昨年突如としてシーンに出現してデビューミニアルバム「正しい偽りの起床」をリリース、今年の6月にリリースされた2枚目のミニアルバム「今は今で誓いは笑みで」はオリコン1位を獲得するというとんでもない状況になりつつある新鋭アーティスト、「ずとまよ」こと、ずっと真夜中でいいのに。。
そんな状況であってもまだボーカリストのACAねによるプロジェクトということ以外の情報はなく、そのACAねも顔出しをしていないというミステリアスさを保っているが、ついに待望のフルアルバム「潜潜話」のリリースが翌週に迫っている中でツアーが開幕。この日はZepp Tokyoでの2daysの2日目となる。
夏のワンマンライブ「水飲み場にて笑みの契約」は夏祭りというコンセプトのもとにステージのみならず会場全体が飾り付けられたものになっていたが、「秋の味覚編」と題されたこの日のライブはZepp Tokyoに足を踏み入れると前回同様に薄暗い空間になっているのは変わらないが、装飾はステージのみと言ってもいいものになっている。
19時になると場内が暗転し、ステージ両サイドには前回のライブにはいなかった(フジロックに出演した時は参加していたらしい)、Open Reel Ensembleのメンバーがオープンリール(死ぬほどざっくりと言うとアナログDJみたいなもの。形は映写機のようでもある。かつて1度バンドでのライブを見たことがある)を操って、ずとまよの曲に多数入っている効果音を生み出していくと、その間にバンドメンバーたちが登場。ギター、ベース、ドラム、キーボードというメンバーたちは前回と変わらない。
そしてステージに多数配置されている装飾のうちの中央奥にある炬燵の中から白い衣装を身に纏った、ACAねが登場。その炬燵などを見ていると秋ではなくて冬のような感じもする(ACAねの出で立ちも雪の妖精であるかのようだし)中、バンドの演奏とともにACAねが歌い始めたのは「脳裏上のクラッカー」。バンドの演奏は相変わらずとんでもない完成度を誇っているが、そこにOpen Reel Ensembleの効果音がずとまよの何回聴いても「あ、ここにこんな音が入っているのか」という発見と奥深さをステージ上で再現している。
そして何よりもACAねのボーカルだ。8月に見た時もその歌の凄さに衝撃を受けたのだが、声の伸びと声量の大きさはたった2ヶ月でさらに凄まじくなっているのがこの1曲目の段階ですぐにわかる。しかもこの日は2daysの2日目という喉を消耗していてもおかしくないような状態なのだが、むしろ前日にも歌っていたから喉が開いていてより一層声が出るようになっているんじゃないか?と思ってしまうレベル。
さらに「勘が冴えて悔しいわ」と序盤からアッパーなロックチューンを連発するのだが、肩慣らし感みたいなのがびっくりするくらいにない。もう最初からフルスロットル。それは客席もそうであり、ステージ上の音に観客がダイレクトに反応している。この様子だけを見たらネット発のアーティストということが信じられないくらいに、ライブをしまくって鍛え上げてきたバンドのような熱量を発している。最後のサビだけ
「いつもゲラゲラ道を塞ぐ民よ」
のフレーズが
「いつもゲラゲラゲラ道を塞ぐ民よ」
と同じメロディの中に一つ多く言葉を入れることのできるセンスや発想はどういうところから来ているんだろうかと思ってしまう。
「ずっと真夜中でいいのに。です。今日はありがとうございます。知らない曲もあるかと思いますが、楽しんでいってください」
とACAねが挨拶。アルバムの詳細はもちろん、前日にはクロスフェードも公開されたのだが、前回のライブの時点でもその収録曲たちを多数披露しており、すでにMVが公開されている「ハゼ馳せる果てるまで」もその中の一つ。そのタイトルの語呂の良さと発想もまた凄まじいが、この曲ではACAねがギターを持って弾くのだが、最後にはMVの登場人物の女性が踊っているようなダンスを見せる。顔を公開していないミステリアスさゆえにクールなイメージが強いけれどライブにおいてはそうではないフランクというかファニーな人間性が垣間見える。
さらにまだクロスフェードで一部分しか聴けない「居眠り遠征隊」と新曲は続くのだが、この序盤のアッパーな流れを引き継ぐように演奏された、アッパーかつポップな曲。まだ歌詞を全部聞き取れてはいないのだが、どうにも気になるタイトルの曲であるだけに早く来週発売のアルバムを手に取って歌詞カード(ずとまよはアートワークも凝っているだけにそれを手に取るとより一層世界観が伝わる)を見ながら聴きたいところだ。
