コロナ禍になってからはかつて行ったツアーのリバイバルツアーを行うなど、ライブが全く出来なかった去年の春から夏という時期を経て、むしろ活動がより精力的になっているんじゃないかとすら思える、最近のUNISON SQUARE GARDEN。
ツアーは基本的にはワンマンで、a flood of circleの15周年イベントなどのお呼ばれライブなどにも出演してきたが、今回は久しぶりの自主企画ライブ「fun time ACCIDENT」。
すでに開催された大阪では崎山蒼志、カッパマイナスを迎えていたが、この日の東京は日食なつこと黒子首という、ユニゾンとは全く違うタイプの、実に濃い2組を迎えての開催。久しぶりの「自分たちの好きなアーティストのライブの後のユニゾンのライブ」はどんなものになるのだろうか。
検温と消毒、接触アプリの確認を経て場内に入ると、Oasisの1stアルバムがBGMとして流れている。ユニゾンにしては実にわかりやすいBGMだな、とも思うけれど、その曲に浸る事が出来るのはバンドサイドからの呼びかけとして「場内での会話を控える」ということをSNS、さらには場内のポスターでも掲示したことによって来場者同士での会話がほとんど聞こえなかったからだろうか。
・黒子首
「ほくろっくび」と読む。7月にファーストアルバム「骨格」をリリースしたばかりのスリーピースバンドであるが、こうした出てきたばかりと言っていいバンドを自分たちの企画に呼ぶユニゾンは普段からどのくらい新しいバンドを掘ったりしているのだろうかと思う。
ステージに登場したのは5人。堀胃あげは(ボーカル&ギター)は演奏するよりも前にサポートメンバーのキーボードとギターを紹介してから演奏を始める。このバンドの存在を知らしめるきっかけになったと言っていい「Champon」からスタートし、憂いや儚さ、人間の持つ寂しさや暗さなどをバンドが鳴らす音で感じさせながらも、
「我爱你 我爱你」
と繰り返されるサビでは他者を跳ね除けるのではなく、人間の愛情を希求していることを伺わせる。金髪のみとの曲を支えながらも音階をなだらかに動いているベースも実に心地良い。
しかしながら「Driver」ではシンセの煌びやかなサウンドとともにミラーボールが回り出し、Zeppをダンスフロアのようにガラッと変えてみせる。歌詞は確かに暗いと言われるようなものであるが、その感情を様々な手法やサウンドで表現しようとしているバンドであることがわかる。
「骨格」を聴いた時やアー写を見た時に「どれだけ暗い人たちなんだろうか」とも思っていたのだけれど、そのイメージを完全に覆したのはドラムの田中そい光のひょうきんとも言えるような曲間でのドラムを叩きながらの挨拶。もしかしたら楽しい人たち、バンドなのかもしれないというのは田中が何度も
「最後まで楽しみましょうー!」
と言っていたことからも察せられたが、
「ぼくらは子ども 無邪気にわらう
スキップもするし鼻歌もうたう」
という歌詞がポップなサウンドとキャッチーなメロディに乗る「チーム子ども」はこのバンドがまだ年齢的に若いからこそ歌える無邪気さを感じさせる。
じめじめした寝苦しい夜を思わせるサウンド作りが実に見事だと感じる「熱帯夜」から、堀胃がアコギの音が出ずにやり直した「エンドレスロール」はバンドの持つポップな資質を感じさせる、「骨格」の中でMVが作られた曲。この曲からはバンドが開いたところに向かっていこうとする意識を感じられるし、序盤はやはり緊張しているような固さも感じられた堀胃のボーカルも徐々に音源を聴いていて感じたような憂いを帯びながらも迫力が増していく。
そんな堀胃は
「どんな立場から言葉を発しても誰かを傷つけてしまうかもしれない状況」
と前置きしながらも、こうして今の状況の中でもライブを企画し、開催してくれた人たちと、こうしてライブを見に来てくれている観客に
「これはもはや敬意と言っていいでしょう」
