2020年の2月24日にフレデリックはバンド史上最大キャパとなる横浜アリーナでワンマンライブを行った。
まだ今のようにライブが延期されたり中止になったりキャパを減らしたりすることがなかったギリギリのタイミング。結果的にはキャパ100%で開催された大きな会場でのライブに行ったのはあの日が最後だったというくらいに、あれ以降、世界も音楽を取り巻く状況も全く変わってしまった。
その横浜アリーナでのライブの際に発表されたのが新たなツアーと、ちょうど1年後となる、この日の初の日本武道館ワンマン。もうあれから1年経ったのかという月日の流れの速さは今までで1番というくらいの体感だ。今までよりもはるかにいろんな経験や思い出がなかった1年だったのだから。
検温と消毒を終えて武道館の中に入ると、巨大なステージの左右と前方には花道が伸びているのが目に入る。これは先日見たSaucy Dogの武道館ライブとは全く違うステージの組み方であり、明らかにフレデリックがアリーナバンドとしての戦い方を会得していることを感じさせる。
18時になり場内が暗転すると、ステージに現れたのはバンドのマスコット的な存在(と言っていいのか?)であるワケメちゃん。リアルで見るとウルトラマンや仮面ライダーの敵キャラのような感じすらしなくもないが、ステージ前に伸びた花道を歩いていくと、その先のミニステージの真ん中に設置された台の上のオブジェを手に取り、ステージ方向へ戻ったところでステージ背面のスクリーンに映像が。
家の中にいる幼い兄弟(三原兄弟のメタファーと見るには年齢差を感じる)がワケメちゃんが手にしたオブジェ-それは「大きなたまねぎ」とも呼ばれる武道館を明らかに象ったもの-を組み上げると、2人は武道館の前に。
ワケメちゃんに手招きされるように武道館の中に入っていくと、ステージにその2人ではなくてメンバーが登場。映像とともに流れていたBGMから繋げるようにしてイントロを鳴らし始めたのはタイトル通りにこの日のライブの目覚めを告げる「Wake Me Up」。この日は配信やWOWOWなどでも放送されていたが、高橋武(ドラム)の叩くスネアの音がこんなにも気持ち良く聞けるのは今目の前でその音が鳴らされているからだ。
白を基調としたシャツを着た三原健司はまずはハンドマイクを手にして、その健司だからこその癖のある声をさらに強く感じさせ、それがこの曲にあるニューウェイブ感をさらに強調しているように感じる。
ステージと花道の周りには光の道であるかのように電飾が取り付けられて冒頭から鮮やかに光り、メンバー背後には巨大なスクリーンだけではなく、その周りを取り囲む合計12面の正方形のスクリーンが時にはメンバーの演奏する姿を映し、時には鮮やかな光となってメンバーを照らす。それはステージと客席の距離が近く感じられるとよく言われる武道館だからこそ肉眼でもその全てを自分自身の目でしっかり捉えることができるのだが、初の武道館とは思えないくらいにメンバーが鳴らす音楽だけでなくそうした演出や装置までもがアリーナのスケールとして作られている。すでに横浜アリーナなどの武道館より大きな会場でライブをやってきたバンドだからこそであるが、サビでメンバーがぴょんぴょん飛び跳ねるように演奏していて、観客もそれに合わせて飛び跳ねている姿を見ているだけで、楽しくて仕方ないのになんだか泣きそうになってしまう。そんな光景すらもなかなか見ることが出来なくなってしまっただけに。
そのまま健司がハンドマイクでステージを歩き回り、観客と手を振り合うという邂逅の喜びを分かち合うのがおなじみとなっているのは「シンセンス」であるが、左右に伸びた花道まで歩いて行き、今この状況だからこそその手を振る場面での健司の
「よく来たね」
