本来ならば今年も各地の春フェスや夏フェスを巡り、2000年代を切り拓いたバンドとして堂々たる横綱相撲を見せてフェスを締めくくり、10月からは恒例の若手バンドをオープニングに招いたツアーをスタートさせ…という流れで来年の結成25周年イヤーへ弾みをつけようとしていたアジカンもまたコロナの影響によってライブが出来なくなってしまった。
そんな中でライブハウスのZeppグループが新しく立ち上げたオンラインライブシリーズ「Dive Connect」の第一弾アーティストとして配信ワンマンを開催することに。対バンツアーはほとんどが全国のZepp会場を廻るものだったということや、これまでに数え切れないくらいにZepp会場でライブをしてきたことを考えると第一弾としてはこれ以上ないくらいにふさわしい存在である。
開演時間の20時になるとオープニング映像からナビゲーターである大輔(アジカンもおなじみだったSCHOOL OF LOCK!の校長の遠山大輔)の前説が入り、このライブのスーパーサポーターという立場である、お笑いコンビかが屋の賀屋がコメント。賀屋はアジカンファンであるらしく、コントをしている時と比べると非常に表情が固く見えるのは緊張しているからか。それは好きであればあるほど好きな対象と一緒に仕事をするというのは緊張しても仕方ないものである。
大輔がバンド名をコールすると、打楽器の音がSEとして響くステージ上にメンバーが登場。しかし、この音、というかリズムは…と思っていたら、やはりそれは「新世紀のラブソング」の打ち込みのリズム。それをおなじみのサポートキーボードのシモリョー(the chef cooks meはアジカンのツアーにも出演予定だった)を加えたメンバーがSEからバンドの演奏による曲に変換していくのだが、ステージからのカメラが客席を映すとやはりそこは無人。それでもパーマに髭という子門真人スタイルなゴッチの歌い方などのパフォーマンスはいつものライブと変わらないように見える。
この曲がリリースされた時にそのポエトリーリーディング的なメロ部分と急激な転調によるサビという構成にファンは誰しもが驚き、とんでもない曲ができてしまった!と鼻息荒かったゴッチがデモを送るとしかしメンバーはほとんどノーリアクションだったという逸話を持つ曲であるが、その象徴的な転調部分でそれまでは薄暗かったステージに光が射し、
「不確かな思いを愛と呼んだ」
というフレーズはメンバーや我々が抱く、音楽という目に見えない、触れることもできない、人によって重要度が全く違うという不確かな存在そのものへの思いとして響き渡るし、
「さようなら旧世紀」
というフレーズとともに、こうして画面越しでしかアジカンの演奏する姿を見ることができないコロナ時代に別れを告げれたらいいのに、と思う。
そんな「新世紀のラブソング」からスタートするというライブの始め方はリリース当時はおなじみのものであったが、山田貴洋のベースのイントロとともにゴッチが
「フゥー!」
と叫んで始まった「遥か彼方」へと続くという流れはもうアジカンのライブを見始めてから20年近く経つが、それでも驚いてしまうような意外なものである。
そんな流れでのこの曲が、実に瑞々しくパワフルなメンバーの演奏と歌唱、コーラスによって鳴らされている。何よりもゴッチの歌声の伸びと声量は近年でもNo.1じゃないかと思うくらい。それは同時にこのライブを生で観れていないという悔しさも感じてしまうし、実際にバンドもこの世の中の状況でライブができない悔しさはあるだろうけれど、それよりもポジティブなエネルギーが音から溢れている。
アジカンというロックシーンにとって巨大な存在であるバンドがこうして配信という形でライブハウスのステージに立っているということ。その意味を誰よりもメンバーたちが自覚している。それがバンドの演奏をこの序盤の時点で観ていて泣きそうになってしまうくらいに輝かせている。
