ASIAN KUNG-FU GENERATION 25th Anniversary Tour 2021 “Quarter-Century” Zepp Tokyo 2021.11.22 ASIAN KUNG-FU GENERATION
ついこの間武道館で20周年ライブを見たばかり(「ソルファ」の再録盤リリースもあったとはいえ)な気もしていたのに、もう25周年だという。確かに20周年の前にゴッチは
「デビューの周年と結成の周年が2〜3年おきに来るんで、貯蓄をしておいてください」
とは言っていたけれど、こんなにも25周年というものがあっという間なものとは。
そのアジカンの25周年ツアーのセミファイナルとなるのがこの日のZepp Tokyoでのワンマンであり、この日はYouTubeにて無料の配信も行われている。
検温と消毒を経てZepp Tokyoの1階席に並べられた椅子に座ると、感染対策を呼びかけるアナウンスが流れている。ステージ背面やサイドにはテレビサイズというにはもはや小さいくらいの液晶パネルがいくつも取り付けられており、それはブラウン管型のテレビが多数ステージに設置されていた、ベストアルバム「BEST HIT AKG」リリース時のライブを彷彿とさせる。あのベスト盤を引っ提げた武道館2daysももう9年前である。
開演時間の19時になると場内が暗転してSEもなく4人がステージに登場。そう、このツアーからシモリョーが参加しない4人だけのライブなのである。単発のライブで4人だけという時もあったけれど、こうしてガッツリ4人だけというのはいつ以来だろうか。「マジックディスク」期からはすでに金澤ダイスケや山本健太というサポートキーボードが参加していたし、その後からシモリョーも加わっているだけに、本当に久しぶりな気がする。
メンバーが楽器を手にしたのを見て、観客がゆっくりと徐々に立ち上がっていくというのが勢いのある若手バンドのライブでの、メンバーが出てきた瞬間に一斉に立ち上がるというのとはまた違う感覚であり、そこにもアジカンの歴史の長さを感じざるを得ない。観客、ファンもバンドと一緒に年齢を重ねてきたということがこうした部分からもわかるというか。
真っ暗なステージにスポットが当てられた伊地知潔によるドラムロールが鳴らされると、そのキメに合わせるようにゴッチ、喜多建介(ギター)、山田貴洋(ベース)の3人がその潔のドラムの方を見て音を重ね、それが真っ赤な照明に照らされる中で「フラッシュバック」のイントロへと変化して、観客が声を出したくなるのをグッと堪えて腕を上げて拍手をする。ゴッチのかなりさっぱりした髪型はどこか「君繋ファイブエム」の頃を彷彿とさせるが、やはりその歌唱からは当時のようにガムシャラにエモーショナルに、という感じではない経験を感じさせるようなものになっている。
そのままアウトロから繋がるように「未来の破片」が演奏されるというのは「君繋ファイブエム」の順番通りの流れであり、きっと多くの人にとってアジカンと出会ったきっかけのアルバムであろう作品の冒頭2曲から始まるというのが、このライブ、このツアーが本当にアジカンの25年の歴史を振り返るものになるということを感じさせてくれる。
しかしながらこの冒頭2曲を聴くと、4人でのアジカンのサウンドがこんなにもシンプルなものだったのかということに気付く。でももちろんそれは当時そのままというものではなく、特に潔のずしりとした重さを感じさせるドラムのサウンドなどは「ホームタウン」期に取り組んだ、それによってツアーでのバンドのサウンドが劇的に変化した、世界中でヒップホップやR&Bが主流になっている今の世界を生きるロックバンドとしての低音への意識がアジカンのバンドサウンドの構造自体も変化させ、それがこうした初期の曲の演奏にも影響しているということがわかるのだが、それはアジカンがずっとロックシーンの最前線で自分たちだけならず、日本のロックバンドのためにも戦い続けてきた姿を見続けることができたからこそ感じられることである。そんな2年前の「ホームタウン」の埼玉県越谷や千葉県市川という会場まで来てくれた時のライブがフラッシュバックしていた。
