最後にワンマンを見たのはいつだろうかと思って調べたら、2018年10月の5周年ツアーのZepp Tokyo 2daysだった。あの後すぐに飯田が失踪し、サポートメンバーを迎えながらもライブを行ってきたが、コロナ禍によって2020年に予定されていたライブも出来なくなり、谷口鮪(ボーカル&ギター)は新たに一緒に音楽を作り始めた仲間の突然の別れもあり、精神の不調によって活動休止となった。こう書いてみると改めて本当に色々ありすぎるくらいにあり過ぎたKANA-BOONのこの数年だった。
しかし今年の春から鮪が活動を再開すると、タイトルからして再始動を宣言するものであるシングル「Re:PLAY」をリリースし、鮪の復活祭とも言えるそのツアーが昨年から開催。無事にというか何というか、今の厳しい状況の中であってもこの日のZepp DiverCityでファイナルを迎えた。
検温と消毒を経てDiverCityの中に入ると、客席はやはり椅子席となっているのだが、どこか楽しみではあるものの、なんとも言えない緊張感も感じる。鮪が復活した春からフェスには出ていたが、ずっと見てきたファンの中にもKANA-BOONのライブ自体が本当に久しぶりという人もたくさんいるのだろう。
開演時間の19時を少し過ぎたあたりで場内が暗転して、Green Day「Know Your Enemy」がSEとして流れる。その選曲もどこか示唆的でもあるけれども、それは世代的にメンバーの原点の一つでもあるのだろう。
いつものように真っ黒一色の古賀隼斗(ギター)、外が極寒であることを忘れさせるくらいに半袖Tシャツの小泉貴裕(ドラム)、サポートベースのマーシーの3人が先にステージに登場して曲のリズムに合わせて手拍子を煽ると、最後に鮪がステージに現れて観客に向かって感謝を示すように深々と頭を下げると、鮪も手拍子を煽ってからギターを手にして、鮪、古賀、マーシーが小泉のカウントに合わせるようにすると、古賀のギターが何度となく聴いてきたキャッチーなフレーズを鳴らす、KANA-BOONの始まりの曲とも言える「ないものねだり」でスタートするというあたりにこのツアー、このライブがタイトルの通りにまた新しくバンドを始めていくという意識を感じさせる。
「ワン、ツー」
のカウントで観客は声を上げることはできないけれど、指はしっかりと「1,2」を作っている。曲が始まった瞬間に手拍子が起こるのも含めて、みんな本当にこのライブを待っていたということがよくわかる。
コロナ禍になる前は間奏で一大コール&レスポンスを巻き起こしていたこの曲であるが、
「もうそろそろみんなの声を聞けるかなって思っていたけど、そんなに甘くなかった。それでも、今だからできる楽しみ方で!」
と言って、メンバーが演奏を止めて観客の手拍子のみが響き、この会場にいる全員がKANA-BOONのドラマーとなることによって、
「みんな、こいちゃんよりドラム上手いやん!なんか、上手く言えないけど、こうやって一つになれている気がする!」
と鮪がいうくらいのリズムが鳴り響く。そのリズムに合わせて鮪が歌い始めると、古賀はステージ前に出てきてギターを弾く。その時点ですでに楽しいし、外の寒さを忘れてしまうくらいに会場が暑くなって、バンドと観客双方の熱気が満ちてきているのがわかる。
さらに鮪がギターを刻みながら歌い始める「盛者必衰の理、お断り」と初期の曲が続くのだが、やはり小泉の4つ打ちのリズムに合わせて客席からは手拍子が起きる。それはデビュー時に散々ディスってくるような人もたくさんいたかもしれないけれど、今こうして聴くと間違いなくKANA-BOONの型のようなものを作った曲であり、そのリズムと古賀の一度聴いたら忘れられないキャッチーなフレーズ、鮪の少年らしい蒼さを感じさせるハイトーンなボーカルと、そこにはKANA-BOONだからこそのマジックが確かにあったこともわかる。それは今でも続いているものであるけれど、きっとメンバーは当時はそのマジックに自分たちがかかっていることに気付かないくらいに無我夢中だったんだろうなとも思う。
またしても古賀のギターがイントロから炸裂しまくっている「フルドライブ」と、序盤から飛ばしまくるのだが、小泉の4つ打ちのリズムはこの曲では最高の加速装置として観客を踊らせている。それはKANA-BOONの4つ打ちが単なる踊らせればいいというものではなく、曲によって全く違う効果を生み出すものであるということだ。鮪のボーカルも高らかに響いているが、間奏で古賀と向かい合ってギターを弾いている姿を見るだけで涙が出そうになってしまう。本当にちゃんと鮪が戻ってきてくれて、古賀と小泉がちゃんと戻れる場所を守ってくれていたということに。
