まだコロナが猛威を奮っていた今年の初頭、ライブハウスなどでも「ライブをやってはいけない」みたいな空気が蔓延していた。実際にまだいろんなライブが中止や延期になりまくっていた中で、長い眠りから覚めたばかりだから外界の状況を知らないかのように(でも感染対策は施しながら)、Syrup16gは新木場STUDIO COASTでライブを行った。
「誰も来てくれないかと思っていた」
なんて言いながらも間違いなく我々観客と向き合っていたそのライブはこれまでのSyrup16gの曲たちが、今、この状況の世の中でこそ刺さるものであることを改めて示してくれるものになっていたのだが、これまでの活動ペースから考えると、まさか年内にまたこうしてライブで会えるなんて思っていなかった。それが現実になったのがこの日の東京ガーデンシアターでの「20210」という明らかに示唆的なタイトルのライブである。
とはいえ自分は仕事の都合で完全に遅刻してしまい、ガーデンシアターについて来場者フォームへの入力、検温と消毒を経て場内に入った時にはすでに19時を35分くらいは過ぎていた。(同じように駅からダッシュしていた方々をこんなに仲間だと思えることはない)
なので薄暗い場内では当然ながらすでに演奏が始まっているのだが、ステージを見ると五十嵐隆(ボーカル&ギター)は椅子に腰掛けてアコギを弾きながら歌っているという姿に「?」となるし、そもそもこの曲はなんだ?と思う。明らかに聴いたことのない、3人の頭上のミラーボールが光る、酩酊感を与えてくれるような曲を演奏しているし、だからなのか観客は全員椅子に座った状態で鑑賞というようなスタイルをとっていて、静まりかえっている。いくら盛り上がるとかいう言葉が似合わないSyrup16gのライブとはいえ、どこか異様な空気感である。(最初から見ていた人が、本編では座って観覧するようにというアナウンスが流れたことを教えてくれたのだが、この時はまだそれを知らなかった)
すると曲終わりで中畑大樹(ドラム)が
「秋の新曲祭りっていうことで…」
と口にし、やはりこの聴いたことのない曲が新曲だったということがわかるのだが、祭りと題しているだけに、そこからも次々に新曲が演奏されていく。
五十嵐はアコギを弾く曲も多いのだが、その際には椅子に座って弾きながら歌い、エレキの時は立ち上がるというスタイル。それはまさかの
「ストラップを忘れたから」
という理由であることがのちにわかるのだが、青白い照明に照らされる3人がその色合い通りにバンドとしての蒼さを感じさせるようなオルタナ的なギターロックから、メロからサビへの展開が実に激しい、背面に花柄のような模様が照明で描き出されるサイケデリックな曲、真っ白な照明が真後ろからメンバーを照らすことによって、姿だけではなくて曲すらも神聖に感じられるような曲と、その新曲たちは実にバラエティに富んでいる。
しかしながらそのどれもが完全にSyrup16gの曲でしかない。五十嵐のボーカルとギター、今や宮本浩次バンドのメンバーとしてもライブをしまくっているキタダマキのベース、新曲群では荒ぶる場面はほとんどなく、生まれたばかりの曲を丁寧に演奏していくという感じの中畑のドラム。Syrup16gにはその要素しかない。時代に合わせた進化もしていないけれど、だからこそずっと変わることのない、いつでもどんな曲でもこの3人が鳴らしてさえいればそれがSyrup16gの音楽になるという感覚。何があろうと、どれだけ時代や世界が変わろうと全くブレることのない世界がここには閉じているようにも見えて広がっている。
中畑「新木場でのライブが終わった時はまだ今日のライブは決まってなくて、当分ライブないな〜って思ってたら、がっちゃん(五十嵐)から
「スタジオに入ろう」
って連絡が来て、そこで10曲もの新曲が出てきた(笑)」
とこうして新曲を連発するライブになった理由を明かしたのだが、五十嵐のボーカルは初めて聞く曲では何を歌っているのかまではハッキリ聞き取ることができない。それはかつてもこうしてライブでやたらと新曲をやっていた頃のことを思い出させてくれるのだが、このコロナ禍の状況において生み出された曲たちであっても、そうした状況だからこそ響いたり刺さったり、「これは今のための曲だ」と思うこともあれど、きっと五十嵐からしたらそうした意識は一切なく、ただひたすらに自分の中から湧き出てきたものだからこそ、こんなにもSyrup16gの曲になるのだろうし、これまでに生み出した曲と同じように、この曲たちもまた未来のどんな状況の時に聴いても「今を歌っている曲だ」と感じるような普遍性を持つようになるのだろう。
その新曲を10曲演奏すると、
五十嵐「やれって言われるとやりたくなくなる(笑)だから10曲って言われるとさらにやりたくなる(笑)あと2曲新曲やります(笑)それがこのライブが「extended」っていう、拡張みたいなタイトルがついてる理由」
と言うと、なんとさらに2曲新曲を演奏する。照明がメンバーの近くまで降りてきて至近距離で照らすという演出も含めて、メロディの美しさが際立つシャープなギターロックというイメージの曲から、ひっそりと終わっていくような曲までであるが、まだ本当にバンドとして形にしたばかりという感じもする。(だからか、まだほとんどコーラスがない)