アジカンは映像作品で見ても素晴らしいライブだと思えるバンドであるが、かつての「Wonder Future」期のプロジェクトマッピングや、前回の「ホームタウン」ツアーでの映像との融合という斬新な演出がない、いたってシンプルかつストレートなライブからそれを感じることができる。
それはこの20年以上に渡る活動の中でいろんなものを背負ってきたというか、背負わざるを得ないような立ち位置になったアジカンが、背負えるだけの強さを持ったバンドだということを何よりも雄弁にその音が物語っていた。(それはもちろん「ホームタウン」の制作におけるロックバンドとしてのサウンドの刷新という取り組みもあってこそのものであるが)
ラスサビ前にはゴッチがメンバーの呼吸を合わせるように「ワン、ツー!」とカウントすると、アウトロのブレイク部分では喜多建介(ギター)も酒とタバコによって作り上げられたという「ドブ声」ハイトーンで叫ぶ。まるで20歳くらいでメジャーデビューしたばかりのバンドの配信ライブを見ているかのようだが、衝動はあれど粗さはない。確かな技術と積み重ねてきた経験がそこかしこから伝わってくる。
さらにノイジーなギターによる「未来の破片」という初期曲の連打はデビュー時は「エモーショナルなギターロック」という枕詞がよくついていたなぁということを思い出させてくれるが、この曲の歌唱時にこんなに声がしっかり出ているゴッチは実に久しぶりだ。というかこの曲が演奏されること自体がそもそもちょっと久しぶりなのだが。
ゴッチのボーカルはファルセット部分と張り上げる部分の切り替えも素晴らしいが、アウトロに入る前にさらに気合いを入れるように叫んだゴッチの表情は満面の笑み。自身はもちろん、バンドがここに来て非常に良い状態にあるということへの手応えと、アジカンというバンドとメンバーの存在に誇りを感じているのだろう。そのメンバーが暗めの照明の中で微かに光るのが実にカッコいい。
イントロでゴッチがまた「ワン、ツー」とカウントして始まったのは「ソラニン」。普段のライブではこのイントロ部分が演奏されるだけで歓声が起こる曲であるが、それがないというのがこのライブが無観客であるということを思い知らせてしまう。
かつて横浜スタジアムで記念ライブを行った時の人気投票で見事1位に輝いた曲であるが、今またそうして人気投票ライブをやってもこの曲が1位になるのだろうか。当時は「他に良い曲とか普段ライブでやらない名曲とかいっぱいあるのに!」と結果にゴッチ並みに捻くれた思いを抱いていたが、それは歌詞を書いたのがゴッチではなく、当時の冴えまくっていた新たな日本語表現を果たしていた曲たちとのギャップが強かったからでもあるのだけど、そのゴッチではなく「ソラニン」の原作者である浅野いにをが書いた
「たとえばゆるい幸せが だらっと続いたとする
きっと悪い種が目を出して もうさよならなんだ」
という歌詞は、どうしたってコロナ禍に陥る前の、当たり前のようにライブを観に行けていたゆるい幸せな日々を思い返さずにはいられない。
そういう意味では、今ならばこの曲が人気投票の1位になることをしっかりと認められるような気がする。シモリョーの強めのピアノの音と喜多のノイジーなギターの絡みが切なさを増幅させる今のアレンジも相まって。
「こんばんは、ASIAN KUNG-FU GENERATIONです」
とゴッチが挨拶すると、
「ここはZepp Yokohamaっていう新しいライブハウスで。照明さんとか音響さんとかのライブスタッフの方々はいるけど、観客はいません。
色々と仲悪くなったりとか、アルバム売れねーなって思うこともあったけど、観客のみんなのことを見ることで息を吹き返していたというか。
誰も聴かなくても音楽をやるかって言ったら俺は100%そうとは言えなくて。誰かにいいねって言ってもらえたりするのが何よりも嬉しいから。
コロナとか、クソみたいなことに抗うために表現はあるんじゃないか。心が折られないように音楽や絵画があるんじゃないか。希望を持って、距離感を保ちながらね。
でももしかしたら普段はライブに行けないような田舎町に住んでる人も配信であることによって初めて俺たちのライブを観たりできてるかもしれないからね」