間奏を経てのファルセットボーカル部分もやはりかつてとはゴッチはだいぶ歌い方は変わっているというか、むしろ声を張り上げるように歌うよりもファルセットの方が歌いやすそうな気もするのは近年のソロの楽曲でそうしたスタイルのボーカル曲が増えているということも作用しているのかもしれないが、最後のサビに入る前に両腕で客席を指差して思いっきり声を張り上げる様は25年のキャリアを持つロックバンドのボーカリストとしてのエモーションに満ち溢れていた。
アウトロで潔が腕を高く掲げて観客の拍手を巻き起こすと、黒みを帯びた赤く妖しい照明がメンバーを照らして喜多のイントロのギターが鳴らされるのは「サイレン」。「君繋ファイブエム」で一躍シーンの最前線に躍り出た後にリリースされて、オリコン2位を獲得して驚愕を与えた曲であるが、この曲を久しぶりに4人での演奏で聴くことの何が新鮮かというと、近年はシモリョーが間奏以降にカップリングバージョンの「サイレン」のコーラスを加えたマッシュアップバージョンで演奏していたのが、その要素が全くない、ストレートなシングルバージョンへと回帰しているからである。そう思うくらいにシモリョーのいる5人編成でのアジカンが自分の中で当たり前のものになっていたのだと思う。そんな曲を4人だけでここに立つ存在証明として鳴らしていた。
「どうもこんばんは、ASIAN KUNG-FU GENERATIONです」
とだけゴッチが挨拶すると、喜多がギターを鳴らして潔のドラムの連打によって始まる「無限グライダー」というこれまた「君繋ファイブエム」の選曲へ。単なる歴史を振り返るようなシングル曲網羅という内容になるのではなく、こうしてアルバム内の名曲、それもこうした形のワンマンじゃないと聴けない曲までも演奏してくれるのが実に嬉しいし、決して派手な曲ではないけれど、この曲を聴くと今でも初めて聴いた10代の頃のように、風を感じて飛べるような感覚を感じることができる。そう感じる自分も、感じさせてくれるアジカンもあの頃と変わっていないのかもしれない。
静謐さを会場に与えるようなイントロからゴッチがギターを刻み、潔の独特なリズムパターンのドラムが繰り返されていくのはこちらもまた「君繋ファイブエム」の名曲「ノーネーム」であり、ゴッチはその潔のリズムに身を預けるようにして体を揺らしながら歌うのだが、多くの人にとって特別な存在であり続けているであろうこのアルバムの曲を25周年ライブで数多く演奏するというのは、きっとバンド側がファンがそうした思いを「君繋ファイブエム」に抱いているということをわかっているのだろうとも思う。
「ノーネーム」のギターフレーズが一瞬にして変化するとそれは「ブラックアウト」のイントロになるのだが、喜多がマイクスタンドからより下手側に出て行ってギターを弾き、サビに入る瞬間にはジャンプを決める。ロックバンドとしての灯火がここで静かに消えることなく燃え続けている。わかりやすいくらいに喜多がこの曲が好きなんだろうなということがわかるのは、ライブのセトリ決めの際に
「この曲はファンが聞きたがっているから入れた方がいい」
という理由でゴッチと意見を戦わせる男だからである。
「サイレン」時の妖しげな赤い照明とは一転して爽やかな青い照明が照らす中で潔のリズミカルなドラムのイントロとともにセッション的なバンドの演奏から曲へと突入していく「ブルートレイン」と、ここまではほぼほぼキャリアを過去から振り返るような流れになっているということがわかるのだが、今でもライブで演奏されることも多いこの曲の
「日々に潜む憂鬱
それすら消えて無くなってしまうまで
生きたい…」
というフレーズはいつだって我々ファンの生への執着と願望であり続けてきた。それはきっとこれからも変わらないのだろうし、間奏で潔がスティックを喜多の方へ向けると、喜多が足を上げてギターソロを弾くという姿にアジカンの4人の何があっても変わることない絆のようなものを垣間見ることができる。その姿を見ているだけで涙が出そうになる。
ゴッチの着ているシャツの袖の長さが決まりきらないことを含めた挨拶的なMCは
「自分の代わりは他にいないんだから。この4人もそうだけど、ちょっとずつ足りない、パーフェクトじゃない4人だからこそ起きるマジックみたいなものがあったと思うし、あると思ってる。だからみんなも誰の真似もせずに自由に楽しんで。それがバチっと噛み合うことでとんでもないことが起こるだろうから」
