ちょうど1年前にSUPER BEAVERはバンド初となる代々木体育館でのワンマンライブを行った。リーダーの上杉研太(ベース)は学生時代からゆかりのあるその会場でライブができたこと、そのライブが間違いなく素晴らしいものだったからこそ、
「今日は絶対酒が美味いから乾杯してから帰れよ!」
と去り際に叫んでいた。
あの日に開催がアナウンスされたツアーも中止になることも、ライブ後に乾杯して帰ることができなくなるということも、その時は全く想像していなかった。
そのライブ後は配信ライブやメンバーの家飲みなどの様々な企画で我々を楽しませてくれながらも、日比谷野音では有観客でのライブを開催もした。
そしてバンド15周年イヤー(まだ若いイメージがあるが、10代でデビューしているだけにバンド歴は長い)となっている1年。緊急事態宣言が発令されている中であっても、都内最大級のキャパのライブハウスである豊洲PITでのワンマンを開催に踏み切った。
満足にライブをすることができなかった昨年の失われた時間を取り戻すように今月は毎週豊洲PITでのワンマンが決まっているが、この日はその初日。当然ながら新たな1年の始まりを告げる日のライブとなる。
豊洲PIT入場前には追跡のための個人情報入力、アルコール消毒と検温をしてからの入場、接触や密を避けるためにドリンク引き換えはなしという対策っぷり。
客席の中に入ると、体育館のような広さの豊洲PITの中には椅子が並べられているが、通路が広く設けられていて、単なる椅子ありのライブ以上にキャパは減っているという印象。
開演時間の19時になると、SEもなしにステージに現れたのは柳沢亮太(ギター)、上杉、藤原”32才”広明(ドラム)の3人。ドラムセットの前に集まって3人が拳を合わせて気合いを入れるのだが、SEがなかったのはこの日のライブが無料配信されていたからであろう。
3人が音を鳴らすと渋谷龍太(ボーカル)もステージに登場。おなじみの派手なシャツに長い金髪を靡かせ、マイクスタンドに手をかけて歌い始めたのは昨年のライブができなかった時期にリリースされたシングル曲「ハイライト」。
音があんまり良くない豊洲PITとは思えないくらいに爆音のギターロックサウンドがハッキリと、しっかりと耳に届いてくるのだが、それはビーバーのバンドサウンドがギター、ベース、ドラムのみというシンプルなものであるというのも要因の一つになっていると思われる。
渋谷はマイクスタンドごとステージ左右に動いたり、柳沢もギターを弾きながら渋谷と位置を入れ替わるように動いたり。
「圧倒的な感動を 圧倒的な感情を」
という歌詞のとおりに、こうしてバンドが目の前で音楽を鳴らしている姿を見れることによって感じることができる、感動や感情。それはただ日常を生きているだけでは絶対に得ることができないもの。だからこんな状況でもこうやってライブハウスに来るのだ。心が震えて感情が溢れてくる、そんな人生におけるハイライトのような瞬間を体感することができるから。
「いつだって、いつだって、始まりは青い春」
と言って演奏された「青い春」ではワルツ的なリズムに合わせて、歓声を上げることができない観客が少しでもバンドへの感謝を示すように、頭の上まで腕を高くあげて手拍子をする。こうしてしか伝えることはできないけれど、渋谷も柳沢もあらゆる方向の観客一人一人(時には配信用のカメラも)を指差しながら歌い、演奏する。ビーバーは常に「あなたたち」ではなく「あなた」一人一人と対峙してきたバンドであるが、こうした姿を見ているとそれは心からの本心なんだろうなと思う。もしかしたらメンバーと会話したことがなくても、よくライブに来ている人の顔をメンバーはしっかり覚えているかもしれない、と思うほどに。
「久しぶり過ぎて、ステージに出てきた時にグッと来ちゃった。危ない!と思うくらいに(笑)」
と言うくらいに渋谷はこうして観客の前に久しぶりに立てていることの感慨を語る。数え切れないくらいに年中ライブをやってきたバンドだけれど、どれもが「ただの1本」ではなくて「その日だけの特別なライブ」だと思ってやってきたからこそ、そうして感極まる部分もあるのだろうし、それはビーバーのライブを見てきて確かに感じることができていたことでもある。
イントロで渋谷が歌い始めると、メンバーに合わせて再び観客が頭の上で手を叩く「美しい日」は曲が持つ意味合いがこの1年間でだいぶ変わった。去年までのビーバーのライブで聴いていたこの曲は紛れもなくその日が「美しい日」であると感じられるものであったが、本当ならば来たくても来ることができなかった人たち(チケット取れないくらいの即完ではあっても、空席もそれなりに見受けられた)のことを考えると、100%そうとも言うことができない状況であるというか。
それでも、
