すでに2年前には幕張メッセのど真ん中に立つ姿を見ている。春フェス以降もDEAD POP FESTiVAL、Talking Rock! Fes、MURO FESと毎週のように各地で開催することができたフェスを転戦していくのを見てきた。
それでもZepp Tokyoでハルカミライのワンマンを見れることを特別なことに感じられるのは、この何百回ライブを観に来たかわからないくらいに足を運んできたZepp Tokyoが閉館するというニュースを見たからだ。それと同時に前回Zepp Tokyoでワンマンをやった時にはまだこのバンドの本当の凄さに気付けていなかったという悔いもある。
接触確認アプリのダウンロード、検温と消毒に個人情報入力フォーム記入の確認など、東京の現在の感染拡大状況を映し出しているかのような厳重なコロナ対策っぷりであるが、広いZepp Tokyoの客席に椅子が並べられているのはやはり観客もメンバーもモッシュ、ダイブが当たり前だったハルカミライのライブの景色を思うと異様とも感じる。
平日とは思えないほど早い開演時間の18時を少し過ぎると、ステージには関大地(ギター)、須藤俊(ベース)、小松謙太(ドラム)の3人が暗転する間もなく登場して楽器を持つと、準備ができたところでBGMが止んで暗転。まるでフェスのようにこのままリハという名の3人の演奏が始まりそうでもあるのだが、髪が赤いというかピンクのようにも見える橋本学(ボーカル)が現れてマイクスタンドの前に立つと、
「ただ僕は正体を 確実を知りたいんだ」
と歌い始めて「PEAK’D YELLOW」から始まるというのはフェスとは異なる、これがワンマンなんだ、ハルカミライのZepp Tokyoワンマンを観れているんだ、と思わせてくれるオープニングである。
「へいへいほー」
のコーラスフレーズすらも口に出すこともない、マスクをした観客たちが拳を掲げる。ハルカミライのメンバーたちもコロナ前のように客席に飛び込んだりはしない。それでもライブをする理由を、我々がここに来た理由を、正体を、確実を知るための、生きているうちの体感時間の中で最も早く過ぎていく2時間の始まりである。
「PEAK’D YELLOW」の時は暗めだった照明が一気に明るくなると、関がすぐさまギターを鳴らす。「君にしか」から「カントリーロード」というハルカミライのライブではおなじみのオープニングコンボである。須藤はベースを弾かずに踊りまくり、関は自身のアンプに乗って、写真に収めて欲しいくらいの大ジャンプをかます。橋本は「カントリーロード」のブレイク前で
「このツアー、福岡も名古屋も大阪も凄い良い感じだった。今日もそういう感じしかしねぇ」
と言うとすかさず須藤が
「学は嘘つかないから!」
と重ねるも、逆に
「こいつは嘘ばっかりつくから(笑)」
と、曲中とは思えないくらいに緩いやり取りが展開される。しかしながらブレイクで再び関のギターが鳴らされると一気に真剣なライブモードに切り替わるのだが、まだこの段階では橋本のボーカルがいつもほどではないかな?というか少しひっくり返る部分もあった印象である。そう感じるくらいにこの曲の流れをライブで聴きまくってきたということであるが。
ハルカミライは昨年アルバム「THE BAND STAR」をリリースして、ライブもガイドラインを守った形でライブハウスを回ったりしていたのだが、いかんせんコロナ禍だったこと、ガイドラインを守ったことでキャパが少なくなったことから、そのアルバムの収録曲をライブで聴いている人はそんなに多くないはず。(自分も含めて)
「PEAK’D YELLOW」はコロナ禍になる前にシングルとしてリリースされていたし、幕張メッセワンマンなどでも演奏されていたが、
「アイツは知り合い アイツは友達
先生は今でも先生
きりのないものを俺だけのルールで
食い止めろ」
という「ろくでもねぇ」の歌詞は否が応でもコロナ禍以降に守らざるを得なくなったライブの「ルール」という概念に今一度向き合いながらライブを観ざるを得なくなる。それでも
「それでも全部超えてしまう感動に会ったら
言葉もルールも超えて抱き締め合おうか」
というフレーズはいつかまた近い未来に以前のような、メンバーも観客も汗まみれでぐちゃぐちゃになれるようなライブの景色を想像せずにはいられない。
そんな中で「ファイト!!」が演奏されると、今日は何回この曲を聴けるだろうか、と思ってしまうし、このコロナやそれにまつわる鬱屈としたあれこれをぶっ飛ばしてくれないかとも思う。演奏中は橋本がスライディングして転げ回ったりするものだから、たまに橋本がどこで歌っているのかわからなくなってしまう瞬間すらあるけれども。
