メレンゲが新代田FEVERでライブを行った3月7日はギリギリまだライブができる状況ではあったが、他のアーティストは2月末の段階ですでにライブを中止したりしており、その日にライブを敢行したというのはメレンゲの「今は止まらない」という意思を示したものとなった。
それからおよそ半年経ち、メレンゲとともにボーカルのクボケンジもライブ再始動。半年ぶりとは言っても、長い活動期間の中で何年もライブをやらなかったこともあっただけに、そこまで久しいという感じはしない。
それでもやはり会場である青山の月見ル君想フはキャパを40人に限定し、普段は上から見下ろせる2階席はPAブースとして席はつくらず、そこから降りた1階にのみ椅子が少し感覚を置いて置かれているという形。もちろん入場時に検温、さらには来場前にメールで個人情報を送信することが義務付けられるという徹底っぷり。
相変わらず会場には40人中、男性が自分含めて5人しかいないという隠れキリシタンっぷりである中で、配信も同時に行っているという事情もあってか少し遅めの20時にクボケンジと、今や相棒としてすっかりおなじみのサポートキーボードの山本健太(ex.オトナモード)の2人がSEもなしにふらっとステージに登場。クボはハットを被っているのはいつも通りであるが、冬や春に見た時に比べると髪がかなり伸びているように感じる。
クボがアコギを手にすると、それを弾くというよりは優しく触れるように音を出して歌い始めたのは「再会のテーマ」。ソロのレパートリーとしてはおなじみの曲ではあるが、
「諦めてたんだ
もう会えないって思ったりもしたから
でも こうして会えた
ずっと思ってたからこうして会えた」
というフレーズを含めたこの曲の歌詞の全てが、このコロナ禍の状況を鑑みて書かれたかのよう。もうリリースされたのは12年も前であり、これまでにも久しぶりのライブで聴いたりした時には「こうしてまたクボが歌っている姿を見ることができている」というお互いの生の実感を確かめ合ってきた曲だが、そんな曲はこの状況下でまた意味が変わってきているというか、後半で山本がキーボードの音色を重ねてくると、ギターを爪弾くようになったクボもこれまでで1番この曲の歌詞を噛みしめながら、見ている人、聴いている人に伝えるべきメッセージをしっかり伝えるために歌っているように見えた。俺はこうしてステージに立って歌っているよ、と。
この会場の月見ル君想フはステージ背面に巨大な満月のオブジェが飾られているという、会場名に偽りなしのなんともムーディーかつロマンチックな会場であり、やはり普段から弾き語りやアコースティックなアーティストがライブを行っているのだが、メレンゲ(というかクボ)はこれまでに数多くの「夜」をテーマにした、そうした情景が聴いていると否が応でも浮かんでくるような曲を作ってきたアーティストである。
その「夜」をテーマにした最新の曲である、初恋のテサキ名義で発表された「星の宵」はやはりこの会場で聴くのが実に似合う曲であると同時に、ソロになるとメレンゲやその他の形態というボーダーは全て取り払われて1人のシンガーとしてこれまでに歌ってきた曲を歌う、というスタイルであることが感じ取れるのだが、曲間にはマイクに取り付けられた円形のアクリル板について、
「これがなんか…自分の顔が微かに映るのが嫌やな(笑)」
と歌っている時とは真逆と言えるようなことを言い出すような緩い空気がソロならではのMCである。
バンドにおいてもソロでもライブのレパートリーとしては定番と言える「ルゥリィ」は2人だけという編成だからこそ、山本のピアノの音色が主旋律として重要な役割を果たし、バンドバージョンではメレンゲをギターロックバンドとして定義するような名曲「声」も、この2人での編成だとまるでピアノシンガーのアルバムに入っていてもいいような、メロディの良さを最大限に引き出したアレンジになっている。
「水たまりに浮かぶ星 踏みつけて消えた
逆さまの向こうは 違う世界があるのかい?」
というこの曲の中で自分が大好きなフレーズや、サビの
「平べったい石を選んで 向こう岸に投げた
3回跳ねて 沈んだ想い」
というフレーズはまさにかつてキャッチコピーとされていた「純文学ギターロック」という言葉を証明するかのような、小説の一場面を切り取って曲にしているかのような見事さ。
