7月に東京キネマ倶楽部で行われたtetoのライブ「ナショナルキッド」は本来ならばアコースティックライブになるはずだった。
しかしその日の開演時間に登場した福田裕介(ドラム)と山崎陸(ギター)はその日をもってバンドからの脱退を発表。たった5曲のライブが4人での最後のライブになった。
それでも小池貞利(ボーカル&ギター)と佐藤健一郎(ベース)の2人は止まることなく活動を続けることを明かし、昨年に開催することが出来なくなった47都道府県ツアー「日ノ出行脚」を新たな体制で限られた地域だけでも回ることを発表した。
あの日から2ヶ月ちょっと。その間に行くはずだったイベントなどが中止になってしまったことによって、いよいよ新体制のtetoのライブを見れることに。昨年チケットを取っていたものの、中止になってしまってなくなく払い戻しをしたZepp DiverCityでのワンマンはツアーファイナルである。
検温と消毒を終えてDiverCityの中に入ると、客席には椅子が置かれており、かなりの動員数の減少になっていることが伺えるのだが、開演前にはP青木が登場して諸注意を兼ねて前説を行い、開演予定時間の18時30分を少し過ぎたあたりでステージに貼られた暗幕が開くとともに、SEもなしに明らかにステージから音が鳴らされているのがわかる。
幕が開くとそこには2名のギタリストとドラマーに加えて佐藤、さらには下はジャージで上は白シャツという出で立ちでハンドマイクを持って飛び跳ねまくっている小池の姿が。変わらざるを得ないのはわかるけれど、もう一目見るからに変わっているのがわかる。バンドの編成そのものが変わったその形で、小池はステージを走り回るから早くも息を切らすようにしながらも「暖かい都会から」を歌い、最後の
「シャットアウトしてそっと目を閉じた」
のフレーズで小池は床を這うようにしながら、
「俺は目を閉じない!この景色から目を閉じない!」
と叫ぶ。そこには1曲目でありながらも、形が変わってもツアーファイナルを迎えられたことによる万感の思いのようなものが確かに感じられる。
小池はアウトロからエレキを手にして「メアリー、無理しないで」からはギターを弾きながら歌うのだが、それでもあまりにも目まぐるしくステージを動きながら歌うため、サビの「メアリー」の連呼をほとんど佐藤に任せるという状態になっている。
その佐藤の横、下手のギタリストはすぐにわかった。おかっぱのような髪型に中性的と言えるような服装は、かつてtetoとスプリット盤をリリースした、Helsinki Lambda Clubの熊谷太起だ。ステージ真ん中のドラムを叩いている赤いジャージのような服装のメンバーは髪型からして明らかに女性だが、顔をよく見ると、古舘佑太郎によるバンド、2を脱退したyucco。上手側のギタリストもジャージのような服装であるが、それはヤングオオハラのヨウヘイギマ。
後のMCで小池も紹介していた通り、2とヤングオオハラはかつてスペシャ列伝ツアーを一緒に回ったバンドだ。そのメンバーたちが今はこうしてtetoのライブで一緒にステージに立っている。よく知る面々というのもあるが、それだけでなんだか溢れてきそうな感情があった。
そのメンバーたち、特にギターが2人になったことによって、ライブにおける音楽的な完成度が高くなっているのは間違いない。時にはギターを弾かないどころか、ギターを放り投げてハンドマイクで歌うという姿もよく見てきた小池だけに、常に2人のギターが弾いているというのは音に厚みを持たせている。
しかしそうした完成度が高くなると得てしてロックバンドの、そしてtetoのライブにおける最も重要な要素である衝動の部分は失われてしまいがちなのだが、小池がギターを掻き鳴らしながら歌い始めた「Pain Pain Pain」でやはりギターを振り回したり、マイクスタンドを下手側に向けて掴みながら歌う小池の姿を見て、この編成のtetoが音楽的な完成度を高めながらも全く衝動が失われていないということがよくわかる。
