きっと我々が知ることが出来なかった様々な楽しい計画をしていたであろう、昨年の10周年イヤーもコロナ禍によって全てが果たされることがなくなってしまったが、そんな中でもこのバンドなりのやり方での配信ライブなどで従来とは違う方向へも進化した、キュウソネコカミ。
昨年末にはライブハウスでツアーも開催し、久しぶりのファンとの交歓も果たしたが、今年もまたコロナ禍に翻弄されてしまったというのは、本来ならばこのライブは5月にZepp Tokyoで開催されるはずだったライブが延期された振替公演だからである。
マジでビックリするくらいに羽田空港の近く、滑走路や飛行機が止まっているところすら見えるZepp Hanedaは羽田空港のイノベーション化に向けて作られた商業施設の中にある新しいZeppグループのライブハウス。こんなご時世でなければもうとっくに何回も足を運んでいたであろう。
検温、消毒、個人情報の入力を済ませてまだ建物自体も新しいZepp Hanedaの中に入ると、中には前回のツアー同様に客席に椅子が敷き詰められており、すでにおなじみのP青木による前説が始まっている。やはり最後にはキュウソのライブの合言葉である、
「楽しくても思いやりとマナーを忘れるな」
を例によって思いっきりリバーブをかけて口にして微妙な笑いを巻き起こす。
そうして19時を少し過ぎたあたりで、おなじみのFEVER333のSEが流れてメンバーが登場すると、
「Zepp Hanedaー!ツアーファイナル!来てくれて本当にありがとう!」
とヨコタシンノスケ(キーボード&ボーカル)が叫び、観客の目を覚まさせるような「MEGA SHAKE IT!!」からスタート。当たり前ではあるが観客は一緒に歌ったり叫んだりすることはできないけれど「ハウスミュージック」の部分の振り付けをメンバーに合わせて踊ることはできる。それは紛れもなくキュウソのライブだからこその光景である。やっぱり踊りたいし騒ぎたいのである。
バンドはコロナ禍になる直前の2020年1月にに「ハリネズミズム」、そのちょうど1年後となる今年の1月に「モルモットラボ」という2枚のアルバムをリリースしており、今回のツアーは特に「モルモットラボ」のリリースツアーを兼ねているという側面が強いと思うのはここで早くもニワトリの鳴き声の音が朝の到来を告げる「御目覚」という「モルモットラボ」の曲が演奏されたからであるが、ある意味では「起床」「眠気」という同じテーマの曲が続くことになったのはキュウソというバンドのコンセプチュアルさを感じさせると言えなくもない。それは曖昧さのかけらもないくらいにはっきりとこれ!ということを歌うことを貫いてきたキュウソだからこその芸当だと言える。
そんな中でヨコタのキーボードの音が不穏に冴え渡る「メンヘラちゃん」というつながりはかなり意外だったが、もはやキュウソのライブにおけるキラーチューンであるということは紛れもない事実である。
「安心して眠れ」
というフレーズが前の2曲と連なっていると思うのは考えすぎだろうけれど、ツアーとしてはファイナルとなるこの日の前のセミファイナルからかなり日が空いたとはいえ、春フェスにも出演してライブを重ねてきただけに、セイヤのボーカルもバンドの演奏もエネルギッシュ極まりない。
セイヤとヨコタの2人のボーカルだけでなく、オカザワカズマ(ギター)、ソゴウタイスケ(ドラム)という固定のマイクがある2人に加えて、カワクボタクロウ(ベース)の前にもマイクスタンドが用意されると、メンバー全員で
「あいつはめちゃくちゃバカだけど
今も僕らに力をくれる
あいつはめちゃくちゃクズだけど
居なくなると寂しくなる」
というフレーズを歌う「あいつホンマ」は、バカでもクズでも全くないけれど、なかなかこうして会えなくなった期間がコロナ前に比べると長いからこそ、我々にとってのキュウソというバンドのことを歌っているかのようだ。
「誰かにとって光になれるなら
誰かにとって希望になれるなら」
という締めのフレーズの通りに、ここにいる人や、クレーンも含めたたくさんのカメラの画面の向こうで配信で見ている人にとってはキュウソというバンドの存在が光であり希望であるからである。そうした笑いではなく真剣に向き合わざるを得ない、それはバンドが真剣に音楽や我々に向き合っているからであるというのがわかるのが「ハリネズミズム」と「モルモットラボ」というアルバムの性質だと思う。
