4月には日比谷野音でワンマンを行い、さらには待望のアルバムリリースとツアーも決定と、この状況下でもバンドとして活動していくどころか加速している感すらある、teto。
そんなtetoが今回東京キネマ倶楽部で開催するのはアンプラグドライブである。これまでステージ上でロックバンドの持つ衝動を炸裂させまくり、我々もその姿を美しいものとして見てきただけに、アンプラグドでのライブというのはどんな感情を芽生えさせてくれるのだろうか。やはり野音に続いての雨というのは、若手バンドの中ではKOTORIに並ぶ雨バンドらしくなってきたということだろうか。
ライブ会場としてはトップクラスに昭和の匂いを残す東京キネマ倶楽部にこの状況になってから来るのは初めてであるが、建物の入り口からフロアに上がっていくエレベーターが4人までの定員になっているというところにキネマ倶楽部なりの感染対策を感じさせる。もちろん検温と消毒を経てアルコール販売なしの場内に入ると、やはり椅子が並べられている。整理番号順の自由席というのは野音と同じスタイルである。
アンプラグドとは楽器をプラグに繋がない、つまりはエレキギターやベースではなくてアコースティックでのライブという意味である。そうしたスタイルでのライブだからこそ、このキネマ倶楽部という風情のある、ライブハウスとは違う会場を選んだということは誰しもが合点がいくところだろうけれど、いざ入場してみるとステージにはいつもと全く変わらないtetoのアンプや楽器などの機材がセッティングされているし、ローディーの方々もサウンドチェックで普通にいつもと変わらぬギターとベースとドラムの音を出している。
これは「tetoにとってのアンプラグドはこれです」みたいな感じでいつもと変わらないライブをやるんだろうか、とも思っていた。あるいは楽器は同じでもアレンジを変えるとか。(それはアンプラグドではないにしても)
ともかくとして、今まで見てきたtetoのスタイルでのライブを見れるのだろうか、という期待すらあった。この時までは。
18時30分の開演時間は15分以上は過ぎていたと思う。なかなか始まらないなぁと思っていたし、そこまで急いで来なくてもよかったかなとも思っていたら、おなじみのNirvanaのSEが鳴ることもなく、ステージには金髪の福田裕介(ドラム)と茶髪がかなり伸びた山崎陸(ギター)の2人が。
「先に僕ら2人から発表があります」
とステージ中央のマイクの前に立った福田は話し始めた。てっきり、アコースティックをやめていつもの形でやります、的なことを言いながら今の状況下での注意事項的なことも言うんだと思っていた。ワンマンのアンコールでど天然っぷりを何度も見せてきた福田ではあるが、ある意味では小池貞利(ボーカル&ギター)は絶対に言わないことを観客に伝えるポジションでもあるが故に。
しかしいざ福田が口にしたのは
「今日のライブをもちまして、私福田裕介と山崎陸はtetoを脱退します」
という誰もが1ミリも予想だにしなかったことであった。思わず「え?」という声も客席から漏れる。仕方がないだろう。アルバムのリリースもツアーの開催も決まったというタイミングで2人がいなくなるなんて誰がすんなり受け入れられるというのだ。実際にまだその一言の段階では「冗談だよね?」ということを思わせてくれるであろう言葉を発するとも少しは思っていた。
でも福田が下を向いて意を決したように
「理由は、ここ数年ドラムを叩いていて思うように足が動かないことが増えてきました。上手く叩くことができないと思いながら回ったツアーでも、ドラムを叩くのが好きじゃなくなってしまっていると感じるようになりました」
と自身にジストニアの症状があることを告げた段階で、これが冗談ではないことがわかってしまう。というよりもtetoはこんなにタチの悪い冗談を言うようなバンドじゃない。でも、なんで今言うんだ。ライブ前にこんなことを聞かされて、どんな気分でライブを観ればいいんだ。そう思いながらも福田は時折言葉に詰まり、込み上げてくるものを堪えるようにして言葉を紡ぐ。そんな福田の姿を見るのは初めてだった。そしてきっと最後になってしまうのだろう。
「拙いドラムで、後ろをどっしりと支えてこれなくて、メンバーにも皆さんにも本当に申し訳ない」