なぜなら小池は普通にマイクスタンドを客席に向けたり、「Singing!」と観客を煽ったりと、コロナ禍の中では誰もが「心で」という言葉をその前につけるようなことを全くすることなく、こうした状況になる前と変わらないような(さすがにステージを降りたりはしない)パフォーマンスを展開しているからであり、それはこうしてバンドとしてライブをやっているとそうなってしまうという衝動以外の何物でもないのだが、それでも歌声は佐藤のコーラスしか聞こえてこないというあたりにtetoのファンの自制心を感じるし(それはコロナ禍に野音などの椅子がある会場ですでにワンマンをやってきた慣れもあるかもしれない)、小池はそうした観客の自制心を信頼しているからこそ、こうしたパフォーマンスができているんじゃないだろうか、とも思った。
ここで小池はサポートメンバーを紹介するのだが、熊谷を紹介する際のHelsinki Lambda Clubを独特の早口もあってほとんど聞き取れず、熊谷から
「Helsinki Clubにしか聞こえない(笑)」
と突っ込まれる。そこに両者の、両バンドの深い信頼関係が感じられたし、それが小池の
「結局、見せたいのは音楽の光とロマン!」
という言葉に繋がっていく。ともにロックバンドを続けているからこそのロマンがこうして今交わっている。
「俺がこの曲で夏を取り戻してやる!」
と言って演奏された「夏百物語」ではその熊谷の、そうしたサウンドも得意とするHelsinki Lambda Clubのギタリストだからこその陶酔感を与えてくれるギターの音が、今年もほとんど感じることが出来なかった夏の情景を脳内に想起させてくれる。それがどこか平穏なものに感じられるのは、そうした感覚がいかに幸せだったのかということだ。
再び小池がハンドマイクになったということは、やはりステージを暴れ回るようにして歌うということなのだが、
「助けて、ルサンチマン!」
と言って演奏されたことによってヒーローの名前のように感じられる「ルサンチマン」は
「ルサンチマンお前は間違ってなどいないよと問い掛けてくれよ
ルサンチマンお前だけは悲しむべきじゃないよと問い掛けてくれよ」
というサビの歌詞が、形が変わってもこうして止まらず走り続けることを選んだtetoの姿勢と、そのバンドを信じてこうしてこの日この場所に足を運んだ我々のことを、間違ってなどいないよと肯定してくれているかのようで、どこか救われているようでありながら、バンドを救えているんじゃないかとも思った。こうして現場に足を運ぶということが我々にできる最大のバンドへの肯定表現なのだから。
そんなバンドと我々の姿勢そのものを歌っているかのような「とめられない」も含めて、ツアータイトル自体は昨年開催できなかったツアーのものをそのまま引き継いだものであるが、内容自体は8月にリリースされた最新アルバム「愛と例話」のツアーと言っていいものであり、小池がハンドマイクにコードが繋がったままでステージ左右まで動いていくためにマイクスタンドが倒れたりするというとめられなさも含めて、このアルバムにどれだけ自信を持っているのかということがよくわかる。
「俺には蜩が泣いている声が聞こえてきた」
と言って演奏されたのはもちろん「蜩」であるのだが、サポートメンバー全員にマイクスタンドが用意されていたことからもわかるように、ここまでも曲によっては熊谷がコーラスをしたりということもあったのだが、この曲ではサビを全員で歌うというシーンがあった。これまでのバンドの歩みの中で出会ってきたメンバーたちが、こうして今同じ曲で声を重ねている。その姿を見て、形を変えてもバンドを続けるという選択が間違ってなかったんだと思えたのは、同じツアーを回ったという共通点で繋がったバンドマンたちがそのツアーから何年経ってもtetoのことを大事に思ってくれているということがその楽器の演奏だけでなく歌までも覚えてくれているという姿から本当によくわかるからである。
そんな仲間たちとの関係性による感傷をさらに強く感じさせてくれるのはMV同様にメンバーの顔がハッキリとは見えないように逆光の照明が背後からメンバーを照らす光景が実に神々しかった「溶けた銃口」であり、
「Everything in my world is with you.
君が孤独と語るのなら
Everything in my world is with you.
この歌をなんと呼ぼう
Everything in my world is with you.
