元からキュウソネコカミというバンドは「一体これは何のツアーなんだ」と思うくらいにツアーをやりまくってきたバンドであるし、その中で対バンツアーもやりまくってきたバンドである。
しかしながら昨年からワンマンでツアーは行ってきたけれど、やはりこの状況下ではなかなか対バンを行うことはできなかったのだが、いよいよ対バンツアーができるような状況に…と思ったら今度はバンド内での諸々によってまた厳しい状態に…という満身創痍状態で迎えるのがこの日のZepp Tokyoでのツアーファイナル。かつての対バンツアーは「試練の」という冠がついていたが、かつてないくらいに試練の対バンツアーなのかもしれない。
・Saucy Dog
このツアーのファイナル(まだ実は延期になった振替公演も控えているのだが、一応それらのライブはツアータイトルが変わっているだけに実質この日がファイナル)の対バンはSaucy Dog。なんというか、キュウソの対バン相手としては実に意外なバンドであるが、やはりこの日が初の対バンであるという。
しかしながら自分は平日の18時開演という時間に仕事の都合で間に合わずに遅刻してしまい、Zeppの中に入った時にはすでにバンドは「雀の欠伸」を演奏している最中であったのだが、席についてしっかりとステージに向き合った「ナイトクロージング」の締めのタイミングで石原慎也(ボーカル&ギター)は
「今日を最後まで楽しんでください!」
とあたかもこれでライブが終わってしまうかのような言い方をしたために、「まだ時間的に前半のハズなのに、そんなに見逃したのか!?」と思ってしまったのだが、その直後にせとゆいか(ドラム)が
「今日はよろしくお願いします」
と挨拶をしたために、ああやっぱりまだ始まったばかりだよな、と胸を撫で下ろし、ダッシュで会場まで来たためにようやく落ち着いてライブを見れるようになった。
「キュウソみたいな楽しいライブはできないけれど、私たちなりの楽しいライブを」
とせとが続けると、最新ミニアルバム「レイジーサンデー」の中から、実に石原らしいラブソングの「シンデレラボーイ」を演奏するのだが、最近はフェスやイベントなどでアリーナ規模の会場でライブを観る機会も増えてきており、そうした会場ではとにかくその規模の端の端までしっかり響く石原のボーカルのノビの素晴らしさを実感してきたものであるが、久しぶりにライブハウスで見るこのバンドのライブはやはりそうした広い場所で見る時よりもスリーピースのロックバンドとしてのスリリングなダイナミズムを感じさせてくれるものになっている。
その「シンデレラボーイ」の間奏での、石原と秋澤和貴(ベース)がせとのドラムセットに向かい合うようにして鳴らされる、跳ねるようなリズムの演奏などはまさにそのこのバンドのロックバンドとしての力強さを感じさせてくれる部分である。
それは同期の音を使うわけでもないし、エフェクターを使いまくるわけではない、本当に今時珍しいくらいのギター、ベース、ドラムというシンプル極まりない3つの楽器の音のみで勝負しているバンドだからという面もあるのだが、だからこそ「シーグラス」などの曲では石原のボーカルによって脳内に海岸の景色が浮かぶ。物語のような曲でもあるけれど、自分はこの曲を聴くといつも自分の目に映る景色としてそうした情景が浮かび上がってくるのである。聴き手を物語の主役にしてくれるというか。
そうした情景を浮かび上がらせるような曲から、石原がマイクスタンドから離れてギターを掻き鳴らすことによってさらにロックバンドとしての姿があらわになる「ゴーストバスター」、「バンドワゴンに乗って」と続くことによって、ほとんどがキュウソファンであろう客席にも腕を上げる人が増えていく。そうやって楽しんでもいいバンドなんだな、という思いが広がっていっているような。
すると石原は実はキュウソのファンであり、初めて会った2年前のミリオンロックの際に一緒に写真を撮ってもらったことを語るのだが、その際に自身が髭を生やしていたことを追加するように喋ると、秋澤に
「髭が生えてたっていうくだりはいらなくない?」
と突っ込まれる。そのストレートすぎるツッコミの容赦のなさに石原がショックを受けているのも少し面白かったが、最後にまた盛り上がって楽しもうというような曲の後に演奏されたのがバラードと言っていい「東京」であるというのが石原の天然っぷりをよく示している。
「東京。
