シングルのリリースやそれに伴うツアー、メジャーデビューアルバム「創」の再現ツアーもあったとはいえ、「Λ」から実に4年ぶりとなるニューアルバム「INNOCENCE」を10月にリリースすることを発表している、ACIDMAN。
ずっと定期的にアルバムをリリースし続けるというサイクルから解放されたというのは独立したという要素もあるのかもしれないが、実に久しぶりなアルバムをリリース前から楽しみまくろうとするかのようにプレリリースツアーをこの8月から開催。
アルバムの視聴会なども兼ねているらしいということで、常にストイックなライブをしてきたACIDMANなだけにどんな内容のライブになるのかわからないが、それだけメンバーも自信があるということなのだろう。個人的には今この世の中の状況で大木伸夫(ボーカル&ギター)がどんなことを口にするのかというところも興味深いところだ。
検温と消毒を経てSTUDIO COASTの中に入ると客席にはパイプ椅子が敷き詰められており、ライブハウスでのACIDMANのライブがこの形であるとまさに視聴会というような感じがしてくる。
平日の新木場としては早めの18時30分を少し過ぎたあたりで場内が暗転すると、ステージにメンバー3人が登場するのだが、SEがおなじみの「最後の国」ではない静謐なものになっており、3人の配置がこれまでとは違って大木を真ん中にして下手がサトマこと佐藤雅俊(ベース)、上手にラーメン屋の店長こと浦山一悟(ドラム)というものになっている。(自分はコロナ禍におけるインストツアーに行っていないので、その時から変わっていたかもしれないけど)
メンバーがそのSEを引き継ぐようにして演奏を始めると、夜明け前を思わせるような薄暗い照明が途中で一気に明るく明滅し、バンドの演奏も一転して音量が大きく激しくなる。静と動、光と闇、生と死というACIDMANがずっと歌い鳴らしてきたことがこのSEであり、「INNOCENCE」のオープニングであるインストの「introduction」には凝縮されている。
サトマのスラップベースから始まる「Visitor」はACIDMANの持ち味であり、デビュー時にロックシーンに衝撃を与えた、ロックバンドでありながらもジャズの要素を取り入れた曲。連発されるキメも含めてACIDMANの節のようなものが滲み出ているし、こうした新曲をライブですでに演奏できてしまうというあたりに3人の演奏の巧さと、それだけではない阿吽の呼吸、それを生み出すこの3人だけにしかない信頼関係を感じさせる。
すでに配信で「INNOCENCE」の曲を全曲解禁してもいたが、ここでラウドなロックバンドとしてのACIDMANを感じさせる「歪んだ光」(「ゆがんだ」と曲中で大木は歌っていたのでそう読むのが正しいだろう。「ひずんだ」とも読める漢字であるが)が演奏されたことにより、この日のライブが「プレリリースツアー」と題されている通りに、「INNOCENCE」の曲を一足早くライブで聴くことができるものであることがわかってくる。
大木が話し始めるまでの曲間では観客からの鳴り止まないくらい長い拍手がこうしてACIDMANのライブを見れているという観客の待望の気持ちや感慨を表している中、大木は改めてこの日のライブの説明をし、
「声を出しちゃいけないっていうルールだけ。新曲ばかりだけど、聴いて良いなって思ったら拍手していただいて、微妙だなって思ったらそういう顔をしてください(笑)ちゃんと伝わるから(笑)」
とリアクションの説明までする。それがどうなるのかはこの後のライブ、演奏される曲次第である。
すでに先行配信されている「Rebirth」は軽やかな一悟のリズムもあり、ここまではライブで初めて聴く新曲が演奏されてきただけに、盛り上がるというよりはじっくり新曲に向き合うという感じだったのが、この曲では観客も腕を上げるライブの光景が見られた。個人的には「FREE STAR」や「式日」を初めて聴いた時のような素晴らしい名曲だと思っているのだが、それが
「明日の空が消えてしまうその前に
悲しみの夜を越えて生まれ変わるんだ」
というまさに今の世界の状況を乗り越えていくためのフレーズによってさらに強く響くものになっている。
「生まれ変わる」ということはつまり「死」を経ているということであるが、それをネガティブなものとはACIDMANは捉えていない。でも曲を聴いてこうしてライブを見ていると確かな明日からの生命力を貰うことができる。その一見真逆のような要素はつまり、死んでしまう時まで懸命に生きるということを意味している。そしてACIDMANのメンバーがそれを自分たちの姿によって示している。
