Suspended 4th GIANTSTAMP TOURII TURBO ゲスト:Nothing’s Carved In Stone TSUTAYA O-WEST 2020.2.9 Nothing's Carved In Stone, Suspended 4th
だいぶ前にツイッターを見ていたら、名古屋は栄の路上でストリートライブをやっているバンドの映像が流れてきた。主にロックンロールバンドのライブに行っているような人たちのリツイートによって流れてきたものであったが、ほぼインストの曲を演奏している映像からは、確かにめちゃくちゃ上手いバンドではあるけれど、なかなか自分の目でライブを実際に見てみないことにはなんとも言えないな、と思っていた。
そんな出会いだったサスフォーことSuspended 4thのライブを初めて見たのは夏のJAPAN’S NEXT。満員のO-nestでのライブはごく稀に出会う「なんだこのバンドは!?」と一目見て衝撃を受けるには充分過ぎるものであった。
その前にはなんとHi-STANDARDのPIZZA OF DEATHと契約してSATANIC CARNIVALにも出演。さらにアルバム「GIANTSTAMP」のリリースも果たし、そのリリースツアーのファイナルがこの日のTSUTAYA O-WEST。
ゲストは都内でこのキャパで見るのはなかなか貴重なNothing’s Carved In Stone。
・Nothing’s Carved In Stone
ゲストはNothing’s Carved In Stone。昨年アルバム「By Your Side」をリリースして回った若手バンド中心の対バンツアーにSuspended 4thを招いているだけに、あまりにも大きいお返し出演となる。
18時ちょうどになると場内が暗転してメンバーが順番に登場。大喜多崇規によるトライバルなドラムの連打から、「By Your Side」のオープニング曲である「Who Is」で始まると、もうそれぞれの演奏のキレ、バンドのグルーヴは抜群。観客のノリもゲスト側としての出演とは思えないほどであり、やはりNothing’s側のファンの方々も都内でこのキャパでライブを見れる機会を貴重なものだと思っているようだ。
村松拓(ボーカル&ギター)は
「渋谷、愛してます!」「踊ろうぜ!」
と煽りながらも「Spirit Inspiration」などの発音の良過ぎる英語歌詞の歌唱はどこか浮遊感のようなものを感じさせる。序盤から生形真一(ギター)とひなっち(ベース)はステージ前まで出てきて観客の目の前で演奏する。もうバチバチに気合いが漲りまくっているのは、Suspended 4thがどんなバンドなのかを知っているからだろう。
村松がギターを下ろすと、デジタルな同期のサウンドも流れる中で「In Future」「Bog (’19 ver.)」というハンドマイクで歌う曲を飛び跳ねまくりながら歌う。間奏でベースを弾くひなっちと向かい合ってベースをじっと見つめるというのもこの形態だからこそだ。
持ち時間が短いフェスやイベントなどでは5〜6曲くらいで終わってしまうために新作から1〜2曲と代表曲という感じになりがちなのだが、この日はガッツリ2マンということで、2016年リリースの「Existance」から「Honor is Gone」、2015年リリースの「MAZE」から村松の弾き語りのような形で始まってからバンドサウンドになるという形で演奏された「Milestone」という曲もセトリに並ぶ。
去年アルバムが出ていることを踏まえるともっと新作に寄ってもいいだろうし、ゲストという立場を踏まえるともっと代表曲が並んでもいいようなものだが、こうして幅広い年代の曲を並べることで、10年を超えたバンドの歴史や歩みを感じさせてくれる。何よりもこのバンドを目当てにきた側の人にとっては嬉しいはずだ。
なぜか村松がマイクを通さずに、なんなら近くにいる友達に語りかけるようにして、
「サスフォーは本当に凄い。でも負けられない。年甲斐がないって言われるかもしれないけれど、絶対に負けられない」
