昨年のライブハウスツアーと、COUNTDOWN JAPANの年明け直後のまさに真夜中の時間のGALAXY STAGEの超満員っぷりからしても、今年5月のゴールデンウィークに幕張メッセイベントホールで2daysのワンマンを、という歩みは必然ですらあった。それくらいの規模の動員力を、ずっと真夜中でいいのに。は獲得しているからである。
しかしその幕張メッセイベントホール2daysはコロナの影響で中止に。そんな中でも本来ならばアリーナクラスのワンマンを終えて新章突入という状態を示すために夏フェスにも出るはずだったのだが、それでも8月には新作ミニアルバム「朗らかな皮膚とて不服」をリリース。
少し時間は空いたとはいえ、配信ライブなども開催してからの有観客ツアー的な位置付けになると思われるのが、この日の東京ガーデンシアター2daysの初日から始まるライブ。すでに年明けまでのスケジュールも決まっているのだが、ネット発という出自を持つずとまよがこんなに早くライブを再開するとは思っていなかっただけに、去年までに体感してきたあの圧巻のライブパフォーマンスと声に触れることができるのは実に嬉しいところだ。
薄暗いステージには去年の夏祭りなどとも違う、ややホラーじみたセットが作り上げられているし、場内のBGMも実にそれらしい悲鳴のような声が流れていたりと、果たしてどんなものになるのかという楽しみよりも、そうしたものが苦手であるために若干の不安も感じてしまう。
度重なるライブへの注意事項の後に、土曜日にしては遅めの19時に場内が暗転すると、会場にはバイクのマフラーを外してエンジンを吹かすような音が響く。すると袖から改造バイクのような見た目の自転車に乗ったバンドメンバーが登場。見た目も派手な金髪のカツラをつけており、客席には完全に「?」が浮かび上がるが、そのままメンバーがX JAPANのようなハードロック的な演奏を始めるものだからより一層観客に「?」が浮かび上がってしまうのだが、演奏を終えると「ZUTOMAYO MART」という看板がそびえる寂れた建物の中から、まるでファミリーマートの入店音のような音が流れてボーカルのACAねがステージに現れる。相変わらずステージの薄暗さと相まってほとんど顔を視認することはできない。
そのACAねがステージ下手の、ドラム、ベース、ギターの佐々木”コジロー”貴之(ex.bonobos)らの方を向きながら始まるのは「朗らかな皮膚とて不服」の「JK BOMBER」。
「剥がしたくなるネイル
どの本音も散らばら
この世は言い切れぬが
きつく締め付けられてくfingerわいやー」
という歌い出しの歌詞からは今のSNSなどへの警鐘であるかのような感じもするが、
「この爆弾みたいな球体に 暮らし始めて
何十年か経った今も 探してんのは
あったかく流れる 脈拍きみのだ」
というサビの歌詞から感じられるのはこうして目の前にいてくれる人たちへの感謝と信頼である。ベースを軸にしたグルーヴィーなバンドメンバーの演奏も冒頭から凄まじいものがある。
曲が激しく転調・展開していく様が実にずとまよ節な「こんなこと騒動」から言葉遊び的な歌詞とアッパーなサウンドが、こうして大人しく座ってライブを見ていることを耐えられないような衝動へ向かわせる「勘冴えて悔しいわ」と続くあたりはメドレーのように曲を短くしながらも曲間ほぼゼロで繋げていくというライブならではのアレンジ。こうしたアレンジは去年のツアーではやっていなかったため、こうして生のライブを見ることができるからこそようやく見ることができるようになった新しい試みでもあるが、ACAねのボーカルの声量や凄みはこの段階ではまだ無垢さを感じさせるくらいに試運転と言っていいレベルだ。