と、ゴッチがこれまでのライブでも何度となく口にしてきた「自分らしく楽しむ」というものに帰結するのだが、ゴッチはステージ上でそれを実践してきたからこそ説得力を感じさせるのだ。
そんなMCの後にはまさに夕焼けに照らされているかのような照明による「十二進法の夕景」という、NANO-MUGEN FES.のコンピレーションアルバムに収録されていた曲が演奏されるのだが(「ブラックアウト」もコンピが初出でであるが、アルバム「ファンクラブ」にも収録されたのに対し、この曲は「フィードバックファイル2」でまとめられるまではコンピレーションにしか収録されていなかった)、とりわけ思い入れが強い曲であるのは、この曲が収録されたコンピレーションアルバムのあたりから、自分はフェスというものに1人だけでも行くように、いや、行けるようになったからだ。
それはアジカンが横浜アリーナで開催するようになった「NANO-MUGEN FES.」が海外アーティストを招きながらも、当時は「日本一敷居が低いフェス」(会場が横浜アリーナという行きやすい場所であることも含めて)を謳っていたことにより、1人で行っても次々に出てくる(メインステージと両サイドのサブステージで交互にライブが行われるために転換時間がほとんどなかった)アーティストのライブを観ているだけであっという間に1日が終わってしまい、「これならどんなライブ、フェスだって1人で行けるじゃないか」と思ったのが今の生き方、ライブの自分なりの楽しみ方や向き合い方に繋がっているからだ。つまりはアジカンとの出会いがこうした人生を形成する一端だったと言ってもいいのかもしれない。
ゴッチの伸びやかな
「誰のせい?」
という曲の締めのフレーズを聴きながら、またフェスのコンピレーションで新曲を聴いて、それが演奏されるというNANO-MUGEN FES.にいつか行けたらと思った。オープニングのゴッチの土俵入りも久しく見れていないもんな。
そんな感傷的な気分になるのは、やはりアジカンと共に生きてきた人生だったからであるのだが、重厚なイントロのアンサンブルからダンサブルな潔のリズムへと展開する「センスレス」もまた人生において何度となく聴いてきた曲であるが、ゴッチのボーカルに喜多と山田のコーラスが乗っかり、最後のサビ(と言っていい構成なのか)では一気に光が射すように、
「世界中を悲しみが覆って
君に手招きしたって
僕はずっと
想いをそっと此処で歌うから
君は消さないでいてよ
闇に灯を
心の奥の闇に灯を」
というフレーズが高らかに歌われる。それはまさに闇に覆われそうな現在の状況だからこそ、アジカンがいてくれる、目の前で音を鳴らしてくれているということが我々の希望の灯になっているかのような。リリース時は賛否両論あった(というかめちゃ否の方が多かった)「ファンクラブ」に収録されているこの曲が今になってアジカンを愛する我々を救うように鳴らされていると思うと、やはりその歩みは間違いではなかったと、アウトロで高く腕を掲げていた喜多の姿を見ると強く思う。
そのまま潔の4つ打ちのリズムのドラムからこの中盤で「君という花」が演奏されると、ゴッチが歌いながら誰よりも自由に体を揺らしながら歌っているのだが、こうしてキャリアを振り返るセトリの中盤でこの曲を聴いていると、アジカンにとってわかりやすい4つ打ちの曲はこの曲くらいしかないよなということに改めて気付く。20周年を迎えた時に盟友の細美武士もコメントで
「アジカンが出てきてから4つ打ちのバンドは増えたかもね」
と言っていたが、それはあまりにこの曲が衝撃的過ぎてこの曲のイメージのみが一人歩きしてしまったというところもあるだろうからこそ、後続の4つ打ちを主体にしたバンドへの影響は強かったにしろ、アジカン自体が4つ打ちを多用したバンドでは全然ないということがよくわかる。間奏の
「らっせーらっせー」
は観客が声を出すことはできないが、マイクを通さずともゴッチが確かにそのフレーズを発しているし、アウトロでは近年おなじみの「大洋航路」のフレーズを重ねてみせる。そうやってかつてのアジカンの代名詞と言っていいこの曲も色褪せることはないけれど時代によって進化を果たしているのだ。
