同じ会場で行われた年明けのツアー初日の時は、まさかファイナルの日がこんな状況になるなんて全く想像していなかった。
それは言うまでもないけれど、コロナウイルスによる自粛という名の見えざる圧力のせいであり、今やテレビなどを見ていると、完全に今やライブハウスは危険な場所であり、ライブをやるアーティストは悪という流れになってしまっている。
そんな中でも、メレンゲはこの日のツアーファイナルを敢行することに決めた。
「全ての経済活動が止まらない限りはライブをやめない」
というクボケンジ(ボーカル&ギター)の言葉は、フリーランスを選んだ責任とかそういったものではなく、この国に生きる1人の国民として至極真っ当な意見であると自分は思っている。(だいたいがライブをやることを批判してくるような人はそのアーティストのことを全く知らない人、ライブハウスに全く行ったことがない人なわけで、いちいち取り合っていらんないよなぁと思う)
2ヶ月前のツアー初日とは会場の空気が全く違うように感じるのは、やはり昨今のウイルス問題に起因するものであり、観客のほとんどがマスクを着用していたということ。ライブハウスに行くというだけで世間から叩かれるということを考えると、かつてクボケンジはメレンゲファンの男性の少なさに触れ、その男性のたちのことを「隠れキリシタン」と評していたが、隠れるわけでもなくこうしてライブに足を運んでいるからこそ、マスクをしてライブを見ている人たちは我々からしたらまるで共犯者のようですらある。どれだけ叩かれようとも、ライブハウスに来るのが人でなしのように言われようとも、こうして見に来ざるを得なかった人たちという点で。
基本的にはツアー初日と流れはあまり変わらないだけに、初日のライブレポも参照していただきたいのだが、この日のライブはコロナウイルスの影響もあって、ライブに来ることができなかった人に対してチケットの払い戻しも行っていただけに、ほぼ満員と言っていい状態だった初日と比べると若干人が少なく感じてしまうが、それでもこれだけの人がこの状況で足を運ぶということに、みんながメレンゲというバンドの存在をどれだけ大事に思っているのかがわかるくらいにはそれなりに埋まっている。
先陣を切ってタケシタツヨシ(ベース)がステージに現れた後に、今回のツアーではおなじみのドラム小野田尚史(ホタルライトヒルズバンド)、皆川真人(キーボード)、松江潤(ギター)というサポートメンバーたちがステージに現れ、最後に初日よりは髪が伸びたように思えるクボケンジ(ボーカル&ギター)が登場。
松江がギターを鳴らす。そこにメンバーの音が重なっていく。タケシタはブレイクでベースを抱えてジャンプする。クボが独特の儚さを含んだ声で歌う。そんな、これまでに何千回と見てきた「ライブハウスのステージにバンドが立って演奏している」ということ。それがどれだけ尊いことなのかということに向き合わざるを得ないようなこの1週間だった。
当たり前だったことは当たり前ではなかった、というのはあまりにありふれた常套句であるが、この音が鳴った瞬間に体が、そして何よりも心が震えた。ちゃんと自分の目の前にはロックバンドがいて、それを見にきている人たちがいる。
そんな状況だからこそ、初日と同じ「輝く蛍の輪」から始まるライブも、歌詞がいつもとは全く違う角度で聴こえてくる。メレンゲは「ジョバンニも憧れた純文学ギターロック」というコピーがCDについていたこともあったが、クボならではの風景描写の歌詞よりもむしろ、
「本気で笑ったり泣いたりするのが
おかしなことだと思ってるんだろ…」
という歌詞は「ライブハウスに行くことがそもそも異常」という報道のされ方すらしている現在の状況に対し、音楽を聴いてライブを見たりすることで、本気で笑ったり泣いたりするのがおかしなことだと思っているような人たちに対するメッセージとしても聴こえてくる。あくまでロックバンドなサウンドの曲だけに、より一層メレンゲのロックさが際立つオープニングである。
クボが早くも
「ありがとうございます!」
と来てくれた人たちへの感謝を示す言葉を挟むと、やや青く暗い照明の中で演奏された至高の名曲「きらめく世界」へ。クボやメンバーが、そして我々が夢見るようなきらめく世界もまた、きっと音楽が流れているような世界だ。
「とても暗い海の底に引き戻されるのが怖いの…」
