今週に最新アルバム「INNOCENCE」をリリースしたばかりだが、すでに発売前からアルバムの全曲演奏+試聴会という内容のツアーを行ってきた、ACIDMAN。
それは自分たちの新しい作品を少しでも多くの人に広める、ファンにいち早くアルバムを聴いてもらうというバンドのサービス精神とともに、リリース前の曲を全曲ライブで演奏できるというACIDMANのバンドとしての凄さを改めて体感できるものだったのだが、そこでは過去曲は一切演奏されなかっただけに、逆にこれぞACIDMANだ!という内容のライブとなるのがこの日のZepp Tokyoでの「This is ACIDMAN」である。
検温と消毒を終えてZepp Tokyoの中に入ると、なんだか不思議な感じがする。それこそ「創」の再現ライブをここで行った際にはなかった椅子が客席には敷き詰められているし、これまでに何回もこの会場で見てきたACIDMANのライブの景色が変わってしまったことを感じずにはいられないからだ。そしてこの日がACIDMANがここでライブをする最後の日になるということも。
18時になると場内には開演前の注意事項を告げるアナウンスが流れるのだが、そのアナウンスが流れ終わった段階で大きな拍手が起こるということに、集まった観客がこのライブを本当に楽しみにしているということと、ACIDMANのファンの方々の温かさを感じる。声が出せない分、自分たちの思いは拍手で伝えるしかない。そんなそれぞれの心の内が伝わってくるかのようだ。
そのアナウンスから少し経つと、場内が暗転しておなじみの「最後の国」のSEが流れ、3人がステージに。大木伸夫(ボーカル&ギター)が真ん中、上手に浦山一悟(ドラム)、下手に佐藤雅俊(ベース)という立ち位置は「INNOCENCE」のお披露目ライブの時と同様であるが、SEに合わせて佐藤がリズムに合わせて手を叩き、観客もそれに合わせて手を叩くというのはワンマンにおいては久しぶりだ。(フェスやイベントなどではあったけれど)
SEが終わると暗闇の中で演奏に入る前に大木はステージ前に出て客席に向かって数回頭を下げた。そこからして万感の思いに包まれていることがよくわかるのだが、そんな大木が早くもギターを鳴らしてそれをその場で重ねていくというスリーピースバンドのボーカル&ギターだからこその手法で曲を表現する「to live」でスタートし、メンバーの背後全面を使用した巨大なスクリーンにはアフリカあたりの動物たちが生きている映像が映し出されるのだが、その中にはもちろん人間もいるというのが実にACIDMANらしいし、この曲は2012年にリリースされたベストアルバムの1曲目に収録されていた曲であるだけに、この始まり方がすでにこの日の「This is ACIDMAN」というタイトルのライブがどんなものになるのかということを示している。大木のこの曲特有の早口で言葉を詰め込みまくるボーカルがどこかところどころ聞こえづらく感じたのはこの後のMCで理由がわかるのだが、間奏に入る度に一悟のドラムセットの前に出てきて観客の姿や顔を近くで見ながらギターを弾く。
一転して佐藤がゴリゴリのイントロを刻んでバンドを牽引するように疾走していく「造花が笑う」ではその佐藤が
「God damn.」
のコーラスに合わせて自身の腕を振り上げる。それに呼応するかのようにして観客も腕を振り上げると、椅子はあれどコロナ禍になる前のライブハウスの景色を見ているかのようだし、こうしてベスト的な、バンドの歴史を遡るであろうライブでこの曲を聴くと、メジャーデビュー時にこの曲が300円シングルとしてリリースされて話題になり、「ACIDMANっていうバンドのシングルが300円で売ってるらしいよ」なんて話していた10代の頃のことを思い出す。今はもうそうした手法で話題になることもないであろうだけに、それはきっとこれからもずっと残り続けていく記憶になるはず。
再び大木が、今度はキラキラとしたギターフレーズをその場で重ねていくのは、Zepp Tokyoの天井にあるミラーボールが美しく輝く「FREE STAR」であり、一悟の軽やかなドラムに合わせて観客は飛び跳ね、やはり間奏での佐藤の腕を振り上げる動きに合わせて腕を振り上げ…というライブだからこそ、目の前でバンドが演奏しているからこそ迸る感情が溢れ出してくる。