セイヤがハンドマイクになって激しくステージを動き回りながら歌い、セリフのような部分では猿のぬいぐるみを持って、あたかもその猿が喋っているかのように見せるのは、キュウソ流のミクスチャーロックと言えるサウンドの「囚」。そのタイトル通りに「囚われるな」ということを歌う曲であるが、こうした状況になってキュウソのメンバーたちも言いたいことがたくさんあるんだろうなと思う。それでも誰かを悪く言うような歌詞にしないあたりにはキュウソの優しさを感じさせるけれど。
「ライブをしにきましたー!繋げていこうぜー!」
と、セイヤが曲終わりでようやく立つことができたツアーファイナルのステージで感情を爆発させるように叫ぶと、MCではこうしてライブを見にきてくれた人への感謝を告げながら、
セイヤ「髪が伸びる頃にはコロナが終わってますように、っていう願いを込めて坊主にしたのに、もう伸びてしまったし、コロナも収まってへんし!」
ヨコタ「そんなつもりで坊主にしたん!?」
と、昨年の自粛期間中に配信トークイベントで突如として坊主にした意図を語る。あの時に数少ないセイヤの顔ファンは1人もいなくなったとのこと。あの衝撃からもう1年も経つが、まさかこんなにも世の中の状況が良くなっていないとは全く思っていなかった。
セイヤ「でもこうしてステージに立つと、見えるんですよ。Zeppならではの柵を立てるための穴が。ああ、ステージから足を伸ばしても届かないんだよな、って思ってエモくなってたんだけど、最近なんかメディアが「エモい」を連発してへん!?昼のワイドショーで暗いところでシャボン玉作ってるだけで「エモい」って言ってるし!俺の「エモい」との違いとは!?そもそも「エモい」の意味とは!?」
ヨコタ「それは、今日ここでこうしてライブをしているのがエモいんですよ!」
と、ヨコタが上手く纏めて喝采を浴びると、おそらくはコーラスを観客みんなで歌えた時にこそこの曲は本当の意味で完成するという意味では、我々が目指しているものを確かにしてくれるし、近い未来に必ずや完成系を見たいと思わせながらもあまりにシュールな歌詞の「おいしい怪獣」から、ヨコタが曲の導入から座ってピアノを弾くという「シュレディンガー」へ。その姿はまるで坂本龍一を思わせるくらいの神聖さであったが、そこにツアーファイナルならではのものが込められているというのはこの時点では自分は全く気付いていなかった。
続くタクロウが歌詞を書いた「薄皮」も含めて、この部分は「モルモットラボ」のタイトル通りに、楽しいだけではなく切ないという新しいキュウソの一面を見せる実験的な曲たちであるが、その曲や歌詞が実に沁みるというのは、自分がキュウソのメンバーと同じような人間だと思っているからだ。
もちろん自分はキュウソの5人のように面白い人間ではないけれど、学生時代から同じような音楽を聴いて育ってきて(かつてライブで演奏していたカバー曲からそれは強く感じていた)、やる側と見る側、ステージに立つ側と客席にいる側という違いこそあれど、自分もキュウソのメンバーも他のどんなことよりも音楽が好きで、ライブというものを生きがいだと思っている。だからこそキュウソというバンドに、そのバンドの音楽に惹かれてきたのだし、こうした曲の歌詞はまるで自分の内面をそのまま歌ってくれているように感じる。もしかしたらキュウソのこれまでの曲やイメージとは違うことに戸惑いを感じる人もいるかもしれないが、自分はこうした曲を作ってくれたことが本当に嬉しいと思う。
何よりも、その内面を吐露した「薄皮」の歌詞を書いたのがタクロウであるということ。メンバーの中でも特に銀杏BOYZなどの影響が強く、実際になんばHatchでの銀杏BOYZとサンボマスターの対バンにも足を運んでいたタクロウ。(そのライブにはメンバー全員いたけど)
そんなタクロウは一時期精神的なスランプに陥っていたことを「モルモットラボ」リリース時のインタビューで素直に語っていた。何ならもうバンドが続けられないかもしれないというくらいの状態だったと。