愛を幻想と語るのなら
あの人が何も言わずそっと掌で背中を押してくれた
あの温もりをなんと呼ぼう」
という歌詞が小池が
「あなたへ手紙を書いてきました」
という通りに我々1人1人に向けられたものとして響く「遊泳地」という、バラードと言っていいような、衝動だけではないtetoのメロディの美しさをこれでもかというくらいに感じさせてくれる曲たち。
この「遊泳地」の歌詞が孤独というテーマに根ざしたものであるというのは、小池がtetoの音楽を聴く人はきっと1人で家で音楽を聴いているような人だとわかっているからだろう。
自分自身もTwitter上ではtetoのことが好きな人たちが周りにたくさんいるけれど、それでもその人たちと一緒に聴いたり、一緒にライブに行ったりしたいとは思っていない。それはtetoの音楽やライブに向き合うということは、いつだって自分自身と向き合うということだからだ。自分があんな風にステージで衝動をありのままに解放することができる人間だったなら、とこの日も思っていたように。
小池はこのあたりの曲で歌いながら弾いていたアコギをそのまま弾きながら「夢見心地で」を歌い始めるのだが、この曲でのメンバーの背後に置かれた照明が一斉に光るという鮮やかな光景は必要最小限で最大限にバンドの鳴らしている姿を引き立てるためのステージの全容が明らかになった瞬間でもあり、まさに夢見心地なものであった。
福田は途中加入だったとはいえ、ほとんどの人にとってはteto=あの4人であり、その4人で共有していた意識やビジョン、グルーヴによるバンドは終わったという点では、tetoは
「夢見る時代ならもう過ぎた」
という状況そのものだ。しかし、
「それでももう一度見た夢が心地良くて
裸のままあなたにただただ逢いたくて
きっともう一度だけ僕等も新しい時間があるのさ」
という歌詞通りに、新しい時間を自分たちで動かすためにもう一度夢を見ることにしたのだ。そうした今のバンドの状態がより一層この景色を夢見心地なものにしてくれるのだ。
これまでは8月に行われてきたフェスのステージなどで演奏されてきたことによって、夏が終わっていくことを感じさせてきた「9月になること」をこの日演奏することによって、まさに今が9月であることを実感せざるを得ないのだが、音源ではリーガルリリーのたかはしほのかがコーラスしていた
「雨上がり蒸し返す空気、蝉の鳴き声
汗をかいた瓶サイダー、それとあなたの」
というフレーズでyuccoがコーラスをしており、ついにこの曲がライブで女性コーラスが重なるという形で演奏されたことになる。
tetoのライブに数多く行ってきた人であればあるほど、この編成でのライブを見て最も違和感を感じたのはドラムかもしれない。福田のひたすらに一心不乱に強く強く叩くという、バンドの衝動を音、リズムの面で担っていたドラム(自分は彼のそんなドラムが本当に大好きだった)と、yuccoのしなやかさを感じさせるようなドラムとはタイプが違うからだ。
しかしながらこの曲あたりでそのギャップが埋まってきたのは、もともとはyucco自身も2という古舘佑太郎と加藤綾太の抱える衝動を炸裂させるバンドで叩いていたドラマーだからであり、何よりもやはりこの曲のコーラスで曲の完成形と言えるようなものを見せてくれたからだ。それは小池の声にyuccoの声が、重なって重なっていたからだ。
そんなyuccoが実家の北海道の知床から飛行機で来てくれてこうしてドラムを叩いてくれていることを始め、小池は熊谷からは人間としての穏やかさを、自身よりはるかに若いギマからはロックバンドとしてのフレッシュさを、一緒に音を鳴らすことでそれぞれ改めて教わったということを話す。佐藤に関しては
「俺と健一だけわかっていればいいから敢えて口には出さない」
とのこと。
「上手く逃げた(笑)」
と突っ込まれてもいたが、実際にそうしたものがあるからこそ、2人だけになってもtetoとして続けていこうと思ったのだろう。
そうした言葉を3人に送ることができる小池だからこそ、
「新宿駅東南口で道路にこぼしたミルクが蒸発しないでそのままシミになればいいのに」
という、おそらくはVIVA LA ROCKのCAVE STAGEに出演した時などに口にしていた詩の朗読的な言葉から、アコギを弾きながら歌う穏やかなサウンドに
「心から優しい人は言い換えれば
人を傷つける言葉を知っているのね」
というフレーズが乗る「燕」のような曲を作ることができるのだろうし、それはどこか日常の何気ない情景を小池ならではの視点で描いたという共通点を感じる「コーンポタージュ」もそうだ。だからこそ、この曲で一緒にレコードを聴きながらスナック菓子を食べている相手が、今も元気で、健康で息をしていてくれたらいいなと思う。
そんな曲からガラッとまたクライマックスとばかりにギアが入れ替わるのは、もはやテンポも速くなりすぎているが、小池の暴れっぷりからしてライブバージョンでは歌詞をハッキリと聴き取るのが困難な感じすらする「あのトワイライト」で、数少ないハッキリと聞き取れるフレーズが
