コロナ禍以降、様々なアーティストが配信ライブを行ってきたし、リアルなライブに行けない間は「今日は何がやっているのだろうか?」と探すようにしていろんな配信ライブを見ていた。
そんな中でトップクラスに印象に残っているのは、MONOEYESの配信ライブだ。VIVA LA ROCKの配信ライブではアコースティックという形だったのが、そのライブではメンバー4人が円形に向かい合う形のバンドセット。その会場は本来はその日に予定されていたはずだった日本武道館。すでにリアルライブが再開され始めて、もうわざわざ配信ライブをそこまで見なくてもいいかもしれない、と思っていた時期だっただけにより一層鮮烈なイメージが残っている。
その予定されていた武道館ワンマンも9月にリリースされた最新アルバム「Between the Black and Grey」を受けてのものであったが、純粋なアルバムツアーはできなくても、MONOEYESとして活動、ライブはするというバンドの意志の元に開催されたのが、今回のSemi Acoustic Live Tour。
10月にスタートした、この状況、このスタイルだからこその、普段のMONOEYESのツアーにしては広いライブハウスを回る15本のツアーはこの日のZepp Tokyoでの2日目がファイナルとなる。
入場前にはサーモグラフィーによる体温チェックとアルコール消毒はもちろんのこと、本人の身分証確認という厳しいIDチェックも。これはコロナのリスクによる個人情報の管理の徹底というよりも、普段はなかなかチケットが取れない人も多いこのバンドのライブにおいてさらにキャパを制限しているための転売対策という向きの方が強いんじゃないかと思う。
そうして会場の中に入ると、客席に椅子が並べられており、席も一つずつ空けているのはイメージ通りであるが、どうにもステージに違和感がある。この日は雨も降っており、関東地方は12月らしい冬の寒さに見舞われていたのだが、ステージにはぼんぼり(しかもオリオンビールのものなど)が配置され、さながら沖縄の夏祭りの舞台のようですらある。
そんな夏が戻ってきたかのようなステージに開演時間の19時を過ぎると、近年のツアーではおなじみの前説担当としての細美武士(ボーカル&ギター)が今回のツアーでも登場。やはり沖縄の夏を意識したというステージの紹介をした後、決して堅苦しくないというか、こちらが構えてしまいそうなこの状況下でのライブの空気を柔らかく解してくれる。
前説時の細美は甚平姿というそれすらも夏でしかない出で立ちをしていたが、前説が終わってステージに現れた戸高賢史(ギター)、スコット・マーフィー(ベース)、一瀬正和(ドラム)の3人も同じく甚平姿と、全員が失われた2020年の夏を、夏が過ぎても謳歌しようとしているように見える。
各々の配置も普段のバンドセットとは異なり、下手のドラムセットから横一列に並ぶというこの編成ならではのもの。なので細美は普段の真ん中という立ち位置ではなくて1番上手側だし、そもそも全員が座っているというスタイル。
それぞれが楽器を手にすると、細美こそアコースティックギターであるが、戸高とスコットは通常と変わらないエレキで、一瀬もスティックこそアコースティック仕様に変えてはいるが、カホンやパーカッションではなく完全なるドラムセット。アコースティックではなくセミアコースティックというツアータイトルの意味がよくわかるものになっているが、1曲目の「Get Up」の洗練と言ってもいいアレンジが、タイトルとは裏腹に誰も立ち上がることがないこのツアー、このライブを象徴していると言える。細美の歌声に重なるスコットのコーラスのキーが低いということもこの編成でのサウンド故によくわかる。
通常のタイトル通りの疾走感とは全く異なるテンポのアレンジであるけれども、やはりどこか身体というよりも心が走り出したくなるような「Run Run」、この日最初の細美の
「スコットが決めるぜー!」
が飛び出した、スコットメインボーカルの「Roxxette」と、冒頭は新作の曲ではなくこれまでもライブの主戦力を担ってきた曲たちだ。
そもそもツアー開催時にも「新作の曲が必ずしも演奏されるわけではありません」という注意書きがあったし、それは細美がこの日