という言葉には今まで以上に強くて重い意味を感じる。来たくても来れない人もいること、この日のライブを開催すると決めるまで、あるいはこうして当日を迎えるまでに観客はもちろんバンドサイドも様々な逡巡があったであろうことは想像に難くないからだ。そんな中で間奏では高橋のドラムソロかのように始まるセッション的なアレンジが加わっているというのはさすがであるとしか言えない。
こうしてフレデリックが用意した「ASOVIVA」にみんなで逃げてきたような「逃避行」のダンサブルなサウンドもそうであるが、昨年もライブハウスでツアーを重ねてきているだけに、今の状況で見るライブにありがちな「久しぶりにバンドで音を鳴らす」感はフレデリックには全くない。むしろあるのはそうして止まらずに音を鳴らし続けてきたバンドだからこその進化の証だ。それが「ASOVIVA」の中の「ASVA」という文字を△と○で表現したポップな斜体を背負った上でも感じさせてくれる。
三原康司がイントロからゴリゴリのベースを聴かせる中で
「遊ぶ?遊ばない?」
と健司が挑発的に口にするのはもちろん「KITAKU BEATS」であるが、観客は声を出せない分、リズムに合わせた手拍子でその言葉に応える。ついに日本武道館ですらも自分たちの、そして我々のASOVIVAにしてくれたのだから、遊び切ってからじゃないと帰宅できないのである。イントロから強いドラムを叩いていた高橋はやはり曲の至る部分でライブだからこそ、この日だからこその音源とは異なるアレンジをしてみせる。
ここまでもそうであったし、フレデリックは基本的には曲と曲の間を繋ぐようなアレンジでひたすらに曲を次々に演奏していくというライブのスタイルのバンドなのだが、ここで健司が花道を歩きながらMCをする。
「俺も今までに何回もそこ(1階スタンド席を指さす)とか、アリーナとかスタンドとかで好きなバンドとか友達のバンドのライブを見てきた。友達のバンドだと、go!go!vanillasとか。うちの父親がバニラズ好きでよく聴いてるんだけど(笑)
そうやってここでライブを見てると、その時だけじゃない、そのバンドやその曲の思い出が浮かんできて。武道館にはそういうものを増幅する力があると思う。
だから今は声が出せないとかいろんな制限で遊ばなきゃいけないけど、俺からみんなにもう1個遊び方を追加したい。俺たちの曲とかいろんな思い出を思い浮かべながら楽しんで欲しい。もちろん今日初めてライブ見るっていう人もいると思うから、そういう人は今日のライブを思い出にして欲しい」
と、この武道館でいろんなライブを見てきたからこそ、武道館という場所が持っている力をわかっている話をする。
だからこそ次に演奏された「トウメイニンゲン」はまだ渋谷のQUATTROくらいのキャパで、「オドループ」という超名曲を生み出した後だからこそこれからどうしていくかということをバンドが考えていたり、その過程で関西に残ることを選んだ前任ドラマーKAZのことを思い出さざるを得なかった。
でもそれだけじゃなく、フレデリックのライブを見てきたり曲を聴いてきた思い出だけではなく、この日本武道館で今までに見てきたあらゆるアーティストのライブのことが頭に浮かんでいた。
もう15年以上前に初めて武道館でライブを見たKREVAのソロヒップホップアーティストとして初の武道館、アンコールを泣きながら見ていた銀杏BOYZの初武道館、社会人になる前の日にここで「サラバ青春」を聴いて学生時代に別れを告げたチャットモンチーの初武道館、楽しすぎて席から転げ落ちそうになったTHE BAWDIESの初武道館、全然埋められなかったNICO Touches the Wallsの初武道館、活動休止発表後の悲しい気持ちで見たthe telephones、大雪で帰れなくなった9mmの2daysの2日目、声が出せる時期でも声が出ないくらい圧倒されたamazarashi、Syrup 16gやandymoriやGalileo Galileiや毛皮のマリーズという武道館がラストライブとなったバンド、スタンド席で日本人も海外の人もみんなで肩を組んで歌ったノエル・ギャラガー…。
