ついにリリースされた、ずっと真夜中でいいのに。の1stフルアルバム「潜潜話」。そのリリースツアーはアルバムリリース直前だった先月からスタートしているが、この日はついにファイナル。先月のこのZepp Tokyoでのツアー2日目が信じられないくらいに素晴らしかった(前日にELLEGARDEN、前々日に銀杏BOYZを見ていてもそう言える)のだが、アルバムがリリースされてからライブを見るのはこの日が初めてとなる。
詳細は先月のレポも読んでいただきたいのだが、ステージに組まれているセットもさすがに前回見た時と変化はないように見える。
19時になると場内がゆっくり暗転。ステージに現れたのはオープンリールという映写機のような楽器を操ってアナログDJよりさらにアナログな手法によって音を出す、Open Reel Ensembleの3人。そのまさにリールを巻いたりするような一度見たら絶対に忘れられないような演奏手法によって効果音的なサウンドを次々に発していき、それをSEのようにしてバンドメンバーたちがステージに登場。
「ファイナルっす。終わっちゃいます。どうします?」
というサンプリング音声も流れる中でメンバーが演奏を始めると、ステージ中央奥にある巨大な炬燵の中からボーカリストのACAねが現れ、「脳裏上のクラッカー」でライブはスタート。
Open Reel Ensembleのメンバーによってスクラッチ的な音などが音数の多いずとまよの音楽をさらにカラフルに彩っていく中、先月見た時に比べると少し声質に揺らぎの要素が加わっているように感じられるACAねの、少女性がありながらも音源とは比べものにならないくらいにパワフルなボーカルがリズミカルに乗っていく。そして曲の終わりにACAねは声を張り上げる。リハとかも入念にやっていると思うし、ある程度その日の自身の調子は自分で把握できていると思うけれど、そうして声を張り上げることによる、声が出なかったりとかひっくり返ったりというような不安を一切持っていないような歌い方。どうしたらこんなに声が出せるようになるんだろうか。
ACAねがハミングするかのようなイントロから始まり、言葉遊び的な歌詞が炸裂しまくる「勘が冴えて悔しいわ」からACAねがギターを弾きながら歌う「ハゼ馳せる果てるまで」、FLOWER FLOWERのメンバーとしてやエレファントカシマシなどのサポートでもおなじみの村山☆潤によるイントロの切ないピアノのフレーズと打ち込みのようでいて人力であることを確かに感じさせるリズムが開始10秒で名曲であることを確信させる「居眠り遠征隊」、ACAねの呪術的なコーラスがカオスに押し寄せる音の序章を告げる「こんなこと騒動」と、やはり演奏される曲に変化はない。
しかし確かな変化を感じるのは客席のリアクション。それはそうで、先月のZeppの時はまだアルバムリリース前だっただけに、この辺りの曲は新曲として演奏されていた。(すでにMVが公開されていた曲もあったけれど)
でもアルバムがリリースされて1ヶ月ほど経って、みんな曲をしっかり聴き込んで、ずとまよの複雑な曲の展開も歌詞も自分自身の中で咀嚼してからこの日に臨んでいる。それはライブの景色を大きく変える要素の一つだ。
「もぐもぐツアー、ファイナルです。私がひたすら秋の美味しいものを食べるツアーでした。今日はかぼちゃプリンを食べます」
と歌っている時の堂々たる立ち振る舞いとは全く異なる、実に歯切れの悪い喋り方でACAねが挨拶をすると、ベースがウッドベースに持ち替え、音数を絞った幽玄なサウンドが心地よい浮遊感を与えてくれる「君がいて水になる」、ACAねが法被のようなものを羽織ると(基本的にステージがずっと薄暗いのでACAねはもちろんメンバーの表情なども遠くからではあんまりよく見えない)、
「しゃもじ、出番」
と自身やメンバーも物販で販売されているしゃもじを手にし、観客と一緒に盆踊りのリズムで叩く「彷徨い酔い温度」はライブで聴くたびに夜の夏祭りに行きたくなってしまう。もうとっくにそんな季節は過ぎているというのに。
ステージにあるソファに腰掛けたACAねとベーシストがグラスを持って強めに乾杯の合図とばかりにグラス同士を合わせてからムーディーに始まった「グラスとラムレーズン」ではそのACAねが足をバタバタさせたり、ソファに深くもたれ掛かったりしながら歌う姿が実に面白いのだが、普通は立って歌うのが1番声が出るはずなのに、ACAねはそうした姿勢で歌っていても声量が小さくなったりということが全くない。それは村山☆潤のピアノとACAねのボーカルのみというシンプルな形で演奏されたミステリアスな雰囲気のバラード「Dear. Mr「F」」も同様。