「リリースしたばっかりなのに違うアレンジで演奏されているという意味では不遇なアルバム」
と語っていた通り、リリースされたばかりにもかかわらず曲の形を変えなければいけない状況ということもあるのだろう。
そもそもはMONOEYESは(というか細美は)それぞれが1人1人周りに合わせたり気にしたりすることなく好きなように楽しめということを常に伝えてきたし、それをメンバー自身がステージ上で示してきたバンドだ。
しかし今は全員が声を出さず、椅子に座ってライブを見るということしかできないのだが、それでも拍手をしたり、腕を上げたり、座りながらでも体を左右に揺らしたり、酒を飲んだり、じっと腕組みをしたり…集まった観客たちはみんなそれぞれにこの状況でのライブを楽しんでいる。それが実に「MONOEYESの着席ライブでの客席」という感じが出ていた。
まだ序盤にもかかわらず、細美が
「俺はこのメンバーたちが大好きです!」
と叫んで、一瀬が親指を向かい合うような立ち位置の細美に向けてグッと突き出すと、
細美「この曲のレコーディングを沖縄でやったんだけど、朝からビーチに行くのね。メンバー全員で。で、その後にスタジオに行ってレコーディングして、夜は居酒屋に行ってめちゃくちゃ酒飲んで、ホテルに戻ってすぐに寝て。
翌日起きると二日酔いなんだけど、ビーチに行くんですよ。メンバー全員で。その後にスタジオに行って、夜は居酒屋で結構飲んで、ホテルに着いたらすぐ寝て。
で翌日二日酔いでまたビーチに行くんですよ。メンバー全員で(笑)
って感じでやってたら、これはレコーディング期間中に終わらないんじゃないか?ってさすがに俺でも不安になって。レコーディング終盤に一瀬に
「そろそろビーチ行かないでレコーディングだけに集中した方がいいかな?」
って聞いたら、
「何言ってんだよ、早くビーチに行くぞ」
ってまたメンバー全員でビーチに行って(笑)
だからレコーディングが楽しすぎて、帰りの飛行機の中で窓側に座ってて、離陸するときに泣いちゃったんだけど、隣に座ってる戸高にバレないように窓の外をずっと見ていて(笑)」
戸高「いや、すぐにわかりましたよ(笑)」
とインタビューでもよく語られてきてはいるが、実際に本人の口から聞くとマスクをしていても笑い声が漏れてしまうようなエピソードが語られた後の「Interstate 46」は昨年のツアーで聴いた時とこの編成で聴いた時に最も違和感を感じないというか、なんだかこの編成で演奏されることがわかっていたかのようにスッと入ってくる。何度も聞いたことがあるアレンジであるかのように。それは演奏前のエピソードの光景を我々が脳内で明確に描けることができるからなのかもしれない。ビーチに行く時は一瀬はこんな感じなんだろうな、スコットはああだろうな、戸高はこうだろうな、というように。
細美によるサラッとした「新譜が出ました」という言葉から前述の「リリースされたばかりなのに違うアレンジで演奏されている」と前置きして演奏されたのは新作からの「Fall Out」。配信ライブの際には会場が武道館であるという種明かしをされた時に演奏された曲であるが、ツアーを回ってきたことによってアコースティックのアレンジが決して付け焼き刃的なものや急場凌ぎ的なものではない、曲の持つ勢いという部分ではない洗練っぷりを感じさせてくれる。細美は歌い始める前に何度も大きく息を吸い込んでいたが、そうしないと歌えない曲であるのか、それともレコーディングを含めた曲に対する思い入れの強さゆえか。
演奏後に思わず細美が
「良い曲だな〜」
と口にしたのは、新作のスコット曲である「Castles in the Sand」。もともと自身のやっているALLiSTERが美メロの応酬的なロックバンドであるし(MONOEYESもライブでよくカバーしている)、MONOEYESにおいても数々の名曲を生み出してきている中でさらにそのメロディの磨かれっぷりが強くなってきているというのはやはりこのバンドがもたらすマジックなのかもしれないが、砂の上の城というタイトルはスコットなりの社会へのメタファーか、あるいは沖縄のビーチでの記憶か。
「この曲の歌詞の
「部屋に風が吹き込んできたら」(when the wind starts blowing into the room)
