個人的な今年のライブ始めになったのが先月の新木場STUDIO COASTでのSyrup16gのライブだった。
基本的に声を発したりはしゃいだりするような楽しみ方では一切ないシロップのライブは今が緊急事態宣言下であるということをその時間だけは忘れさせて、ただひたすらに音楽の中に入り込むようなものだった。
そんなシロップのツアーもこの日がファイナル。図らずも名前がUSEN STUDIO COASTに変わってからの柿落としとなった前回のこの会場でのライブも2days(自分が行ったのは2日目)だったが、このファイナルも同じく2daysでこの日が2日目。
接触確認アプリのインストールと検温を経てからCOASTの中に入ると、やはり前回と同様に床に番号が書かれた紙が貼り付けられており、そこに立って観るというスタイル。心なしか先月よりも階段を上がった後ろの方にまで人がいるという印象だ。
18時を少し過ぎると場内が暗転してSEが流れてメンバー3人がステージに登場。全員が黒い服で統一されているのは変わらないが、先月は鮮やかな金髪だった中畑大樹(ドラム)の髪色が青くなっている。最近だとストレイテナーのナカヤマシンペイも青く染めているが、この年代のドラマーたちのこの見た目から漂う若々しさはいったい何なんだろうか。
どうやら今回のツアーは初日と2日目でガラッとセトリを変えているらしいのだが、自分が参加したのは先月も2日目ということで、ともにいわゆるBパターン。なので流れ自体は先月と変わらないので、基本的にはその1月14日のライブレポを見ていただきたい。
とはいえツアーファイナルということもあってか、前回観た時よりも明らかに五十嵐隆(ボーカル&ギター)が声を張り上げて叫ぶように歌う瞬間が多くなっている。特にそれは序盤では「Good-bye myself」に顕著であったが、この日はライブを生配信しているというのも五十嵐の気合いを引き出す要素になっていたのだろうか。
淡い色の照明がメンバーを照らし出し、その姿と曲の歌詞から微かな、でも確かな薄っすらとした希望を感じさせる「You Say ‘No’」を演奏すると、曲間では声を出すことができない観客からのバンドへの感謝の証として大きくて長い拍手が向けられ、それをさらに煽るようにしてまずは中畑のMC。
「拍手の中に「髪の色似合ってるよ!」っていうメッセージを確かに感じてます!」
と全てをポジティブに捉えることができるというのはある意味では声が出せないことによる恩恵とも言えなくもないが、実際に登場時こそ若干の違和感を感じてはいたものの、この辺りではすでにすっかり見慣れた感じになっていたので、本人の言うとおりに似合っているのかもしれない。なぜツアー中のこのタイミングで染めたのかという理由は明らかにされなかったが。
転調を激しく繰り返す構成に中畑とキタダマキ(ベース)によるリズム隊の安定感を改めて感じる「哀しき Shoegaze」からの「I’m 劣性」では五十嵐がマイクスタンドから離れてギターソロを弾こうとした瞬間にギターの音が出なくなるというハプニングが発生。それでもリズム隊の2人は全く乱れることなく、少しも躊躇することなく曲を続けていたというのは慣れによるものなのかとも思うが、言葉にしなくても伝わるものがこの3人の間にはあるということだろう。
そのギターソロではすぐに復旧して音が出るようになったものの、「夢」においてもやはり途中でギターの音が出なくなってしまう部分があり、五十嵐は演奏後に
「ありがとう、ごめん!」
と言うと、MCでも
「今回のツアーはアンプやケーブルに嫌われてるのか、決めようとするところで決まりきらない(笑)」
とも言っていた。
その「決まりきらなさ」も実にシロップらしいとも言えるのだが、普通ならそうしてアクシデントが多発するライブというのは通常のライブに比べるとイマイチだったりすることも多いのに、シロップに関しては全くそんなことがない、むしろそれも込みでさらに良いライブになったとすら感じられるくらいだ。
