昨年末の12月16日という本当に年内ギリギリに待望のフルアルバム「millions of oblivion」をリリースしたロックンロールバンド、THE PINBALLS。
9月には過去曲をアコースティックアレンジしたアルバム「Dress Up」のリリースもあり、そのリリースライブを普段のライブハウスとは異なる会場で行っていただけにこのコロナ禍の中であっても止まっている感じはしなかったが(もともとライブ本数もそんなに多くないバンドなので)、アルバムのリリースツアーもこの緊急事態宣言下であっても開催。
もともとがキャパの小さい(かつステージが見づらいことでもおなじみ)千葉LOOKであるが、検温と消毒を経て場内に入ると、客席最前エリア(詰めれば5列くらい)は入れないようになっている。これはステージ上から客席への飛沫からの距離を取るためだろう。ソールドアウトしていてもおそらくキャパは60人くらい。長い年月、「千葉のライブハウス」と言えばLOOKというくらいに、今でもMONOEYESや10-FEETがワンマンを行っている老舗ライブハウスがこうした対策を施してライブを止めないようにしている動きには数え切れないくらいにここでライブを観てきた千葉県民(THE PINBALLSのライブもここで何回も見ている)としては感じ入るものがある。
18時前になると、千葉LOOKのサイトウ店長によるユーモラスな前説(前まではライブハウス内で吸えたタバコが吸えなくなったので、再入場可能としており「外に出て何百本でも吸っていいので」など)。
こうした店長の人格が「ツアー初日は千葉LOOK」(巨大ポスターを建物に貼ってもらえることも含めて)というツアーバンドの常識を生み出してきたんだろうなとも思う。
18時少し過ぎに場内が暗転し、SEのThe Sonics「Have Love, Will Travel」が流れる。The SonicsはTHE BAWDIESがバンドを始めるきっかけになったバンドであるが、こういうところからもやはりTHE PINBALLSもロックンロールバンドであることを感じさせるし、ツアー初日という旅立ちの日であるからこそこのSEを聴くだけでバンドの新たな始まり、何よりも久しぶりに通常の形態のTHE PINBALLSのライブが観れるということに胸が高鳴る。
石原天(ドラム)を先頭に森下拓貴(ベース)はサングラスをかけ、鮮やかな中屋智裕(ギター)は派手なシャツを着て、最後にステージに現れた古川貴之(ボーカル&ギター)はフォーマルな3人に比べると1人だけカジュアルな服装なのだが、黒や金などよく色が変わる髪が赤く染まっていることに少し驚く。かつてのビシッとしたスーツで揃えたビジュアルからどんどん解き放たれて自由になっているかのような。
1曲目、重心の低いロックンロール「ニードルノット」は「millions of oblivion」収録曲にしてアニメ「池袋ウエストゲートパーク」のタイアップ曲。最初にそのタイアップのニュースを見た時は、「劇場支配人のテーマ」的なアッパーなロックンロールになるのかと思っていたが、その予想は心地良く裏切られたような形であった。それはかつてのドラマ版の「池袋ウエストゲートパーク」の主題歌のSADS「忘却の空」のイメージが色濃いからでもあるだろうけれど、中屋が早くも台の上に立ってクールながらも激しく頭を揺さぶりながらギターを弾くが、まだどことなくぎこちなさというか、バンドだけでなく会場全体にどこか緊張感のような空気が強く感じられる。
そんな緊張感を爆音のロックンロールで吹き飛ばさんとばかりの「神々の豚」と、やはりリリースツアーということもあって「millions of oblivion」からの曲を続けるという立ち上がり。タイトルからしても社会性を強く含んだダークなロックンロールであるが、今やライブの定番曲の一つとなった「アダムの肋骨」では早くもサングラスを外した森下がアンプの上に立つと左足を楽器のスタンドにかけて、ステージが低い千葉LOOKでも全員がハッキリと見えるような高い位置でベースを弾く。最初の2曲はまだライブで演奏するのがこの日が初めてな曲ということで少し探り探りなところもあったが、やはりこの曲はライブ慣れしているからこその解放感をメンバーの演奏から感じることができる。
