DREAM MATCH 2021 〜アコースティック編〜 菅原卓郎(9mm Parabellum Bullet) 中村一義(Acoustic Set With 三井律郎) 新宿LOFT 2021.4.7 中村一義, 菅原卓郎
9mm Parabellum Bulletの菅原卓郎と中村一義という、なかなか普通は思いつかないような組み合わせを「DREAM MATCH」と題して開催してくれるのが実に新宿LOFTらしいと思う。
実際に両者の昔からのファンである身としても、この組み合わせのライブを見れるなんて全く想像したこともなかった。過去の、僕の想像の向こう、である。
検温と消毒を経て開演時間ギリギリに滑り込んだ新宿LOFTの客席には、最前エリア(1番低い部分の客席)に椅子が置かれており、そのエリアには丸テーブルも置かれているということもあって、いつもの新宿LOFTがまるで老舗の喫茶店のようである。生配信も行われているとはいえ、おそらく来場者の数は50人ほどだろう。
・菅原卓郎
開演まではステージには幕がかかっているというのは新宿LOFTならではであるが、19時になると場内が暗転してラフな出で立ちの菅原卓郎が1人ステージに登場。アコギを手に取ると、掻き鳴らすというよりは爪弾くというニュアンスが強いし、
「生き延びて会いましょう」
と再会を約束する「名もなきヒーロー」もそうであるし、9mmのアコースティック編成時もそうであるが、卓郎のアコギはラテン的な要素が強い。それによってバンドで演奏される原曲とはイメージがガラッと変わるし、弾き語りだからしっとり、という普通のバンドのボーカルの弾き語りよりもはるかにライブそのものが情熱的になる。
とはいえバンドでのライブよりもはるかにリラックスして喋ることができるというのもまた事実であるだけに、
「バンドでライブをやってみんなが声を出せずに拍手だけをしてくれるっていうことには慣れてきたんだけど、弾き語りだと慣れないね(笑)」
と、観客側もなかなか拍手をするタイミングも難しい弾き語りであるだけにこの状況下での空気を完全には掴みきれていない様子。
「東京はもう桜もほぼ全滅してしまいましたけれど、9mmにも実は桜の曲があるんですよ」
と言って演奏されたのは「DEEP BLUE」という終わりなき青春を表したアルバムだからこそ、その根幹となっている「君は桜」。
9mmとしてのこの曲は桜が満開の、あるいは散りゆく桜の花びらのシャワーをバンドが一身に受け止めながら演奏している、というのが個人的なイメージなのだが、弾き語りでのこの曲はまさに今の東京のような、桜が散ってしまった後の夜、足元に花びらが落ちていることに気づいて花を無くした桜の木を眺めているかのような。そう感じさせるのはやはり卓郎のアコギ1本と歌だけという形態での表現力である。
弾き語りというのはバンドでのライブよりもはるかに選曲の自由度が高いだけに、卓郎もこれまでに様々なカバーを弾き語りしてきたわけであるが、この日は先輩であるOAUの「帰り道」をカバー。そもそもがOAUのAはアコースティックの意であるだけにこうして弾き語りでやるのにふさわしいバンドの曲と言えるのだが、アコースティックのバンドであっても力強さを感じさせるTOSHI-LOWの太い声に比べると、卓郎の歌唱は穏やかさを感じさせるものになっているというか。ドラマの主題歌にもなった曲であるが、そうした人情味をより強く感じさせるものになっている。
「子供の頃にいつもラジオを聴いていて。中学生の頃とか、日曜日の午前中に剣道の道場に行って、帰ってきてギター抱えながらウトウトしてラジオを聴いたりしていて。
中でも「ミュージックスクエア」っていう番組をよく聴いていて、そこでかかる曲を知って、っていう感じだったんだけど、月が変わると番組のオープニングテーマが変わって。1997年のある時にオープニングテーマになったのが中村一義さんの「犬と猫」で。やっぱり新しいオープニングテーマってどういう曲だろう?ってドキドキするじゃないですか?そしたらいきなり歌い出しが
「どう?」
って問いかけてくるっていう(笑)衝撃を受けましたね(笑)
それこそ1997年当時は山形の、CD屋もなければコンビニすらないくらいのど田舎に住んでたから、ラジオや雑誌で音楽を知るっていう感じだったんだけど、近所に住んでる幼馴染の女の子のフェイバリットアーティストが中村一義とAIRで。今こうして俺が中村一義さんと一緒にライブやってるって知ったら驚くだろうな。連絡先知らないから伝えようもないけど(笑)」
