禁断の多数決の音楽は、99.9%のポップと0.1%のシリアスで構成されている。頭が空っぽになって馬鹿みたいにトランスできる音楽に、リスナーが気づくか気づかないかくらいのごく薄い濃度で切なさが含まれている。別にこのシリアスには気づかなくてもいい。永遠に馬鹿しててもいい。でもこのシリアスが禁断の多数決を凡庸な音楽からかけ離れた存在にしている。そんなことを馬鹿みたいに楽しいWWW Xで思っていた。
ここ数ヶ月ほど、仲良くさせてもらっているアーティストがいる。名前を禁断の多数決という。ちょっと変な名前をしたそのグループは、変な名前を体現するような、変テコな音楽を奏でている。EDM、テクノ、ヒップホップ、民族音楽、ポップス、歌謡曲、サイケデリック、ロックといったさまざまな音楽を包括し、それを「禁断の多数決フィルター」で濾過した、としか表現しようのない独自のサウンドを生み出している。その唯一無二のサウンドは、ハマる人はとことんハマる、ハマらない人はハマらない、人を選ぶが、好きな人は一度聴いたらヤミツキになるほどの強烈な中毒性を持っている。
仲良くなったきっかけは、2016年11月、高円寺で行われた「スナック禁断」というイベントだった。僕がいちリスナーとして禁断の多数決を知ったのは2014年頃。彼らがキャリアの中で行なった唯一のワンマンライブは2013年12月だったから、その時まで邂逅する機会がなかった。このライブ以降、彼らはライブを行なわず、フェスにもイベントにも出演せず、さらにはメンバーの脱退や加入も相次いだため、外側からは彼らにいったい何が起こっているのか理解できなかった。そんな最中に行われた「スナック禁断」。なんでも禁断の多数決メンバーがスナックの店員となり、客をもてなすという。この意味不明なイベントに、どういうわけか、行ってみようと思った。そこには、「禁断の多数決って今どうなってるんですか?」とメンバーに訊こうという思いもあったかもしれない。
スナック禁断は、高円寺に実在するこじんまりとした小さなスナックを貸し切る形で行なわれていた。木製の重たい扉をあけると、先客が7人ほどいた。席は全部で12席ほど。カウンター8席と、テーブル4席。そしてカウンターの奥では、メンバーの中村ちひろと、禁断の多数決の首謀者であるほうのきかずなりが店を切り盛りしていた。メイド喫茶は、店員がメイドである以外は普通の喫茶店であるように、スナック禁断も、店員が禁断の多数決である以外は普通のスナックだった。メンバーもお客さんも楽しくお酒を飲み、禁断の多数決について語り合う、楽しい時間が過ぎていった。ふと、酒の入ったほうのきかずなりが、「まだ情報解禁前だけど来年ライブやるんで! 楽しみにしてて!」と嬉しそうに言った。その言葉が聞けただけで僕は満足だった。
2016年12月、渋谷LOFT9で禁断の多数決がトークショーを行なった。なぜトークショーを? なぜライブではない? いったいなにがしたい? いろんな「?」が浮かんできたが、禁断の多数決の歯車が確かに動き出していることを実感するイベントだった。このイベントは50名ほどの集客だったが、ほうのきが壇上で「みんなよかったら打ち上げに来て!」というので、前代未聞のファン参加型打ち上げが実現した。
居酒屋に集まった禁断の多数決とそのファンおよそ20人。メンバーは至極当然のようにファンの間に座っていた。ここではじめて、僕はメンバーとじっくり話をすることができた。禁断の多数決は決して人気アーティストではない。CDセールスだけでいえば、オリコン初登場200位以内に入るか入らないかくらいのアーティストだ。この日のトークショーもキャパ50人の会場がソールドアウトしなかった。かつてはキャパ400人のWWWをソールドアウトさせた彼ら。しかし2年ほど歩みを止めていたら、多くの聴衆からプライオリティを下げられていた。彼らの本質は変わっていないにも関わらずだ。最近でも著名なアーティストがインタビューでこんなことを語っていた。「世の中には新曲が溢れすぎている。みんなが知っている曲を演るだけで盛り上がるじゃないか。そう思って新曲を出さずにいたら、いつの間にか世間から忘れられていた」。新曲溢れすぎ問題については語ろうと思えばいくらでも語れるが、本文には関係ないので割愛する。ただ僕は、この著名アーティストが嘆いた問題が、目の前で起こっているように感じられた。だから僕は、彼らの力になりたいと思った。そしてそう伝えた。このとき、目の前にいた禁断の多数決は、ただの酒好き&音楽好きのフツーの兄ちゃん姉ちゃんたちで、アーティスト然とした雰囲気を感じさせなかったのが、僕が物怖じせずに想いを伝えられた一番の要因に思う。
そして迎えた2017年3月16日 渋谷WWW X。禁断の多数決にとって二度目となる、3年ぶりのワンマンライブ。僕にとっては初めての禁断の多数決のライブ。そこで目にした光景に、僕は度肝を抜かれた。会場が客席まで布で覆われ、全方位からサイケデリックな映像が飛びこんでくる。そしてステージには3メートルほどにうず高く積まれた廃材と、その頂上にDJブースがあった。完全に頭がおかしい。頭のどこをこねくり回したらこんな装飾が思いつくのか、人智を越える空間ができあがっていた。そして始まるライブ。僕は初めて、禁断の多数決の本気を見た。一言でいうなら、芸術。メンバーもプロフェッショナルに徹し、今まで見てきた「一般人に限りなく近い音楽集団の禁断の多数決」像を粉々に粉砕していった。もしこのライブを最初に見ていたら、僕は畏敬の念で、彼らに話しかけることすらできなかっただろう。それほどまでに素晴らしく、近寄りがたく、これ以上なく完璧で、プロフェッショナルなライブだった。もちろん、このライブについても語ることが山ほどある。新メンバーのパフォーマンス、女性陣の風光明媚な歌声、男性陣のビビッドで生き生きとしたプレイなど枚挙に暇がない。特に元メンバーのローラーガールが復帰し、ほうのきかずなりと披露した「今夜はブギウギナイト」で2人が並んだ瞬間は、あらゆる感情が込み上げてくるものがあった。
そして気づいた。禁断の多数決の音楽は、99.9%のポップと0.1%のシリアスで構成されていると。頭が空っぽになって馬鹿みたいにトランスできる音楽に、リスナーが気づくか気づかないかくらいのごく薄い濃度で切なさが含まれている。だから僕は、禁断の多数決にここまで惹かれるんだな、と思った。別にこのシリアスには気づかなくてもいい。永遠に馬鹿しててもいい。でもこのシリアスが禁断の多数決を凡庸な音楽からかけ離れた存在にしている。そんなことを馬鹿みたいに楽しいWWW Xで思っていた。