もちろん、本人がもう無理だと思ったのなら辞めた方がその人のためだし、続けることで神経や精神が擦り減ってしまうのならば、そんな姿を見るのはファンとしてキツい。でも、タクロウが1番最後に加入したメンバーであっても、今のキュウソはこの5人だからこそこうしたバンドでいられているのは誰もが思っていることだろうし、それはタクロウではなくても誰か1人でも居なくなってしまったらきっとバンドは崩れ去ってしまうというくらいに、この5人だからこそここまで来れて、こんな凄いバンドになることができたのだ。そのままのバンドでいるために、それを見続けていきたいだけに、こうしてタクロウが歌詞や曲にすることで浄化できて良かったと思うし、そうした弱さをメディアでしゃべることができるタクロウは本当に強い人だと思う。そこにはそうしたことを口にできるメンバーへの信頼があるからこそだろう。
そんな切ない流れから一転、とまではいかないのは「KMDT25」が切なさを抱えたまま踊る曲だからであるが、この曲がこれまでにあらゆる会場で作ってきた「盆踊りサークル」も今は当然作ることができない。わざわざ絵に描いて説明することで初見の人を爆笑させていたあのサークルをまた見れるのはいつになるんだろうか、とも思うけれど、ヨコタは
「こんなにみんなが一つになれるのはライブだからだと思いませんかー!」
と叫んだ。そうしたサークルやモッシュも、自分以外の人と触れるから発生するものだ。激しい楽しみ方というか、フィジカルに楽しむタイプのライブだからこそ、そうして自分一人で浸るのではなく、周りにいる人の存在を確かめることができる。普段生活しているだけではなかなかキュウソのことを知っている人もいない。でもこうしてライブハウスに来ればキュウソを好きな人だけでこんなにたくさんの人数になる。その人たちが実態を持って存在しているということが、体が触れることでわかる。またあの盆踊りサークルをすることができたら、それを実感して泣いてしまうかもしれない。
そんな感傷を良い意味で吹き飛ばしてくれるのがまさかの選曲である「キャベツ」。セイヤの弾き語り的になる、
「最近、久しぶりに実家に帰った」
から始まるパートではなぜかカタコトの英語で歌い始め、口笛まで吹くと観客だけでなくオカザワやピアノの椅子に座って聞いていたタクロウも爆笑している。それも全て
「うそだよ」
の一言で吹っ飛ばすのだが、曲が終わるとこのツアーでの「キャベツ」をやり切ったことに安堵の表情を浮かべる。そうして弾き語りパートをアレンジしまくるのは自分が歌っていて飽きてしまうかららしいが、ヨコタからは
「飽きるほど毎回やってない曲なのに」
とごもっともなツッコミが入る。
そんなMCパートでは観客を座らせて、箱の中に書いてある名前のボードが出た人がMCのメインとなるのだが、今回はヨコタが自身の名前を引いたことでそのまま喋り始めるのだが、この日の「シュレディンガー」の前奏で、「シュレディンガー」のタイトルにちなんで「ネコ踊る」などの猫にまつわる曲のフレーズを随所に入れていたという。オカザワもソゴウもタクロウも気付いていたというのはさすがであるが、セイヤはこのMC中にトイレに行っていて後から会話に加わることになるのだが、ヨコタがその自身のプレイを褒めてもらいたいがためにメンバーに「どうだった?」と聞きまくりながら、気づかなかった人にももう1回見てもらうために配信のアーカイブを見ることを推奨。
一方、トイレに行っていたセイヤは演奏中にもトイレに行きたいという邪念が頭にあったことを明かすが、それがドラゴンボールのキャラクターである「ジャネンバ」につながるという、実にわかりづらい(自分はわかるけど)MCとなり、
ソゴウ「俺たちこんなに面白くない感じだっけ?」
ヨコタ「羽田っていう場所が悪いのか?この前の横浜はもっと笑ってたぞ!(笑)」
と、ライブの期間が空いたがゆえにこの日のMCのキレのなさに自身でツッコミを入れていたが、それはやはり延期して振り替えでのツアーファイナルということによる感傷のようなものが笑いよりも強くメンバーの中にあったのだろう。
ヨコタ「みんなが早く曲やれっていう顔してる!」