そうしたいろんなバンドのことを思い出すのは、健司が言っていた通りにそのライブを見ていた時にそのアーティストとのそれまでの思い出を思い浮かべながら見ていたから。つまり健司が武道館でライブを見て感じてきたことは、自分が感じてきた、みんなが感じてきたことであるということ。フレデリックはアーティストであると同時に我々と同じ「音楽が大好きな人たち」だ。そんな人たちが武道館に立って音を鳴らしているから、フレデリックだけではなくて、ここで見てきたいろんなアーティストのライブを思い浮かべることができる。そうして見てきた武道館の最新のライブが今のこのフレデリックなのである。
そうして武道館に特別な思い入れがあるからこそ、やろうと思えばもっと早い段階でここでライブをやることができたにもかかわらず、横浜アリーナというさらに広い場所でやってからここに立つことを選んだということがわかる。勢いのままに行くんじゃなくて、そこに立つにふさわしい力を持ってから。健司の言葉はそれだけでバンドがなぜこうしたストーリーを選んだのかを物語っていた。今武道館をやる意味がフレデリックには確かにあったのだ。
そんな音楽が紡いできたそれぞれの歴史、それはもちろんフレデリックとの歴史を思い出させてリピートさせるのが「リリリピート」。この曲に顕著であるが、踊れる音楽というのは歌詞にそこまで意味を込めないことが多い。言葉の力が強いと踊る邪魔になってしまうからだ。
でもフレデリックは一聴するとシュールな、聞き心地を重視した言葉を並べているように思えてそこにしっかり意味を込めている。「リリリピート」にしても「音楽への愛」というバンドが最も伝えたいことをメッセージとして込めながらも、ダンスという機能性は全く損なわれていない。これはもう発明と言っていいようなスタイルかもしれないし、康司のベーシストとしてだけではないコンポーザーとしての天才っぷりを感じさせる。
すると「リリリピート」のアウトロが一気にテンポが遅くなり、そのバンドの頭脳である康司がメインで歌う「もう帰る汽船」のイントロに繋がるというアレンジに。ダブの要素が強い、それまでの性急なビートで踊るというよりも、ゆったりと体を揺らすというような曲であるが、間奏でいきなり轟音になったりという構成はプログレのようですらある。
フレデリックは曲間とイントロにライブならではのアレンジを施すバンドというのは先に触れたが、だからこそ数えきれないくらいに聞いている曲であってもライブだとその曲が始まったということに気付かないことすらあるのだが、イントロではわからなくてもスクリーンにピンク色のフラミンゴのアニメーションが映し出されたことにより、「ふしだらフラミンゴ」だなということが一瞬でわかる。
歌詞も初期のシュール極まりないフレデリックの代表作的なものであるが、映像も多数のフラミンゴが並んでいたり、公園らしきASOVIVAでフラミンゴがブランコに乗ったり滑り台を滑っていたりとシュール極まりない。
それはやはり魚のアニメーションが映し出されたことで一瞬で「他所のピラニア」であることがわかったところもそうであるが、そのピラニアは明らかにパックマンのピラニアバージョンというような映像になっており、このバンドの映像チームにはナムコの人でもいるんだろうかと思ってしまう。それくらいにクオリティが高いし、きっとそれをこの日のためだけに用意したというところも含めて。
するとステージにはシンセベースが運び込まれる。それを康司が弾くのは「正偽」であるが、もともとはSNSなどへ言及したであろう歌詞が、今こうして聴くとコロナ禍になって以降の音楽やライブへ向けられた偏見に向けてのものであるように聴こえてくる。それは康司本人が歌う、
「こちとら守るべきものがあるんです
見えますか 見えますか」
という歌詞が最も感じさせるのだが、フレデリックが「ASOVIVA」という言葉を強く押し出しているのも、ASOVIVAとなり得るライブ会場を守りたいという思いによるところがあるのだろう。そうした場所が