「Free star たった一秒で
Free star 世界は変わる
僅かに残された光」
というきらめくサウンドに乗せて歌われるフレーズはまるで、この今の世の中を生きる我々の願いそのものであるかのようだ。
曲間では曲が終わってから大木が喋り始めるまで鳴り止まない拍手が鳴り響く。3人がその拍手を受けて深々と頭を下げると大木は
「今日、ステージに出てきて泣きそうになった。またこんな景色が見れるなんて思わなかったから。でもライブに集中しろ、Zepp Tokyoのライブなんだぞって思ったら、Zepp Tokyoでの最後のライブかもしれないと思ってまた泣きそうになって…(笑)」
とこうした過去曲も含めたワンマンは2年ぶりであるだけに、万感の思いを感じさせる。「to live」で大木が少し歌えていないようにも見えたのは、感動していて声に詰まっていたということだったと思って間違いないだろう。
そうしたMCを挟みつつ、佐藤の穏やかなベースラインによって映像演出を省き、バンドの音だけに浸るようにして鳴らされたのは「リピート」。このサウンドはロックバンドでありながらもジャズなどの要素を吸収してきたという意味で後続のバンドたちに与えた影響の大きさと、ACIDMANが切り開いた道の偉大さをも感じさせる。曲後半では一気に音の大きさ、強さが増して
「何を手に入れた?」
という大木によるリフレインも聞き手の胸のうちに強く問いかけてきているかのようだ。
MCを挟まない曲間では曲と曲をスムーズに繋げるというあたりもACIDMANのライブでのアレンジの見所であるが、一悟がハイハットの四つ打ちとスネアの連打によって曲間を繋いで演奏されたのはCDTVのオープニングテーマとしてリリース時にバンドの名を広く知らしめた「赤橙」。佐藤のベースの音階が実に心地良い中、サビで一気に開放感を感じさせるように視界が開けていく感覚はACIDMANというバンドの未来をも切り開いたんだなと今でも思う。アウトロのセッション的な演奏がどんどん激しくなっていくというあたりは結成してからもう25年にもなろうとしているバンドがまだまだ落ち着くことはなく、ロックバンドとしてのカッコ良さを追求していることを実感させてくれる。
このキャリア総括的なセトリの中に入っても全く浮くことがないくらいにACIDMANの曲としてのど真ん中を射抜いている最新作の先行シングルの「Rebirth」はしかし、ここまでに演奏された5曲のどれとも似た曲ではない。それはACIDMANにはいくつものど真ん中というエリアがあって、この曲からそう感じるのはその中の一つということだ。飛び跳ねたくなるように軽快なリズムとキャッチーなメロディは今にしてアニメのタイアップになったのもよくわかるが、
「あの日の空は確かに正しかったから
悲しみの夜を越えて生まれ変わるんだ」
という歌詞はアニメタイアップであっても、間違いなくこれまでにACIDMANが歌ってきたテーマそのものである。
そんな中、なかなか久しぶりにライブで聴けたのはパウロ・コエーリョの同タイトルの小説(この曲が収録されたアルバム「新世界」に文庫版が付いていた)から影響を受けた「アルケミスト」。世界の広さ、それを思う想像力。それが無限なものであることを教えてくれるような壮大なバラードと言っていいこの曲をきっかけに小説を手に取り、夜中に一気に読み終えたことを思い出す。確か大木がその小説を読んだのはメンバーから誕生日プレゼントで貰ったというエピソードを話していたはずだ。
そんなことすら思い出しながら、スクリーンには宇宙に煌めく星たちが映し出される「ALMA」へ。その映像は大木がそうしたものに興味を示すのも無理もないと思うくらいに美しいものであり、映像の終盤で一際強い輝きを放つ星こそがALMAと呼べるものなんじゃないかと思うし、バンドは自分たちの音楽の美しさでもってそこに手を伸ばそうとしているかのよう。
「世界の夜に 降り注ぐ星 全ての哀しみ洗う様に
さあ 降り注げ 今、 降り注げ 心が消えてしまう前に」