と、意外な共演であるかのようでいて、しっかりと卓郎から中村一義へのリアル過ぎる経験あるからこそのリスペクトを口にすると、幼馴染が中村一義とともにフェイバリットだったというAIRの「Today」をカバー。
世代的には卓郎と同様に中学生の頃に中村一義やAIRがデビューしてきて…(他にはDragon Ash、椎名林檎、くるり、SUPERCAR、NUMBER GIRL、GRAPEVINE、TRICERATOPSなどのいわゆる「97年デビュー組」)というのをリアルタイムで経験しているし、AIRも何度もライブを見ていただけに、9mmという大好きなバンドのボーカルの卓郎が、大好きなAIRの曲を歌うというのはたまらなく嬉しいことだ。
曲の持つ独特の浮遊感を強調する卓郎の声。
「でもこの後に続く あのギターソロがちょっと…」
というフレーズの後に狙って挟まれる間奏のギターソロを、ちょっと…と思わないくらい見事に弾きこなしている卓郎。それは自身のギターの技術の高さと、何よりも多感な時期に聴いてはこうして歌ったりギターを弾いていたのであろう、この曲への愛情が詰まっていた。
「ほら芝生で手をふく君の
そんな仕草で満たされてた。」
というギターソロの直後の歌詞もまた、リリースから20年以上経ってもその光景の、少しだけでも笑顔になれるささやかな幸せを切りとっていて、今でも本当に素晴らしいと思う。
卓郎はこうして今日中村一義に会えて、一緒にライブができて感激していたが、AIRこと車谷浩司にはまだ会ったことがないという。そもそも車谷は今はAIRとしては活動していないが、一夜限りの復活(2011年の幕張メッセでのイベントに出演)の時のライブからもう10年。パンク、ロックとは今はもう車谷の音楽的な趣向、興味は違うところにあるのだろう。
それでもこうしてAIRとして残した曲を改めて聴くと、やっぱりまたライブでもAIRの名曲を聴きたくなる。千葉ロッテマリーンズの井口監督の現役時代の応援歌だった「Kids Are Alright」は、若い世代にも知っている人がたくさんいるはず。
「This is certain our song!」
という、応援歌の最も盛り上がる部分に使われていたフレーズの通り、紛れもなくAIRの音楽は我々の歌だった。
そんな意外な選曲には思わず「今日来て、生でこの曲を卓郎が歌うのが観れて本当に良かった…」と、すでにライブが終わったかのような余韻に包まれていたのだが、さすがにまだ終わるなんてことはなく、卓郎は
「こんな状況でもなかったら、次の曲をやる前に皆さんドリンクカウンターでお酒を買ってもらってから…とか言えたんだけど」
と言って、弾き語りではよく歌う、石川さゆり「ウイスキーが、お好きでしょ」のカバーを披露。
ソロでは思いっきり歌謡曲に振り切れているし、9mmのメロディにもその素養を感じる(「キャンドルの灯を」のメロディや歌詞など)のだが、それは作曲を担う滝というよりも、卓郎というボーカリストから感じるものなのかもしれない、とこうしたカバーを聴いていると思ったりもする。
「もう少ししゃべりましょ」
というフレーズも「ウイスキーが、お好きでしょ」にもあるが、本人も自覚していた通り、もう少しどころか、卓郎は弾き語りだとめちゃくちゃ喋る。
「2020年はいろんなライブハウスを回るツアーをやって、みんなに会いに行こうと思ってた。それこそこのLOFTの4列目くらいまでしか客席がないくらいに小さいライブハウスとかにも行くつもりだった。
まぁその「Never Ending Tour」は終わらないどころか始まることもなかったんだけど(笑)、ボブ・ディランが元々「Never Ending Tour」っていうのをやってて。終わらないツアーっていいなと思って。そのツアーのために去年作った曲です」
と言って歌い始めたのは、今や9mmのライブでも欠かせない曲になりつつある「白夜の日々」。
「君に会えなくなって 100年くらい経つけど」
という歌い出しの歌詞はどうしたってそうして予定されていたツアーも中止になって会えなくなってしまったというこの状況下でのものであるかのように響くが、卓郎は9mmとしてもすでにワンマンも対バンもこの状況でも有観客で開催した。もちろんまだライブを見に来ることができない人がたくさんいるということも、ツアーで行く予定だった場所になかなか行くのが難しいということもわかっているだろう。
