SUPER BEAVER 「都会のラクダ “ホール&ライブハウス+アリーナ” TOUR 2019-2020 〜スーパー立ちと座りと、ラクダ放題〜」 国立代々木競技場第一体育館 2020.1.12 SUPER BEAVER

「現場至上主義」を掲げるバンドなだけに、一年中ライブをやりまくっているし、そもそもなんのリリースツアーでもないのにツアーをやっているし、その間にもおそらくオファーをもらったイベントやフェスには全部出演しているであろうバンドが、SUPER BEAVERである。
COUNTDOWN JAPANでもメインステージであるEARTH STAGEに進出し、インディーズバンドとしての姿勢のままで規模だけを拡大してきた結果、すでに日本武道館ですらチケットが取れないというくらいの存在になっているのだが、神戸に続いてのこの日の代々木体育館もチケットは即完。個人的には改修されてから初めて代々木体育館で見るライブになる。
改修があったけれどもほとんど変わった感じもしない会場は2階のステージ真横ギリギリまで人で埋まっており、その一部は「注釈付き」というドラムの藤原広明が見えない席でもある。
ステージ両サイドには巨大なスクリーンがあるというのはライブハウスを主戦場としてきたバンドでありながらもライブハウスとは違う景色であるが、開演前にはそのスクリーンにファンクラブの告知動画などが流れる中、18時を少し過ぎた頃になると会場が暗転して、先に藤原、上杉研太(ベース)、柳沢亮太(ギター)の3人が登場。藤原は赤いキャップ着用、上杉はコートを着ており、柳沢はいつもと変わらぬ上下黒の衣装。そしてのっけから色気をダダ漏れにする渋谷龍太(ボーカル)が登場すると、藤原のドラムセットの前に全員で集まって拳を合わせる。
その姿に歓声と拍手が上がり、柳沢がギターを2音ばかり鳴らすと再び場内は真っ暗になる。そして訪れる静寂。観客全員が次に発せられる音に全意識を集中している。「空気を読む」という言葉は時には当たり障りのないつまらない状況になりかねないし、そもそもどうするのが正解なのかなんて誰にも定義することはできないけれど、それでもビーバーのファンは実にみんな空気を読んでいる。このバンドの記念すべき代々木体育館でのライブの始まりを汚すまいという集中力の高さを感じさせる。
そんな静寂を切り裂くように渋谷が歌い始めたのは「世界が目を覚ますのなら」。スクリーン下手には渋谷と上杉の姿が、上手には柳沢と藤原の姿が映し出される。まさにバンドが目を覚ます、我々観客の目を覚まさせるようなオープニングであるが、ステージ背面には赤い幕がかけられている。曲終わりでその幕が落ちると、このアリーナで見るには無骨ともいえるような照明の骨組みが。ライブハウスを生きる場所としてきたバンドなだけに、派手な演出はないだろうとは思っていたが、まだこの段階ではなぜこのオープニングで背面に幕がかかっていたのかを自分はわかっていなかった。
「フロムライブハウス、レペゼンジャパニーズポップミュージック、SUPER BEAVERです」
と渋谷がいつもの軽快な口上で自己紹介すると、
「いつだって始まりは、青い春」
と「青い春」で観客は両腕を上げてバンドとともにサビを合唱。曲ができた時に作詞をした柳沢に対して渋谷が
「青過ぎて歌えない」
と言ったというエピソードが作り話だったのかと思ってしまうくらいに今やバンドにとって代表曲になっているし、
「会いたい人がいる」
という歌詞はこのバンドが歌うとこうして会場に足を運んでいる我々に向けられているようにしか感じることができない。
この広い(この日は12000人収容)代々木体育館に渋谷の
「あっという間に終わってしまうよ」
というボーカルが響き渡り、聴くたびに
「一生なんて一瞬だって」
というフレーズでハッとする「閃光」は渋谷のボーカルの絶好調さを感じさせるには充分過ぎるものだったし、その一瞬を一切無駄にしないように自分は生きれているだろうかと自問してしまう。そうした歌詞が生まれるのはこれまでのバンドの経験してきたことによるものである。
改めての自己紹介では見切れ席の藤原の姿が見えないであろう人たちへの配慮を渋谷が見せながら、「ラブソング」では渋谷がステージ中央から伸びる花道に進んで歌い、
「昨今珍しい踊れないロックバンド」
なりのダンスミュージック「irony」では渋谷がその花道の上からギターソロをステージ中央で決めた柳沢の姿を見て
「上手くなったな(笑)」
と声をかける。その言葉に「何を言ってるんだ(笑)」的に照れた感じの柳沢の姿にも少しほっこりする。