そんな中でシングル曲としてリリースされた「Lightning strikes」はこのバンドの中ではコンセプトから解放されたストレートな曲であるが、だからこそ音源よりもはるかにライブで鳴らされるのが化ける曲であることがよくわかる。そこまで定番というような曲には至っていないけれど、このツアーが終わる頃にはそうしてライブに欠かせない曲になっている予感がする。
そんなロックンロールな流れから一転してポップなサウンドに転じるのは「millions of oblivion」の中でも重要な位置を担う「放浪のマチルダ」。そのマチルダという女性のパーソナリティーはアルバムの初回盤付属の古川の詩集を読むことによってさらに想像が膨らむとともに、古川には当然バンドをやりながらであっても小説を書いてもらいたいと思うし、この曲のテーマでもある「旅」はバンドにとってはこの日から始まるツアーそのもののことである。
古川がこうしてこのコロナ禍でライブを開催したこと、そのライブにこうして来てくれた人に対して、
「来るっていうことだけが正解じゃないかもしれないけれど、今までのライブよりも確実に一個決断をして来てくれたみんなに本当に心から感謝してる。本当にこうして来てくれて嬉しい!」
と、決して上手いことやまとまったことをMCで話せるわけではない古川なりに会場にいる観客への感謝を口にすると、「millions of oblivion」の中でもミドルテンポの「ストレリチアと僕の家」から、シングル「Primal Three」収録のレア曲「花いづる森」と聴かせるタイプの曲が続いたのはやはりアルバムの流れを増強、補完する狙いがあったからだと思われるが、続けて演奏された、
「僕が とても好きだった夜の街の風景のような心で 歌う人がいる
朝を まだ遠くに眺めながら 僕は聞いた
凍るようなその手のひらで 微笑む人がいる
ロックンロールに 人々は踊った そしてロックンロールに 眠る王たちよ
ロックンロールに 人々は踊った そしてロックンロールに 眠る王たちよ」
という「ニューイングランドの王」のフレーズは今まさに歌っているTHE PINBALLSのバンドそのものが歌う人であり王であり、そのバンドが鳴らすロックンロールに踊った人々こそが我々であるというように聴こえざるを得ないが、そう聴こえるのもこの状況の中でTHE PINBALLSがライブをしてこの曲を鳴らしているからこそだ。
「(baby I’m sorry) what you want」という珍しい選曲も含めて、久しぶりの通常のバンド編成でのライブであってもロックンロールの勢いで押し切るのではなく、メロディをしっかりと聴かせる曲を中盤部分に続けてきたのは、ロックンロールバンドでありながらもそのメロディこそがバンドの軸であることをメンバー自身が自覚しているからだろう。
そのメロディの伝え手であるのはもちろんボーカルである古川であるが、今メジャーのフィールドで活動しているロックンロールバンドのボーカリストたちに比べると、古川はそこまで濃いタイプのボーカリストであるというわけではない。もちろんその歌声のカッコ良さは疑いのないところであるが、「しゃがれた」や「ぶっとい」というような形容詞は古川には当てはまらないだろう。しかしだからこそロックンロールバンドの中で随一のメロディの美しさと、その上に乗るからこそしっかり噛み締めることのできるファンタジー色の強い歌詞は古川のその声質があるからこそバンドの武器になっているものだ。これまでのライブで最も聴かせる曲が多かったこの日だからこそそれをより強く感じることができたのだ。
それはアコースティックアルバム「Dress Up」では美しいピアノの旋律を加えたロマンチックな曲として生まれ変わっていた「欠けた月ワンダーランド」においてもそうであるが、星などの夜空がハッキリと見える冬の時期だからこそ、こうしてこの曲を聴くと今夜空にはどんな月が浮かんでいるのだろうかと思う。
「こういう状況だから、頼れる人がいるのなら頼った方がいいと思う。だから俺は石原に頼る(笑)」
と言うと、石原がブルースハープを吹き、古川の弾き語り(実際には古川もハープが吹けるので、ギターと歌も含めて1人でもできるらしい)的な形からバンドサウンドになり、さらにアウトロでは
「ジャンプしてもらいたいと思って作った曲は初めて。横に動いたりするのはダメかもしれないけど、上に動くのは禁止されてないぜ!みんな、飛び跳ねまくってくれ!」
