4月に04 Limited Sazabys主催フェスである「YON FES」が終わった後だったか、直前のライブを「メンバーの事情」という実に不透明かつ不穏な理由でキャンセルしていたヒトリエのボーカル&ギターでありバンドを作ったメンバーであるwowakaが亡くなったというニュースを見たのは。
果たしてバンドをどうするのかという状態で残されたシノダ(ギター)、イガラシ(ベース)、ゆーまお(ドラム)の3人が選んだのは「3人でヒトリエを続ける」という選択だった。そこには様々な葛藤もあったと思うのは想像に難しくないが、ギターのシノダが歌うという形でバンドはまた進み始めた。それは志村正彦というバンドを作ったメンバーが亡くなって、やはりギタリストだった山内総一郎が歌うという選択をしたフジファブリックのように。
そんな3人体制でのツアーは主に地方のライブハウスを回ってきたのだが、終盤に差し掛かったところで急遽この東京は恵比寿LIQUIDROOMでの追加公演が決定。なので追加公演がツアーの途中に入るというかなり珍しい形になっている。
19時ちょうどになると場内が暗転してSEが流れ、メンバーが登場。ゆーまお、イガラシの後で最後に登場したシノダはサイズ感のかなり大きなTシャツを着ているのだが、デカデカと犬がプリントされており、ステージ真ん中に立って何故かそのTシャツを観客に見せつける。
自分は現体制になってからヒトリエのライブを見るのは初めてだったのだが、やはり3人になったことによって真ん中に立っていたメンバーがおらず、スリーピースバンドのトライアングルな立ち位置になっているのはやはり圧倒的な不在感を感じざるを得ない。
そんな中でシノダがギターのイントロを鳴らし始めたのは「センスレス・ワンダー」。そしてシノダはそのギターとともに当然ボーカルも務めるのだが、実に歌が上手い。ギタリストがボーカルに転向して、という歌い方ではなくて、やはりちゃんと歌ってきた人のボーカルである。
とはいえ歌いながらこれまでの自身のギターを弾くというのはとんでもなく難易度が高いことである。一部分をコーラスするとかならまだしも、そもそも曲が生まれた際には歌いながら弾くなんてことは全く想定していない、リードギターとしてのギターであるし、ヒトリエは超絶技巧バンドであるだけに弾くことすらも難しい。それをシノダはボーカルと両立させている。ヒトリエというバンドを作り、バンドの曲を作ってきたwowakaは紛れもなく唯一無二の天才であったが、こうして今のライブを見ているとシノダの凄まじさを実感せざるを得ない。
しかしただシノダが今までのギターを弾きながらボーカルもやる、というだけではバランスが崩れてしまう。それを3人でのバンドという形にするために、ゆーまおは曲のかなりの部分でメインコーラスも務める。そもそも正確無比なゆーまおのドラムもまた叩くだけでとんでもない難易度なだけに、シノダ1人のレベルアップや新たな挑戦ではなくて、バンド全体で「3人でこの曲たちをどうやってライブで演奏していくか」という入念な話し合いや練習をしてきたのだろう。それは低い位置でベースを弾くのを見慣れていたイガラシが高い位置で音階を激しく行ったり来たりしながら演奏する姿もまた然り。
で、そうした「wowakaの居なくなってしまったことを乗り越えていく」という姿はどうしても感情的になってしまいがちなのだが、「シャッタードール」「日常と地球の額縁」と、ヒトリエのパブリックイメージとしてのサウンドであり、この超絶技巧メンバーだからこそ演奏できる超高速ダンスロックによって感傷に浸る間もなく観客は踊りまくる。シノダは歌わずにギターを弾く箇所ではステージを右から左に動き回ったり大きくジャンプしたりと、ボーカル兼任になっても機動力は全く失われていないし、演奏が終わった瞬間に
「ありがとう!」
と言葉を発するのが観客のテンションをさらに高めていく。
しかし
「こんばんは。ヒトリエです。ボサッとしてるとあっという間に終わっちゃいますよ!」
