年末からの感染拡大によって年末のフェスから年明けに行くはずだったライブは軒並み中止や延期、配信での開催に。
したがってこの日が2021年の初ライブになるのだが、自分が住んでいる千葉県にも、新木場STUDIO COASTのある東京都にも緊急事態宣言が発令されている中であってもこうしてライブハウスにライブを観に来るのは、それがSyrup16gという、2008年に一度解散してから復活し、さらに2018年には「一休み」という活動休止もしている「ライブをやってくれる時に行っておかないと次に見れるのが何年後になるのか全くわからないバンド」だからである。
COASTはまずは外で接触確認アプリ「COCOA」のインストールの確認、入場時に検温という対策に加え、スタンディングでありながらも番号によって立ち位置が決められているという指定席。COASTの隠れ見やすいポイントでもある階段部分にも番号が振られているのは面白いが、本来ならその活動の神出鬼没さによるライブの希少価値からCOASTが2daysでも即完するバンドであるにもかかわらず、客席には立ち位置が決まっている以上に隙間が目立つ。
それは20時までにライブが終わるように、平日でありながらも18時に開演時間を変更したことによる払い戻しを受け付けた影響も大きかったのかもしれない。
18時になると場内が暗転して五十嵐隆(ボーカル&ギター)、中畑大樹(ドラム)、キタダマキ(ベース)の3人が真っ暗なステージに登場。中畑の髪色はずっと変わらぬ鮮やかな金色であるけれど、基本的には全員黒い服を着ているだけにより一層ステージが暗く見える。
そんな中で五十嵐がギターの歪んだ音を鳴らしながら歌い始めたのは「もったいない」。かつて「日本三大鬱ロックバンド」の一角とも言われていたバンドらしい、ネガティブな五十嵐の人間性をそのまま曝け出すような歌詞。それは家で1人でギターを鳴らしながら自身の思いを音に乗せて歌っている、その音をリズムの2人が支えていて、その様子を我々が眺めているかのような。
全くそんなつもりはないだろうけれど、この曲が1曲目に演奏されることで、このライブをキャパを減らした客席も含めたこの状況でやらざるを得ないことに「もったいない」と言っているような。
うっすらとステージに光が射すと、キタダマキは黒いマスクを装着して演奏しているというのがわかるのだが、もう世に放たれてから20年近くも経つというのにその曲のサウンドに宿る瑞々しさと勢い、歌詞に宿る生々しさが全く変わらない「手首」から中畑のドラムが強さと速さを増しても、観客は基本的には棒立ち(人によっては少し体を揺らしながら)のままでバンドが演奏している姿を集中力高く見つめているというスタンス。
それはずっと昔から変わることのない、Syrup16gのライブの景色であるが、昨年観たGRAPEVINEのライブがそうだったように、コロナ禍であるということを忘れてしまうくらいに変わらない。キャパを減らした客席や、たまに発生していたメンバーへの歓声がない以外は。
広い新木場のステージであっても、基本的にSyrup16gのライブはスクリーンなどの演出がないという非常にシンプルかつストイックなものであるが、それだけに照明の光が飛び散りながら輝くのがメンバーの姿をより鮮やかに見せる「末期症状」は
「すぐに慣れちゃってもうピンとこない
もうくだらねぇ つまらねぇ
わかんねぇよ」
という歌詞も含めて今のこの国の状況を言い当てているかのようですらある。この五十嵐の言語感覚の鋭さは常に人生の真理を突いてきたからこそ、部屋の中で1人でこのバンドの音楽を聴いてきたような人にとっては今も消えることなく突き刺さってきたわけだが、それは今も、というよりも今この状況のために書かれた曲であるかのようにさらに説得力が強くなっている。全く意図してないだろうけれど、まるで今の世の中にこの言葉を響かせるためにバンドが帰ってきたかのような。
曲後半のタイトルフレーズのリフレインが繰り返されるたびに込めた感情が強くなっていき、それとともに五十嵐は歌うのがキツくなっているような感がしてくる「Good-bye myself」もSyrupのライブならではであるが、それを演奏し終わった後のMCでは中畑がマイクを自分の近くに寄せて、
「本当に、いろんなことを乗り越えてきてくれてありがとうございます」
と、なかなか「ライブハウスに行く」と堂々と会社や家庭に言えないような状況の中で来てくれた観客に感謝を告げながら、
中畑「この会場は昨日からUSEN STUDIO COASTと名前が変わっていて。我々が柿落としです」(Syrupは前日もここでワンマンを行っており、この日は2daysの2日目)