というラスサビ前のフレーズのメロディと歌詞の融合っぷりはリリースから10年が経とうとしている今でもこの上なく美しく感じられる。それは同じことを歌い続けてきたが故に、ACIDMANの、大木の歌詞が他に変えようがないくらいの普遍性を獲得しているということだ。またこの曲をいつか野外フェスの夜の時間帯に星が光る真下で聴きたいものである。
するとACIDMANというバンドの中で大きな要素でもあるインスト曲として「彩 -SAI- (前編)」「Λ-CDM」を続けて演奏し、大木は途中でピアノを弾いたりしながら、背面に美し出される美しい映像は言葉はなくてもそれがそのままストーリーになっているようで、曲の展開によって音でも粒子が光になっていくという物語を表現してくれるというのはACIDMANの演奏力あってこそであるが、音楽にはそうしたことも出来る力があるということを示しているかのようだ。
すでにここまででこのライブの大きな手応えを感じている大木は
「このライブと同じ曲順でいろんなところに行ってライブをやりたいんだけど、コロナになってからはそういうのもキツくなってきた。会場を仮押さえしてもツアーが全部中止になると、着てるもの全部追い剥ぎにあったような感じになって。全裸にされたのに、キャンセル料もかかるの?何にもしてないのにこの状態の僕からお金取るんですか?って感じになっちゃうし(笑)」
と、事務所の社長としての今の状況での動きづらさをありのまま口にすると、
「ナマズくん(一悟)とヒゲくん(佐藤)はそういう社長の悩みはわからないでしょ?(笑)」
と一悟に話を振ると、
「そこは社長に任せてるから(笑)
俺は日々のラーメン代を稼げればいい(笑)」
と丸投げするあたりはさすが一悟であるが、その一悟は
「This 伊豆 ACIDMAN」
ということで、伊豆や熱海や伊東などをこのライブで回りたいという案を明かし、これには大木も佐藤も思わず笑っていたのだが、そんな一悟は先日パラリンピックの閉会式にも出演して話題になったが、出番後にLINEが来たのは8件だけであり、しかもうち3件はメンバーとマネージャーからだったという華やかな舞台の裏側の寂しさを語る。ちなみに佐藤は
「俺は人一倍他人に興味、関心がないけど、そんな俺でも出てきた時にウルっとした」
というだけで、一悟に
「だから話振っちゃダメだって(笑)」
とすら言われる始末。
そんな朗らかな、演奏時の張り詰めた緊張感とは対極的と言っていいようなMCをするようになったのは25年間の活動の中で変わってきた部分だと言えるけれど、再び一悟の軽快なドラムによって始まった「式日」を聴いていると、「Rebirth」に通じるACIDMANの変わらないものを感じることができる。音楽の、ライブシーンにとっての春の到来が近づいてきているということを感じさせてくれるように希望に溢れたサウンドで歌われる
「今は遠すぎる 互いの日々も
溶け合って行くだろう
そのままの声で」
というフレーズはまるでコロナ禍のそれぞれの生活をそのまま言い当てているかのようだ。そのフレーズもそうだし、これまでにずっと「生きることと死ぬこと」を変わらずに歌い続けてきたACIDMANだからこそ、その歌い続けてきたことを一層リアルに感じられるようになってしまった世の中になったことで、より歌詞のフレーズの一つ一つが刺さるように感じられる。個人的にもリリースされた時に「これは素晴らしい名曲だ!」と思った割にはそこまで人気があるわけでもないし、ライブでおなじみの曲なわけでもないが、このライブで演奏されたことによってこれからもっとライブで聴けるようになったら、と思う。
そんな「式日」とは対照的に、先日のTHE SOLAR BUDOKANでも演奏されていたりと、初期からのACIDMANのライブにおける定番曲であり、そのタイトルの言語感覚もまたACIDMANらしさを確立した曲でもある「波、白く」の怒涛のように押し寄せるような、スリーピースのロックバンドの限界に挑むようなサウンドの鋭さは当時から全く変わっていない。
そんなバンドの歴史を辿るようなセットリストの中にあって、やはりリリースされたばかりの「INNOCENCE」の曲も披露される。
アルバムお披露目ツアーで聴いた時にも一際ロックなサウンドに攻め続けるACIDMANらしさを感じた「夜のために」、さらにはアルバムタイトル曲であり、
「色鮮やかな星の光が降る夜 どんな色に染まったのかな?
