ASIAN KUNG-FU GENERATION Tour 2020 酔杯2 〜The Song of Apple〜 KT Zepp Yokohama 2020.10.27 ASIAN KUNG-FU GENERATION
春フェスから夏フェス、さらにはツアーまでもが中止になってしまったというのは9月の配信ワンマンのライブレポの時にも書いたが、その中止になったツアーの代替というにはあまりに豪華な有観客での配信ライブを開催することに踏み切った、アジカン。
有観客でのライブを後日配信という形であり、しかも新しいライブハウスであるKT Zepp Yokohamaでの3daysという形。それぞれの日にアジカンと関わりの深いアーティストと若手アーティストというゲストを招いた形で、この日はアジカンのサポートでもおなじみのシモリョーによるthe chef cooks me、Jurassic Boys、NOT WONKの加藤修平というラインナップ。横浜にこうしてアジカンのライブで様々なアーティストが集うというのは規模の違いこそあれ、かつてのNANO-MUGENを彷彿とさせる。
会場のKT Zepp Yokohamaは今年にDIR EN GREYが無観客配信ライブで柿落としを行った新しいライブハウスであり、かつての横浜BLITZを彷彿とさせるような立地。入った感じはZepp DiverCityに近い感じだろうか。
コロナ禍の有観客ライブではおなじみとなっている検温と消毒も行い、客席には椅子が置かれている。その椅子も1席間隔で空けられており、さすがアジカンというような感染対策が行われている。
その客席様式になったことによって平日の横浜で3daysでもチケットは即完となったが、そこにはファンのアジカンのライブへの飢餓感もあったと思う。こんなにアジカンのライブが空くことなんて今までの長い歴史の中でも一度もなかったから。
・the chef cooks me
平日にもかかわらず18時という早い時間にトップバッターとして登場したのは、アジカンのサポートでもおなじみのシモリョーのthe chef cooks me。この後にアジカンでもキーボードを弾くということを考えると、それはトップバッターになるだろう。
ギター、ベース、キーボード(Mop Of HeadのGeorge)、ドラム、コーラスというメンバーたちに続いて、バンドの物販である白いパーカーを着たシモリョーが登場。少し髪が短くなって眼鏡をかけているという出で立ちはどこか向井秀徳に似ているような印象も受ける。
アジカンではキーボードであるし、かつてはキーボード&ボーカルという立ち位置であったシモリョーは今はボーカルに専念しているのだが、そのスムースな英語歌詞と日本語歌詞を交互に取り入れたボーカルの上手さを見ていると、R&Bなどを取り入れた現在の海外のポップミュージックの要素が強い音楽性に向かえたのは、シモリョーのボーカリストとしての覚醒があってこそであるということがライブを観るとよりよくわかる。
昨年リリースの最新アルバム「Feeling」ではゴッチのソロでもおなじみのシンガーYeYe(前日のライブに出演)が参加しているが、そうした女性ボーカルパートやコーラスもサポートコーラスが担い、「最新世界心心相印」ではサックスメンバーも加わってさらに華やかなサウンドに展開していくが、それだけ音数が増えても真ん中にあるのはやはりシモリョーのボーカルである。
「座っててもいいけど、立って観るのは大丈夫だから!」
とシモリョーが言うと、それまでは心地良い音に合わせて座りながら体を揺らしていた観客たちが一気に立ち上がり、リズムに合わせて手拍子をしたり、シモリョーの動きに合わせて腕を挙げたり。
そんな客席の景色によって一気に場内はホームな空気に変わっていくのだが、それはこの日客席にいた人たちが見るからに「ずっとアジカンを見てきた人たち」だからだ。みんな、シモリョーがどれだけアジカンを支えてきてくれたかをよくわかっている。
震災後の「ランドマーク」ツアーからはアジカンはサポートメンバーを多数加えたライブをやるようになり、それはその編成でしか感じることのできない祝祭感を感じさせるものであったが、それは震災後という状況であるために少しでも楽しい気持ちになれるように、というムードを作ろうとしていたという部分もあるだろうし、それ以前のツアーではメンバーの関係性がギクシャクしているであろうということがライブを見るとわかってしまった部分もあっただろう。(だからこそその時期はサポートメンバーにフジファブリックの金澤ダイスケを加えていた)
