昔、地元の同級生から
「バイト先にこんな面白いバンドをやってる奴らがいる」
と教えてもらったバンドがいた。隣の中学校出身の、同い年のメンバーたち。明らかに荒い作りのMVにはその市内で育った人間なら誰しもが知っているような場所ばかり出てきた。
それが、神聖かまってちゃんというバンドとの出会い。まだインディーズでCDが流通し始めるようになる前のことだった。
それからバンドはまさかの地上波のテレビに出演してSMAPの中居正広とも共演してお茶の間に大きなインパクトを残す。
そんなバズを巻き起こしてからもう何年経っただろうか。神聖かまってちゃんからベースのちばぎんが脱退するというニュースが流れたのは去年のこと。それに伴って今回のツアーは4人で回る最後のツアーとなった。この日のZepp DiverCityワンマンはツアーファイナル。正真正銘、4人でのライブを観れる最後の機会になる。
Arctic Monkeysの1stアルバムがBGMとしてずっと流れる中、「夢のENDはいつも目覚まし!」のSEでメンバーがステージに登場。このSEは初めて見た時からずっと変わらない。
の子(ボーカル&ギター)が
「歌っても歌わなくても垂直立ちでもいい!お前たちの衝動を俺たちにぶつけてくれ!」
と曲を演奏するよりも前に観客を煽ると、「怒鳴るゆめ」からスタートしていきなりの合唱を巻き起こすのだが、まだこの段階ではこの曲を最初に演奏した理由を自分はわかっていなかった。
実は神聖かまってちゃんは前週にニューアルバム「児童カルテ」をリリースしたばかりなのだが、そのアルバムに収録されている、かまってちゃんだからこそのリアルかつ切実な歌詞が並ぶ「るるちゃんの自殺配信」から初期の「ゆーれいみマン」へと繋がるあたり、やはりこの4人でのライブはこの日が最後ということで集大成感を感じさせる選曲。
しかしながらバンドの演奏が実に力強いのはこのちばぎんのフェアウェルツアーも含めて、バンドがライブをひたすらに重ねてきているからだろう。技術や経験は増しながらも、このバンドの持つ衝動の部分は失われていない。それがなくなってしまうとだいぶライブの質が変わるタイプのバンドであるが、ちばぎんのラストライブという要素を含めての衝動でもあるだろうか。
「終わりはいつか来るけど、俺はずっと終わりなんてないって言ってきたし、でも今日は間違いなく一つの終わりだし…」
と、の子のMCというか曲間の喋りというか、は相変わらずとりとめがないというか、最終的に何を言いたいのかがあまりわからないが、それでもそのの子の言葉が曲と曲を繋げる接着剤のような役割を担っているのも確かであり、それはかつてはやたらとダラダラメンバー同士で喋っていた姿とはだいぶ違う。その喋りも含めた上でちゃんとライブの一部になっているというか。だからこそフェスに出ても他のバンドと変わらないくらいの曲数が演奏できるようにもなっているはず。
の子がヴォコーダーを使い分けることによって機械的なボーカルを聴かせるのもこのバンドならではの要素であるが、それを使った「夕暮れの鳥」からはいわゆる代表曲というところには入ってこないような曲も演奏されていく。
の子が書いて歌うからこそ説得力を持つ、現代社会に向けた辛辣な歌詞が並ぶ「毎日がニュース」からはバンドの演奏がパンク方面に振り切っていき、の子が最初に言っていたように客席からの衝動がステージに跳ね返っていく。
その一方でmono(ピアノ)が身振り手振りで観客を煽りまくる「肉魔法」からはこのバンドの音楽的な偏差値と技術の高さ、引き出しの豊富さも感じさせてくれる選曲に。
の子がアコギに持ち替え、もはやゴスペルかのような、バンド名の通りに神聖な雰囲気の「おやすみ」は曲の入りこそmonoをいじるように始まったが、ちばぎんとみさこ(ドラム)のコーラスも含めて、このバンドに対して破天荒なイメージしか持っていない人が聴いたらきっとビックリすることだろう。
