昨年からミニアルバム「Cheddar Flavor」、今年に入ってからシングル「Chilly Chili Sauce」「Chopped Grill Chicken」というピザ3部作をリリースし、サブスク限定アルバムとしてそれらの3作品をまとめた「Fresh Cheese Delivery」を配信した、WANIMA。
すでに6月にもこのツアーのZepp Tokyoでのワンマンを見ているが、その時にはまだ3部作は全て世に出ていない状態だったために、この横浜アリーナでの2daysのツアーファイナルが3部作の、コロナ期間のWANIMAの完成形と言えるライブになるのだろう。夏にはメンバーの感染もあり、フェスへの出演がキャンセルになったりもしただけに、コロナ禍になり始めたタイミングでの福岡ドームまで遡っても本当に色々あったここまでの道のりだった。
ピザをテーマにした3部作だっただけに、場外ではピザーラとのコラボメニューも販売されている中(宅配ピザとして食べたけどめちゃくちゃ美味しかった)、検温と消毒を経て横浜アリーナの中に入ると、WANIMAデザインの不織布マスクも配られるという感染対策も。しかしながらこうして久々にアリーナクラスという大きな会場に来ると思うのは、Tシャツなどのバンドのグッズの着用率の凄まじい高さ。WANIMAがフェスTシャツや親交のある他のバンドのTシャツを着ている人を見つけるのが困難なくらいにWANIMAのTシャツ姿の人ばかりだ。それはWANIMAのグッズを着用するということが一種の戦闘態勢というか、それを着用することで自分が強くなれる感覚を得られるとともに自身に気合いを入れるというか。
開演時間の18時になるといきなり場内が暗転し、「Fresh Cheese Delivery」のオープニングと収録された「Brand New Day」がSEとして流れる。もうその段階ですでにメンバーがステージに登場して演奏しているんじゃないかと錯覚するくらいに観客は飛び跳ねまくり、手を叩きまくる。それはWANIMAのライブならではの光景であるが、WANIMAがライブのSEでもこうして盛り上がらざるを得ないくらいの曲を作ってきたからであるし、WANIMAのライブへの観客の期待と渇望が爆発したものであるとも言える。
するとメンバーがやはり走ってステージに登場。最も元気に端から端まで走り回るKENTA(ボーカル&ベース)はマスクを着用、髪が赤く染まっているKO-SHIN(ギター)はメガネ、金色が混じったドレッドヘアが大谷翔平とホームラン王を争ったメジャーリーガーのウラディミール・ゲレーロJr.を彷彿とさせるFUJI(ドラム)と、初めてライブを見る人でも見た目からしてすぐに区別がつくであろう個性である。
SEが丸々流れ終わり、観客にひとしきり手を振ったりしたKENTAがベースを持つと、
「止まった続きは
今も忘れるはずない
何も始まってない
遠く離れた場所をめがけて」
と歌い始める「Call」は「Cheddar Flavor」の1曲目であり、もはやライブでの1曲目としてもおなじみになりつつある曲であり、3部作で再びストレートなパンクモードに戻ったWANIMAの今のスタイルを示す曲としても申し分ない曲だ。
そこからタイトルフレーズを3人で歌うというのが爆音で疾走するパンクサウンドでありながらもキャッチーなフックになっている「LIFE」と続くのも「Cheddar Flavor」の流れそのものであるが、KENTAはベースを弾いて歌いながらも客席の前から後ろ、端から上まで、この日この会場に集まってくれた人たちを自分の目にしっかりと焼き付けるように視線は動いている。それがよくわかるのはステージ左右の巨大なスクリーンにメンバーの演奏する姿が映し出されているからである。