大丈夫。僕は上手くやれているよ
諦めることにも麻痺してきたから
はじめて正しい事ばかりが
正義じゃないのが分かってきたんだ」
というこの曲の歌詞を、ある意味では東京を代表するライブ会場でありライブハウスであるZepp Tokyoで聴けるのはきっとこの日が最初で最後だ。残酷なくらいに正直すぎるこの歌詞をこの会場で聴けて本当に良かったと思った。大人になって、社会人になって、そう思わざるを得ないようなことがたくさんあるから。
アウトロで石原がギターを鳴らしながら
「ありがとうございました!」
と感謝を告げると、本当に今思い出した、というような感じで
「楽しすぎて告知するの忘れてました!今ホールツアー回ってます!東京でもやります!新しいミニアルバムが出てます!また会いましょう、Saucy Dogでした!」
とめちゃくちゃ急いで告知をし、それでも音を鳴らし終わった後には客席に向かって深々と揃って礼をしてからステージを去っていったのは、いつものSaucy Dogそのものだった。
1.煙
2.雀の欠伸
3.ナイトクロージング
4.シンデレラボーイ
5.シーグラス
6.ゴーストバスター
7.バンドワゴンに乗って
8.東京
・キュウソネコカミ
そして対バンツアーを締め括るべく、キュウソがステージへ。反町隆史の「POISON 〜言いたいことも言えないこんな世の中は〜」という世代を感じさせるSE(この場内で流れていたBGMもメンバーが学生時代などに聴いていたんだろうなと思う曲ばかりだった)でメンバーが登場すると、普段とは様子が違うのは、下手からヨコタシンノスケ(キーボード)、中央後ろにソゴウタイスケ(ドラム)、中央前にヤマサキセイヤ(ボーカル&ギター)、上手にオカザワタクマ(ギター)の4人での登場で、これまでとは立ち位置も変わっているというところ。
ヨコタとセイヤの間の後ろにはベースアンプも設置してあるのだが、現在カワクボタクロウが指を負傷しているために今月初頭のぴあフェスからは4人にタクロウのベースの音を録音したものを加えたり、少しだけでもタクロウが参加するようになったりと、状態を見ながらライブを行ってきているのだが、この日も最初はタクロウ以外の4人での登場となり、
セイヤ「いきなり俺たちの最高のラブソング!」
と言ってタクロウのベースの音が同期として流れる「推しのいる生活」からスタートし、明らかにセイヤのテンションが最初から完全に振り切れている。それはバンド自身がこうした状態になってしまったことによって、「推しは推せる時に推せ!」というこの曲のメッセージがより強くファンに刺さるようになってしまったことをわかっているからなのだろう。ベースの音は同期であるとはいえ、観客の
「わっしょい わっしょい」
のフレーズで手を上げる挙動などは一切変わることはないが、
「目の前にいるぞー!」
「みんないい顔してるぞー!マスクで半分しか見えないけど!」
と、もはやどこかエレファントカシマシの宮本浩次を思い起こさせるくらいの振り切れっぷりである。
それは続く「馬乗りマウンティング」でもやはり変わらず、セイヤが歌うことに対してヨコタがマウントを取ってくるというフレーズでセイヤはマイクスタンドごと持ってオカザワ側に移動するというなかなかこれまでに見たことのないアグレッシブさを見せるのだが、そうしたところからしてこうして今ここでライブが出来ているという喜びが溢れているのがよくわかる。
そのアグレッシブさはセイヤがハンドマイクになって腕の筋肉を見せたりしながら、激しいサウンドと重いリズムに合わせてヘドバンをすると、客席側もヘドバン一大絵巻のような光景が広がる「KENKO不KENKO」でさらに増していくのだが、そのヘドバンも含めて自身のマネをするように観客に指示していたセイヤは途中で
「休憩!」
と言って激しい演奏が続いているのに棒立ち状態になったりして我々を笑わせてくれる。その熱さと面白さを兼ね備えたキュウソのライブはまだ序盤の段階であっても、椅子があって自由に動けなかったり、声が出せないという制約があっても本当に楽しいものだ。
さらには「囚」という今年リリースされた最新アルバム「モルモットラボ」収録のラウドな曲も演奏されることによってライブの本数がかつてより減らざるを得ない中でも最新の曲を演奏してバンド自身ともども鍛え上げていこうという姿勢が見えるし、
「Yeah 囚われんな 真に受けんな 疑え
慣れて狂って当たり前に 共犯状態
