今年4月に2ndシングル「正義ごっこ」をリリースした4人組ロックバンド、teto。その前には数々の人気バンドを輩出してきた登竜門イベント「スペシャ列伝ツアー」にも参加し、大型フェスでもおなじみの存在になってきている。
昨年にこのバンドがリリースしたフルアルバム「手」は個人的2018年の年間ベストディスク1位に選出した大名盤であった。そのリリースツアーのファイナルであった恵比寿リキッドルームでのワンマンはチケットを持っていたにもかかわらず諸事情により行くことができなかったので、ようやくワンマンで見れることに。この今や渋谷では最大規模のライブハウスであるO-EASTですら即完というあたりに間違いなくこのバンドに新しい風が吹いている状況を感じることができる。
18時になると場内が暗転し、SEが鳴って順番にメンバーが登場。最後に小池貞利(ボーカル&ギター)がステージに現れるとひときわ大きな歓声が上がるが、ステージには背面に「正義売買」と書かれた幕があるだけという実にシンプルなもの。
小池が早くもマイクスタンドの前ではなくモニターの上に立ってマイクを自身の口元に引き寄せるようにしてからサビを口ずさんでバンドの演奏に突入した「高層ビルと人工衛星」からスタートすると、小池は間奏で早くもギターを抱えたままで客席にダイブ。それは続く「暖かい都会から」を始めとした、tetoのパブリックイメージであろう性急なギターロックの曲で何度も見られた光景であるが、間奏どころか歌い出しの直前とかのタイミングでも平気で客席に飛び込むので、歌えていない部分も多々ある。
だからこそ、「ここでダイブする!」みたいな予定調和な決まりがtetoのライブには一切ないことを示している(それを決めるのならダイブしても歌が始まる前にステージに戻れるタイミングを見計らってダイブをするはず)のだが、音源通りにしっかり曲を聴きたい人からしたらそれは喜ばしいことではないかもしれない。でもその「しっかり演奏したり上手く歌おう」というよりも、今自分が抱えていてそれを放出しなければならないという衝動を思うがままに解き放っている姿は見ていて本当に美しいと思えるし、何よりも人間らしいなって心から思う。
VIVA LA ROCKのライブでもじゃもじゃ頭から坊主になったギターの山崎陸はすっかり金髪坊主頭が馴染んで顔を作りながらギターを弾きまくるが、そんな冒頭からペース配分という言葉を知らないくらいに全力疾走する性急なギターロックの流れの中にあって、これまでのそうしたタイプの曲とはまた違う感触を抱かせるのが「正義ごっこ」収録の「夜想曲」。どこかX JAPANやLUNA SEA、筋肉少女帯というメタルの要素を取り入れたビジュアル系の影響を感じさせるサウンドはこれまでにこのバンドの曲からは感じることがなかったもの。
「夜想曲」はMVも作られ、1曲目でありリード曲あるという立ち位置ではあるが、ある意味では続く「こたえあわせ」が、4曲目に収録されているという立ち位置ではあるけれども「正義ごっこ」の中では最もこれまでのtetoらしい曲と言えるのかもしれない。
「対バンもいいんですよね、その日にしかない化学反応みたいなものがあって。でもワンマンがやっぱりやりたかった。ワンマンってなんか自分たちの家に招いてるような、とりあえずお茶と煎餅出すし、疲れたらベッド使っていいから、みたいな感じがある」
と自分たちなりのワンマンライブをやる意味を口にしながらも、
「激しい曲ばっかりやってると疲れてすぐ帰りたくなっちゃうんで(笑)、そうじゃない曲をやります。この曲は北海道に行った時にお客さんと話しててできた曲」
と曲の背景を説明してから演奏されたのはタイトル通りに甘さを感じさせる「ラムレーズンの恋人」。MUSICAのインタビューでインタビュアーの有泉智子編集長が「今回のシングルはtetoの新機軸と言っていい曲ばかり」と評していたが、その通りに「夜想曲」とはまた違う、これまでのtetoらしさをその甘さから感じることができる。
直前に演奏された「こたえあわせ」に
「今は愛や恋はどうでもいい
好きも嫌いもどうでもいい
好きになりかけた嫌いなラムレーズンに踊らされたからどうでもいい」
というフレーズがあるだけにその甘さはいずれ苦さに変わってしまうのかもしれないが、そうして収録曲に関連性を持たせるように歌詞を書いているのも、次々に新曲ができている中で「正義ごっこ」になぜこの4曲を選んで収録したのかというのがよくわかるポイントである。