その演奏するメンバーの背後にも「Cheddar Flavor Tour 2021」というツアータイトルの幕がかかっており、さらに「枯れない薔薇」と続くことによってそのツアータイトル通りに「Cheddar Flavor」の世界へと観客を引き込んでいくのだが、KO-SHINのギターがスカのリズムを刻むために、それまでの腕を上げてジャンプするというノリ方から踊るというノリ方に変わっていく。まだ横浜アリーナの規模だとフルキャパで観客を入れることができないので、隣の席は空いているのだが、それが隣の人にぶつかったりせずに踊れるというのはこの状況ならではの楽しみ方とも言えるだろう。次々に女性の名前が口に出されていく歌詞も実にリズミカルかつ面白い。
KENTAが序盤からの観客の飛び跳ねっぷりにビックリしながらも、ここからさらに凄いことになる曲が続くという告知をすると(MCもかつてよりもだいぶスッキリとシンプルになっている)、サングラスをかけたFUJIによる、WANIMAの心臓部を担っている、WANIMAをこうしたアリーナやスタジアムの規模まで連れてきた最大の要因はこの男のドラムの強さであるということがよくわかるようなドラムソロを披露し、まさにゲレーロJr.のパワーを持っているかのようなさすがの重さと手数を見せてくれるのだが、合間に自身が事前に録音していた長渕剛のモノマネの音声が、ドラムセットの一部になっているサンプラーを叩くことで、
「そいや!」「長渕剛です!」
などと発せられるというユーモアを含んだものになっているのはこの男ならではのものである。
ソロ中は捌けていたKENTAとKO-SHINがステージに戻って楽器を持つと、KO-SHINが弾くフレーズは明らかに「Cheddar Flavor」のものであり、そのどこか観客を焦らすようなイントロの演奏中にKENTAはステージを左右に走りまくってから歌い始めるのだが、ツアータイトルでありながら3部作の始まりの曲とも言えるだけに、やはりこの曲はこの広い規模の会場すらも飲み込んでしまうくらいの新しいWANIMAのアンセムと言える。そのリズミカルかつシンプルな歌詞も含めて、この状況が明けたらみんなで大合唱しながらモッシュやダイブをしまくる光景が想像できる。
そんな3部作の収録曲には「聴いてるみんなを励ます」というパブリックイメージとしてのWANIMAを想像していると驚くような、今の社会や世の中や政治に対する怒りなどを表明するような歌詞の曲も多数収録されている。それはコロナ禍に生まれた作品だからこそというリアルなドキュメントとしての側面もあるのだが、
「ベッコウ柄の空模様 面白くない八百長
面に出ないリアクションでGet out…Go home!!」
「YaYaYaYaYa ソレってリアル?
YaYaYaYaYa 崩れるモラル
YaYaYaYaYa 誰の需要
いちいち気にしたらキリがない
YaYaYaYaYa くどい映像
YaYaYaYaYa くもる真相
YaYaYaYaYa ひどい状況
生まれた時からやり直して
リセットボタンを押すための合図」
という「Get out」はまさにそうした曲であるが、そうした曲がライブで演奏されることによって、パンクでありながらもどこかラウドといえるような重さが伝わってくる。それはそうした曲を目の前で演奏しているのを見ている我々に緊張感というか、より強い集中力を与えてくれるというか。
しかしそうした要素は3部作以前からWANIMAが持っていたものである、ということが続け様に
「もう
大変で大変で大変で大変に耐えれんで
仕方ないので
とりあえず笑えたのなら
どれだけ楽になるだろう」
という歌詞の「HOPE」(メジャー1stシングルの「Think That…」収録曲)が演奏されることによってよくわかるし、それはやはりWANIMAの3人がよく言われたりいじられたりするような、いつも笑顔のチャラい兄ちゃんたちというわけではなく、我々と同じように日々様々なことによって喜怒哀楽の感情が表出する人間であることもよくわかる。
すると
「横浜、今日は晴れたな!」
とKENTAが言って、KO-SHINがイントロを鳴らした「雨上がり」では観客のリアクションの大きさが明らかにここまでの曲と違うというか、まぁそうなるのもやむを得ないくらいに「ここでこの曲が来るとは!聴けるとは!」という驚きと喜びが爆発しており、
