2022年3月28日に発売される『ユリイカ』でハイパーポップが特集される。
その『ユリイカ』を読んで自分の中のハイパーポップ論に影響を受けてしまうのを避けたいのでこのレビューを書いている。
これから僕が書くのはハイパーポップ論ではなくてunderscores『fishmonger』論だけど。
ハイパーポップの名前の由来となったSpotifyのhyperpopプレイリストもまだ聴いていない上に、
ハイパーポップが生まれた背景もそこまで調べ切れていないから、的外れなこともいっぱい書いていると思う。
それでもunderscores『fishmonger』を聴いて感じたことを残しておこうと思った。
昨年の末ごろ、友人に「最近、音楽を聴いてもなにも感じなくなってしまった」という悩みを打ち明けた。
そのときにunderscoresの「Spoiled little brat」という曲を教えてもらった。
クソ最高だった。
死んだ感受性にもぶっ刺さる音楽がまだあるんだなと思った。
ラストの展開がまじでクソ最高だ。
underscoresの音楽はハイパーポップというジャンルだ、ということを知ったのはその時だった。
アルバムも聴いた。クソ最高だった。
先日、「Spoiled little brat」のMVを見た。
全然よくなかった。
underscoresの音楽はテクノやEDMから発展したものだと勝手に想像していたけど、彼はこの音楽をバンド音楽として捉えているんだと思った。
そしてライブ映像も見た。
(「spoiled little brat」は27:51から)
underscoresにとってこの音楽は歌モノなんだと思った。
踊らせるんじゃなくてモッシュさせんのかと思った。
「spoiled little brat」の中頃でサークルを煽るunderscoresの姿も見て取れる。
underscores本人が曲を聴かせるのに重きを置いているのではなく、モッシュを奨励している。
音楽性だけ見れば、DJブースに陣取って、背面を全面LEDにして、両手を広げているだけで全然成立する。
でもunderscoresは自分がボーカリストとしてステージに立って、観客をアジるアーティストであることを決めた。
ハイパーポップはLGBTQ+のオンライン・コミュニティと密接に関連している音楽だ。
ハイパーポップを担う、ということはLGBTQ+を発信することとニアイコールだと認識している。(このあたりは不勉強なのでのちのち書き直すと思う)
テクノパンクという音楽性だけを見てハイパーポップである/でないを決めてはいけないのだ。
だからunderscoresが表に出てパフォーマンスするのも当然のことで、
発信したいことが音楽の上に何個も乗っかっているからあのスタイルになったのだろうな、と思いました。