この日、関が穿いていた黒のスキニーは実は橋本の私服であるという裏話をして和ませるも、やはり演奏が始まると一転して橋本、関、須藤は「俺達が呼んでいる」で飛び跳ねまくり、客席でも観客が本当に楽しそうに飛び跳ねまくる。須藤はジャケットを脱ぎながら水を飲んだりと、もはやほとんど演奏をしていない感すらあるが、それがハルカミライのライブの自由っぷりを示すものになっている。
そこから、
「お前も、お前も、お前も、俺も、立ってるここが世界の真ん中!」
と言っての「春のテーマ」というのはフェスなどでもおなじみの流れであるが、橋本は曲中に
「歌が上手い奴はたくさんいる。でもハートがある奴はそんなに多くない」
と口にする。確かに今は一般人のカラオケ王決定戦のような番組でも歌が上手い人はたくさん見れるけれど、見ていても心が震えるようなことはほぼない。橋本は歌も上手いし、何より声の飛距離とでも言うような声量が素晴らしいボーカリストであるが、そこにハートがこもっているからこそ、これだけたくさんの人の心を震わせることができる。それは橋本の歌だけではなく、メンバーの演奏する音もそうだ。
そんな4人のテーマ曲と紹介された「QUATTRO YOUTH」からはさらにパンクに加速していき、「THE BAND STAR」のタイトル曲にして、始まったと思った瞬間には終わっているショートチューン「THE BAND STAR」、さらにはこうしてライブをやっているメンバーの高まりをそのままぶつけるようなこの日2回目の「ファイト!!」と、凄まじいスピードで曲が次々に演奏されていく。橋本も須藤も曲間には2リットルのペットボトルの水をがぶ飲みしているし、こうまで畳み掛けてくると隣との距離感が気になる席指定という形でも熱くなってきてしまうが、メンバーの暴れっぷりからは疲れという概念を1ミリたりとも感じさせないし、観客の疲れや暑さを楽しいという感情がはるかに上回っている。
そんな暑さはライブハウス特有のものでもあり、今の季節だからこそ。橋本も
「灼熱!」
と言って始まった「夏のまほろ」はメンバーが幼少期に見てきたであろうのどかな情景が頭の中に浮かぶ。そうした場所の夏と、都内の夏ではどちらが暑いだろうか。その暑さを感じるのはこうした景色のどこかの夏の野外フェスであって欲しいと強く思う。
パンクというスタイルのバンドであるが故にとかく勢いやノリ重視だと見られているところもあると思うのだが、ハルカミライには少年の空想的なロマンチックさを持った曲もたくさんある。
もはやラブソングと言ってもいいような「ウルトラマリン」や、シューゲイザー的と言ってもいい関の轟音ギターとリバーブをまぶした橋本のボーカルが新境地を感じさせざるを得ない「100億年先のずっと先まで」という曲はまさにそうした恋愛を歌うロマンチックな曲たちであるが、そうした曲たちもライブで聴くとイメージは「激しい」というものに一変する。それは小松のドラムの1打、須藤のベースの1音の強さと重さ、そこに込めた橋本言うところの「ハート」があるからだろう。
もうここではきっと前みたいな形のライブを見ることはできないだろうし、このZepp Tokyoでハルカミライのライブを見るのはもしかしたら最後になってしまうかもしれない。それでもこの瞬間、この景色を100億年先のずっと先まで永遠に封じ込めたら、と思っていた。100年先ですら想像もつかないし、自分は生きていないというのに100億年先のことなんて地球が存在してるかどうかすらわからない。それでもそう思ってしまうくらいに、ファンタズミックな瞬間と景色だった。
「地元もライブハウスも友達も家族も絶対に忘れないし、大事にするもんだな」
という言葉からは橋本のZepp Tokyoへの餞の言葉であるかのように感じられた。
そんな、なくなってしまう場所があってもライブハウスという存在から離れることはないという意思を感じさせるかのような「君は何処へも行けない」を聴いていたら、ハルカミライはこれまでにどれくらいの数のライブハウスでライブをやってきたんだろうか、ということを思っていた。今でも千葉LOOKのような首都圏の小さいライブハウスにも普通に出ているハルカミライは、もしかしたら今までライブをしてきたライブハウスのことを全て覚えているのかもしれないと思った。それくらいにライブハウス以外の何処へも行けないとすら。