五十嵐「俺たちが最初って大丈夫かな?不吉だよね(笑)」
中畑「COASTの皆さんに迷惑がかからないように(笑)
今日は家に帰るまでどうかみなさんご無事で」
五十嵐「悪いウイルスにかかるかもね。シロップっていう(笑)」
と、やはり2daysの2日目だからかどこかリラックスしているようにも見えるし、中畑はドラムセットをボードの上に組んでいるのではなく、床に直で置いている。シンプルなドラムセットゆえに他の2人と変わらぬ目線でドラムを叩くという形になっている。
隙間を感じさせるシンプルかつ穏やかな演奏とサウンドの「Mouth to Mouse」で夢の国に誘いながら、
「永遠だってそう 終わりがあるって君は言う
運命だってそう 変わってしまうと君は言う」
という「You Say ‘No’」は現実に無理矢理引き戻されてしまうかのような。その歌詞はまさにそのとおりのバンド人生を歩んできた今のSyrupだからこそ、過去最高に強く響いてくる。
「30代いくまで生きてんのか俺
体ダルくて逆に眠くないね
バイトの面接で「君は暗いのか?」って
精一杯明るくしてるつもりですが」
という歌詞が五十嵐隆という男をこれ以上ないくらいに示していながら、30代どころか40代を超えてもそのイメージは今も全く変わらない「I’m 劣性」というタイトルそのままに、五十嵐は歌が決して上手いタイプのボーカリストではない。
でもかつて同世代として並び評されたART-SCHOOLの木下理樹もまたそうであるように、Syrup16gの曲はどんなに歌が上手い人が歌っても五十嵐以上に説得力を感じさせることはできない、むしろ薄っぺらく感じてしまうものになってしまうだろう。
それくらいにこの曲たちやこの歌詞たちは五十嵐が歌わなければいけないものでしかない。その五十嵐の声で歌われるこの曲たちやこの歌詞たちに、どうしたって権威や権力を持ったり、スポットライトに照らし続けられるような人生を送れない人たちは「自分のための音楽」として感情移入してしまうし、どんなに長い年月ライブをやらないどころか活動しないような期間があっても、このバンドの音楽から離れたり逃れたりすることができないのだ。
とはいえ決して歌は上手くないし、それが向上することもないけれど、かと言って歳を重ねて極端に声が出なくなったりキーが低くなったりすることもなければ、見た目もほとんど変わらないように見えるというのはむしろ驚異的なことだと言っていいんじゃないだろうか。
「疑わないぜどうせ
破滅なんて思考外
悲しいくらいに
満たされたこの世界は
終っていくのに
そんなに そうやって
自由なんて欲しがって
恋しいくらいに
満たされたこの世界で」
という歌詞がこの状況になってしまう前の世界を恋しくさせる「夢」はこうしたフレーズがあってこその選曲かもしれないが、まさかこうして今回のライブで聴けるとは思ってもいなかった曲である。
「青春は先週で終わった」
という衝撃的な歌い出しのフレーズによる「ハピネス」から、
「諦めない僕に Thank you を
諦めの悪い 青春を
諦めない僕に Thank you を
諦めの悪い 青春を迷う 毎夜」
という歌詞の「Thank you」はどこか繋がっているような感覚になるとともに、ダークかつ孤独なだけではないこのバンドが持つポップな一面を照明の光とともに照らし出していく。
そしてじっくりとバンドの世界と五十嵐の歌に浸らせるような、1日の終わりに目を閉じる瞬間を描くような「Your eyes closed」を演奏すると、まさかのこれで本編終わりという目の覚まされ方。終わるのが早いとは思っていたけれど、まさかこんなに早いとはという。
しかしながらさすがにアンコールで再びメンバーが登場すると、五十嵐は「路頭」という文字が書かれたバンドのグッズTシャツを着て登場し、一応アルバムとしては最新作であるが、内容はかつての未発表曲をまとめたものである「delaidback」の1曲目である「光のような」の開かれたメロディを照らし出すかのような金色の光がステージに広がる。
さらにはイントロのリズム隊の演奏からこの日ここまでで最も手拍子が起こり、五十嵐のシャウトに合わせて観客が腕を上げたのは「神のカルマ」。サビでは多くの観客が腕を上げていたのだが、その様子を見ていたら、Syrupの曲を聴くのは今でも日常だけれども、こうしてSyrupのライブに来るというのは非日常のことであるだけに、解放されたいのだろうと思った。どんなに暗い音楽だとしても、こうしてここまで生き延びて会うことができた喜びや嬉しさを分かち合いたい。そんなような感じがした。