それでも、こうしてこの日も弾き語りという形態で我々に会いに来てくれた。
「答えひとつ持って 流されずに 生きるために 君に会いに行くよ」
という歌詞の通りに、他の人の意見に流されたりするのではなく、自分で考えた上でその歌詞を有言実行してくれている。曲の持つメッセージがこうしてライブで聴くたびに強くなってきている。
それはやはりこの状況下でも有観客ライブに出演している、滝とのユニットのキツネツキにおいてもそうであるが、弾き語りで歌ったそのキツネツキの「まなつのなみだ」は轟音ギターという装飾を剥がした中にはこんなに美しい素顔があったのか、というくらいにメロディの素晴らしさが際立っている。どこか真夏というよりは夏の終わりを想起させるのはアコギのみというサウンド故か。
「8月はあなたに会いたい」
というフレーズの通りに、今年は8月にフェスなどでも会いたいものである。
「いつも弾き語りの時にギターリフをみんなに歌ってもらうっていう曲をやってるんだけど、今は出来ないので、手拍子でもしてくれたら。
アマチュアの頃に対バンとかで
「全員歌うまで帰らせねーぞ!」
って言う人もいて、「帰りたいなぁ」って思ってたけど、それを自分もやるようになるとはっていう(笑)」
と言って、観客が歌えないかわりに卓郎が通常のボーカル部分だけではなく、ギターリフを弾きながらそのリフを口ずさむという忙しさを見せたのはもちろん「Black Market Blues」。
「218秒かけて 新宿LOFTにたどり着いたぜー!」
と、歌詞をその会場バージョンに変えるのはおなじみであるが、卓郎のみがリフを口ずさむことによってどこかコミカルな空気に包まれる。実際に卓郎も少し照れ笑いをするような感じでリフを口ずさんでいたが、それはバンドでこの曲を演奏している時のカッコよさからは間違いなく感じることのできない、弾き語りならではのものである。
そしてラストは
「長い夜が明けた」
と、ライブを見ることが出来なかった暗闇の日々から徐々に状況に合わせたやり方でそんな夜が明けてきていることを示唆するような「The Revolutionary」。バンドにおいても弾き語りにおいても起こる大合唱は今はまだすることはできない。それでも、
「世界を変えるのさ 俺たちの思い通りに」
というフレーズでこの曲が締められるように、また自分たちが思い描くライブの日常が取り戻せるように。
「これはとんでもないアルバムが出来たな」
と思った「Revolutionary」ももうリリースから10年以上経った。それでも全く色褪せないどころか、今の世界をロックバンド、ライブハウスとともに生きる我々のための曲にすらなっている。それはきっとさらに10年、20年経って、その間にどんなことがあっても9mmがそんな存在であり続けているということだ。
1.ハートに火をつけて
2.名もなきヒーロー
3.君は桜
4.帰り道 (OAUのカバー)
5.Today (AIRのカバー)
6.ウイスキーが、お好きでしょ
7.白夜の日々
8.まなつのなみだ
9.Black Market Blues
10.The Revolutionary
・中村一義 (Acoustic Set With 三井律郎)
転換中も幕が下がっていて、その様子を見ることができないのが新宿LOFT方式。とはいえ、三井律郎(THE YOUTH)を伴ったアコースティックセットの中村一義であることが発表されているため、特段隠すようなこともないとは思うのだが。
と思っていたら、
「お久しぶりです!」
と本人も言う通りに久しぶりに目の前に現れた中村一義は一時期よりも痩せてシュッとした体型になっているのだが、それよりも髪が後ろで結くくらいにまで伸びており、合わせるように両サイドまで伸びていることで、なんだか小岩にいるおばちゃんっぽさが強くなっている。(中村一義は小岩在住)
近年の相方的な存在になってきている三井律郎は椅子に座ってアコギを持ち、中村一義は長いコートを羽織った状態で、まずは
「卓郎君、素晴らしかった!ありがとう!」
と、自分の音楽を聴いて育った後輩へ感謝を告げてから、昨年リリースの最新アルバム「十」のオープニング曲「叶しみの道」を歌い始める。
リリースが2月、曲作りやレコーディングはさらに前に終わっていることを考えると、コロナの影響が曲に出ているということは全くないはずであるが、
「この哀しみをもう、忘れないだろうな。
今日、終わったこの日からさ、始めればいい。
この喜びをもう、忘れないだろうな。