と古川が言うくらいにリズムに合わせて観客が飛び跳ねまくるという同じ曲とは思えないくらいに激しい展開を見せる「惑星の子供たち」は「millions of oblivion」の曲だけに初めてライブで演奏する曲であるが、メンバーにはすでにライブで演奏した時の景色が頭の中に描けていたようだ。感情が表情に出やすい古川と森下は本当に楽しそうに自分たちも飛び跳ねながら演奏している。やはりバンドもこうして観客がダイレクトに反応を示してくれることで、生きている、音楽をやっているという実感を得ることができるのだろう。
だからこそ、今までのライブでは森下が煽りまくることによって、観客からの声援や叫びも実に大きい(ライブDVDやライブ盤にはビックリするくらいに観客のそうした声が入っている)というのがTHE PINBALLSのライブであったのだが、そうしたコミュニケーションを取ることができなくても古川はMCで
「今までとは違うけれど、やっぱり楽しいし、全然こうしてライブをやっていけるって思った。それはみんなが思わせてくれたこと」
と口にした。やはり少なからず不安はあったのだろう。今までよりも楽しくなかったり、物足りないライブになってしまうんじゃないかと。しかしTHE PINBALLSはそれを自分たちの鳴らす音と、自分たちのことを信じてくれている人たちの存在によってそれを振り払うとともに、この状況でも前に進んでいけることを悟った。やってみるまではどうなるかわからなかっただろうけれど、こうしてライブをやると決めたことはやはり間違いではなかったのだ。
そのMCを経てから、石原のタム回しも見せる「統治せよ支配せよ」からは爆裂ロックンロールへと転じていくのだが、タイトル通りに真っ赤な照明がメンバーを照らす「赤い羊よ眠れ」、猟奇的ても言えるような「マーダーピールズ」と、「millions of oblivion」の収録曲たちが後半にさらに盛り上がっていく部分を担っていたのはバンドがリリースを重ねるごとに着実に進化している証であるし、この曲の歌詞を広げて映画になるような「ブロードウェイ」はテレビ東京のドラマのオープニングテーマにもなっているが、もっと壮大な、まさに長編映画のエンドロールに流れていてもおかしくないようなスケールを有している。こうしたライブハウスで聴くのが似合うロックンロールバンドであるが、この曲などはいつかホールなどでも聴いてみたいというバンドのさらなる可能性を感じさせる曲である。
そして「蝙蝠と聖レオンハルト」からはさらに加速して、森下と中屋が前に出てきて、さらに間奏では古川→中屋とギターソロをリレー形式で演奏するのだが、よく見ると中屋はクールなようでいて演奏しながら歌詞を口ずさんでいるのがよくわかる。口数は少ないし、そこまで感情を表に出すタイプではないが、こうしてライブで音を鳴らすことによって本人も自分の持つ普段とは違う一面を解放しているのだろうし、リリース時に「これは決定打的な曲がいよいよ来た!」と心の中でガッツポーズをせざるを得ないくらいに確信を抱かせたこの曲はもう間違いなくバンド最大の代表曲と言っていいだろう。この曲をテーマソングに使ってくれていた音楽情報番組はもう終わってしまったけれど。
THE PINBALLSはだいたいワンマンでは本編が15曲くらい、ましてや「蝙蝠と聖レオンハルト」で終わったとしても納得だし、緊急事態宣言下ではライブの時間を短くしているバンドも多いのだが、まだこれでは終わらず、もっともっとこの楽しさを分かち合いたいとばかりに、「ひとりぼっちのジョージ」を演奏することによって我々は1人ではないということをバンド側が示してくれると、
「どこまでも どこまでも
輝くものなんて どこにもなくても
行こう ただ流れ落ちてくる風を
頬にうけながら」
という歌詞がたとえ逆風が吹く中であってもバンドは旅をすることをやめないという意思表示のように、穏やかなサウンドでありながらもそこに込めた感情は力強さを感じさせる「銀河の風」と、一切出し惜しみすることなくこのツアーのために練習してきた、練ってきた曲を最大限に演奏すると、古川は以前いてもたってもいられずに池袋で1人弾き語りをしていた時のことを口にする。
「池袋で弾き語りしていたんだけど、誰も聞いてくれたり立ち止まってくれたりしなくて。それは音楽が悪いんじゃなくて俺が悪いんだよなと思って結構落ちたりしていたんだけど、ちょっと離れたところで女の子が俺の曲に合わせて踊っていて。その時に「ああ、間違ってないんだな。音楽やってていいんだよな」って思ったんだよね」