そしてそうしたフレーズを歌うクボは髪が伸びてハットを被っていることによって、横顔が同じマンションに住んでいた、彼の最大の親友である志村正彦に実によく似て見える。去年はクボは志村の故郷であり富士吉田市のホールでこのソロ形態でライブを行ってフジファブリックの曲を歌い、志村の家族ともお会いして話しているということであるが、フジファブリックが今も3人で活動しながらキャリアを更新し続けていることに加えて、こうしてクボが歌い続けていることで志村の意志が継承され続けているような、そんな感じすらしていた。
クボが体調面に関して、
「前日とかに俺が熱出たりしたらライブが中止になってしまう。それは申し訳ないから」
と常に気を遣っていることを語ると山本は
「僕が熱出てライブ出れなくなって、もし中止になったら最悪じゃないですか。1人でもやるかもしれないけど、サポートメンバーの体調不良で中止とか」
と、今の情勢ならではのサポートメンバーという立ち位置の責任の重さを痛感しているよう。山本はかつてはアジカン、今やあいみょんやSuperflyにも参加しているという売れっ子サポートメンバーであるが、そんな位置にまで辿り着いてもこうしてクボと2人でライブをしているというのが本当に嬉しいし、頼もしいことこの上ない。
その山本がキーボードを弾きながら、左足でバスドラのキックのリズムも担うという離れ技をやってのけるのは、クボのソロCDに収録された「Highway & Castles」。高速道路を車で走るという情景はメレンゲの「バンドワゴン」で歌われていたものでもあるが、この曲では助手席に恋人を乗せて車を走らせているような絵が浮かぶ。それは力強さよりも繊細さを感じるクボのサビでのファルセットボーカルがそう感じさせるし、「Castles」はたまに高速道路から見えるホテルのことを指しているんじゃないだろうかという解釈を個人的にしているから。
この会場のある青山はザ・東京の都市というようなオシャレな店や企業が並ぶ場所であるが、そんな東京を感じさせるこの街に合わせた曲は「東京にいる理由」。曲自体は「出会いと別れの場所としての東京」を描いているが、クボ自身が今でも地元に帰らずにこうして東京にいる理由。それはこうしてライブをやるということがしたくて、それを見に来てくれる人が今でもたくさんいるからなんじゃないだろうかと思っている。
クボがギターを置き、山本のキーボードと歌だけという形で暗い照明の中で披露されたのはそうした会場の雰囲気が実によく似合う「流れ星」。クボはギターを弾かないだけに手を動かしながら歌うのだが、そのボーカルの安定感はいつにも増して素晴らしいものがあった。
なかなかライブをやりまくって体に叩き込んでいくというタイプのアーティストではないだけに、ライブの間が空いたりするとあまり声が出ていないこともあるのだが、この辺りは最近配信ライブを重ねてきたという積み重ねもあるのだろうし、体調に気を使いながらこのライブの時期に合わせて声を作ってきたというところもあるのだろう。この曲のように難しいハイトーン部分がこの日は実によく出ていた。
この日はもう9月半ばにもかかわらず都内は猛暑日となっていたこともあり、ソロのライブでは恒例のカバー曲として選ばれたのは、初恋の嵐の「真夏の夜の事」。
自分は初恋の嵐の西山達郎の存命中のライブを見たことがない。だから彼らしい歌い方や声というのがあまりライブという場ではイメージしきれないところもあるのだけど、クボがその儚さをふんだんに孕んだ声で歌うと、どんな曲でもクボの曲になるような。決してめちゃくちゃ歌が上手いというタイプのボーカリストではないのだが、
「これは想像のストーリー 意味などない
想像のストーリー」
というフレーズの声の張り上げようは実に見事であったし、どこかメレンゲの歌詞世界と通じるものを感じる。バンドとして付き合いがあるのはもちろん、そうした部分も選曲の理由なんじゃないかと思う。
ここでステージ下手にはクボのテサキこと、マネージャー兼弟子的な立場で近年のメレンゲやクボの活動を支える、ドラ氏が登場。バンジョーを持っており、山本が打ち込みのドラムのリズムを流し始めると、
「久しぶりの曲」
と言って歌い始めたのは「彼女に似合う服」(2006年の「星の出来事」収録)。
本っ当に久しぶり過ぎて、まさかこの日にこうして聴けるとは思っていなかった曲であるが、クボの声とアコギ、山本のキーボード&コーラス、ドラの高音部を担うバンジョーという編成は音源からしてアコースティック感の強いこの曲を再現するためであるかのよう。