というこの曲を名曲たらしめている少女目線による、まるで映画のセリフのようなフレーズもまた、ライブに行けない、バンドが活動できないという今の状況がとても暗い海の底であり、この日のライブが終わったらそこに引き戻されてしまうかのよう。しかし、
「大丈夫、キミは溶け合って ボクになる
どこまででも近くなって ただその命を燃やすんだよ」
という締めのフレーズの通りに、我々のすぐ近くでメレンゲというロックバンドが命を燃やすかのように演奏している。今まで音源でもライブでも何度聴いてきたか数え切れないくらいに聴いてきた、メレンゲの代表曲と言っていいような曲。それが今までで1番というくらいに強く響く。まだ2曲目だというのに感動してしまっていた。
ツアー初日の時点でクボは
「やる曲も変えていこうと思っている」
と言っていたが、東名阪を経てたどり着いたこの日は雪が舞うくらいの寒さだった初日の冬を超えて、すでに3月という春の季節になっていた。だからこそこの日「君に春を思う」を演奏したのだろうし、音楽業界では今の自粛を余儀なくされている状況から脱して「春は必ず来る」というハッシュタグが広がっているが、我々メレンゲファンにとってはこの日がもう春の到来だった。なぜなら、
「今日君が笑う それだけで春だ」
だからだ。かつてはメジャーシーンで様々なタイアップ曲をリリースしてきたとはいえ、メレンゲはそこまで有名とは言えないバンドだ。だけどもしかしたらこの日にライブをやったことをとやかく言ってくるような人もいるかもしれない。でも、
「未来になって 今日が幻になるまで
笑われるくらいに 笑ってて欲しい」
というフレーズの通りに、いつか何年後かにメレンゲがライブをした時に、この日のことを「あの時は本当に大変だったよね〜」と言って笑い合えるような日がくることを信じている。
かつて「ピンポン」のアニメの主題歌になったことにより、映画版の主題歌を担当していたSUPERCARへのリスペクトを感じられるような浮遊感のあるサウンド(映画版で窪塚洋介と中村獅童が対戦していたシーンが否が応でも頭に浮かぶ)の「”あのヒーローと”僕らについて」ではタケシタが高音を、松江が低音を担うというコーラスワークの妙によるアレンジに。わずか4公演という短いツアーであったが、その中でもしっかりとライブでの演奏をアップデートしてきたことが感じられる。
クボがギターを下ろしてハンドマイクを持って歌うエレクトロかつ幻想的なサウンドに、タケシタと松江に合わせて観客が手拍子をするのが楽しく、会場にいる人全員でリズムを作っているような感じになる「ミュージックシーン」、ツアーファイナルではあるけれど、それは新たな旅の始まりであることを感じさせるような「アルカディア」「CAMPFIRE」。ツアー初日以上にテンポ良くメレンゲの名曲たちが演奏されていたような印象だ。
初日とはまた変わっていたのが、初日に演奏していた珠玉のバラード曲「すみか」が、かつて新垣結衣が歌手活動をしていた頃にクボが提供し、メレンゲとしてセルフカバーしていた「うつし絵」に変わっていたこと。
クボはMCでたびたび「歌のキーを下げたい」と話しており、タケシタに
「ボン・ジョビがキーを下げて歌ってるのを見るとちょっとガッカリするから、クボ君には頑張ってもらいたい」
と突っ込まれていたが、この「うつし絵」こそキーを下げたら曲の魅力は減ってしまうだろう。クボは決して声がめちゃくちゃ出るタイプのボーカリストではないけれど、その少し掠れたファルセットボーカルがメレンゲの曲の儚さをより強く感じさせるのもまた事実だと思うから。
ドラマの主題歌としてテレビでも流れた「楽園」は皆川のピアノが強く強調された演奏となっていたが、クボが
「ウイルスにはよく寝て、自分が強くなって免疫力を高めていくしかない」
とその通り過ぎるウイルス対策を口にした後に演奏されたのは、家族などをイメージして作ったという待望の新曲「愛のうた」。近年クボの活動の大きな軸になっている弾き語りライブの経験などが生かされているのであろう、しっかりと歌を聞かせるタイプの曲であるが、
「もし君が悪者だとしても」
と、目の前にいる大事な人にどんな闇や背景があったとしても肯定するという歌詞はこの日だからこそ、ここに集まった我々に向けられているんじゃないだろうか、とも思えた。