「朗らかな皮膚とて不服」のオープニング曲である「低血ボルト」のゴリゴリのベースからの性急で音数の多い、これぞずとまよというど真ん中にストレートを思いっきり投げ込む曲から、ライブにおいては定番の「マイノリティ脈絡」の同期の音も使った、全く予測できないような展開を見せるアレンジではバンドの演奏するライブならではの肉体性が強く宿り、曲後半になるにつれて一気に激しさを増していく。それとともにACAねも激しく体を揺さぶりながら歌っているのが薄い暗闇の中でもよくわかる。
ACAねがボーカルとは全く真逆の消え入りそうな声で来てくれた観客への感謝を告げながら、今回のライブのテーマが
「過酷な砂漠にあるコンビニに集まったヤンキー」
であることを告げる。昔はコンビニの前に屯していたヤンキーが怖かったが、今になるとあれは今しかできないことを全力でやっているという理解を示せるようになってきたと。それはある意味では自身の今の生き方に通じるところを見出しているのかもしれない。
そんな中で演奏された前日に配信開始された新曲「勘ぐれい」からは配信ライブでも導入されていた、TVドラムを和田永(Open Reel Ensemble)が叩き、この辺りからより一層ステージ上が賑やかになっていくのだが、それぞれに画面に映る色が異なるブラウン管テレビを叩くことでパーカッションのように使うという発想は和田のものなのか、あるいはACAねのものなのか。いずれにせよこの後からはオープンリール奏者として吉田悠と吉田匡のOpen Reel Ensembleのメンバーも登場と、ずとまよにとってOpen Reel Ensembleとの出会いは音楽的にもライブにおける視覚という意味でも間違いなく幸福なものになっているはずだ。
薄暗くてはっきりとはステージが見えないのだが、ACAねがウォータードラムを叩いているように見える中で歌い始めた「マリンブルーの庭園」は「朗らかな皮膚とて不服」の中で最もファンタジー要素の強いミドルテンポの曲。だが、
「高鳴る夜は眠れない
会いたいを認めざるを得ない」
というサビの歌詞は音源で聴いている時とはまた違う意味をライブで帯びている。それはこうしてライブがある前日の夜の高鳴りと、こうして会場に来てくれている人への思いが重なって感じられるからだ。そう思えるのはこの曲とずとまよの圧倒的なメロディの美しさがあってこそだ。
その「マリンブルーの庭園」ではドラム奏者がコンビニの建物の上に登ってデジタルドラムを演奏していたのだが、
「しゃもじ、用意。ない人は手で」
と言ってしゃもじを持って打ち鳴らすACAねも建物の上に行って歌うのは「雲丹と栗」。ほとんどを同期の音に任せているために他のメンバーもしゃもじを持って叩くというのは今までのライブと同様であるが、出で立ちがヤンキー染みているだけにこれまで以上にシュールに感じる。ACAねは普通に歌っている間に
「ここにいます。見えてますか?」
と自分が歌っている場所を観客にアピールしているのもまたシュールだ。
「雲丹と栗 柿と梨 たけのこご飯」
というサビのフレーズはついつい空腹を刺激されてしまうし、今年はこの時期になってもそうした秋らしい味覚を感じることが例年以上にできなかったことを思い知らされてしまう。
通常の編成に戻ると「朗らかな皮膚とて不服」の中の美しいバラード「Ham」を歌い上げると、ACAねもギターを持ち、ライブならではのイントロが追加されたアレンジの「サターン」へ。「朗らかな皮膚とて不服」にはアコースティックバージョンが収録されていたが、やはりこの曲はダンスナンバーである。サビではリズムに合わせてメンバーたちが左右にステップするのがより一層そう思わせてくれるし、長くなったアウトロではメンバーたちが次々と楽器を演奏することを放棄して踊りまくるのだから、こちらも座ってなんかいないで踊り出したくなってしまう。
「BOW」という犬が吠えるようなメンバーの声によって始まり、タイトル通りにステージ上部に設置されたミラーボールが輝く「MILABO」もまた最新作からのダンスナンバーであるが、
「ミラーボール怖がって アコギ持ち替えたら
まだ 恥ずかしく踊れるから」