そんな「君という花」は演奏されると否が応でもクライマックス感が出てしまうのだが、それを掻き消すように喜多メインボーカルの「嘘とワンダーランド」が演奏される。Aメロでゴッチがドラム台の上に座ってギターを弾いていたのは面白くもあり、喜多の姿を目立たせるためでもあるだろう。この直後のMCで昔より声が低くなったと言われてもいたが、こうしてこの曲を歌っているのを聴いていると全く変わらない高さであると思うし、この曲はゴッチには歌えないアジカンの曲である。
「ドブ声ファルセット」
「凄い解像度の低いJPEGの画像を見せられているような」
「俺がヒロトならマーシーになってくれないかなと思ってたこともある(笑)」
とゴッチ独特の表現で喜多のことを評しつつ、そんな2人よりもリズム隊の2人の方がしっかりしているということを語ると、それに加えて現在アルバムを制作していることも口にする。それはやはりこの状況が反映されたものになっているようであるが、そのアルバムを携えてツアーを回るとも。
「一体なんのために命を燃やすのか。いろんな人が人生を、生活を持ち寄ってきたおかげで俺たちは音楽を続けられている」
という、これからもアジカンという巨大な存在のロックバンドで生きていくという宣言とも取れるような意思を感じさせると、今になって聴くとその言葉がそのまま曲に、歌詞になっているようにも聞こえてくる「新世紀のラブソング」へ。
「マジックディスク」期の前後まではフェスやイベントでも同期のリズムの音をSEにして1曲目に演奏していた曲であり、この曲で導入したポエトリーリーディング的なボーカルスタイルは後のアジカンやゴッチのソロにも強い影響を与えたと思われるが、
「息を吸って 生命を食べて
排泄するだけの猿じゃないと言えるかい?」
というフレーズがリリースから10年以上経った今なお強烈に響くのは、自分にとっては猿ではないと証明できるものがこうやって音楽を聴いてライブに行くという人間としての行為であり、それが揺らぐことはないけれど批判されたりするようなこの1〜2年間だった。(特に今年の春から夏にかけては)
でもその後の
「ほら 君の涙
さようなら旧石器
恵みの雨だ
僕たちの新世紀」
という歌詞を今もアジカンが歌うことによって、またここから始めていける、作り直していけるって思える。去年のライブハウスツアーも、今年のJAPAN JAMも。アジカンがステージに立つことを選んだから救われたと思えるような感覚が確かにあった。外野にどんなことを言われても、アジカンへの、ゴッチへの自分の信頼は揺らぐことは全くない。
時系列ということを考えるとかなり飛んでいると思えるのは次に潔のハイハットの細かい連打によるイントロから始まる「ホームタウン」収録の「UCLA」が演奏されたからであるが、「新世紀のラブソング」の次に演奏されることによって、同じようにポエトリーリーディングからサビで一気に光に向かって解放されていくような展開はその発展形と言える曲であることがよくわかる。その2曲がどちらも希望に向かっていく曲であるということも。
一気に時系列は巻き戻り、昨年の若手アーティストを迎えて行われたライブハウスツアーでも様々な代表曲を押し退けて演奏された「或る街の群青」へ。結果的には叶わなかったけれど、昨年にもしロッキンが開催されていて、出演することが発表されていたアジカンがメインステージのトリを務めるのであればそのライブで是非演奏して欲しいと思っていた曲だ。それは
「セカイヲカエヨウ
ソコカラナニガミエル?」
というこの曲のタイアップである松本大洋原作の映画のテーマに沿ったメッセージが今この世の中で鳴らされるべきアジカンの曲のメッセージでもあると思っていたから。そのフレーズの瞬間にゴッチは右手人差し指で客席を指差し、喜多は高くジャンプする。この曲に宿っている青さをアジカンは今もなお持ち続けている。