個人的には学生時代の同級生がこの曲を好きだったことを思い出したりしたし、それは当時はまだメレンゲが期待の若手バンドとしてフェスやイベントなどにもよく出ていたということもあり、存在を知っていたり、聴いていた人もたくさんいたということでもある。
「どうでもいいやりとりが でも今日でついに宝物
別れ際 驚いた そんな服を着てたんだなぁ
僕らは今日さよならだ 泣いて笑ってもこれが最後だ
別れ際 おそいけど その服とても綺麗だよ」
という別れの瞬間を描いているにもかかわらず、切なさや悲しさのないポップソングになっているあたりが実にメレンゲらしいというかクボらしいというか。なかなか他の人ではできないアプローチの曲であるというのはリリースから15年近くなった今でも改めて思う。
「僕らはなかなかライブでシングル曲をやらなくて。シングル曲ってめちゃくちゃ力入れて作ってるから、歌ったりするのがキツくて…」
という話をしただけに、てっきりメレンゲのシングル曲、しかも歌うのがキツいというと「クレーター」あたり?でも流れ的には「アオバ」や「すみか」?と思っていたのだが、そんな流れで歌い始めたのは全然シングル曲ではない「hole」。
ドラはバンジョーをエレキに持ち替えているのだが、ノイジーにかき鳴らすというわけではもちろんなく、フレーズをしっかり抑えるというエレキの導入の仕方。
「窓一つない真っ暗な部屋 どんな声も届きそうにない部屋
朝も夜も
手を触ってよ そばに来てはくれないか」
というサビの歌詞がクボの抱える孤独を強く感じさせるが、このどうしたって夜を強く感じるライブハウスだからこそよりその歌詞がリアルに響く。明るい野外会場とかでやってもこうは響かないであろう曲なだけに。
「よく「東京」っていうタイトルの曲は良い曲しかないって言われてますが、僕の作った「東京」が1番良い曲だと思ってます」
とまたしてもこの青山の地の話をした後に演奏された東京の曲は、今度はストレートに「東京」。
「彼女に似合う服」と同様にこの曲も2006年の「星の出来事」に収録されていた曲であるが、当時はSNSと言えばツイッターやインスタではなく(その辺りはまだなかった)、mixiという時代であり、そのmixiに「「東京」っていうタイトルの曲は名曲ばかり」的な、「東京」というタイトルの曲をひたすら上げていくコミュニティがあった。
もちろん、くるりの「東京」や、当時はまだリリース間もなかった銀杏BOYZの「東京」など、様々なアーティストの「東京」という曲が並んでいたのだが、やはりそれらに比べるとメレンゲのこの曲はほぼ名前が出ることはなかった。
しかし、浮遊感のあるサウンドの上で
「夜光る街のプラネタリウム
導火線みたいな道
よそ者が集って愛を歌う
あわよくば奇跡を待ってる
ここは東京 ステレオのバイパス
そこで妄想 すべてうまく行く」
と歌うこの曲は東京ではない地方から東京にやってきて暮らし始めた時の心境を実に詩的に捉えていると思う。こうして東京で今もこの「東京」という曲を歌う姿を、東京にやってきた頃のクボ青年はイメージしていたのだろうか。
クボがギターを置くと、ドラのギターと山本のキーボード、さらにはキックという形で演奏されたのは、初恋のテサキ名義での「ロンダリング」。手を動かしながら、感情をたっぷり込めて歌うクボのボーカルはしっかりと伸びやかな声という形になって現れていたが、初恋のテサキ名義の曲はこうしてソロのライブでやる、という形になっていくのだろうか。
そして役目を終えてステージを去ったドラがまだ27歳と若いことに触れ、
クボ「若いから「今これ聴いた方がいいですよ!」みたいなのをしてきて欲しいんだけど、あいつも全然流行ってる曲とか知らないんだよね(笑)」
山本「落ち着いてるからあんまりそんな感じしないけど、10歳も年下なんだよなぁ。ちょっとショック(笑)」
と、ドラの若さへの捉え方が違うおじさん2人で演奏されたのは、メレンゲのライブでもクライマックスを担うことの多い「クラシック」。
この日は歌詞をご当地に変えることの多い
「公園を抜けて
東名を越えて
極東の先のあの宇宙ヘと」
というフレーズはこの日はそのまま歌われたが、その後の
「oh oh oh oh」
というコーラスは普段だったら数少ない、観客も一緒に歌うことができるパートだ。今はまだそれができる状況ではないけれど、主張が全然強くないというか、控え目な方々が集まるメレンゲのライブで主体的に一体感を感じられる瞬間というのはあまりない。でもそれが、普通に生活しているだけではまず出会うことのない、メレンゲを聴いていて、こうしてライブを観るのが楽しみで生きている人たちの存在を確かめることができる瞬間になる。