客席にあるミラーボールが輝く中、クボのファルセットボーカルで歌われる
「ここへきてもっと 夢を見せておくれよ」
というフレーズが
「こういう形でファイナルになったんで、いつになるかはわからないけどちゃんとしたファイナルをやりたい」
という言葉を裏付けるように、まだいつになるか全く決まっていなくても再会を約束する「ムーンライト」の美しさ。日比谷野音ワンマンで聴いた景色が今でも忘れられないだけに、またいつかこの曲を夜の野外で聴けるような日が来たら。
松江のタッピングが冴え渡り、そのギターのサウンドが前に出ることによって、より「ロックバンドとしてのメレンゲ」を感じさせてくれる「旅人」からはラストスパートへ向かっていくのだが、声を張る曲が多いだけにクボは少し曲間をあけ、機材を直すためにスタッフのドラ(曽根巧の弟子のギタリストでもあるらしい)が修復させたりする中、タケシタはやはりここ数日のテレビでのライブハウスへの報道のされ方に怒りを覚えているそう。だが、
クボ「俺、兵庫にいる時はライブハウス行ったことなかったから、どんなとこかわからなかったなぁ」
タケシタ「俺も学生の頃とかそうだった。不良がたくさんいる場所、みたいな(笑)」
クボ「まさか、40歳を過ぎてもライブハウスにいるなんて全く想像してなかった(笑)」
タケシタ「本当だよね(笑)」
というライブハウスについての2人の何気ない会話。
前にタケシタと会話した時に本人も口にしていたが、メレンゲは昔みたいにフェスやイベントに出たりとかはもうできないだろうし、年に数回しかライブをやることもなくなっている。同じバンドのメンバーであっても、クボとタケシタが会うの機会もそんなに多くはないだろう。
でもこの日のライブをどうしようかと思っていた時に2人は電話で会話をして、2人とも「やる」と思っていたからこうしてライブをやれている。長い年月メレンゲであり続けてきた2人が今も同じ意識を共有している。それがファンにとっては本当に嬉しかったし、今や売れっ子キーボーディストである皆川をはじめ、サポートメンバーが誰か1人でも「今ライブをやる」という選択に疑問符を持っていたらきっとこうしてライブをできていない。
初期からずっと支え続けてきてくれた皆川も、藤田顕や大村達身が繋いできたこのバンドのギタリストのバトンをもう長い年月持っている松江も、1番若手としてサウンドのパワフルかつメレンゲの瑞々しさを担う小野田も。こんな時だからこそ、こうしてメレンゲとしてこのステージに立ってくれている3人に今まで以上に感謝したくなる。そしてこれからもメレンゲとしてステージに立つ姿を見れたら。
歌詞をこの場所の名前を入れたりせずに変えずに歌った「クラシック」では珍しくクボがマイクを客席に向けてコーラス部分を歌わせる。マスク越しの合唱なんてものが聴けるのはきっとこの日くらいだ。きっとステージから見たら歌ってるかどうかを見た目ではわからないかもしれないけれど、観客の声はマスク越しに確かに響いていた。
ハイパーなダンスサウンドの「バンドワゴン」、クボが喉に残る力を振り絞るように声を張り上げる「エース」と、今回のツアーでは後半に歌うのが難しい曲が並んでいるのだが、この日その最後に演奏された曲は、初日の「ユキノミチ」とは対照的と言っていいような夏の曲「夕凪」だった。
いや、この曲は明確に夏らしい描写は出てこない。けれども自分の中ではメレンゲの夏の曲というイメージになっている。それは、自分が初めてメレンゲのライブを見ることができた、2006年のROCK IN JAPAN FES.のWING TENT(今となっては信じられないことに、RADWIMPSが同じ日の同じステージに出演していた)でのライブの1曲目がこの曲だったから。つまり、自分がメレンゲのライブで初めて聴いた曲なのである。
今でもはっきりと脳裏に焼き付いている、あの暑い日。そこで聴いたこの曲は紛れもなく自分にとってはメレンゲの夏の曲であり、この日の「夕凪」は今年もあの時みたいに暑い夏になるんだろうか、その頃にはライブをやるのが不謹慎だなんていう空気が消え去っているといいな、と思わせるには充分過ぎた。
アンコールですぐにメンバーが登場すると、
「松江さんは肌色のマスクを持ってるから、口を書いていつも笑ってるみたいな感じにしたい(笑)」