「もしかして幸せは 訪れるものでも 待っているものでもなくて
今ここにあることに 気がつくものなんじゃないかな
誰かにとって「たかがそれくらい」の ありふれた歓びでも
嬉しいと思えたら 特別じゃない今日はもうきっと
美しい 美しい日なんだよなあ
特別は そうだ 普遍的な形をした 幸せだ」
というサビを全フレーズ掲載したくなるくらいに、どんな選択をしたとしてもそれぞれにとってそれが正解であり、「美しい日」を作っていくためのものなんだよな、と思う。
そうしてこうした状況だからこそ、曲や歌詞が持つ意味が変わってしまうというのはこの状況になってしまったからこそであるが、ビーバーは誰でもわかるような言葉で人生の真理を歌ってきたバンドだからこそ、観客が声を出せないのをわかっていても、髪の一部を赤く染めた上杉が「オイ!オイ!」とこれまでと全く変わらないように煽りながらの、
「あっという間に終わってしまうよ
10代なんて20代だって
あっという間に終わってしまうよ
10年なんて20年だって」
という「閃光」の歌詞はそれぞれ違う人生を歩んできた、違う価値観を持つ観客に同じように突き刺さっていく。
それはそのままこうしてこの状況下であっても観客を入れてライブをやることを選んだバンドの姿勢そのものを歌っているかのようであるが、ビーバーは15年間の中で本人たちが目まぐるしくて覚えていないくらいの挫折を味わってきたバンドだ。まだ30歳そこそこの人間が言う歌詞なのか、と思う人もいるだろうけれど、そうした経験をしたバンドが歌うからこそ、そこに重みがある。きっと15年間もあっという間に終わってしまったんだろうなと。だからこそ、
「あっという間に終わってしまうよ
一生なんて 一瞬だって」
ということも歌えるし、そこには確かな説得力がある。今は今しかないから、それならば今自分がするべきことは何か。したいことは何か。それはこうしてステージに立つことを選んだバンドの選択と存在を肯定するということ。その姿や覚悟をこの目と耳と心に焼き付けること。あっという間に終わってしまうからこそ、強い意志と集中力を持って。
「久しぶりの曲をやります。…ってどの曲も久しぶりなんだけど(笑)」
と、やはり毎日のようにどこかでライブをしてきたバンドは数ヶ月も空くとどんな曲でも久しぶりに感じるものなんだな、と思うとともに、それはここまでのライブではおなじみの曲たちですらも確かに「久しぶりにライブで聴いた」と思うだけにバンドだけがそう思っているわけではないということであるが、2012年リリースのアルバム「未来の始めかた」収録の「your song」を披露するとなれば確かに久しぶり極まりないことであろう。
攻撃的なサウンドで爆音を響かせてきた前半であるが、この曲では楽器を演奏する3人全員が渋谷の歌に寄り添うように音を鳴らす。ギターだけではなくて、リズムも含めて。そうした曲の作り方、バンドアンサンブルのバランスというのはメンバー全員が曲の奥底までしっかりと理解しているからこそ導き出せる最適解なのだろう。
「楽しく、楽しくなりましょう。せっかく色々なものを乗り越えてきてくれたんですから。
でも悪いことしようとかは思ってない。規則の中でできる限りの楽しいことを」
と、見ているこちら側も改めてライブに向き合う姿勢を正されるような言葉を渋谷が放った後に演奏されたのは、
「正々堂々「今」と今向き合って 堪能するよ現実 酸いも甘いも全部
威風堂々 正面突破がしたいな 面白そうだ 歓べそうだよな
今をやめない 味わい尽くして 笑おう 笑ってやろうぜ」
とあくまで真っ直ぐにこの状況と、この状況だからこそのライブに向き合うことを宣言するような「突破口」。
昨年10月にリリースされたばかりの最新シングル曲であるが、だからこそこの曲は今のバンドの最新の意思そのものであると言える。ビーバーがどうやってこの状況とこの世の中を乗り越えていくか。その答えは曲の中、音楽の中に込められている。
そうしてこの状況だからこそ響くのは、リズミカルなビートに合わせてメンバーも観客もその場で飛び跳ねるというルールの中で最大限に楽しみ方を享受する
「予感のする方へ 心が夢中になる方へ
正解なんて あって無いようなものさ 人生は自由
今 予感のする方へ 会いたい自分がいる方へ
他人の目なんて あって無いようなものさ 感性は自由
名も無き感動に 感情に 想うがままの名前をつけていこう」
というサビの「予感」もそう。ビーバーが他人の目を気にするようなバンドだったらこの時期に有観客でライブをやったりはしないだろう。そこに惑わされない、あくまで自分たちで考えて、自分たちで決める。それは流されるがままに活動していて潰れてしまった経験を持つバンドだからこそのこれから生きていくためのスタンスであるが、そうして自分たちで決めたことだから後悔することもないし、それはそのままバンドのブレない強さになる。だからこの曲を聴いていると、これからも楽しい予感のする方へ足を進めていきたいと思う。会いたい自分は紛れもなくライブハウスで感情を解放されている自分だから。