「魅了したいされたいされ続けていたい、し続けていたいよ
あのトワイライトのように」
だったのは、今もtetoというバンドに自分が魅力され続けているからであり、マイクスタンドをグイッと下げるようにしてステージに膝をついて歌う小池の姿が、
「何度も何度も何度も何度でも輝いて生きてたいよ」
というフレーズ通りに輝いて見えるからだろう。
小池も含めたトリプルギターの迫力、特にソロまでをも担うギマのギターによって、観客の腕が一斉に上がるくらいに「愛と例話」の収録曲の中でもすでにキラーチューンに成長したことがよくわかる「invisible」はここまででもう体力を使い果たすかのようなパフォーマンスを繰り広げてきた小池の
「焦がれる程に恋してみたい
溢れる程に愛してみたい」
というサビでの歌唱に、心からそう思っていることがよくわかるくらいの声の伸びやかさを見せる。この日1日で、後半になるにつれてさらにバンドとしてのグルーヴも強くなっているかのような感覚すらある。
そして小池が再びハンドマイクになった「拝啓」の
「拝啓 今まで出会えた人達へ
刹那的な生き方、眩しさなど求めていないから
浅くていいから息をし続けてくれないか」
というフレーズはやはり脱退した山崎と福田のことが頭に浮かぶ。バンドを細々とやっていくことも山崎はツイートしていたが、2人がこれからも浅くてもいい、でも息をしていてくれればいいと思うとともに、今目の前で音を鳴らしているメンバーたちが、ステージに這いつくばりながら歌う小池とステージ前まで出てきてベースを弾く佐藤はもちろん、ギマと熊谷もそれぞれのバンドでこんなに激しく動きながらギターを弾く人だったかと思うくらいの熱量を感じさせ、yuccoも笑顔で汗を飛び散らせながらドラムを連打している。その姿はこの5人全員が同じ思いを抱いてこの曲を演奏している、この5人で今のtetoになっているということの証のようであり、この日こうして参加してくれた3人に心から感謝したいと思った。形が変わってもこんなにtetoらしいライブを見せてくれているのだから。
そんなこの日のライブを小池も
「過去最高のものを見せられているという自信がある。ロック最高、ロックバンド最高」
と自賛し、このツアーで大きな手ごたえ(それはこれからもtetoを続けていけるというもの)を手にしたことを感じさせ、最後に演奏された「LIFE」の穏やかながら陶酔感を感じさせるサウンドで
「君に気に入られるようにと
なんとなく始めたバンドは
今でも楽しくやれててさ
たまには遊びにでもおいでよ」
というフレーズが今の小池の心境そのものであり、あの4人ではなくなったことによって離れていったかもしれない人にも、これからのtetoの活動を続けることによって、来たくなったらまたいつでも受け入れるから、と優しく手を広げてくれているようにも感じたのだった。
アンコール待ちはかなり長かった。それはやはり小池の体力的に、本編が終わってステージから捌けてすぐにまた出てくるというわけにはいかないのだろうとも思っていたが、実際に出てきたのは小池1人だけで、アコギを持って椅子に座ると観客も一斉に着席し、
「こうやってMCとかしないでライブやるの久しぶりだったけど、やっぱりこれが良いなって」
と口にしていたが、それはキネマ倶楽部でのライブを筆頭に、この日に至るまでに話さないといけないことがたくさんあったライブばかりだったからだ。この日の解放感はそうした心境ともリンクしていたとも思えるが、
「これまで通ってきた、これから10年、100年通い続けるであろう全てのライブハウスに捧げます」
と言って弾き語りしたのは「光るまち」。
「心のスーパーヒーローだったよ、アツシくん」
と固有名詞を加えることによって、より小池のパーソナルな歌詞になっていきそうなところを、
「あのライブハウスは無くなった 僕らも会うことは無くなった
それでも今もこれからもこうして」
というフレーズがここにいた人それぞれのライブハウスの記憶、ライブハウスで出会った人との記憶の歌として響く。コロナ禍になってしまったことによってなくなってしまったライブハウスもあれば、このDiverCityのすぐそばにあるZepp Tokyoや新木場STUDIO COASTもなくなることが発表されている。そんな大切な場所への想いが
「光るまちに行こう」
というフレーズとともに募っていく。あの場所でもtetoのライブを何回も見たけど、できればワンマンでも見てみたかったなぁと思っていたら、小池は
「終電は…そろそろ逃したいなぁ」
と歌った。ライブが終わっても打ち上げや飲み屋に行くこともできず、夜になれば街から光が消えてしまう今の状況が必ず明けるということを信じているかのように。