Yeah 騙されんな 決めつけんな 抗え
慣れて腐って当たり前に いがみ合い状態」
というサビの歌詞は今のSNS社会にキュウソなりに考えて警鐘を鳴らしているかのようですらある。
するとセイヤがヨコタに近づいていき、
「っていうかお前、肋折ってるんかい!」
と問い詰めるのだが、まさにこのライブの直前にヨコタは自身のツイッターで肋骨を骨折したことを明かし、ライブはできるものの、今までのような飛び跳ねたりするパフォーマンスはできないかもしれないとも述べていた。タクロウに続いてのアクシデントであるが、理由が「風呂で転んだから」というものであり、セイヤには老人扱いされ、ソゴウには
「俺たちが心配して声をかけたりすると何かと肋骨折れてるアピールをしてくる」
と苦言を呈される。そのソゴウの苦言への反論をセイヤがヨコタの真横で
「聞きましょう、聞きましょう!」
と言って変なポーズをしながら立っているのだが、あれはインディアンスのネタのものだっただろうか。ヨコタいわくメンバーがあんまり自分のことを心配していないと思っているらしいけれど。
そんなヨコタが座ってキーボードを弾き、セイヤは
「Saucy Dogにはたくさんラブソングがありますが、我々がラブソングを作るとこうなります。タイトルは下ネタみたいですが、決して下ネタではありません」
と言って、ブルースハープを吹きながら「ぬいペニ」を歌う。確かにSaucy Dogのラブソングとは全く違うラブソングであるが、これはキュウソにしか作れないというか、セイヤにしか書けない歌詞の、いわゆる通常のラブソングとは全く違う形のラブソングであるし、なんだか通常のラブソングよりも自分ははるかに切なく感じてしまう。それはもしかしたら自分にとってはこの曲の方がリアリティがあるからなのかもしれないが、本当にタイトルで下ネタと判断してしまうには勿体なさすぎる名曲だと思う。
今この状況で他の曲たちを押しのけてまでセトリに入ってくるというセイヤが再びギターを弾きながら歌う「邪邪邪 VS ジャスティス」は
「悪を持って悪を制す 勝った方が正しくなる
悪を持って悪を制す 勝った方が正義になるんだな」
という歌詞がどこか今のコロナ禍におけるSNSの状況にリンクしているように感じるような。それはきっとこれからもこの曲の歌詞でそう感じるような状況が何度となくやってくるんだろうな、とも思ってしまうことであるが。
レゲエなどのレイドバックしたサウンドを取り入れて観客の腕を前後、時には左右に揺らしながらも、その歌詞にはキュウソの天才性が感じられる「米米米米」は最近ユニコーンがリリースした「米米米」(マイベイベー)という曲が話題になったことを考えると、もっとバズってもおかしくない曲であるし、それをバンド側も感じているからこそこうしてセトリに入っているんじゃないかとも思う。今は「米!」と我々が叫ぶことはできないが、そのフレーズで繋がりあっている関係というのも実に奇妙なものであり、やっぱりどうしてもこのライブが終わったら米が食べたくなってしまう。
セイヤがようやくSaucy Dogと対バンできたことの喜びをめちゃくちゃ高い語気で語りまくり、袖にいたSaucy Dogのメンバーも戸惑いを見せていると、ヨコタは
「実は打ち上げをやったら石原君じゃない2人の方が面白いっていうのがスリーピースのバンドによくあるパターン。だからまた対バンして打ち上げしたい!」
と秋澤とせとの本性を引き出そうとし、石原と仲の良いPAから天然エピソードを多々聞いているというセイヤは
「サウシーがリハをやってる時に、誰もいない客席のど真ん中に座って「先輩やで〜リハ見るで〜」みたいな感じ出してたら石原が
「なんか照れますね(笑)」
って言ってて(笑)2人に聞いたら普段のリハはもっと殺伐としてるらしい(笑)」
という我々がなかなか見ることができないサウシーの一面を垣間見せてくれる。
そうこうしてるうちにステージにはかなり髪が伸びて中分けになった髪型のタクロウが登場。つまりはここからは5人でライブを行うということであり、実際に「ギリ昭和」からは5人での演奏となるのだが、それまでの4人+ベースの音源という形でのライブも、もちろん視覚的な寂しさなどはあれど、全然悪いものではなかった。