その流れで演奏された「手」収録の「散々愛燦燦」でどこか牧歌的な暖かさを感じさせると、アウトロでいきなり金髪の福田裕介がドラムを強く連打するというライブならではのアレンジで曲と曲をつないで見せた「トリーバーチの靴」では小池がギターを置いてハンドマイクでステージを走り回りながら歌うと、下手のスピーカーによじ登ってそこからダイブするという怪我などを一切考慮していないであろうパフォーマンスを見せる。
もちろんステージに戻るまでに時間がかかるのでサビすらも歌ってない部分もあるのだが、そこを山崎、佐藤健一郎(ベース)によるハイトーンなコーラスと観客の大合唱が支える中、小池は2コーラス目の前に
「あの人と新宿駅前のロータリーで牛乳を飲んでいた。そしたらあの人が牛乳をコンクリートにこぼしたんだけど、すぐに蒸発していって。やっぱりコンクリートだからすぐに牛乳も蒸発するわな、って」
というエピソードを挟んでから
「地下鉄のホームの壁に寄り掛かっても
形だけの彼氏の背中に寄り掛かっても」
と歌い始めるので、この曲に新たな情景や背景を浮かび上がらせるし、そうした何気ないように感じる日常の経験や景色の一つ一つがtetoの歌詞になっているのだということがわかる。
「革命を起こしたいと思っている人たちへ!僕は毎日それなりに楽しく生活しています!なので革命なんか起こさなくていいです!」
と言って演奏されたのはシングルをリリースしたツアーなのにもかかわらず早くも披露された新曲。言葉の通りに「革命」という歌詞もあったが、サビの
「ねぇ天使 ねぇねぇ天使」
というフレーズが小気味よいギターロック。(タイトルも「ねぇ天使」と言っていただろうか)
「天使も悪魔も関係ない!でも俺は痛みだけは感じることができる!人間様だから!」
というどこかで、というよりは自分がこれまでの人生の中で数え切れないくらいに聞いてきたし、きっと小池もそうであろう曲のフレーズを出してそのバンドへのリスペクトと影響を感じさせた「Pain Pain Pain」では再び小池がダイブしまくりと加速していく。キャッチーなコーラスを大合唱しながらステージに向かって転がっていく人もたくさんおり、この中盤でさらに場内は熱気を増していく。午後7時にマスカラが落ちてしまいそうなほどに。
しかし小池は曲間によく喋る。そこまで喋るとライブのテンポが悪くなってしまいがちなのだが、全くそうは思わないのは曲が持つスピードやライブならではのアレンジはもちろん、小池がむやみやたらに喋っているのではなくて、完璧に決め込んで喋っているわけではないだろうけれど、次に演奏する曲にどんな言葉やエピソードを加えればその曲がより一層輝くだろうか?ということを考えて喋っているように見える。音源だけでは伝えきれない曲の力をライブという聴いてくれている人たちの目の前で鳴らす場所で補完しているかのような。だから、
「時代は変わっていくんですよ。前にあった店とかもなくなっていって、景色が変わっていく。でもそこで「そうだよね〜」って割り切るんじゃなくて、どこか寂しさを感じていたい」
という言葉の後に演奏された「溶けた銃口」には
「置いてきたあの季節や光景や、あの星は時代を超えて遊泳し続けているんだろう」
というフレーズが、次に演奏された「夢見心地で」でも
「夢見る時代ならもう過ぎた
それでももう一度見た夢が心地良くて」
というMCに出てきた「時代」というフレーズを含みながら、これまでに見てきたり通り過ぎてきた景色や思い出を懐かしむような感覚にさせる。それは小池やメンバーでもそれぞれに違うものだろうし、我々一人一人ももちろん違う。それでも一人一人違うということを肯定しながらも、そうして過ぎ去ったものに想いを馳せるという行為自体は同じだし、そう感じさせる力がtetoの曲にあるのはそれが嘘偽りない、自身の経験や思考が歌詞になっているからだろう。
音源よりもさらに速く激しくなった「あのトワイライト」で終盤にギアを入れ直すと、
「梅雨になって、梅雨が明けたら夏が来て。夏になったら思い出す人とかいますか?僕はいます」
と言って演奏された「9月になること」も「あのトワイライト」同様に2年前にリリースされたミニアルバム「dystopia」からの選曲であるが、音源よりもライブでの迫力が目に見えて増しており、こうしていろんな場所でライブを重ねた経験がしっかりバンドを強く大きくしていることを実感させる。