そんな飛ばしまくりのセトリを組んだ意図を鮪は
「みんなそれぞれいろんな時期にKANA-BOONと出会ってくれたと思うけど、そういう出会った時のことを振り返れるようなセトリにしました」
と語る。それはやはり間違いなくこのツアーからまた新たに始まっていくということである。
なのでKANA-BOONの持つロックバンドの獰猛さやカッコよさの部分をフェスやイベントなどでも見せてきた「ディストラクションビートミュージック」では小泉の叩き出すリズムが一気に力強くなり、その獰猛さの中心である古賀はギターを高く掲げてから弾く。その姿はデビュー当時から新たなギターヒーローの誕生を予感させたことを思い出させてくれる。SWEET LOVE SHOWERでこの曲を演奏するといつもラウドバンドかと思うくらいにモッシュが起きていたな、というようなことも。
そんな流れがガラッと変わるのは、タイトル通りに照明が星のように輝く中で演奏され、古賀のギターフレーズがその星のように煌めく「結晶星」。KANA-BOONの持つ純粋さが今でも変わっていないことがこの曲を鳴らしている姿からもわかるのだが、こうしたさりげない照明の演出はあれど、この日はステージバックにはツアータイトルが描かれただけという至極シンプルなものであり、それは何よりもバンドが演奏している姿を見て欲しいというメンバーや携わるスタッフの思いを感じる。過去にはエンタメ要素が強いライブもあったりしたが、今バンドがやるべきことは完全に定まっている。
そうした代表的な曲ばかりが演奏されていくのかと思いきや、鮪が少し苦しそうでありながらも澄んだファルセットボイスを響かせる「街色」は「ダイバー」のカップリングに収録されていた曲だ。後にカップリングアルバムでまとめられもしたけれど、その際のインタビューで確か鮪はこの曲をすごく気に入っているという発言をしていたはず。その曲を今このツアーでやるということは、KANA-BOONがカップリングにも一切手を抜かず、そこにも名曲を惜しみなく入れてきたということだ。
「僕らの軌道線上に明日はあるかい
僕らは軌道線上でぐるぐる回っている」
というサビのメロディと歌詞の美しさは今聴いてもシングルタイトル曲にならなかったのが不思議でならない。
さらには2ndアルバム「TIME」収録のアッパーなギターロック曲「ターミナル」と意外な曲が続くのだが、この曲のサビの
「もう一回、挑戦だゴールまで精一杯走って
改札飛び越えるんだ
白線の向こう側 戦場に乗り込めよ」
はまさに今のKANA-BOONの、鮪の心境そのものを歌っているかのようだ。何年も後になってこうして重なることになるというのはKANA-BOONの歌詞の普遍性を示していると言えるし、KANA-BOONはずっと今のような心境で戦い続けてきたバンドであるとも言える。
さらにさらに古賀のフレーズ職人と言いたくなるような印象的なギターフレーズの「Wake up」という意外なくらいにライブで決しておなじみとは言えない曲が次々に演奏されていくのだが、この曲もまた
「目覚めよう
心の奥にしまった声を響かせよう
君の言葉を解き放て 生まれ変わるのさ
誰もが眠った街で 新しい朝の輝きを見つけるのさ」
という再出発のツアーにふさわしい歌詞がサビとなっているだけに、そうした視点でもセトリを選んでいると思われるのだが、こうした曲を演奏するとわかるのが、マーシーのベースのみならずコーラスも含めた貢献度の高さだ。ライブでおなじみではないということはフェスやイベントでは演奏されない曲であり、このツアーのためにベースだけでなくコーラスもマスターしてくれたという献身的な姿は、この人がKANA-BOONを支えてくれているということが本当によくわかる。きっと本人もKANA-BOONに関われて嬉しいと思われるが、こうして聞けるとは予想していなかった曲を、こんなに完璧な形で届けてくれてこちらも本当に嬉しくなる。
すると一転して近年のライブではおなじみの「Torch of Liberty」が真っ赤な照明に照らされながら古賀がイントロで手拍子を煽るという熱量の高さで鳴らされる。人気アニメのタイアップということもあり、もしかしたらそうしたアニメがきっかけでこのバンドに出会った人も多いのかもしれないと思われるが、