と話す古川は明らかに感極まりながら話していて、目も潤んでいるし、声も涙声になっていた。だからこそ聞いているこちらも涙を堪えるようにしてこのカッコいいロックンロールバンドに向き合わないといけなくなってしまうのだ。
「100万円貰えるとしても、そんなもんなんかよりこうしてあなたたちの前で演奏できることが何より幸せだ!」
と言って本編を締め括るように演奏されたのは「millions of oblivion」のオープニングナンバーである「ミリオンダラーベイビー」であった。THE PINBALLSのど真ん中と言うようなキャッチーなロックンロールは、こうして最後に演奏されるからこそ、THE PINBALLSというバンドが本当にカッコいいロックンロールバンドであるということを実感せずにはいられなかった。なんだかツアー初日にして早くもクライマックスを迎えたかのような空気が漂っていた。
中屋がジャケットを脱いだくらいですぐさま出てきたアンコールではまずは静謐な雰囲気の中で「millions of oblivion」を締め括る曲である「オブリビオン」を演奏。アルバムが「忘れていくこと」や「記憶」をテーマにしたものであるだけに、
「きっと何兆年も そして何光年も
離れていても 君を思い出せる
ような気がしている
たどりつけたら
大事な言葉を話したような
すれ違った日があったような
何かを思い出せるような
なつかしい気持ちが
ぼくらをめぐりあわすような気がする
どこかへ たどりつける
気がしてる」
というフレーズはこの物語のエピローグのようですらある。「オブリビオン」とは「忘却」の意であるが、こうしてこの日にTHE PINBALLSのライブを見たことは絶対に忘却することはできないだろう。そうしたライブで得ることができる「記憶」というものも含めてアルバムのメッセージなんじゃないか、だから今までよりも細かい場所を回っていくツアーを中止にも延期にもすることなくこうして開催したんじゃないだろうかと思える。
「新しいアルバムの曲をやっていたら、昔の曲もやりたくなってきちゃった!」
と古川がお茶目に口にしてから演奏されたのは「アンテナ」。やはり今と比べると荒々しいロックンロールという感じは否めないけれど、客席ではたくさんの腕が上がっていた。紛れもない名盤である「millions of oblivion」の曲をこうして初めて演奏しているのを見ることができているというのは実に幸せなことであるが、その幸せはこうして最新の姿を見せながらも過去の名曲を演奏してくれることによってさらに増幅していくし、結局はTHE PINBALLSが大事にしているものが長い年月を経てもずっと変わっていないということだ。
そして森下が前に出てきて手拍子を促すようにして最後に演奏されたのは「片目のウィリー」。自分がこのバンドと出会ったきっかけの曲であるが、ロックンロールバンドとして持ち得るキャッチーさ、旅に出るツアー初日の最後に演奏される曲としてこれ以上ないくらいにふさわしい曲。ステージ上で演奏するメンバーも、客席でそのメンバーの姿を見ている観客も、このバンドはこの状況でも、これから先も大丈夫だと思っていたはずだ。笑いながら、涙を流しながら。
THE BAWDIESはすでに有観客ライブをやっているし、a flood of circleやgo! go! vanillasもツアーを回っていて、ビレッジマンズストアはZepp Nagoyaでワンマンを行った。
ライブをやるのが必ずしも正しいわけではないかもしれない。でもこれまでに転がり続けてきたロックンロールバンドは止まることができないのだ。道が続いている限りは。客席の様子がどんなに変わっても、爆音でロックンロールを鳴らして歌う。THE PINBALLSもやはり変わらないロックンロールバンドであることを証明したツアー初日であった。
1.ニードルノット
2.神々の豚
3.アダムの肋骨
4.Lightning strikes
5.放浪のマチルダ
6.ストレリチアと僕の家
7.花いづる森
8.ニューイングランドの王たち
9.(baby I’m sorry) what you want
10.欠けた月ワンダーランド
11.惑星の子供たち
12.統治せよ支配せよ
13.赤い羊よ眠れ
14.マーダーピールズ
15.ブロードウェイ
16.蝙蝠と聖レオンハルト
17.ひとりぼっちのジョージ
18.銀河の風
19.ミリオンダラーベイビー
encore
20.オブリビオン
21.アンテナ
22.片目のウィリー
文 ソノダマン