「さっきワンマンは家に招いてるみたいって言いましたけど、そういう曲をやります」
と言って、VIVA LA ROCKでも演奏されていた新曲「コーンポタージュ」を披露。歌詞に「自販機」という単語が出てくるので、てっきり飲み物としての「コーンポタージュ」の曲だと思っていたのだが、どうやらその味のスナック菓子のことであるらしい。そのことも、小池にとってこの曲が非常に大事な曲であるということも、この後の小池の言葉によってわかるのであった。
小池が曲最後のフレーズを歌ってからどしゃめしゃな演奏に突入した「拝啓」ではやはり小池が客席に飛び込みまくったことによって、最後のフレーズを曲通りに歌わず、息を切らしながらローディーが差し出したエレキではなくアコギを手にすると、「正義ごっこ」の中でまだ演奏されていなかった「時代」を演奏。
「溶けた銃口」の前にも「時代」というテーマでMCをしただけに、てっきりそこで演奏されるものと思っていたが、実際にはこのクライマックスで演奏された。それも納得するくらいのメロディの素晴らしさ。tetoのパブリックイメージは性急なギターロックであるというのは冒頭でも書いたし、自分自身それをtetoに求めてしまうところもあるのだが、この曲はtetoがそうした衝動だけではなくメロディのバンドであるということに気づかせてくれるし、小池のダイブしまくりのパフォーマンスを見ていてもこうしたライブハウスのバンドであると思うのだが、この曲を聴いているともっと広い場所やライブハウスではないところでもこのバンドの音が響くような予感を感じさせてくれる。
そして最後に演奏されたのは小池の弾き語りで始まり、途中でバンドサウンドになるというアレンジも銀杏BOYZからの強い影響を感じさせる「光るまち」だが、歌い始める前に小池は
「それまでは飄々と生きてたんですけど、高校生の時に同級生がいろんな音楽を教えてくれて。さっきの「コーンポタージュ」みたいに2人でお菓子食べながらコーラ飲んで夜更かしして。でもそいつがいつのまにかバンドを始めていて。それまでずっと同じペースで生きていたような感じがしたんだけど、なんかすごい先を越されたような感じがして。
それでそいつが始めたバンドを見にライブハウスに行ったんですよ。そしたらまぁひどい出来なんですよ、オリジナルやってたんですけど。でもその時のライブが今まで生きてきて1番感動して………。もうそいつと会うこともほとんどなくなったけど、その時は高崎が光るまちだったけど、今は間違いなくこの渋谷が光るまちです!」
と自身が音楽と出会った経緯を語るのだが、ところどころ言葉に詰まりながら、目を拭うような仕草も見せていた。
その感極まった様子はよくある「ここまで来れた」というような意味のものではなく、その同級生がこの曲の
「愛想笑いが苦手な君の無愛想笑いを見るのが好きだった
愛想笑いをする機会のない僕の心のスーパーヒーローさ」
「君が狭い狭いステージで歌ったあのダサい歌が好きだった
君の狭い狭い狭い狭い狭い狭い世界こそ正解だ」
という歌詞の通りに、今でも小池にとってスーパーヒーローだからであろう。
でも、この日初めてtetoのワンマンに来てビックリしたのは、観客が大学生くらいの若い人ばかりだったこと。小池にとってはその同級生がスーパーヒーローだったかもしれないが、きっとこの日ここにいた若い人たちにとってはtetoこそが心のスーパーヒーローなのだろう。
アンコールでは福田が1人で登場すると小池のマイクで
「イートインコーナーがあるコンビニでおっさんが普通にスマホでアダルトビデオを見ていた。しかも周りにいる主婦っぽい人たちは全然気にしていなかった」
という自身がビックリした東京という街について話すのだが、まだメンバーは登場せず、
「年末に39°Cくらいの熱を出したことがあったんですけど、その日がバンドのスタジオ練習の日で。だからとりあえずスタジオに行って練習はやり切ったんだけど、帰りの電車の中で倒れてしまって。そしたら貞ちゃん(小池)がすぐに
「おい!大丈夫か!?」
って必死になって助けてくれて。意識は朦朧としてたけどその瞬間は覚えてる」
とメンバー間の絆を感じさせるエピソードを話すと3人もステージに戻ってくるが、さすがに小池はちょっと気恥ずかしそうな表情をしていた。