こちらも先行配信され、なんなら「創」の再現ライブの時点ですでに新曲として演奏されていた「灰色の街」はその時の記憶がはるか遠い昔のことのように感じられてしまう。こうしてライブハウスで席があって、観客同士で距離を空けて、声を出すことができない。今この状況はこの曲を初めて聴いた時には全く想像出来なかったものであるが、まるで世界そのものが灰色に染まってしまったようですらある今の状況であるが、それでも
「それでもこの街で
君を想い出したんだ
それだけでいいんだよ
こうしてまた僕らは生きてゆくんだよ
小さな花の様に
明けてゆく夜空を信じたなら
世界は密やかに
世界は色に染まり
世界は歌に成ってゆく」
という歌詞の通りにきっとこれからまた世界は色に染まっていくはずだ。まるでこの状況を予言していたかのようなこの曲が、これから先の未来のこともきっと言い当てるようになるはず。
ACIDMANのライブには毎回必ずインスト曲が収録されている。歌がない曲というのがコロナ禍の中で飛沫を飛ばさないライブとして、インスト曲のみを演奏するという、ACIDMANならではのツアーにも繋がっていったのであるが、今回のインスト曲「Link」は大木がギターのフレーズをその場でループさせると、一悟のドラムセットよりもさらに上手にある、果たして誰が弾くんだろう?ライブにゲストプレイヤーが来るのか?と思っていたキーボードの前に移動して大木自身がそれを弾く。打ち込みで鍵盤の音を入れるのではなくて、自分でそれすらも演奏する。やはりそこには25年もの長き月日に渡ってこのバンドであり続けてきたこの3人以外には踏み入れることができない領域があるんだろうな、というのがわかる一幕であった。
その大木のキーボードの音色が残響として響く中で大木は再びギターを手に取ると、その残響が今度は「ALE」のイントロへと繋がっていく。サブスクで音楽を聴くのが当たり前になっているが、こうした曲同士の繋がりや曲間の意識は発売前に聴くとこの形で、CDでメンバーの意図した通りの形や曲順で聴きたいと思える。これは購買意欲をこの上なくそそるものではあるが、この会場にいた人たちは間違いなく元からCDを買うつもりしかないだろう。
これまでにも数え切れないくらいにたくさんのアーティストが曲にしてきたテーマである「素晴らしき世界」はこのアルバムの流れの中では実にキャッチーに、語弊を恐れずに言えばポップに聴こえる曲だ。MCではこのアルバムは本当ならば去年リリースされて、今ちょうどツアーが終わるくらいの時期だったということが語られていたが、この曲はコロナ禍になってから作られたのか、あるいはその前からすでにあったものなのか。それはわからないけれど、この後のMCで大木が
「配信もいろいろ面白かったけれど、こうしてライブで目の前にあなたがいてくれている。それに勝るものはない」
と言っていたように、こうしてライブが見れているというだけでも素晴らしき世界だなと思える。それがどうかこの先もなくならないように。来月まで続くこのツアーが無事に終わって、各地にいるACIDMANのファンの方々がアルバムの曲を発売前にこうしてライブで聴くことができますように、と思わざるを得ない。
そのMCでは今回のツアーで販売されている、無地っぽく見える白いTシャツが本当に無地であることが明かされる。バンドの物販で売られているTシャツが無地、つまり何のTシャツなのか誰が見てもわからないという前代未聞のグッズ。しかも4200円という値段。生地などに相当こだわっているらしいが、独自の道を歩み続けてきたことにより「孤高のバンド」的なイメージもあるACIDMANは音楽とは違う方向で孤高の道を歩き始めた。ある意味ではこの日で1番衝撃的な発言と言っていいのかもしれない。
そんな驚きの後に演奏された「夜のために」はリリース後のツアーなどではリズムに合わせて手拍子が起きることが想像できるような曲。この広い新木場STUDIO COASTの中がまさに夜のように暗くなるのだが、そこに射す光のような照明が実に美しい。
そしてアルバムタイトルになっている曲である「innocence」へ。例えば「ALMA」に象徴的であるが、ACIDMANのアルバムタイトル曲は毎回どれもサウンドやタイプは違えど素晴らしい曲たちばかりだ。そんなACIDMANの最新アルバムのタイトル曲は、今のような世界や世の中の状況であってもACIDMANが歌うことや鳴らす音楽はこれまでと全く変わらないということを宣誓するかのような壮大な曲だ。曲終盤で一悟が強く叩くドラムに合わせて一気に会場が光に包まれる様を見ていて、心からそう思った。