と口にした時に福田は最も堪えているように見えた。思うようにドラムを叩くことができないことの申し訳なさ。もしかしたら自分がバンドの足を引っ張っているという感覚もあったのかもしれない。
確かにめちゃくちゃ上手いドラマーではないかもしれないし、他のバンドやサポートドラマーとして生きていけるタイプじゃないかもしれない。でも自分は福田のドラムでのtetoしか知らないし、tetoというバンドとその音楽が好き=福田のドラムが好きということでもある。tetoというバンドにとってのライブの衝動や焦燥感を声とステージパフォーマンスで最も体現しているのは小池であるが、リズムとしてそれを担っていたのは福田だった。だからこそライブを見ているとその性急なビートに体が揺れ、頭でリズムを取りたくなるようなドラムを叩いていた。自分はそんな福田のドラムが好きだったし、それはtetoというバンドの音楽にはなくてはならないものだと思ってずっと見てきた。それがこんなにも急に最後の日になってしまうなんて。
福田の後に自身のマイクに向かって話し始めた山崎は、福田ほど明確な理由は口にしなかった。だからこそそれぞれがいろんな想像をしてしまうところも多分にあると思われるけれど、自身の衝動に素直に生きる小池、ど天然な福田、真面目で実直な話し方とベーススタイルの佐藤健一郎というそれぞれ全くキャラが違うtetoの中にあって、山崎はライブでもSNSでも最も愉快な、親しみやすいキャラクターの男だ。それでいて後輩が人に迷惑をかけている時はしっかり叱ることができるという、先輩や友達だったらどんなに楽しくて頼もしいだろうかと思う男でもある。
そんな山崎だからこそこうしてバンドを離れるという決断を下したことにも、きっと自分なりの確固たる理由があるのだろう。それを全て言葉にすることはなかったけれど、かつて銀杏BOYZのツアーのZepp DiverCityでのライブの対バンにtetoが出演した時に、山崎は演奏後にステージで全裸になってから去っていった。それは紛れもなく、かつて何度となくステージ上で全裸になってはニュースになってきた銀杏BOYZへのリスペクトをその身をもって示すものであったのだが、こうして突然バンドを去ってしまうというところまで銀杏BOYZのリスペクトを示さなくていいじゃないか。まだギターが弾けるのだから。果たせていない、楽しみにしていた対バンだってたくさんあるのだから。
そうして2人の話がひと段落したところで黒いジャケットを着て、髪が伸びたというか毛量が増えた小池といつもと全く変わらない佐藤がステージに。小池は少し笑っているようだったが、それは福田が真面目な話をしていたことに思わず笑ってしまっていたらしい。
「tetoはこれからも続いていくんで」
と言ってやはりアコースティックではない、今までのtetoのライブのスタイルで演奏されたのは「あのトワイライト」。話していた時は平静だったように感じた山崎は何かを振り払うように頭をブンブン振りながらギターを弾き、一瞬目元を拭う仕草を見せた。もうこの曲で、このバンドでギターを弾くことはない。そんな思いが去来したかのような瞬間だった。
しかし小池は声もいつもより張らないというか叫ぼうとしないし、「蜩」でもどこかいつもの爆裂っぷりが影を潜めているように感じた。この会場の雰囲気がそうさせるというよりは、急に訪れた「この4人でのtetoの最後のライブ」という逃れようのない事実がそうさせているかのような。それは客席の空気や雰囲気もあっただろう。これまでに生み出してきた熱狂とはこの状況下と言ってもほど遠い、どこか全体が放心状態のようにすら感じるようであり、この4人のtetoとしてのライブを目に焼き付けるかのような観客のライブの臨み方。それは今までのtetoのライブの客席の光景とは全く違うものだった。山崎はすっかりいつもの笑顔を浮かべた演奏に戻ってはいるが。
状況が変わるとこれまでに何度となく聴いてきた曲の歌詞も聞こえ方が変わる。震災で、このコロナ禍で何度も経験してきたことだし、それこそが人に聞かれるために作られた音楽の宿命とも言える。実際に4月の日比谷野音ワンマンで聴いたtetoの曲もこれまでとは全く違う、コロナ禍でのライブだからこその響き方をしていたし、自分はそう受け止めていたのだが、それからわずか3ヶ月も経たないうちに「拝啓」の
「拝啓 今まで出会えた人達へ