「雨あがり羽ばたく鳥の様に…
雨あがりにかかる虹の様に…
あなたの心が晴れますように…
明日は晴れ頑張れますように…」
という最後のフレーズでKENTAが
「ジャンプ!ジャンプ!」
と言うと、この横浜アリーナの床が揺れまくっているのがよくわかる。それはロックバンドが、パンクバンドがこの規模の会場でライブをやっていて、そうしたバンドだからこその盛り上がり方をしているということを実感させてくれる。それはなんだかかなり久しぶりの感覚でもあった。やっぱり全席指定だったりするとそうしたノリにはなりにくかったりするから。それでもここまでこの会場を揺らせるWANIMAの曲の、音楽の、メンバー3人の力の凄まじさもまた改めて実感していた。
「みんな声は出せないから、俺が代わりに歌うけん、でも心の中で歌ってくれよ!ともに歌ってくれよ!」
と、この中盤で畳み掛けるようにさらに「ともに」が演奏されると、「雨上がり」の時の横浜アリーナが揺れているという感覚に加えて、すっかり冬と言っていいくらいに急に寒くなったことで、Tシャツ1枚で外を歩けないような季節になってしまったが、それでもパンクバンドのライブ会場はTシャツ1枚で汗をかくくらいに暑くて熱いという感覚をも呼び起こしてくれるかのようだし、観客が本当に全く歌わないからこそ、KENTAのパンクバンドのボーカルとしての破格の歌の上手さがしっかりと伝わってくる。
それは単純な歌の上手さだけではない。ただ無責任に「頑張れ」と歌うだけの曲だったら自分はきっとそうしたアーティストの曲を聴くことができない。言われなくてもそうしてるよ、と思ってしまうくらいに、いわゆる陽キャというものとはかけ離れた人間だという自覚があるから。きっと陽キャという人間だったらここまで音楽に依存しなくても生きていけるだろうとも思う。それは偏見かもしれないが。
でもWANIMAの音楽はそうしたことを全く思わせない。いつ、どんなに精神が落ちていて、そうした応援ソングを煩わしく思ってしまうような状態でも、WANIMAの音楽は自分を奮い立たせてくれるために鳴っている。それはKENTAが上手さだけではなく、曲に宿るものを100%以上の力で引き出す、自分のありったけの感情をそこに乗せることができるボーカリストだからである。
何万人もの人が大合唱するこの「ともに」でも何回も涙を流してきたけれど、この日のKENTAだけが歌う「ともに」でも涙が出てきてしまった。それは今までのものとは意味合いが違うものであるけれど、この曲だからこそという楽曲の力は変わらない。
そんなライブのハイライトと言ってもいいような曲を連発した後にKENTAはシリアスな顔と目で、
「母親代わりだったばあちゃんのことを思って作った曲を歌います。俺はばあちゃんが居なくなってしまったことに最初は全然向き合えなかったんだけど、メンバーやスタッフやみんながいてくれるからそこに向き合えるようになった。みんなも家族とか恋人とか親友とか、近い人のことを思い浮かべて聞いてくれたら。誰もそういう人がいないっていう人は、目の前に俺たちがおるけん、WANIMAのことを思い浮かべて聞いてくれ」
と打ち明け、メンバーの姿がかすかに確認できるくらいの暗くなったステージで、KO-SHINのギターとFUJIのドラムが淡々と、でも確かに2人の中にも思い浮かべている人(KENTAの祖母はKO-SHINにとっても母親みたいな存在だったというだけに)がいるであろう感情を持って鳴らされたのは、歌詞に「ニコちゃんマーク」など原曲とは異なるフレーズを使った「Mom」。その繰り返すリズムからガラッと切り替わるタイミングでメンバーの背後のツアータイトルが描かれた幕が落ち、その幕によって隠れていた照明が背後からメンバーを照らす。それは大事な存在を失ってしまった闇の中から抜け出したKENTAの、人間の立ち上がる様を示していたようでありながら、自分自身もこの曲を聴きながらだいぶ前に亡くなった祖母のことを思い出したりしていた。というかこの曲が思い出さざるを得ない力を持っていた。