という独特の口調や言語感覚で感謝を告げる。逆に独特過ぎてどのタイミングでこちらは拍手を送ればいいのかよくわからなくなってしまうが、その言葉の後に演奏された「あなうめ」〜「静かな唄」という流れは暗闇の中から希望の光に向かって手を伸ばしているようで、そこにはそうした人間の生きようとする力、前に向かって進んでいこうとする力を感じさせるような美しさがあった。去り際にも笑顔で観客に手を振っていた田中のその無邪気さがバンド自身の完成度の高さとはまた逆の理由でライブを見たいと思わせてくれるものだった。
1.Champon
2.Driver
3.チーム子ども
4.熱帯夜
5.エンドレスロール
6.あなうめ
7.静かな唄
・日食なつこ
黒子首からの転換時間がめちゃくちゃ早かったのは、広いZeppのステージの真ん中にピアノが1台だけ置かれているというセッティングだったからだ。2番手の日食なつこは自身1人だけでのライブ。
スラっとした立ち姿がどうあっても「凛とした」というイメージを与える日食なつこがピアノの椅子に座ると、
「今日は2021年最後の夏日かもしれませんね。皆さんにとって今年最後の夏の思い出が楽しいものになりますように」
という導入的な挨拶から、8月にリリースされたばかりの最新アルバム「アンチ・フリーズ」の先行曲である「真夏のダイナソー」からスタートし、ピアノだからこその流麗はメロディと日食なつこの華麗なボーカルが山や雲をも越えるような巨大な存在が聳え立つ光景を脳内に思い浮かばせる。座って聴いていた観客も多かったけれど、それで成立するような形のライブであるし、もうこの1曲目、なんなら一音目が鳴った瞬間に会場の空気はこの人のものに塗り変わっていた。
続く「空中裁判」は前作「永久凍土」の収録曲であるが、曲間の
「夏が過ぎると…」
というまるで短編小説を読んでいるかのような日食なつこの語りによって、まるでこの2曲がもともと同じ物語の前編と後編になっているものであるかのように見事に繋いでみせる。それは歌詞にストーリーが完璧に描かれているからこそ感じられるものであるし、それはピアノをメインにしたシンガーソングライターだからこその自由度の高さであるとも言える。
「足元が凍るような状況の世の中になってしまいました。そんなあなたの足元を溶かして、前に進めるように」
と言っての「なだれ」の
「たとえば何百年前に 凍りついて終わったはずの桃源郷
今更やっと吹いてきた 春風が君にも分かるだろ?
さあ雪崩れ落ちておいでよ」
というフレーズはこのコロナ禍が明けた時に聴いたらまた違った解放感を得られるかのような。この状況になる前の世の中が桃源郷だったようにすら感じられるからこそ。ピアノの音に連動するように青く光る照明とのチームワークも素晴らしいものがある。
「日本には百鬼夜行という言葉があります。その百体の鬼の先頭を歩いているのが私だったら。夜が明ける頃には人間ではなくなっているでしょう」
という口上がおどろおどろしさを感じさせながらも、どこか過ぎ去ってしまった青い春を懐古しているようにも感じられる歌詞は、きっともう戻ることができないということを示しているのだろう。リリースされたばかりということもあるが、「アンチ・フリーズ」の曲を軸にした最新モードである。
「情熱だけで生き残れたらどいつもこいつもヒーローだよ
守りたいのならそれなりに飛べ」
という、ライブが終わって何時間経ってもこのフレーズが頭の中を巡っている「エピゴウネ」はこのコロナ禍における生き方を描いているようにも感じるが、曲自体は2014年リリースの「瞼瞼」の収録。それはつまりもう長くなった活動歴の中においてこの人の作ってきた曲や描いてきた歌詞がどんな時代にも通用しうる強度を持ったものでもあるということだ。逆に言うならば消費されるような軽さがなかったからこそ、これまでメインストリームには登場して来なかったのかもしれない。