「突破口」とともに最新シングルに収録された「自慢になりたい」はバンドがそう歌うまでもなく、ビーバーの存在がこうしてライブを見ている人にとっては自慢になっていると思わざるを得ない曲。それはビーバーが我々一人一人と向き合った上で我々一人一人のことを必ず肯定してくれるバンドだからだ。そんなバンドと出会えたこと、そんなバンドが今自分1人のために歌い、演奏している、それがここにいる一人一人のために向けられている。自分が何をしたわけでもない。ただバンドがライブをするのを見に来ただけだ。それでも確かにそのバンドの存在と、ここにいることを誇りに思える。それはビーバーのライブだからこそ感じることができる感覚だ。
するとここで無料配信は終了。基本的にビーバーは無料配信は10曲に満たない曲数で終わることが多いのだが、現場はさすがにそれでは終わらない。アンコールと言うには早すぎるけれど、現場にいる人だけに向けて演奏されたのはこんな状況であっても明日への希望を感じざるを得ない「歓びの明日へ」。柳沢と上杉は場所を入れ替わりながらハイタッチを交わし、間奏部分でステージ中央のお立ち台に立ってギターソロを決める柳沢のことを渋谷は
「我らがギターヒーロー!」
と評して送り出した。その言葉に応えるように身を捩らせながらギターを弾き倒す柳沢。そこにはこの瞬間を預けることができる3人の柳沢への信頼を感じさせた。
ビーバーならではの、渋谷のボーカルに3人のコーラスが重なるからこそよりメロディの美しさが際立つフレーズ満載の「嬉しい涙」ではマイクスタンドごと持ってステージ左右へ移動しながら歌う渋谷が明らかに敢えて歌わないという形でボーカルが抜ける。自身のコーラスのみになったのを不思議そうに思って歌いながらチラッと横を見る柳沢。おそらく渋谷は歌詞を忘れたり飛んだりしたのではなく、感極まって歌えなかったのであろう。そんな姿を見て我々も嬉しい涙を流しそうになってしまう。もしかしたら観客が全然いないかもしれないという状況も覚悟していたであろうだけに、マスクをしながらであっても観客が笑顔になっていること。その景色が渋谷を歌えなくさせたんじゃないだろうか。
その渋谷が
「自分たちの曲に自分が救われた。でもだからと言って、俺たちが救われたからあなたも救われるだろうなんて思っていない」
と言って演奏されたのは、10年以上前の2010年リリースのセルフタイトルアルバムに収録されていたのを、10年後の昨年に再録した「まわる、まわる」。
「大きな宿命を 背負って押しつぶされそうになって
僕は僕の 僕だけの明日を探してる
悲しい顔をしないで 君は君の 僕は僕の命を
生きて生きて 生き抜いて その日を迎える」
というビーバーが今や大きなものを背負うバンドになったからこそ説得力を感じさせる歌詞があってこそ渋谷はこの曲に救われたのだろうけれど、その感覚はありふれたこと、青臭いと言われるようなことを今でも歌っているこのバンドが伝えたいこと、歌ってきたことが10年以上前から全く変わっていないということ。ただ、その届け方が変わった。だから当時はほとんど誰にも知られることのなかった曲が、今はたくさんの人に響くものになっている。
そのメッセージに浸らせるような「まわる、まわる」が終わるや否や、渋谷はおなじみの落語家のような口上を述べ始め、柳沢、上杉、藤原はドラムの前に集まってラウドバンドと言ってもいい(実際にそうしたバンドとの対バンも多い)くらいの轟音を鳴らし始める。
そんなライブならではのアレンジを経て演奏されたのは「秘密」。今までは渋谷が歌い始める前にコール&レスポンスとして、コーラス部分を全員で大合唱していた曲。しかしながら今は観客はそれを歌うことができないだけに、バンド側もそれをやるのだろうか?と思っていたら、今までと同じようにコール&レスポンスを展開した。
響くのは全力で歌うメンバーの声だけ。観客は腕を上げたりしてそのメンバーの声に応える。今まで一人一人が重なり合って、それが1万人を超える人の合唱になってきたのを見てきただけに、やはり寂しい感じは拭い切れない。でもその、これまでに聴いてきた合唱が脳内には再生されていた。またこの曲を一人一人が思いっきり歌って、それが美しい合唱になるのを聴けるように。その日を絶対に諦めるようなことはできない。あえてレスポンスができないコール&レスポンスは、その思いをより強く抱かせてくれるものになった。
渋谷もその観客の、声には出さないけれど、心で歌っている姿、体で示す姿を見て、