たった一つも伝えきれないままに 心も灰になるなら
真っ白に生まれ変わるんだ」
というサビのフレーズが「ALMA」や「Rebirth」を彷彿とさせる、つまりは今になってもACIDMANが歌っていることが全く変わらないことを実感させてくれる「innocence」。
この「This is ACIDMAN」というタイトルのライブにこの曲たちを選んできたということは、本人たちもこの曲たち、さらには「INNOCENCE」というアルバムに絶対な自信を持っているということであるし、これから先も活動を続けてリリースを重ねていくことによって、そんな「This is ACIDMAN」というライブにふさわしい楽曲が増えていくということでもある。
「世界が終わることとか、人が死ぬこととかばかり歌ってきたけれど、もちろん世界が終わって欲しくはないし、死にたくないとも思ってる。でも世界が終わるのも人が死ぬのも逃れられない事実であって、だからこそ美しいと思う。そういうことを伝えていきたい、共有したいと思って歌い続けています」
とシリアスな言葉を紡ぎながらも、
「長くなりすぎたanyway」
という、この日何度も発せられた「anyway」を使ったタイトルの曲を勝手に作って披露しようとしてやはり笑いが起こる。
そんな笑いを一瞬にして消し去り、涙と言っていい感情にすら昇華してしまうのは「世界が終わる夜」。
「さよならはもう言わないよ
世界が終わる夜
その時僕ら また此処で笑い合おう
また生まれて また此処で笑い合おう」
というフレーズを聴きながら、もうもしかしたら見ることはできないかもしれないこのZepp TokyoでのACIDMANのライブの記憶というものを脳内に焼き付けようとしていた。Zeppがなくなってしまっても、武道館などのACIDMANが何回もライブをやってきた、それを見てきた場所で笑い合えていたらいいなと思った。
そんな「世界が終わる夜」の一悟によるじっくりとしたリズムからそのまま繋ぐようにして一気にリズムが速く激しく強くなっていき、佐藤は腕を振り上げまくると、大木もギターを鳴らしながら腕を高く掲げたのはバンドの最強のアンセムの一つである「ある証明」のイントロが鳴らされたからだ。
大木が叫ぶと、客席からは「オイ!オイ!」という声が聞こえてきそうなくらいに思いっきり力を込めて観客も腕を振り上げているのがよくわかる。それがそうしたライブの景色を思い出させてくれる。これまでに見てきたACIDMANのライブの光景を。そこには常にバンドの発する衝動と、それが限界を超えた時に感じられる感動があった。それはこの日もやはり間違いなくあった。だからこそ佐藤は間奏で体を激しく揺らしながらベースを弾いて、被っていたキャップを落とした。それもまたACIDMANのライブで数え切れないくらいに見てきた光景だ。
そんなクライマックスを描いたかと思ったら、アウトロで一悟の叩き出すドラムのリズムはさらに加速し、佐藤もさらに強く腕を振り上げて「飛光」へと繋がっていき、クライマックスがさらに激しさを増していくという凄まじい展開に。この曲がリリースされた当時は特にサビでは大木が歌い切れないようなライブもあったけれど、今は完全にそうした曲の歌い方を大木は体得している。それは抑えて歌うのではなく、声量がさらに強くなっているからこそ、観客をより昂らせてくれるのだ。
そんなクライマックスはどうやらまだ続くようだ、と思ったのは大木がギターを掻き鳴らし、スクリーンには粒子が飛び散るような映像が展開され、その映像と照明の効果によってメンバーの演奏するシルエットが、スリーピースのロックバンドというものは、ACIDMANというバンドはなんてカッコいいんだろうかとすら思わせてくれる「world symphony」。この終盤に来ての激しい曲の畳み掛けはACIDMANが自分たちのバンドとしてのカッコ良さを自分たちで更新しようとしているかのようですらあった。そんなバンドの姿に、全然泣けるような曲ではない、むしろ激しい曲なのに涙が出そうになった。
そうしたバンドのパフォーマンスに観客は曲間の鳴り止まない拍手で応える。声が出せないからこそのその拍手の長さはただただ素晴らしいパフォーマンスを見せてくれたバンドへの感謝の気持ちの表明でもあったのだが、それをこんなに大きな音で示すことができるACIDMANのファンの方々の温かさにも涙が出そうになった。それはやはり目の前にバンドがいて、バンドからしたら目の前に観客がいるからこそ起こりうる魔法のような瞬間だと思う。
大木も
「ライブがないとダメなんだ、こうして見に来てくれる人がいないと音楽をやっている意味がないんだ」
ということを口にしていたが、その言葉をバンドのパフォーマンスと観客のリアクションがこれ以上ないくらいに示していたが、そんな流れのクライマックスを経た上で、