「今日は様々な約束があります。マスクをしたり、声を出せなかったり。皆さんがそうした約束を守っていてくれているから、このライブが開催できています。我々ミュージシャンは生きる場所を与えて貰っているのです。そんな場所を作ってくれた、あなた自身に今日1番大きな拍手を!」
と言って日食なつこ自身ではなく、観客自らに拍手を送らせるというあたりにこの人の人間性が見えるというか、今の厳しい状況の中でもこうしてライブに来てくれる人がいるから生きていける、生活していける人がいるということを改めて伝えてくれているかのようで、それは時には罪悪感や後ろめたさも感じてしまうこともある我々を心から肯定してくれるものであった。
その拍手がそのまま手拍子となって響き渡った「ダンツァーレ」はイタリア語であるらしいが、そのタイトルの響き通りのダンスナンバーで、ピアノと歌だけという、ともすれば眠たくなりがちな形態のライブでも全く眠くならないどころか、踊れる曲であることで身体が、一字一句聞き逃したくない言葉や歌詞であることで精神までもが聴いているとより研ぎ澄まされていくかのようですらある。
さらにタイトル通りに清冽なピアノのサウンドがこの形態であってもロックな部分を感じさせる「水流のロック」では今度は日食なつこが煽ることをせずとも裏拍のリズムで自然発生的に手拍子が起こる。それはピアノがメロディだけではなくリズムの楽器であることをこれ以上ないくらいに示すものであったし、だからこそライブを見ていて体が揺れるのである。
そしてラストに演奏されたのは「アンチ・フリーズ」のラストナンバーにして先行曲の一つである「音楽のすゝめ」。
「一つ、知識や偏見をまず置いてくること
二つ、好きか嫌いかはあとで考えること
三つ、揺れて動いた心に従うこと
いいから黙って飛び込んでくればいいのさ」
「四つ、愛の深さを比べ合わないこと
五つ、神様みたいに信じすぎないこと
六つ、あんまり大事にしまい込まないこと
空に放り投げてみたっていいんだぜ」
「七つ、どんな歌も終わりがあると知ること
八つ、泣いてもいいからちゃんと次に行くこと
九つ、即ち音楽これ人の心
絶やしちゃいけない人の命 そのものなんだよ」
と、歌詞を全部書き出したいくらいに全音楽ファン必聴と言っていい、2021年を代表するべきキラーチューン。その歌詞を聴いていると、迫害されているような感覚に陥る時すらあるこの今の世の中における音楽の立ち位置や存在、人間にとってそれがどれだけ大切なものなのかということに心の底から深く向き合ったからこそ描けた曲なのだろうし、それはライブを見ているとわかることであるが、その持ち得る声や音、言葉から佇まいや纏うオーラなどの全てが「音楽そのものである」とすら思える日食なつこだからこそ生み出せた曲でもある。
「失われた時間は2度とこない また会える約束もできやしない」
じゃあどうするのか。その時に後悔しないように、自分から会いに行く。失うことのないように。
「短い夢を 朝が来れば幻と化す夢を
後先もなくかき集めてしまう 馬鹿な僕らでいようぜ
馬鹿な僕らで会おうぜ」
ライブはよく「一期一会」とも評される。それはこの歌詞の通りに短い夢であり、朝が来れば幻と化す、実体を持たないものだからだ。この世の中の状況でもそれを求め、それに縋る我々は馬鹿なのかもしれない。なんなら今SNSやらYahoo!ニュースのコメントやらを見れば、そうして馬鹿扱いしてくるような奴らはたくさんいる。この日、日食なつこは
「どうか皆さんがくだらない声に惑わされたり拐かされたりしませんように」
と言っていた。この日ここにいた人たちはそんな奴らの声に惑わされる事がないくらいに強い信念を持っていることだろう。そんな馬鹿な我々とミュージシャンが果たせる数少ない、というか唯一と言ってもいい約束。それは「また会いましょう」ということ。
次に会う時がワンマンのライブだったりしたら、きっと自分は感情を揺さぶられ過ぎて泣いてしまうことだろう。そうまで思わせてくれるこういう人が、ずっと音楽を続けていけるような世の中であって欲しいと心から思っていた。