それはきっとこの曲たちがさらにアレンジされて研ぎ澄まされていくであろうことを感じさせるのだが、久しぶりのライブ、そもそもライブの機会自体が多くないバンドのライブでこんな内容にできるというのは、かつて解散する前もこうして新曲を連発していたバンドであるSyrup16gだからこそだと言えるが、観客それぞれに聴きたい曲や好きな曲があるということを新木場のライブで改めてわかったであろうけれど、あえてそうしたライブをせずに、今自分たちが1番やりたいこと、やりたい曲をやるという選択は表現者として最も純粋なものであるように思う。そしてその選択を観客が受け入れ、Syrup16gの新曲が聴けることを喜んでいたからこそ、温かい拍手が起こっていた。何よりも、今この2021年にこうして新曲を次々と生み出しているというのは、五十嵐隆が、Syrup16gが今を生きているということの証だ。これだけ新曲をやっても全くリリースがすぐにありそうな感じがしないというのもまた実にSyrup16gらしいと思っていた。
しかしさすがに新曲だけやって終わりというわけにも行かず、3人が再びステージに登場すると、
「アンコール行きます」
と言って、この日演奏された新曲たちに通じるサウンド(五十嵐がアコギだからということもあってか)の「希望」は、まるっきり希望の光が輝いて見えることがない今の世の中の状況で、数多の「希望」という名の曲とは全く異なる、わかりやすい希望を感じさせないからこそ、この状況の世の中であってもこうしてSyrup16gがステージに立ってこの曲を鳴らしていることが、微かな、でも確かな希望として感じることができる。それは闇の部分や空虚、虚無という人間の感情を描いてきたこのバンドだからこそ感じることができるものだ。
で、割と本編の新曲群ではおとなしめだったリズム隊もここから本領発揮とばかりに躍動し始めるのはキタダのベースがうねりまくる「神のカルマ」が始まったからであるが、やはり今聴くと最後のレンタルビデオのくだりは少し時代を感じるけれど、これがNetflixとかAmazon primeとかになったら曲のイメージは全く変わってしまうだろうし、立ち尽くして決められないからこそ感じる五十嵐らしさも消えてしまうかもしれないな、と思った。
本編では座ってライブを見ていた観客たちも少しずつ立ち上がって自分たちがこれまでに愛してきたSyrup16gの曲たちに時には腕を挙げたりしながら応えている。
そしてラストは
「いつかは花も枯れるように
壊れちまったね
ここは恐いね」
というフレーズがリアルディストピアと化したこの世の中の状況そのものを示しているかのような「Sonic Disorder」。五十嵐は正直、やはりいつも通りに声がめちゃくちゃ出ているわけではないというのが叫ぶように声を張る歌唱でよくわかるのだが、そこにそんな歌唱であってもそう歌わざるを得ない五十嵐のリアルが滲み出ていた。きっとこれをのびやかに歌いこなしたりしたらSyrup16gらしさが少し失われてしまうだろうな、というくらいに。
会場にBGMがうっすらと流れ始めてもさらなるアンコールを待つ手拍子が響いていたのは、規制退場のアナウンスが流れないだけにまだライブが終わっていないのがわかっていたからであると同時に、まだまだ観客たちには聴きたい曲がたくさんあったからだろう。
その思いに応えるようにして再び3人が登場すると、五十嵐は
「新しい曲を作っても昔の自分が歌っているままというか、進歩も進化もしてないなと思うことばかりなんですけど。僕は外界との接点もないんで、実存しているような感覚もなくて。でも今日やった新曲たちがまた早く皆さんに聴いてもらえますように」
と、やはりコロナ禍だから曲が生まれたというわけではなく、ただただ自身から湧き上がってきたのがこのタイミングだったということのようだが、自身も着用している、恒例となっている習字Tシャツの最新バージョン「没徒」はやはり自身の歌詞のものもある「bot」から取っていたようであるが、進化してないように見えても習字のレベルは上がっていると自賛するも、見るからに達筆そうなキタダに
「もっとトメとかハネとかさぁ!(笑)」
と突っ込まれることに。
そんな朗らかな3人の空気も再結成後から垣間見れるようになってきたものであるが、MC担当としてもその役割を担っている中畑を、
「大樹ちゃんがイメチェンして藤くんになるんで」
と紹介して演奏されたのは、藤くんことBUMP OF CHICKENの藤原基央がコーラスとして音源に参加していた「水色の風」。当然ながら中畑がそのコーラスを担うという意味であるのだが、自分はSyrup16gとBUMP OF CHICKENが邂逅することはもうないと思っている。今の両者はあまりにもいる場所が違うから。それでもこの曲を聞くと藤原のSyrup16gへの愛情を確かに感じることができるし、その音源はこれからもずっと残っていく。なによりも五十嵐が藤原が参加してくれたことを今でも嬉しそうに口にしている。そんな贈り物のような曲はどこかこの会場に涼しい風を吹かせてくれていた。
