大分出身の4人組ロックバンド、ircleがこのご時世下でも対バンライブを開催。普段はこの上にあるO-Crestを本拠地にしているバンドでありながら、この「HUMANisM」は2ステージ組むことができるO-EASTで開催されてきた主催フェスである。しかしながら今回は「超★盟友編」という対バンライブになり、タイトルからも薄々予想はされていたが、対バンとして発表されたのはSUPER BEAVER。すでにライブハウスでは全くチケットが取れない存在にまでなったビーバーを対バン側として見れるというのも今や貴重な機会と言えるかもしれない。
検温、消毒と個人情報追跡フォームへの入力を経てO-EASTの中に入ると、客席は後方にスタンディングエリア(もちろん足元に立ち位置がバミってある)もあるが、基本的には椅子席。なのでやはりキャパはかなり少なくなっているのだが、それでもSUPER BEAVERが出演して当日券が出るというのはこの日に名古屋でビーバーと同世代のバンド3組が大規模なライブを行うということも要因としてあるのだろうか。
終了時刻を早くするという措置のためか、開演時間も早めの17時になると、ステージが暗転すると同時にSEが流れ、そのリズムに合わせて手拍子が起こる。これはライブを配信しないからこそ、ということが最近の生配信のライブを現場で見ていると思うことである。
柳沢亮太(ギター)、上杉研太(ベース)、藤原”32才”広明(ドラム)の3人が先にステージに登場し、ドラムセットの前に集まって拳を合わせるようにすると、痩身の長い金髪に赤いシャツとスキニーパンツを着用しているのが実にロックスターとしての色気を放っている渋谷龍太(ボーカル)も登場。
柳沢が静寂を切り裂くような轟音ギターを鳴らして演奏が始まったのは「ハイライト」。渋谷はマイクスタンドを持ってステージを左右に動きながら歌い、柳沢ともども客席の左右、手前奥、さらには2階席までもあらゆる方向に視線を向けながら歌い、演奏する。それは先日見た豊洲PITよりもキャパが小さい会場だからこそより強く感じられることであるし、その気合いを込めた視線がこちらに向くこともあるだけになかなか見ていて気を抜くことができない。
16年目のバンドの闘い方を示すような「正攻法」はまさにこの状況でライブハウスで演奏されるからこそ、また新しいリアリティを持つ曲だ。柳沢がモニターに腰かけたりもする中、
「正攻法でいい まっすぐでいい まっすぐがいい」
という歌詞がライブハウスの中に響く。ウイルスというものには変化球で戦ったりすることはできないということをこの1年近くの生活の中で実感した。それはロックバンドとしての闘い方もそうだ。無理矢理スタンディングで今までと同じようなライブをするのではなく、決められた規則の中で楽しめるようなライブをするということ。SUPER BEAVERはそれを目の前で実践してくれている。
「盟友とか仲間っていう言葉は簡単には使っちゃいけないと思ってるんだけど、ircleは本当にそういう存在だと思ってる。俺たちが20歳になる前から一緒にライブやってきて、最初の頃はケンカもしたりしたけども」
と渋谷はこうして対バンに招いてくれたircleとの思い出を語るが、やはりその表情はどこかワンマンとは違う楽しさを含んでいるように見える。それはircleのライブを見ることができる楽しみというものによるものが大きいと思われるが。
自分が現地で見た豊洲PITの初日には演奏されなかったが、先日の2日目には演奏されていた「証明」が聴けたのは実に嬉しいことであるが、常に1対1、「あなたたちではなくてあなた」と対峙してきた、それを口にしてきたビーバーというバンドのその「ひとり」であることの意味をそのまま歌ったような曲だ。「1人」ではあるけれど「独り」ではないという。それを文字通り証明するための、
「ないという証明」
というフレーズは、渋谷と柳沢がどれだけ煽っても今は我々が歌うことはできない。その分、上杉と藤原が演奏しながらでも思いっきり歌っている声が聞こえる。その1人1人の声が重なることによって「独り」ではないと思える。
「あなたの目に映る顔を見て 僕の知らない僕を知った」
というサビの最後にこれ以上ないくらいにバシッとハマる必殺のフレーズ。それはそのままビーバーのメンバーが歌い、演奏することによって自分の知らない自分を知るような。
歓声を上げることができないからこそ、渋谷の歌声のみが会場に響くのがしっかりと聞こえる「閃光」。
「あっという間に終わってしまうよ
迷ってるような 時間はないんだ」