とシノダが挨拶してからの、タイトルに合わせた青い照明がメンバーを照らす「Namid[A]me」や「伽藍如何前零番地」という曲ではややテンポを落とした(それでもヒトリエだからそう感じるのであって普通のバンドなら速いと言われるかもしれない)曲でメロディの部分を強く押し出していくのだが、シノダの特に高音部分のボーカルはwowakaの独特なハイトーンのボーカルを感じさせるところがある。それを意識的にやっているのかはわからないが、そもそもヒトリエの曲は全てwowakaの声によって歌われるという前提の曲であるだけに、歌唱力がある人が歌うとそうした歌い方になるのかもしれない。
そんな中でシノダもツアー前に「最難関」的なことをツイッターで発言していた、戒厳令かのようなギターのイントロの「インパーフェクション」へ。しかし相当練習したのだろう、しっかりとその象徴的なギターを弾きながらもボーカルも両立させている。この曲が収録された「WONDER and WONDER」のリリース時のインタビューでシノダは
「「インパーフェクション」のイントロがスベったら死のうと思った(笑)」
と発言していたが、3人でやるにあたってはその部分を歌いながら演奏しやすい形に変えるという選択肢もあったかもしれない。しかしそうはしなかった。あくまで4人で作った曲の形に忠実に演奏していた。wowakaが作り、4人で形にした音楽の素晴らしさをそのまま伝えようとするかのように。
するとシノダが汗を拭いながらギターを下ろすと、そのままハンドマイクを手にして、
「ハンドマイクで歌います」
と言って演奏されたのは「SLEEPWALK」。鍵盤の音を同期させてもいるが、ギターが不在でも物足りなさを感じないのはリズム隊の2人の音数の多さによるもの。シノダはそのリズムを担いながらも歌っているかのようなベースを奏でるイガラシの肩に腕を回して歌う。そこからは同じヒトリエというバンドのメンバーとして長い年月を生きてきた絆のようなものを感じさせた。
そのシノダが曲の途中でハンドマイクからギターを背負うというハイブリッドかつ、ライブでの3人のアレンジの妙が窺える「Loveless」では
「東京!もっと愛が足りない!」
と言って飛び跳ねながら歌うと、
「ヒトリエは名曲しかやってこなかったバンドなんですが、その名曲の中でも名曲、神曲と言っていい曲を」
と言って演奏されたのは「(W)HERE」。その歌詞は今こうしてシノダが歌うとwowakaのことを探している、待っているかのようにすら聞こえて来る。音楽は演奏する側の状況や状態によって、聴く側の状況や状態によって聞こえ方が変わる。一度解散して復活したバンドが演奏する昔の曲の聞こえ方は当時とは違うし、学生時代に聴いていた曲を社会人になってから聴いてもまた聞こえ方は変わる。そういう意味では年月は経っていないけれど、ヒトリエの曲の聞こえ方も間違いなく聴く人によって変化する。それは悪いことでは全くない。そう感じることができるということはバンドが続いているからなのだから。
wowakaが主に初期の曲でよく主人公にしていた「少女」というテーマを持たせた「劇場街」という曲もまたシノダのボーカルになると違う景色が見えるというか、フィクションとしての歌詞の主人公であった少女がwowakaという存在に重なっていく。この辺りの曲では周りで涙をすするような声が聞こえていた気がしたのは気のせいだろうか。
「東京!足りない!まだ足りないから、「トーキーダンス」で踊りませんか!」
と再び超高速ダンスフロアに叩き込んでいく「トーキーダンス」ではステージから客席に向かって放たれるレーザー光線がより一層そのダンスの部分を煽っていくと、
「wowakaから皆様に愛を贈ります」
と言って演奏されたのは1曲の中で展開がガラッと変わっていき、観客によるコーラスの大合唱も起きる「アンノウン・マザーグース」。かつてwowakaはこの曲を作った直後のライブで、
「初めて愛を歌おうと思った」
と言ってこの曲を演奏していた。
「あたしがあいをかたるなら そのすべてはこのうただ」
とまで曲の中で書ききった、言い切った曲。これ以降のヒトリエの音楽の変遷は今年リリースされた「HOWLS」に集約され、ヒトリエの音楽をさらに拡張させることになったのだが、そのきっかけになったのは間違いなくこの曲だし、初期はあまりの演奏の正確無比さに「人間味が薄い」と言われることもあったヒトリエから「愛」という人間だからこその感情が溢れた瞬間をとらえた曲であった。
「俺がヒトリエに入ってから7年。その前、3人は東京に住んでたんだけど、俺だけ名古屋に住んでて。そしたらイガラシから、