すると今度はKO-SHINによる、通常のギターソロのような激しさや速さやテクニックを示すようなものではなく、彼の持つ繊細さを音で示すようなギターソロから、それに続く曲としてこれ以上ないだろうというのが、パンクというよりも跳ねるような軽快なリズムで
「あたりまえで あたりまえで
なくなって気付いたんだ
名前つけて 記念日だって
窓をあけて消えたうた」
と始まる「Milk」。
「忘れたかな
プレゼントに見慣れた線で描いた似顔絵を
暗い部屋をあたたかくつつむ
笑う顔 いつもどおり シワよせて
忘れたかな
空っぽの瓶に 今年も咲いた好きなあの花を
過ぎた日々を鮮やかにつつむ
枯れないでいつの日もあのままで」
という歌詞も、「Mom」と同じ人を思い描いて歌っているのだろう。KENTAのそうした個人的な経験や心情を歌った曲はKENTAだけの、WANIMAだけのものであるが、それが確かに我々一人一人のものにもなっている。だからこそこうした曲からは熱さではなく体温くらいの温かさを感じることができる。
そんな体温をグッとまた近くに感じさせてくれるのは、KENTAがありったけの声量に想いを込めるように
「となりにおってくれよ!となりにおってくれよ!」
と告げてから歌う、今のWANIMAでの「ともに」と言ってもいい「となりに」であり、そこで歌われる歌詞には「ともに」の後に経験してきたもの-それはもちろん別れなどであるが-があったからこその切なさが色濃く感じられる。しかしそれをパンクのビート、サウンドで鳴らしているというのが、「COMINATCHA!!」ではパンクではない音楽への広がりに向かっていたような感覚もあったWANIMAの今である。
「みんなに出会う前からライブでやってた曲をやるけん!」
と言って演奏されたのは、デビュー前のデモCDに収録されている「ONCE AGAIN」であるが、真っ赤な照明に照らされながら、今の曲たちに比べると歌詞も曲もアレンジもよりシンプルかつストレートなこの曲を演奏する3人の姿を見ていると、この曲のタイトル通りにもう一回、見たい景色がWANIMAには確かにあるんだろうなと思った。それは我々が見たい景色でもあるのだが、この曲をライブで演奏している頃にはまだ観客が全くいなかったという過去のWANIMAの姿が信じられないし、こうして今ライブで演奏するということは何らかの形で音源としても聴けるようになるんだろうかという期待を感じてしまう。きっと今この曲を普段から聴ける人はごく少数しかいないであろうだけに。
「今、辛い日々を過ごしてる人もおると思うけど、ダサいのは今だけだから!」
と、かつてよりもMCが減った分(それは世の中の状況による要素もあるだろうけど)、曲に全てを込めるように次に演奏する曲の歌詞の最も大事なフレーズを口にするという流れにライブそのものが変化しており、このフレーズはもちろん「ここから」のものであるが、この曲でも合唱が全く起こらないようなライブを見る日が来るなんて、コロナ禍になる前は想像したこともなかった。それでも、KENTAの歌が、3人の声が重なるのがよく聴こえるコーラスが我々の拳を高く振り上げさせてくれる。WANIMAのライブを見ているときの我々は決してダサくないはずだ。こんなにもバンドに、バンドが鳴らしている音に全力で向き合っているのだから。
するとKENTAがゴリゴリのベースのイントロを鳴らすことによって、曲始まりではギターを弾かないKO-SHINがステージ中央の台の上に立ってボディビルダーのようなポーズを決めると、ステージ上だけならず、客席の頭上にも吊るされている(それを見上げた際に横浜アリーナの客席中央頭上にある4面モニターが稼働していないことに気付いた)ミラーボールまでもが輝く「BIG UP」はそのKO-SHINのギターが刻むスカのリズムが、「枯れない薔薇」も含めてWANIMAの音楽の大事な要素である「エロ」の曲を象徴するものであることがわかる。最後のサビではFUJIのドラムが一際重く、強くなるというのもこうしたタイプの曲がネタ曲なだけではないことを強く表している。