するとステージ背面の幕が開く。そこに投影されたのは映像ではなく、レーザー光線。それがまさに蛍のように美しい光を放つような演出となった「夜空の虫とどこまでも」はまるで人力テクノとでも言うようなダンスミュージック。の子がシンセを操るのも含めて、やはりこのバンドの持つ基礎体力の高さを感じさせるが、monoが動物の被りものを被ってステージ上を徘徊する「Girl2」からもスタッフと一体となった、音と光の見事なコラボレーションを見せてくれる。そこには変わらないようでいて確かに進化を果たしてきたバンドの足跡を実感することができるし、かつてはステージ上でマジ喧嘩をすることもあった、の子とmonoがお立ち台の上で密着して歌う姿からも、どこかこうしてこの4人でライブをやるのが最後であるからこその切なさを感じさせる。
の子「ちばぎん、この流れの後にこの曲を入れやがって!俺への嫌がらせだろ!カラオケにしろ!」
ちばぎん「カラオケだとしてもお前は歌わなきゃダメじゃん(笑)」
とバンドで1番の常識人としてツッコミを入れるちばぎんがこの日(というかこのツアーだろう)のセトリを作ったことがわかるのだが、の子がそう言うのは動きまくりながら歌う流れの後に、「ねこ」というワードをひたすらに叫びまくる「塔を登るねこ」を選曲したからであり、確かに全く加減やペース配分をすることができないの子にとってはかなり厳しい流れと言えるだろう。
そんなの子が歌いまくる流れから再びギターを手にしての「ぺんてる」ではの子が歌詞を変え、
「僕は大人になりました」
のフレーズを何回も何回も繰り返す。の子も、ちばぎんも、monoも、みさこも全員大人になった。もう「ぺんてる」に行くこともなくなった。
そもそも「ぺんてる」は彼らの住んでいた地域にあった、文房具や少しのおもちゃが売っていた、本当は「○○商店」という名前があった店だが、店先にデカデカと「ぺんてる」という文字が描かれていたから近隣の人はみんな「ぺんてる」という名前で呼んでいた店である。
きっともう、あの「ぺんてる」はない。小学生の頃にみんなで買い物をしに行った(それはきっとの子たちもそうだったはず)あのあたりの景色は再開発によってだいぶ変わっているはず。「ぺんてる」の店員だったおばあちゃんも今も元気なのかはわからない。
でもこの曲を聴くとあの当時の景色を思い出すことができる。曲を聴くだけじゃなくて、みさこのパワフルなドラムが、ちばぎんの安定感のあるベースが、monoの美しいピアノが、の子のノイジーなギターがその景色をさらに鮮明に頭の中に映し出してくれる。
かまってちゃんは実は演奏が上手いバンドであるが、それに加えてそうした感傷のようなものなどの感情を揺さぶるような表現力も備えたバンドになっている。衝動だけでも、技術だけでもない。だから自分は近年のVIVA LA ROCKへの出演時のライブなどもそうだったが、かまってちゃんのライブを見ると涙が出てきてしまう。昔、ライブを見ていた時はそんなことはなかった。バンドは確実に進化してきたし、熱心に追いかけてきたわけではなくても、間違いなくこのバンドと一緒に歳を重ねてきたのだ。
だからこそなのか、他の同い年バンドは同い年だということがわかっているのになぜか向こうの方が大人っぽく見える。それはステージに立っているからそう感じるのかもしれないけれど、かまってちゃんのメンバーたちは出会った時からずっと同い年にしか感じないし、その雰囲気はどれだけ有名になったりしても変わらない。だから見ていると自分も変わってないんじゃないだろうか、とすら思えてくる。
そんな
「一緒に歳を取ってきた奴らも今日はたくさんいるんだろ!」
と、の子もMCで口にしていたが、ちばぎんが最後だからこそのまとめMCをしようとするとの子が口を挟んできてちばぎんが喋るのを諦めるというあたりも実にかまってちゃんらしい。
そんな中で演奏された「2年」は
「2年後に2年前の今の僕を笑い飛ばせるように」