というフレーズはこうして迷うことなくライブをやることに決めた2バンドによるライブだからこそ、その時間の有限性による儚さをよりいっそう強く感じる。もちろん延期や中止を選ぶのもその人たちならではの決断だし、どちらが正解や間違いということはない。でも延期や中止にして、この2組による対バンがまた開催できるという保証は全くないということもまた一つの事実だ。それは興味がない人からしたら至極どうでもいいことかもしれないけれど、バンドやそれに関わる人たち、そしてこうしてライブハウスに足を運ぶ我々からしたら、
「今は今しかないんだよ」
と思っていることなのである。わからなくても仕方がないけれど、その人たち全てが悪いことをしているようには捉えられて欲しくはないと思う。
それは渋谷も
「悪いことしてまでやろうとは思っていない。決められた規則の中で」
と口にしていたことであるが、さすが長い付き合いになっている両者、渋谷は対バンを誘ってきた時のircleの河内のモノマネをしていて(すぐに誰なのかわかるくらいに似ている)、マスク越しでもつい笑い声が漏れてしまう。口達者であるが故にシリアスな空気になることも多い(特にこういう状況だからこそ)ビーバーのMCにおいてはかなり珍しい場面だったかもしれない。
「正々堂々」と正面切って歌う「突破口」は「正攻法」的なテーマの曲でもあるのだが、それに続く「威風堂々」というフレーズはこのO-EASTですら小さく感じるくらいに、アリーナや巨大フェスのメインステージに立つようになった今のビーバーだからこそ説得力を強く感じさせる。
去年、渋谷は
「アリーナやホールだけでやるバンドになるわけじゃない。アリーナでもやる、ホールでもやる、もちろんライブハウスでもやる。そういうどこでもライブができるバンドになりたい」
と口にしていたが、こうしてこのステージに立っていること、渋谷サイクロンや千葉LOOKというさらに小さいライブハウスでワンマンをやることを発表しているというバンドの行動がそのままその時の言葉の証明になっている。
ワンマンではバラードと言えるような、手を挙げたり手拍子をしたりするわけではない、ただじっと渋谷の歌とバンドの演奏に浸るというようなタイプの曲も数曲演奏されていたが、果たしてワンマンよりも持ち時間が短い、誘われた側での対バンライブとなるとそうした曲はやるだろうか、とも思っていたのだが、この日も「ひとりで生きていたならば」を披露。
昨年リリースの「ハイライト」との両A面曲なので、まだこうしてライブで聴くのも新鮮な曲であるが、この日にこうして聴くと、バンドが自分たちだけで生きてきたわけではなかった、鎬を削ったり、酒を酌み交わしたり、笑い合ったりできる仲間と言えるような存在が確かにいたから生きてこれたんだよなという意味を持って聴こえてくる。そうした部分も対バンライブ、ましてやircleとの対バンライブだからこそである。
しかしそうした存在はともすれば馴れ合いというか、マンネリ的な空気に繋がりかねない。仲が良すぎるということは甘えが出るということでもあり、全てがプラスになるとは限らないからだ。でもそれをわかっているからこそ渋谷は
「お互いにカッコよくなくなったら一緒にやるのをやめる。それが本当の仲間だと思う」
と口にしていた。その言葉通りに全く手を抜く素振りがないどころか、もはやオーラめいたものすら感じられるのは、ちょっとでも抜いたり甘えが出たらircleに全部持っていかれるということをわかっているからだろう。
だからこそまるでビーバーのワンマンに来ているかのように、
「声が出せなくても飛び跳ねることはできる!」
という柳沢の言葉に観客が呼応して、まさにバンドと観客がそれぞれで「楽しい予感のする方へ」向かうように飛び跳ねる「予感」からは容赦のないクライマックスへ。
バンドの鳴らす音、メンバー4人全員が歌う声に応えるように観客が両手を広げる「青い春」は、まるでこの4人でバンドをやっていることが青春そのものというかのように、間奏では柳沢と上杉が渋谷のところに寄っていき、柳沢は渋谷の肩に手を回す。渋谷もビックリしたような表情を見せていたが、そうしたことができるのもこのライブをメンバー自身が心から楽しんでいたからだ。
だからこそ最後にそれぞれが一言ずつ述べる際に、
柳沢「対バンっていいよね。俺たちだけじゃなくて、ircleと俺たちと来てくれた人の三角形が出来てて」
上杉「2マンができるのも嬉しいけど、ircleの4人に会えるっていうのがもう嬉しい。なかなかそういうこともできない世の中になっちゃったから」
藤原「ircle大好きー!」
とそれぞれの伝え方でこのライブの楽しさとircleへの愛を言葉にしていた。
そんなライブの最後に放たれたのは新曲「アイラヴユー」。渋谷も
