル水槽的な演出は今も忘れられない)「2月の水槽」から、そのアウトロとイントロを繋ぐライブアレンジとしてのホリエのドラムが力強く響いてからの「バッドエンド週末」と、やはりツアーファイナルのホールワンマンということで「健全な社会」収録ではない曲も演奏されるが、その曲たちはあくまでも「健全な社会」の曲があってこそ、それに連なるような曲を演奏しているというイメージだ。
ごっきんのゴリゴリとした低音を刻むベースがアンサンブルを牽引し、サビではそのごっきんだけではなくホリエと土器もコーラスを重ねる「往生際」では牛丸のボーカルがより高らかに響き、それはこの日初めて光に包まれるような明るいステージの上で鳴らされた「リボルバー」においてもそう。決して声量を大きくして歌えばいいという曲が多いわけではないが、その曲によるボーカルの抑揚のコントロールも牛丸が体得しているように感じるのはやはり1人きりでの弾き語りライブをやってきた経験によるものだろう。yonigeの音楽はなくなっても変えがあるビニール傘みたいなものではない。
一転して牛丸も土器もソリッドなギターを鳴らすのは単語を並べるような歌詞がリズミカルに響く「顔で虫が死ぬ」。さらには初期曲である「最終回」もツインギターになったことによって音源とはまた違う、勢いというよりも構築されたようなアンサンブルを感じさせてくれるのだが、牛丸は
「愛だの恋だの目眩がするわ あくどい景色に踊らされてる」
という自分がこの曲の中で好きなフレーズを思いっきり飛ばして歌っていた。元からよく歌詞を間違えてしまうことも多いのだが、ここはこの日最もそれが顕著にわかる瞬間だった。だからといってライブの出来が良くなかったと感じるわけではないのがライブの面白いところである。
かと思えば牛丸がアコギに持ち替えての「サイケデリックイエスタデイ」は原曲ではエレキのサウンドが醸し出すサイケデリックさがアコギによってアコースティックイエスタデイと言ってもいいくらいの変貌を遂げる。原曲をガラッと崩すように変えているわけではないが、こうしたライブにおけるアレンジは新たに音源でも聴きたくなるし、そうして楽器を交換する場面はそれなりに多くても曲間がほとんどないというテンポの良さはスタッフも含めてこのライブがいかに練られて作り上げられているものかがわかる。
タイトルとは裏腹にどこか戻らないものの切なさや儚さを感じさせる「あかるいみらい」の夕暮れを思わせるような暖かい色合いと、シューゲイズバンドかというくらいのノイジーなギターが靄に包まれるような陶酔感を与えてくれる「最愛の恋人たち」という両極端なコントラストはワンマンだからこそできることであるが、まさかこの2曲を並べるとは、という驚きがあったのも確か。
そんな脳内に白昼の景色を生み出した後に演奏されたのがアコギのサウンドが素朴さを感じさせる「メリークリスマスイヴ」。この中野サンプラザの前の広場ももう少ししたらクリスマスらしい飾り付けでライブの前後を彩るようになるのだろうか。クリスマスよりも、クリスマスイヴを祝うという少しの捻くれさがyonigeらしいと思いながら、こんなに例年見れた景色が見れなかった今年はクリスマスに雪が降るんだろうかと聴きながら夢想する。
牛丸が再びエレキに持ち替えると終盤戦へ。「どうでもよくなる」「また明日」という2曲は諦観というわけではない、でも前向きな諦めというようなニュアンスを含んでおり、聴いていると抱えている悩みとかがそれこそどうでもよくなるような。そういう心理状態の時に聴きたいのは熱く励ますような曲よりもこうした曲目なのかもしれない。「また明日」が今回のツアーでも演奏されるというのは少し意外な感じではあったけれど。
映画の主題歌にもなった「健全な社会」の中でも随一のポップさを持つ「みたいなこと」でその前の2曲から諦観がなくなり、より前を向けるような気持ちにさせてくれると、初期の曲ではあるけれど近年の曲にも通じるような、牛丸の目に映る風景を写実したような「トラック」が1本の映画のエンドロールのように流れる。
しかしこれで終わりではなく、牛丸の弾くアコギのサウンドが曲のメロディのポップさを引き出す「ピオニー」が「健全な社会」の曲順同様に本編のラスト。
「夜が明ける頃に僕はまぶたを落とす
意味があることに意味を感じなくなって
伝えたいことのない手紙を書いて
紙飛行機にして飛ばしているような
何もない日だった」
という「何もない日常」という何もなさを詩にすることができる牛丸のストーリーテリング力。「健全な社会」というタイトルの持ち得る意味はタイトル発表時から今に至るまでにだいぶ変わった。「ニューノーマル」という実態や基準があるんだかわからないような生活をしなければならない社会になった。でも
「明日を生きること、忘れたくなって
体に悪いこと、繰り返している
眠たくなっていくよ」
という生活を送ることができることが「健全な社会」である。そう歌っているように感じた。それこそがこのアルバムを通して伝えたいことであるような。この「ピオニー」で辿り着いた境地こそが牛丸の、yonigeの描く「健全な社会」である。それはこれからもバンドにとっての大きな幹になっていく予感がするのだ。
演奏が終わるとこの日初めて曲中以外で牛丸が
「ありがとうございました」
とだけ言ってメンバーがステージに去ると、アンコールに応えて出てきたのはまずは牛丸1人。
「2曲だけやって帰ります」
と言うとアコギを持って「春一番」を弾き語り。9月の弾き語りワンマンでは1曲目にやっていた曲であるが、その時に感じた「音を確かめるように丁寧にアコギを弾いて歌っている」という感覚がもっと自信を持てているように見えたのは弾き語りもバンドのツアーもこうしてここまで完遂できたという実感があってのものだろう。
するとメンバーも再び合流して最後に鳴らされたのは轟音ギターロックでタイトルにもある悲しみを掻き消すかのような「悲しみはいつもの中」。てっきりラストは「春の嵐」だと思っていたが、そんな予想を心地良く裏切ってくる。
デビュー時は「ガールズバンド版のマイヘア」とかよく言われていたけれど、もうそんなイメージは一切ない。ただ自分たちのやりたいことをバンドサウンドで追求して、今やりたい曲をライブでやる。だから「さよならアイデンティティー」も「アボカド」もセトリにはない。今はそういう曲をやるようなモードではないからだ。
こうしたバンドに進化するとは思っていなかったが、メジャー2枚目のアルバムでここまで来たということはこれから先、もっとどんなところまでも行けるということ。
「まだまだ音楽でやりたいことがたくさんある」
とは武道館でごっきんが言っていたことであるが、牛丸の弾き語りの時にはあったMCもSEもBGMもない、ただひたすらyonigeの演奏する曲のみが流れるというストイック極まりないライブは、牛丸とごっきんがバンドマンでありながら音楽家と呼べるような存在になったことを確かに感じさせてくれた。
1.11月24日
2.健全な朝
3.ここじゃない場所
4.2月の水槽
5.バッドエンド週末
6.往生際
7.リボルバー
8.顔で虫が死ぬ
9.最終回
10.サイケデリックイエスタデイ
11.あかるいみらい
12.最愛の恋人たち
13.メリークリスマスイヴ
14.どうでもよくなる
15.また明日
16.みたいなこと
17.トラック
18.ピオニー
encore
19.春一番
20.悲しみはいつもの中
文 ソノダマン