「こういうバンドをやりたいと思ってるんだけど、ギターを探してるからやらないか?」
って電話が来て。0.5秒くらいで「やる!」って言って。でもそのときに俺はまだリーダーの顔も知らなくて。そしたらスカイプで曲のデータが送られてきて。それを聴いた時の、体に電流が走るとはこのことか、と。これは革命が起こるぞ、って思ったし、自分がその革命の一員になれる。7年前から今に至るまで、ずっとドキドキしてる。その曲を!」
とシノダがヒトリエに加入することになった経緯とwowakaが作った曲を初めて聞いた時の衝撃が今も変わっていないことを語ってから演奏されたのはバンドの始まりを告げた「カラノワレモノ」。
「泣きたいな 歌いたいなあ
僕に気付いてくれないか?」
というwowaka個人の心情吐露が4人の音楽となり、さらにはこんなたくさんの人が大合唱するくらいに共有されるものになっている。作った時は1人だったかもしれないけれど、ヒトリエとしてこの曲を演奏するようになってからはwowakaは決して1人ではなかった。
その衝撃を継続するかのような高速ダンスロック「リトルクライベイビー」から、「HOWLS」収録のミドルナンバー「青」へ。文字通りに青い照明に照らされながら演奏するメンバーたちは3人になって、代表曲のみをライブでやるのではなくて、この最新アルバムの曲を多くセトリに入れてきた。wowakaも強い手応えと確信を口にしていた「HOWLS」は3人もまた同じように手応えと確信を持ったアルバムであるということがよくわかる。
そして最後に演奏されたのも「HOWLS」の先行シングルだった「ポラリス」。アッパーかつ、どこか光を放つようなサウンドに乗せてシノダが歌う
「忘れられるはずもないけど 君の声を聞かせてほしくて
泣きじゃくれる場所を見つけて叫んでしまいたいだけ」
「どれだけ涙を流して 明けない夜を過ごしたろう
そのすべての夜に意味はある、そう信じてやまないんだよ」
「また一歩足を踏み出して
あなたはとても強いから
誰も居ない道を行ける
誰も居ない道を行ける」
というフレーズの数々。それはまるでバンドがこうした運命を辿ることを予期していたかのようだ。その最後のフレーズの通りにヒトリエは足を踏み出した。その姿はとても強いバンドの姿にしか見えなかったし、そこには感傷よりも光や希望を強く感じさせたのだった。
アンコールではツアーグッズに3人が着替えて登場し、シノダとゆーまおがマイクスタンドに向かってしゃべり始める。
ゆーまお「ツアー初日が京都の磔磔だったんだけど、シノダが「お前らと違って俺は今日が初めて一人で最初から最後まで歌う日なんだからな!」ってずっと言ってたけど、シノダさんはタフですね〜」
とシノダを称えているのかいじっているのか、という話から、ツアーで九州を訪れた際に、ゆーまおが泥酔して泊まっていたロッジの梁にぶら下がってイガラシを驚かせたり、
ゆーまお「花火をしたんですよ、3人で。雨が降ってたんだけど屋根があるとこで。そしたらイガラシがシノダに向けて花火を持って(笑)」
シノダ「しかも逃げたら後ろに屋根がないから雨に当たって、水と火の両極端な属性の攻撃を喰らうっていう(笑)」
ゆーまお「しかも携帯で動画撮りながら花火持ってシノダに突進してた(笑)」
シノダ「もう猟奇殺人犯ですよ!(笑)」
ゆーまお「でも部屋で「水戸黄門」を見てたのね。そしたら黄門様たちがめちゃ卑怯な手を使って敵をやっつけたりしてて、すごく面白くて。僕とシノダはゲラゲラ笑いながら見てたんだけど」
シノダ「イガラシは見てるんだか見てないんだかわからないような感じだったのにエンドロールになったら「あー、面白かった!」って(笑)
みなさん、この人にも感情があるんですよ!(笑)」
と全く喋らないイガラシをいじるも、リアクション全くなし。イガラシは今は忘れらんねえよでもベースを弾いているが、柴田といてもこんな感じなんだろうか。
何よりもそうやって話をする3人、ツアーを回る3人は本当に楽しそうだった。もしかしたら感傷的に感じてしまうのは我々だけなのかもしれない、と思うくらいに、とんでもなく大きな喪失を味わったはずの3人はもう前に進んでいる。自分たちがそういう弱い部分を見せるのが1番ファンを不安にさせることをきっと3人はわかっている。でもそれよりも何よりも、このメンバーとしてヒトリエとして活動して音楽を演奏するのが本当に楽しいんだろうな、と思えた。