「ワンマン以外でやるのは初めてです。その場所がircleとのライブで本当に良かった」
と言うように、ワンマンでの来てくれた人へ向けた「アイラヴユー」だけではない、ずっと一緒に戦ってきてくれて、今この状況で自分たちに一緒にやろうと声をかけてくれたircleへも向けられた「アイラヴユー」だった。その新しく生まれた曲から早くも感じることができる強度や懐の深さに、ビーバーは本当にとんでもないバンドになったんだなと思わざるを得なかった。
昔、と言っても5〜6年前だろうか。勝どきという駅からかなり歩いた晴海埠頭という場所で開催されていた頃のMURO FESにおいては、まだビーバーは昼間の時間に出るような若手バンドであり、むしろircleの方がメインと言ってもいい、フェスの中核を担うバンドだった。
しかし今やビーバーはMURO FESというフェス自体がバンドにとっては規模が見合わないくらいに大きな存在になった。そんな状況であるならば、わざわざ対バンで呼ばれる側として出ることにメリットはほとんどない。新しいファンを獲得できるような規模の会場でもないし、むしろご時世的にはライブをやることでリスクの方が生じてしまうような状況だ。
そんな状況でも、誘われたら2つ返事で出る。かつて「歓声前夜」のツアーの際にもワンマンが少ないことについて
「対バンが好きだから」
と語っていたが、ビーバーはそうした損得計算で生きれるようなバンドじゃない。自分たちもカッコいいバンドのライブを見ることが好きで、その姿に刺激を貰うことによって、自分たちの活動のガソリンを燃やしていく。それは合理的に見たらバカにされるような生き方かもしれないけれど、メジャーに復帰してアリーナツアーまでできるようになったバンドが今なおそうした活動をしているということは、これから先もっと大きくなるようなことがあっても、ビーバーというバンドの芯は変わらないということ。
バンドマンともファンとも一人一人に向き合いながら、会える場所や時間を増やしていく。どうか今年このバンドが企てていることが、全て予定通りに開催されますように。
1.ハイライト
2.正攻法
3.証明
4.閃光
5.突破口
6.ひとりで生きていたならば
7.予感
8.青い春
9.アイラヴユー
暗転したステージにメンバー4人が現れる。いつも驚くというか、あれ?と思うのは仲道良(ギター)の髪型である。ちょっと前まではジョン・レノンと言われるようなボサボサの長い髪を両分けにしていたのが、この日は割とサラサラとした髪質、しかも色が青く染まっているからである。基本的に河内健吾(ボーカル&ギター)、伊井宏介(ベース)、ショウダケイト(ドラム)という3人がほとんど見た目が変わらないだけに、ircleのライブは仲道の髪型によって「あの頃はあんな感じだった」と記憶されていくのである。
その4人がそれぞれの楽器を手にすると、
「ジャパニーズロックの救世主、ircleです」
と河内が挨拶し、一閃するかのように爆音のロックサウンド、他のどこでもないライブハウスで鳴らされるためのロックが鳴り響く。
原曲では河内のアコギの弾き語り的に始まる「あふれだす」であるが、もう最初から音が暴発しているというか、まさにこうしてライブハウスで爆音を出せる喜びが溢れ出している。サビではメンバー全員によるコーラスも重なっていくが、そうした部分は無骨なくらいにシンプルなロックサウンドというバンドとしてのスタイル以上にビーバーに通じるところでもあるかもしれない。
河内の九州男児感の強い、甘さという要素をほとんど含まない、それゆえにロックバンドをやるためと言ってもいいようにすら聴こえる歌声もその曲に込めている溢れんばかりの感情をさらに増幅させている。
「呼吸を忘れて走る」
という歌詞に合わせてのものというよりも、ステージ上での感情の発露として河内はその場で走るようなアクションを見せたりと、冒頭から全くペース配分することができないというあたりも、持ち時間30分のフェスやイベントでも曲間に肩で息をするようなircleらしさ。
バンドは昨年のライブができなかった時期である6月に最新アルバム「こころの°C」をリリースしているのだが、本来ならばいつものようにそのアルバムを引っ提げて全国各地をくまなく回るようなツアーも今回はできていない中で、そのアルバムのオープニング曲である「ホワイトタイガーオベーション」を披露と、それまでの2曲はライブ定番と言ってもいい曲であるが、こうしてバンドの最新の形もしっかりと見せてくれる。その最新の形は仲道がオリエンタルなフレーズを弾いたりという、バンドの形は変わらなくても引き出しが確実に増えていることを感じさせるものになっている。