「大火でも業火でも飛び込んでハロー」
「揺れる 揺れる 火が揺れる」
という歌詞などはタイアップアニメに寄り添ってるものでありながらも、アニメを全く知らない身としても全く違和感なくというか、そうしたタイアップを度外視して聴けるという鮪の絶妙な作家性の高さを感じられるし、それは
「俺たちとあなたの歌です!」
と言ってから演奏された「シルエット」もそうなのだが、鮪はこの曲のファルセット部分がかなりキツそうで、歌い切れない部分も何箇所かあった。だからこそ曲終わりで
「ツアーファイナルなのに喉の調子が悪いなんて」
と悔しさも滲ませていた。COUNTDOWN JAPANの時はしっかり歌えていただけに、ファイナルだからこその気合いが入り過ぎてしまったのかもしれないが、それが逆にこの日ならではの忘れられない記憶になっていく。それは
「覚えてないこともたくさんあったけど
きっとずっと変わらないものがあることを
教えてくれたあなたは消えぬ消えぬシルエット」
という歌詞の通りなのは、これまでに聴いてきたこの曲が演奏された瞬間を覚えてないかもしれないこともあるかもしれないけれど、この曲に救われてきたり、熱狂してきたということは決して変わることはないからだ。アウトロのコーラスを早くまたみんなで歌えるようになれたら、と思うことも含めて、鮪の言う通りにこの曲はバンドと我々の絆のような曲であり、これからもそうであり続けていくのだろうと思う。
そうして完璧に「シルエット」を歌いこなせなかった悔しさも滲ませながらも(そもそも「シルエット」はメロディの高低差など実に難しい曲である)、
「こうやってKANA-BOONが、音楽が好きな人がそれぞれ色んなことがあって、こういう状況でも集まってくれてるのが本当に嬉しい」
と改めて感謝を口にすると、その言葉の後に演奏された「MUSiC」はその言葉がそのまま曲になっているかのようだ。
「今日もさんざんなニュースが流れて
君は今、どんな気分?
本当に僕が見たくないものは
君が耳をふさいでうつむいてる姿」
「聞きたくないことばかり聞こえる世界だから
そんなもんは聞こえないようにしてあげるよ」
という歌詞がよりリアリティを持って響く世の中になってしまった。だからこそ音楽をその耳に届ける。それは違う人間であってもここにいた全員が共有していた感覚だと思う。音楽を好きであることによっても抉られたり傷ついたりすることも多かったこの1〜2年だけど、そこから再生していく理由もまた音楽だということもわかっているから。そう思わせてくれる曲をKANA-BOONは1stアルバムの時点ですでに歌っていたのである。
シングルリリース前後はフェスやイベントでも最後を任されることが多かった曲なだけに、こうして演奏されるともうライブが終わってしまうような感覚にもなるのは「まっさら」であるが、こちらもタイアップに合わせたであろうタイトルが、今の「また新しくここから始めていく」というバンドの心境にこれ以上ないくらいに合っている。古賀とマーシーのコーラスも実に力強いが、それ以上に先ほどまでは声がキツいことを自認していた鮪のボーカルである。この曲だけ聴いたら全く調子が悪いとは思えないくらいの伸びやかさは、一体何をどうやったらこんなに一気に復調するんだ?とも思うけれど、それはきっと肉体というよりも精神的な強さによってなし得ているものだ。某バスケ漫画の「精神が肉体を凌駕した」という境地に、このツアーファイナルで鮪はついに達したのかもしれない。
そして曲終わりで鮪と古賀は拳を合わせた。それはかつては最もバンド内で言い争いをしたり「2人だけだと何も話すことがない」とすら互いに言っていた2人が、本当の意味で公私ともに最高のパートナーになっている証拠だ。鮪が復帰して最初のライブでも古賀は
「俺は本当に嬉しい」
と一切の恥ずかしさを捨てて口にしていた。それくらいに鮪への感謝があるのだろうし、鮪もバンドを守ってくれていたことに感謝している。心配になることばかりだったけれど、それを超えたことで本当により人間らしい、さらに良いバンドになれたんだなということがわかる。
すると鮪は
「みんなは寂しいとか1人きりだなって思う時はある?」
と問いかけ、
「俺は夕方に学校のチャイムが鳴ってるのを聴くと、自分が家の窓から下校する人たちを眺めていたことを思い出して、うらやましいなって寂しい思いをしていたことを思い出す」