刹那的な生き方、眩しさなど求めていないから
浅くていいから息をし続けてくれないか」
という締めのフレーズはこの世の中を生きる全ての人へのメッセージから、バンドを離れていく2人への惜別のメッセージへとガラッと意味を変えてしまった。山崎はこれから先、違う形でギターを弾く姿を見ることができるかもしれないけれど、きっと福田を表舞台で見ることはもうないだろう。ジストニアはそれくらいにドラマーにとっては重い病気であることをRADWIMPSや[Alexandros]、氣志團といった、ジストニアでドラマーが離れざるを得なくなってしまったバンドたちの活動で理解してしまっている。それでも、息をし続けていてくれるだけで、生きていてくれるだけで会うことはできなくても絶望にはならない。tetoというバンドがライブの姿の通りに刹那的な生き方をするバンドになってしまったというのは危惧した通りになってしまったな、という感もあるけれど。
そんな性急な、tetoというバンドの衝動を最後に叩きつけるような流れの中での「忘れた」での歌い出し部分で小池は声を詰まらせて最初のフレーズを歌えなくなっていた。福田や山崎とは違った意味で小池は小池なりに思うことや考えることがあったのだろうけれど、
「いつか全て忘れた頃、無くした頃あなたと聞いた
あなたと知った半径1メートルの世界だけはもう譲れはできないなって
そう思えるから今日も
いつか全て抱えてもっと離さずもっと無くさずもっと必ずとも
何年経とうたって寿命がいつ来たって忘れはしたくないなって
そう思って今日を生きていたいんだ」
というフレーズは小池なりの4人で過ごした日々への想いを歌っているように聞こえる。この日ここにいた人も、ここにはいれなかったけれどもtetoのこれまでのライブを見てきた人も、きっとこの4人のtetoというバンドの姿や今までのライブを忘れはしないだろう。そう思って我々はこれからも今日を、明日を、これからを生きていくのだ。それがこれまでにどれだけ日々を生きていく力を与えてくれたのかを知っているから。
「4人での最後のライブ。ありがとう!」
と小池が言ったのは観客に対してではなくて、おそらくこの4人で1番多く演奏してきたであろう「高層ビルと人工衛星」という曲に向けての言葉だと思っていた。まだまだ4人での演奏はこの日は続くと思っていたし、最後にできる限りたくさんの曲をやるというのがだいたいのバンドの節目のライブであるということをこれまでに体験してきたから。
でもこの4人でのライブはこの曲が本当に最後だった。佐藤とともにファルセットのコーラスをする山崎と、マイクからは遠めであってもマイクに向かってコーラスを歌う福田の姿が、2人のマイクを通しての最後の声だった。それでも山崎は去り際に笑顔で観客に向かってピースをしてステージを去っていった。あくまでいつもと同じようなライブをして最後にしたい。そんな山崎の思いが表出していたような、あまりにも急すぎるこの4人での最後のライブのエンディングだった。
アンコールがあるのはすぐにわかった。おなじみのローディーの方たちがいそいそとセットチェンジをしていたからだ。その様子から、本来ならば予定されていたアコースティックのライブをアンコールでやるんじゃないか?とも思っていたが、ステージに現れたのはジャケットを脱いだ小池と、やはりいつもと変わらない感じの佐藤の2人だけ。
マイクの前に置かれた椅子に2人が座ると小池が改めてこの状況になったことを「残された側」「続けていく側」として自身の口で話す。
「本当は今日4人でやりたくなかった。5曲が限界。主催ライブじゃなかったらやってない。辞めるやつとやってもしょうがないもん。言われたのが6月29日で今日が7月2日。2人ともツアーまではケジメとしてやりたいって言ってくれたし、2人のことは今でも好きだけど、辞めるやつとやる意味がない。思い出作りに付き合う気はないし、そういう感じでやるならすぐに辞めてくれって思ってるし、それならメンバーになるかサポートになるかは全くわからないけど、新しい最高のtetoの形をツアーで見せたいし、見せなきゃいけないとも思ってる。それでも今日4人で5曲やったのは、今日も2人はやりたいだろうし、みんなが見たいだろうから。でも俺ができるのは5曲が限界だった」