1.真夏のダイナソー
2.空中裁判
3.なだれ
4.99鬼夜行
5.エピゴウネ
6.ダンツァーレ
7.水流のロック
8.音楽のすゝめ
・UNISON SQUARE GARDEN
そしてここまでの2組の音楽とライブを自分たちのファンに見せる、伝えるという伝道師の役割を終えて、ユニゾンが自身のライブへ。なんやかんやでこのご時世の中でも毎月のようにライブを見れているというのは、そのままユニゾンがライブをやり続けてくれているからこそと言える。
おなじみのイズミカワソラ「絵の具」のSEが鳴る中でメンバー3人が登場。最近はホールなどの会場でこの登場シーンから、ステージを見下ろす形で見ることも増えたけれど、やはり暗闇の中に挙動不審気味に出てくる田淵智也(ベース)の靴紐がオレンジ色に光っているのは、このZeppでも2階席から見るとよくわかる。
SEが止まると、まるでライブそのものの始まりを告げるかのような壮大かつ賑やかな音が同期として鳴ってから始まったのは、「Dr.Izzy」の1曲目に収録されている「エアリアルエイリアン」という予想だにしない曲。
いや、そもそもユニゾンはリリースツアーやリバイバルツアーという「このアルバムの収録曲は絶対にやる」というのが決まりきっているライブではない時にはどんな曲を演奏するのかがわからないバンドであるということはわかっていたつもりだが、それにしても「CIDER ROAD」のリバイバルツアーが終わって、これからついに「Patrick Vegee」のツアーへ向かおうとしている中で今この曲で始まるとは。そんなユニゾンらしさにオープニングからついつい笑ってしまった。それは声を出して笑うのではなく、笑顔にしてくれるという意味だ。
黒子首と日食なつこのライブの際にも重要な役割を果たしていた照明が、都内のライブハウスの中にいるというのにタイトル通りに木が生い茂るジャングルの中にいるかのような色合いに変化するのは、田淵が本領発揮とばかりに上手側までステップを踏みながらベースを弾く「MIDNIGHT JUNGLE」。どこか祭囃子も想起させる鈴木貴雄のドラムは一打一打がとんでもなく強いのに軽やかさも感じさせ、そのリズムに合わせて観客も椅子ありの指定席であっても踊りまくる。少し序盤は喉の調子が全開ではないのか、あるいは鈴木がスタッフに指示していたように音量が小さかったのか、やや控えめだった斎藤宏介(ボーカル&ギター)はしかし、
「こんばんは、UNISON SQUARE GARDENです!」
と挨拶をすると、
「今日は時間の許す限りに曲をやりたいと思います!」
と宣言。それは自分たちの持つ音楽でとことんこのイベントに向き合ってくれたゲスト2組への礼儀でもあるのだろう。
普通のバンドならちょっとでもボーカルが声が出なかったり歌詞が飛んだりしたら破綻してしまうギリギリのバランスを攻めまくるような「Phantom Joke」のスリリングさはいつ見てもドキドキするものであるが、それを決して外すことがないのがユニゾンのライブのパラメータが全能力最高値をマークしている所以であろう。
そこから鈴木のドラムを軸にしたイントロが鳴らされた段階で観客の鼓動も高鳴り、メンバーの「ハイ!」のコールで観客も飛び上がる「サンポサキマイライフ」へ。メジャーデビュー期の曲であるが、当時よりもむしろ今になってこそ、ユニゾンが我々の3歩先をエスコートしてくれていると感じられるのは、やはりいろんなそれぞれの選択肢や正解があるこの状況の中でも「どうやったらライブができるか」ということを考え、それをこうして実行し続けてくれるバンドだからだ。その行動が我々の人生や日常を、こんな気が滅入ることばかりの状況でも少しでも「楽しい」と思えるものにしてくれる。それは誰よりも楽しそうにステージを駆け回る田淵の姿を見ていると、なんだか感動してしまうことも含めて。