さらに新曲は続く。今度はすでにMVが公開されている「こんなこと騒動」。ACAねの非言語による呪術的なイントロのボーカルが先導するかのように怪しげな雰囲気が強くなっていくが、サビになると一気にロックかつポップにメロディと演奏が炸裂する。
で、MVでもそれらしい描写があるが、この曲はこれまでにもずとまよが歌ってきた、コミュニケーションについての曲だ。人と人がやり取りするからこそ発生する齟齬や軋轢のようなもの。それはACAねがこれまでに経験したことから生まれているものなのだろうけれど、そうした曲であってもACAねと観客がコミュニケーションを取る要素として鳴っている。それは同じような思いをしたことのある人がたくさんいるからこそ伝わるものでもあると思う。
前回の夏休みライブではメインテーマ的な曲であった「君がいて水になる」では再度Open Reel Ensembleのメンバーが現れ、上手のオープンリールは竹竿に糸をくくりつけて釣りをするかのようにして操られている。その光景や水色に輝く照明も相まってまるで水中にいるかのように思えてくるし、音数の絞られたサウンドからはオープンリールの発する音がよく聞き取れる。
そうして様々な、聴いていてもなんの楽器をどうやって使って発している音なのかもわからないようなものもたくさん入っているアーティストなのだが、メンバーたちが手拍子を始めると動物のお面をつけ、その手拍子がずとまよの物販で販売されているしゃもじを叩く音に変わると客席でも無数のしゃもじが叩かれるというとんでもなく異様な光景が広がる、穏やかな祭囃子が響く「彷徨い酔い音頭」へ。前回の「夏祭り」というコンセプトに最も合っていた曲であるだけに(実際にその時はメンバーがつけたお面が観客にも配布されていた)、この日は演奏されるのだろうか?と思っていたがこうしてライブで演奏されるのを聴いているとやっぱり子供の頃に参加した夏祭りを思い出す。曲のタイトル的に今の年齢でお酒を飲みながら参加するのもいいかもしれない。この曲の演奏中は上に白装束のようなものを纏うACAねの歌い方もそうした懐かしい記憶を思い返させるような声や歌唱に自在に変化している。しかし
「まな板を箸で叩くのも良い音がするんで次はそれで」
と言っていただけに、音源ではもしかしたらそういう音が使われているのかもしれない。
するとACAねとベーシストが飲み物の入ったグラスを受け取ってカツンとそのグラス同士を合わせてからACAねがソファーに腰掛けて歌うのは「潜潜話」に収録される「グラスとラムレーズン」。曲というよりもトラック的なサウンドの上に乗るACAねのボーカルは序盤の曲のような起伏はなく、どこか淡々ともしているが、そのACAねは座りながら足をジタバタさせたりと駄々をこねているような仕草も見せる。
そのままソファーに座ったまま、ピアノとACAねのボーカルという削ぎ落とされた形で演奏されたのもまた「潜潜話」に収録される「Dear. Mr「F」」。
「住む世界が違う」
というフレーズが印象的で、おそらくは届かない恋の歌であろう、ずとまよの曲の中ではトップクラスにいろんな意味でシンプルな曲であるが、だからこそACAねのボーカルの表現力の豊かさが感じられる曲でもある。すでに前回のライブでも演奏されていたが、レコーディングを経たことによってかシンプルな形でありながらも完成度はグッと高まっている。
するとACAねが「潜潜話」のリリースが来週であることを告げながら、中学生の頃からずっと考えていたことがまとまったアルバムであるとし、
「中学生の頃とか、友達もいたんだけど、その友達と話す時にもなんか取り繕うように話したりしてて。だから私はその頃、鼻歌をずっと歌いながら話したりしてて、それを突っ込まれたこともあって。友達にうるさい思いをさせてしまったな、とか」
と当時のことを回想していたのだが、この話を聞いて自分はなぜACAねという人がこんなにも歌と音楽を通して我々とコミュニケーションを図ろうとし、その歌声から痛烈なまでに感情が伝わってくるのかがわかった気がした。
なぜならACAねは当時からずっとそうして自身の歌(鼻歌)を通して他者とコミュニケーションを取ろうとしていたのである。話し方を見ていてもそうだが、ACAねは決して喋るのが上手なタイプではない。でも自分のことであったり、自分の考えていることをいろんな人に伝えたい、わかってほしいという思いを抱いている。だからその思いを歌にして、歌詞にしているのだし、歌を通してしか人とちゃんとコミュニケーションが取れないからこそ、歌に全ての感情を込めて歌っている。ACAねの歌の強さの源泉はそうした昔からの経験によるものだったのだ。その結晶であるとも言える「潜潜話」はやはり名盤である気がしてならない。