と胸の内を明かした。結成10年を過ぎ、それぞれのキャリアを考えると完全にベテランの域に入っているバンドであるが、
「もう若い人には勝てないわ〜」
と諦めるのではなく、今でもバンドとしての衝動を持ち続けていて、ステージに立っているうちは先輩や後輩という立場ではなく、同じロックバンドとして対等に接している。
だからこそ、村松は昔に比べたらおっさん感を感じるようなMCをすることも増えたけれど、ナッシングスはバンドとして丸くなったりということを一切感じさせない。常にロックバンドとして尖り続けている。だからこそ新作のツアーでもサスフォーなどの勢いのある若手バンドとやろうと思ったのだろう。
そんなバンドにとっての原点と言えるような、1stアルバム「PARALLEL LIVES」の1曲目収録の「Isolation」ではメンバーが大喜多のドラムセットの前で向き合うようにして音を鳴らすと、それが激しくぶつかり合いながらも一つの大きな塊として調和していく。
そしてこのバンドの演奏力だけではない、メロディそのものの美しさを感じさせる「Like a Shooting Star」から、生形の刻むギターの音が同期のサウンドと混ざっていき、間奏のおなじみのダンスタイムではひなっちがドラムセットに寄っていくと、立ち上がった大喜多とハイタッチするという遊び心も見せてくれる。そこにはこの凄腕メンバーの揃うバンドでともにリズムを刻み続けてきた絆のようなものを感じさせた。
そして、
「最高の夜になりますように」
と言って最後に演奏されたのは「Music」。
「僕らが鳴らすミュージック
いつか誰か救えるような
僕ら不意に不安になるけど
大丈夫僕らは共に行ける」
というフレーズは、これからもこのバンドが変わることなく音楽を奏で続けていくという意志を示していた。
はっきり言って、普通の若手バンドならNothing’s Carved In Stoneを2マンのゲストには呼ばない。勝てるわけがないからだし、なんなら自分たちのライブが物足りなく感じてしまうかもしれないくらいに凄まじいライブバンドだからである。
でもサスフォーはこのバンドをツアーファイナルのゲストに招いた。それは以前に自分たちを呼んでもらえたからというのもあるだろうけれど、そうした怪物クラスのバンドの後に自分たちがライブをやることによって、自分たちを追い込もうとしている。
あえて高すぎるような壁を目の前にすることによって、自分たちもさらに高い場所へ登ろうとしている。でもやっぱり簡単にそこを登らせてくれないな、と思わせるようなライブをするのはさすがだし、音楽性というよりも「それぞれ単独でもスタープレイヤーなのにそんなメンバーが4人集まっているバンド」という点に両バンドの強い共通点を感じていた。
1.Who Is
2.Spirit Inspiration
3.In Future
4.Bog (’19 ver.)
5.Honor is Gone
6.Milestone
7.Isolation
8.Like a Shooting Star
9.Out Of Control
10.Music
・Suspended 4th
Suspended 4thはメンバー自身が楽器のセッティングとサウンドチェックを行なっていた。だがそれは割とよくあるというか、特にまだ小さいライブハウスを主戦場にしているような若手バンドは得てしてそういうものである。
しかしそれぞれがセッティングを終えると、Kazuki Washiyama(ボーカル&ギター)が
「じゃあちょっとやりますか」
と声をかけてジャムセッションが始まる。それぞれが顔を見合わせながらコードやテンポを変えていくのだが、土台になっているのは、名古屋の先輩である04 Limited SazabysのGENに
「本当にDennisっていう名前通りにデニスっていう見た目をしている」