それはシロップの音楽やライブが歌唱力やギターの演奏力がどうであれ、五十嵐隆が歌ってギターを弾いているということが何よりも大事な要素であるからだ。お世辞にも五十嵐はどちらも決して上手いというミュージシャンではないが、めちゃくちゃ歌が上手い人やめちゃくちゃギターが上手い人が代わりにステージに立って歌ったり演奏したりしてもシロップの音楽の良さは全く伝わらないだろう。
たまに「楽曲と人間は別物」なり、「作った人が歌うのが最高ではない」的な言説を見かけることもあるが、少なくともシロップに感じては五十嵐が作ってキタダと中畑が演奏するからこそこういう歌詞やサウンドになっているのだし、そのあまりにも五十嵐のものでしかない歌詞は五十嵐が歌わないとその魅力を感じることはできないだろう。
それはよく比較されていたART-SCHOOLの木下理樹もそうであるが、五十嵐や木下はどんなに声が出なかったりギターが弾けなくてもライブの良さを感じることができるという摩訶不思議な力を持ったアーティスト・表現者であるし、爽やかなイケメンで人望があって合コンの幹事をやって、みたいなタイプの人間とは真逆にいるような人であるし、そうした人が音楽を作ったとしてもきっとこの会場にいた人や配信を見ていた人には全く響くことはないだろう。シロップのような音楽が深く心に突き刺さっていて、だからこそこうして緊急事態宣言下の東京都内の会場までライブを観に来ているような人たちなのだから。それはきっとこれからの人生でどんなことがあっても決して変わることはないだろうし、それでも「ハピネス」であると感じることができるのだ。
そんな中、五十嵐がさらに歌に力を込めるように歌うことによって、先月聴いた時とはまた違った聞こえ方をした「Thank you」から、中畑もまた思いっきり手数を増やすというドラマーだからこその感情の込め方でファイナルへの餞とした「Your eyes closed」ではギターのトラブルは起きなかった。
トラブルが起きた時に気持ちを込めていなかったり散漫になっていたわけでは全くないというのはこの日の演奏のテンションを見ていればわかることであるが、このトラブルが絶対起きてほしくないタイミングではトラブルが起きないというあたりもまた、シロップらしい何か特別な力に守られているかのようだった。
アンコールでは五十嵐がバンドグッズである「路頭」Tシャツに着替えて登場すると、先月とは異なり、MCなどを挟まないですぐさま演奏に入るのだが、「光のような」ではまたしてもギターの音が出なくなるというトラブルに見舞われ、演奏中にローディーが五十嵐のところに寄ってきて修復するという形に。アンコール待ちの際にもローディーの方は入念に音をチェックしていたが、それでもこうなるというのはやはり何か見えざる力が働いていたとしか思えない。
だからこそ曲終わりで五十嵐は自身でエフェクターなどのギターのサウンドをチェックしていたために、「神のカルマ」のイントロを中畑とキタダがかなり長く引き伸ばすというこの日ならではのバージョンに。キタダは縁の下の力持ち的なイメージ通りに決して主張が強い演奏ではないが、中畑はガンガンアドリブのアレンジを入れてくるのでもはやドラムソロを見ているかのようである。
ようやく決まったとばかりに五十嵐のギターがリズム隊の音の上に加わると、五十嵐の叫び声に合わせて腕を上げる観客もたくさんいた。決して楽しくなれるようなタイプのライブをやるバンドではないけれど、だからこそこれまでの解散や一休みなどもあった活動遍歴も含めて、今こうして目の前でこの曲を演奏している姿をより愛おしく感じることができるというか。楽しいかと問われたら即答することはできないかもしれないけれど、最高かと問われたら最高だと即答することはできる。
「こんな世界になっちまって 君の声さえもう
思い出せないや」
というフレーズがどうしても「今」そのものとして鳴り響く「生活」ではギターソロでも音がしっかり出るというまたしても不思議な力を感じさせながら、激しい中畑のドラムを中心としたセッション的なイントロの演奏が加わった「落堕」ではやはり五十嵐が何度も叫ぶようなボーカルを響かせる中、