そんなハルカミライのロマンチックさが、序盤は少し不安も感じた橋本のファルセットが見事に出ている「Mayday」では壮大なスケールと歌詞から滲む切なさで我々を、この大きなZepp Tokyoを包み込んでいく。「君は何処へも行けない」も含めてこのあたりの曲はこうしてワンマンに来ないとなかなか聴くことができない。それがもしかしたらワンマンをやるのが最後かもしれないZepp Tokyoで聴けたこと。その中にいれたから見ることができた景色はきっとずっと忘れることはないだろう。
声を出せない観客が腕を突き上げるおなじみのショートチューン「Tough to be a Hugh」では眩い光に照らされた橋本が客席を指差して
「いろいろあるけどさ、みんなルール守ってるよ。ありがとう!でもそれ以上に来てくれて本当にありがとう!」
と言う。確かに先日はいろいろと騒ぎになることもあったし、あれだけモッシュ、ダイブ、合唱の応酬というライブであり、それがバンドのライブらしさにもなっていたハルカミライが何故こうして頑なにルールやガイドラインを守り続け、ファンもそれを守りたくなるようなライブをし続けているのか。それは橋本の
「自慢の車を買ったら、スピード出しまくる荒い運転するんじゃなくて、車に傷がつかないように速度を守って運転する」
というパンク感によるものでもあり、そうした生き方こそがカッコいいということをメンバー自身が体現しているからであるが、何よりもルールを無視することによって誰かを傷つけたり悲しませたりしたくないのだ。そんな優しさが音から、姿から強く伝わってくる。パンクは大切なものを守るための最大の防御と言っていたのはSiMのMAHであるが、ハルカミライもまたルールを守ることで自分たちにとって大切な人や大切なものを守ろうとしている。
自分はパンクを究極に人間的な音楽だと思っているが、その究極に人間的なパンクという音楽の中でも今最も人間的なバンドがハルカミライだと思っている。だからこうして毎週のように見れるだけライブを見たいと思うのだ。何よりもその人間らしさがどんなに短い持ち時間、どんなにセトリが同じなフェスのライブであっても毎回全く違うライブにしてくれるのだ。
そんなルールを守りながらのパンクのライブは橋本がTシャツを脱いで首に巻いたりしながらも、ここに来てファストなショートチューンの連打になっていく。なので「エース」を挟んで、跳ねるリズムでありながらもパンクでしかない「フュージョン」が2回も演奏されるという、本当にこの瞬間のノリで曲を決めているとしか思えない流れにもなるのだが、
「涙の歌 しゃららららら
あなたの言葉で
涙が魔法に変わる音
流れてきた
手をつなごう しゃららららら
ここまでよく来たね
魔法の歌 しゃららららら
聴こえてきた」
というシンプル極まりない歌詞がメロディの美しさを際立たせる「優しく飛んでゆけ」はまさにハルカミライらしい曲であり、またここからガラッとモードが変わっていく。
変わったのはモードだけではない。橋本同様に上半身裸になった小松が前まで出てきて須藤と一つのマイクで歌う様を、
「もう28歳なんだから大人に…ならなくていいか(笑)」
と小松らしさとして割り切ってしまう「世界を終わらせて」では橋本が自身で
「良い歌歌えてる!」
というくらいにここからボーカルの迫力がまたさらに強くなる。マラソンをスタートから全力ダッシュしてきたのに中盤を過ぎてさらにスピードが上がっているかのような凄まじさには体だけでなく心までもが思わず震えてしまう。
それは「THE BAND STAR」のリード曲でもある「ピンクムーン」もまた然り。こうしてずっとハルカミライのライブを見てみたい。できれば死ぬまで。でもちょっとだけメンバーより年上である身としては、自分が死ぬまでにバンドが終わって欲しくない。そう思うからこそ、
「君より早く死なないから
僕より早く死なないでね」
というフレーズがこうしてライブで聴くことによってより実感を増す。つまりはお互いに長生きしたいし、長生きして欲しい。そしてこれから先も数え切れないくらいにこんな日を経験させて欲しい。月を思わせるような鮮やかな照明に照らされながら演奏しているメンバーを見ながらそう思っていた。
そんな中で橋本がアコギを手にすると、
「俺たちを救ってくれた曲」
と言って「THE BAND STAR」の最後の収録曲である「友達」をアコギで弾きながら歌う。その後ろでは橋本以外の3人がドラムセットに集まって握手をしている。1コーラス終わると握手していた3人のバンドの音が入って橋本はボーカルのみになり、関のギターが初期銀杏BOYZを彷彿とさせるようにノイジーかつエモーショナルな音像に変化し、バンドサウンドも一気に振り切れていく。
