RADWIMPSが毎年3月11日に発表している楽曲を集めたアルバム。3月11日というのはもちろん、東日本大震災。
東日本大震災からちょうど10年が経った。僕は、2011年と2012年の夏に石巻と女川に行った。
2011年の女川は、なにもなかった。人々がここで生活を営んでいた、ということすら想像ができないほどの、一面の泥。建物の土台すら流されて、なにもなかった。
2012年の女川は、復興の兆しが見え始めていた。何十台ものトラックが慌ただしく出入りし、ショベルカーが新たな生活の土台を作っていた。
2011年の女川で目にした、打ちひしがれるような圧倒的な無力感は、2012年の女川にはなかった。
2012年に初めて女川を訪れた人は、東日本大震災の爪痕を100%知ることはできなかっただろう。
震災から10年が経った。悲しいかな、あの記憶はだんだんと鮮明ではなくなってきている。
阪神淡路大震災からは26年が経った。
阪神淡路大震災の当事者だった人たちには、「我々はこの出来事を忘れてはいけない」という人もいれば、「こんなツライことは早く忘れたほうがいい」という人もいる。
両者の意見には正しいも間違いもない。
東日本大震災も、あの出来事を忘れまいとする人、忘れたふりをして前に進んでいる人がいる。
東日本大震災が起きた時、RADWIMPSはおそらく東京にいたと思う。少なくとも、福島県にいて津波に襲われた、体育館で身を寄せ合って何日も過ごしたということはなかっただろう。
言ってしまえば、当事者ではない。
だが、RADWIMPSが3月11日に発表してきた楽曲たちは、当事者にしか描けない世界がある。
震災を忘れてはいけないというでもなく、忘れたほうがいいというでもなく、無理に前を向かせるでもなく、
死者の後を追いたくなっても、生者のレールから外れそうになっても、この世界を捨てたくなっても、
それすらも当然だとRADWIMPSは歌う。
震災を知らない子供が問う。
「東日本大震災ってどんな出来事だったの?」
その答えがこのアルバムなのだと思う。