ロッキンオンが主催する春フェスJAPAN JAMの4日間の次のライブが中村一義のライブというのが、かつてROCK IN JAPAN FES.開催初年度にフェスの大トリを務めるはずだった(台風で途中中止になり、翌年にリベンジの大トリ)、そこが人生初ライブになるはずだったという中村一義の音楽人生を振り返ってみると妙につながっている部分もある気がしてくる。
昨年久しぶりのアルバム「十」をリリースし、それにともなうツアーも当初は昨年の5月から開始予定だったのが一度延期され、それすらも中止になっての1年越しのようやくの開催である。
近年のライブのスタイルであるアコースティック編成で、今やAimerのサポートバンドのバンマスすら務めるくらいの大物ギタリストとなった、三井律郎(THE YOUTH)との2人編成。
都内のライブハウスでのライブが延期にならざるを得ない中でも営業を続けている千葉LOOKは距離をおいて椅子を置いてあるだけに、40人入るかどうかでソールドアウトの状態。昨年から今年にかけて何回もコロナ禍での千葉LOOKのライブを見ているが、今までで1番動員数が少ないように見えるのは今の世の中の状況を反映してのことだろう。
また、千葉LOOKは通常のライブ時は入場時にアルコールかソフトドリンクかを客が選択し、それによって払うドリンク代が変わる。(現在はアルコール600円でソフトドリンク400円)
アルコールが飲めない人に実に優しい千葉LOOKならではのシステムであるが、しかしながらこれも今の世の中の状況を反映してのもので、アルコールの提供をやめているので選択の余地なく400円のソフトドリンクに。もちろん検温・消毒に加えて来場者情報登録という感染対策も行われている。
日曜日とはいえ早めの17時30分の開演時間になると、中村一義と三井律郎の2人がステージに。脇のテーブルに2リットルのペットボトルのお茶を置いている中村一義は、先月の新宿LOFTでのライブと同様に伸び切った髪を後ろで結いており、小岩のおばちゃんのような出で立ち。三井はアコギを持って椅子に座るというスタイル。
「本当は去年のこの時期にやるはずだった「十」のアコースティックライブ、延期に次ぐ延期でようやく今日から始まります!ちょっとねぇ、大阪が難しそうなんだけど、全力で歌いますんで、来れる人は他の会場もよろしくお願いします!」
と、やはりこの状況でも中村一義は穏やかな語り口と笑顔を崩すことなく挨拶すると、まずは
「世界観が大事だから」
という理由でMCなしで「十」の曲を全曲演奏することを告げる。
中村一義の音楽独特の浮遊感のあるサウンドも使いながら、三井がギターを鳴らして中村一義が
「この哀しみをもう、忘れないだろうな。
今日、終わったこの日から、始めりゃいい。」
と、かつて「魂の本」で
「絶望の「望」を信じる」
と歌っていたことを思い出すような、どんなに哀しいことがあっても生きていく、進んでいくという決意を歌い始める。
「流行り歌で聴いた『明るい未来』ってなぁ、ここにはねぇが。
だが、どうしたって、ド地獄から、塗り替えりゃあ、いい。」
というフレーズも含めて、コロナ禍に陥る前に生み出された曲であるにもかかわらず、今を映し出しているかのような歌詞。
「このほほえみを、忘れないだろうな。
そう言って、この友と、歩けりゃあ、いい。」
と言って右手を包み込むように三井や観客の方へ向ける。
その仕草には中村一義なりの優しさが満ち溢れているのだが、歌い始めて最初に感じたのは、歌がめちゃくちゃ上手くなっているということ。
中村一義のボーカルの特徴はなんと言ってもそのあまりにもキーの高いメロディであり、常人ではまず歌いこなせないようなキーやファルセットを進行や理論などを一切無視するかのように歌うのだが、かつてはそれを本人が完璧には歌いこなせていなかった。(それでも歌い切ろうとする姿に中村一義のライブのロックな部分があったのも事実だが)
そもそも基本的にそんなにライブをやるタイプのアーティストでもないだけに、歌い続けることで歌いこなせるようになっていくというタイプでもない。(周りには小谷美紗子など素晴らしいシンガーもいるとはいえ)
なのに今の、本当にツアーを回るのがいつ以来なのかわからないくらいのレベルでライブをやっていない中村一義が、自分の作った高すぎるキーの曲を完璧に歌いこなしている。