「友達」というあまりにも使い古され過ぎた言葉。でもハルカミライの4人はやはり仕事仲間とかじゃなく、ずっと友達のままなんだろうと思う。だからどんなに演奏が上手い人が誰かの代わりに入ってきてもそれはハルカミライの音楽にはならないし、こんなに凄いライブをすることはできなくなるだろう。それはこの4人だから共有できるものがある関係性を超えるような友達という存在ではないから。バンドにとって、ライブにとって1番大事なのは何か。それをハルカミライのライブはいつも思い知らせてくれる。
すると今回のツアーでは各地でいろんな曲をやっているということであり、ファイナルであるこの日は
「今なら「完全感覚Dreamer」もできそう!」
という、是非聴いてみたいとしか思えない橋本のセリフも飛び出すのだが、小松が「あのドラムは無理!」とさすがにお手上げ。ちなみに須藤は初めて買ったCDであるI WiSH「明日への扉」の方がやりたいらしい。世代を感じさせる初めて買ったCD話。
そんなこの日だけ演奏されたのはTHE NINTH APOLLOのコンピレーション「In the Stage 4」収録の「青春讃歌」という超レア曲。今と比べるとアレンジもサウンドもはるかにストレートな、ハルカミライがWikipediaに「青春パンク」と書かれているのもわかるくらいの曲であるが、だからといってそこに今の曲との温度差みたいなものは全く感じない。今でもそのタイトル通りの青春性がバンドにあり続けているからこそ、こうしてライブで演奏することができるのである。
一転して場内は暗くなる。基本的にはメンバーの背後という低い位置から照らす照明しか演出がないという、とにかくバンドの音と鳴らす姿のみを見せたいというようなストイックなスタイルのライブであるが、そうして薄暗くなったからこそ、照明がZeppの天井からぶら下がる巨大なミラーボールを照らすのは「宇宙飛行士」。
さらにそのまま曲のストーリーが繋がる「アストロビスタ」では橋本が
「地元のライブハウスにもミラーボールあるんだけど、Zepp Tokyoのも凄い綺麗だな!」
とそのミラーボールのことを口にする。それはやはりこの会場がなくなってしまうことへのメッセージだろう。きっと橋本もメンバーも、ハルカミライに関わる人もみんなこの会場のことを本当に愛しているはず。だからこそ、いつもと同じスタイルでありながらも、この会場だから出来ること、この会場が持っているものを使ったライブをやる。それがハルカミライなりのZepp Tokyoへの愛の示し方だ。この日のライブは何らかの形で映像化されるようだが、画面越しではなくこの目でこの景色、瞬間を捉えることができたのは本当に幸せでしかないと何度でも思う。
しかし「アストロビスタ」を聴いていると、この状況だからもちろん歌っているのはメンバーしかいないんだけど、何故だか自分が橋本のように歌っているような感覚になる。もちろん橋本のような歌唱力も声量もない。でも誰しもがハートを込めて歌ってる、その中心が橋本であり自分であるかのような。そんな感覚は普段はまず体感することはできない。そういう意味でも、我々にとってはヒーローというような視線で見られているのに、自分と同じ目線にいるようにも感じる。橋本も
「若い人にはバンドやってるやつもいるだろう」
と言っていたが、ハルカミライのライブを見てバンドを始めたくなる理由が物凄くわかる。ああはなれないけれど、ああなれるような気がするのだ。その「なれなかった」は逆にきっとその人なりのスタイルになっていく。
そして須藤の合図で4人はドラムセットに集まって円陣を組む。今一度気合いをさらに入れるかのように。もしかしたら最後かもしれないここでのライブを心と体と脳の全てに刻み込むかのように。
そうして聖なる光であるかのような照明が神々しくメンバーを照らす「ヨーロービル、朝」へ。決してアッパーな曲ではないけれど、メンバーが鳴らす轟音と橋本のあまりにも力強いファルセットはその音と鳴らす姿が見ているこちらの感情を激しく揺さぶってくる。
「朝になったら眠る
明けない夜はないだろう」
という歌詞からはバンドマンとしてのライブハウスでのライブ後に打ち上げを終えた情景を思い描かせる。そうした情景を思い起こさせる音。それを共有してきたメンバーでしか鳴らせない音。恐ろしさすら感じるくらいの凄まじいライブをするバンドは、化け物と形容したくもなる(幕張メッセワンマンでの橋本のMCのように)。