というサビをはじめとしたフレーズの数々がこうしてACAねが歌う意味として、こういう状況でのライブだからこそより響いてくる。とはいえそこに重さのようなものはなく、ただただ「楽しい!」と感じさせてくれるのもまたこの曲やずとまよのライブだから感じられる感情である。
するとACAねは
「こうして大変な状況なのに来てくれるみなさんや、今日は来れなかった人たちへ」
とやはりボーカル時とは全く違う小さな、でも確かな感情を込めた声で口にすると、
「住む世界が違えば
会えないの? 何処に居ても
伝えられたら 変わったかな
ひとりで平気だけど 太陽はあかるいけど
きみの足跡は 消えないよ」
というこれまでは届かない人へのラブソングとして聴こえていた「Dear Mr「F」」がファンに向けてのラブソングのように聴こえる。ステージに座って歌うACAねのボーカルとピアノだけという形だからこそのACAねの歌の持つ凄みを存分に感じさせてくれる。
去年までのライブでもクライマックスを担ってきた、激しく展開していく曲の構成がバンドのグルーヴをさらに高めていく「眩しいDNA」だけからは終盤へ。
流麗なピアノのイントロによって始まる、ずとまよの名前を世に知らしめた「秒針を噛む」ではラストサビ前でのおなじみの合唱パートを歌うことができない状況だからこそ、サビのリズムに合わせてみんなで手拍子を叩くというものに。それぞれの観客のいる階層に分けての手拍子というあたりがこれまでのライブハウスとは違うホールでのライブであることを感じさせてくれるのだが、歌い終わるとACAねはやはり最後に感情を解き放つように思いっきり声を上げる。その声がどうしてこんなにも聴いていて心を震わせるんだろうか。
前にACAねはライブのMCで学生時代のことを回想して、
「友達何人かと話していても急に鼻歌を歌い始めたりして、おかしな子だと思われていた」
と話したことがあった。それくらいに歌うという行為がACAねは体の中や精神に染み込んでいる。普通の人だったらやらないようなことも歌という形で出てきてしまう。そこまである意味では歌に選ばれた人だからこそそうして歌詞にないような声を張り上げるだけでどうにも心を震わされてしまう。この声がこうしてたくさんの人の前で響くことができて本当に良かったと心から思う。
その心を揺さぶるような声は「正義」のラストでも放たれるのだが、イントロのmura☆junのリコーダーの音色が今回は音源とは全く違うものに変化している。さらにはOpen Reel Ensembleによるリールの伸縮によるスクラッチ音などの様々な音が、もうこのままライブ音源出してくれないかと思うほどに劇的に進化しているのだが、ACAねは声だけではなくその身をもって自身を解放するかのようにステージの端から端まで動いては踊りまくる。そうしたイメージとは違うアグレッシブな姿はライブでないと絶対に見れないものだし、誰よりもACAね自身がこの音楽や曲を求めているのがわかる。
そのまま「脳裏上のクラッカー」のイントロに入ったかと思ったら、少しして急に曲を止める。あれ?アクシデントか?と思っていると、
「忘れてました…」
と、MCを入れるタイミングだったことを忘れていたよう。あまりにも感情を解放して夢中になってライブをしていたということがわかる瞬間だ。
「いろんなものを突破して、本当に、こんな大変な状況で来てくれるみんなは仲間だと思っています。仲間のドクロ。(自身のアクセサリーを見せながら)
また会えるように、その日まで健康でいましょう。いてください」
と、改めてこの場にいる観客への感謝を告げてから再び演奏に。
間奏では冒頭と同じような、X JAPAN的なハードロックサウンドの演奏から、メンバーそれぞれのソロ回しへ。ソロを演奏しているメンバーにピンスポットが当たるはずなのに、ドラムソロでTVドラムの和田永にスポットが当てられてしまい、和田がドラムの方を指差すという初日ならではのハプニングもあったが、やはりそれぞれのメンバーの演奏力の高さと編成の独創性は凄まじいものがあるというか、間違いなくずとまよのライブじゃないと見ることができないものだ。