とゴッチが語ると、画面後ろに映り込んでいた伊地知潔(ドラム)は深く頷いていた。
文化や芸術や表現。アジカン(特にゴッチ)はそういうものの素晴らしさや美しさを伝えるための活動もしてきた。(ソロ活動や様々な世界で活躍する人とのトーク、さらにはそれをFUTURE TIMESで紹介したりなど)
それだけに、こうしてライブハウスのステージに立って配信ライブをやることがそうした表現やそれに携わる人たちが死なないことにつながる。アジカンがそれをやることによって一つの流れが生まれるという思いも間違いなくあるはずだ。
そんなゴッチのMCの後に演奏されたのは意外すぎる選曲と言える「ブラックアウト」。しかしサビの、
「今 灯火が此処で静かに消えるから
君が確かめて
ただ立ち尽くす僕の弱さと青さが
日々を駆け抜ける
そうさ 何度も」
というメッセージをバンドが伝えるための選曲なんじゃないだろうか、とも思えたし、歌詞だけでなく潔のリズミカルかつダンサブルなドラムが実に心地良い。喜多はアップになるとマイクを通さずとも歌詞を口にしているのがよくわかる。そしてゴッチは抱えた思いを放出するかのように間奏で「オー!」と叫ぶ。
余談であるが、この「ブラックアウト」はもともとアジカンが主催していたNANO-MUGEN FES.のコンピレーションアルバムに収録されていた曲。なかなかそのコンピレーションアルバム収録曲はライブでは演奏される機会がないが、「十二進法の夕景」「夏蝉」「夜のコール」などシングル曲にしなかったのが不思議なくらいに名曲揃い。
それだけにそれらの曲をメインに据えたライブを観てみたいし、何よりも今や当たり前となったアーティスト主催フェスをAIR JAM以降に定着させたのがNANO-MUGENだったし、海外アーティストのライブをあのフェスで初めて観たという人もたくさんいるはず。今やったらアジカンはどんなアーティストを呼ぶんだろうか。メンバーの労力はとんでもないものがあるのは想像に難くないけれど、自分はずっとまた開催される日を待っている。それくらいに思い出や思い入れもあるフェスだから。
イントロのセッション的な演奏の潔のドラムパターンに少し変化を感じる、というのはDragon Ashの桜井誠とともにすっかり「料理人ドラマー」という立ち位置を築き上げながらも料理だけでなく、アジカン以外の場所でドラムの腕を磨いてきたからであるというのがよくわかる「ブルートレイン」では間奏で向かい合ってギターを弾くゴッチと喜多の表情が凄く楽しそうで、喜多は得意の片足上げ奏法までもここで披露。
「日々に潜む憂鬱
それすら消えて無くなってしまうまで
生きたい…」
という歌詞は本当にその通りだよな、とこんな時代や世界だからこそより強く思う。
さらには「或る街の群青」というまさかの選曲が続く。重厚なアンサンブルがバンドの状態の良さによってより頼もしく聴こえるが、先月に「アジカンがロッキンの大トリだとしたらの妄想セトリ」というのを自分はツイートしたのだが、その中にこの曲を入れた。それはこの曲の
「セカイヲカエヨウ
ソコカラナニガミエル?」
というタイアップ作品ともリンクしたフレーズが、今の世界の状況の中で最もハマるものだと思っていたから。
アジカンのメンバーたちがそのツイートなんかを見ていたなんてことは全く思っていないけれど、もしメンバーたちもこの曲の歌詞は今この状況でこそ歌われるべきであると思っていたんならそれは本当に嬉しいことであるし、こうして久しぶりにこの曲を聴けたというだけでまた明日からも、何処までも行けるよ。
「辛いよ辛いもう現実と理想の境目で僕らの
夢、希望、その類 砕けた幻
痛いよ痛いもう現実を受け止めたあの日の僕らの
こころの片隅 浮かんだ面影」
というネガティブさを感じるようなフレーズがサビの開けたメロディでポジティブに転化していくのは「無限グライダー」であるが、「ブラックアウト」や「或る街の群青」が久しぶりに演奏された曲とはいえ、シングル曲だったりMVがある曲だったりすることを考えると、ファン心理的に演奏されて1番嬉しい曲はアルバム曲という立ち位置であるこの曲かもしれない。名盤「君繋ファイブエム」の収録曲の中では演奏される頻度としては高い方の曲ではあるが。