っていうフレーズが好きな人もいるかもしれないけど、これはエジプトに1人旅行に行った時に思い付いた歌詞で。
12時間バスに乗ってエジプトを移動していたんだけど、バスの中がロシアの方ばっかりで。その人たちが俺を挟んでロシア語で話しながらお菓子を食べたりしていて。俺はそこで物凄い孤独感を味わったんだけど、夜中にホテルに着いて、アルミサッシとかじゃなくて木でできたホテルの部屋の窓を開けたら、生温い風が部屋の中に吹き込んできて。俺はその瞬間に生きてるんだなって思った。この話をすると何故だか毎回泣きそうになるんだけど」
という曲のフレーズについてのエピソードが語られた「Two Little Fishes」ではステージ袖からひょっとこのお面を被った浴衣の男が登場。顔は見えなくても身体が明らかにTOSHI-LOWでしかなく、スコットと肩を組んで歌ったかと思いきや、戸高を椅子から立たせてそこに座って歌うという鬼っぷりも遺憾無く発揮。戸高が立ってギターを弾く姿が見れたのでいいことでもあるが、アコースティックであるがゆえにいつにも増してゆったりとした動きを見せるだけにこの曲中は完全にTOSHI-LOWに持っていかれていた。ちなみにメンバーたちはこの日ステージに出てくるのを知らされておらず、細美も
「何であいつひょっとこのお面なんか持ってんの?(笑)」
と予期せぬ乱入っぷりだったようだが、こうしてTOSHI-LOWが出てきたことによって、ライブハウスでライブを見ていて心から楽しいと思うことができる。笑顔になりながらもどこか感極まって涙が出てきてしまうような感覚だった。
「今日は千葉の連れも見に来てくれていて。俺が子供の頃は利根川っていう千葉県が誇る一級河川のところでよく遊んでいた。そんなことを思い出しながら作った曲」
というエピソードの後に演奏された「明日公園で」はいつものスコットがベースを銃のように戸高に向けてぶっ放すというパフォーマンスももちろんないが、疾走感の代わりに夕陽に染まる利根川近郊から歩いて家路に向かうような景色が見える、哀愁を強く感じるアレンジに。それは沖縄でのエピソードを含めて、子供の頃の連れが今はこのバンドのメンバーに代わっているような。
ちなみに細美はこの日のMCでは
「俺はずっと新しいことをやり続けながら最前線を走っていると思っていたんだけど、この間ラジオにこのツアーの名古屋に来たっていう人からメールが来て。仕事や家庭の事情でライブに来れたのが10年くらいぶりだったらしいんだけど、
「変わらない姿でずっといてくれて安心しました」
って書いてあって。いつも最前線を走ってるつもりだったのが、そいつからしたら学生の頃に行ってた定食屋に久しぶりに行ったら
「まだやってる!メニュー変わってない!店主少し老けたけど!」
くらいの感じだったんだろうなと(笑)」
と常に進化・変化してきたようなつもりだったけど、見る人からしたら変わっていないように見えていたという自身について少し驚いていたのだが、その感覚はすごくよくわかる。確かに変わってきている部分もたくさんあるけれど、それでもどこか変わっていない安心感というものを細美の存在からは感じることができる。それは音楽というよりは人間の芯の部分だ。そこは15年以上前に初めてELLEGARDENを見た時から確かに変わっていない。
するとここで前説で予告していた、ハーフタイムへ。泥酔注意と喚起しながら、Zeppの売り子たちが客席に飲み物を売って回る。普段のスタンディングのライブでは絶対にできない試みであるが、その間にも細美は今回のツアーグッズの通販の発送が遅れてしまったことを謝罪する。しかし窓口に寄せられたクレームは0件だったことにここにいる観客と買ってくれた全てのファンへ感謝を告げる。それは細美が自分で車を運転したりしてツアーを回ったりしている姿をファンは見てきているからだ。今回のツアーには着て来れなかったパーカーなどのグッズを次のライブやツアーでは買った人みんなが着て参加できますように。