河内がこの日来てくれた観客に感謝を示しながらも、やはりライブをやることに決めるまでは様々な葛藤があったということを語る。しかし、
「ここに来るのが不要不急だとは思ってない!」
と、とかく不要不急の最たるものだと捉えられがちなライブ、エンターテイメント側にいる人間としての意思を表明する。もしかしたら、このライブをやる前にSUPER BEAVER(すでに10日前にライブをやっているだけに)とも相談したりしたのかもしれない。そこで抱いていた想いが同じだったということがいかにも盟友という感じである。
「いつだって今ここがラストシーン
最後の最後の一秒で 会いたい人が浮かぶか?」
という歌詞がこの状況で聴くことによって、このステージに立っているバンドの覚悟を鳴らしているかのような「ラストシーン」から、さらに「こころの°C」からの「ルテシーア」へ。
ツービートのパンク的な、ここまでのバンドの疾走するようなスピード感をさらに速度を上げて前へと進めるような曲であるが、ビーバーの藤原がどちらかというとシンプルなドラムセットであるだけに、高い位置にシンバルを設置するなど、手数の多さを活かすように派手なセットを組んでいるショウダケイトのドラムに目がいく。ヒゲを蓄えた見た目も実にワイルドであるが、そうした部分も含めてこのバンドの土台をしっかりと、でもプレイヤーとしての主張というか技術の高さも見せるように支えている。
そうした最新の曲と、2013年リリースというすでに8年前の曲である「桃源郷 ex.ニヒルガール」が全く違和感なく繋がっているというのは、ircleが進化しながらも軸が全くブレていない証拠であるが、仲道がアコギに持ち替えてのやはり最新作からの「ハミングバード」はもともと持つバンドのメロディの良さをじっくりと響かせるようなミドルテンポの曲である。
その「ハミングバード」も含めて、どこかバンドのイメージや見た目や照明からもどこか夕景の中で鳴っているのが似合いそうなのはやはり最新作からの「あいのこども」であるが、
「愛の真ん中にある心を」
というサビのフレーズをはじめとして、ircleの歌詞は実に詩的だ。単語や言葉だけでなく、ちゃんと歌の詞としての歌詞を描いているのがよくわかる。それが河内の荒くがなるような歌声と相まって絶妙な違和感を生み出していく。ビーバーもそうであるが、自分たちが歌いたいことを自分たちなりの歌詞として曲に落とし込んでいるバンドであるだけに、これからも歌詞カードをしっかり見ながら曲に向き合っていきたいバンドである。
そんな中で、河内はバンドには「2020」「2010」というタイトルの曲が存在しているため、
「「2020」っていう曲は作らないんですか?」
と2019年あたりからよく言われていたそうであるが、当初は作るつもりがなかったという。それはその時までは自分たちが作りたい曲としての2020年ではないだろうということであるが、昨年の激変してしまった世界を見て、それをそのまま「2020」という曲にしたという。
本邦初公開となるその新曲「2020」は
「東京オリンピックどころではなくなった2020年の春より」
というフレーズから始まる、まさに2020年でしか生まれようのない曲。
「2000」も「2010」も、具体的にこれと言って何か特別なことがあったかというとなかなか思い出せない。でも2020年に我々を襲った出来事、世界が変わってしまったということは、忘れようとしても決して忘れることはできない。
自分の愛するa flood of circleも、世界的に言えばBON JOVIも「2020」というアルバムを作り上げた。そのタイトルに込めたものはそれぞれ違うし、「2020」というタイトルではないにしても、My Hair is Badも
「オリンピック中止のニュースすら 聞こえないくらい恋してた」
と「予感」で歌っていたが、きっとこれから先に2020年を振り返った時に「大変な時代だったよな」と思うと同時にこの曲がきっと頭の中に流れるはず。それくらいに「今」の曲でありながらも、きっと何年後に聴いても通用するような普遍性を持っている曲でもある。ircleがまたとんでもない曲を作り上げてしまった。
こんな状況でもircleが今年で20周年を迎えたことを発表すると、
「10年とかも気付いたらそのくらいになってたっていう感じだったから、普通にツアーをやっていて、周年らしいことを何もしていなかった。だから20周年はちょっといろいろとそれらしいこともしようかと思っている」
