本来ならばyonigeとして、山手線の各駅にあるライブハウス(yonigeの今の規模からしたらどれも非常に小さい規模の会場ばかりである)を廻るという実にユニークな「山手線ツアー」を行って、5月にリリースされた意欲作「健全な社会」の曲をライブで研ぎ澄ませて…という形になるはずだったのが、コロナの影響によってそのツアーが中止になり、その代替的にボーカルの牛丸ありさによる弾き語りツアーを開催。
渋谷、原宿、代々木と巡ってきてのファイナルの上野というスケジュールも「山手線」ツアーをやる予定だった中で弾き語りで回れそうな会場を、という形なのだろう。
それでも牛丸ありさが1人でツアーを廻るというのはこれまでのyonigeのライブを見てきた身としては意外な感じもするが。
入場前に問診票を記入して検温、アルコール消毒というコロナ対策をしながら、上野音横丁の客席には間隔を置いて小さめのパイプ椅子が置かれているというのは前週にメレンゲのクボケンジのライブを見た、青山の月見ル君想フと同じような鑑賞方式だ。
17時45分という4連休の最終日という日付であることもあってか、かなり早めの時間になると、ステージにはパーカーにジーンズという実にラフな出で立ちの牛丸が登場。アコギを持つと譜面台に置かれたiPadを見ながら、「健全な社会」に収録された「春一番」を、声を張るというよりも自身の弾くアコギの音を確かめるようにしながら丁寧に歌う。
2018年リリースのミニアルバム「HOUSE」と、2019年の春フェス以降のライブを4人編成でやるようになってから、yonigeはサウンドもそれまでよりはるかに幅を広げたが、それとともに牛丸の描く歌詞も変わった。実に詩的というか、小説やエッセイを描く詩人が綴るように風景や日々の些細なことを歌詞にするようになった。アコギとボーカルのみという形だと「春一番」のそうした歌詞が際立つ。
とはいえ、観客側が歓声を発することができないというこのご時世、そうした制限が客席に独特の緊張感を生んでいるからか、曲が終わっても拍手なども起きず、牛丸自身も特に何か言葉を発するでもなく、アコギのカポの位置を変えるくらいで次の曲へ。
「ナイトスクープに依頼したいことがないし」
という歌詞がyonigeがライブが始まる時にいつも口にする大阪寝屋川のバンドであることを再確認させてくれる「ピオニー」、
「わたしはもう一度ここへ戻ってこれる
いやでも覚えてる、におい、温度、空気」
という歌い出しのフレーズが、きっとこの状況じゃなければそうは思わないのだけれど、この状況で聴くとその場所はこうしたライブハウスなんじゃないかと思える「ここじゃない場所」と、「健全な社会」の曲を続けたのは弾き語りライブとはいえ、元々は山手線ツアーでやるはずだった曲たちということなのだろう。
基本的に間奏などはほとんどカットして、歌部分をメインにするという形の弾き語りアレンジであるが、ここまでの曲はある程度は「弾き語りライブでやるのが見えるような曲」と言える。
「こういう状況の中で観に来ていただいてありがとうございます」
と牛丸が挨拶すると、
「山手線ツアーが全部中止になってしまって。その損害がヤバいので、1人でもやることにしました」
とあまりにも正直にこのツアーを開催した理由を語る。そうした裏表のなさというか、心の中で思っていることがそのまま口から出てしまうあたりが実に牛丸らしいというか。
すると一転して、音源では速いテンポとノイジーなギターサウンドというパブリックイメージとしてのyonigeらしい曲である「悲しみはいつもの中」も弾き語りで。この弾き語りという形態だからこそ
「最後のキスもう一度だけ
最低なことばかりだわ」
というサビのフレーズの切なさが増して聴こえてくる。