ということで、急いで観客を立ち上がらせると、みんなで歌うことができない情勢ならではの、
「スマホはもはや俺の臓器」
というスマホがあるうちは日本の音楽史に残り続けていくであろう、キュウソが生み出した超キラーフレーズを、リズムに合わせて手拍子をするという形でのコール&レスポンスに。かなり速く、かつリズミカルに叩かないといけないのだが、それに集中していると楽しくなってきてしまっているのがわかるのがキュウソのライブマジックだろう。前回のツアーで配布され、今回のツアーでは物販に並んでいる拍手の代わりに叩くアイテム「臨棒」を使っている人はあんまりいなかった感じがしたけれど。
セイヤのギターリフに続くタクロウのゴリゴリのベースがカワイイだけではない力強さと、キュウソのバンドの演奏の説得力の強さを感じさせてくれ、だからこそ観客も飛び跳ねて楽しみ、なぜかヨコタはセイヤの身振り手振りのモノマネをしている「カワイイだけ」は久しぶりにライブで聴いた曲であるが、そこからはさらなるレア曲ゾーンへ。
今この曲!?と思わざるを得ない初期曲「友達仮」は無軌道な荒々しさをぶち撒けるような音源でのサウンドだったのが(そもそも大学に友達がいないというぶちまけざるを得ないテーマの曲なのだが)、今のキュウソが演奏することによってグッと音が整理されているし、ヨコタはこの曲でボディにシールを貼りまくったショルダーキーボードの演奏を披露するのだが、その直後に
「友達100人できるかな」
という打ち込みの「小学生」のフレーズが流れたりと、演奏以外の情報量もやたらと多い。
そうしてライブで新しくアレンジされた初期曲がある一方で、アルバムにリアレンジされて収録された曲もある。
ある意味ではマジなキュウソの萌芽がこの曲の段階からあったんじゃないかと思えるような「適当には生きていけない」と、オシャレなダンスナンバーへと変貌した、リリース当時に浸透してきていた「社畜」という言葉をテーマにした「シャチクズ」であるのだが、インタビューなどでもメンバーは
「当時は技術がなかったり、方法がわからなくて理想の形に出来なかったものが今なら出来る」
と、リアレンジした意図を語っていた。つまりこのバージョンこそが本当に辿りつきたかったこの曲たちの姿なのである。そこには初期の音源と比べ物にならないくらいに力強さを増したソゴウのビートをはじめとしたキュウソのバンドとしての進化、ライブで練り上げまくってきたからこそのライブバンドとしての強さを感じさせるし、アジカンが「ソルファ」をリメイクした時と同じような感覚を感じる。
そうした初期曲を今のバンドが演奏するというゾーンで懐かしくも新しい気分にさせてくれると、ライブは終盤へ。セイヤはいよいよ持っている熱さを爆発させたくなってきたというように、
「俺はこの時期にこうしてライブハウスに来るお前たちのことを心から信頼している!」
と言った。今ライブハウスにライブを見に行くという人は、「こんな不要不急の外出を控えろって言われてるのにライブなんか行きやがって」というような批判を受ける覚悟がある人たちだ。それは少なからず自分も持ち合わせているつもりだ。ただライブ行きたいからというだけではない、繋いでいく、続けていく、守っていくという意識。そう思うのは初めて来た場所であったとしても、こうして好きなバンドが立つステージがなくなって欲しくないから。
それでも何かしら言ってくる奴はいるし、それはもう価値観や守りたいものが違う。不要不急という言葉が指すものの意味も違う。そうした覚悟はできていても、やはりセイヤがこうして我々のことを「信頼している」と口にしてくれることは、何よりも自分がここにいることや、自分の存在自体を肯定してくれる。そこまで言ってくれるバンドがこうしてライブをやってくれたことを正解にしたい。バンドが何か言われるようなことには絶対にしたくないし、それでいながらずっとライブバンドであっていて欲しい。
そんな思いは、
「俺たちはお前たちに生かされている!でも大きなことを言うと、お前たちも俺たちに生かされてるとも思う!」
という「推しのいる生活」で極まる。
「ずっと言われてるけど、推しは推せる時に推せー!」