とまるで子供のような悪戯心を見せながら最後に演奏したのは、宇宙兄弟のタイアップとしてメレンゲの存在を広く世に知らしめた「クレーター」。初日のアンコールは「火の鳥」だった。それ以外にも、この日は初日と比べて全体的にアッパーなギターロック曲が多かった。
きっと、メレンゲはすごくポップなバンドというイメージが強いところがある。それは間違いではないし、メレンゲの魅力の一つである。でも自分はメレンゲをずっと他のバンドと変わらないような、カッコいいロックバンドだと思ってきた。それはこうしたギターロックな曲から感じてきたことでもあるし、何よりもこの自粛ムードというかもはや圧力みたいなものがのしかかるような状況でも、
「全ての経済活動が止まらない限りはやる」
と、周りに合わせたり、外野に何を言われようとも自分たちがやろうと思ったことをやる。普段のMCからはやはりフワッとした空気を感じるけれども、メレンゲというバンドを作るクボとタケシタが精神的にロックな人であって、それがバンドの音やオーラとなって発されている。こんな状況だからこそ、これまでで最もメレンゲをカッコいいロックバンドだと思えた日だった。
クボは
「来てくれたからできたんだと思います。本当にありがとうございます!」
と最後に言った。ライブをやってくれるんなら、こうして会えるんなら、どんな状況だって、誰になんて言われたって行く。そもそもが年に数えるくらいしか会えないバンドなのだから。
そしてタケシタは
「ちゃんと手洗いうがいしてくださいね!」
と言って最後にステージを後にした。ウイルスなんて関係ない、というんじゃなくて、かからないようにしてこうしてライブを楽しむ。その気遣いが、普段は終演後に必ず物販に出てくるタケシタの人柄をよく表していたように思う。
この時期にライブをやると、それだけで叩かれてしまう。確かにコロナウイルスの感染拡大を防ぐという意味では開催しない方がいいのかもしれない。
でも、ドームツアーを控えているRADWIMPSの野田洋次郎がツアーが中止になった場合の悲痛な声をツイートしていたり、普段の語り口からは周りの人への配慮の塊のような椎名林檎率いる東京事変が復活ライブを中止にせずに開催したことからも明らかな通り、今の状況で中止にしたらこの先に活動出来なくなってしまうアーティストだっているはず。
メレンゲだって決して売れているバンドじゃないし、そもそもがライブの数だって少ない。もしかしたら音楽だけで生きていけていないのかもしれない。
そういうバンドが中止にした結果、食べていけないからバンドを辞める、音楽を辞めるなんて言われたら「音楽性の違い」みたいな理由で解散するよりもはるかに辛いし、きっと悔やんでも悔みきれない。
だからこそ「ライブをやる」ということを選択したことは決して悪いことではないと自分は思っている。「感染を広げないために」ライブを自粛するのも間違っていないと思っているし(やっぱり行くライブがなくなるのは残念だけど)、「自分たちや周りの人が生きていくために」ライブをやるのは、自分が働いている場所も含めて他の様々な企業が営業している以上は何も言われる所以はないはずだ。(ライブハウスがとかく報道されてしまっているが、感染源だなんてわからない)
そして「ライブをやる」というバンドの選択や、そのバンドの存在を肯定できるのは、「そのライブに行く」と決めた人だけだ。自分はメレンゲを本当に素晴らしい、もっとたくさんの人に聴いてもらいたいバンドだと思っている。
今は年に数回しか会うことができないバンドだけれど、それくらいでもいいから、せめてこれからもこうしてずっとライブが見れますように。
各々が守りたいものや人があって、そのために自粛したり、開催したりすることを選ぶ。それは人にとっては家族だったり職場だったり同僚だったりする。それと同じくらいか、もしくはそれ以上くらいに、自分が好きなものや好きな人、自分が好きな場所を守りたいと思っている。それに生かされてきたものとして。
1.輝く蛍の輪
2.きらめく世界
3.君に春を思う
4.”あのヒーローと”僕らについて
5.ミュージックシーン
6.アルカディア
7.CAMPFIRE
8.うつし絵
9.楽園
10.愛のうた (新曲)
11.ムーンライト
12.旅人
13.クラシック
14.バンドワゴン
15.エース
16.夕凪
encore
17.クレーター
文 ソノダマン