ASIAN KUNG-FU GENERATIONに影響を受けたマンガ『ぼっち・ざ・ろっく!』の同名アニメが最終回を迎えた。
どのくらい影響を受けているかというと、主人公たちの名字が後藤、伊地知、山田、喜多という点から察してほしい。
劇中バンドが出したアルバムはこの時代に異例の初週74,000枚の売り上げを記録。社会現象を巻き起こしている。
このアニメの第10話が放送された後に、ASIAN KUNG-FU GENERATIONのフロントマン後藤正文が日記を更新した。
以下、引用
帰宅してから、『ぼっち・ざ・ろっく!』というアニメを観た。下北沢シェルターが本物とそっくりで、懐かしい気持ちになった。アジカンが何を成し遂げたのかということは、もっと年寄りにならないとわからないだろう。評価や成果は、死んでからはっきりするような気もする。しかし、いわゆるロックをある種の不良性から奪還(追記:解放と書いたほうが正しいかも)したことはひとつの成果なのではないかと『ぼっち・ざ・ろっく!』を観ながら思った。俺たちはロックが持つある種のドレスコードに反発していた。それは華美な衣装や化粧だったり、革ジャンのイメージだったり、あるいはハーフパンツとクラウドサーフだったりした。デビュー当時は「あんなのはロックじゃない」と散々言われた。傷ついたこともあったが、その言葉こそが燃料だった時代もあった。陰キャという自覚はないけれど(だってそれはドレスコードが仕向けたバイアスとキャラだろう)、拗れていたことは確かだ。今はすっきりと、ありのまま音楽に向かっている。楽屋でゲラゲラ仲間たちとやり合ったテンションのままステージに上がり、俺たちにしかできない音楽を鳴らす。ロックかどうかは本当にどうでもいい。今、自分たちにできることをやるだけだ。良いバンドになったと思う。
https://note.com/gotch_akg/n/n4d64d2a002cb
ASIAN KUNG-FU GENERATIONが登場する前には、ヒットチャートに登場するバンドは以下のようなタイプしかいなかったように思う。
・GLAYやL’Arc〜en〜Cielのようなバンド
・Mr.Childrenやスピッツのようなバンド
・THEE MICHELLE GUN ELEPHANTやBLANKEY JET CITYのようなバンド
上の6バンドは当時、みんな大スターであり、ブラウン管の向こうの大スターだった。手の届かない存在だった。
当時はCDの売り上げランキングを紹介する番組も多く、テレビにほとんど出ないTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTやBLANKEY JET CITYであっても世間的な知名度があった。
「あるいはハーフパンツとクラウドサーフだったりした」バンドはアルバムでのリリースが多く、TVでもほとんど紹介されることはなかった。
もちろんオルタナティブ・ロックにはくるりという偉大な先駆者がいるが、上のバンドほどの知名度はなかった。
私の高校の修学旅行先のホテルでちょうど『THE WORLD IS MINE』のTVCMが流れ、ポケットに手を突っ込んで歌う岸田繁を見たクラスメイトたちから「なんだこのやる気のないバンドは」という声が上がったのを覚えている。
ASIAN KUNG-FU GENERATIONがシーンで頭角を現す少し前、BUMP OF CHICKENが登場する。
なにも着飾らない彼らは、近所のちょっと上のお兄ちゃんがテレビで紹介されているような、そんな感覚だった。
彼らもロックのドレスコードを身にまとっていないバンドだった。
そしてASIAN KUNG-FU GENERATIONが登場する。
『君繋ファイブエム』のCMで「生活がかかってるんだよおー!!」と絶叫する姿は、当時のロックの一般像とはかけ離れたものだった。
彼らはBUMP OF CHICKEN以上に、手の届く存在のように思えた。
BUMP OF CHICKENもASIAN KUNG-FU GENERATIONも、それまでTVで見ることのなかったタイプのバンドだった。
BUMP OF CHICKENはライブの少なさや発言から感じ取れる繊細さ、そしてなにより藤原基央の神秘性から、外野からなにかを言われることは少なかった。
対してASIAN KUNG-FU GENERATIONはやたらとなにかを言われる立場にあった。
それはおそらく見た目だったり、「生活がかかってるんだよおー!!」と叫んでしまうところだったり、手の届く存在だと思わせてしまう親近感だったり、売れるまで長年燻り続けてきた彼らから醸し出されるなにかがあった。
長年売れなかったお笑い芸人が、M-1で優勝した瞬間からめちゃくちゃ言われる立場になるようなものと似ているかもしれない。
ただ、アジカンはバンプよりライブをやりまくった。
例えば2005年にはアジカンは年間53本のツアーを行っているのに対し、バンプは4本のフェスに出ただけである。
ツアーには当時無名の若手を呼んだり、主催のフェス「NANO-MUGEN FES」を開催していろんな音楽を知ってもらう場を用意したり、客と音楽の橋渡しをし続けた。
それが今の日本の音楽シーンに多大なる影響を及ぼしているのは言うまでもない。
そして華美な衣装や化粧、革ジャンのイメージ、ハーフパンツとクラウドサーフといったイメージはロックのメインストリームではなくなり、
ロックというジャンルそのものが大衆化していった。
バンドはみんなロックでしょ、そもそもロックってなに? J-popとどう違うの? くらいになっている。
それはまさしくアジカンが成しえた「ロックの不良性から解放」以外の何物でもない。
もちろんアジカンがいなければ『ぼっち・ざ・ろっく!』は存在せず、『けいおん!』もスケバンのようなストーリーになっていた可能性だってある。
アジカンというアーティストを点で見るとただの日本のいちバンドだけど、アジカンの落とした1滴が波になっていまの日本のカルチャーがある。
アジカンが何を成し遂げたのかということは、もっと年寄りにならないとわからないだろう。評価や成果は、死んでからはっきりするような気もする。
という言葉に期待を乗せて、アジカンに影響を受けた人たちの行く先を楽しみにしている。