「サンポサキマイライフ」の演奏中にすでにスタッフが鈴木の頭にヘッドホンを装着していたのは、同期の音を取り入れ、イントロでのキメに合わせて鈴木と田淵がポーズを決める「シュガーソングとビターステップ」。このZepp Tokyoでも何度も聴いてきたこの曲もコンセプトがハッキリしたライブが続いていただけにこうしてライブで聴くのも久しぶりであるが、やはりライブハウスでこの曲を聴くと「最高だ」「幸せ」という感情が脳内をグルグル巡って、目が回りそうになる。
日食なつこはこの日を「最後の夏日」と評していたが、どうやらユニゾンはすでにこの時期を秋の日として捉えているようだ、と感じたのはクールな青い照明がメンバーの姿と秋の夜長の空気を立ち上がらせる「静謐甘美秋暮抒情」が演奏されたからであるが、キーの低いメロからサビで開かれていくという流れのボーカルを経た斎藤の声はこの辺りから完全に不安を全く感じないものになっていた。
そんな斎藤のボーカルとともにイントロでセッション的な演奏を繰り広げたバンドの勢いも止まらないのは、これまた今ここで演奏されるとは、という「サイレンインザスパイ」であるが、この辺りから鈴木のドラムの手数が完全におかしいことになり始める。ただドラムを叩く手数が増えるだけではなく、空中を叩いたりもするのだから実際の稼働率はさらに増しているだろう。この辺りはライブをやりまくることによってバンドそのものが進化してきたユニゾンらしさを表すパフォーマンスである。
そんな鈴木にまたも演奏中にヘッドホンが装着されたのはエマージェンシーかつド派手な同期音が流れ、その音に合わせて田淵も足を高く上げて踊りまくる「徹頭徹尾夜な夜なドライブ」で鈴木のコーラスももはやシャウトしているというくらいに昂りまくっているのだが、確かこの曲はこのZepp Tokyoでワンマンをやった時に新曲として演奏されていた。その時には「何だこの曲は!?」とそこにいた誰もが驚いていたのだが、このZepp Tokyoがなくなってしまうことが発表された今になってこの会場で聴くと、そんな記憶が蘇ってくる。
それはこの曲の後に演奏されるのが一つの流れになっている「桜のあと (all quartet lead to the?)」もそうである。この曲もリリース時のツアーからこのZepp Tokyoで聴いていた。思わず田淵がステージでそうするように駆け出したくなるようなサビの突き抜けるようなメロディにそれぞれが本当に楽しそうにしていたあの頃のZeppでのライブの景色が蘇ってくる。そうして何度もここで見てきたユニゾンのライブをこうしてなくなる前に見れて本当に良かったと思った。そうした楽しかったでしかない思い出が今もちゃんと自分の頭の中に残り続けていることがわかったから。それはきっとこれからもずっと覚えているはずだ。この日のこの曲で田淵がベースを抱えて高くジャンプするという、ロックバンドだからこそ最大級にカッコいいなと思えるシーンも含めて。場所がなくなってしまっても、ここに我々がいた事実は消えはしない。それは1stアルバムリリースツアーファイナルの赤坂BLITZ、2ndアルバムリリースツアーファイナルの渋谷AXという、やはりなくなってしまった場所の光景がまだ自分の中にはちゃんと残っているからわかることだ。
「ラスト!」
と斎藤が口にすると、荒々しいギターロックが原曲の何倍速なんだというくらいにテンポが速くなっている「Cheap Cheap Endroll」。曲中には田淵が歌っている斎藤に向かって突進して頭をグイグイ押し付けるのだが、斎藤はマイクスタンドをズラしてかわしながら歌おうとするもなおも突進してくる田淵をついに優しく払いのけ、その場に倒れる形になった田淵はそのままの体勢で大きく開脚しながらベースを弾くという、観客も思わず笑ってしまう姿に斎藤も完全に笑ってしまっていたが、オープニングもエンディングも「Dr.Izzy」の曲というのも明らかに狙ったであろうけれど、この曲を最後にしたのは「エンドレスロール」という近いタイトルの曲がこれから代表曲になっていくであろう、黒子首へのリスペクトを込めていたんじゃないかと思っている。気付いたら最後のサビではしっかりコーラスをしていた田淵は曲が終わった瞬間に袖にいたスタッフにベースを渡してステージを去っていた。