すると一瀬を皮切りに、全員がボーカルをつないでいく形でBEGINの「恋しくて」を演奏。普段はMONOEYESではソロボーカルを取らない一瀬と戸高が歌う姿を見ることができるというのは実に貴重な機会だ。ROPESなどで歌っている戸高はもちろん、一瀬も意外なくらいに歌が上手い。歌唱力という意味で言えばこの日も細美が圧倒的な力を発揮していたが、多分MONOEYESはやろうと思えば誰もが歌うことができるバンドであるし、いつかそういう曲も生まれる可能性があるかもしれない。
続いての細美のレパートリーとしてはなぜかおなじみになってきている「涙そうそう」もBEGINが作曲した曲であるだけに、これでもかというくらいにわかりやすい沖縄からの影響を感じる。自分は行ったことはないけれど、Hi-STANDARD活動休止後の難波章浩も沖縄で生活したことがあったりと、沖縄に行ってみたくなってしまう。それがMONOEYESのライブで、という機会ならば最高なのだが。
「Interstate 46」のカップリング曲である「Borderland」は今回のツアーでも演奏されるとは全く思っていなかった曲であるが、
「スコットがアメリカの大統領がトランプさんになってから、人と人との分断が進んでいっていることに心を痛めていて。そんな分断や壁なんかぶっ壊せっていう曲」
というスコットメインボーカルの「Borders & Walls」へとタイトルに合わせたかのように繋がっていく。
「明日公園で」は原曲のパンク的なサウンドとはかなりアレンジもテンポも変わっていたが、この「Borders & Walls」はアコースティックバンドのパンクソングというようなアレンジで聴いているこちらも楽しくなってくるし、この曲の持つメッセージに説得力があるのは、MONOEYESのためにアメリカから日本に来て生活しているという分断や壁を壊す人生を選んだスコットだからこそ。そこにはどんな時にどんな人が声をかけても快く一緒に写真を撮ったりしてくれるというスコットの人間性が表れている。
すると最後のMCタイムということで、メンバーそれぞれから一言。まず一瀬は
「こういう来るのが正解なのか、行かないのが正解なのかわからない中で今日来てくれた人、このツアーに来てくれた人には本当に感謝しかないです」
と観客がその一言で救われるような、こちら側の心境が本当に良くわかっているような言葉を。
スコットは
「アメリカでは日本の今までの感染者数と同じくらいの人が1日だけで感染していて。アメリカにはいい年齢の両親もいるし、暗くなるようなことばかりだったんだけど、こうしてツアーをやれたことで明るい気持ちになれた。本当にありがとう」
と、3人や我々が持つ不安や心細さとはまた違うものを持っていることを明かし、その言葉の後に誰よりも先に細美が拍手をしていた。こうして俺たちとツアーを回ってくれてありがとうと感謝をするかのように。
普段は口数の少ない戸高は
「俺は気持ちで行動できる人が好きで。だからこのメンバーのことを心から尊敬している」
と言っていたが、我々からしたら貴方も気持ちで行動できている人なんだと。3人と同じようにそうした行動ができる人だから、こうしてバンドとしてステージで演奏しているのを見ることができている。だから3人と同じくらいに戸高のことも尊敬している。
そして細美は
「もうこれははっきり言う。俺はお前たちのことが大好きだ。こうして見に来てくれるお前たちが」
と本当にはっきりとストレートに観客への想いを口にした。昔はずっと「お前らがどうなろうがどうでもいい」やら「ブサイクども」と言っていた細美のあまりにストレート過ぎるファンへの想い。それはこの状況になったからこそ自身が感じることができたものなのかもしれないが、その「お前ら」の中に確かに自分がいることができているということを思うだけで、涙を禁じ得なかった。
そんな言葉の後に演奏された新作からの「Iridescent Light」はZeppの天井からぶら下がるミラーボールが輝く中、始まりが4人によるまさかのアカペラ。細美も
「コーラスグループ」
と自ら評していたが、そのアカペラに合わせてのものなのか、サウンドもBackstreet Boysを彷彿とさせるようなもので、何周も回って斬新に感じる。歌っている人たちが歌っている人たちであるゆえに。
すると細美は
「もしかしたら春になっても今まで通りのライブはできないかもしれない。来年の秋にもどうなるかわからない」