と、聞き様によってはドライに感じてしまうくらいに自身の今の思いを口にするのだが、バンドにとっての観客への誠意とは観客が喜びそうなことを言うことではない。ただ素直に自分が今思っていること、感じていることを自分の口で言葉にすることこそがロックバンドにとっての最も誠実な姿だと自分は思っている。
だし、福田が脱退すると冒頭で宣言したことに「なんでライブが始まる前に言うんだよ…」とも思ったけれど、ここで2人だけで出てきたことによってその理由がわかった。もう4人でのtetoは終わったからだ。だから福田と山崎が自身で脱退することを告げられるタイミングはあそこでしかなかったのだ。
そういう意味でtetoほど、小池ほど誠実に自身の想いを言葉にしてくれる(しかもこの状況の中で)バンドマンはいないと思っている。そう、小池は、tetoはバンドマンでしかない。観客やファンへのサービス精神やエンタメ精神みたいなものを全く持ち合わせていない。それは誰にも媚びずに自分たちのやりたいようにバンドをやっているということだ。人気のある曲のパート2的な曲を量産するようなこともしないからこそ、アルバムごとにサウンドに変化と進化が刻まれている。そうした姿勢も含めてtetoをこの上なくカッコいいバンドだと思ってきたのだ。
そんな生き様を見せるように、本人も口にしていたように急造の2人編成で演奏されたのはもともとは弾き語りバージョンとして世に放たれ、それが4人でのバンドバージョンに発展していった「光るまち」。
だからこそこの2人での演奏は小池の弾き語り+α的な感じも強かったのだが、4人でのライブの時よりも小池の声は溌剌としているように感じた。それは後ろ向きというか、ケリをつけるための4人での演奏と、これから先を見据えた2人での演奏という違いが大きいのだろうけれど、
「あのライブハウスは無くなった 僕らも会うことは無くなった
それでも今もこれからもこうして」
というフレーズを
「僕らも会うことはないだろう」
と変えて歌った。それは山崎と福田への確かな別れのメッセージだった。もうこうして一緒にステージに立つことは2度とないというように。途中からバンドサウンドになるというアレンジがベースのみが加わるというのも、本当にもうこの2人だけなんだなということを実感させるには充分すぎるものだった。
でも小池の考えは本当にドライだったり、冷たいものなんだろうか?自分自身社会人として、正社員として短くない年月を生きてくると、その間に一緒にいる人が辞めたいと言ってくることが多々あるし、自分も言った経験もある。
それを言ってしまったらもう言う前には戻れない。どうしたって「辞めたいと言った人」という気を使わざるを得ない。もう辞めるしな、この人はというように。
その状態の人たちと一緒にツアーを回るというのもなかなか酷な話だ。解散ライブやツアーならまだしも、続ける人と辞めていく人が同居するツアーというのは。それは小池が言ったように、前に進むためという理由には1ミリもそぐわない。ファン心理としては少しでも多くの人にこの4人でのライブを、とも思ってしまうけれども、その思いもバンドに対するエゴであり余計なものなのかもしれない、と2人で演奏している姿を見て思っていた。
「アコースティックライブだって言ってたのに4人が出てきていつものライブだってわかったらみんなが一気に立ち上がったのは嬉しかったよ。声を出したらいけないっていうのもわかるけど、出ちゃう時もあるじゃん。だから「小池!」って呼ばれた時は嬉しかったよ。路上飲酒とかもダメだけどさ、俺が10年くらい若かったらやってたかもなって思うもん」
と今の日本の状況下だからこそのライブの、普段のそれぞれの生き方、制限やマナーなどへの自身の見解をも綺麗事ではなく100%リアルな自身の視点で小池が口にすると、そうしつ状況が変わると聴こえ方も変わるという意味では、ギターとベースだけという形でありながらも、
「馬鹿馬鹿しい平坦な日常がいつまでも続いて欲しいのに
理想と現実は揺さぶってくる
でもあなたの、あなたの手がいつも温かかったから
目指した明日、明後日もわかってもらえるよう歩くよ」