前述のベストアルバムリリース時のツアーでは最新曲としてライブで演奏され、タイトルのメッセージを勘違いした観客が武道館の床をドカドカと踏み鳴らしてゴッチがビビるという光景がついこの間のことのように思い出せるのは「踵で愛を打ち鳴らせ」であるが、近年ではキーボードのサウンドがあるのが当たり前だった曲なだけにウワモノがギターだけという形で演奏されるとより聴き心地はロックなものになっている。
「Always Always」
というコーラス部分はゴッチはほとんど歌わずに喜多&山田のコーラスチームに任せていたが、それも2人への信頼であるとともに、この曲が歌うのが非常に難しい曲だからだろう。今でもMVでゴッチが踊っているのを初めて目にした時の衝撃を忘れることができないという意味ではアジカンとファンの歴史において非常に重要な曲である。
アジカンはフェスやイベントとワンマンではだいぶライブの内容が違う。例えば「リライト」はフェスなどではしっかり毎回演奏するが、逆に近年のワンマンや主催ライブでは演奏しないことの方が多い。それはワンマンに来るような人はフェスやイベントで数え切れないくらいにその曲を聴いているだろうという思いがあるからだと思われるし、それは「ソラニン」もそうである曲なのだが、切ないイントロとともにこの日この曲が演奏されたのはかつて横浜スタジアムでの人気投票ライブで1位を獲得した曲を25周年という記念のライブでやらないという選択肢はなかったのだろう。個人的には聞き飽きてるくらいに聴いている曲でもあるのだが、そんな曲もライブが減ってしまったこの1〜2年はほとんど聴く機会がなかったことも確かである。
ゴッチがポロポロとギターを弾きながらハミングするように声を出したので、これは「ボーイズ&ガールズ」かと思ったのだが、
「あの娘がスケートボード蹴って 表通り飛ばす」
と歌い始めたのは「荒野を歩け」というライブではおなじみの曲であるが、そんな始まり方!?と意表をつかれたのは自分だけではないはずである。
間奏ではやはり喜多が思いっきり片足を上げてギターソロを弾きまくるのだが、
「ゆめゆめ 思わぬ 未来が呼んでる
歌えよ 踊れよ
ラルラルラ」
というフレーズ部分では客席から自発的に手拍子が起こる。それは今まではシモリョーがステージ上で担っていたものである。それがシモリョーがステージにいなくても客席で続いている。改めて彼がこの曲に、アジカンにもたらしてくれたものの大きさが本当によくわかる。またいつでもアジカンのライブに戻ってきてくれていいんだぜって心から思う。
そこから一気にロックバンドとしてのダイナミズムを感じさせるのは、喜多が下手の最前近くまで行ってギターを弾く「Standard」であるが、サビでゴッチがギターを掲げるようにして伸びやかなボーカルを聴かせてくれる。その姿はやはり様々な、ファンからしたらそこまでしなくても、と思うくらいにたくさんのものを背負ってきたアジカンだからこそのカッコ良さに満ちていた。背負ってきたものが重荷に感じることもたくさんあっただろうけれど、それが力になっているということが、
「誰にも見向きもされないまま
後ろ指さえ差されなくても
やがて人々が忘れてしまっても
風変わりのまま ただ歌ったんだ」
という何者でもなかった時代を回顧するようなフレーズを歌う姿からは確かに感じられた。
そのままゴッチがノイジーなギターを鳴らすのは「Easter」であり、ゴッチが「フォー!」と声を上げるのも、喜多が右腕をガッツポーズのように突き出すのも含めて、やはり「Wonder Future」期の骨太なロックを標榜したアジカンも本当にカッコいいと思う。ゴッチは常に「人気ないアルバム」と言っているけれど、プロジェクションマッピングという新たな映像表現を取り入れた当時のツアーも含めて今でも本当に素晴らしい作品とライブだったと自分は思っている。
この日がおそらくアジカンにとっては最後のZepp Tokyoでのライブということもあってゴッチは社会人時代に会社帰りにNUMBER GIRLの解散ツアーをこのZepp Tokyoに見に来ており(Base Ball Bearがメンバー全員で見に来てライブ後に観覧車に乗って「ここでワンマンをやると誓ったライブでもある)、
「ART-SCHOOLのメンバーも観に来ていて。木下理樹とかひなっちとOJもいた頃で。(現ストレイテナーのひなっちとOJは初期ART-SCHOOLのメンバー。それだけにドラムの櫻井がART-SCHOOLを脱退するのを発表した時はストレイテナー加入説も流れていた)