「しっかりと伝わりました!」
といつものように、いや、いつも以上にその光景を胸に刻んでいるようだった。
自分は決してライブで歌いたいというか、大声で歌うようなタイプの楽しみ方をするわけではないけれど、一つ秘密があるとすれば、それはこの曲のコーラスを大声で歌い、それがほかの一人一人の声に重なっていくのがたまらなく好きだということ。その秘密が、ちゃんと叶うように。
そして渋谷は
「本邦初公開の…」
と口にしたために、客席から大きな拍手が起こる。
「まだ何にも言ってないのに!あれですか?新曲でもやれば満足してくれるんですか?柳沢のつま先でも見せてあげようと思ったのに(笑)」
と嘯きながら、
「こうして見に来てくれるあなたに1番最初に聴いて欲しいと思ってました」
と「現場至上主義」を掲げて活動してきたバンドだからこそ、すでにティザー映像こそ公開されているものの、フルで演奏されるのは初めてとなるのが、来月リリースのニューアルバムのタイトル曲「アイラヴユー」。
「アイラヴユーを伝えたい」
と、変化球を習得するのではなく、ひたすらストレートに磨きをかけるという姿勢すらもブレることのないストレートさは、こうして目の前で実際に思いを伝えることができなくなってしまった今の世の中だからこそ、ただの綺麗事ではなくて「今を生きる我々へのバンドからのメッセージ」として突き刺さる。
観に来ることができない人も、来ることを断念した人もいる。そんな中で有観客ライブをやる。それはやると決めたバンド側も言われることもあるだろうし、実際に観に行った側も言われることもある。そんな状況であっても、言われるような覚悟を持って見に来てくれた人へのバンドからのメッセージ。ビーバーは常に普遍的な、時代が変わっても決して変わることがない言葉を音に乗せてきたバンドだが、そんなバンドが普遍性を持ちながらも今を貫くような曲を生み出した。2月3日にメジャー復帰第一弾アルバムとしてリリースされる「アイラヴユー」はバンドの記念碑的な作品になるのかもしれない。
柳沢がいつものように[NOiD]のレーベルタオルを誇らしげに掲げながらステージを去ると、ステージの前に巨大なスクリーンが出現。
「重大発表」
としてそこに映し出されたのは、原点に帰るという意味を込めた東名阪ツアーの内容だったが、「自主制作のパンクバンドのツアーなのか」と思うくらいに、絶対にチケットが取れないであろう会場。(東京は渋谷cyclone)
しかしこの日にこれを発表したということは、今月の豊洲PITの3本のライブで順番にライブ予定を発表すると思われる。個人的な予想としては、来週に全国ツアー、再来週にアリーナという感じの。さすがに東名阪この会場だけというのは今のビーバーの規模からしたら考えられないだけに。
1年前の代々木体育館で渋谷は
「我々の音楽は空腹を満たすことはできない」
と言っていた。予期していたわけではないだろうけれど、その数ヶ月後には音楽をはじめとするエンタメは不要不急のものとして、まるで悪いことであるかのようにメディアに扱われるようになってしまった。
あれから1年。さらに状況は悪くなってしまった。再びライブは次々に延期や中止になってしまった。そんな中でツアーを中止にしたビーバーはなぜ今回はこの状況でもライブをやることを選んだのだろうか。
それは先程の通りにビーバーが「現場至上主義」を掲げた、ライブハウスで生きてきた、これからもライブハウスで生きていくバンドであり、自分たちの生きていく場所をこれからも守っていくという意志に他ならない。
ビーバーはメジャーデビューしてインディーズになり、そしてまたメジャーに復帰した。ビーバーはよく「チーム」という言葉をインタビューで使っているが、今のメジャーのチームの中にはかつてのメジャー時代に関わっていた人もいるし、インディーズ時代からずっと関わり続けている人もいる。バンドが動くことによって、そのチームの人たちに仕事ややることができる。それはライブの照明や音響、カメラマンに至るまで様々な形でビーバーの活動をともに作っている人々だ。
そんな自分たちと一緒に生きてきた人たちと、これからもどんな状況であってもその時の最善を見つけて、自分たちが生きてきた場所で共に生きていく。その場所が素晴らしい場所であるということを自分たちの力で証明していく。
愚直なまでにロックバンドとして生きる人間たちによるチーム、それがSUPER BEAVERである。その姿を見ていたら、今を生きているロックバンドたちよ、絶対この状況に負けてくれるなよ、と思った。
1.ハイライト
2.青い春
3.美しい日
4.閃光
5.your song
6.突破口
7.予感
8.自慢になりたい
9.歓びの明日に
10.嬉しい涙
11.まわる、まわる
12.秘密
13.アイラヴユー
文 ソノダマン