クボの話に笑ったり、この曲のイントロで手拍子を叩くだけじゃなく、一緒にこのコーラスを歌えるようになる日が早く戻ってきて欲しいと切に願う。
アンコールでクボが先に登場し、トイレに行っているという山本を待ちながら、
「何の曲やろうかな。リクエストだとまたグダグタになるからな(笑)」
という間に山本もステージに現れて演奏されたのは4月に配信リリースされた、メレンゲとしての最新曲「アイノウタ」。
かねてからソロでもライブでは演奏されていた曲ではあったが、クボはこの曲をライブでやり始めた頃、新曲がなかなか作れないと話していた。というよりは曲ができたとしても、それをメレンゲという、聴き手の思い入れが強すぎるバンドの新曲として発表することに対する逡巡があったのだろう。
でもこうして会えない期間が生まれてしまったことで、メレンゲの本当に久しぶりの新曲としてこの曲は我々の元に届いた。
「奇跡ではなくても
僕らはここにいる
同じ夢を見たいだけ 君と一緒にさ」
というフレーズは我々ファンやメレンゲとしてステージに上がるメンバーたちに向けられているようでもあるが、もっと身近にいる人へ向けてのラブソングであるようにも聴こえるし、かつてもたくさんの名ラブソングを作ってきたバンドではあるけれど、それらが文学としてのラブソングだったことに比べると、この曲はそうした童話性やフィクションのない、ストレートに自身の心情だけを歌詞にしたかのようだ。
これから先もメレンゲとしての新曲が生まれるのかはわからないけれど、もし聴けるとしてもそれはこれまでの曲とはまた少し違うものになるような気がする。というか、今のこの状況を経験して変わらないわけがないというか。きっともう前のようにアニメや映画のタイアップがつくことはないだろうけれど、それでもメレンゲの新曲を待っている人はたくさんいる。
さらなるアンコールでやるだろうと思っていた、この会場でやらずしてどうするんだ、という「ムーンライト」は翌週のバンドでのライブで、ということになるのだろうか。
本来ならば今年の9月にはクボの地元である、兵庫県宝塚市のホールでのライブが予定されていた。今まで地元でライブをやったことがないクボの、はじめての凱旋ライブ。それは自分が音楽をやっている姿をその地に刻むと同時に、自分が育った場所をファンにも見にきて欲しいという側面もあったはずだし、それは自身が志村正彦の地元の富士吉田市でライブをしたり、フジファブリックが山内総一郎の地元である大阪城ホールでライブをやったりということも強く影響しているはずだ。
でもやはり、それはできなくなってしまった。いや、ライブをやるだけならやろうとすればできるかもしれない。でもそれだとファンを連れて行くことはできない。だから今はやらないということにした。
「周年ライブっていうわけじゃないから、来年とかにまたできる」
と山本との会話で口にしていたが、それは長年メレンゲを聴き、ライブに通ってきた身としては絶対に行かないといけないと思っている。それがいつになるかはわからないけれど、こうしてクボが歌い続けてくれてさえいれば、いつか必ずその日は来る。
もう今やメレンゲやクボがこうして有観客ライブをするようになっても、音楽ニュースに載ったりはしないだろう。公式や本人のツイッターなどを見たファンが来る、というくらいの感じだ。
でも、世の中には小さいライブハウスでライブをすることがニュースにならないアーティストもたくさんいる。というかむしろそういう人の方が多いかもしれない。そういうアーティストたちはメジャーにいて、大きな会場でワンマンをやる人たちに比べたら、もともと音楽だけで生活しているわけではない人もいるはず。
そういう人たちがこうして観客を入れてライブをすることが当たり前のようにできるようになる。それがライブがある日常が戻ってきたという感覚になる。まだこうして歌える場所があって、歌って生きていくという意志を感じることができる。それが感じられたのが何より嬉しかったし、こんな状況だからこそ、何度となく止まっているように見えたクボもメレンゲももう止まることはないんじゃないかと思える。
1.再会のテーマ
2.星の宵
3.ルゥリィ
4.声
5.Highway & Castles
6.東京にいる理由
7.流れ星
8.真夏の夜の事 (初恋の嵐のカバー)
9.彼女に似合う服
10.hole
11.東京
12.ロンダリング
13.クラシック
encore
14.アイノウタ
文 ソノダマン