そんな、ロックシーン、しかもラウドやパンクバンドと対バンしても全くおかしくないくらいの音の強度を持っているし、むしろそっちの方が居心地がいいんじゃないかと思うくらいにそうしたバンドたちにもたくさんの仲間がいながらも、あくまで自身たちを「ポップミュージック」と称するバンドならではのポップな曲が続いた後に一気にサウンドがハードかつラウドに転じるのは「正攻法」。
「まっすぐでいい まっすぐがいい」
という歌詞はまさにこのバンドの姿勢そのもの。気を衒ったようなことをするわけでもなく、派手なことをするわけでもない。ただひたすらに音楽のみを真っ直ぐに追求する。やはりこのバンドにとっての音楽というのは曲を作って演奏しているメンバーそのものである。
「コール&レスポンス、120で行くんで120以上で返してください!1人1人で来いよ!束になってくるんじゃない!」
と、こうした大きいライブになればなるほど「同調」というか、みんなで力を合わせて、的なものになりがちだが、ビーバーはそうしたことは絶対にしない。あくまで1対1が12000通りあるだけ。どんなに大きくなっても、人が増えても1人1人と向き合い続けるという姿勢。それは人によっては詭弁のように聞こえてしまうかもしれないけれど、大多数としてまとめられてしまうのではなくて、1人が重なり合い続けることによってその歌声は大きくなっていくし、他のこの規模のバンドの合唱よりも大きく聞こえるような感じすらする。「秘密」のコール&レスポンスはいつもそれを感じさせてくれる。
せっかくのワンマンなので渋谷以外のメンバーもMCを、ということなのだが、代々木が地元であり、この代々木体育館にバスケの試合を見にきたりしたこともあるという上杉はステージに立っているだけで感極まり、かと思えば藤原はなぜか男に野太い声で名前を叫ばれて、
渋谷「敵が来てるの?(笑)」
と言われてしまう。そんな渋谷はせっかくのアリーナ会場ということで、2階、1階、アリーナに分けてコール&レスポンスをすると、
「夢は叶うとか、努力は報われるとか、最近それはどうなんだろうって思うようになってきた。本当に夢が叶うんなら、なんで音楽を辞めていった仲間がいるんだろう。努力が報われるんなら、なんで自ら命を絶った奴が周りにいるんだろう。でも15年間やってきて思うのは、続けること。それが夢は叶うとか、努力は報われるっていうのに1番近づけることだと思っている」
という自分たちも辛い経験をしてきて、辞めていったりいなくなってしまった仲間をたくさん見てきたであろうバンドだからこその説得力を持った言葉を紡ぐと、演奏されたのは10年前にメジャーからリリースされたセルフタイトルアルバムに収録されていた「まわる、まわる」。
ステージ背面に設置されたLEDには(最初に幕で隠していたのはこれだった)曲の歌詞が映し出される中、渋谷が声を張り上げて歌う
「生きて、生きて、生きて、生きて、生きて、生きて、生きろ」
という切実な呼びかけにはいなくなってしまった仲間へ向けられた思いもあっただろうし、こうして生きて今ライブを見ている我々にも向けられていたはず。苦しさや挫折を味わったメジャー時代の曲ではあるが、ビーバーはそれをなかったことにはしない。今でも当時の曲も演奏する。そうした経験があってこその今があるから。そして映し出された曲の歌詞を見ていても、今と歌っていることは全く変わっていない。だからこそ10年前の曲と今の曲が並列に並ぶことができる。
そんな中で渋谷は椅子がある会場だということで観客に
「普段とはきっと違う見え方をすると思う」
と着席を促す。確かに座った状態でこのバンドのライブを見るというのは実に新鮮だ。こうして椅子がある会場でもメンバーが出てきたら瞬間的に反応して立ち上がってしまうし、それはこのバンドの発する音や言葉を全身で受け止める態勢だからだ。
しかしながら座った状態で聴いた「your song」はどこかいつもより包容力のようなものを感じさせたし、座ることを促した時に「この曲はこのブロックで絶対やるだろうな」と思っていた「人として」は座って聴いていると歌や歌詞により一層注視して聴くようになるが故に、
「信じ続けるしかないじゃないか 愛し続けるしかないじゃないか」
と歌う姿を見ていると襟を正されるというか、どうしたって自分と向き合わざるを得ない。自分は胸を張って、人としてかっこよく生きていられているのだろうか、と。もはやビーバーの音楽は人生と向き合うためのものでもある。