その大人数編成期間を終えてもアジカンはシモリョーをそのままサポートとして継続してもらっていたし、この日のホームなライブのムードはそんなアジカンのファンからのシモリョーへの感謝と信頼という気持ちが確かに漂っていた。
2015年にリリースされたアルバム「回転体」収録の「環状線は僕らをのせて」も今のchefのサウンドになって演奏されていたが、正直言って自分は近年のR&Bを軸にしたサウンドのバンドはライブを観てもあまり印象に残らないことが多い。それは単なる好みというか趣向によるものかもしれないが、この日のchefのライブはそんな印象に残らないとは全く思わないくらいに素晴らしかった。
それは前述のシモリョーのボーカルはもちろん、メンバーそれぞれの演奏の素晴らしさ(とりわけドラムの伊吹文裕のスネアやシンバルのアタックの強さたるや)、さらにはその全員が持ち得る技術と経験と知識とセンスあればこそ。今はchefはシモリョーのソロプロジェクト的なユニットになっているけれど、このライブでの音の強さと説得力はこのメンバーのバンドだからこそのそれだ。
「今こうやってみんなマスクして声出したりできないじゃん?でもウニを初めて食べた人って凄いと思うんだよね。あんな身をほじくりだしてまで食べるっていう。そんな面白いはずの話も声が出せないから笑い声が聞こえないんだけど(笑)、そうやって新しい楽しみ方を見つけていけたらなって」
と、シモリョーは今の世の中の状況にあっても希望を失ってはいない。それはゴッチとも通じるフィーリングであるし、その精神性がアジカンというバンドに合っていたのかもしれない。
「We are all alone We are not the same」
というメッセージの強度がますます高まっている世の中になりつつある「Now’s the time」はシモリョーの作詞家としてのセンスを改めて感じさせると、
「震災のちょっと後だから、アジカンのサポートをやり続けて8年。あの時出会った後藤さんや周りの人たちに教えてもらったことがたくさんある。アジカンに敬意と感謝を込めて」
と言って演奏されたのは、音源ではゴッチもボーカルとして参加しているアジカン「踵で愛を打ち鳴らせ」のカバー。
もちろんサウンドは完全にchefのものとなり、原曲に漂う切なさなどの、プラスになるためのマイナスな心境や感情を最初から全てプラスに振り切ったような祝祭感溢れるアレンジ。だからこそ演奏するメンバーたちは楽しそうに飛び跳ねながら楽器を弾き、シモリョーはラップまでする。こうして人の前で音楽を鳴らす楽しさ、それを受け止めることのできる幸せ。今のthe chef cooks meは間違いなくそれを体現している。
まだchefがFRONTIER BACKYARDなどの影響が強い、若手ダンスロックバンドだった頃、レーベルから契約を切られた時にシモリョーは音楽を辞めようとも思っていたらしい。それをゴッチが「この才能を埋れさせては絶対にならない」と思って自分のレーベルからCDを出してもらうことにしたと。
なかなかその才能がアジカンの周り以外にはなかなか伝わっていかないというもどかしさはあるが、今のchefはライブを観ればゴッチが何故そこまで言っていたのかがわかる。やっぱりゴッチは最初から全てわかっていたのだ。
・Jurassic Boys
この日の出演者の中で最も観客からノーマークだったと思われる、Jurassic Boys。名前だけ見たらやんちゃなヒップホップグループのような感じもするが、スリーピースのロックバンドである。
黒シャツに黒パンツというロックバンドならではのスマートさを感じさせる出で立ちのRyusho(ギター&ボーカル)を筆頭にDai(ベース)、Yutaka(ドラム)がステージに現れると、特に挨拶をするでもなくいきなり演奏を始める。スネアの規則的な連打のイントロはアジカン「ライカ」のイントロを彷彿とさせるし、サウンドもかつての若きアジカンが憧れたUKやUSのロックバンドの影響が強い。
Ryushoの影を強く含んだ、キーの低いボーカルスタイルや、
Ryusho「アジカンすげえっす。お前もアジカン好き?」
Dai「うん、好き」
というMCで喋ることを何一つとして決めていないであろうぶっきらぼうさも含めて初期のストレイテナーやthe pillowsという姿が思い浮かんだが、今の若手バンドでこういうバンドは逆に珍しいというか、みんなツーシームとかを投げるようになりすぎて逆にストレートを投げるバンドがいなかったな、みたいな感覚になる。