と言わしめたDennis Lwabuのドラム。Washiyamaがそのドラムに合わせてギターを弾くと、Seiya Sawadaもその姿を見てカッティングを始め、Washiyamaは時折Hiromu Fukuda(ベース)の肩をポンポンと叩くとコードや進行が変わることを自身の弾くギターを見せることによって伝えていく。途中ではDennisが軽くボーカルも入れたりしていたが、もはや今のオーバーグラウンドなシーンのバンドではまず見ることができない(SPECIAL OTHERSはよくやっている)、それぞれが音と音で会話できるという本物のジャムバンドである。何よりもこんな極上のグルーヴを本編以外の時間で堪能できるというのは実にお得かつ贅沢に感じる。
Washiyamaがいったんステージ袖に捌けるも、3人はそのままステージに立ったままで少しの間BGMが流れてからWashiyamaがステージに戻り、
「ツアーファイナル。もう終わっちゃいますねぇ」
としみじみとしながら、いきなりのツアータイトルになっている「GIANTSTAMP」の演奏を始める。Washiyamaは歌い始めて割とすぐにギターのストラップを外してスタッフにギターを渡すと、マイクをスタンドから外してハンドマイクで歌い始める。フェスなどで見た時はこうした形で歌ったりしていなかっただけに、その日限りのジャムセッションと同様に、その日その時の状況やテンションでパフォーマンスを変えているのかもしれない。
しかしながら1曲目からコーラス部分で起きる合唱の大きさと、それがバンドの鳴らす音に乗った時のスケール感は、いきなり体が震えてしまうくらいのレベル。ただでさえ演奏力が凄まじいバンドであるが、観客の力すらも自分たちのライブ、音楽にしてしまうことができるというのだろうか。
Sawadaのカッティングギターが唸りまくる「97.9Hz」やFukudaの鬼のようなスラップがもはやベースの役割を超えているんじゃないかと思うような「BIG HEAD」と、それぞれの技量が凄まじ過ぎるし、弾いている姿が実に絵になるだけに、もう誰を見ていればいいんだろうかと思うことすらあるのだが、自身もミッシェル・ガン・エレファントのアベフトシのギターに強い影響を受けていることを公言しているSawadaはまさに新世代のギターの鬼と言っていいような存在だ。
なかなか今の若手バンドにおいて「ギターヒーロー」と呼べるほどに突出した存在もいない(個人的にはGLIM SPANKYの亀本寛貴はその位置にいると思う)という状況であるが、この男の存在は間違いなくこれから先のロックバンドのギタリストの価値観を変えていくだろうし、
「ギターの音がうるさくて聞けない」
という人すらいるという海外(日本でもそうかもしれないが)の若い人たちにすら、ギターという楽器はこんなにもカッコいい音が出せる楽器なんだぞ、ということを示すことができるんじゃないか、と思う。
「新曲やっていいすか!」
とWashiyamaが言ってから演奏された新曲は、
「死ぬまで踊ろう」
というようなフレーズがある通りのダンスロック。本当に新曲だよな?というくらいに客席は踊りまくるし腕も上がるしといった感じだったのだが、どうやらサスフォーの音楽、とりわけライブにおいては踊るというのはかなり重要なファクターであるというのがこの新曲や、踊ることを促すWashiyamaの言葉からも感じとることができる。
バッチバチの演奏に対してMCはかなり緩めというか、ジャムなどの内容をあらかじめ決めるようなことはせず、その日の状況やテンションで決めるように、MCの内容もきっと決めてないのだろうが、
「Nothing’s Carved In Stone先輩に(音楽で)殴られました(笑)
やり返したいんだけど、俺たちの力だけじゃ勝てそうにないんで、力貸してもらっていいですか?」
とイメージよりもはるかに謙虚かつ殊勝な言葉の後に演奏された「Rainy, Rainbow later」ではサビのタイトルフレーズをWashiyamaがほとんど歌うことなく観客に合唱させる。暖かい黄色の照明と相まって、いつか野外フェスの大きな会場でこの曲の大合唱が聴きたいな、とも思うけれど、Washiyamaは一度合唱を止めると、2階席にいる人たちにDennisの担当している高音コーラスパートを合唱させ、最後には1階のスタンディングでは主旋律、2階席では高音コーラスとわけて合唱させることによって見事なハーモニーを生み出す。これをその場の反射神経でやっているならば大したものである。