イントロの潔のドラムのアレンジが少し変わったような印象を受けるのは、サポートメンバーのシモリョーが自身のバンドでカバーもしている「踵で愛を打ち鳴らせ」。
ゴッチのシャウトの伸びは後半になっても素晴らしく、光射すサビの照明と曲のメッセージがメンバーの持つ希望を強く感じさせる。
かつて若手バンド主体のアジカンのトリビュートアルバムが出た時にメンバーも
「この曲こんなに良かったんだ」
と、それぞれが再構築した自分たちの曲の魅力に改めて気づいていたが、近しい存在であるシモリョーがカバーし、それをライブでも演奏して、観客がそれを歓迎している光景を見て改めてこの曲の魅力に気づいた部分もあったのだろう。そういう意味ではこの曲はこれからもライブで聴ける曲になるだろうし、聴くたびにやはりMVのゴッチの軽やかなダンスステップを思い出す。
ゴッチの唐突な歌い出しから始まる「荒野を歩け」では喜多のギターソロが炸裂。まさに顔で弾くというギターであるが、その顔はやはり笑顔であるというのが実に嬉しい。
それは喜多に限った話ではないが、アジカンのメンバーがこうして笑顔で演奏している姿が何よりも嬉しいのは、決して笑顔で演奏できているような時ばかりではなかったのを見てきたから。明らかにメンバー間がギスギスしていたり、長すぎるツアーのスケジュールに疲弊していたり…。それでも決して止まることのなかったアジカンがこうして笑顔で演奏している姿を見ると、こちらもそうならざるを得ないし、笑いながら泣いてしまいそうになる。
「いつしか僕らの距離は狭まって」
「思わぬ未来が呼んでいる」
というフレーズのとおりに、距離感をキープすることなくアジカンのライブが見れるような未来が少しでも早く来ることを願ってやまない。
ゴッチが自身以外のメンバーを紹介すると、喜多と山田もゴッチの歌う
「We are all only. We are not the same」
というフレーズにコーラスを重ね、どこかライブのクライマックスというか締めの時間を感じさせるような空気の中で演奏されたのは「ボーイズ&ガールズ」。
ベテランとしての風格を感じさせるどっしりとした、慈悲深さやたおやかさすら感じさせるバンドの演奏に乗せてゴッチは笑顔で
「まだ始まったばかり We’ve got nothing」
と歌う。まさにアジカンは20年の歴史があってもまだ始まったばかりというのを示すように演奏できる喜びを爆発させるようなアウトロ。勢いよく走り出せるようなタイプの曲ではないけれど、これから先もアジカンと一緒に生きていけると思いながら歩き出せるような。そんな曲が近年のアジカンから生み出されたという事実が、アジカンがこの先に生み出す新曲への期待を募らせる。何よりも、早くまたライブという場でこの喜びや感動を共有したくなるのだ。
メンバーがステージから去ると、喜多&山田コンビとかが屋の賀屋によるトーク。3人はずっとこのライブをスタジオから見ていたとのことで、
賀屋「建さんがステージの前に出てギターを弾くんだけど、観客いないからすぐ戻るみたいな(笑)」
とお笑い芸人としてというよりもファン代表としてという立場での賀屋のコメントには視聴者も強く共感していたはずだし、その賀屋は小学5年生の頃に兄が聴いていたラジオから流れていた「君という花」でアジカンと出会い、1番聴いたアルバムは「ワールド ワールド ワールド」、その収録曲の「新しい世界」をネタ合わせでカラオケに行った時によく歌っていたことによって相方の加賀もアジカンを聴くようになったという。
この日はライブ中にチャットによる視聴者のコメントも流れるようになっていたが、そのコメントが最も沸いたのは「遥か彼方」「未来の破片」という序盤の流れであり、それは喜多&山田コンビが
「みんなが喜んでくれると思って」