「寝不足だって言ってんの」
というサビを締めるフレーズでは耳に手を当てて観客に歌わせようとする。もちろん観客は声を出すことはできないのだが、これは配信を見ている人向けのパフォーマンスなんだろうかとも思う。その仕草は完全におっさんでしかない年齢であってもどことなく可愛らしさすら感じさせるけれども、曲を通したパフォーマンスはもはや狂気すら感じるくらいに、完全に振り切れた凄まじさであった。それはファイナルだからこそというのも、サウンドが完璧なライブを見せることができなかった悔しさをぶつけるという意味合いもあっただろうけれど。
再びのアンコールでも
「良い日になりますように」
とこの日だけでなく、曲タイトルのように明日へと繋がるように演奏されたのは先月と変わらずに「翌日」。場内にも光が降り注ぐかのような照明の中、
「諦めない方が奇跡にもっと近づくように」
というシロップの中でも随一というくらいに希望を感じさせてくれる曲なのだが、この日自分の前にいた女性の観客2人が本編中やこの曲中に何度も目元を拭うような仕草をしていた。この人たちはどんな時期にシロップと出会って、人生のどんなタイミングでシロップの音楽を聴いて、救われてきたんだろうか。それを自分が知ることはないけれど、少なくとも彼女たちが今もシロップが存在していることを心の支えにしていること、シロップの音楽が絶望の中に微かな、でも確かな希望を感じさせてくれるものであるということは間違いないことだ。そんな光景を見ていると、音楽やライブが不要不急だなんて言える人はそうした存在の音楽に出会ったことがないんだろうなと思う。それは音楽だけに限らずかもしれないけれど。
先月はこれで終わりだった。でもこの日はまだ客電も点かなければ、終演を告げるアナウンスもない。終演予定時間の20時まではまだ少し時間がある。その時間があることを信じてさらなるアンコールを求める手拍子をして待っていると、やはり3人は再びステージへ。
五十嵐はすでにパーカーを着用しており、本当に曲が終わったらすぐに帰れそうな出で立ちのなかで演奏されたのは「Reborn」。客席までもが照明で照らされた様は、否が応でも日本武道館での解散ライブの最後にこの曲が演奏された時のことを思い出させた。
あの時はもうこの曲をこうしてライブで聴くことはないんだろうなと思っていた。あまりに最期に相応しい葬式の幕引きの瞬間だった。
でも
「時間は流れて 僕らは歳をとり
汚れて傷ついて 生まれ変わっていくのさ」
という歌詞の通りにバンドは生まれ変わってこうして今でもこの曲を演奏している。
「昨日より今日が素晴らしい日なんて
わかってる そんな事 当たり前の事さ」
という「翌日」に通じる希望の光が射し込んでくるようなフレーズ。それは我々に1日、また1日を積み重ねて生きていこうと思わせるには充分なくらいの未来への希望が感じられた。
次がいつになるのか、計画を立てよう、それも無駄なくらいにわからないけれど、きっとまたSyrup16gはこうして我々の前に立ってライブをやってくれるはずだ。もうそうでないと生きていけないであろう人たちであるし、メンバー(特に五十嵐)はステージ上でこそ生きている実感、楽しいと感じられる実感を確かに感じているように見えたから。
それをどれだけブランクがあってもそれを感じさせないくらいの魔力を纏って我々に見せてくれる。Syrup16gは今の世の中の状況でこそさらに響くバンドと自分は先月のライブレポで書いたが、それはきっとこれから先のどんな時代のどんな状況であってもそう感じられるはずだ。
1.もったいない
2.手首
3.末期症状
4.Good-bye myself
5.Mouth to Mouse
6.You Say ‘No’
7.哀しき Shoegaze
8.I’m 劣性
9.夢
10.ハピネス
11.Thank you
12.Your eyes closed
encore
13.光のような
14.神のカルマ
15.生活
16.落堕
encore2
17.翌日
encore3
18.Reborn
文 ソノダマン