「武道館とかでこの曲を最後にやった時にみんながどんよりした表情で帰っていくのを見るのが好きだったんだけど(笑)、ライブがただ楽しかったっていうだけのものじゃなくて、俺はそこに何か種のようなものを残したいと思ってる」
と、あえてその流れと逆行するような形で演奏されたのは、これまでもACIDMANのライブの最後を担ってきた曲である「廻る、巡る、その核へ」。
空を飛んでいた鳥が地に落ちて大地に還り、それが木々となって、またそれが長い年月をかけて朽ち果てていき、やがて光になっていく…という生きとし生けるものの輪廻を壮大な映像と演奏で表現していくのだが、メンバーのシルエットが映像の1番下に映る姿は、メンバーがその映像による物語の語り部であるかのようであり、まるで組曲のように展開していく中で徐々に激しさを増していくという曲で最後を締めるというのはACIDMANにしかできない。この曲が生まれてから今に至るまで、ACIDMANが唯一無二のバンドであるということを、観客がどんよりするというこの曲は示していたが、この日の客席にはそうしたどんよりしていた人はいなかったはずだ。
本編最後のMCですでに大木は
「アンコールもありますんで」
と予告していた通りにこの日のライブTシャツに着替えたメンバーが再びステージに登場すると、チケットを取れなかった人が続出したこの日のライブが配信されることを告知するのだが、情報解禁日が翌日ということもあり、
「まだ解禁してないんだけど、友達に「配信あるらしいよ」くらいは言ってもいいっていうか、もうこんな時代だし何でもいいや(笑)」
と何故か投げやり気味に大木が言って笑わせると、このベスト的なセトリのライブでのアンコールということを考えると、このタイミングで演奏されるとは思っていなかったのは「A beautiful greed」収録の壮大な「OVER」。それはこうした日だからこそ、今やACIDMANの代表曲である「ALMA」に繋がっていくものを感じさせたというか、ACIDMANの過去の曲は今こうしてリリースから10年以上経ってから聞いても全く色褪せていないと感じられるのである。
そして最後に演奏されたのはやはり、
「俺たちと、あなたの曲!」
と言って演奏された「Your Song」。やはり佐藤が腕を振り上げる姿に合わせて観客も腕を振り上げる姿を見ていると、この曲でダイブが起こりまくっていた客席の光景が蘇ってくる。それを思うとやはりあの光景を何としても、どれだけ時間がかかっても取り戻しに行かないといけないとも思っていると、スクリーンにはこれまでのACIDMANのアーティスト写真が順番に映し出された。それは人によっては全てであったり、その中のある期間からをACIDMANと一緒に生きてきたんだなと思わざるを得ない、感動するなという方が無理だというものであったし、かつてさいたまスーパーアリーナで行われた主催ライブ「SAI」の最後にこの曲が演奏された時に、その日の来場者たちの写真が次々に映し出された時のこともフラッシュバックしていた。
今はああやって観客が集まったりして写真を撮ることもできないけれど、あの時もまたこの瞬間と同じように感動していたことを思い出すと、いつかまたああいう大きな会場で、もっとたくさんの人と一緒にACIDMANとともに生きてきたことを、この日を一緒に過ごしたことを喜び合いたい。そんなことを思いながら、メンバーがステージから去って、もうアンコールがないということは薄々わかっていても、終演アナウンスが流れるまで拍手が鳴り止むことがなかった。それも含めてこれぞThis is ACIDMANというタイトル通りのライブだった。
メンバーの立ち位置や事務所を設立したりということはあったけれど、大木が2人を引っ張るというバンドの構図も含めてACIDMANはずっと変わらない。アジカンやTHE BACK HORNもそうだが、10代の頃に出会ったバンドが今も形が変わることなく続いている。それがただ変わらないだけではなく、出会った頃の「このバンドめちゃくちゃカッコいいな!」という感覚までも変わっていない。そんなに嬉しいことはないと思う景色を見せてくれた、これまでに何度も見てきたACIDMANの最後のZepp Tokyoでのワンマンだった。
1.to live
2.造花が笑う
3.FREE STAR
4.リピート
5.赤橙
6.Rebirth
7.アルケミスト
8.ALMA
9.彩 -SAI- (前編)
10.Λ-CDM
11.式日
12.波、白く
13.夜のために
14.innocence
15.世界が終わる夜
16.ある証明
17.飛光
18.world symphony
19.廻る、巡る、その核へ
encore
20.OVER
21.Your Song
文 ソノダマン