でもやはり目の前でベースの音が鳴っていて、その振動が耳と体に届くというのは何物にも変え難いライブだからこそのものだ。そしてそれを鳴らしているのが他でもないキュウソのベーシストであるタクロウである。まだタクロウ自身は少し控え目な形ではあったけれど、やっぱりこれがキュウソとしてのあるべき形なのである。気づけばヨコタも肋骨が折れてるのを忘れさせるくらいにショルダーキーボードを間奏で弾いている。そんな当たり前のキュウソのライブの光景が見れていることの喜びを世の中もバンドもこうした状況になったからこそより感じられる。
セイヤのタイトルコールからしてすでにエモーションが炸裂しまくっている「ビビった」でもやはりこの刃が5本揃っているからこそ、その鋭さをしっかり感じることができる。それこそ
「なめんじゃねぇ!」
は今自分たちが置かれている状況とそれによる見方に対して中指を突き出しているかのようだ。この今のライブハウスのルールの中でもできる「クソワロダンス」も本当に壮観であり、もしかしたらステージからは今までのライブと変わらないくらいの景色が見れていたんじゃないだろうかとも思う。
「この5人で、The band!」
と言って演奏された「The band」ではその言葉通りにバンド側も観客側もエモーションが最大限に高まる。それは間奏部分でセイヤとタクロウがハグするというシーンがあったからだ。そしてタクロウは曲終わりでは目元を長袖の袖部分で何度も拭っていた。この曲で歌われている、
「ロックバンドでありたいだけ」
というメッセージが今まで以上にリアルに突き刺さってくる。やはりキュウソはこの5人じゃないといけないバンドだからだ。もちろんタクロウは結成時からのメンバーではないけれど、自分はこの5人のキュウソしか知らない。代わりに誰かが参加するという形すらもバンドは取らなかった。それはこの5人ではなくなったらキュウソというロックバンドではなくなってしまうということをメンバー自身がわかっているからだ。そこにはきっとずっと見てきた我々でも知りようもないようなたくさんの経験や思い出をこの5人だけで共有してきたというのがあるのだろう。
そうした感動的とすら言えるような「The band」の後に演奏されたのは、
「また元のライブハウスに戻れるように!」
という願いを込めるように演奏されて、観客が飛び跳ねまくったライブハウス讃歌「3minutes」。今ももちろん楽しい。キュウソのライブが見れて、メンバーが目の前にいてくれるだけで。でももっと楽しい空間をまだ覚えている。みんなでセイヤの足や体を支えたり、盆踊りでサークルを組んだり。そしてそれはキュウソのライブに来ているという実感を何よりも感じさせてくれるものだった。このZepp Tokyoのたくさんある柵を乗り越えて客席の真ん中まで人の上を歩いてくるセイヤの姿を、もっとちゃんと焼き付けておけばよかったと思ってしまった。
アンコールでも再び5人でステージに登場すると、オカザワがヨコタに
「本当に肋骨折れてるんですか?」
と問いかける。そう思うくらいに全く痛そうな素振りを見せないパフォーマンスだったからで、ある意味ではオカザワのこの言葉は観客の気持ちの代弁であるとも言えるのだが、
「よくライブだとアドレナリンが出てて痛いのも忘れるっていうけど、忘れることはないのよ、痛いから。でもみんながいてくれるからライブができるっていうのは間違いなくある。みんなが待っててくれるからさ(ちょっとキメたような顔をして)
でもタクロウのことがあって、俺の骨折があったから、「キュウソお祓い行った方がいいんじゃない?」みたいな意見も見たんよ。お祓い行かなくても大丈夫だから!キュウソネコカミっていうバンド名の由来知ってる?ピンチの時ほどチャンスっていうことやから!骨だって再生したらもっと強くなるっていうから、これを乗り越えた我々はもっと強くなりますよ!」
とヨコタは「良いこと言うとだいたいライブレポではボーカルが言ったみたいに書かれる」と言っていたが、間違いなくセイヤではなくヨコタはこう口にしていた。
自分はキュウソをずっと本当に凄いバンドだと思っているし、だからこそこうやってライブを観続けてきたのだが、どうやらもっと凄く、もっと強くなるようだ。果たしてそうなったらどこまで行ってしまうんだろう、どれだけ凄くなってしまうんだろう、とも思うけれど、そうなったとしても、
セイヤ「俺の名前を勝手に占ってその結果を送ってくるなよ!(笑)」
という親しみやすさというか、精神的なバンドとファンの距離の近さは変わらない気がする。