という「手」の歌詞には山崎のギターと福田のドラムの音が聞こえてくるような感じがする。馬鹿馬鹿しい平坦な日常とは4人で笑い合いながらここまで続いてきた道のりそのものだからだ。その4人のそれぞれの選択が、今はわからない人もたくさんいるかもしれないけれど、バンドはこれからもわかってもらえるように歩いていく。この日だからこそ、聴いていて涙が出てしまうようなこれまでのこの4人でのtetoのライブの思い出がフラッシュバックしてくる。それはどんな時でも、雨が降っていても温かかったのだ。
「辞める人と残る人それぞれのコメントも公式として出るかもしれない。でも俺にとってはここで本人たちが話したこと以上でも以下でもない。
これからもライブは自分のためだけに来て欲しい。メンバーが辞めたから私が応援しなくちゃみたいなのは不要だ。そんな同情されるようなタマじゃ4人ともない」
と小池は最後に言った。それこそがtetoというバンドの生き様だ。自分たちは誰にも媚びないから、その代わりに同情もいらない。その姿勢が見えるライブや活動にずっと自分は惹かれていた。本当にカッコいいバンド、カッコいい4人だと思っていたから、そんなバンドを見るためだけに、自分のためだけにtetoのライブに来ていたつもりだ。それはこれからも変わらないとは思うけれど、もし形が変わって自分が満足したり納得できるライブや形ではなくなったらライブに行かなくなるかもしれない。それもまた仕方がないことだし、それを悲観するようなバンドでもない。でもきっとそうはならない。どんな形になってもtetoは我々を「カッコいいバンドだな」って思わせてくれるはずだ。最後に演奏された「LIFE」はこれからのtetoの2人の生活と、これからの我々の生活の行く末を歌っていた。
まだまだ曲を聴きたいとばかりに観客は誰も帰ろうとせずにさらなるアンコールを求めて手拍子をしていたが、この日はこれ以上はなかった。2人編成が明らかに急造のアレンジだったこともあるし、これ以上はできる曲がなかったのだろう。しかしその観客の姿からは、2人になってもtetoはカッコいいバンドであり続けてくれるはずだという信頼が確かにあった。それはあの4人がこれまでに築き上げてきたものだ。
小池は実は佐藤には言っていたらしいが、野音のワンマンの時にすでに解散すると言おうとしていたらしい。あんなに素晴らしいライブを見せてくれたバンドの実情はそこまでギリギリの状態だったということだし、小池はこの4人のバランスを、
「幼なじみでもないし、同級生でもない。25歳で始めたバンドだし、思想も哲学も全く違う。押されたら崩れそうな縄の上をギリギリのバランスで渡ってきた4人だった」
と言っていた。そんなバラバラな4人だからこそのバンドの可能性に賭けていたと。その可能性は結果として大きく開花した。でも散ってしまった。その儚さこそがまたロックバンドの魅力や危うさそのものだった。この4人でのtetoはそんなバンドだったし、あまりにも急に訪れた、その4人での最後の日。それを観れたのは幸せだったんだろうか。少なくとも、これからtetoが我々にそう思わせてくれるようなバンドになってくれるという期待しかない。まだtetoはtetoとして、これまでに生んだ曲を持って続いていくのだから。
この状況であってもこうしてライブに行くのは後悔したくないからだ。解散、休止、脱退…。今まで数え切れないくらいに経験してきた。でもそれは慣れることはない。いつだって好きなバンドにそうしたことが降りかかると悲しくなる。
だからこそ、後悔したくない。行ける時に行けるだけ行きたい。いなくなってしまってから「迷ってたけどあの時に行けば良かった」「無理してでも行けばよかった」といくら思ってもその日、そのライブに戻ることも見ることもできない。実際に自分もtetoの「手」のリリースツアーファイナルのリキッドルームワンマンをチケットがあったにもかかわらず、仕事が忙しくて行けなかった。
あの時、仕事をほっぽり出してでも行けば良かった。なんなら2018年に年間ベスト1位に選出したアルバムのツアーだっただけに。でもそれももう戻ることはできない。出来ないからこそ、こうして山崎と福田が脱退したことによって、この4人のtetoをどれだけ好きだったのかがわかってしまった。もう会うことはないかもしれないけど、それでもこれからもこうして。
1.あのトワイライト
2.蜩
3.拝啓
4.忘れた
5.高層ビルと人工衛星
encore (小池&佐藤)
6.光るまち
7.手
8.LIFE
文 ソノダマン