「振りかざした正義感」
に攻撃されてしまうのを見てきたからこそ。
するとここでメンバー1人ずつのMCタイム。こういうのも長い尺のワンマンだからこそであるが、ここまで普通のバンドならシンセを入れるようなサウンドもギターで弾いてきた赤頭は先日の三原兄弟の誕生日に高価なドルチェ&ガッバーナのマスクをプレゼントしたことを話す。いわく、
「絶妙にいらないものをあげたい」
と毎年考えているらしい。
康司は健司同様に様々なライブを見てきた武道館という場所への思い入れを語るのだが、それを聞いた健司が、
「康司の曲が連れてきてくれたんやで」
と言うと康司は
「そんなん言われたら泣くわ!(笑)」
と言っていたが、その際に起きた大きな長い拍手は観客もみんなそう思っているということを声が出せない状況の中でできる方法で示していた。横浜アリーナではそうしたことを口にしていなかっただけに、本当に三原兄弟にとって武道館が特別な場所であることがわかるし、普段からいろんなライブを観に行く音楽大好きな人間であることもわかる。
「フレデリックは以上3人で活動していて…」
という健司の珍しいいじりにツッコミを入れるようにして話を始めたのは高橋であるが、赤頭と同様に三原兄弟にプレゼントを送ったのだが、それが家のインテリアとしてのミラーボールであり、しかも説明書が英語とフランス語でしか書いていないので作り方がわからないと健司に言われてしまう。康司はまだ開封すらしていない様子だったのが少し切ない。
そんなメンバーでのMCの間に花道の先にはアコースティックセットが組まれており、メンバーはそこへ移動。赤頭が高橋より先にドラムセットに座るというボケもしたが、
「ドラム似合わないな〜」
と一蹴される。
そんな微笑ましいというか、憧れの場所であっても緊張を全く感じさせない雰囲気の中で、アコースティックバージョンのFAB!!として演奏されたのは「ミッドナイトグライダー」という実に意外な曲。というのもこの曲は完全にグルーヴが練り上げられていくタイプのアッパーな曲であるからなのだが、この形で演奏されることによって曲の持つメロディの良さを改めて感じさせる。そもそもフレデリックがこうして当たり前のようにアリーナやフェスのメインステージに立てるようになった最大の理由がそこにある。
そもそもこのFAB!!形態でできる曲の幅がこうして広がったのは、春の自粛期間中に行われたオンラインライブを当初はほとんどをこの形態で行っていたからであろう。そこには通常の編成でのライブは観客がいてこそ、という気持ちも最初はあったのかもしれないし、だからこそフレデリックはシーンの中では早い段階でツアーを回ることを決めたバンドになったのかもしれないが、そうしたライブができなかった期間に積み重ねてきたトライアルはこうしてリアルなライブでもしっかりと身を結んでいる。
花道のステージにスモークが焚かれたのは次にFAB!!で演奏されたのが「うわさのケムリの女の子」だったからであるが、康司のコーラスもFAB!!バージョンに適したものにアレンジされつつ、演奏しながらスモークはどんどん量が増えていき、その最終的にはメンバーを包み込んで隠してしまうくらいに。
そのスモークに隠れる間にアコースティックセットを撤収して元のステージに戻るというあたりがライブの構成としてこれ以上ないくらいに良く考えられていると思えるのだが、まず最初にドラムセットに戻った高橋が激しいドラムソロを展開。