と、初めての周年的な企画を行うつもりであることを告げる。20周年というともはや完全にベテランバンドであるが、まだまだ挑戦したいこと、やりたいことがこのバンドにはたくさんある。その気概が演奏からも伝わってくるからこそ、最新アルバムの中でもリード曲的な立ち位置の「エヴァーグリーン」の瑞々しさが、こうしてライブハウスに立てることの喜びを謳歌している若手バンドかのように響く。そこには枯れるとか落ち着くというような形容詞は全くつかないし、バンド側が必要としていない。いつだってギラギラと獰猛なステージングを見せながら、観客に楽しんでもらう。
そのバンドの思いが過不足なく伝わっていたからこそ、
「そうセブンティーン夢が夢で
終わるのが嫌なだけ
セブンティーン君もいつか
幻に変わるんだろう」
と歌う「セブンティーン」では会場いっぱいの腕が上がる。河内は
「SUPER BEAVERを観るためにここに来てくれた人も本当にありがとう」
とも言っていたが、ビーバーを見に来た、自分たちのことを知らない人もこの会場にいるということもわかっていたはず。でもそうした人も腕を上げざるを得ないくらいにこの日のircleはこの会場を飲み込んでいた。なぜビーバーがこのバンドに呼ばれて2つ返事で出演することにしたのかということが、ビーバー目当てだった人にも間違いなく伝わっていたはずだ。
アンコールでは常にジャケットを着ている河内が白のTシャツに着替えて登場し、メンバーそれぞれが一言ずつ感謝を告げ、ショウダケイトは
「ビーバー大好きー!」
と袖で見ていた藤原の真似をして叫ぶ中、
「いなくなった人に向けて作った曲。俺にとっても、渋谷にとっても大事だった人」
と言って演奏されたのは「ばいばい」。
その河内の言葉の通りに、いなくなってしまった人への想いをストレートに、具体的に綴った曲。自分はその人のことを全然知らない。でも今までに自分が経験した別れを思い出させるような曲でもある。自分がそう感じるということは、河内の、バンドにとっての個人的な歌でありながら、そうした経験を持つ全ての人のための曲であるということ。
やはり河内は振り絞るように思いっきり声を張り上げて、時には語りかけるようにして歌うのだが、この曲は音声ソフトみたいなものに歌わせても曲の良さというものは伝わるかもしれないくらいに良い曲である。
でもこんなに聴いていて心が震えるのは、その声や音に機械では絶対に感じることのできない感情がこれでもかというくらいに乗っているからである。音に感情を込めるということにおいては自分はロックバンドに敵う形態はないと思っている。それはこういうバンドがそれを実感させてくれるようなライブを見せてくれるからだ。
「いつかまた 一緒にお酒飲んで
いつかまた あの子の話しような
いつかまた 一緒に駅で歌おう
幸せな夢の中にいますように
幸せでありますように」
と締められるように、この曲は別れてしまった後でも、どこかにいるその人の幸せを願っている。だから河内は演奏した後に、
「帰り道気をつけて帰ってください!健康でいてください!」
と言った。いなくなった人も、今目の前にいる人も、等しく幸せを願うことができる。そんな河内の人間らしさこそが、音楽に感情を込めることができるircleというバンドが持っているものそのものなのだ。
ircleは超絶不器用なバンドだ。自分たちの思っていることを曲にして、それをライブハウスで爆音で鳴らす。虚飾や自分たちをカッコよく見せようなんてことも、まとまったMCもすることはできない。でもそのやり方で20年も続いてきたということは、これからも変わらないという生き様が刻まれている。
きっと、SUPER BEAVERの快進撃を横で見ていても、ircleはああいう風になりたいとか、「売れたい」ということはもう思っていないだろう。
それは地上波のテレビの音楽番組に出たりとか、関係ない商品のCMに流れるように曲を作ったりするという意味でのもの。きっとそこはもう目指していないだろうし、自分たちがいる場所がそこではないことも理解しているだろう。
でもまだまだ自分たちの音楽に出会ってくれる、その音楽を大切なものとして受け止めてくれる人たちがいるということは諦めていないはず。だからこれからもircleは盟友と一緒にライブハウスでロックを鳴らし続ける。
ロックバンドのライブは不要不急なんかではない、こんな暗くて不安な時代だからこそ、その中を生き抜いていくための強い力や希望になる。それを描き出した、素晴らしい一夜だった。
1.あふれだす
2.呼吸を忘れて
3.ホワイトタイガーオベーション
4.ラストシーン
5.ルテシーア
6.桃源郷 ex.ニヒルガール
7.ハミングバード
8.あいのこども
9.2020
10.エヴァーグリーン
11.セブンティーン
encore
12.ばいばい
文 ソノダマン