とかつての自身の境遇を話す。まだ谷口鮪になる前の、少年時代に学校に行くことすら出来なかった頃のこと。その過去をインタビューで初めて知った時は衝撃だった。鮪は全くそうした歪みみたいなものを感じさせることはないような人だから。そうして両親の愛情を全く知らないと言ってもいい育ち方をしてきた鮪がこんなにも優しい人間になったのは、やっぱり鮪には音楽がずっと側にあったからで、それが
「この曲を聴くと当時のチャイムが鳴った時間の夕焼けを思い出す」
という、歌詞には寂しさや切なさが宿っている、トラウマを思い出させてしまうような「オレンジ」のサウンドをあくまで軽快な、KANA-BOONとしてのポップな音楽に昇華させた理由だろう。鮪に音楽があって本当に良かったと思うのは、音楽があることで優しい人間になれた鮪の作る音楽によって我々も救われているからだ。
その「オレンジ」にも通じる切なさをとびきりキャッチーかつダンサブルなポップサウンドにしてみせたのは「ネリネ」であり、鮪と古賀は観客に手拍子を煽り、それがよりこのライブを楽しいものにしていく。感傷的にならざるを得ないようなタイミングのライブだし、そうした瞬間もあるけれど、そうして「楽しい」と思えることが何よりも嬉しい。
それは鮪が
「楽しい、本当に楽しいよ」
と口にした後に、鮪が再び喋りだすまで鳴り止まないくらいの長い拍手が起きていたことからも、バンドも観客もどちらもその感覚を持てていることへの嬉しさが溢れているのだが、その後に鮪はこうして目の前にいてくれる人にありのままに活動出来なかった期間のことを話す。
「俺は世の中に絶望してしまって。あんなにキレイな心を持った人がなんでこの世の中を生きていくことができないんだろうって。
そう思ってしまって、俺も消えてなくなりたいな、人生を終わらせたいなって方向に引っ張られそうにもなったけれど、その最後の一歩の前で踏みとどまることができたのは、間違いなくあなたがいてくれた、あなたが待ってくれていたからです」
という鮪の全く隠したり取り繕ったりすることのない言葉は、もうそういうことを考えたりすることはないからこそ口にできた言葉なのだろうし、それが「みんな」ではなくて「あなた」という言葉になっていたというのは、いつもKANA-BOONの存在や音楽によって助けられたり、支えられたりしてきた我々1人1人がKANA-BOONを大切に思ってきたことがちゃんと伝わっていて、それが鮪に届いたからこそ、鮪がこうして戻ってきてくれたということだ。
それが何より嬉しかったし、そうした思いがツアータイトルになった「Re:PLAY」でそのまま音として鳴らされる。ある意味では実にKANA-BOONらしいサウンドもまたここから始めていくという意識のもとに作られたものであろうし、
「いつまでも いつまでもここに
いつまでも いつまでもそばに」
というサビのキャッチーなリフレインが、KANA-BOONがこれからもこうして我々の目の前でステージに立ち続けてくれるということを伝えてくれる。今、自分たちが鳴らすべき音楽を自分たちでわかっていて、そんな音楽を完璧に作ることができて、それがファンと共有できるものになっている。すでに昨年から何回かライブを見てきたが、本当の意味でKANA-BOONが帰ってきたんだなと思った。でも鮪が
「今までありがとうございました。これからもよろしくお願いします」
と言っていたように、これは終わりではなくて、新しい始まりだ。
アンコールではそれぞれがこのツアーのグッズを身に纏って登場すると、トートバッグなどを持ちながら、
「俺は物覚えが悪いから忘れてしまいがちなんやけど、そういう人も多いと思うから、そういう人は物で思い出を刻むっていうか。思い出の品を持っておくべきやと思う(笑)」
とさりげなく物販の宣伝をするという緩さはかつてから変わらぬ部分であるのだが、鮪に続いて古賀も観客への感謝を口にすると、小泉はすでに発売が決定しているアルバムのことを鮪より先に話し始め、
「このアルバムの僕、めちゃくちゃカッコいいんですよ」
と自画自賛するのだが、その言い方がかつてシングルの初回盤DVDに収録されていた「とにかくカッコいい小泉」を彷彿とさせてなんだか面白く感じてきてしまうのもずっとKANA-BOONを見てきた側としての心理なのかもしれない。
すると鮪はそのアルバム「Honey & Darling」の収録曲15曲を解禁前に一足早くライブに来てくれた人にタイトルを伝えるのだが、「いないいないばあ」というタイトルの緩さには少し観客から笑いも起こるのだが、その曲すらもメンバーは自信を持ったカッコいい曲だという。