こうしたパフォーマンスは一体どうやって考えているのだろうか、と思ってしまうのだが、ACAねは今回のツアーが初めて全国を回る本格的なものであり、各地で待ってくれている人たちへの感謝を告げていたが、ライブを見ているとまだフルアルバム1枚、ミニアルバム2枚しかリリースしていない、新人と言ってもいいアーティストだ。
演出などに関してはブレーン的な人が考案することもできるけれど、このライブ自体の素晴らしさは実際にステージに立って音を鳴らし、歌を歌っているメンバーの力でしかない。こうしてライブを見ているとそのライブの力は新人とは全く思えない、3周くらい強くてニューゲームをしているかのようですらある。
そんなACAねが「実家のような曲」と形容した「蹴っ飛ばした毛布」では間奏部分で一気にサウンドが激しくなるというずとまよならではの初めて聞いたら全く予期できない展開の激しさを見せるが、それはメンバーがイントロ部分で交代でけん玉をやっていた姿が実にシュールだった(ACAねはめちゃくちゃ上手かった)「眩しいDNAだけ」においても同様。
そしてACAねが再びギターを手にすると、サビで左右にステップを踏むメンバーたちに合わせて客席がダンスフロアと化す「サターン」へ。音源よりもアウトロをさらに長くし、最後にはメンバー全員が自分たちが鳴らした音をループさせて楽器を置いて踊りまくる。
ACAねは
「右、左、右、左」
と観客をレクチャーするのだが、最後のメンバー紹介時に「ダンス&ボーカル」という役割になっていたOpen Reel Ensembleの和田永と村山☆潤はステージ前に出てきて互いの体がぶつかり合うくらいに激しく踊りまくる。このダンスパートは先月の時点からあったが、メンバーのダンスっぷりが圧倒的にその時よりも増している。ツアーを全員で回ってきたことによって、より一層メンバー全員がこのメンバーで演奏する、ライブをやれることを楽しんでいるかのような。だからこそ見ているこちらも先月よりもはるかに楽しかった。それはきっとこれからもライブを見続けることによってさらに増していく感情だろうし、「サターン」はこれからもずとまよのライブにおいて大事な位置を担い続ける曲になっていくのだろう。
「また踊りたいです」
とACAねが口にすると、本来なら曲が始まるであろうタイミングなのになかなか始まらず、ACAねが何度も
「また踊りたいです」
と口にすることに。どうやらサウンドトラブルがあったようで、すぐに復旧するのは無理という判断か、ACAねは急遽質問コーナーを開催して観客から質問を募るのだが、年齢を訊ねられると、
「そういうのは答えません」
と一刀両断し、訊ねられたことに「きなこもち」などの全く関係ないサンプリング音源で回答するなど、結局全ての質問に全然ちゃんと答えず。そこも実にACAねらしいとも言えるけれども。
そうしてしばらく待った後にようやく始まったのはACAねによる非言語的な歌い出しがタイトルの「ヒューマノイド」感をさらに強めていくのだが、この終盤からACAねのボーカルもバンドの演奏もさらにギアを上げてきているような印象。それはツアーファイナルという感情的になりがちな要素もあるのだろう。
トラック的なイントロから始まって一気に激しさを増す「マイノリティ脈絡」ではACAねがステージを端から端まで動き回りながら歌い、スピーカーに近づきすぎたのかハウってしまうという場面もありつつ、曲を重ねるにつれてより一層精神が解放されている。
そして村山☆潤の調子外れなピアニカのイントロから、なぜかマーチのような疾走感のあるライブアレンジがなされた本編ラストの「正義」はもはや圧巻でしかない。
「近づいて遠のいて 笑いあってみたんだ
近づいて遠のいて 巡り合っていたんだ」
というコーラス部分を歌いきって間奏に行く瞬間にACAねは「ッイ!」とまるで観客を煽るような歌い方をした。それが観客だけでなくメンバーの演奏すらもさらに熱くし、客席は飛び跳ねまくる。凄腕メンバーたちによるソロ回しから、コーラス部分を観客に合唱させ、電子音のような音を加えまくるOpen Reel Ensemble。この「正義」はオリコン1位を獲得したミニアルバム「今は今で誓いは笑みで」のリード曲というずとまよの代表曲と言ってもいい1曲であるが、ライブで演奏されてきたことによって何倍にも育った。それを引き出したのはもちろんメンバーと、そして各地のライブでこの曲を聴いてきた観客の力によるもの。