ここまで速く激しく手数が多いドラムというのはフレデリックの曲の中で披露されることはまずないけれど、自分はフレデリックに入る前、anyというバンドのドラマーだった頃の高橋のライブを見たことがある。そのバンドはパンクさも含んだギターロックというフレデリックとは全く違う、ドラムとしては直線的なリズムが多かったバンドなだけに、最初にサポートとしてフレデリックに参加し始めた時は少し違和感があったのも事実だ。でも今ではフレデリックのドラムは高橋以外には考えられない。ここまで来るまでにはスタイルの変更など、凄まじい努力があってこそそう思えるまでになったことは間違いないが、このドラムソロからはそんな高橋のもともと持っていた素養を感じられてなんだか少し懐かしく思えた。それもまた武道館だからこそ頭に浮かんだ思い出の一つなのかもしれない。
そのドラムソロから突入したのは健司がハンドマイクで歌い、赤頭と康司も左右の花道を歩きながら演奏する「まちがいさがしの国」。「正偽」同様に曲の持つ社会へ向けたメッセージの意味は社会そのものの形が変わったことによって変容しているが、火柱が噴き出すという演出によってこの曲をアリーナで演奏する意味を感じさせる。やはり武道館はキャパ以上に距離が近いので、火薬の匂いが横浜アリーナよりもはるかに感じられるようになっていたけれども。
健司がギターを背負うと、ここからの後半戦は再び踊らせまくることを告げ、その言葉通りにフレデリックのダンスチューンのど真ん中であると言える「TOGENKYO」へ。
外界のことを考えられないくらいに目の前で鳴らされている音のみに集中しながら、みんながこれからの音楽を守るためにしっかりと感染症対策のルールを守ってライブを見ている。そんなこの武道館の光景こそが桃源郷そのものだったんじゃないだろうかと思えたし、フレデリックはこれから先もどんな社会や世界の状況になったとしても、音楽を好きな人が音楽が好きであること、ライブを観に行くという行為に胸を張って、
「楽園はここにあったんだ」
と言える場所を作ってくれるはずだ。
こちらもフレデリックのど真ん中ストレート的な曲と言える「スキライズム」では間奏で赤頭が花道に1人で出て行ってギターソロを弾きまくる。そんなパフォーマンスがあったからかどうかはわからないが、「嫌い」というテーマの曲を歌ってきたアーティストは数多くいれど、
「あなたのそういうところが嫌いです 嫌いです」
というフレーズをこんなにも満面の笑みで楽しそうに歌うボーカリストが三原健司という男以外にいただろうか。気づけばその笑顔は他の3人に伝播し、さらには客席にまで広がっていっている。こんなに「嫌い」という言葉に愛が宿っている光景を見せることができるバンドがフレデリック以外にいるのだろうか。
そして観客への感謝を告げながら、こうしてこの状況でここに来てくれた観客1人1人がオンリーワンであるという意味を込めて演奏された「オンリーワンダー」ではサビで爆発音がしたかと思ったら色とりどりの紙吹雪が武道館の中に広がっていく。それは間違いなくこのステージにバンドが立てたことを祝した演出であったし、銀テープのようにそこにメッセージを記すようなことをしなかったのはきっとこの時勢を考慮してのものだろう。思った以上の量の紙吹雪が舞ったことによって、ステージを紙吹雪越しに見るような感じにすらなっていたが、それも含めて武道館だからこその美しい景色となっていた。
そんな、そのまま終わってもいいような演出がありながらもまだメンバーはステージを去らず、
「この1年いろいろなことがあったけど、そんな1年の間に思ったことを歌った曲を最後に演奏します」
と言うと、フレデリックのライブにおいては珍しい同期の音が流れ、それと同時にスクリーンには昨年の横浜アリーナワンマンで演奏が終わった後にメンバーが手を繋いで観客に礼をする映像が映し出される。目の前にいるメンバーが演奏しているのは「されどBGM」。昨年リリースされた、このライブのタイトルにもなっている「ASOVIVA」に収録されている曲。
その横浜アリーナを皮切りに、映像はコロナ禍が広がっていくニュースから、VIVA LA ROCK、JAPAN JAM、METROCKというフレデリックが出演するはずだった春フェスが中止になったニュースが映し出されていく。