そんなMCの後に演奏されたのもまた新曲。この「蹴っ飛ばした毛布」もMVが公開されている曲なのだが、ライブで聴くとガラッとイメージが変わる。もう少し淡々と流れるような曲だと思っていたのだが、Aメロ→サビ→Cメロという流れは実にドラマチックなものであるし、サビはこんなにも?というくらいにバンドの音が大きく、強く鳴る。
ずとまよの曲はこの曲に限らず、普通ならこのAメロとサビとCメロは同じ曲にはならないだろう、というくらいに全く予想だにしない展開を見せる曲も多いのだが、もはやまるで、枝豆→ラーメン→パンケーキという、普通にテーブルに出したら怒られそうな流れを全てを味わうことで完成が見えるコース料理を作っているかのようですらある。その作り方をACAねとメンバーとアレンジャーだけで共有しているかのような。
ACAねによる朗読というかポエトリーリーディングのような形のAメロから一気にサビでポップになっていく「眩しいDNAだけ」もそう思わざるを得ない展開の曲であるし、リズムなどには同期のサウンドを使っているにもかかわらず本当にバンド感が強い。このデジタルサウンドと生演奏の融合の配分というかバランスの絶妙さを感覚として理解できているのがまたすごい。あまりに同期のサウンドが出過ぎるとライブ感やバンド感が削がれてしまうだけに。
ステージ上にあるミラーボールがメンバーと客席を眩しく照らす「サターン」ではサビでギターを弾くACAねも、ドラム以外のメンバーも左右にステップを踏みながら演奏するのだが、最後にはベーシストが背面弾きを見せ、ベースってあの弾き方で弾けるのか、と思っていると、メンバー全員が楽器を置き、おそらくは直前まで弾いていたサウンドをループさせているのであろう音が流れる中で全員がリズムに合わせて腕を右に左に振ると、
「みんなで踊ろうよ〜」
とACAねが言って観客全員参加のダンスフロアへ。前回のライブではこのアレンジはやっていなかっただけに、ライブを重ねるたびに曲もライブそのものも進化させていっているというのがよくわかる。
ACAねが秋の味覚ことぶどうを客席に投げ込んでからの、「こんなこと騒動」同様にACAねによる呪文のようなボーカルによって始まる「ヒューマノイド」はネットシーンから出てきたというずとまよの出自と、そのミステリアスなイメージからずとまよ自体が人間のようでいて人間にはなり得ないヒューマノイドのような捉え方をされても仕方ないようでもあるのだが、この曲を演奏している姿はこの音楽を通して人とコミュニケーションがしたい、人間としての感情が強く溢れ出していた。ドラムとベースのリズム隊が手数を増やしていたりするのもそう感じることができる所以でもあるだろう。
そして穏やかなAメロからサビで一気に爆発するという、もはやずとまよにとっての定型と言っていいような構成の極致とも言える「マイノリティ脈絡」でステージの熱気も客席の熱狂もピークに達する中、自分はもう呆気に取られていた。なんでこの人たちはこんなにも凄いライブができるんだろうか、と。
それは
「みんな「サターン」で楽器を投げ出して踊ってた私たちに付き合ってくれてありがとう。最後にまた踊りましょう」
と言って演奏されたラストの「正義」までも同様で、ACAねはステージの左右両端や奥までも歩き回りながら踊って歌い、精神を解放して音に身を任せて踊ることがこんなに楽しいものである、ということをその身を持って証明していた。メンバーそれぞれのソロ回しも交えて改めてその技術の高さと、ボーカルとバックバンドではなく、このメンバーで一つのバンドであるということを示すと、最後にはもはや「叫び」と言っていいくらいに声を張り上げる。その声と姿には思わず感動して泣きそうになってしまった。音楽を通して他者とコミュニケーションを取りたいというACAねの意識は前にライブを見た時にわかっていたつもりだったが、それがこんなにも強いものだったとは。ただ大きな声を張り上げるだけではなく、そこにどれくらい強い意志と感情を込めることができるか。ずとまよは、ACAねはそれを無意識のうちに理解してライブをしているようだった。