この曲には
「目に見えるものが全てって思いたいのに」
というフレーズがある。生きていると確かにそう思うことも多々ある。目に見えないものほどわからないもの、面倒なものはないからだ。でもずとまよの音楽も、ACAねの声も目に見えるものではない。目に見えるものが全てではないからこそ、それを感じることができる。最後にやはり声を張り上げるACAねの姿を見てそう思っていた。
アンコールではステージが真っ暗な中にメンバーが登場すると、その場内の様子がタイトル通りな、映画「さんかく窓の外側は夜」の主題歌に決まっている新曲「暗く黒く」を披露。すでに配信はされているが、タイトル通りにダークなミドルテンポの曲だと思っていると、2コーラス目でいきなり軽快なリズムに変貌するという、映画主題歌であったとしてもずとまよらしさは貫くという意志が曲から伝わってくる。他にも「約束のネバーランド」の映画版に「正しくなれない」という新曲も書き下ろしているが、果たしてそれはどんな曲になっているのか。一つだけ言えるのはわかりやすいだけのものは絶対にずとまよは作らないということである。
そしてラストはこのツアーのタイトルである「やきやきヤンキー」のフレーズが入っている「お勉強しといてよ」。ずとまよの持つありとあらゆる要素を「キャッチー」という名のもとにまとめ上げたようなこの曲が最後に演奏されるということが、CDJなどのこれから行われるライブの景色を去年までより更新していくような予感がしていた。
演奏が終わるとメンバーたちは登場時と同じようにステージ端に停めていた改造自転車に乗ってステージを去ると、最後に残ったACAねはコンビニの扉が開いた先にある光に向かって歩いて行った。それはこの先に必ず待ち受けているであろう今の世の中に射す希望に向かって歩いていくようにも見えていた。
ここまで巨大な存在になったのは楽曲の力はもちろんであるが、ライブの凄まじさが伝わったことによることも大きいはず。だがもともとずとまよはシーンに登場して以来、数えられるくらいしかまだライブをやっていない。
だからこそライブをやって生きているというタイプのバンドとは少し違う存在のアーティストではあるのだが、それでもこうしてこの時期にいち早くライブをやろうと思ったのはなぜなのだろうか。
それはACAねのMCでの喋り方の拙さを見ていてもわかるように、ACAねは音楽を通すことによって人とのコミュニケーションを取ることができる、というか音楽がないと人との関わりがなくなってしまうようなタイプの人だからである。こうして一緒に音楽を鳴らすメンバーがステージ上にいて、それを見に来てくれる人がいる。それが社会や世界への結節点になっている。
だからライブをしないとそれがなくなってしまう。でもライブをやれば目の前の人たちと感情を分け合ったり、受け取りあったりすることができる。
去年のワンマンの際に自分は「どっかでなんらかの違う形で年間100本以上ライブをやっているんじゃないかと思うくらい、このライブ経験値でこんな凄まじいライブができる意味がわからない」というようなことを書いた。
それは今でもそう思っているところも少しはあるけれど、ただひたすらに音楽を、歌を信じてきた人だからこそできる表現があって、それがこの凄まじいライブの根源になっている。そんなことがわかるような、やはりとんでもないライブだった。
1.JK BOMBER
2.こんなこと騒動
3.勘冴えて悔しいわ
4.低血ボルト
5.マイノリティ脈絡
6.勘ぐれい
7.マリンブルーの庭園
8.雲丹と栗
9.Ham
10.サターン
11.MILABO
12.Dear Mr「F」
13.眩しいDNAだけ
14.秒針を噛む
15.正義
16.脳裏上のクラッカー
encore
17.暗く黒く
18.お勉強しといてよ
文 ソノダマン