とヨコタも曲中に叫ぶ。こうしてライブに行くというだけじゃなくて、推しを推す方法はたくさんある。音源やグッズを買ったり、MVを見たりするのだって立派な推しを推す方法だ。それでもキュウソはやっぱりこうして目の前で音を鳴らす姿を見ていてこそ、
「生きていて良かった」
と思える。我々を信頼しているというのも、きっとメンバーたちも今バンドをやっていなかったとしても我々と同じようにこうしてライブハウスにライブを見に来ているだろう。バンドマンでもあるけれど、1人の音楽好き、ライブ好き、ライブハウス好きの集合体なのだから。
終盤のリリーフエース的な役割を担う「ビビった」もやはりこの流れにあって演奏されることによって、よりキレを増している。特にそれはセイヤの眼光の鋭さと思いっきり感情を込めた歌い方から感じられる。ファッションミュージックは鳴らせないけれど、こうやってライブハウスで音楽を鳴らし続けることはできる。そんな気概に満ちている。
「なめんじゃねぇ!!」
をまた一緒に叫ぶことができるのはいつの日になるだろうか。その時にはきっとその言葉に宿る感情も違うものになっているはずだ。
「俺の夢はキュウソネコカミであり続けることです!」
とセイヤが至極シンプルな、でも究極とも言える夢の形を口にして演奏されたのは「ハリネズミズム」収録の、熱いキュウソの最新曲とも言える「冷めない夢」。
「俺たちは冷めない夢を追いかけ続けるだけ」
というフレーズをメンバー5人で声を重ねるからこそ、その夢はセイヤだけではなく5人全員のものであるということが共有されていく。
メインステージの年越しを務めたCOUNTDOWN JAPAN 19/20ではスクリーンにフェスのオーディションに応募した時の映像から始まり、ロッキンオンのフェスに出演した際の映像が順番に流れていたが、あの感動的な年越しをした時はまさかその直後からこんな世の中になってしまう、そうしたキュウソのライブを見て感動して力をもらう機会がほとんどなくなってしまうなんて全く思っていなかった。けれどこうして今目の前でメンバーがこの曲を演奏しているということは、我々にとってのそんなささやかな、でも大切な夢をバンドが繋いでくれているということだ。
そしてヨコタがステージ前まで出てくると、
「ツアーファイナル、ありがとうございました!頑張らなきゃいけないこともたくさんあるだろうけれど、頑張りすぎないように。無理しないように。心も体も健康でいてください。そしてまた必ずこうやってライブで会いましょう!」
と、実にヨコタらしい言葉で観客への感謝と再会を告げたのだが、ヨコタの目は少し感極まっているようにすら見えた。だからその後に
「キュウソネコカミでいさせてくれてありがとうー!」
とも叫んだ。こうしてライブをする場があって、それが無観客の配信だけではなく、会場まで会いに来て目の前で自分たちの演奏を見てくれている人がいてくれるからこそ、キュウソネコカミというバンドであり続けることができる。周りのスタッフたちへの思いを込めて作ったこの曲は、この状況でのツアーファイナルで演奏されることによってメンバーや我々も含めた、キュウソにまつわる全ての人のためのテーマソングとなっていた。サビ前のブレイクでお立ち台に上がってベースを弾いたタクロウが筋肉を見せたり、目元でピースサインを作るという仕草の一つ一つも我々のことをハッピーにしてくれる。それが、キュウソネコカミでいてくれてありがとうと思わせてくれた。
アンコールではこのツアーのTシャツに着替えて登場すると、まだ何も発表できることはないけれど、これからもできる限りライブをやり続けていくということの意志を改めて口にして、その思いをそのまま曲にしたかのような渾身の「The band」を放つ。
「ライブハウスはもう最高だね ライブハウスはSo最高だね
安定と不安定が混ざり合う 心の底からぶち上がりたいんだ!!!」
「やっぱりライブは最強だね すぐそこで生きてる最強だね
音源じゃ伝わりきらない 細かい感動がそこにはあるからだ!!!」
「ロックバンドでありたいだけ ロックバンドでありたいだけ
今この瞬間も感じてる 音楽を通じて救いあえてる
リアルタイムで出会えたから ライブが見れるの最高だね」