きっと昨年のこの時期に開催されるはずだったツアー以降、いつ歌うことになってもいいように準備や鍛錬を重ね続けていたのだろう。じゃないと絶対こんなに見事に歌うことはできない難易度の曲であるだけに。
イントロからして「現在の中村一義の「犬と猫」と言えるであろう「それでいいのだ!」が象徴的であるが、2012年リリースの「対音楽」が自身の音楽との出会いとして向き合わざるを得なかった、ベートーヴェンの音楽を取り入れ、向き合ったものであったが、今回の「十」は中村一義のアーティスト人生の始まりとなり、タイトルが全てを言い表している1stアルバム「金字塔」と向き合ったものになっている。「十」には様々な意味が込められていると思うけれど、少なからず「金字塔」を十字架のように思っていたところもあるはず。
デビューアルバムでいきなりロッキンオンジャパンの表紙になり、人生初ライブがロッキンのトリ。そこまで評価されてきた、あまりに完璧なデビューアルバム「金字塔」。それと向き合うということをしないと、これから先音楽を続けていけるイメージが湧かなかったのだろう。自分で作った金字塔は自分で超えるしかないのだ。
だからこそ中村一義が両手を左右に広げる「十」のポーズを取ってから歌い始める姿がどこか十字架のようにも見えるアルバムタイトル曲「十」はしかし
「光の旅路は、海に横たわる永遠に続く、水平。
立ち尽くす僕と、君を×てみりゃ、その形は十字ね。」
人間2人が掛け合わさることが十字になるということを示すと、近年量産されている「新○○」という映画のタイトルにかけたのかと思ったら、
「いつだってさ、音を聴いて鳴らそう。なぁ、カミーユ。
どこだってさ、愛しいと想うよ、なぁ、神 YOU。あぁ。」
と、歌詞を読むとこれで「カミーユ」と読むことがわかる「神・YOU」へ。知らない人からしたらなんのこっちゃという話であるが、さすが自身のバンドに100s(ヒャクシキ)という名前をつけた中村一義である。ちなみに中村一義はこの曲を弾いた三井を
「あの曲をあんな完璧に弾ける人は他にいないよ!」
と絶賛していた。もはや完全に中村一義の相方という感じになってきている。
デヴィッド・ボウイがモット・ザ・フープルに提供した大ヒット曲のオマージュであることが間違いない「すべてのバカき野郎ども」が聴いていてどうしようもなく泣けてくるのは、
「野郎ども、今日ぐらい、今日ぐらい、
なぁ、なぁ、やっちまおうぜ。朝まで。
野郎ども、今日ぐらい、今日ぐらい、
なぁ、なぁ、さぁ、飲もうぜ。」
というフレーズの「野郎ども」で我々観客に向けて手を広げるのみならず、少なからずここにいた誰もが体験してきたであろう、朝まで飲み明かすというバカみたいなことができない世の中になってしまったからだ。この千葉LOOKの周りにも飲食店や居酒屋がたくさんあるが、休業している店も多かった。そんな景色を見ながらここにやってきただけに。
本当にMCなしで、たまに中村一義が水を飲むだけというくらいの曲間でアルバムの世界観を伝えていくのだが、そんな中でも特にこうして続けて歌う意味合いを感じたのは「レイン・ボウ」から「イロトーリドーリ」という、タイトルからも歌詞からも繋がりを感じる2曲。千葉LOOKの、小さいライブハウスならではの決して派手ではない照明も、まさに七色かつ色とりどりに光って中村一義の歌う姿を照らしている。
本当にびっくりするくらい高いキーを自分のものとして歌えている中村一義であるが、歌詞は覚え切ることができないのか、近年は自身の前に歌詞を置いてそれを見ながら歌っている。それゆえに最新の曲たちは覚えきれていないことと思われる中でここまでは歌っていたのだが、「スターズー」でついに歌詞を間違え、曲中に
「ごめんなさい!」
と普通に観客に謝る。
この後のMCで語られたところによると、普段中村一義は全く緊張などしないタイプらしいのだが、実際は自分も気づかない間に緊張しており、それゆえに歌詞を間違えたようだ。それを三井は
「ツアー初日っぽいですね〜」
とさすがツアー経験豊富なミュージシャンとして評していたが。
しかしその歌詞を間違えたことが、MCなしという客席側にも張り詰めた緊張感をほぐしてくれたのもまた事実。しかしアルバムは終盤に向かってよりシリアスになっていき、