その中からいち早くライブで披露されたのはアルバムの最後を担う「メリーゴーランド」なのだが、古賀のイントロのギターリフを聴いただけで感動して涙が出そうになってしまった。それは紛れもなくKANA-BOONの曲だとわかるようなものであり、小泉のドラムが自画自賛するのもわかるくらいに複雑かつパワフルなものに進化しながらも、そのKANA-BOONらしさというものはバンドが長い年月をかけて、何を言われたとしても自分たちの力で確立してきたということがわかるものになっているから。すでにライブ後に配信でも解禁されたが、
「生きることはつらいものです
死ぬことすら眩しく見える
それでも日々にしがみついて生きよう
光れ 光れ」
という締めのフレーズがライブで1回聴いただけで忘れられないものになったのは、コロナ前、鮪の休止前から作っていた曲も含んでいるアルバムの中で、この曲は間違いなく鮪が戻ることを決めてから作った曲だということがわかるし、それは本編最後のMCにも通じるものだからだ。これからもこのバンドが光る姿をきっと見続けていくことができる。
そんなライブの最後に演奏されたのは、アルバムでは「メリーゴーランド」の前に収録される、音源では金澤ダイスケ(フジファブリック)が参加して煌びやかなキーボードのメロディをバンドに与えた「スターマーカー」で観客の腕が左右に振られ、背面のツアーロゴは照明に照らされて七色に輝いていた。それはそのままKANA-BOONと、KANA-BOONを待っていた人の未来を鮮やかに照らすようなものであった。鮪のボーカルも不調さを完全に忘れるくらいに瑞々しさを放っていた。
演奏が終わるとステージから去るメンバーの中で鮪が1人最後まで残って、ステージ中央で深々と頭を下げたのだが、先に去ろうとした古賀はずっとその鮪の姿を見ていた。きっと今までだったら古賀は先にステージから去っていただろう。その姿が、今のKANA-BOONのメンバーの関係性が揺らぐことのない信頼によって成り立っていることを示していた。
CDJの時のライブレポでも書いたことだけれど、鮪が復帰すると聞いた時に、もうこれからは何も背負ったりすることなく、売れる売れないとか気にすることもなく、ただただやりたい音楽を楽しくやってくれればそれでいいと思っていた。
でも鮪はSNSでも躁状態なんじゃないのかと心配になるくらいにファンや音楽が好きな人を励ますような投稿を続けているし、これまで以上にたくさんのものを背負ったようにすら感じている。それはそんな状態を乗り越えた自分がステージに立って音楽を鳴らしている姿を見せることで、今まさに沈んでいる人を少しでも引き上げることができる、向こう側ではなくてこちら側に引っ張ることができるとわかっているからだ。だからこそ、きっとこれから先に我々はどんなキツいことや辛いことがあった時もKANA-BOONの、鮪の姿を見れば乗り越えていくことができる。そんな確信を抱くことができた「Re:PLAY TOUR」だった。
自分は愚かなので、なくなったりしてからようやくそれが自分にとって大事なものだったことに気付く。飯田が居なくなってしまった時も、鮪が活動出来なくなった時も、そうなってからようやく自分にとってKANA-BOONが大切なバンドであったことに気付いた。
もちろんそれまでも大切なバンドだとわかっていたからライブに毎回行っていたのだけど、今はもうその頃とも違う。本当の意味でそれを理解してライブを観に行けるようになった。本人たちが目標にしていたずっと変わらず、ずっと止まらずというバンドにはなれなかったけれど、そんな変化や休止を経験したバンドだからこその強さをこれからKANA-BOONは感じさせてくれるし、バンドがアジカンを見てきてそう思ったように、KANA-BOONの姿を見て、変化や止まることがあっても前に進んでいくことを選択していくバンドも必ずたくさんでてくる。このツアーはKANA-BOONがそんな存在のバンドになる、始まりのツアーだったって、何年か後に思える日が必ず来る。
1.ないものねだり
2.盛者必衰の理、お断り
3.フルドライブ
4.ディストラクションビートミュージック
5.結晶星
6.街色
7.ターミナル
8.Wake Up
9.Torch of Liberty
10.シルエット
11.MUSiC
12.まっさら
13.オレンジ
14.ネリネ
15.Re:PLAY
encore
16.メリーゴーランド
17.スターマーカー
文 ソノダマン