まだアルバム1枚しかリリースがないということで、
Ryusho「物販で売ってるんで買って帰って欲しいっす。でもサブスクとかでも聴けるから別に買わなくてもいいか(笑)」
と、次々に曲を演奏するスタイルも、その曲の捻りとかのほとんどない構成も(リズム隊の演奏は非常にしっかりしていて、スリーピースバンドのダイナミズムを感じさせてくれる)、話し方も、とにかく自分たちの目の前に道があるから歩いてる、他のことは目に入らない、というような我が道を突き進むことしかできない感じすらする。
そもそもこのZeppのキャパ、人数制限があるとはいえこの人数の前でライブをやる機会も今までなかっただろうに、全く緊張している様子もなく、演奏が終わったらすぐにステージから帰っていくというところも含めて、もしかしたら大物になるんじゃないか、という期待も抱かせた30分。
近年のアジカンのゲストに出てくる若手は、どちらかというとゴッチのソロの音楽性に近いような、いわゆる便宜的に言うと「シティポップ」という言葉に集約されるようなバンドが多く、こうした「ザ・ロックバンド」的なバンドが出てくるのは実に久しぶりな感じがした。
だからこそアジカンがこういうバンドをフックアップしてくれているというのは、アジカンの中にまだこのバンドの持っているような、ロックバンドの持つきらめきやマジックのようなものがあるということ。
自分はやっぱりこういうバンドのライブを観ると「カッコいいな」と思うだけに、そんなバンドをアジカンのゲストで観ることができたというのがなんだか嬉しかったのだ。
・加藤修平 (NOT WONK / SADFRANK)
ステージにはキーボードとギターが置かれ、その前の椅子に座っては缶ビールを飲み始めたのは、NOT WONKのボーカルの加藤修平である。
「もともとはアジカンのツアーの札幌にNOT WONKで出る予定で。それが延期されて延期されて結局なくなっちゃったんだけど、こうして今日呼んでくれて。配信もあるから全国でも見れるんだろうけど、やっぱり北海道でやりたかった。僕、北海道に住んでるんで」
と演奏するより前に話始めるというスタイルは前に出た2組とは真逆と言っていいだろう。
とはいえキーボードを弾きながら歌い始めると、パンクバンドのボーカルとは思えないほどに美しい、まるで聖歌のごときボーカルが場内を包み込んでいく。
基本的にパンクバンドというのは歌唱力は二の次、とにかく大事なのは衝動と思ってしまいがちだが、この男は声だけでその場を持っていけるというパンクバンドのボーカルとは思えないタイプのボーカリストだ。
「僕の住んでる苫小牧はめちゃくちゃど田舎なんですけど、小さいライブハウスでライブをやって、チケットとかも全部自分たちで作って、自分たちで売って、っていうやり方でライブをしてたら、ゴッチさんがギター持って来てくれて。その時に「今度はうちのメンバーに紹介するよ」って言ってくれたのがこの日に繋がっている」
と、自身のインディペンデントな活動スタンスにゴッチが反応して共振してくれたというエピソードをやはり缶ビールを飲みながら話すと、ギターを手にして
「これだと北海道らしさがないんで、北海道のバンドのカバーを。もう解散しちゃってるバンドだけど」
と言うとKIWIROLLの「バカネジ」をギターに思いっきりリバーブをかけて弾き語り。短い持ち時間の弾き語りの中でカバー曲をやるというのは加藤にとって本当に大きな曲なんだろうし、北海道に住んでバンドをやっている者として先輩が遺した曲を歌い継いでいきたいという思いもあるんじゃないかと思う。
「ヴィーガンの人がアスファルトの上を歩けなくなった」というエピソードを話しながら、なんとなく受け身で生きていくことをやめようと思ったという自身の生き方に繋げていたが、それがバンドの活動スタンスにも影響を与えているはずだし、
「次はバンドで、北海道で対バンしましょう」
と、あくまで地元への想いを口にして、去り際までビールを飲んでいたが、その美しい歌声は全く変わらなかった。ゴッチが
「見つけてしまった、出会ってしまった。世に知らしめなきゃいけない存在」
と評したほどの逸材ボーカリストはこれからどんな活動を展開していくのだろうか。そこにはゴッチの「Future Times」にも繋がるものも出てくる予感がしている。
・ASIAN KUNG-FU GENERATION
いよいよトリのアジカン。転換中からどこか客席にソワソワした空気というか、緊張感のようなものが漂っているのは「ようやく見れる!」という期待と待望によるものだろう。