「何のための親だろうな。ほいで、
何のための金だろうな。ほいで、
何のための国だろう。」
という中村一義なりの今の社会への疑念を歌う「イース誕」を経て、やはり
「ねぇ、愛にしたわ。ねぇ、会いに行くわ。
ケーキ、全部は無理かも。今日は、いっこ。
愛を吹いた。ねぇ、愛は飛んだ。
この、暗い部屋の向こう。」
と、愛を歌うという決意を新たにするような「愛にしたわ。」。
それはデビュー時に「博愛主義」という、出会った人全てに分け隔てなく優しさを持って接するという言葉を掲げていた中村一義が今なお全く変わっていないことを表している。「赤毛のアン」的な性善説の上には成り立っていない世界であることは誰しもがわかっているけれど、そうした考えは今のギスギスした、誰かが誰かを糾弾しなければいけないというような空気すら感じてしまうこの世の中や社会にこそ必要な考えなんじゃないかととも思うし、中村一義はそうした視線を今も持って生きている。だからどんなに年齢を重ねても中村一義の柔らかい笑顔はずっと変わらない。
「ねぇ、愛に逢いに…。
次はどこで会おう。」
こうして中村一義が歌い続けていれば、必ずまた会える。こうやって音楽を鳴らし、歌うことができる場所で。MCなしで曲を歌い続けるというライブの手法を取った理由が、音源を聴くよりもこうしてライブを見るとよくわかる。もうこれでライブが終わってもおかしくないとすら思えるくらいの、壮大なエンディング感だった。
しかしさすがに「十」の収録曲10曲、ここまでの時間にすると40分ちょっとというのは、
「これで終わったら詐欺っぽいので(笑)」
ということで、少しの休憩を挟んで2人が再び登場。ここからは好きに話せるということで、前述の通りにやはり緊張していたということを話したりしながら、中村一義は
「中学生の頃にマルコシアス・バンプ(平成初期に放送されていた音楽オーディション番組「イカすバンド天国」(通称イカ天)に出ていたバンド。とかくキャラ重視で音楽は二の次的なバンドも多かった番組内で、確かな演奏技術とグラムロック的なサウンドを打ち出してキングになったが、すでに若手と言える年齢ではなかったため、シーンを変えるのは彼らの後にキングになったBlankey Jet Cityまで待つことになった)をここに見にきたことがある」
という、一体何人がわかるのだろうかというくらいのマニアックな音楽遍歴を千葉LOOKの思い出ともに語り、そのステージにこうして初めて立てたということの喜びを口にする。
確かに、中村一義のライブを千葉LOOKで見れる日が来るなんて思ってもいなかった。ロッキンのGRASS STAGEはもちろん、日本武道館や両国国技館など、中村一義を見てきたほとんどが大きなステージだった。それは今ではだいぶ動員や人気も落ち着いてきた(昔はCMに出演するくらいお茶の間にも出ていた)ことでもあるが、あの頃大きなステージで見ていた中村一義を、慣れ親しんだ千葉LOOKで見れるというのはまさに、僕の想像の向こうだった。
ちなみに根っからのライブハウスバンドであるTHE YOUTHに文字通り青春を捧げてきた三井は10代の頃から千葉LOOKに出演したきたという。そんな2人も中村一義が46歳、三井も40歳。
「経たね〜」
と2人が言うのも当然の年齢である。
そんな2人が演奏し、歌い始めたのは先月のライブでも披露されていた「いつだってそうさ」。どちらというと朗々と歌う曲であるだけに、このアコースティックという編成であることを踏まえた選曲なのかもしれない。
そして名曲だらけの中村一義の中でも屈指の名曲であり代表曲である「セブンスター」へ。
「クソにクソを塗るような、笑い飛ばせないことばっかな。」
という歌い出しとは裏腹のサビの美しいメロディ。
「未来、君と出会える時も、
心は本当でいたい。
心は本当でいて。」
という締めのフレーズは「愛にしたわ。」の最後のフレーズと確かに重なる部分がある。
ちなみに中村一義はその伸び切った髪は伸ばしているのではなく、
「高校生の頃から自分で切ってたんだけど、「十」の制作とレコーディングに2年くらいかけて集中しすぎて切り方を忘れてしまったから」
という理由であることが語られる。すかさず三井は