横浜アリーナでのワンマンを見ていた時は、確かにコロナが広がっていた時期とはいえ、まさかその後にライブができなくなる、冬にまでフェスが出来なくなるんてことは全く想像していなかった。そのニュースの間には健司のこの曲ができたことを告げるツイート、自粛期間中にフレデリックが行ってきた企画やオンラインライブの映像など、まさにフレデリックや音楽好きが体験してきた2020年という1年のことが走馬灯のように駆け巡っていく。
2020年はフェスもことごとく中止になったし、チケットを取っていたライブもなくなっていった。今ではもう中止や延期も仕方ないものとして受け止めるようにすらなってしまったが、おそらくはファンクラブツアーの延期や中止についてチームで話し合っているメンバーの姿は、そうした決断をバンドがどんな思いで選択したのかということを感じさせるし、例年に比べて何もなかったようにすら感じていた2020年が、自分自身がいろんな感情を抱いたりした年だったんだなと改めて思い返してしまった。
そんな2020年の映像から、今このライブのリアルなものへと繋がると、映し出された客席では楽しそうに踊る人もいる一方で、泣いている人もいた。自分自身、涙を堪えるのに必死だった。失われてしまったものの多さを感じるとともに、それでもこうして目の前で音を鳴らしてくれているバンドがいる。それは悲しくて泣いているのとはまた違う、なんとも形容しがたい感情であった。だからこそ、普通に「音楽を聴いて泣いてしまう」というのとはまた少し違う感覚だった。それはそうした音楽とは違う音楽を鳴らしているフレデリックのライブだからこそ体感できた感情だったのかもしれない。
そうしてこんなにも人間の感情を揺さぶる音楽というものを、「たかが」という言葉で形容することができるだろうか。自分は絶対にそんな言い方はできない。健司のツイートにもあったように、どんなに興味のない人、音楽がなくても生きていける人に「たかが」と言われても、「されど」と言えるような人間でありたい。それはこれまでもひたすらに音楽への愛を歌ってきたフレデリックが作った曲だからこそより強くそう思えるのだ。
演奏が終わってメンバーがステージを去ると、スクリーンにはワケメちゃんによるLINEのメッセージが。アンコールを求める拍手をワケメちゃんが促すと、「どんだけ拍手させるんだ」というくらいに何度も「拍手!」というメッセージを放ち、そうして大きくなった拍手に応えるようにメンバーが登場。
「拍手し過ぎて手が痛くならなかった?(笑)」
と観客を気遣いながら演奏されたのは、ここへ来ての何と新曲。
「走って 走って」
というサビのフレーズの通りに、ダンスロックというよりはソリッドなギターロックという印象も強い「サーチライトランナー」はサビの最後で
「間違ってなかった」
とも歌われる。それは
「間違ってたんだな」
と歌っていた「対価」への自らのアンサーとして、さらには横浜アリーナを終えてからのこの1年、未曾有の状況の中でもバンドが選んで行ってきたことへの自信のようにも響く。どちらにせよこの1年間で経験したことをメッセージとしながら、それを強いバンドサウンドに乗せることによって我々の不安を忘れさせてくれるような、さらにフレデリックの活動や存在を信じたくなるような曲である。
そして、
「我々の音楽で楽しんだり、元気になったりしてもらいたいし…やっぱり踊ってもらいたい!」
と言って拍手が起こり、康司のグルーヴしまくるベースに高橋の手数の多いドラムが絡み合うイントロのアレンジで始まったのはやはり「オドループ」。健司は曲中に
「音楽大好きな人〜!?」
と問いかけるとたくさんの腕が上がっていたが、今やこの曲をやらなくても成立する(実際にフェスなどでは演奏されない時もある)ようになっていても、初武道館ワンマンを締めるべき曲はやっぱりこの曲なのだ。