「興味があるのは来年の話でも、来月の話でも、来週の話でもない!ただ次の瞬間、明日のことだけ!」
という渋谷の声に観客も再び立ち上がると、まさに1日1日の明日の積み重ねが未来になっていくということを示すような「歓びの明日に」からは後半戦へ。
柳沢と上杉がハイタッチを交わしながらステージの上手と下手を入れ替わって演奏する「予感」でメンバーも観客も飛び跳ねまくると、
「ロックスターは死んだ でも僕は生きてる」
と、27歳を超えてなお生きていて、バンドを続けているロックバンドの独白的な「27」へ。
「僕らは 大人になったんだ」
という最後のサビのフレーズの「僕らは」の部分のみをメンバー全員で歌うことによって、この曲のメッセージは歌詞を書いた柳沢だけのものでも、歌っている渋谷だけのものでもなく、バンドとしての意志の総意とメッセージになる。折しもこの日は各地で成人式が行われている日でもあり、振袖を着ている人も近くの明治神宮前あたりでたくさん見かけた。そんな日に
「僕らは 大人になったんだ」
というフレーズを聴くということ。ロックスターではない我々は大人になっても生きていかなければならないということを突きつけられるし、生きているからこそこうしてここでビーバーのライブを観れている。
この日はたくさんの仲間のバンドマンから会場に花が贈られていたのだが、その中には04 Limited Sazabysからのものもあり、メッセージに
「東京に流星群が降って降って積もりますように」
と書かれていた。「midnight cruising」という流星群の曲を持つフォーリミだからこそのメッセージである(メンバーは会場にライブを観に来ていた)のだが、そのメッセージが予告であるかのように演奏されたのはもちろん「東京流星群」。
可動式の照明がメンバーのすぐ真上まで降りてきてメンバーを照らし、さらにはミラーボールが鮮やかに輝く。メンバーの真後ろにあったLEDも高い位置に上昇したことにより、その位置で星が流れるような映像が映し出され、まるで星空の下にいるかのように。おそらくそれなりにお金をかけているであろう割には決して派手ではない、むしろ地味と言っていいような演出。しかしそれはあくまでビーバーの演奏する姿を第一に見せるというスタッフも含めた関わる人間との意志の共有ができているということ。それはインディーズというメジャーに比べたら関わる人が多くない、顔がわかる人たちと作るライブだからこそかもしれないし、[NOiD]という意志を持ったレーベルに属しているからかもしれない。
やはりこの日は選曲的にはこれまでのバンドの歴史の集大成的なものになっていたのだが、そんな中でも重要な位置を担っていたのは、2018年にリリースされた、アルバムとしては最新作となる「歓声前夜」の曲。この終盤に演奏された「嬉しい涙」「全部」という曲も「歓声前夜」に収録されている曲であるが、
「1人だけじゃ流せない涙」
と渋谷が言ってから演奏された「嬉しい涙」はすごく腑に落ちるというか、確かに嬉し涙は1人では流せないなと思った。悲しい時に出る涙は誰かがいなくなってしまって1人になった時に流れたりする。でも嬉しい涙は誰か他者の存在がいてこそ。それこそ上杉がこの日ステージに立っているだけで泣きそうになっていたのもそういうことなんだろう。
「信頼してます、心から。大好きです。愛してます。めちゃくちゃ、そう思ってます!」
と渋谷が花道から客席のあらゆる方向を指差して言った後に、最後に演奏されたのは「美しい日」。渋谷が歌い出すと同時に藤原が頭の上で手を叩く。柳沢と上杉も顔を見合わせて手を叩く。その奥、ステージ袖ではスタッフも手を叩いている。この日を美しい日にするべく全精力を注いで奔走してきた人たちが一緒に手を合わせている。本当に素晴らしいバンド、素晴らしいチームだと思うし、そんな美しい日を作るのはこの場に集まった全員だった。観客全員による一瞬たりとも乱れることのない手拍子。その光景がこの日を最も美しい日たるものにしていた。上杉じゃなくても、こんな光景を見たら泣いてしまうだろうな、と思うくらいに場内は確かな感動に包まれていた。
スマホライトが輝いたり、「秘密」のコーラスを観客が合唱しながらのアンコール待ちでは先にスクリーンに映像が。すでにライブハウスをメインとした(千葉LOOKをはじめとした、チケット絶対取れないようなキャパの会場ばかり)ツアーが発表されているが、今年の後半には全国のホール、アリーナを回るツアーの日程が次々に映し出される。きっと地方から来ている人もたくさんいたのだろう、12月の横浜アリーナ2daysだけでなく、名古屋や高松らの会場と日程が発表された時も大きな歓声が上がっていた。