というか本当にどうやってこんな歌い方とライブのやり方を会得したんだろうか。自分は「ライブが良くなるにはひたすらライブをやりまくるしかない」と思っているし、実際にライブを見て「凄いな」と思うアーティストはそういうライブをやりまくっているアーティストばかりである。
それは何もライブに限った話ではなく、どんなことにおいても場数や経験を積むのが最も力を向上させることができる方法だと思っている。だから好きなアーティストにはライブをたくさんやって欲しいと思っているのだが、ずとまよはまだ数えられるくらいしかライブをやってきていない。それなのにこんなにもすでにライブという場における表現力も技術も感情の込め方もわかっている。そんなアーティストは今まで見たことがない。実は今までずっと年間150本くらいライブをやってきてるんじゃないか、とすら思ってしまうくらいに。もしかしたらずとまよはもうそんな自分の常識の範疇すらも超えたような存在なのかもしれない。
アンコールではまずはACAねとキーボード、Open Reel Ensembleのメンバーのみという形で登場し、ACAねはステージの客席のすぐ前に腰掛けるというスタイルで新曲の「優しくLAST SMILE」を演奏。その編成は「Dear. Mr「F」」の時に近いものがあるが、バラードというよりもポップなイメージ。それはACAねの「LAST SMILE」というタイトルにもあるフレーズの発音の良さからもそう感じるのかもしれない。
すると歌い終わったACAねはそのままステージ上で秋の味覚第二弾の梨を剥き始める。観客の
「手を切らないでね〜!」
という声に応えながらしっかり剥き切るあたりは包丁の扱いに慣れているんだろうか。アンコールでのこの姿は実にシュールなものだったが。
そうこうしてるうちにメンバーが再び全員揃った状態で最後に演奏されたのはずっと真夜中でいいのに。というアーティストの鮮やかな登場の曲となった「秒針を噛む」。Open Reel Ensembleのメンバーがオープンリールをステージ中央まで引っ張る中、ACAねは再び最後に声を大きく張り上げた。それはこの日の勝利を高らかに宣言しているかのようだったし、ユニットの特性上、映像作品としてライブ映像をリリースするのは難しいと思うので、ライブ音源をリリースした方がいいと思った。ただでさえ完成度が高い音源を何十倍、何百倍もライブは上回っているから。
メンバーがステージから去ると、下手の壁におなじみのエンディング映像が映し出されたのだが、下手の壁際にいた自分は全く見えなかった。できることなら次はステージの方に映して欲しいというか、それができるくらい広い会場でずとまよのライブを見たいと思った。
自分は昔、パワプロばっかりやっていた時期があった。パワプロのサクセスモードにはごくわずかな確率で「天才選手」というのが出現する。ゲーム開始時点で異様に高い初期能力を持った選手のことである。
デビューからわずか1年、しかもライブを数えられるくらいしか行っていないにもかかわらずこんなにも素晴らしいというか、とんでもないライブをすることができるずとまよは天才なんだろうか、それとも木星や月を突き抜けた場所からやってきた我々とは全く異なる生命体なんだろうか。
初めてライブを見てからまだわずか2ヶ月。来月のファイナルではどこまで進化しているのだろうか。そんな完成度の高さを誇るにもかかわらず、まだまだ伸びしろを感じさせるのが心から恐ろしいし、前回のライブレポで自分は「潜潜話」は今年のベストディスク候補かもしれない、と書いたがディスクだけでなくライブでもベストを持って行ってしまいそうな予感すらしている。まだフェスにはフジロックにしか出演していないが、CDJとかに出たらみんな度肝を抜かれると思う。それくらいにずとまよは「ライブで勝てる」アーティストだ。前々日の銀杏BOYZ、前日のアジカン 、ELLEGARDEN、ストレイテナーという自分にとってはもの凄く大きな存在であるバンドたちのライブの直後というハードルを悠々と飛び越えて行ってしまった。このライブの余韻が覚めないように、ずっと真夜中でいいのに。
1.脳裏上のクラッカー
2.勘が冴えて悔しいわ
3.ハゼ馳せる果てるまで
4.居眠り遠征隊
5.こんなこと騒動
6.君がいて水になる
7.彷徨い酔い音頭
8.グラスとラムレーズン
9.Dear. Mr「F」
10.蹴っ飛ばした毛布
11.眩しいDNAだけ
12.サターン
13.ヒューマノイド
14.マイノリティ脈絡
15.正義
encore
16.優しくLAST SMILE
17.秒針を噛む
文 ソノダマン