SEもなくシモリョーを含めた5人が暗闇の中でステージに登場すると、中央のゴッチと上手のベース・山田貴洋の間に譜面台が置いてあり、その前には髪の長い女性が立つ。
チリチリとした同期のリズムが流れ出してゴッチが低いトーンで、しかしどこか噛み締めるように丁寧に歌い始めたのはアルバムとしては最新作である「ホームタウン」の「UCLA」であり、女性はこの曲にボーカルとして参加しているHomecomingsの畳野彩加。たまたまこの日のライブを観に来ていたそうで、それに気付いたゴッチが「じゃあ出て歌えばいいんじゃない?」と言ったら本当に歌うことに急遽決まったという。その畳野のボーカルを経てサビでは一気に海底から空中に急上昇するようにメロディが飛翔していくが、最初のサビが終わった後に曲中にもかかわらず立ち上がっていた観客たちから拍手が起こったのは、貴重な畳野のコラボが見れたこともあるけれど、それよりもこうして集まった人たちみんながアジカンの音楽を、ライブを心から待っていたという気持ちの表れだ。その光景に早くもグッと来てしまうし、曲終わりで右手でピースをして高く掲げる喜多建介(ギター)の姿がよりその想いを強くしてくれる。
「こんばんは、ASIAN KUNG-FU GENERATIONです」
というゴッチの挨拶に続いて歌い始めたのは「荒野を歩け」。シモリョーのタンバリンに合わせて手拍子も起こるが、久しぶりにライブハウスで観る(「ホームタウン」ツアーも含めて最近はホールやアリーナが多かった)アジカンの音がこんなに強かったのかと改めて驚く。それは「ホームタウン」で取り組んだ低音の刷新という取り組みがさらに研ぎ澄まされてきたということでもあり、こうして久しぶりに観客を前にしてライブをしているからこそ感じられる感情が音に乗っているからでもあり。座席指定のために物理的に近くに行くことは今はできない世の中だし、それは思わぬ未来だったけれども、歌ったり踊ったりできるように、いつしか僕らの距離がもっと狭まりますように、とこの近年のアジカン屈指の名曲を聴いていると心から思うのだ。
続けてゴッチが突如として歌い始めたのは「君繋ファイブエム」収録の名曲「アンダースタンド」。この曲を象徴する高音コーラスも、ゴッチの歌う「イェー!」に合わせて叫ぶことすらもできない状況でこの曲を演奏するというのはもはや拷問に近いような感じすらしてくるが、この曲と続く「橙」でシモリョーのタンバリンに合わせて手拍子が起きていたのを見ると、曲がリリースされた時期などは全く違うけれど、リズムなどによって曲順を精査して決めたんだろうなとも思う。
その「橙」はそもそもコロナによって中止になったツアーがファンからのリクエストによって演奏する曲を決めるツアーであり、そこで上位に入っていたことによってこの日演奏されたらしいが、この曲はそうしたリクエスト企画がある度に毎回上位に顔を出すためにその都度練習しないといけなくなるという。
「涙が落ちて 海に注いで 何時しか空まで戻るような
何一つ残らなくたって 君が笑えば それで雨が上がって
頬が乾いて その跡に虹が架かるような
そんな時を想って
どうか君よ 笑って」
というこの曲のサビの歌詞は今の世の中だからこそより強く希望を与えてくれる。というかそれは今じゃなくてもそうだった。震災の時も、社会に不安が蔓延っていた時も。いつもアジカンはそんな時代に我々が抱えざるを得なかった不安をその音楽で希望に転換してくれてきた。長い間大きなステージに立ち続け、その姿をずっと見てきた人がたくさんいるのはそうしてアジカンの音楽が我々に前に向かって歩き出せる力を与えてくれるものであり続けているからだ。
ここでゴッチによるMC。前日はずっと観客が座っていたが、この日はthe chef cooks meのライブ時にシモリョーが「立つのは大丈夫」と言ったことでアジカンのライブ時にもほとんどの人が立ってライブを見ていたので、立って観るのも座って観るのも自由という多様性を与えてくれたシモリョーに感謝するとともに、観客からもシモリョーへの温かい拍手が送られる。
その間に山田の前にはシンセベースが置かれており、ゴッチがインタビューでも語っていた通りに制作時に使われたそのシンセベースを山田が弾く形で演奏されたのはリリースされたばかりの最新シングル「触れたい 確かめたい」。