年間100本以上ライブをするバンドであるが、1月はこの日の1本だけ。それだけに後半にどれだけ詰め込まれるのかとメンバーは笑っていたが、まさにそうなりそうな怒涛のスケジュールであるし、当たり前のようにアリーナ会場が入っているスケジュールについて渋谷は、
「ライブハウスからいなくなりません。ライブハウスもやります。ホールもやります。アリーナもやります。そういうバンドになります」
と言った。ただ大きな会場に行くんじゃなくて、見ることのできる場所が増える。それによっていろんな曲をいろんな景色で見ることができる。ライブハウスを主戦場にするバンドがアリーナまで行くと否定的な声も出てきたり、逆にアリーナでできるのにライブハウスでしかやらないという美学を持ったバンドもいるけれど、このバンドはアリーナでできることをただ規模が大きくなって喜ぶのではなくて、あくまで選択肢が広がったこととして捉えている。
「自分たちが作った曲に、自分たちが支えられていました。そんな曲を、今なら自分たち以外の人を支えるために歌える気がしています」
と言って演奏されたのは、かつてメジャー時代にリリースされ、「歓声前夜」で再録された「シアワセ」。
「歓声前夜」のツアーで大事そうに演奏されていたから、この日のワンマンでも演奏されるとは思っていたが、アリーナだからこそストリングスを入れるとか、そうして特別な形で演奏されるのかも、とも思っていた。しかしそうした演出はなし。ただ4人だけの音と声で演奏する。それは会場がどれだけ大きくなっても自分たちがやることは何一つ変わらないというバンドの姿勢を改めて示すようなものでもあった。「まわる、まわる」同様に、曲が持つメッセージも今と全く変わっていない。
演奏が終わった後、柳沢は[NOiD]のタオルを掲げながらステージを去った。自分たちとともにここまで来た人たちへの感謝を示すように。そして上杉は
「今日は絶対酒が旨いから、ちゃんと乾杯して帰れよ!」
と感極まりながらも言っていた。その言葉の通りに帰りに渋谷駅前の店で飲んだビールはまさに美酒であった。
SUPER BEAVERは音楽としては特別なことや真新しいことはやっていないし、誰にでもわかるような言葉で歌詞を作っているバンドだ。それはある意味では誰にでも出来そうなことであるが、それを絶対にこの人たちでしか出来ないものにしているのはそこに込めた意志によるもの。だからビーバーの曲の歌詞は普通なら綺麗事のように感じるものでも一切の薄っぺらさを感じない。そうして誰でも出来そうなことを誰にも出来ないものとして昇華するというのはもしかしたら最も難しいことなのかもしれない。それができるバンドは他に全くいないからだ。
変化球を交えるのでもなく、新しい球種を開発するのでもなく。ただひたすらにストレートを投げ込む。そのストレートはただのストレートじゃなくて、誰も投げられないようなノビを持ったストレート。そのストレートだけで三振を奪うというスタイルは、ボールに魂がこもっているから「炎のストッパー」と言われ、どんな相手に対しても真っ直ぐに、真っ向勝負を挑んでいた津田恒実(元広島カープ)のようですらある。
メジャーから離脱したり、柳沢が病気になったり、去年は藤原が体調不良でライブに参加できない時があったり。15年もバンドをやっていると五体満足ではいられない。それでも止まることなくライブをやり続けて、この4人でバンドを続けてきた。そうした歩みや意志が全て音楽や言葉から滲み出ていて、しかもそれがアリーナクラスの強度を持つようになった。それはきっとこれからもっと強くなっていくし、もっと深いところでたくさんの人と結びつくものになっていく。
「自分たちのバンドを褒めるようなことはあまりしないですが、今日はこの場にあなたを連れてきたという一点においてのみ、SUPER BEAVERというバンドを褒め称えたいと思います」
この日渋谷が言った言葉のストイック極まりないこと。どれだけ大きなバンドになってもその精神や意志は絶対に変わらないと思う。今年の年末には全国のアリーナやホールでどんな意志を感じさせてくれるんだろうか。
1.世界が目を覚ますのなら
2.青い春
3.閃光
4.ラブソング
5.irony
6.正攻法
7.秘密
8.まわる、まわる
9.your song
10.人として
11.歓びの明日に
12.予感
13.27
14.東京流星群
15.嬉しい涙
16.全部
17.美しい日
encore
18.シアワセ
文 ソノダマン