と口にすると、続けてニューヨークに住む矢野顕子(細美はボーカルとしてコラボしたことがある)からメールが来たというエピソードを語り始める。
「ニューヨークでは水害が酷くて、腰まで水に浸かるくらいになったんだって。そしたら矢野さんが、
「細美さん、その状態で外を歩いてる人がみんな開いてるバーを探してるのよ(笑)店の中はロウソクつけて営業していて(笑)
私衝撃だった(笑)人間どんな状況でも楽しみを見つけることができるんだなって」
って教えてくれて。
人間どんな状況でも楽しみを見つけることができる。俺たちもどんな状況になったとしてもライブをやる。戦争になったとしても」
とMONOEYESの止まらない宣言にはこの日最大級の拍手が送られると、
「四月の雨なら
寒くはないよね
今ならまだ追いつけるはずさ
きっと」
という「リザードマン」のフレーズが原曲の力強さを与えるというよりも温かさや慈しみで観客を包み、ラストはコーラス部分を歌うことができないながらも、確かに大合唱が起こっているような気がした「My Instant Song」。この曲をまたライブハウスでみんなで汗にまみれながら笑顔で大合唱できる日はいつになるんだろうか。それがどれだけ幸せなことだったのか気付くのはいつだって、それがなくなってしまってからだ。
「日本全国酒飲み音頭」が流れる中でアンコールを待つ手拍子が鳴ると、本編と同じ姿のメンバーとともに、やはりひょっとこのお面を被ったままのTOSHI-LOWがそのままステージを横切っていくだけという姿に客席はついつい笑ってしまう。細美はTOSHI-LOWに喋ることを促したが、本人が断ったらしい。
すると新作の最後を飾る曲である「彼は誰の夢」をボーカルのキーを原曲よりも落としたアレンジで演奏するのだが、
「僕らが過ごした
当たり前の日々も
遠くなるけど
きっと
蜃気楼みたいに
朝焼けに染まって
笑ってるのさ」
というサビのフレーズは、
「MONOEYESのこのツアーの最後の曲!」
として演奏された「グラニート」の
「そういう世界があるなら
行ってみたいと思った
ここは風が吹いていて
いつか明日が終わるなら
今日はともにすごそう
外は白い朝だ」
という歌詞と重なる。それは今まで我々が当たり前のように見てきたライブがどれだけ楽しくて素晴らしい日々だったかということに想いを馳せざるを得ないこと。
「僕らが過ごした当たり前の日々」はこの状況によって「そういう世界があるなら行ってみたいと思った」という世界になってしまった。それがいつ戻ってくるのかはまだわからないが、
「どんな状況でもライブをやる」
と言ってくれるバンドがいることは、この世界を生きる我々にとっての何よりも強くて確かな希望の灯火だ。ずっとステージ袖で腕をあげたり、エアギターをしたり、最後にはバンドのキメのジャンプに合わせてフルスイングするというMONOEYES愛に溢れたTOSHI-LOWの存在も含めて。
演奏が終わると東北ライブハウス大作戦でおなじみの石井麻木による写真撮影。やや不安定な脚立を支えるためにTOSHI-LOWがステージに走ってくるという姿も含めて、ライブハウスはたくさんの人が笑顔になれる場所であるということを証明するような一夜だった。
なんでこんなに楽しくて、それなのにこんなに泣けるんだろう。それはやはりメンバーが持つ人間としての力の強さだ。この状況の中で不要不急であるとも言われることもあった音楽が何よりも今を生き延びるための大切な力をくれる。それは誰が鳴らしているのかによって大きく変わる。ELLEGARDENもthe HIATUSも大好きなバンドだけれど、MONOEYESはツアーを見る度に好きになる度が本当に大きい。それは音楽も、メンバーのことも。
1.Get Up
2.Run Run
3.Roxxette
4.Interstate 46
5.Fall Out
6.Castles in the Sand
7.Two Little Fishes
8.明日公園で
ハーフタイム
9.恋しくて
10.涙そうそう
11.Borderland
12.Borders & Walls
13.Iridescent Light
14.リザードマン
15.My Instant Song
encore
16.彼は誰の夢
17.グラニート
文 ソノダマン