そしてアンコールでは、
シノダ「イガラシくん、我々が東京でライブをする日に田代まさしが捕まりましたよ」
とタイムリーな話題を振るとイガラシがベースをベーンと鳴らし、
「お客様の中に、踊り足りない方はいらっしゃいませんかー!」
とシノダが煽りまくると、イガラシが頭を振りながらベースを弾く「踊るマネキン、唄う阿呆」で最後の高速ダンスと大合唱…かと思いきや、もう1曲演奏されたのはwowakaがボカロPとして作った「ローリンガール」で、
「もう一回、もう一回」
の大合唱が発生。ある意味ではこの曲が全ての始まりだったのかもしれない。まだヒトリエになる前。ネットの世界で生きていたwowakaが自分の描いている音楽を具現化するための存在としてのバンドがヒトリエだった。それはwowakaがいなくても続いていく。演奏を終えた後にシノダは、
「ベース、イガラシ。ドラム、ゆーまお。ギター&ボーカル、シノダ。作詞作曲、wowaka。また会いましょう!」
と、このバンドを、この音楽を作ったwowakaの存在を紹介した。それはwowakaが作った音楽をこれからも自分たちは鳴らし続けていくという宣誓のようだった。
ヒトリエがデビューして、初めてCOUNTDOWN JAPANに出た時、ASTRO ARENAは数えられるくらいの観客しかいなかった。決して売れていなかったわけではなかったが、やはりボカロPの組んだバンドということでどこか色モノバンドとして見られているようなフシはあったし、前述の通りにあまりに演奏が巧すぎて正確無比なだけに、聴く人によっては同じ曲のように聴こえてしまうかもしれない、と思った。
しかしヒトリエは出自こそ違えどロックバンドだった。他のバンドと同じように小さいライブハウスを地道に周り、さまざまなバンドたちと対バンをしてきた。ライブの力が上がっていくのはもちろん、のちにCDJのASTRO ARENAに凱旋した際に客席を埋め尽くした景色と、イガラシが膝立ちでベースを弾きながら後ろに倒れるという人間味あふれるパフォーマンスは、そうしてライブハウスで出会ってきたバンドたちとの関わりによって育まれたものだったのかもしれない。wowakaはボカロPという同じ出自を持つ米津玄師だけでなく、04 Limited SazabysのGENやgo! go! vanillasの牧とも一緒に飲みに行って写真を撮っていた。バンドという形を選んだからこそ出会えた新しい仲間たちはみんな楽しそうな顔をしていた。
このライブでのヒトリエの3人もまた楽しそうな顔をしていた。自分はあらゆる音楽の形態の中でバンドが1番好きなのだが、この日のヒトリエを見て改めてバンドって素晴らしいな、と思えた。これがwowakaのソロプロジェクトだったらきっともう続いていない。でもヒトリエはバンドだからその想いを繋いで続けていくことができる。
そしてこれからもバンドを続けていく先で、きっと「wowakaを見たことがないけどヒトリエが好き」という世代の人も出てくる。それは3人がwowakaの作った曲を鳴らし続けることを選んだからこそ出会うことになる人たちであるし、辞めていたらこれから先にヒトリエの音楽に新しく出会うきっかけはほとんどなくなってしまう。
だから3人はこれからもヒトリエとして音楽を鳴らす。wowakaという人間がいたこと、wowakaという男が作った音楽は素晴らしいものだということを証明し続けるために。この日、体が震えたのは冷房が強かったからじゃなくて、その3人のヒトリエを続けるという意志の強さがステージから伝わってきていたからだ。これからもまだまだ、踊らせまくってくれよ。
1.センスレス・ワンダー
2.シャッタードール
3.日常と地球の額縁
4.Namid[A]me
5.伽藍如何前零番地
6.インパーフェクション
7.SLEEPWALK
8.Loveless
9.(W)here
10.劇場街
11.トーキーダンス
12.アンノウン・マザーグース
13.カラノワレモノ
14.リトルクライベイビー
15.青
16.ポラリス
encore
17.踊るマネキン、唄う阿呆
18.ローリンガール
文 ソノダマン