で、そんなある意味ではファンの期待のさらに上を行くようなことをやってくれている五十嵐が
「俺は期待はずれ まとはずれ
バカは並みはずれ 寝て忘れ」
と自虐的な歌詞を歌うギャップが実に面白く感じる「ソドシラソ」からはここまでは少し控えめだった、このバンドの持つ獰猛さが強く顔を出し始める。
「歌うたって稼ぐ 金を取る
シラフなって冷める あおざめる
辛くなってやめる あきらめる
他に何ができる?」
という歌詞はこの曲が生まれてから20年近くも経つ今でも、色々経てきながらも五十嵐がSyrup16gとして歌うしかない男だということを自ら予見していたかのようだ。
その五十嵐は足元のエフェクターを操作しながらノイジーなギターの音を生み出し、その間も中畑がドコドコと連打するドラムを叩いて繋いでいると、それが徐々に「天才」のイントロへと連なっていき、五十嵐は
「オイ!」
と叫ぶように声を上げる。気づけば周りでは立ち上がって拳を上げている人もたくさんいるが、
「遊ばない カラまない 力合わせたくない」
人たちばかりであると思われるSyrup16gを好きな人たちが自分を開放できるのはこうした場くらいだよな、と思うような景色が広がっている。そしてそれはスティックを重ねて音を鳴らしたり、手数を増やしまくる進化を今でも感じさせる中畑のドラム、音の大蛇というくらいにうねりまくるキタダのベースというリズムの躍動感と強さによってもたらされている。ライブでなければいけない理由が確かに目の前で鳴らされている。そのバンドの音楽を作っている五十嵐のことを今でも自分は天才だと思っている。
そしてその獰猛なバンドサウンドは「真空」で極まる。観客が体を揺らさざるを得ないくらいに激しいドラムを連打する中畑は
「ロックンロール!!!」
とこの曲でのおなじみの雄叫びをあげる。かつての解散時までは「五十嵐と中畑の音楽的な相性が良くない」と言われることも多かったけれど、それでもやはりこの2人がそれぞれの音を鳴らしていてこそSyrup16gであり、この興奮と感動があるのだということを改めてわからせてくれるようなパフォーマンスだ。実際に五十嵐は解散後に違うバンドを始めたりもしたが、それも一瞬で終わってしまった。もうきっとこの2人としか、この3人でしかバンドはできないんだろうなと思う。五十嵐の
「イェイイェイイェー!」
の叫びはそのバンドをやれていることの喜びと実感を炸裂させているかのようだった。曲が終わった瞬間、客電が点いたことがよりそう感じさせたのだった。
基本的にステージから全く動かない五十嵐はステージを去る時だけはほんの少しだけ機敏さを感じさせるというか、なぜか急ぎ気味に去っていくのだが、さすがに電気も点いたしもう終わりかな?と思っていたら、スタッフが撤収のために出てきたのかな?と思うような感じで3人が急いでステージに登場するや、ここにきてさらにグルーヴが極まるようなセッションを展開してから「落堕」の演奏へと突入していき、五十嵐がギターを掻きむしりながら
「明日また熱出そう」
と歌う。今はなかなか熱があるとライブハウスにも入れなかったり自宅で待機、あるいは病院で検査となってしまうような時代になってしまったけれど、客電が点いた状態であるために、ここまではずっと暗かった客席の様子がしっかり見える。こんなにたくさんの人がこの会場に来ていたのか。その中の多くの人が立ち上がって腕を振り上げている。きっとSyrup16gのファンの人は解散前のようにライブが多くない今はそもそもライブハウスに行くことすらほとんどないかもしれない。
でもSyrup16gがライブをやるというのなら、こうしてこんな状況の世の中でもチケットを買ってライブを観に行く。このバンドの音楽じゃないと、ライブじゃないと昇華できない感情があることをわかっているから。今も昔もずっと変わらないのは、このバンドのライブを観た翌日は「寝不足だって言ってんの」って言いたくなる状態になってしまうということだ。
まさかこのコロナ禍の中で1年に3回もSyrup16gのライブを見れるなんて全く思っていなかった。1回もライブを見れない年の方が多いというくらいのバンドだから。しかも年始には決まっていなかったこのライブで新曲までもたくさん聞かせてくれる。
なぜSyrup16gはこうして今の世の中になって頻繁にライブをするようになったのだろうか。それは五十嵐にしか、メンバーにしかわからないことなのかもしれないが、この世の中の状況でこそ刺さるような曲を今の世の中に向かって鳴らしている3人の姿は、生きにくい人たちにこのディストピアの世の中を生き抜くための力を与えにきたヒーローのようにすら見えた。
1.新曲
2.新曲
3.新曲
4.新曲
5.新曲
6.新曲
7.新曲
8.新曲
9.新曲
10.新曲
11.新曲
12.新曲
encore
13.希望
14.神のカルマ
15.Sonic Disorder
encore2
16.水色の風
17.ソドシラソ
18.天才
19.真空
encore3
20.落堕
文 ソノダマン