そしてそれはACIDMANがこれから先も決して変わることがないということの証明でもある。これから先の未来にもっと良くないことがあろうと、逆に誰もが笑って暮らせるような社会や世界になろうと、ACIDMANはこれからも「生きることと死ぬこと」「光と闇」「宇宙と生命の神秘」というこれまでに歌い続けてきたことをずっと歌い、鳴らしていく。その覚悟やスタイルは今もずっとinnocence(純粋)なままだ。
次の曲を演奏したらライブが終わってしまうという名残惜しさを誤魔化すかのように大木がかなり長いMCをするのだが、今回のツアーはこうして「INNOCENCE」の曲を発売前に演奏するものになっているが、10月末にデビュー20周年を迎えることによって、みんなが聴きたいであろうACIDMANの曲を演奏するという記念ライブをZepp Tokyoで開催することを発表する。それがZepp Tokyoのステージに立つ最後の機会になるであろう(Zepp Tokyoは周辺一帯の再開発によって来年年明けになくなってしまうことが発表されている)だけに記念的なライブにしたいということであるが、まだその時の状況がどうなっているかというのがわからないだけに、客席の作り方も椅子有りにしなければならないのかなど試行錯誤が続いているようだ。
そしてアルバムを予約してくれるとユニバーサルミュージック(所属レーベル)も喜ぶために是非予約して欲しいという旨を、会場で予約するとCDのブックレットよりも豪華かつ歌詞が記載されたパンフレットが貰えるということも交えて告知するのだが、
「皆さんがこのアルバムを、ACIDMANを広めて欲しい」
という言葉からは、タイアップも取れるメジャーレーベルにいながらも、そうした宣伝よりもバンドが目の前にいる人の存在や力を何よりも信頼しているということを感じさせる。
だからこそ最後に演奏された、アルバムラストの曲である「ファンファーレ」はSOIL & “PIMP” SESSIONSのタブゾンビによるまさにファンファーレ的なトランペットのサウンドだけではなく、ファンから送ってもらったコーラスの声が入っている。この日はアルバムの最後を壮大に締め括るトランペットの音もコーラスも同期の音を流していたが、この曲には間違いなくそのコーラスをいつかみんなでライブで一緒に歌えるようにという願いが込められているはず。それは全く変わらないながらも今の世の中の状況だからこそ作られた、今のACIDMANだからこそ生み出せた名曲である。それはそのままこの「INNOCENCE」がそうしたアルバムであることを物語っている。
ライブが終わって3人がステージから捌けると、今度は音源で「INNOCENCE」をまるまる聴けるという試聴会へ。すでに直前にライブで聴いているだけに新鮮さこそないが(ライブで全曲やってから試聴会というのも凄い流れだ)、やはり新木場STUDIO COASTの音響でアルバム音源を聴くことができるというのは実に贅沢な体験であるし、ライブの追体験にもなる。
しかしながら最後の「ファンファーレ」がやたら音がぶつ切りになってしまうトラブルが発生すると、曲中にすぐに2回目がかかり直すというリカバリーの速さ。ライブではトラブルがなかったのに試聴会でトラブルが起きるというのも滅多にないことだと思うけれど。
試聴会が終わるとステージには再び大木が登場し、物販で22000円(!)で売られているブルゾンと、例の無地Tシャツを合わせた出で立ちで物販の紹介をし、やはりアルバムの告知をしてから
「またライブで会いましょう」
と言った。世の中の状況はどんどん悪化している感すらあるけれど、それでもACIDMANに会える機会は去年よりも増えていくような、そんな予感がしていた。
もう1年近く前。現地からの配信という形で行われた、中津川SOLAR BUDOKANの大トリとしてのライブの最後に大木は、
「俺たちは絶対大丈夫!何の根拠もないけど、絶対大丈夫!」
と力強く叫んだ。まさか1年後の今に至るまでそうした何の根拠も持てないような状況が続くなんて全く思っていなかった。
それでもこうしてACIDMANの新しいアルバムの曲を、音源でもライブでも聴くことができている。それは我々が大丈夫だったことの何よりの証明だ。そうして生きてこれたからこそ、この音楽があれば我々はまだ大丈夫だって思えるのだ。これまでに何度も体も心も震えるくらいに素晴らしいACIDMANのライブを見てきたけれど、大木の言葉にもバンドの鳴らす音にも、根拠はなくてもこれ以上ないくらいの無敵の力が宿り続けている。
1.introduction
2.Visitor
3.歪んだ光
4.Rebirth
5.灰色の街
6.Link (instrumental)
7.ALE
8.素晴らしき世界
9.夜のために
10.innocence
11.ファンファーレ
文 ソノダマン