するとKENTAは観客に着席することを促し、自身もステージ中央の台に座って、まるで友人に語りかけるようにして、このツアーをここまで23本回ってきて、その土地ごとにコロナの感染状況もそれによるライブの空気も違っていたということを話し、
「WANIMAの音楽、今は聴く気にならん、あいつらの音楽うるさいから、とか、今はなんかWANIMAを聴く気分じゃないんだよな、って思ってる人とかも、俺たちはずっと待ってるから、また聴きたいな、ライブ見たいなって思ったらその時に来てくれたらいいから!」
と、離れてしまっていった人たち、今は離れている人たち、ここにいてもこれから離れてしまうかもしれない人たちのことを自分たちがライブをすることで待っているということを語るのだが、そう言うということは、すでに離れていった人たちもたくさんいるということを本人たちがわかっているのだろう。それを本人たちは決してマイナスには捉えていない。
そうした言葉の後だからこそ、雄大なビートとメロディに会場が包まれる「ネガウコト」でアリーナもスタンドも観客が体を横に大きく揺らしていた光景は、パンクな曲もポップな曲も同じWANIMAの音楽として愛している人たちだからこそきっと離れることはないんだろうなと思った。そうしたゆったりとしたリズムとサウンドの曲ならば椅子に座ったりしてもいいはずだし、メンバーは誰も体を揺らすことをしていなければ煽りもしていないのに、観客が合わせるわけでもなく同じように音に身を任せている。みんなで一緒に合唱することができない今だからこそ、その光景がなんだか本当に愛おしかった。
そして最後の曲として演奏されたのはやはりこのツアーの締めとして「Cheddar Flavor」収録の「SHADES」。
「手を離さずにいた頃に
からまわる夏の歩道
寝そべって喋ってた道路」
という歌詞の見事な韻の踏み具合がパンクサウンドの中のキャッチーさを感じさせるが、そんは歌詞が想起させるのはやはり夏フェスの大きなステージでライブをしているWANIMAの姿だ。来年こそはその光景を見れていたら。その時にはみんなで歌うことができていたら。それは願望でもあるけれど、我々の希望でもある。
アンコール待ちの手拍子に導かれるようにして、黄色いパーカーをフードまで被ることによって、どこかそういうキャラクターのように見えて笑い声が漏れるような感じになりながらもKENTAは
「ミュージシャンやってます!ロックバンドやってます!よろしくお願いします!」
とまるで最近あらゆる駅前で行われている選挙活動のように挨拶すると、ステージ左右に伸びる花道を歩きながら観客をいじり、FUJIのドラムソロの時の長渕剛のモノマネを録音したという話を全力でスルーし、KO-SHINがツアーを23本やってきても演奏中に目が全然合わないことをやはりいじると、
「離れていても繋がったまま
さよならではなく また笑えるまで
伝えたい言葉で 溢れてる」
という再会の約束をキャッチーなパンクビートに乗せる「離れていても」でアンコールを始める。これは3部作の3作目である「Chopped Grill Chicken」収録曲であるが、6月のZepp Tokyoでのこのツアー時にはまだリリースされていない新曲として演奏されていた。その時もやはり再会を願うように鳴らされていたけれど、音源に収録されて我々ファンも噛み砕いて理解する時間があってから聴けるようになっただけに、改めてこのツアーが終わってもまたすぐに会えますようにとより強く思えるようになっている。バンドは12月には東京ガーデンシアターで年末の恒例になりつつあるライブ「Boil Down」の開催することをすでに発表している。