そう言って、この友と、歩けりゃあ、いい。」
というサビのフレーズは今のこの変わってしまった世界に対する中村一義からの宣誓のようですらある。
「この友と、」
というフレーズではハンドマイクであるがゆえに三井だけならず客席の方にまで手を伸ばしながら歌う。「友」の括りに入れていただくのはおこがましいことこの上ないが、それでもこうしてこの状況で会いに来てくれる人を中村一義は心から信用しているのだろうし、こうして会えたことによる嬉しさが声からも感じられる。
そう、この久しぶりの中村一義のライブの焦点の一つは、果たしてちゃんと歌うことができるのか?ということである。
コロナでライブが出来なくなる以前からも、中村一義はライブや活動にかなりブランクが空くというスケジュールで動いてきたし、それがモロに歌唱に現れることも多かった。もっとライブやればもっと歌えるようになるだろうに、と思うこともこれまでにも何回もあったからである。
しかしこの日は久しぶりとは思えないくらいに序盤から声が出ていた。だからこそアコギと歌だけという編成による
「クソにクソを塗るような、
笑い飛ばせないことばっかな。
それが人の姿とはいえ、
夢を見て、叶えたって、いい。」
というフレーズもまた20年くらい前の曲であるにもかかわらず今の世の中を綴ったかのような「セブンスター」はその美しいメロディが存分に堪能できる歌唱になっている。さすがに原曲でのファルセット部分はキーを落としたりもしているが、そもそもが無茶苦茶なくらいにキーが高すぎるメロディを作る人なので、そこばかりは致し方ないが、それを差し引いてもあまりに歌えていてビックリしてしまうくらいだった。来月からはツアーを回ることにもなっているし、きっとこの日のためにも入念なトレーニングや準備を重ねてきたのだろう。
それでも本人は
「ステージがこんなに暑いっていうことを忘れていたよ(笑)徐々に思い出していくから(笑)」
と、汗をタオルで拭い、2リットルのペットボトルに入った飲み物をラッパ飲みしながら、まだまだ完璧にライブの感覚を取り戻しているわけではないということを口にする。
「犯罪者であっても、スヤスヤ眠る、素晴らしき世界だね」
というフレーズがかつて「博愛主義」を掲げていた中村一義だからこそ、こんな時代であってもどんな人にも愛を忘れないというように、アコギのみのサウンドゆえに静謐に響く「素晴らしき世界」は数多くのアーティストが歌ってきたテーマであるが、中村一義でしか歌えない、出てくることのない言葉による歌詞の連なり。
「久しぶりだから喋りたい気持ちもあるんだけど、それよりも久しぶりだから時間の許す限り1曲でも多く歌いたい」
と、今自分がやるべきことにしっかり向き合うようにして、両手を左右に伸ばして「十」の形を自ら作り出す「十」と、まだライブでは全く歌っていない最新作のタイトル曲を歌い始める。
「十」というアルバムはこれまでにメンバーが変わったり、様々な音楽の要素を取り入れたりしながら音楽を作ってきた中村一義が今の自身によるデビュー作「金字塔」を作るような、原点回帰さを感じさせるものであるが、そうして曲にも無理をしていない感があるからこそ、歌のキーもファルセット連発というよりは今の中村一義で歌いやすい形になっており、ライブでも無理なく歌えているように感じる。
三井律郎がアコギを弾くだけでなく、弾きながらボディを叩くことでリズムをも担うという、今や時代を代表する歌姫となったAimerのサポートギタリストにしてバンマスすら務めるという三井のギタリストとしての腕が存分に発揮されているのが「いつだってそうさ」という久しぶりのライブにしては驚きの選曲。
そもそも三井がAimerだけでなく、こうして中村一義の相棒になるというのも最初は驚きだった。三井は元々はTHE YOUTHという、その名の通りに青春の日々の情景を衝動的なギターロックに乗せるという、シーンに出てきたタイミングとしても青春パンクバンドと見られてもおかしくないバンドのギタリストが、こんな器用なプレイヤーだったとは。それは続けてきたからこそ会得してきたものなのかもしれないが。
例えば100s時代の名曲「希望」のように、あるいは「ERA」収録の「虹の戦士」のように、中村一義の歌詞の中でも重要なテーマになってきた「虹」モチーフの最新ソング「レイン・ボウ」もそうであるし、中村一義がコートを脱いでから歌い始め、サビではタイミングが合わずに歌詞が飛んでしまう部分もあった「ショートホープ」はタイトルからしても、中村一義は一貫して我々に希望の光を感じさせるような音楽を作り続けている。それは安易な安っぽいものではなくて、独特の歌詞の筆致から描かれる、絶望のようなものを経験してきたからこその希望だ。(それは中村一義本人の生い立ちによるものなのかもしれない)