音源では羊文学の塩塚モエカとのデュエットという形になっているため、その女性パートは喜多がドブ声ハイトーンボイスが担ったりするのかと予想してもいたが、今回はゴッチが1人で歌い切る。翌日にはゲストに羊文学が出演するために貴重なコラボが見れるのが間違いないというのはうらやましくて仕方がないが、この曲のような「どっからどう聴いても名曲」的な曲を今でも生み出してくるから、アジカンを聴くのはやめられない。シンセベースも意外なくらいに違和感がなかった。
ギターのイントロだけで歓声が起こったのは「或る街の群青」であるが、夏に自分は「今年のロッキンの大トリがアジカンだった時の妄想セトリ」というのをツイートしていて、その中に近年はほとんどライブでやっていなかったこの曲を入れた。それは
「セカイヲカエヨウ
ソコカラナニガミエル?」
というタイアップのアニメに合わせたメッセージ、
「助走もつけずに思い切って飛び乗る
蹴り出す速度で
何処までも行けるよ
きっと…
光だって
闇だってきっと…」
というその後の歌詞が、今の世の中だからこそ強い意味を持つようになったと思っているからだ。
配信ワンマンの時にもこの曲を演奏していたし、もしかしたらメンバーもこの曲の歌詞やメッセージに今だからこそ鳴らすべき曲という想いを感じているのかもしれない。アジカンの曲にそう感じる曲がたくさんあるというのは常にアジカン(というかゴッチ)が日本語の歌詞でロックをやる意味と新たな歌詞表現を追求してきたバンドだからだ。
するとゴッチの低いトーンのボーカルに喜多のハイトーンボイスが絡む「ナイトダイビング」という最近はあまりライブで聴けなかった曲も演奏されるのだが、そういう曲を演奏する時の喜多の笑みを含んだ表情が「みんなこの曲聴きたかったでしょ?」と言っているかのよう。そうした感覚はセトリを決める際に
「この曲は聴きたいファンが多いからやるべきだ」
という主張をして曲を入れようとするくらいにファンのことを考えているメンバーである喜多ならでは。サビ前では大きくジャンプしたり、伊地知潔のドラムセットに接近したりと、見た目同様にパフォーマンスの若々しさも昔から全く変わっていない。
そんな喜多は今でこそ下手の立ち位置になっているのが定着しているが、普通のバンドは基本的にはギターが上手、ベースが下手という立ち位置であり、アジカンも確か「ワールド ワールド ワールド」あたりまではそうした立ち位置だったのが、音の鳴りや聞こえ方を考えて今の立ち位置に変えたといういきさつがある。その立ち位置を変えた時のことをゴッチが
「俺は誰の前で見たいとか全然ないんだけど、建ちゃんを目の前で見たい!と思って上手側に集まった人の前にいきなり角刈り(山田)の人が出てきたらビックリするよね(笑)」
と回想するのだが、そうして自分が観る場所を選べるライブハウスのことを、
「そんなに自由な場所だったんだなって今になると思うよね。今日も指定席でしょ?俺指定席って苦手でさ。というのもトイレが近いから、トイレに行くのに遠慮しちゃうし、我慢しなくちゃっていう焦りがまたトイレを近くするっていう。だから俺は映画館でも端っこの席しか座らない(笑)」
と今まで当たり前だったことがどれだけ自由だったのか、ライブハウスがどんな場所だったのかということを改めて実感させてくれる。それは今の状況になってからいろんな人が言及していたことであるが、やはりゴッチはそれを「暴れられる」とか「騒げる」とかとはまた違う視点で我々に実感させてくれる。
そんなライブハウスで数えきれないくらいに鳴らされきたであろう「遥か彼方」がライブの最後ではなくこの中盤で演奏されると、曲間一切なしというライブならではのアレンジで「羅針盤」に繋がっていく。最初期の曲であるこの曲もライブで聴くのは実に久々であるが、
「消えないで灯火
未来をいつも指していて
鳴呼、君のその針は
未来、希望、目指している?」
という歌詞はやはりファンである我々に未来への希望の火を灯してくれる。
さらに再び曲間なしというライブアレンジで「マジックディスク」へ。もはやCDがどうとかという議論も出尽くされて新しい時代へ突入している感もあるが、この曲を聴くとリリース当時の「配信かCDか」という世の中のムードを今でも思い出す。果てしなく長かった「マジックディスク」ツアーのことも。(長かったからこそ関東だけで何回もライブが観れたし、柏のライブハウスでアジカンを観れたのは忘れられない)
この「遥か彼方」からの繋ぎの流れでこの曲までを聴くと、やはりアジカンは今でもカッコいいギターロックバンドとして最前線に立っているし、サウンドの向上によってそれをより強く感じることができるようになっている。だからこそ昔リリースした曲を今演奏されると過去を更新していると感じることができる。