「この中に髪を切ることができる方はいませんか?」
と観客に問いかけていたのが面白かった。
そんな中村一義のライブも曲によっては観客の声によって作られている部分もあった。それを確かに感じられたのは「君ノ声」の
「ラ、ラ、ラ」
というコーラスで中村一義が客席にマイクを向けた時。もちろんそこに返ってくる声はない。それでも中村一義は
「オッケー!」
と言った。それは今までのライブで観客がこの曲を歌ってくれていた光景や声を覚えているからであり、だからこそ心の中で観客が歌ってくれているのが聞こえていたのだろう。
そうした観客の声によってより成り立っていた曲が「1,2,3」である。だからこそ中村一義はライブではおなじみであるこの曲を今回演奏するかどうかを悩んでいたようであるが、それでもこうして歌うことにしたのは、今日を越えれば、君まで響きそうだからであり、
「もう、なんにもない」って、前に、あいつは言った。
そうじゃない。
光景、刻む心が、ここにあった。
そして、何か感じて、この先どこかで会おう、会おう。」
という最後のフレーズが全て。再会を約束する曲だからだ。それは「愛にしたわ。」も「セブンスター」もそう。やはり中村一義が歌うことはどれだけ年齢を重ねても、どんな時代になっても変わることはない。
しかしこれでもまだ終わらず、再びステージに2人が登場し、この日の中で最も意外な選曲であると言える「メキシコ」を三井がギターを爪弾きながら中村一義が歌う。その歌いこなしている高いキーの見事な発声っぷりは開演から1時間が経とうとするこの段階でも変わることはないし、やはり
「そんじゃ、もう行くよ。
僕と、会う場へ。
また今度、バイバイバイ。」
と再会を約束している。
「じゃあ、あの曲をやりますか!」
と言って最後に演奏されたのはやはり「キャノンボール」。この曲をやっていないのだから、ライブが終われるわけがないのだ。
「そんなにさ、しゃべんなくたって、
伝わることもあんだろ?
僕は死ぬように生きていたくはない。
僕は死ぬように生きていたくはない。
そこで愛が待つゆえに。」
という歌詞に今までの人生の中で何度救われてきただろうか。それは70s、80s、90sだろうが、今が2021年だろうが変わることはない。いつだってこの曲を中村一義が歌っているのを聴くと、「僕は死ぬように生きていたくはない」って思える。
そして最後のサビで中村一義はやはりマイクを客席に向けた。歌えないのがわかっていても、無音になるのがわかっていても。かつてたった1人で全ての楽器と歌を自分で録音してアルバムを作り上げるという、1人だけの世界で生きていた男は、自分の音楽を聴いてくれている人の声を必要としている。またみんなで一緒に歌えるような日が来ることを願ってマイクをこちらに向けている。そこだけは、デビューした時から唯一変わったなって思う。我々が中村一義の生きている世界の中にちゃんと存在しているのだ。
歌い終わると中村一義は、
「じゃあツアー行ってきます!」
と言ってステージを後にした。ニュースを見ていても、東京はやれるだろうけれど、確かに大阪は厳しいだろう。それでも、本当に久しぶりのこのツアーを無事に完走できますように。そして、その時に中村一義と我々がお互いに
「次はどこで会おう。」
って思っていられますように。
人数こそ少ないが、客席にいる人も「経たな〜」ということがわかるような年齢の方々だった。周りにはもうライブに行くような同世代の友人はいないかもしれないような。
それでも、この世の中の状況で千葉のライブハウスまでライブを観に来るというのは、本当に心の底から中村一義のライブが見たくて見たくてしょうがないような人たちしかいない。しかも40人くらいというとんでもなく狭い門を潜り抜けてまで中村一義のライブを観にきているというのは、きっとこれからも一生こうしてライブを観に来る人たちだろう。それは、ここで愛が待つゆえに。
1部
1.叶しみの道
2.それでいいのだ!
3.十
4.神・YOU
5.すべてのバカき野郎ども
6.レイン・ボウ
7.イロトーリドーリ
8.スターズー
9.イース誕
10.愛にしたわ。
2部
11.いつだってそうさ
12.セブンスター
13.君ノ声
14.1,2,3
encore
15.メキシコ
16.キャノンボール
文 ソノダマン