そんな福田のリズムに合わせて観客が手拍子をするのは昨年リリースのアルバム「手」のタイトル曲。アルバムは「奴隷の唄」や「市の商人」「洗脳教育」という現在の日本の政治や社会に対して小池が抱く違和感をそのまま音楽にした重い曲も多く収録されているが、それでもこの曲が最後に収録されていることによって希望を感じさせるものになっている。その希望は無鉄砲であったり能天気なものかもしれないが、
「馬鹿馬鹿しい平坦な日常がいつまでも続いてほしいのに
理想と現実は揺さぶってくる
でもあなたの、あなたの手がいつもあたたかかったから
目指した明日、明後日もわかってもらえるよう歩くよ」
というサビのフレーズによって、この日もこのライブが終わっても明日からまた歩いていく微かだけど確かな力が湧き上がってくる。そう感じさせてくれる曲が激しくも速くもないこの曲であるというところにこれからのtetoへの希望も感じることができる。
「新しい風、吹いちゃってるね!」
と小池が言って、今度は上手のスピーカーによじ登ってダイブすると戻ってきてすぐ終わる、まさに瞬間風速的な「新しい風」を最後に演奏すると、福田も最後にはドラムセットから走ってきてそのまま客席へダイブ。福田はこの日両親が見にきていたらしいが、果たしてMCの内容も含めて大丈夫だったんだろうか、と思っているとその福田のドラムセットに小池が座ってドラムを叩きまくり(普通に叩けていた)、ステージに戻ってきた福田は逆に小池のギターを持つとその状態で演奏を締め、小池は勝手に福田のスティックを客席に投げ込みまくっていた。
しかしそれでもさらなるアンコールを求める声は止まず、今度は小池が1人で登場し、
「そっち行って歌うわ!」
と言ってアコギを持って客席に突入すると、マイクを使わずに「My I My」を弾き語り。しかし途中からは小池の歌よりも観客の合唱が大きくなっていく。小池はそれを狙ってというかその光景を生み出すためにあえてマイクを使わずに歌うという方法を取ったような気もするし、
「きっとこれから音楽もAIとかコンピューターが全部作ったりするようになるんだろうけれど、人の温もりだけはコンピューターでは絶対出せないんだぜ!」
と最後に言ったように、その光景は全て人の温もりによって作られていた。そしてそれは我々がこうしてロックバンドのライブに行き続ける理由でもある。
最後には秋に15曲入りのフルアルバムをリリースすること、そのリリースツアーが47都道府県を回るものになることが発表された。まだどんな曲が収録されるのかはわからないが、「正義ごっこ」に収録された曲やこの日ライブで演奏された新曲を聴いていると、昨年に続いて2年連続でこのバンドのアルバムが自分の年間ベストディスクになる可能性は大いにある。それくらいに今のtetoはあらゆる意味で漲っている。とりあえず「光るまち」のバンドバージョンだけは絶対にアルバムに収録して欲しいと思っている。
数ある若手バンドの中で、なぜ自分はこんなにもtetoの虜になってしまったんだろうか。それは曲、音楽が良いという大前提はあるが、きっと自分は小池みたいになりたかったのだ。GOING STEADYを初めて聴いた時や、銀杏BOYZのライブを初めて見た時に感じたあの衝動。それを犯罪に走るでもなく、狂人になるでもなく、ただ音楽という芸術として美しい形にそれを昇華する。自分はステージに立てるような人間では決してないけれど、そうした自分が抱えていたもの(今もこうしてtetoのライブを見て抱えるもの)をtetoは確かに持っているから。
だから違う人間であり思考や思想なども全く違うだろうけれど、どこかかつての自分を見ているような気がしてしまう。その感覚こそがこのバンドを自分の中で特別たらしめているもの。だからこそ、これからどんな道を歩いていくのか、それをしっかり見届けないといけないと思うのだけれどこの日この場所で、tetoのライブを見た事実が真実が何より美しいんだ。
1.高層ビルと人工衛星
2.暖かい都会から
3.夜想曲
4.こたえあわせ
5.ラムレーズンの恋人
6.散々愛燦燦
7.トリーバーチの靴
8.新曲
9.Pain Pain Pain
10.溶けた銃口
11.夢見心地で
12.あのトワイライト
13.9月になること
14.コーンポタージュ
15.拝啓
16.時代
17.光るまち
encore
18.手
19.新しい風
encore2
20.My I My (小池フロアで弾き語り)
文 ソノダマン