でもただひたすらに人間だ。あまりにも人間臭すぎるくらいに人間らしすぎる人間。優しさ、温かさ、強さ。そうした感情は人間だから持ちうる、感じることができるもの。それをこんなに感じさせてくれるバンドなんだから、人間に響かないはずがない。ああ、出会えて良かったな、好きになれて良かったなって心から思えた。
そんな本編ラストだっただけに、もうこれで終わりと言われても納得してしまうくらいに凄まじい余韻に包まれる中、メンバーは再びステージへ。
「まだこのツアーでやってない曲が2曲ある」
と言ってから「ブレーメン」を演奏したということは、この曲は今回のツアーの他の会場では演奏していなかったということなのだろう。結果的にこの日は「THE BAND STAR」収録曲を全曲演奏したことになったが、さらに最後の曲として演奏された「春はあけぼの」の
「再会の日を楽しみにしてるよ」
というフレーズは紛れもなくこのツアーの終わりと次のライブでの再開を示していた…はずなのだが、さらにダブルアンコールとして再びメンバーが登場し、須藤も
「再会の日早すぎじゃない?(笑)」
と自虐しながら、
「こんなアンコールやるの東京だけだよ(笑)」
と言って、最終兵器を開陳するかのようにデモCD収録の「city」という、思わず驚きのリアクションが客席から上がってしまう選曲。
「やっぱり良い曲だ!」
と懐かしむようにしながら、でも今の4人だからこそのアップグレードも感じさせる演奏はやはり初期のシンプルかつストレートなアレンジだけではない部分も感じられただけに、もしかしたら近い未来に何らかの形で再録されたりするのかもしれない。でないとこうしてここで演奏されないような、でもこうして当たり前に立てるようになったZeppの最後に連れてきたこの曲を刻むという意味合いもあったかのように。
しかしそれでもまだ終わらず、やはり最後はこの日3回目となる「ファイト!!」で、何度聴いても全く飽きることがない(今月だけで15回近く聴いてる)くらいに拳が上がる客席の様子、最後の最後まではしゃぎまくるようにして演奏するメンバーの様子は、走ってステージから帰っていく姿も含めて、本当に日常や社会のいろんな嫌なことや不安なことをぶっ飛ばしてくれるかのようだった。
橋本はこの日の本編最後に
「「学さんは私にとってヒーローだ」とか「背中を押されてます」って言ってくれる人がいて。確かに背中を押せているのかもしれない。でも俺にとっては歌が、4人の歌がヒーローなんだ」
と言った。よくある感じだと
「こっちが君たちに背中を押されている」
というようなことになる。それも我々からしたら嬉しいけれど、ありふれたことを歌っているように見えるハルカミライはありふれたようなことは決して口にしない。だからありふれたように見える歌詞が決してそんな薄っぺらいものではないということがわかるのだが、橋本も我々と同じように、あるいはそれ以上に、ハルカミライの歌や演奏がどれだけ優しくて温かくて強いものなのかをわかっている。
それは旧来的なロックの価値観とは真逆と言っていいような力だ。それゆえに橋本のロック感、パンク感を心良く思わないような上の世代の人だっていると思う。理解できないというか、認めたくないというか。
でもロックが人を傷つけたり、悲しませたりするようなものならば、そんなものはなくなった方がいい。だけどロックがそういうものじゃないということを知っている。そういうものじゃないから、ロックやパンクが生きる力であり、日々を生き抜いていく理由になってきた。
そしてハルカミライの音楽やライブは、やっぱりロックがそうして人を傷つけたり悲しませたりするようなものではないということを改めて教えてくれる。
ハルカミライというバンドがスーパースターであり、ヒーローであり、そのバンドの鳴らす音楽は歓びの歌だ。これからも眠れない夜にそんなハルカミライの音楽を聴くのさ。
1.PEAK’D YELLOW
2.君にしか
3.カントリーロード
4.ろくでもねぇ
5.ファイト!!
6.俺達が呼んでいる
7.春のテーマ
8.QUATTRO YOUTH
9.THE BAND STAR
10.ファイト!!
11.夏のまほろ
12.ウルトラマリン
13.100億年先のずっと先まで
14.君は何処へも行けない
15.Mayday
16.Tough to be a Hugh
17.フュージョン
18.エース
19.フュージョン
20.優しく飛んでゆけ
21.世界を終わらせて
22.ピンクムーン
23.友達
24.青春讃歌
25.宇宙飛行士
26.アストロビスタ
27.ヨーロービル、朝
encore
28.ブレーメン
29.春はあけぼの
encore
30.city
31.ファイト!!
文 ソノダマン