彼らは関係者席にいたからめちゃくちゃ敗北感があって。話したら
「音楽しかやることないから」
って言われて、会社員やってたからすごいガーンってきたんだけど、今は働きながらバンドやってる人もいっぱいいて。どこでやってても音楽に優劣なんてないなって。当時の俺は浅かったし若かった。
俺は25年間メンバーにいろんなことを言ってきて、疎まれたり飲み会に呼ばれなかったりしてきたけど、でも何もかもダメになっても、建ちゃんと山ちゃんと潔がいてくれるんならば、もう一回今のままでも下北沢SHELTERの昼の部からやり直せるなって思う」
と話したのだが、喜多と山田は時折笑いながらその話を聞いていたけれど、自分がアジカンが続いてきたのは一切のバンド外活動をせずにアジカンだけの人であり続けてきた喜多と、今や最もアジカンらしい曲を書けるソングライターである山田がメンバーだからだと思っている。そんな2人がこれからも我々ファンを楽しませてくれるのも嬉しいけれど、何よりも自分たちが楽しいと思える活動をしてほしいと心から願っているし、今年の夏にツイッターを休止するくらいに精神的ダメージを負うことになったゴッチにとってもこの3人が隣にいてくれるというのは何よりも心強いことだったと思う。
そんなMCの後に演奏された「迷子犬と雨のビート」は喜多がイントロで観客の手拍子を煽り、キーボードのサウンド、つまりはホーンのサウンドが一切ないという4人の音だけが鳴らされるというアレンジに。気づけば無数のモニターにはメンバーそれぞれをあらゆる角度から映し出したリアルタイムな映像が映し出されている。
「僕たちの現在を
繰り返すことだらけでも そう
いつか君と出会おう
そんな日を思って 日々を行こう」
というサビのフレーズもまたゴッチのMCをそのまま歌詞にしたかのようであるが、間奏でステージに膝をつくようにしてギターを弾いていた喜多は何故か潔のドラムセットの後ろにまで回り込んでギターを弾いていた(配信カメラ用?)のだが、そうした光景を含めて本当にメンバーが今このライブの瞬間を楽しんで音を鳴らしているということが伝わってくる。
そして潔のドコドコとしたドラムが鳴らされると、なんの曲だか一瞬でわかるのは「今を生きて」であるのだが、この曲でもやはりシモリョーがそうしていたように観客から手拍子が鳴らされ、歌詞に合わせて腕が上がる。潔の横で今でもシモリョーがそう煽っているかのように。モニターにはこのツアーで缶バッジが販売されている、これまでのアルバムのアートワークが次々に映し出されていく。それが否が応でも25年という長い年月を感じさせる。どのアルバムもリアルタイムで聴いて、毎回ツアーに行っていたからこそ、どれにも等しく思い入れがあるし、そのアルバムや収録曲を聴けばいつでもその当時のことを思い出すことができる。それは我々がずっとアジカンとともに今を生きてきたことの連続だったということだ。これからもずっと、永遠を、そのフィーリングを忘れないでいよう。
そんな「今を生きて」で本編を終わるというのが一つのアジカンのライブのパターンでもあるのだが、山田がすぐさまベースのイントロを鳴らし始めたのはまさかのこのタイミングでの「遥か彼方」。モニターにはモノクロでのメンバーの演奏する姿が映し出される中、ゴッチのエモーショナルな歌唱とバンドのここへ来ての衝動を感じさせる演奏にワンコーラス終わるごとに客席からその熱演を讃えるように、バンドを祝うかのように拍手が起こる。何年経っても、どんな時代になっても、我々を救いあげてくれるのは、アジカンじゃないなら、君じゃないなら意味はないのさ。
そんな曲まで演奏したアンコールで何をやるのか。自分としてはかつてのファン投票で2位だったあの曲をやらないわけがないだろうと思っていたのだが、実際にメンバーが登場すると、3月にパシフィコ横浜でこのツアーの追加公演が行われることを発表し、さらには「サーフ ブンガク カマクラ」の続編も曲を書き終えており、来年にリリースされることも発表される。
「色んな街にまた行きたいね。俺が育った静岡県島田市なんか誰もライブしに来なかったから。ライブやる場所もないっていうのもあるけど(笑)