「ジャムりて〜」
と子供のように抑えがたい衝動をWashiyamaが口にしたことによって、「Vanessa」は曲前に長めのジャムセッションが追加される。ラテンなどの要素も感じられるだけにやはり踊れるタイプの曲であるが、ジャムという助走を追加したことによってさらに曲の爆発力は増しているし、ジャムでのメンバーそれぞれのソロを見ていると、本当にそれぞれのソロの演奏だけでも飽きることなく1時間くらいずっと見ていられそうである。
特にWashiyamaのギターはジャムだともはやギター&ボーカルの範疇を超えたレベルであり、時にはWashiyamaがメインフレーズを演奏して、Sawadaがそれにカッティングを被せるという構図になる時すらある。しかもWashiyamaはこのバンドではない場所ではベースを弾いているというのも驚きだ。
そしてFukudaがステージ前に出てきて超高速でベースを弾くと、Washiyamaがそこにギターを乗せてSawadaがそれに合わせることによって、一度聴いたら頭から離れないリフとなる「ストラトキャスター・シーサイド」へ。こんなインパクトが強いリフをイントロでしか使わないというのも凄いが、この全くもって単純な4つ打ちではない高速ダンスロックは今後、フェスなどで間違いなくキラーチューンになっていくはず。気づけばステージ上のメンバーもそれまでよりもはるかに体を動かしながら演奏している。
そうしてアゲまくっておきながら最後に演奏されたのは、じっくりと音を確かめるようなジャムセッションが加わった、「GIANTSTAMP」の最後に収録されている「think」。
「最後にアガるような曲じゃないっていう(笑)」
とWashiyamaは自虐的に言っていたが、アガるだけではなく、こうした聴きいるような曲を作ることができる、作ろうとしているバンドであること、そしてそうした曲をライブの大事な場所で演奏できるというのは非常に大きいバンドにとっての武器だと思うし、こうした曲をこれからも作ることによってWashiyamaのギタリストとしてだけではなく、ボーカリストとしての力の向上にも繋がると思う。
「アンコールでもう1曲、できたらもう2曲やるけど(笑)」
とこれが本当の最後の曲ではないことを事前に言ってしまっていたけれど。
アンコールではSawadaがコンタクトが外れた(トレードマークかと思っていたメガネは未着用。だからかより一層背が高く、スマートに見える)ということで他のメンバーより遅れてステージに現れると、FukudaがSilver Sun RecordsのTシャツを着ていることを観客にしっかりと見せながら、Nothing’s Carved In Stoneが出演してくれたことへの感謝を語ると、
「時間的に何曲やっていい?…2曲やっていい!?みなさん、あの人に拍手!」
と時間をオーバーすることの許可を出したスタッフへ拍手を促すと、本当にその場でやる曲を観客に募りながら(採用されなかったけれど)、結局は「アガれるやつを」ということで、自主制作時代の「KOKORO-DOROBOW」を演奏。
タイトルと歌詞からも察せられるように、おそらくは「ルパン三世 カリオストロの城」の銭形警部の名台詞が着想となっている曲であると思われるが、果たして今後こうした自主制作盤に入っている曲が日の目を見ることはあるのだろうか。ライブという場であればいくらでも演奏しそうな気もするけれど。
そしてWashiyamaは「まだ詳しく発表はできない」と言いながら、今年は日本の上から下までを巡ることを告げる。その終着点はまた東京らしいが、
「行政の許可があるからまだ発表できない(笑)」
と言っていただけに、普通のライブハウスのツアーではなくて路上ライブでのツアーということなんだろうか。今年、もしかしたら我々の住んでいる街の近くにサスフォーが路上ライブをやりに来るかもしれないし、
「名古屋に来た時に奇跡的に俺たちが路上ライブやってる時に声かけてくれたらめちゃファンサする。マイメンだからな(笑)
こうして来てくれたみんなの選球眼というか、音楽センスの素晴らしさをなによりも信頼してます!」