こんなにも強い曲ができたことによって、ともすれば「オドループのバンド」という一発屋的な見られ方をされてもおかしくなかったバンドが、それでは終わらないように「オンリーワンダー」なり「TOGENKYO」なりという名曲たちを作ってきた。自分もまだリリース前の2014年のSWEET LOVE SHOWERで最後に演奏された時に初めてこの曲を聴いて、フレデリックは変わるな、と思ったものであるが、武道館まで来るにはこの曲だけでは無理だったけれど、それでも起点になったのはやはりこの曲なのである。それは今なおTikTokでバズっているという現象にも顕著であるが、バンドをここまで連れてきたきっかけになったこの曲で初の武道館を締めるというのが、フレデリックのバンドとしての正しいストーリーだったのだ。赤頭と康司のカメラ目線の演奏も、赤頭の間奏での思いっきり体を逸らしたギターソロも、下手の花道の先で最後のサビを歌っては、感極まったような健司の表情も、この曲があるからこそ見れたものなのである。2010年代のフェスのアンセムから、日本のロック史に名を連ねる名曲へ。その変化の瞬間が刻まれた初の武道館ワンマンであった。
演奏を終えたメンバーはステージ前の花道へ出てきて、4人で手を繋いで
「フレデリックは遊び切ったので帰宅します!」
と言ってステージを去った。すると、ドラクエみたいなゲームのエンディングのようなライブのエンドロールへ。それを操作するのは冒頭で出てきた幼い兄弟。
エンドロールが終わるとその2人がスーパーファミコンのコントローラーを持って、「ロードして再開」を選ぼうとするも、それを選ぶことはできず、その下の「強くてニューゲーム」を選ぶ。するとスクリーンが真っ白になり、なんと再びメンバーがステージに現れて楽器を手にする。完全にもう終わりだと思っていただけに、客席は明らかに戸惑いと若干のざわめきが起こる中、
「思い出にされるのが嫌なので、新曲をやって帰ります」
と健司が言って演奏されたのは、スクリーンに次々に曲の歌詞が映し出されていく新曲「名悪役」。サウンドとしては先ほど演奏された新曲「サーチライトランナー」とも通じる、ギターロック色が強い曲であるが、
「思い出にされるくらいなら二度とあなたに歌わないよ」
というあまりにもインパクトの強い歌い出しから、
「まだ見ぬノンフィクションを脳に浮かべてその台本を置いた」
という締めのフレーズに至るまで、「峠の幽霊」や「NEON PICNIC」という曲で「なんだこの演出は!?」と思わせるライブをやった横浜アリーナですら感じなかった集大成感を感じさせた初の日本武道館ワンマンは、やはりそれだけでは終わるわけのない、集大成のさらにその先を提示するものとなった。
そんな「強くてニューゲーム」状態に入ったバンドの状況を示すように、スクリーンには新たなツアーが開催されることが決定したことが映し出されていた。次はいったいどんな場所で、どんな景色を見せてくれるのかという予想を立てることすらできないくらいに最後の演出によって放心状態になっていた。それくらいに、
「音楽は止まない ずっと しょっちゅう しょっちゅう」
と歌ってきたバンドの音楽は「終わらないMUSIC」そのものであることを示していた。これから先、誰かの武道館でのライブを見た時にはこの日のライブが間違いなく脳内に浮かぶ。それくらいに刻み込まれた一夜だった。
1.Wake Me Up
2.シンセンス
3.逃避行
4.KITAKU BEATS
5.トウメイニンゲン
6.リリリピート
7.もう帰る汽船
8.ふしだらフラミンゴ
9.他所のピラニア
10.正偽
11.ミッドナイトグライダー (FAB!!)
12.うわさのケムリの女の子 (FAB!!)
13.まちがいさがしの国
14.TOGENKYO
15.スキライズム
16.オンリーワンダー
17.されどBGM
encore
18.サーチライトランナー (新曲)
19.オドループ
強くてニューゲーム
20.名悪役 (新曲)
文 ソノダマン