2024年9月27日、ツイッターをスクロールしていたら、このポストが目に入った。
さユりに関するお知らせ pic.twitter.com/nmFo9YHUgJ
— 酸欠少女 さユり (@taltalasuka) September 27, 2024
僕は遅めの夏休みでオーストラリアにいた。一瞬でバケーション気分が吹っ飛んだ。
さユりさんがロッキング・オン・ジャパンに初めて掲載されたときのインタビューに、僕は立ち会っていた。
さユりさんはその後、ジャパンのフェスにも出るようになり、誌面にも何度か登場し、
今月のジャパンに追悼記事載るのかな、と思っていたのだが、追悼文は掲載されていなかった。
さユりさんは、社会のどこにも属することなく、
シンガーソングライターとして括られることも、
アニソン歌手として括られることも、
路上ライブ出身として括られることも、
ギター女子として括られることもなかった。
さユりさんとジャパンとの距離感も絶妙で、
リリースごとにインタビューが載るわけでもなく、
フェスのいちばん大きいステージで皆勤賞をしているわけでもなく、
ふわふわっとそこらを漂って、
ふわふわっとたまにジャパンに来て、
ふわふわっとあの世に行ってしまった感じがある。
曲にもたびたび出てくるように、さユりさんは輪廻を信じていた。
今回のこともさユりさん本人にしたら「来世で会おう」くらいの感じなのかも知れない。
人はいつか死ぬ。
でも今日明日で急に死ぬという前提には立っていない。
だから、さユりさんの追悼文が載らないことは僕の心の収まりがどうにも悪く、
個人的な思い出を書こうと思う。
僕がさユりさんと会ったのは2016年2月だった。
インタビューはロッキング・オン社の会議室。
通常、メディア側の人間がアーティスト本人と名刺交換をすることはない。
レーベルのひとやスタッフさんのみと名刺交換をする。
それにはアーティストを守る意味ももちろんある。
当時、新人アーティストとしてデビューしたてのさユりさんは、そういったことを知らなかったのだと思う。
だから、キラキラした顔で大人たちの名刺交換の列に並び、キラキラした目で僕の名刺を受け取ったさユりさんのあの瞬間は強烈に覚えている。
音楽家としてのさユりさんに対しては、大きい会場で『花の塔』を聴きたかったとか、
弾き語りのアルバムの第二弾を出してほしかったとかあるけれど、それが悲しいというよりは、
日常の何気ない瞬間に、さユりさんはもうこの世界にいないんだなあと思うことが多い。
訃報を受け、さユりさんのツイートやブログを読み返して、
ファンに向けて綴ったメッセージがあのときのキラキラした顔のさユりさんと重なった。
弱さが私を必要としてくれるならそれだけで、あなたは光ですよ。私にとって。
何にも知らないので自分勝手100パーセントのお返事しかすることができないけどきいて。ごめんね。
輪廻転生のことはよく知らないが次生まれ変わった時私を見つけるのはなかなか大変です。
同じ時間を生きて影響し合えるのは恐らく今人生がラストです。
今貴方がいなくなってしまったら悔しいし、悲しい けれど、きっとそれだけで、それが嫌です。
悲しみきることができないのは嫌です。あなたがどんな風に歩いててどんなに泣いたのか、それらが私にとって擦り傷程度なのは嫌です。
できればあなたが望む場所でものすごく喜びたいです
わけわからんこと言ってますね? ごめん でも今、心の底から思ってることを言っています
どんな手段を使ってでも生き延びて笑ってください。 在り来たりのメッセージだけど、私もずっとあなたを応援してます
彼女のあのキラキラの輝きは、彼女の善性から放たれていたんだなあと思った。
こんなに優しいひとが亡くなってしまったことが悲しい。