という、決して安易に前向きなことを歌ってこなかったバンドによる、安易に前向きなことを歌わないけれど、確かに聴き手が前を向きたくなるような曲。かまってちゃんのファンの中には社会に適合できないようなタイプの人もたくさんいるだろうし、音楽や配信を通じてかまってちゃんはそうした人たちを救ってきたり掬ってきた実感もあるはず。そんな人たちがこれから先の2年を生きていこうとするような力が生まれれば。
聴いているとそんなことすら思えてくるような曲であるのだが、演奏が終わった後に
「今ので最後の曲でした」
と言ってメンバーはステージを去っていった。それはかつては物凄く長い時間のワンマンをやっていた(その大半はグダグタなトークだった)このバンドにとってはあまりにあっさりとした幕引きであったが、このバンドのこの4人での最後のライブはそんなにあっさり終わるものではなかったのである。
アンコールではの子が微妙に着替えて登場すると、
「かまってちゃんは暴力的な、テロリストみたいなバンドだと思われがちだけど、このバンドで最初に作ったのは「夢」のことを歌った「怒鳴るゆめ」だった。今日、ちばぎんが「怒鳴るゆめ」を最初に選んだのは、そういうとこもあったんじゃないかと思う。俺たちの始まりの曲だから」
と、この日最初に「怒鳴るゆめ」を演奏したことについて話すと、そのままちばぎんにいきなり曲フリをさせて「天文学的なその数から」を演奏すると、このバンドの代名詞的な曲と言える「ロックンロールは鳴り止まないっ」へ。かつてはの子は
「ライブでやり過ぎててもう飽きてる」
と発言したこともあったが、そんな曲もこうして4人で演奏するのはこれが最後。だから本当に4人はロックンロールを鳴り止ませないために演奏しているようだったし、きっとこの曲を聴いていた人がバンドを始めて、ロックンロールはこれからも鳴らされていく。そうやってビートルズやピストルズから継承したロックンロールは鳴り止まずに繋がっていくんだろうし、かまってちゃんだってこれからもまた新たな形でロックンロールを鳴らしていく。ただやはりこの日最も涙が自然と溢れてきたのはこの曲だった。こんなにもこの曲の持つメッセージに説得力を感じたことはなかったから。それはかまってちゃんによるバンドを続けていく宣言であった。
そして最後に演奏されたのは映画のタイアップなどに起用されたことによって、このバンドの「ロックンロールは鳴り止まないっ」だけではない代表曲となった「フロントメモリー」。ハンドマイクにヴォコーダーを通して歌っていたの子は最後に客席にダイブすると、演奏が終わった後にちばぎんにもダイブすることを促した。するとちばぎんは思いっきり助走をつけて客席に飛び込んだ。そういえば昔はしょっちゅうこうしての子はダイブしたりしていた。このタイミングまでそれがなかったのは、もうあまりめちゃくちゃなことをやるようなバンドじゃなくなったのかも、とも思っていた。でもやはりかまってちゃんはかまってちゃんのままで、の子はの子のままだったのである。
鳴り止まないアンコールに応えて再びメンバーがステージへ。するとの子の長い演説的なMC。
「ケンカしたことも何回もあったけど、思い出はいつもキレイだからずりーよな」
「ちばぎん、これからは奥さんに毎日「愛してる」って言わなきゃダメだぞ!」
と時折ほろっとするようなことも言うのだが、基本的には同じことやもう本編で言ったようなことを何回も繰り返していた。の子自身が終わらせたくなかったのだろう。次の曲を演奏して、それが終わると12年間続いてきたこの4人の神聖かまってちゃんは終わってしまうのだから。これまでに何度となく喋り過ぎなかまってちゃんのライブを見てきたが、この日の喋り過ぎはそうなる意味や理由がよくわかる喋り過ぎだった。
そして最後にちばぎんがタイトルコールをして始まったのは「23才の夏休み」。ちばぎんは涙を拭いながらベースを弾くのだが、サビを何回も観客に合唱させるの子が何やら袖から持ってきたのはやたらと派手なファイル。
「昔、俺がちばぎんの誕生会の時にちばぎんの家からパクッた、キングガンダムI世のキラカードをちばぎんに返したいと思います!」
と、この「23才の夏休み」の