昨年8月の日本武道館ワンマンではタイトル通りにまるでステージが水槽のように紗幕で囲まれていくという驚きの演出があった「2月の水槽」もやはり規模と形態が変わると聴こえ方や感じ方はまるで違うし、それはその時はピアニカなどを使ってサウンドの幅を広げていた「しがないふたり」もそう。
サイケデリックなノイズギターとごっきんのコーラスが原曲の軸にある「最愛の恋人たち」の究極なまでにシンプルな弾き語り歌唱を聴いていると、本来の山手線ツアーではこれらの、これまでに広い会場で鳴らされてきた曲たちはこうした小さい規模の会場ではバンドでどう鳴らされていたのだろうか、とも思ってしまう。
するとここで、
「このツアーで毎回やっているカバー曲を」
と言って歌い始めたのは、松山千春の「恋」。確かに弾き語りというのはカバーをやりやすいし、それを期待していたところもあるのだが、まさか牛丸がこの曲を選ぶとは。世代的に全くリアルタイムで聴いていた曲ではないだろうけれど、親の影響もあるのだろうかというくらいに歌い慣れている感じがあったのが意外であった。これはこのツアーに来なかったら聴けなかった曲であろう。
タイトルから感じ取れるイメージとは裏腹に、悲しみや切なさを経験したからこそ、これから先はきっと、という期待を持つような「あかるいみらい」は「健全な社会」の中でもライブで聴いてみたかった曲。
読点を多く使った歌詞が牛丸の歯切れの良いボーカルも相まって、それぞれの単語の持つイメージを頭の中に描き出してくれる。そこにはこの曲のプロデューサーであり、自身もまた優れた作詞家である福岡晃子(チャットモンチー済)の影響もあるのだろうか。
ここに来ての初期曲「サイケデリックイエスタデイ」は「健全な社会」や「HOUSE」の曲と連なっても浮くことがないからの選曲であると思われるが、タイトル通りのサイケデリックというよりは、やはり弾き語りということでメロディが前面に出ているというイメージ。
「だんだんなんにも感じなくなる僕たちの限りある時間
もう想像なんてできないほどのスピードで駆け抜けてく
だんだんなんでも慣れていく僕たちのかんたんな孤独
もうどんなに泣いてもだめだったけれど 愛してくれ」
という歌詞が今のコロナ禍の状況で聴くと、それまで当たり前だった生活(それはyonigeのライブを見れていたことも)がより愛おしく感じてしまう「どうでもよくなる」と続いていく。やはり間奏などは基本的に省略しているし、弾き語りになってもバンドでのライブと同様にほとんどMCを挟まないことによっていつも以上にとにかくライブのテンポが良い。
そんな中でこの後半に歌われた「リボルバー」はやはり弾き語りという形だからこそというか、弾き語りという形でもそのメロディの圧倒的な良さに驚く。
「君に会わなくたってどっかで息しているなら
それでいいななんて思って煙を吐いている」
という歌詞もまた、こうした世界情勢であるがゆえに会えなくなってしまったけれど、変わらずに生きている人のことを思い出させてくれるし、それに続く
「与えられたものだけを飲み込む鯉みたいだね」
「失くなっても替えがあるビニール傘みたいだね」
というフレーズの比喩表現は本当に素晴らしい。
さりげないような日常の感情をおだやかなサウンドで描いた、弾き語りという形態でライブをすると聞いた時に真っ先に弾き語りでやるだろうなと思った曲でもある「ベランダ」から、原曲はyonigeの中でも最もソリッドなギターロック曲である「最終回」もまたそのメロディが強く引き出されるような弾き語りに。牛丸の声も曲に合わせてのものか、序盤よりもはるかに声を張って歌うようになっているし、実際にちゃんと声もよく出ている。
そして本当にあっという間の(曲数に比して1時間も経ってない)最後の曲は近年のライブの締めの曲として定着している「春の嵐」。
「またね
次が当たり前にあるみたいに言って
じゃあね
ずっとそこにいるみたいに笑って」