という気持ちで組んだセトリだという。
そもそも最近はこの2人がライブのセトリを決めることが多く、ゴッチも基本的にはそこを委ねてくれるらしいが、そのゴッチという稀代のソングライターであり発言力を持つフロントマンがいるアジカンは、しかしゴッチだけだとしたら絶対に成り立たないというか、この4人の誰かがいなくなったら間違いなく終わるバンドだ。
自身が作曲する曲が近年では最も「アジカンらしい」曲(「オールドスクール」など)であるという、アジカンのど真ん中を誰よりもわかっている男である山田と、ゴッチがセトリから曲を削ろうとすると、
「この曲はファンがみんな聴きたがってるから削っちゃダメだ」
とファン代表としての感覚を持って意見できる喜多。支えるというよりかは、この2人がいることでアジカンは今もアジカンらしくいれる。2人がこうして話している姿を見ると改めてそう思える。
「なんかプロ野球ニュースのスタジオみたい(笑)」
「ゴッチがいつからオシャレになったか…。俺たちよりファンの人の方が詳しいかもしれない(笑)」
ともはや賀屋とどちらが芸人なのかというくらいにボケを入れまくる喜多は来年以降のバンドの展望について聞かれると、
「結成25周年を祝うお祭りをやりたいですね。ちょっと状況的にどうなるかわからないけど」
と答えた。大きな会場で、たくさんの人の前でアジカンが生み出してきた名曲を鳴らす。そんな、これまでにいろんな会場で見てきたそんな当たり前のことも、見るのが厳しくなってしまった。できることなら横浜スタジアムワンマン2daysのような、メンバーやスタッフ、周りのバンドマンとファン全員がアジカンが存在する喜びと尊さを分かち合う、そんな空間にいたいし、その瞬間を見ていたい。
そんなトークのラストは「この日もう一度見たい曲」を見るというコーナー。
喜多&山田「未来の破片」
賀屋「無限グライダー」
大輔「新世紀のラブソング」
というそれぞれの挙げた曲の中からチャットのコメントが1番速く流れたものを山田が判定して決定するという方式で選ばれたのは「新世紀のラブソング」。しかし「夏蝉」「長谷サンズ」などのやってないレア曲の名前が挙がっていたというのは、ファンみんなが聴きたい曲が他にもたくさんあるということであり、アジカンはそうしたシングル曲以外にもたくさんの名曲を生み出してきたバンドなのである。
最後にもう一度流れた「新世紀のラブソング」はそんなたくさんのアジカンへの想いが去来したこの日の配信ライブのエンドロールのようであった。
この日チャットなどでは「神セトリ」という声が上がっていた。確かに、まさかこんなキラーチューン連発のセトリを組んでくるとは思っていなかった。でも、いくらセトリが良くてもライブ自体の質が良くなければそれも台無しだ。
その「神セトリ」をどれだけ配信という生の振動が感じられない形で視聴者が満足のいくものにすることができるか。
アジカンはそこに真っ向勝負で挑み、自分たちが選んだ「神セトリ」を自分たちの力でより一層輝かせていた。アジカンのこれまでの功績は数え切れないくらいにあるけれど、ただひたすらに曲が良い、その曲を素晴らしいパフォーマンスで届けることができるバンドであり続けることができている。今なおアジカンが巨大なフェスのメインステージにトリとして立ち続けることができる最大の理由はそれだ。
こうして配信ライブがメインになってきた日常において、何本も配信ライブを見てきたが、アジカンはその中で断トツにこれまで見てきた、共に生きてきた時間が長いバンドだ。
そんなアジカンがライブをする姿に、画面越しであろうと今も日々を生きる力をもらい続けている。アジカンのライブが見れるということで日々を頑張れるような気がする。そんな確信を得られた、素晴らしい配信ライブだった。
1.新世紀のラブソング
2.遥か彼方
3.未来の破片
4.ソラニン
5.ブラックアウト
6.ブルートレイン
7.或る街の群青
8.無限グライダー
9.踵で愛を打ち鳴らせ
10.荒野を歩け
11.ボーイズ&ガールズ
文 ソノダマン