アンコールでは本編ではMCをしなかった斎藤がこのZepp Tokyoの全景を見渡すようにしながら、
「Zepp Tokyoでライブをするのも今日が最後になると思う。18歳〜19歳の時にあの辺(客席上手奥の方を指差して)でライブを見ていて、「いつかこのステージに立ちたい」って思った場所だった」
と、何度となく立ってきたこのステージがかつての斎藤少年の憧れの場所だったこと、今日がそんな場所での最後のライブであることを語ると、
「今日はもう現代のマリー・アントワネットというか(田淵は「ん?」っていう顔をしていた)、自分たちがただ見たいアーティストを呼んでライブをやってもらうっていう。
何かとライブがやりにくい状況になってしまってますけど、まだ僕らも皆さんも知らないような素晴らしいアーティストが、今日も、明日も、明後日もどこかのライブハウスでライブをやっている。どうか行ける時に見に行ってやってください。やってくださいとか言うとなんだか偉そうだけど(笑)」
と自分たちがこうしてライブをやる意味、それは自分たちがライブをやることで、まだ見ぬアーティストたちもライブをやれるようになるという、背負うというものではないけれど、ライブそのものを殺させないように、たくさんのアーティストが自分たちが生きていることを表明できる場所がちゃんと存在していますように、という願いを込めているように感じた。
それはそのまま自分がこうしてこの状況の中でもこうしてライブを観に行く理由そのものだ。どこかのライブハウスではいろんなアーティストがライブをやっている。そうやって生きている。その姿を確認しにいく。その姿から翌日以降の生きていくための力をもらう。そうやってお互いにあくまで健康に生きていきたいのだ。
そんなライブというものを改めて己自身に問い正すような言葉の後に演奏されたのは、SEで使っている「絵の具」を作ったイズミカワソラのピアノの音が同期として流れる「mix juiceのいうとおり」。
それはZepp Tokyoでの最後のライブでイズミカワソラのピアノの音を鳴らすとともに、このライブにピアノ一台で臨んだ日食なつこへのリスペクトであるようにも感じた。
「何気ない毎日でもまた生まれ変わる
だからアンドゥトロワのリズムに合わせて」
「今日までの感情が明日を作るから
イライラも後悔もまるごとミックスジュース」
と、音楽が流れる場所があることで我々は何回でも新しい日々を迎えて生まれ変わることができるという、ライブの素晴らしさそのものを歌ったような歌詞が今の状況であることによってより一層強く響いてくる中、アウトロでの3人の本当に楽しそうに演奏している姿は、そのまま我々の生きている実感となっていた。目の前で演奏しているロックバンドの姿が、我々の心の写鏡のようになっていた。
演奏が終わると、この日は上着を脱がなかった鈴木もやり切ったような、晴れやかな表情でステージを去っていった。ユニゾンはブレない。それはどんな世の中の状況であっても、最後のZeppでのライブであっても。いつものように変わらないユニゾンとしてのライブを見せてくれる。それは今年の下半期もまだまだ続く。それが我々にとっての確かな希望になり続けている。これからも、全世界のスケールで右往左往したい。
1.エアリアルエイリアン
2.MIDNIGHT JUNGLE
3.Phantom Joke
4.サンポサキマイライフ
5.シュガーソングとビターステップ
6.静謐甘美秋暮抒情
7.サイレンインザスパイ
8.徹頭徹尾夜な夜なドライブ
9.桜のあと (all quartet lead to the?)
10.Cheap Cheap Endroll
encore
11.mix juiceのいうとおり
文 ソノダマン