今日みたいに無料配信もこれからもやっていきたいと思ってるし、できる限りみんなから金取りたくないんだよね。どっかの大富豪がみんなのチケット代全部払ってくれたらタダでやりたいし、なんか高い金払ったやつから良い席で見れるって本当にそれでいいのかなって思うんだよね。どんだけ好きかとか関係ないじゃん。だから誰にでも音楽って開かれたものであるって思ってるし、それでみんなの人生が潤ってくれたらって思う」
とも続けたが、確かに今は、特にコロナ禍になって全席指定になってからはそうした、高い金を払った人が近い席で見れるという形のライブも増えた。自分自身社会人として金を稼いでいるだけに、金払って良い席で見れるんなら1番良い席で、と思うこともあるけれど、アジカンに出会った学生時代はそんなこと全く関係なく、スタンディングのライブでどれだけ近くで見れるかというところに挑んだりしていたし、実際に高校生の頃に1番良い席で1万円以上みたいなチケット代のライブがあったらきっと行くことなんか出来なかっただろうと思うし、そんな過去の自分みたいな、金はないけどとにかく音楽が、ロックバンドが大好きで仕方がないというような奴が好きなバンドを近くで見れる可能性はいつだって開かれたままでいて欲しいと思うし、10代の頃に自分の街にライブをしに来る人がいなかったゴッチもまだそうした気持ちを持っているんじゃないかと思う。実際にアジカンはどんなに広い会場でもそうした金額で見る場所が変わるというライブを全くやってこなかったし、チケットの抽選だってビックリするくらいに誰しもが平等だ。そんな活動形態はゴッチのその理念に基づいている。
「そんな話と全く関係ない曲を」
と言って演奏されたのは、やはり人気投票で2位となった「Re:Re:」であり、ライブバージョンが再録「ソルファ」になるというアジカンのライブでのアレンジがいつしか定番になっていくというライブバンドっぷりを感じさせてくれると、最後に特に何を言うわけでもなく演奏されたのは最新シングル曲である「エンパシー」だった。
それは
「アジカンやめへんで」
と言ったとおりにアジカンがこれから先も続いていくということ、ただこれまでの代表曲を演奏するだけではなく、アジカンが常に前に歩いてきたバンドであるということを示すものであり、サビでたくさんの腕が上がった客席の様子は今もまだそうしたアジカンの新しい曲を我々が求め続けているということを示すものだった。
演奏が終わるとゴッチはおなじみのサイドスローでピックを遠くまで飛ばし、4人がステージ前に並んで肩を組んで観客に頭を下げた。その4人の笑顔をこれから先何年でもずっと観続けていたいと思った。
勝手に、出会った高校生の頃からアジカンはずっと側にいてくれたバンドだと思っている。それはアジカンがメンバーが変わることもなく、休んだり止まったりすることもなく、フェスでも同世代のバンドがステージが小さくなったりしていく中でずっとメインステージのトリを務めては、「今日本当に来て良かったな」と思えるようなライブを見せ続けてきてくれたから。その姿に何度救われ、何度背中を押され続けてきたのだろうか。
この日客席にいたり、このツアーの他の会場でライブを見たり、配信で見ていた人もきっとそんな人たちばかりだったんじゃないかと思う。今はそうすることができないけれど、30周年の時にはそんな人たちと全員で肩を組んで、この曲たちを全曲大合唱したいと思うようなライブだった。25周年おめでとうございます。今までずっとありがとうございます。これからもずっとよろしくお願いします。
1.フラッシュバック
2.未来の破片
3.サイレン
4.無限グライダー
5.ノーネーム
6.ブラックアウト
7.ブルートレイン
8.十二進法の夕景
9.センスレス
10.君という花
11.嘘とワンダーランド
12.新世紀のラブソング
13.UCLA
14.或る街の群青
15.踵で愛を打ち鳴らせ
16.ソラニン
17.荒野を歩け
18.Standard
19.Easter
20.迷子犬と雨のビート
21.今を生きて
22.遥か彼方
encore
23.Re:Re:
24.エンパシー
文 ソノダマン