「君が僕にくれたあのキラカード その背中に貼り付けてやるよ」
という、あまりに子供っぽくて最初に聴いた時にビックリしたその歌詞は実話であり、しかもくれたのではなくてパクったものだったということが明かされる。(そのカードダスもぺんてるでガチャを回して手に入れたものだろう)
しかしキングガンダムI世のカードはなぜかファイルに入っておらず、かわりにちばぎんが「欲しい!」と言った、バーサルナイトガンダムのキラカードを渡すことになるのだが、ただ渡すのではなく歌詞の通りにの子がちばぎんの背中に貼り付けようとする。が、もう25年くらい前のものなので粘着力が低下していて張り付かないというこの締まらなさもまた実にかまってちゃんであった。
しかしそれでもなおライブを終わらせたくないの子は「23才の夏休み」が終わっても「怒鳴るゆめ」のコーラス部分を何度も繰り返したりというやりたい放題っぷりで、何度もステージにダイブし、メガネを客席に投げ込んだちばぎんもステージにダイブする。
さらに演奏が終わっても喋りまくるの子に対してみさこが袖のスタッフの様子を伺っているのが何の筋書きもないリアルなライブの様子だったことがわかるのだが、最後にちばぎんからも涙を堪えながらの感謝の言葉が告げられると、4人で写真撮影をして、の子がちばぎんに担がれてステージを去って行った。ちばぎんへの「ありがとうー!」という声援が飛びながら。
かまってちゃんが世の中に認知され始めた時、かまってちゃんの存在を自分に教えてくれた友人が、
「この街の誇り」
と言っていた。特に他に有名人も輩出していなくて、昔は駅前にダイエーとジャスコしかなくて、どこかに遊びに行こうにも電車で隣の駅まで行くのに300円もかかる(隣の駅はより一層何にもなかったけど)から、全てがその中で完結していたあの街。
自分がいろんなアーティストを見てきたステージにあの街で始まったバンドが立っていて、自分が好きなバンドがたくさん出ているフェスにあの街で始まったバンドも出ていて、かまってちゃんのライブを見に行けば客席にIKUZONE(Dragon Ash)や吉村秀樹(bloodthirsty butchers)という自分が見てきた人もいて。あの街で始まったバンドが地上波のテレビ番組で
「俺たちの時代だ!」
って叫んでいて。
本当に誇りだし、ずっと自分はかまってちゃんを尊敬というか、他のバンドとは少し違う目線で見ていた。そんなバンドを早くから知れたのは、友人がちばぎんと友達だったから。
そんなちばぎんが脱退する。数年前のインタビューでの子は
「もうオワコンですよ、僕らは。みんなにそう言われる」
と言っていた。自分たちもそう思っていたとしたら、ずっと同じメンバーでやってきたバンドから1人抜けるというタイミングは、ちょうどいいバンドとしての終わりのタイミングと捉えることだってできる。ましてやこのバンドのカオスなライブとステージを最も客観的かつ冷静に見て対処してきた、ちばぎんが抜けるのだ。
でも、かまってちゃんは終わるということを選択しなかった。の子は
「終わりなんかない」
「終わりは来る。明日には俺が死ぬかもしれないし、お前が死ぬかもしれない」
と真逆のことを何回も繰り返し話していた。
終わりは来るかもしれないけど、俺たちは、神聖かまってちゃんはまだ終わってはいない。それを宣誓しているかのようだった。
昔、友達と一緒にちばぎんの招待客としてライブを見せてもらったりした時に、全員変な名前で招待リストに載せられてて、受付の人にめちゃくちゃ笑われたのも本当に良い思い出。(自分は「ゲログソビッチ」という「本当にこれで会場入れるの!?」と不安にならざるを得ない名前にさせられていた)
やっぱりまだ、ロックンロールは鳴り止まない。神聖かまってちゃんは続くけど、ちばぎん、今までありがとうございました。そしてお疲れ様でした。
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21.23才の夏休み 〜 怒鳴るゆめ
文 ソノダマン