その「ショートホープ」では三井もコーラスを務めながらも、中村一義は声が出せないのはわかっていながらも客席にマイクを向ける。
中村一義は決してライブの本数が多くないアーティストだし、ライブハウスで生きてきたというタイプの人でもないけれど、こうして生の現場で交わすコミュニケーションが生み出すものがあることを知っている。だからこそ、声が出せなくてもこうしてマイクを向けたりするのだろう。それはこの日はキーを落として歌った
「この一瞬が永遠というものだから。」
というフレーズそのものの持つ意味であるかのように。
「声は出せなくても手拍子をすることはできる!」
とライブ序盤から中村一義は言っていたのだが、なかなか手拍子をするような曲はやらないなと思っていたところで、「君ノ声」でようやく手拍子をかなりささやかにすることに。
その「君ノ声」はライブでは常に
「ラ、ラ、ラ…」
というコーラスで観客との合唱を生み出す曲であるのだが、当然ながら声が出せない状況であるだけに、響くのは三井によるコーラスのみ。しかしながら、そのコーラスの後には
「君ん中、大きい声で、」
「その中に、その奥に…」
というフレーズが続く。それは観客が心の中で歌っていることを示しているようであったけれど、近い未来に中村一義にとっての「君」である我々の声が聞こえるような状況になることを願ってやまない。
そして
「卓郎君、会うのは今日が初めてだったんだけど、前にキャンペーンに行った時にラジオのブースで入れ違いになって、見かけたことはあって。
9mmって激しい、攻撃的なロックバンドだからそのイメージでいたんだけど、その時のイメージは森の中で動物が寄ってきそうな感じで(笑)
今日もそういう優しさみたいなものがわかったし、僕の音楽をずっと聴いていてくれたみたいで本当に光栄です」
と、初めての共演となった卓郎へ愛のある言葉を送ってから、「十」のリード曲でもある「愛にしたわ。」へ。
「ねぇ、愛にしたわ。ねぇ、逢いに行くわ。
どうせ、ふたつは無理なら、そうね、いっこ。
愛にしたら、ねぇ、愛、感じた!?
この、暗い銀河の向こう、かも…。」
という歌詞の通りに、ずっと生きとし生けるものへの愛を歌ってきた中村一義が改めて向き合った「愛」。ハイトーンな声を絞り出すように歌う姿は、中村一義が自身の持つ愛をこの会場に、今の世界に分け与えているかのようだった。
そして、
「みんな最後に心の声で歌って!」
と言って披露されたのは、2000年代最高の日本のアンセムだと個人的に思っている「キャノンボール」。
「僕は死ぬように生きていたくはない。そこで愛が待つゆえに。」
というこの曲のフレーズに何度奮い立たされてきただろうか。何度丸まってしまった背中をピシッと正されてきただろうか。それは今でも全く変わらないどころか、久しぶりにライブで聴くことによってまた新たに「死ぬように生きていたくはない。」と思える。
中村一義は最後のサビを、まるでこれまでのライブのように小声で、観客の声のガイドにするくらいの感じで歌うのが面白かったが、
「気持ちが入り過ぎちゃって」
という理由で、もはやファンの方がちゃんと覚えているんじゃないか、と思うくらいに、数え切れないくらいに歌ってきたはずのこの曲の歌詞が飛んでいた。それはきっと来月から始まる実に久しぶりのツアーでは挽回されるようになるはずだし、歌詞が飛んだとしても、70s、80s、90sだろうが、今が二千なん年だろうが、この曲の輝きは全く色褪せることはない。ここで愛が待つゆえに。
歌い終わると中村一義が楽屋にいた卓郎を呼び込む。本編で「犬と猫」をやらなかっただけに、これはアンコールで卓郎の思い入れのあるその曲でコラボか!とも思ったのだが、
中村一義「また次に一緒にライブをやれる機会が来たら、その時はセッションとかもできるように」
卓郎「是非是非」
と、まさかの揃っての挨拶で締められた。コラボは次の機会に持ち越されたわけだが、必ずその瞬間を、見たい、見たい、見たい。
1.叶しみの道
2.セブンスター
3.素晴らしき世界
4.十
5.いつだってそうさ
6.レイン・ボウ
7.ショートホープ
8.君ノ声
9.愛にしたわ。
10.キャノンボール
文 ソノダマン