というフレーズが持つことになってしまった、今だからこその重さ。次があるのが当たり前ではないということをもう我々は知ってしまった。牛丸の歌い方もそんな力をこの曲が持ったことをわかっているかのように感情を込めていたし、
「今年もお花見出来ないな
道の花びらを踏んで歩こう」
という歌詞もまた、まるで今年の春の自粛期間中に書かれたかのようだ。そう思えるくらいに、今のyonigeの歌詞の力は強い。それはきっと曲を作った本人たちも、聴いているファンもこの期間に実感したことなんじゃないだろうか。
しかしステージを去ったかと思いきやすぐさまステージに戻ってくると、
「アンコール、何聴きたいですか?」
とささやかに問いかけて観客の1人から返ってきたのは「往生際」。「健全な社会」の始まりと言ってもいいような複雑なバンドアンサンブルによる、福岡晃子プロデュース曲もまた弾き語りになるとそのメロディと、サビでの牛丸の力強い歌唱にのみ焦点が当たる。
本来のツアーのセットリストとしては外れることがないであろう曲だが、やはり弾き語りという特性上、本編には入れなかったのだろうか。
そしてもう1曲のリクエストは「バッドエンド週末」。連休の最後をバッドエンドで締め括るというのも少し複雑な気分ではあるが、
「1回も弾き語りでやってない曲だけど、なんか「バッドエンド週末」が来る気がしてたんだよな…(笑)
このツアー、アンコールは毎回リクエストにしてるんですけど、一回も「アボカド」とかは来なかった(笑)」
と牛丸は言っていた。この弾き語りツアーに来ているのはyonigeのライブに毎回来るような人たちだろうし、そういう人たちはyonigeの魅力であり、聴きたいyonigeの曲が「アボカド」のような曲だけではないということをしっかりと理解して、全ての曲を噛み締めて自身の中に消化している。
そんな観客からのyonigeへの愛と信頼が、リアクションを取れないという形でのライブであっても確かに感じられた弾き語りライブだった。
昔、牛丸は「ライブはあんまり好きじゃない」と言っていたし、当時のライブはそういう空気が感じられるところがあった。
でもそんな牛丸が中止になったライブの損害があるとはいえ、たった1人きりで観客と対峙して歌うことを選んだ。それはライブが好きじゃなかったら絶対にできないことだし、yonigeは立つステージが大きくなっていくにつれて、それにふさわしいライブ力を獲得しながら進んできたバンドだ。
そんなyonigeがこんなに長い期間ライブが出来なくなってしまったことによって、牛丸も改めてライブに来てくれる人や曲を聴いてくれる人の存在のありがたさに向き合うことになったんじゃないだろうか。ライブをやることによって音楽をやることが楽しいと思えて、新しい挑戦をしていくきっかけを得てきたことも。
正直、弾き語りライブとしては特別なことは何もないライブだった。牛丸はギターがめちゃくちゃ上手いわけでもないし、MCで観客を笑わせまくれるようなタイプでもない。yonigeというバンドで作詞作曲をして、歌を歌っているという人だ。
でもきっと、これからyonigeのライブはさらに変わっていくと思う。もっとライブが良くなっていくはず。それはこの弾き語りツアーの経験を経てそうなっていくのだろうし、このツアーは後にyonigeの活動を振り返った時に大きなきっかけになったと思えるようなものになる。
それを確かめるために、できるならば11月の中野サンプラザでまた、一世一代のお祭りをできたら。
1.春一番
2.ピオニー
3.ここじゃない場所
4.悲しみはいつもの中
5.2月の水槽
6.しがないふたり
7.最愛の恋人たち
8.恋 (松山千春のカバー)
9.あかるいみらい
10.サイケデリックイエスタデイ
11.どうでもよくなる
12.リボルバー
13.ベランダ
14.最終回
15.春の嵐
encore
16.往生際
17.バッドエンド週末
文 ソノダマン