と路上ライブをやり続けることを宣言してから最後に演奏されたのは「INVERSION」なのだが、Washiyamaはサビの
「Don’t lend me bend my fire
Don’t lend me bend my feeling」
という象徴的なフレーズを全く歌わなかった。観客に歌わせていた。しかも
「自分のために歌え!」
と言って。それはバンド自身も、そして観客にも己の中にある炎や感覚を曲げないでくれという願いを込めていたのかもしれない。
そして「Rainy, Rainbow later」では野外フェスの大きな会場で見たい、と書いたが、この曲での大合唱は近い将来にこのバンドがアリーナやスタジアムに立ってこの曲で大合唱を巻き起こしている姿を瞬時に想起させた。
実際に目の前に立って演奏しているメンバーはキャパ500人くらいのステージの上にいる。でもその鳴らしている音からは、確かにここではないどこかの景色を想像させることができる。それはこのバンドの音楽やライブがこの規模で収まりきるようなものではないからだ。
この曲のMVの夜から朝に切り替わる最後のサビでそれまでより音階が上がる瞬間はまさに光が降り注いでいるかのようであったし、あまりのカッコよさに体が震えていた。演奏を終えたSawadaがギターを頭の上に掲げた姿は紛れもなくギターヒーローそのものだったし、最後にキメとしてWashiyama、Fukuda、Sawadaの3人が楽器を抱えてジャンプした姿は、このバンドがロックシーンの新たなヒーローであることを物語っていた。
今、このバンドはPIZZA OF DEATHに所属している。PIZZA OF DEATHのイメージと言えば、ハイスタを筆頭にやはりパンクというものだろう。
もちろんパンクの影響は受けているだろうし、この日も
「ロックバンドだから大人の言うことに逆らわないと」
と発言していたり、これまでにも明確に「シーンを変える」ということを口にしていたりと、マインドとしてはパンクスであるだろうけれど、このバンドの音楽性は決してパンクじゃない。そんなバンドとPIZZA OF DEATHが契約したのは、パンクかどうかであるかではなく、カッコいいバンドであるかどうかという点に尽きると思う。ハイスタも、WANIMAも、それ以外の所属経験のあるバンドもみんなカッコいいバンドだった。そのレーベルとしてのイメージを持ったまま、このバンドはシーンだけでなくPIZZA OF DEATHというレーベルの存在すらも変えてしまうだろう。もしかしたら、このバンド以前と以降でPIZZA OF DEATHからリリースするバンドの音楽性はガラッと変わっているかもしれない。
でもこのバンドにはそうしたレーベルがついているからか、近年の若手バンドにたまにいるような、ネットを駆使してバズを起こしたり、戦略的な活動をしていたりという部分は希薄だ。
それはもしかしたら今の時代に売れるためには必要な要素なのかもしれないが、みんながみんなそういうことを考えられるわけではないし、自分自身も必ずしもバンドやメンバーがそうしたことを考えなくちゃいけないことはないと思う。
何故なら、それよりももっと大事なものがあるから。それはやはりロックバンドとして、どれだけ良い曲を作って、どれだけカッコいいライブを見せることができるかということ。サスフォーを見ていると、やはり現場で強い奴らが1番凄いということを改めて思い知らされるし、その現場での強さでもって、もしかしたら今King Gnuたちがいるような場所までいけるんじゃないか、とも思わせてくれる。
こんなバンドがいるからこそ、やっぱり世の中のあらゆる音楽形態の中で、バンドというのが1番カッコいいと思えるし、それは決して時代遅れなんかじゃないと思うことができる。その火を、その感覚を死ぬまで曲げないように。
1.GIANTSTAMP
2.97.9Hz
3.BIG HEAD
4.新曲
5.Rainy, Rainbow later
6.Vanessa
7.ストラトキャスター・シーサイド
8.think
encore
9.KOKORO-DOROBOW
10.INVERSION
文 ソノダマン