ACAねは最後のコーラス部分でその時に抱えている感情を全て爆発させるかのように歌詞をあえて歌わずに声を張り上げた。歌が上手い人というのは世の中に割とたくさんいると思っている。でも上手い以上のことを感じさせてくれる人はそうそういないのだが、ACAねは紛れもなくそういうタイプのシンガーだ。声を張り上げた瞬間の感情が揺さぶられるような感覚。自分は最初にACAねの声を聴いた時は声質的にも橋本絵莉子(チャットモンチー済)に似たものを感じていたが、むしろCoccoやSuperflyのようなタイプと言っていいのかもしれない。ひたすらに歌を歌うことによって他者とのコミュニケーションを取るというような、そして上手いだけではない特別な何かをその声に宿しているかのような。
アンコールでは村山☆潤とギタリストとACAねという3人で登場し、ACAねが白から黒に衣装が変わっているのを筆頭にそれぞれがツアーグッズなどに身を包み、ギタリストがバイオリンの旋律を響かせ、ACAねはステージに座り込むようにして歌った「優しくLAST SMILE」のずとまよにしてはストレートな展開と歌詞が胸を打つと、ACAねは
「もぐもぐツアー最終日ということで、最後の梨を剥きます。食べます」
と言って梨を剥き始め、自らそれにかぶりつく。観客に感想を聞かれ、
「美味しいです」
と咀嚼しながら言うと、その間に他のメンバーたちも登場し、
「ツアーファイナルなんで、またねっていう曲を」
と言って演奏されたのは先月のライブではやっていなかった「またね幻」。バラードと言ってもいいようなテンポの曲であるが、
「気づいた時には幻なんだよ
それでもずっとここにいるんだよ
信じているよ 信じさせてよ
歌うたびに逢えるの」
というフレーズを歌う姿とその声からは、言葉遊び的な歌詞が多いずとまよの曲であるが、その歌詞にはACAね自身の経験してきたことや見てきた景色があって、それを頭の中で思い浮かべながら歌っているんじゃないかというくらいに感情がこもっていた。それを感じることができたこの曲をファイナルだからこそのこの日に聴けたのは実に大きい。
そしてACAねは
「また会いましょう。会いに行きます。会いにきてね。最後に一緒に歌いましょう」
と言い、ずっと真夜中でいいのに。のシーンへの登場を告げた、村山☆潤の流麗なピアノのイントロによって始まる「秒針を噛む」を最後に演奏。観客の「この曲を待っていた!」という思いを最も強く感じさせたのはサビの
「このまま奪って 隠して 忘れたい」
というフレーズを合唱させた時の声の響き具合。あまりの歌の力、ライブの力に圧倒されながらも、こうして最後の曲で感じるのは「楽しかった」という感情だった。それを合唱の声は感じさせたし、オープンリールに風船をくくりつけて、風船が上下するたびに音が発せられるというバンドのライブではおなじみのパフォーマンスに加えて風船の下に「おしまい」という文字を括り付けた和田永の姿が、このツアーでステージに立っていたメンバーたちにとって得たものが本当に大きかったことを感じさせた。
先に挨拶をしたACAねがステージを去ってから、それを見送ったメンバーたちもステージを去るというのも実にずとまよらしいが、終演後に客席下手の壁にかけられていたスクリーンに映し出された映像ではメンバー紹介に続いて、5月に幕張メッセイベントホールで2daysワンマンを開催することが発表された。まぁ次に行くならもうアリーナだろうと思っていたのでそこまで驚きはしなかった。なぜならずとまよのライブは、ACAねの歌はその規模で鳴らされるべきスケールを有しているからだ。
しかしその前にもう一本ライブがある。COUNTDOWN JAPANの年越し直後のGALAXY STAGEである。ずとまよはフェスにはまだフジロックくらいしか出ていない。その時とは持ち曲の揃い方も全然違うし、いわゆるフェスセトリ的なものがまだ決まっていないアーティストである。それだけにフェスでどんな選曲でどんなライブを見せるのか、ワンマンしか見ていないだけにわからないことばかりであるが、一つだけわかるのはCDJで初めてずとまよのライブを見た人が間違いなく衝撃を受けるということだ。この音楽が、浅い声の正義であるように。
1.脳裏上のクラッカー
2.勘が冴えて悔しいわ
3.ハゼ馳せる果てるまで
4.居眠り遠征隊
5.こんなこと騒動
6.君がいて水になる
7.彷徨い酔い音頭
8.グラスとラムレーズン
9.Dear. Mr「F」
10.蹴っ飛ばした毛布
11.眩しいDNAだけ
12.サターン
13.ヒューマノイド
14.マイノリティ脈絡
15.正義
encore
16.優しくLAST SMILE
17.またね幻
18.秒針を噛む
文 ソノダマン