という、これまでに何度も聴いては感動させられ、ロックバンドという存在、キュウソという存在の尊さや素晴らしさを感じさせてきてくれた曲が、今この状況で迎えたツアーファイナルだからこそより一層強く響く。きっとそれはこれから先も何度となくライブで聴いては、その時その時に合致した響き方をするのだろう。忘れられない瞬間、ずっと心に残り続ける曲とはこういうことを言うのだろうし、キュウソはこれからもロックバンドであり続けるはずだ。
そして最後に演奏されたのは、
「この曲を最初に演奏できる日が来ますように!」
と言って、
「ライブハウスへようこそ」
というフレーズに願いを込めるような、コロナ禍だからこそ生まれた「3minutes」。
「ライブハウス生きる場所」
「代わりなんてないぜ」
「これが好きだから 居場所があるから 生きてる実感湧きまくり
一度気づいたら 身体は覚える 俺たち同類 ライブハウスへようこそ」
というライブハウスへの愛を込めたフレーズの数々は、四星球「ライブハウス音頭」やハンブレッダーズ「ライブハウスで会おうぜ」に並ぶ、そのバンドがライブハウスを大切に思う気持ちが伝わることで、自分自身にとってもライブハウスが大切な場所であるということに気づかせてくれる曲。
思えばキュウソはコロナ禍になる前は今のバンドの規模としてはかなり小さいキャパの会場でもガンガンツアーを周り、そうした会場を回っても経営が成り立つようにメンバー本人が機材の運搬やセッティングを行なってツアーを回るという活動をするくらいに、ライブハウスが生きる場所であるバンドだ。
我々自身、きっとキュウソに1番会える場所はライブハウスであり続けてきたはずだし、そこにはメディアや誤った正義感によって批判されてきたライブハウスはそんな危険な場所ではない、こんなにも楽しい場所なんだということを証明したい気持ちがある。それができるのは今の状況でもライブハウスを回るという活動をしているバンドだけだ。間違いなくそんなバンドであり、これからもそうあり続けていくキュウソのライブでまた3密になった楽しさを体感できる日まで。
「健康でいて、また絶対生きて会おう!」
と最後にセイヤは口にし、メンバーは観客に手を振りながら、やはり思い通りにはいかなかったこのツアーを終えた。
そうした思い通りにいかなかった、ファイナルが延期になり、場所が変わったことによる悔しさが演奏する姿や音に確かに宿っていた。それは元々の日程なら来ることができた、元々の場所なら来ることができたはずの人の存在をメンバーは絶対にわかっているからである。その人たちを連れて来れなかった(それはバンドがどうこうできるものではないのだが)という思いを持ちながらも、目の前にいる人たちを心の底からぶち上げ、楽しませ、生きがいを与えてくれる。
自分は運良くこの日は2列目でライブを見ていた。その距離感はかつてまだ売り切れなかった、極狭ライブハウスの千葉LOOKでライブを見ていた時より近かった。それだけにメンバーと目が合う瞬間のたびにその頃を思い出したりもしていたのだが、あの頃はまだ自分はキュウソを面白いバンドだと思っていた。こんなに凄いバンドになるなんで、自分がずっと行っていたCDJのメインステージの年越しというレジェンドクラスが並ぶところまで連れて行ってくれる、あのスロットでキュウソのライブの景色を見せてくれるなんて思ってもいなかった。
そんなすごいバンドが我々に「生かされている」と言い、我々のことを「本当に信頼している」と言う。それだけで生きている意味を実感させてくれる。あの頃、面白い人たちだなと思って見ていたバンドは、そうして生きている意味を与えてくれるバンドになった。
1.MEGA SHAKE IT!!
2.御目覚
3.メンヘラちゃん
4.あいつホンマ
5.囚
6.おいしい怪獣
7.シュレディンガー
8.薄皮
9.KMTD25
10.キャベツ
11.ファントムバイブレーション
12.カワイイだけ
13.友達仮
14.適当には生きていけない (2020ver.)
15.シャチクズ (2020ver.)
16.推しのいる生活
17.ビビった
18.冷めない夢
19.ハッピーポンコツ
encore
20.The band
21.3minutes
文 ソノダマン