KENTAが上手の通路まで走って行ってから、ここからまた新たに始まりの合図を鳴らすように歌い始めたのは、ここに来ての「Hey Lady」。これまでに何回も大合唱してきたこの曲も、やはり今は歌うことができない。それでもKENTAの声だけが響くのを聴いていると、またこうしてWANIMAのライブに来ているみんなでこの曲を大合唱できるようになるまでは死ねないなと思うし、今のこの抑圧された状況を乗り越える希望となり約束となるのはそうした思いだ。その景色がまた見れるようになったら、きっと今まで合唱してきて流れた涙とは比べ物にならないくらいの涙が流れてしまうんだろうな。その景色が戻ってきた時こそが、ライブシーン、ロックシーンに春が来たと感じられる瞬間になるんじゃないかと思う。
そしてラストは
「振り返るあの夏の日も
独り抱えてた 努力 仲間 希望 全て嘘だって
繰り返すだけの毎日も
1人じゃないから 弱音だって吐いて繋ぐ明日へ
いつかきっと逢える日を
何から話そう 戯けず伝えよう ただありがとうって
忘れそうになった日を
思い出す言葉
ここから もう一度」
と、やはり再会とともに、またそうした景色が戻ってくることを願うような「いつかきっと」。演奏中には武道館でのライブの最後の曲のように客電がすべて点いて明るくなり、さらには金の紙吹雪までもが舞う。その演出とともに、まるで隣の人と肩を組むかのように(実際には誰も組んでいない)親密な空気の中で腕を左右に振る観客の姿を見て、「Chopped Grill Chicken」収録のこの曲を含めて、シーンへの登場があまりに衝撃的すぎて、鮮やか過ぎたバンドであるが故に今でもその頃の曲を求められているように感じることもあるWANIMAの、この3部作の曲たちが完全にここにいたみんなの歌になっていることを実感していた。もちろん今までにリリースしてきた曲もそうだ。それはKENTAが
「また新しい曲を作ってみんなに会いに行くけん!」
と言っていた通りに、これから先もWANIMAはそうしたみんなの歌であり、一人一人の人生に寄り添う曲を生み出していくバンドであり続けるということだ。それは最後にこの曲を演奏し、こうした演出を施したバンドの完全勝利だった。
演奏が終わるとステージに散った紙吹雪を客席にばら撒いたりしながら、ステージ左右の花道まで3人で歩いて、KO-SHINは床に寝転がってKENTAとFUJIから紙吹雪をかけられまくるという洗礼を浴び、誰しもが
「なんだこの曲は?」
と思ったであろう「Fresh Cheese Delivery」というフレーズがふんだんに使われたチルなサウンドの曲が流れる中、KENTAは最後に深々と頭を下げてステージから去っていった。それはすでにバンドが新たな曲を生み出している証拠であり、これから先もいろんな場所でWANIMAに会えるという予感を確かなものとして感じることができていた。
コロナ禍になって、ライブが変わったバンドと変わらなかったバンドがいる。WANIMAは完全に変わったバンドだ。メンバーが演奏している姿以外、客席はほぼ全て変わったと言っていい。「合唱大会」とすら揶揄されていたWANIMAのライブで一切合唱が起こることがなくなったのだから。
でもそうして変わったことによって、WANIMAを好きな人たちが本当にWANIMAのライブを守っていこうとしている姿、未来に希望を繋げていこうとしている姿が見れた。まだ、いつ戻るかはわからない。こうなる前の方が楽しいと思う人がたくさんいるのも間違いない。でも今はこうするしかない。ライブがまた後ろ指差されたりしないように。でも一つ変わらないのは、WANIMAの3人がステージに立って鳴らしている音やその姿は、我々を前に進ませてくれる、我々に日々を生きていく力を与えてくれるということだ。明日は晴れ頑張れますように。
1.Call
2.LIFE
3.枯れない薔薇
4.Cheddar Flavor
5.Get out
6.HOPE
7.雨上がり
8.ともに
9.Mom
10.Milk
11.となりに
12.ONCE AGAIN
13.ここから
14.BIG UP
15.ネガウコト
16.SHADES
encore
17.離れていても
18.Hey Lady
19.いつかきっと
文 ソノダマン