「光るまち」を歌い終わるとともにメンバーが再びステージに登場し、小池がハンドマイクにタンバリンという形で観客もリズムに合わせて手拍子するのは「手」。
「馬鹿馬鹿しい平坦な日常がいつまでも続いて欲しいのに
理想と現実は揺さぶってくる
でもあなたの、あなたの手がいつも温かかったから
目指した明日、明後日もわかってもらえるよう歩くよ」
という歌詞はそのままメンバーが脱退するという現実に直面しても止まらずに歩き続けてきたtetoの今の状況そのものであり、それを小池に紹介されてからギターソロを弾いたギマを筆頭に、tetoのために力を貸してくれるバンドマンたちと観客が一緒に笑顔になることができている。この人たちの手はきっと温かいものなんだろうなぁと思うくらいに幸せな光景を、「夢見心地で」と同じようにメンバーの背後から照らす眩い照明が照らしていた。
そんなライブの最後に演奏されたのは、4人での最後のライブでも最後の曲として演奏していた、おそらくはtetoとして最もライブで演奏してきた曲であろう「高層ビルと人工衛星」。
小池はやはりサビなどでは観客にマイクを向けたりするのだが、それでも最後まで歌う声が聞こえなかったというのは、観客がtetoのライブを守ろうという意思を持っているということを感じさせてくれ、
「ふたりだけ 茜色の海や物憂いな横顔はもう
ふたりだけ 茜色の海や物憂いな横顔は
今更わかって」
というフレーズでは手拍子する観客がバスドラのリズムに合わせる。そのバスドラを踏むyuccoは立ち上がるようにして笑顔で右手に持つスティックを客席に向けた。なんだかその光景を見た瞬間に涙が溢れてしまった。それは形が変わらざるを得なかったtetoが、どうあっても今もtetoでしかないライブをやっていて、それがtetoを愛する人によって作られていたからだ。最後のコーラスでは佐藤とともに熊谷も声を重ね、ギマは体を激しく揺らしながらギターを弾いていた。観客は思い思いに腕を上げたりしていた。音が鳴り止んでメンバーがステージから去った時、そこには今までのtetoのライブで確かに感じてきた、何物にも変えがたい爽快感が体と脳内を支配していた。
しかしだ。今のライブはよっぽど動員数が少ないライブ以外では密になるのを避けるために規制退場がアナウンスされる。だからこそ、なかなかそれが始まらないということは、これはもしかしたらまだあるのかもしれない、という期待が観客の手拍子を後押しする中、わざわざ隠す必要もないはずなのに真っ暗になったステージにメンバーが登場し、「愛と例話」の1曲目であるショートパンクチューン「宣誓」の演奏を始めた。
普段は控えめな佐藤はステージ前まで出てきてベースを弾き、小池はハンドマイクでステージを走り回りながら叫びまくり、最後には床に落とした(というか置いたというか)マイクに向かって寝そべりながら絶叫。
「ただ恋は多く、ただ愛は深く」
その言葉をひたすら繰り返す、わずか1分ほどのこの曲を演奏するために再びアンコールに応えたというのが、今のtetoとしての宣誓そのものだった。
3年前に銀杏BOYZの対バンとしてこの会場に出演した時に山崎が銀杏BOYZへの強いリスペクトゆえに全裸になった時にはtetoの形が変わるなんて全く想像していなかった。それくらいにあの4人でなくなった時は終わる時だろうと思うようなバンドだったのだが、こんなに4人ではなくなった喪失感を感じさせないライブができたのはこの日のサポートメンバー3人のおかげであるのは間違いない。そこには確かにtetoの音楽と意思を共有している感覚があったから。
でもきっとこれから先もずっとこのメンバーでライブができるわけではない。みんなそれぞれのバンドや生活がある。小池もそれを犠牲にしてまでtetoに参加して欲しいとは思っていないはずだ。
しかしこの日こうしたライブが見れたということは、これからもメンバーや形が変わっても、tetoはtetoでしかないライブをやってくれるはずだ、と思わざるを得ない。それくらいにロックバンドの、tetoというバンドの光とロマンを感じさせるライブだった。小池はメンバー脱退時に
「メンバー抜けたから私が支えなきゃ、みたいな同情は不要だ」
と言っていたが、確かに同情は全くいらなかった。ただただひたすらにカッコいいからライブが見たいと思えるバンドであり続けていたからだ。そしてそれはこれからもずっと続いていく。
1.暖かい都会から
2.メアリー、無理しないで
3.Pain Pain Pain
4.光とロマン
5.夏百物語
6.ルサンチマン
7.とめられない
8.蜩
9.溶けた銃口
10.遊泳地
11.夢見心地で
12.9月になること
13.燕
14.コーンポタージュ
15.あのトワイライト
16.invisible
17.拝啓
18.LIFE
encore
19.光るまち (弾き語り)
20.手
21.高層ビルと人工衛星
encore2
22.宣誓
文 ソノダマン