そしてキュウソにとってはおそらくは最後のZepp TokyoでのライブがSaucy Dogとの対バンとなったことを、
ヨコタ「初めて対バンするバンドとZepp Tokyoで最後にやれるって前を向いている感じがしてええよな。
でもSaucy Dogの3人にも、Saucy Dogのファンの人にも、俺たちのファンを観てもらいたかった。思いやりとマナーを持った、自慢のファンやから!」
と語った。その言葉が全ての我々キュウソファンへの何よりも強い肯定だった。こうしてコロナ禍にライブハウスに足を運んでいるととやかく言われることもあるし、正解かどうかはその人の価値観によるだろうけれど、この言葉を言ってもらえて、本当にこうしてここに来ることができて良かったと思った。
そんなライブの最後はもちろん、我々とバンド、周りにいる人たち全てに向けた「ハッピーポンコツ」。ソゴウの力強いドラムの連打によるイントロも、飛び跳ねるようにして(やはり骨折してるとは思えない)キーボードを弾くヨコタも、思いっきり感情を込めて歌うセイヤも、クールなようでいて笑顔が見えるオカザワも、そしてやはり今までのようにサビ前で台の上に立ってポーズを決めることはしない、控えめなタクロウも。ここにいた全ての人が幸せになって欲しいとこの景色を見て思うとともに、ヨコタが「お開き!」の後に
「みんな必ず元気でまた会おうな!」
と言ったように、全ての人が健康であるように。キュウソの音楽やライブはそうして自分の心を浄化してくれる。それはメンバー自身がそう思ってくれているのが本当に伝わってくるからだ。正直に言って、この曲中には涙が止まらなかった。そういう感情にこそキュウソというバンドの本質があるのだ。
最後のサビ前に微かに腕で力瘤を作っているように見えたタクロウは演奏終了後、両膝に手をついていた。それはこうしてライブをやり切って感極まっていたのか、それとも控えめなアクションだったのも、バンドに迷惑をかけてしまった、ファンに心配をかけてしまったと思っていたのかはわからない。でも後者のような感情を少しでも持っているならば、絶対に自分を責めないで欲しいと思う。何よりもメンバー自身が健康でいてくれて、こうしてライブが見れることが我々にとっては1番嬉しいことなのだから。これが声を出せないというルールがなければ、タクロウの名前を呼んだり、「おかえり」や「ありがとう」と言ってあげたかった。
「あなたのおかげで楽しい」
という「ハッピーポンコツ」の歌詞を、メンバー全員で感じさせてくれるバンドだからだ。
すると場内には「キュウソネコカミ」が終演BGMとして流れた。その中でメンバーはそれぞれ観客に手を振ったりしてからステージを去っていったのだが、
「帰るタイミングを逃した〜」
というヨコタは最後まで残ってキーボードの前で歌っていた。1番元気なんじゃないか、と思うくらいにやっぱり肋骨が折れてるとは思えなかった。
タクロウの怪我も、ヨコタの骨折も。ライブを延期にして治ってから振替公演をやるとしたとしても誰もバンドのことを責めないだろうというくらいの満身創痍っぷりだ。
それでもキュウソがこうしてステージに立つ、ライブをやる、なんなら4人でもやる、という形で活動してきたのは、今年の夏に自分たちも出演するはずだったライブやフェスが次々になくなり、そのたびに音楽を必要としていない人の言葉に悲しい思いや辛い思いをメンバーがしてきたからだろう。
実際にそうした中止が続いた後にイベントに出演したのを見た時、どのバンドよりもキュウソはそのことに傷ついているように見えた。我々がフェスがなくなって悲しんだりしているのと同じように。
そんなメンバーのバンドだからこそ、自分たちのツアーが延期や中止になることによって、自分たちのファンを悲しませるようなことはしたくない。その辛さがわかっているから。それこそがキュウソがこのバンドの状態でもこうしてツアーファイナルを完遂した理由なんじゃないだろうか。我々のことを本当に大事に思っているバンドであると同時に、我々と同じように音楽とライブを愛しているバンドだから。
1.推しのいる生活
2.馬乗りマウンティング
3.KENKO不KENKO
4.囚
5.ぬいペニ
6.邪邪邪 VS ジャスティス
7.米米米米
8.ギリ昭和
9.ビビった
10.The band
11.3minutes
encore
12.ハッピーポンコツ
文 ソノダマン