10年くらい前にCOUNTDOWN JAPANやSUMMER SONICなどの大型フェスに出演していて、その時のライブを見ていた間々田優というシンガーソングライターにTwitterをフォローしていただいたのは、コロナ禍が広がっていた昨年の春頃だったか。
そうしてライブを見ていたし、CDも持っているので、ライブにお誘いいただいた時に「10年くらい経っているけれど、この人は今どんな感じで歌を歌っているのだろうか」と興味が湧いた。
それから何回かライブを見せていただいたのだが、この前日からの4日間はデビューアルバム「嘘と夢と何か」を皮切りに、1日ずつアルバム4枚を全曲演奏するという4daysで、この日は2日目、2009年のセカンドアルバム「予感」の日という、まさにフェスで見ていた頃の時期のアルバムである。
と言いながらも仕事が忙しくて下北沢BREATHに到着した時には開演時間の19時30分をはるかに過ぎた20時くらいになっており、もう「予感」の曲は後半に突入していた。
ちょうど「アイドル」という、間々田優がアイドルになりきって歌い、当時は「ままっきーな」という、今やよゐこの濱口優と結婚して子供も産まれた南明奈を参照していたキャラを作り出していたのも時代を感じさせるというか、思い起こさせるのだが、その曲が終わるタイミングであった。
後半のスタートとばかりに間々田が小さな鐘の音を鳴らす「鐘」から、そのアイドルの思い描く幸せな家庭の将来像を想起させる「小さなお姫さまの歌」を歌い始める。
アルバムの音源はバンドアレンジであり、今はその曲を1人で歌っていることで曲の持つイメージがかなり変わるというのは次の「花の恵」もまた然りであるが、アレンジ同様、いや、それ以上にイメージが異なるのは歌唱である。
去年から何度かライブを見ている時から歌が凄く上手くなったというか、歌い方が大人になったというように感じていたのだが、まだ幼さというか若さというか少女性を強く孕んでいる(だからこそ当時、今はVIVA LA ROCKの主催者でもある鹿野淳にインタビューで「間々田」と呼び捨てで呼ばれていたのも納得していた)音源の部分も残しながらも、歌唱力は圧倒的に進化している。それはフェスの大きな舞台には立つことがなくなっても彼女がずっと歌い続けてきたことのこれ以上ないくらいの証である。
そんな間々田優は当時からよく雑誌などのメディアに「情念系シンガーソングライター」と呼ばれていたし、そこに椎名林檎フォロワー的な見方をする人も多かったように思うのだが、そう呼ばれていた、思われていたのがよくわかるのが、間々田がキャスターのように一緒に暮らす男女の悲喜交交を読み上げるように歌う「ニュース」。
この曲のようなストーリーテリング力、作家性は今でも全く色褪せていないと思うのだが、最近ライブを見るようになってからは常にアコギを弾いて歌っていた間々田がこの曲ではエレキでの弾き語りをしていたのには少し驚いたが、音源でのバンドのアレンジはロックやブルースを感じさせるものが多かっただけに、そこに合わせたサウンドを弾き語りでも取り入れているとも言えるだろうし、ギターにしても実に見事な腕前だと思えるのもやはり、こうしてずっと弾き語りをしてきたからだろう。
そのままエレキで弾き語りし始めた「HOME SWEET HOME」はもう本当にシンプルに名曲。こうした曲が結果的には多くの人に届かずに埋もれてしまったというのは当時のレーベルやプロダクションの責任を感じてしまわなくもないが、この曲の最後で
「もう夜明けだ」
と歌った後に、ここに至るまでの「予感」の1曲1曲のエピソード全てを過去のものとして(それはリリースから10年以上経った今だからこそよりそう感じる)歌うかのような「カコ」でアルバムは締められる。
「俯いたままの私を 諦めないでくれた
あなたがいたから」
という最後のフレーズに、今だからこそ続きを歌えるというように
「私は歌えている」
と加えた。アルバムの曲を歌い終わると、
「あの頃の自分に「今も私は歌っているよ」と言えるのは誇れることだと思う」
と言っていたが、それが今の偽らざる心境であるし、当時の自分に胸を張ってそう言える自信があるからこそ、こうした過去を振り返るという企画のライブを行えるのだろう。
しかしライブはアルバムを全曲演奏するだけでは終わらず、今の間々田優の立ち位置を示す新曲も披露された。
その新曲たちは親交のある女優に向けて書かれた曲や、近年ユニットを組んで活動している中村ピアノと美良政次という仲間に向けて書かれたもの。
「予感」のCDには
「私、変わったよ あなたのおかげでね」
というコピーがあった。間々田優は確かに変わった。それはシンガーとしてのスキルだけではない。ステージは大きくても顔も名前もわからない不特定多数に向けて歌っていた頃から、今は周りにいる仲間と呼べる人や、数十人しか入れないような小さな、顔がはっきりと見えるライブハウスにライブを見に来てくれる人。自分が歌を歌いたい相手が今はハッキリとわかっている。それが当時のことを思い出しながら今ライブを見ていると、1番変わったと思える。
さらにアンコールでは前日に全曲演奏したデビューアルバム「嘘と夢と何か」収録の、まさに怨念が籠りまくった、間々田優の当時のイメージを作り上げた「夕」「狼」という2曲を、やはり今の歌唱で歌った。その姿にはどこか当時とは違う慈悲深さのようなものを感じていたし、前日は来れなかっただけに、自分が間々田優と出会った作品である「嘘と夢と何か」収録の曲が聴けて実に嬉しかった。
それなりにいろんなアーティストを聴いてきたし、ライブを見てきた。それなりに記憶力もあると思うので、10年以上前に見たライブも、どんなにガラガラで人がいないような、インディーなのかアマチュアなのかすらも判別がつかないようなバンドのことだってだいたい覚えている。
2000年代後半はフェスがライブシーンの中心になり始め、大型フェスが今のような規模感に固まってきた時期であり、それに伴ってステージの数も増えた。
当時フェスシーンを代表する存在として絶大な人気を誇っていたBEAT CRUSADERSでさえ、今それぞれのメンバーがどんな活動をしているかはよほどそれぞれを熱心に追っているファンしかいないだろう。
同じようにというか、それ以上に当時フェスの小さなステージに出ていた若手アーティストのほとんどは今は何をしているのかわからない人たちばかりだ。
正直、自分は間々田優すらもTwitterでフォローしていただくまではまだ音楽を続けているということを失礼ながら知らなかった。
でもそう思っていた人のライブを今観れているということは、きっと他にもこうして小さなライブハウスで音楽を続けている人もいるのだろうし、その人たちのライブが見れる機会だって続けてくれてさえいればきっとあるはず。それこそELLEGARDENやNUMBER GIRLや椿屋四重奏でさえも復活したんだから。
どんなに忘れ去られていたり、知られることがなかったとしても、自分の記憶にはずっと残っている。その記憶のごくわずかであっても、そうした人たちの音楽を聴いた時間が、自分の人生を形成してきたのだから。
文 ソノダマン