そんなギターロックバンドとしてのアジカンのソリッドさは喜多だけではなくゴッチも腕を上げる「Easter」で極まると、ゴッチがギターの音を鳴らしながらthe chef cooks me「Now’s the time」のフレーズを口にしてから曲に入る「ボーイズ&ガールズ」へ。この状況で聴くからこそ今までとは違う説得力を持つ
「はじまったばかり
We’ve got nothing」
のフレーズは今日からがまた自分自身にとっての新しい始まりであると捉えることのできた人も多かったんじゃないかと思う。それはこの日がこの状況であってもアジカンのライブを観ることができた日だったからに他ならない。自分自身にとってアジカンの存在がどれだけ大事なものであったのか。そんなことに向き合わざるを得ないようなライブだった。
アンコールに再びメンバーが登場すると、来年が25周年であるけれど、なかなか今の状況では大規模なお祭りができそうにないという話に。喜多は25年前はロッキンオンに載っているバンドのインタビューをそのまま話すような男だったとゴッチが紹介すると、Oasisのライブを見た感想が誌面に掲載されたことがあるというエピソードも開陳。今では話せないくらいに幼稚な内容だったらしいが。
山田の見た目同様に変わらぬ真面目な一言から、伊地知に関してはゴッチが今日のライブが始まっているにもかかわらず料理のツイートをしていたことを暴露し、
ゴッチ「俺はキヨシの料理漫画をプロデュースしたい。「きよしんぼ」っていう(笑)」
潔「絶対やります。誰か漫画描ける人来てない?」
ゴッチ「これからライブの時は黒のスーツに黒ネクタイな。(元ネタの「美味しんぼ」の主人公である山岡士郎の服装)
毎回ライブに軋轢のある父親が観にくる(主人公の山岡士郎と父親の海原雄山は絶縁していたという設定。コミック102巻で歴史的な和解を果たした際はニュースにもなった)…これ配信に載るかな?」
喜多「「きよしんぼ」は全カットです」
というマスク越しでも爆笑してしまう「きよしんぼ」トークから、
「久しぶりにやる曲」
と言って演奏されたのは、2006年のNANO-MUGENコンピレーション収録曲「十二進法の夕景」。「美味しんぼ」を全巻持っているマニアとしては「きよしんぼ」の衝撃でこの曲の感動が薄れてしまった感があるのがいささか残念ではあるのだが、かつてNANO-MUGEN FESが開催されていた横浜でこの曲が演奏されたのは感慨深さを感じるし、この曲もまたリクエストで上位に入った曲なんじゃないかと思う。
そしてラストは「触れたい 確かめたい」とともに最新シングルに収録されている「ダイアローグ」。曲始まりのゴッチ、喜多、山田の3人によるハーモニーは近年のカニエ・ウエストなどが取り入れたゴスペルの要素なども感じさせるが、そうしてアジカンらしさを今でもさらに更新しているし、その喜多と山田のコーラスを超えた歌声は今後もまたアジカンの幅を広げていく要素になっていく予感がしている。
おそらくは本来ならこれで終わるはずだったんじゃないかと思うが、アウトロのキメでゴッチが伊地知のドラムに近づいて確かに
「もう1曲やろう、「今を生きて」やろう」
と声をかけていた。その後に喜多と山田にもそのことを伝えて「今を生きて」を演奏した。「イェー」のフレーズを一緒に声を出して歌うことはできないけれど、そうして曲を増やそうとしたのは、この日のライブが楽しかったと感じられるものだったからだ。もっと演奏したいという気持ちがあって、それをメンバー間で共有することができている。今、バンドの状態が過去最高と言っていいくらいに良いのが伝わってくるし、この日はMCでは口にしなかったけれど、最後にこの曲を演奏したというのがアジカンからの我々への最も強いメッセージだ。ギターのノイズが会場を包む中、このフィーリングをずっと忘れないでいようと思っていた。
「1000年に1度の震災があって、100年に1度のパンデミックが発生した」
とゴッチはこの日言っていた。きっと、そのどちらも乗り越えた後には我々はもっと強くなれる。こうしてアジカンが音を鳴らしていて、その姿や音楽に力をもらうことができるのだから。やっぱり、アジカンじゃないなら意味はないのさ。
1.UCLA
2.荒野を歩け
3.アンダースタンド
4.橙
5.触れたい 確かめたい
6.或る街の群青
7.ナイトダイビング
8.遥か彼方
9.羅針盤
10.マジックディスク
11.Easter
12.ボーイズ&ガールズ
encore
13.十二進法の夕景
14.ダイアローグ
15.今を生きて
文 ソノダマン