「最新ビデオの棚の前で
2時間以上も立ちつくして
何も借りれない」
という自分が大好きなこの曲のフレーズもきっと今となっては歌詞の意味がわからない人もたくさんいるかもしれない。ビデオはもちろん、レンタルという文化すらもはや消えかかってきているだけに。
でもこの曲の持つ魅力や美しさ、我々がこの曲に重ねてきた思い出のようなものは色褪せることは決してない。
そして五十嵐が鳴らすイントロのギターのフレーズにまたしてもたくさんの腕が上がるのはバンドの代表曲である「生活」であるが、
「誰が何言ったって気にすんな 心なんて一生不安だ」
という歌詞はこの状況でライブをやることに決めたバンドも、こうして見に来ることを選んだ観客も抱いている思いなんじゃないかと思うし、
「こんな世界になっちまって
君の声さえもう
思い出せないや」
というフレーズの持つ、こうした世界になるのを予期していたんじゃないかというようなシンクロっぷり。でもこんな世界になっちまっても、五十嵐の歌う声だけは、ずっと思い出せるのだ。曲後半にどんどん歌うのがキツくなっていくような様も含めて。
その「生活」のアウトロでの中畑のドラムの連打がさらに強さを増していくと、叩きながら叫んでイントロへと繋がっていくセッションを挟んで演奏されたのは「落堕」。
「明日また熱出そう
熱出そう
寝不足だっていってんの」
というフレーズはなかなかご時世的にはシャレにならないような感じもあるが、真っ赤な照明に照らされながら激しい演奏を繰り広げるバンドの姿は、何年かに一回しかツアーをやらないようなバンドとは思えないくらいの現役感に満ち溢れていた。
演奏が終わったキタダマキと中畑が先にステージを去ると、1人残った五十嵐が自身のギターの裏側を観客に見せながら、
「これ、27歳くらいの時に買ったんだけど、これがBUMP OF CHICKENのフジ君のシール。こっちは前のベースの佐藤君が描いてくれたやつ。また引っ張り出してきたんで、これからも可愛がってください!」
と、思い出と思い入れが詰まったギターを紹介する。その言葉を聞いて、それぞれいろいろあった、Syrup16gとBUMP OF CHICKENとBURGER NUDSというかつて一緒にライブをやっていた3組のバンドが今もみんなバンドを続けていることを思い出して、なんだか嬉しくなった。今いる場所はみんなバラバラだけれど、あの頃があったから今もこうしてバンドを続けているはずだ。
しかしそれでもなおアンコールを求める拍手は止まない。ここにいる人たちは知っているのだ。バンドがいつ急に終わるかもしれない儚いものであるからこそ、こうしてどんな状況であれど、会える時に会っておかないといけないことも、諦めないでいればいつか必ず戻ってくるということも。
そんな観客の願いであり祈りが通じたかのようにメンバーが再び登場すると、キタダマキも「路頭」Tシャツに着替えており、五十嵐は運動不足な自身に反省しながらも、来月のこの場所(かつてバンド解散後に五十嵐が弾き語りで出演し、周りの若手バンドの楽しそうな姿に触発されて再結成を決めたというUKFCが毎年開催されている会場でもある)での再会を願いながら演奏されたのは「翌日」。
「あきらめない方が 奇跡にもっと近づく様に」
光に照らされながら歌われたそのフレーズは、この状況から元に戻る、ライブでかつてのような景色を見れるようになるという奇跡をあきらめないかのようであり、かつて「絶望の中にある微かな希望を歌うバンド」と評されていたSyrup16gというバンドは、今この状況の世の中における音楽という存在そのものじゃないか。
みんなで一緒に盛り上がったり、元気をもらえるようなバンドじゃない。そもそも五十嵐は今でもどうやって生活しているんだろうかと思う。それでもライブを見た後には確かな翌日を生きる力が自分の中に湧いているのがわかる。それはこの状況下だからこそ今までよりも一層強く。
明日に変わる意味を、Syrup16gというバンドとその音楽を愛する人たちは心からよくわかっているのだ。
1.もったいない
2.手首
3.末期症状
4.Good-bye myself
5.Mouth to Mouse
6.You Say ‘No’
7.哀しき Shoegaze
8.I’m 劣性
9.夢
10.ハピネス
11.Thank you
12.Your eyes closed
encore
13.光のような
14.神のカルマ
15.生活
16.落堕
encore2
17.翌日
文 ソノダマン